短歌と俳句(8)石原吉郎7
やれやれ、やっと見つかった。「みずかき」を一字で当てた漢字を筆者は国語・漢和辞典でも探し当てられなかったのだが、部首で見つからないなら音読みで見つからないかと漢和辞典を引いたらやはりなかったが(俗字・廃字の部類なのだろう)、携帯では「ボク」の音読みで出てきた。それが、石原吉郎(1915-1979)自薦でも前回の北村太郎による句集評でも、後述する佐佐木幸綱(1938-)の論考でも、石原を代表する一句と...
View Articleアル中病棟の思い出4
2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとってのいわば1970年11月25日だった。時刻も12時15分頃と、ほぼ同じだ。その日曜日、教会では現任牧師罷免について礼拝後の年次総会で決定することになっていた。総会出席者の全員が罷免に賛同で、牧師擁護派は牧師の後輩夫妻だけだがその日は仕事のシフトで欠席する。ひとりでもこんな決議には反対しなければならない。牧師の宣教が非力だから教会が成長しない、という...
View Article短歌と俳句(9)石原吉郎8
詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌については、急逝後すぐの書き下ろし論考が二編「現代詩読本-2・石原吉郎」78.7に収録されていると前回で触れた。そのうち、藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、すでに検討した通り、76年7月「詩の世界・第5号」に同時発表された詩三編・俳句三句・短歌二首を論考の起点とし、照応する詩編を指摘したのち主に歌集「北鎌倉」について論じている。晩年の石原...
View Articleアル中病棟の思い出5
「2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとっての、いわば1970年11月25日だった」というのは、現任牧師の罷免決議の年次総会で、真っ先に発言した後だった。いや、正確には帰宅して安ワインをあおり始めてからそれに気づいたのだ。まず、それまで誰にも話さなかった自己紹介から始めた。隣町の大教会の第一子としての生い立ちから離婚~入獄~精神疾患の判明、生活保護下の療養生活。そして罷免決議案自体がいかに...
View Article通院日記・11月18日(月)晴れ
・夢の世に葱を作りて寂しきよ―とは20世紀の大俳人・永田耕衣の名句集「驢鳴集」の中でも白眉の一句。葱の句の名作では、趣きは異なるが、飴山實の、・なめくぢも夕映えてをり葱の先―と甲乙つけ難い。ただし季節が違う。耕衣の葱は冬だろう。飴山の句は、なめくじも出てくる通り、この「葱の先」は葱坊主だろうから、梅雨の晴れ間の句になる。―などと思いながら、メンタル・クリニック受診の後薬局に処方箋を出して、分包待ちの...
View Articleアル中病棟の思い出6
「2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとっての、いわば1970年11月25日だった」というのは、もちろん三島由紀夫の2.26模倣事件のことだ。三島は聡明だったから、あんなことは失敗するのは織り込み済みだった。成功の可能性はほとんどないが、成功すればその先は自分ひとりの手からは離れるから計画しようもない。だが失敗した場合。あのように死ぬことで国民的トラウマになりおおせた。それはあらかじめ計画...
View Article短歌と俳句(10)石原吉郎9
詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌について、急逝後すぐの書き下ろし論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、76年7月「詩の世界・第5号」に同時発表された詩三編・俳句三句・短歌二首から主に歌集「北鎌倉」について論じ、村上一郎(1920-1975)との比較に論及したところで擱筆されている。村上一郎については既述した。藤井は佐々木幹郎らとともに清水昶を中心とした70年代の京...
View Articleアル中病棟の思い出7
こんな冗談みたいな理由でアルコール依存症と断定され入院を命じられるのか、と即座に言語化して考えたわけではないが、とっさに口にしたのは、「なぜですか?」他に言いようがなかった。それから、どなたでも想像できるように、虚しい押し問答になった。アベさんにお話した通り、三日三晩酒びたりになったのは事実です。その後は鬱になり、いつもの晩酌よりも酒量は増えているとは思う。だけれど朝から晩まで酒びたりだったのは、事...
View Article通院日記・11月20日(水)晴れ
午前中は眼科の受付時間の正午ぎりぎりまで自宅で読書して過ごし、今日は幸い空いており、顔を出すなり受付の女性スタッフに心配と驚きの混じった声で「佐伯さん!?」と叫ばれてしまいました。昨日は一時間半待った挙げ句、「すいません、気分が悪いので日を改めて…」と帰ってきたのです。...
View Articleアル中病棟の思い出8
入院前の、最後のアベさんの訪問看護の時、アルコール依存症治療についてはひととおり訊いた。アベさんはアル中治療日本一の久里浜病院に研修経験があるのだ。アベさんは具体的に、丁寧に説明してくれたのだが、その時はまるで実感がわかなかった。それのどこがアルコール依存症治療なの?そんなことしてなんになるの?という感じしかしなかったので、聞いた話は右から左へと流れてしまった。たぶんこんな感じだったはずだ。「みんな...
View Article短歌と俳句(11)石原吉郎10
詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、急逝の前月に発表された清水昶との対談から作歌の動機を訊かれた石原の返答の「ぼくは何に入るにしても、まず形から入っていかないといけない」との発言の引用から始まる。そして石原は前年末の急性アルコール中毒による緊張入院に触れ...
View Articleアル中病棟の思い出9
こんな冗談みたいな理由で(以下同文)というのも二度目ではもう諦めがついていた。以前別の病院に入院した時お世話になった作業療法のドイ先生の言葉を思い出した(ドイ先生は音楽療法の先生なので、精神科医ではない)「お医者さんなんて病名つけるのが仕事なのよ。神さまの目から見れば、病気なんかないの」だから今度は、「なぜですか?」から始まる、虚しい押し問答はしなかった。かつては離婚の際に人の世のルールで有罪者にな...
View Article短歌と俳句(12)石原吉郎11
詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、急逝の前月に雑誌掲載された清水昶との対談から石原の作歌の動機の自己分析(石原は直述ではなく回想の形で本格的な作歌当時の心境を解説している)によって石原の短歌の処女作と言える「詩の世界」第五号(76年7月)の二首を検討し...
View Articleアル中病棟の思い出10
・3月2日(火)曇り・小雨「M市のY病院に入院第一日目。バスを逃してタクシーで着く。バスの三分の一の所要時間で着いた。受付時刻より早く着いてしまい、入院の前にまず外来病棟で診察があるので小一時間待つことになったが、かえって緊張と不安感からひどい下痢をきたす。タクシー運転手はほどよく年増の爽やかな美人だった。福祉タクシー券と障害者割引で清算し、「これからこの病院に入院するんです」「あら、お大事に」領収...
View Article短歌と俳句(13)石原吉郎12
詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、短歌と詩の関連を、先行する散文詩に見る。『藤1』幽明のそのほとりを 装束となって花は降った もろすぎるものの苛酷な充実が 死へ向けて垂らすかにみえた そのひと房を。おしなべて音響はひかりへ変貌し...
View Articleアル中病棟の思い出11
前回は2010年3月2日、入院初日の日記をほぼ忠実に起こしたものだ。アルコール依存症と診断され入院が決定してから一か月近く間が空いたのは、病院から指定された入院日が確か2月の末か3月のこの日だったからだった。空きベッドの具合とかいろいろあったのだろう。3月2日を選んだのは月の1日付けで入院していると翌月の生保支給額がほぼ1/3に減額されることもあったし、2月から放映中の「ハートキャッチ・プリキュア」...
View Article短歌と俳句(14)石原吉郎13
詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌については、もう一編、歌人・佐佐木幸綱による「物語の可能性と沈黙の詩」があり、藤井の屈折しがちな論考とは対照的に、すっきりした論考になっている。佐佐木は石原の短歌全体について、こう指摘する。「石原の歌集『北鎌倉』を読んでまず思ったのは、同語反復が実に多いということである」「こんなにも同語反復の頻出する歌集を読んだことはない」と、次の三首を挙げる。・鎌倉は...
View Articleアル中病棟の思い出12
・3月3日(水)晴れ「朝の血圧測定では上120下90という尋常なものに戻る。処方がこれまでの3種類からいきなり13種類に。尿もオレンジ色になる。朝食後は朝会まで仮眠、その後すぐ介助浴になる。介助など不要なのだが、アル中入院の患者はこれが規則なのだろう。『クルーソー』上巻の末尾数十ページを読み返し、下巻200ページまで読み進める。喫煙室で駄弁ったり、ゲーム盤やトランプ(生れて初めてセヴンブリッジをやっ...
View Article短歌と俳句(15)石原吉郎14
前回は先に佐佐木幸綱による論考から見たが、藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」ではもっと現代詩詩人が短詩型定型詩に向う時の機微に触れており、結論は佐佐木の「表現することの虚しさ」と近いとしても、論法に大きな屈折と飛躍があり、きわめて脈絡がたどりづらい。「(石原の)短歌には、ふしぎなほど、あらがいの感情がこもる。なにかが立ちのぼり、まとわりついてくるように動く。これが『情緒の持続』と氏がのべ...
View Articleアル中病棟の思い出13
・3月6日(土)雨「D先生による素行診断で月曜日から第二病棟(アルコール依存症治療病棟)に移ることになった。煙草もやっと自己管理になる。Kくん、Mさん、Sくんに喫煙室で報告。三人ともしきりに残念がる。風の又三郎だな、とMさんがうまいことを言う。面映ゆいが、ぼくが来てから単調な入院生活が活気づき楽しかったらしい。『ガリヴァー旅行記』読み始めるが、癖の強い内容なのとルームメイトとの雑談で今日は68ページ...
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