「2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとっての、いわば1970年11月25日だった」
というのは、もちろん三島由紀夫の2.26模倣事件のことだ。三島は聡明だったから、あんなことは失敗するのは織り込み済みだった。成功の可能性はほとんどないが、成功すればその先は自分ひとりの手からは離れるから計画しようもない。だが失敗した場合。あのように死ぬことで国民的トラウマになりおおせた。それはあらかじめ計画できることだ。
ところがここに失敗の先も考えないで似たようなことをした馬鹿がいる。
しかもこの馬鹿は信仰の上でも思い上がっていて、結局自分の傲慢さをさらけだしてしまっただけだった。信徒の方々の意見をひととおり聞き、それからじっくりと話を詰めて、二度と安易な罷免案など提案できないような言質をとることもできたのに、真っ先に罷免決議の無効自体を持ち出してしまったから、かえって誰もが本質的な問題には向き合わないまま、罷免は見送る、と安易に便乗できる雰囲気を作ってしまいすらしたのだ。
救いようのない馬鹿だ。
その頃は隔週月曜がメンタル・クリニックの診察だった。だから日曜から火曜までは朝から晩まで買い置きの安ワインを飲み、水曜にはひどい鬱になっていた。金曜は訪問看護のアベさんが来るが、誰にも会いたくない。
アベさんの勤めるクリニックに電話した。朝から飲んでますので(飲酒時は訪問看護はしない、という取り決めがあった)すいませんが今日は結構です。
だがアベさんは来た。「なにがあったんですか?」
おおざっぱに話した。
「じゃあ、日曜の午後から火曜の晩までは食事もせずに飲んでたんですね」
そうです。今朝も訪問を断る口実にしようと、朝飯の後一杯飲みました。
アベさんはため息をつき、「来週は受診ですよね。クリニックには報告しないわけにはいきませんが、いいですか?」
お任せします、と答えた。他に答えようもないし(どうせ報告されるだろう)どうでもいい気分だった。
翌月曜の診察を受けに行くと、主治医はとっくに治療方針を決めていた。
「アベさんから報告を聞いたよ」
そうですか。では特にお話することもありません。
「Y病院という専門病院がある」
はあ?
「アルコール依存症だ。入院するんだよ」
というのは、もちろん三島由紀夫の2.26模倣事件のことだ。三島は聡明だったから、あんなことは失敗するのは織り込み済みだった。成功の可能性はほとんどないが、成功すればその先は自分ひとりの手からは離れるから計画しようもない。だが失敗した場合。あのように死ぬことで国民的トラウマになりおおせた。それはあらかじめ計画できることだ。
ところがここに失敗の先も考えないで似たようなことをした馬鹿がいる。
しかもこの馬鹿は信仰の上でも思い上がっていて、結局自分の傲慢さをさらけだしてしまっただけだった。信徒の方々の意見をひととおり聞き、それからじっくりと話を詰めて、二度と安易な罷免案など提案できないような言質をとることもできたのに、真っ先に罷免決議の無効自体を持ち出してしまったから、かえって誰もが本質的な問題には向き合わないまま、罷免は見送る、と安易に便乗できる雰囲気を作ってしまいすらしたのだ。
救いようのない馬鹿だ。
その頃は隔週月曜がメンタル・クリニックの診察だった。だから日曜から火曜までは朝から晩まで買い置きの安ワインを飲み、水曜にはひどい鬱になっていた。金曜は訪問看護のアベさんが来るが、誰にも会いたくない。
アベさんの勤めるクリニックに電話した。朝から飲んでますので(飲酒時は訪問看護はしない、という取り決めがあった)すいませんが今日は結構です。
だがアベさんは来た。「なにがあったんですか?」
おおざっぱに話した。
「じゃあ、日曜の午後から火曜の晩までは食事もせずに飲んでたんですね」
そうです。今朝も訪問を断る口実にしようと、朝飯の後一杯飲みました。
アベさんはため息をつき、「来週は受診ですよね。クリニックには報告しないわけにはいきませんが、いいですか?」
お任せします、と答えた。他に答えようもないし(どうせ報告されるだろう)どうでもいい気分だった。
翌月曜の診察を受けに行くと、主治医はとっくに治療方針を決めていた。
「アベさんから報告を聞いたよ」
そうですか。では特にお話することもありません。
「Y病院という専門病院がある」
はあ?
「アルコール依存症だ。入院するんだよ」