2007年9月14日(釈放翌日)
まず昨日の記事に寄せられた疑問への回答から。その疑問とは、ノルマやモデルケースというのが納得できない、というものだった。正確には「納得できかねます」という表現だったが、~かねます(かねません)というのは90年代から女性の間で謙譲表現として誤用さて広まった用例なので、ここでは中立的な意見として解釈したい。...
View Article#5.続『ソー・ホワット』
ぼくは高校までの音楽教育は通常の学校以外は幼稚園児の頃にヤマハ音楽教室、高校時代半年ほどクラシック・ギター教室に通った程度で、理論はすべて高校の副読本の楽典で学習した。音階、和声進行や対位法、リズムと拍節などは基本的なことは普通科の高校の音楽の授業で習うことだ。高校の国語便覧と楽典、そして倫理社会の副読本を活用して知識の幅を広げた。たとえば、『ソー・ホワット』は一回聴けば4/4拍子で型式はAA'BA...
View Article#6.続々『ソー・ホワット』
ドラムスの守屋くんが加わる前の段階で、ぼくとベースのK、ギターの花ちゃんが選んだ曲は『酒とバラの日々』『ブルー・ボッサ』そして『ジャンゴ』だった-確か『ブルー・ボッサ』は花ちゃん、『ジャンゴ』はKの選曲で、『酒バラ』はなんとなく決まったように覚えている。Kはロックをやっていたからコード譜なら読めたし、花ちゃんはテーマ譜を見て初見でメロディを口づさめる読譜力があった。だがサンプル曲を聴いて譜面に起こす...
View Article2007年9月13日(釈放)
入獄体験のある人はそう多くはないだろうし、誰もが一律の経験をするわけではない。ぼくも自分の場合はこうだった、としか言えない。たとえば拘置所では、皆がやたらに食事が速かった。噛まずに呑み込んでいるんじゃないか、というくらい速い。この手の話ならいくらでもある。入浴の手順や畳んだ布団の折り目の向きまで規則があった。裁判所に行く時はトランクス一枚にされ調べられる。腰縄で10人ほどが一列に結ばれ、手錠をかけら...
View Article#7.続々続『ソー・ホワット』
『ソー・ホワット』がくどいが、マイルスだって公式ヴァージョンだけでもさんざん再演しているのだ。同じ演奏は一つとしてない。ジャズがポピュラー音楽で特異なのは、再現性を求めないことでもある。うちのバンドだって同じ曲でも演奏するたびに違っていた。ただしアメリカ本国では即興性の高いジャズは前衛的で、本流は楽譜通りに演奏するビッグバンドだった。ヨーロッパや日本では自国なりのポピュラー音楽は存在するから最先端の...
View Article通院日記・9月17日(火)晴れ
今日のメンタル診察はしくじった。簡単に「落ちついていて、心身ともに調子は良好です」で済ませておけばよかった。だがぼくは入獄・裁判の話を持ち出してしまった。「たとえば実家に立ち寄った際に、警察署からあらかじめ言われた通りに父と継母がぼくを密告し、刑事が来るまでぼくを引き止めたことまでありました-まだ妻におびきだされて事件化される前ですよ、それほど入り組んだ手順で参考人として拘置し、その後起訴するように...
View Article#8.続々続々『ソー・ホワット』
前回は高校までに、音楽の授業で習うことのおさらいだった。だが自分に必要ないことは習っても忘れてしまうもので、ぼくなど全国白地図を出されて、都道府県と県庁所在地を記入せよと言われても手も足も出ない。長野県がなぜあんなに長細いのか理解に苦しむ。島根県と鳥取県も紛らわしい。親戚づきあいが一切ない家庭に育ったので直系以外の親族関係が一般的にはどういうものかもわからない。これは学校とは関係ないようだが、ぼくが...
View Article60年代のアメリカ小説(3)
筆者は前回まででアメリカ小説の古典的価値はなかなか評価の定まらない、いわば世界文学のエアポケットであると解説した。ガートルード・スタインの「アメリカ人の成り立ち」は、プルーストやジョイスよりも早く、分量的にも「失われた時を求めて」よりは短いが「ユリシーズ」よりも長い前衛小説だし、ジョイスを主にプルーストからの影響も消化したトマス・ウルフ「天使よ、故郷を見よ」から始まる未完の自伝的五部作は分量でも「失...
View Article#9.『エピストロフィー』
手書き譜ではなく千一(いわゆるスタンダード曲集を指すジャズマン用語)で済ませたが、マイルス作曲の『ソー・ホワット』の発想元は、セロニアス・モンクとケニー・クラークが1941年頃共作したという『エピストロフィー』なのではないか、と演奏経験から感じる。従来は『ソー・ホワット』はジョージ・ラッセルやギル・エヴァンスらの白人理論派ジャズマンからマイルス・デイヴィスがアイディアを拝借したものとされて、モード奏...
View Article通院日記・9月19日(木)晴れ
ぼくは生活保護受給者で毎月の支給日は五日だから、ちょうど折り返し点に入ったことになる。備蓄食料品は来月の支給日分まで買い込んであるから、あとは生鮮食料品分しか財布に残っていない。貯金はあるがこれは純粋に娘たちへの学資保険なので崩せない。今月は誕生日プレゼントを贈りあう間柄の人にぎりぎりまで奮発したので(一方的に誕生日プレゼントを贈る相手は娘たち二人だが)自分の娯楽費はなくなったが、誕生日プレゼントを...
View Article#10.続『エピストロフィー』
'Epistrophy'というのは通常の英和辞典には載っていない単語で、ビ・バップの曲にはこの手の衒学的な命名が多いが(チャーリー・パーカーの代表曲には、自分のあだ名-ヤードバードまたはバード-にちなんで'Ornithorogy'「鳥類学」というのがある)、『エピストロフィー』はその嚆矢というべきだろう。'Epistrophy'は「例証」という意味の学術用語だそうだが、'Epistrophe'という...
View Article通院日記・9月20日(金)晴れ
(金)と書いたら最後に精神科入院した時の相部屋で、どうしようもないじいさんがいたのを思い出した。一日中他人の陰口か昔の自慢話を独語している。本業はタクシー運転手のかたわら山口組でシマを任されていたのが自慢だが、生活保護を受けるために離婚して精神病棟に入院し20年近く、「おれはキチガイじゃないんだぞ。娘やかみさんの都合でここにいるんだ」が口癖。男性看護師には威張りちらしてわがまま放題、看護婦には容貌で...
View Articleアル中病棟の思い出
忘れた頃に書いているアルコール依存症治療病棟への入院の思い出だが、2010年3月~5月の三か月間だったので三年半も前になる。それでも書こうと思えば新書版で上下巻くらいの分量は楽勝で書ける。入院初日から退院日まで毎日大学ノート数ページ分の日記をつけて、学習治療プログラムや同時期の入院患者たちの言動、直接・間接的に知った彼らのプロフィールといかにして入院に至ったかの詳細を記録してある。作業療法やオリエン...
View Article短歌と俳句(5)石原吉郎4
詩人として知られた石原吉郎(1915-1977)に句集と歌集が一冊ずつあり、それらかどのような背景を持っていたかは前回で詳述した。発表時期を見ると、第一詩集の刊行に先立ってすでに詩人としての地位を確立していた1958年にソヴィエト抑留時代の句会仲間で結社された俳句同人誌「雲」に参加して発表された作品、また同人詩誌「鬼・27号」1960に一挙掲載された49句のほぼ全句を収めたのが、「石原吉郎句集」19...
View Article療養日記・11月14日(木)晴れ
副題やリード(呼び込み)で声明している通り、このブログは毎晩深夜零時に1000文字の記事を二本更新している。筆者の就寝時刻は午前二時~三時の間だが、零時からその時間帯までに、多い日で20人~30人のアクセスがある。もちろんもっと少ない日もあるが、普通はこんな夜中に更新する人はいないから(巡回して読む人はいるとしても)、このブログは何かしら深夜零時に更新してのを気にとめてくださっているということだろう...
View Article短歌と俳句(6)石原吉郎5
詩人石原吉郎(1915-1977)の唯一の句集「石原吉郎句集」1974と唯一の歌集「北鎌倉」1978の顕著な相違点は、前者がほとんど62年発表までの句に拠るのに対して、後者が76年からの最晩年の創作からなることだろう。前回に同時発表された76年の俳句三句と短歌二首を引用したが、短歌はのちに歌集の巻頭と巻末に置かれたほど詩人自身にとって重い意味を込めたものだった。この場合拙劣さも破綻も問題ではなかった...
View Articleアル中病棟の思い出2
このブログでは珍しく、続きを楽しみにしています、というコメントをいただいたのが一昨日に掲載した、「アル中病棟の思い出」という一文だった。初期にはこのブログは積極的にリクエストを募集していたのだが、残念ながら使えるアイディアはほとんど寄せられなかった。一応職業文筆家の端くれで編集者経験もある者としては、アイディアの段階で「詰んでいる」ものは書く気がしない。このブログはコメントが極端に少ないから何にも考...
View Article短歌と俳句(7)石原吉郎6
「荒地」グループの詩人でも、鮎川信夫と北村太郎(1922-1992)はもっとも石原に注目していた。鮎川は石原を世に出した人だから当然として、北村は「荒地」では珍しく俳句を解する人だった。北村による石原吉郎句集評「『ゆ』のおかしみ」は詩誌「四次元」77年春期号初出。のち詩論集「詩を読む喜び」収録(78年4月刊)。軽いエッセイの体裁でいながら、石原の句集を論じた決定版とも言える充実した内容になっている。...
View Articleアル中病棟の思い出3
これまでの四回の入院では救急車二回、クリニックとの連携で市役所の福祉課担当者氏に公用車で病院に運ばれたのが一回になる。いずれも緊急入院だった。アルコール依存性更正治療科の入院施設のある精神病院は隣町にあった。今回の入院の場合は精神症状としては緊急を要さないので、入院の必要性をあらかじめ診察してもらいに行き、その上で入院なら入院可能日を病院のスケジュールと擦り合わせる必要があった。当時の日記を見ると2...
View Article