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短歌と俳句(11)石原吉郎10

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詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、急逝の前月に発表された清水昶との対談から作歌の動機を訊かれた石原の返答の「ぼくは何に入るにしても、まず形から入っていかないといけない」との発言の引用から始まる。

そして石原は前年末の急性アルコール中毒による緊張入院に触れ、解放病棟なのにみんな寝たきりでいる、そうなってはいけないとある程度回復したら無理に執筆を再開したが、
「散文も書けなければ、詩も書けない。なぜ短歌があのとき書けたかということをいまになって考えると、短歌にはまず形がある。それから、俳句はなぜ書けなかったというと、俳句は発想一発で全部終ってしまうわけです。ある程度の情緒の持続があるからというんで、短歌を書いた」

そこで清水は「短歌は物語を含むということですか」と追及するが、石原は「いや、情緒の持続ですね。ぼくにとっては情緒をスパッと断ち切ってしまうことができない。やはりある程度情緒を持続しなきゃいけないけれど、詩のように無限に持続していくわけにはいかない。だから短歌に走ったと思うんですけどね」と藤井の指摘どおり先の発言を繰り返すにすぎず、もし石原の言う通りなら、かつて詩作の傍ら専門俳人にひけをとらない句集をものした詩人は今や、まったく方位を違えたことになる。

藤井は石原の短歌作品について「それにしても、これがいったい短歌なのだろうかという、へんな感情が湧いてくる」、それは短歌に対して読者はいわゆる短歌的抒情を予期するが、短歌は抒情だけではなく技巧の世界でもあるなら、石原が短歌に求めた〈形〉とは何であるのか。

そこで76年7月の詩誌「詩の世界・第五号」に詩三編と同時発表された俳句三句と短歌二首が検討される。短歌二首は後に歌集の巻頭と巻末に配置される。
俳句は「打ちあげて華麗なるものの降(クダ)りつぐ」「死者ねむる眠らば繚乱たる真下」「墓碑ひとつひとつの影もあざむかず」
短歌は、
・今生の水面を垂りて相逢はず藤は他界を逆向きて立つ
・夕暮れの暮れの絶え間をひとしきり 夕べは朝を耐えかねてみよ

「これは石原さんの作品だという了解のもとでなければ読めない」と、はっきり藤井は言っている。

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