ぼくは高校までの音楽教育は通常の学校以外は幼稚園児の頃にヤマハ音楽教室、高校時代半年ほどクラシック・ギター教室に通った程度で、理論はすべて高校の副読本の楽典で学習した。音階、和声進行や対位法、リズムと拍節などは基本的なことは普通科の高校の音楽の授業で習うことだ。高校の国語便覧と楽典、そして倫理社会の副読本を活用して知識の幅を広げた。
たとえば、『ソー・ホワット』は一回聴けば4/4拍子で型式はAA'BA、8×4=32小節なのがわかる。この曲が特異なのは、厳密には和声(コード)進行が存在しないことで、ベースやピアノ(うちのバンドではギター)が担うのは和声進行ではなくオスティナート、ポピュラー音楽の用語で言えばリフにすぎない。この曲にはDm7(Aに相当する)とそれを半音上げたE♭m7(Bに相当する)しか和声はなく、トニック(l度)→サブドミナント(lV度)→ドミナント(V度)→トニックという基本構造を持たないのだ。西洋音楽ではどんなポップス、ロックでも、ドミナント・モーションと呼ばれるこの構造がある。ただし民俗音楽には和声進行を持たないものも多く、西洋音楽の楽理自体バッハからモーツァルトに至る時代に確立された、さほど長い歴史を持たないものなのだ。
バッハの時代には和声進行という概念はなく、複数の旋律の同時進行によって成り立つ対位法が公式な音楽の主流だった。クラシック音楽といってもバッハの時代は教会音楽や宮廷音楽、式典音楽を指すので、それは高度に専門化された、世俗の音楽とは交わらないものだった。
世俗の音楽とクラシック音楽の融合はモーツァルトを嚆矢とする、というのは定説になっている。正しくはフリーランスの商業作曲家として初めての人で、作曲家の自発性がここで初めて課題となり、ベートーヴェンを経てベルリオーズになると流しのギタリスト出身で、ワーグナー~マーラー~シェーンベルクに至る現代音楽は「幻想交響楽」初演の1830年に始まったと言える。
だがポピュラー音楽の世界では民俗音楽の要素をそのまま残したものがあった。アメリカ音楽ではそれはブルースで、教会音楽が出自のゴスペルに対する悪魔の音楽だったが、ジャズはその両者を一つにした。
その洗練の極致が『ソー・ホワット』で、和声進行以前の手法を実行している。それはモード奏法と呼ばれるものだった。
たとえば、『ソー・ホワット』は一回聴けば4/4拍子で型式はAA'BA、8×4=32小節なのがわかる。この曲が特異なのは、厳密には和声(コード)進行が存在しないことで、ベースやピアノ(うちのバンドではギター)が担うのは和声進行ではなくオスティナート、ポピュラー音楽の用語で言えばリフにすぎない。この曲にはDm7(Aに相当する)とそれを半音上げたE♭m7(Bに相当する)しか和声はなく、トニック(l度)→サブドミナント(lV度)→ドミナント(V度)→トニックという基本構造を持たないのだ。西洋音楽ではどんなポップス、ロックでも、ドミナント・モーションと呼ばれるこの構造がある。ただし民俗音楽には和声進行を持たないものも多く、西洋音楽の楽理自体バッハからモーツァルトに至る時代に確立された、さほど長い歴史を持たないものなのだ。
バッハの時代には和声進行という概念はなく、複数の旋律の同時進行によって成り立つ対位法が公式な音楽の主流だった。クラシック音楽といってもバッハの時代は教会音楽や宮廷音楽、式典音楽を指すので、それは高度に専門化された、世俗の音楽とは交わらないものだった。
世俗の音楽とクラシック音楽の融合はモーツァルトを嚆矢とする、というのは定説になっている。正しくはフリーランスの商業作曲家として初めての人で、作曲家の自発性がここで初めて課題となり、ベートーヴェンを経てベルリオーズになると流しのギタリスト出身で、ワーグナー~マーラー~シェーンベルクに至る現代音楽は「幻想交響楽」初演の1830年に始まったと言える。
だがポピュラー音楽の世界では民俗音楽の要素をそのまま残したものがあった。アメリカ音楽ではそれはブルースで、教会音楽が出自のゴスペルに対する悪魔の音楽だったが、ジャズはその両者を一つにした。
その洗練の極致が『ソー・ホワット』で、和声進行以前の手法を実行している。それはモード奏法と呼ばれるものだった。