アル中病棟入院記249
(人物名はすべて仮名です)・5月18日(火)追記「体育の後すぐロビーでメール書きに取り掛かれたのではなかった。深川さんという女性ケースワーカーが待っていて、調査面談ということで集団療法室で細かく具体的に訊かれた。入院中の心境や感想、病識と退院後の生活計画、自助グループへの参加の意志の有無など。善意に基づく面談だとは心得ているがずっと彼女の腕時計の長針が気になる。とにかく具体的に、それにはなるべく要点...
View Articleアメリカ喜劇映画の起源(8) チャップリン1
アメリカが世界を征する映画大国になったのは1910年に最初にロサンゼルスに撮影所が建てられ、15年のグリフィスの三時間を越える大作『国民の創生』が長編映画初の舞台劇の記録映画とは異なる映画独自の表現手法を実現してそれまで国際的にヒットしていたイタリアの長編史劇映画を質的に圧倒し、17年のハリウッド撮影所の開設で大規模な長編大作の量産が可能になる、という過程がありました。1889年にイギリスに生まれた...
View Article電池が切れました。
毎晩午前零時きっかりに、毎回二本の長文(1000文字)記事を律儀に更新しているこのブログですが、携帯電話の充電残量が底を尽き、充電しながらでも長文記事を仕上げるのは本日中には無理になりました。タイトル通り、文字通りの電池切れで、本日の更新はこのお知らせだけで休載いたします。携帯電話はいまだに赤ランプ点灯中。この一文を投稿しただけでスコーン!と電源が落ちそうです。さて明日は無事に更新が再開しますでしょ...
View Articleまたかよ。
そうなんですよ。詳細は前日付け小文「電池が切れました」参照。その後状況は改善したかというと、昨夜よりはマシになった(と思う)。でもたぶん、昨日と同じくせいぜい四百字が限界で、それ以上の長さの記事を書いたら携帯の電源がいつ落ちてもおかしくない状態になると思う。それではレギュラー記事にしていた連載は細切れでしか載せられなくなってしまう。参りました。やはり電池が夏バテ気味で本来の充電容量の半分、下手すると...
View Articleアメリカ喜劇映画の起源(9)チャップリン2
チャップリンは映画界入り二年目の1915年には早くもエッサネイ社に移籍、同社では一年間に短編14本を自作自演します。前年のキーストン社では一年間で長編一本と短編35本に出演しており、つまり10日に一本で短編を制作していたのが、移籍後は月一本強のペースになったわけです。単純計算で三分の一強ですが、キーストン社時代の出演作品は純粋な主演・監督作は半数ですので簡単に本数から労力は測れません。なにしろ映画デ...
View Articleアメリカ喜劇映画の起源(10)チャップリン3
1914年(25歳)の映画デビューから1917年(28歳)までに62本の短編と一本の長編に出演、そのうち1915年以降の短編26本ではキャスティングからタイトル、オリジナル脚本まで完全な決定権を手中にしたのですから、20代後半のチャップリンの勢いは映画史上でも稀に見るもので、二世ではない純粋なイギリス芸人のアメリカ進出の成功としては後のビートルズのみが匹敵するかもしれません。ただしチャップリンは19...
View Articleアメリカ喜劇映画の起源(11)チャップリン4
1918年初頭にはチャップリンは自己所有のチャップリン撮影所を設立、前年にパラマウントから分裂し、全米一の上映館数を誇った大メジャーのファースト・ナショナル社からの移籍第一作が中編『犬の生活』で、この年は軍隊喜劇の『担え銃』もあり、以下、 1919年『サニー・サイド』『一日の行楽』公開 1920年『キッド』制作 1921年『キッド』『のらくら』公開...
View Articleアメリカ喜劇映画の起源(12)チャップリン5
ユナイテッド・アーティスツ第一作『巴里の女性』からはチャップリンは創作意欲と作品の規模に見合った制作ペースの自由も手に入れて、数年に一作が許される巨匠になります。シリアス作品『巴里の女性』から始まり、ここからのチャップリンは喜劇映画であっても喜劇作家の作品ではなくて、ジャンルとしては一般のドラマ映画が喜劇映画ふうに仕上げられたもの、と見るべきでしょう。 1925『黄金狂時代』 1928『サーカス』...
View Articleアル中病棟入院記その後(2)
(人物名はすべて仮名です)躁鬱病相の悪化で隣町の総合病院の閉鎖病棟に緊急入院したのは2010年12月1日で、この病院へは2009年の5月~8月にも薬物性悪性症候群と鬱病相による絶食から緊急入院しており、この時はクリニックを通した入院予定日の前日に自己判断で救急車を呼んだ。二週間は寝たきりで栄養点滴されて、自力では寝返りも打てないので床擦れができた。ようやく車椅子で食卓に着け、入院先の主治医の最初の問...
View Articleアンドレ・ジッド(15)その創作の特徴1
1926年の『贋金つかい』と創作日記『贋金つかいの日記』の発表に伴い、アンドレ・ジッド(1869~1951)は自己の創作を詩的散文、レシ(物語)、ソチ(風刺作品)に過去に遡って分類しました。それは『贋金つかい』こそ自己にとって最初で最後のロマン(長編小説)という自負からでした。レシとは一般的にはコント(短編)とロマン(長編)の中間の中編で、長めの短編または短めの長編を指す場合もあります。たとえば日本...
View Articleアル中病棟入院記その後(3・完)
ようやく彼女との関係を終らせたのは交際再開からほぼ一か月後、四月の上旬になってからだった。早くせねばとは思っていたが精神的な安定を保つ自信が持てなかった。退院後にメールの往復はしていたが、ようやく彼女が女友達との外食を口実に朝から夕方まで訪ねてきて、送り出してから別れる決意を固めた。その晩に彼女から性的充足感とこれからも密通を望むメールが来たが、中一日をおいて、もう二度と会うつもりはない、と返信した...
View Articleアンドレ・ジッド(16)その創作の特徴2
処女作に作家のすべてがあるならば、アンドレ・ジッド(1869~1951)はかなりやばいことになります。作者本人がのちに詩的散文に分類する1891年(22歳)の『アンドレ・ワルテルの手記』と1892年の『アンドレ・ワルテルの詩』はともに匿名出版で、狂死した実在の無名詩人の遺稿集という体裁をとっていますが、手記はジッドの日記そのもの。詩集はもちろんジッドの作品ですが、詩作品と見倣されないのは故アンドレ・...
View Article偽ムーミン谷のレストラン(71)
最終章。ウェイターは依然マイクを持ったまま、服装も燕尾服のままで壁ぎわに立っていました。さきほどまで歌姫が立っていた壁の隠し舞台には無人のまま照明が照りつけていました。それは客席に居合わせたムーミン谷の人びとが自分以外のみんなはいったいこの場をどうしているのか、ひととおりさぐりあってもまだもて余すほどに長い沈黙でした。あまりに長く続くので、その沈黙はまるでひとりとして異議のない完全な同意によって保た...
View Articleアンドレ・ジッド(17)その創作の特徴3
前々回で一編ごとに楽しんでみますといいつつ、アンドレ・ジッド(1869~1951)の作品は果して個別に論じるべきか難しいのです。まず処女作『アンドレ・ワルテルの手記・詩』1891~1892年に始まる自伝的作品の系列があり、『ナルシス論』や『ユリアンの旅』、『愛の試み』1891~1893などのエッセイ風な詩的散文もその副産物であり、『地の糧』1897、『新しき糧』1935は小説の枠を踏み出した長編エッ...
View Article認知症と「もの忘れ」
これは真面目な記事ですから出典を明記してもいいでしょう。画像に掲載したパンフレットからの、・もの忘れ'めやす'リスト―をご紹介したいと思います。このパンフレットはエーザイ株式会社が今年五月発行したもので、調剤薬局で無料配布されています。パンフレット自体は認知症相談サイトの案内で、本人と家族、介護者のための情報と支援を、・早期発見のポイント・認知症地域支援マップ・認知症の基礎知識などの項目を分けて紹介...
View Articleアンドレ・ジッド(18)その創作の特徴4
作者自身が形式上の分類をしておきながら、アンドレ・ジッド(1869~1951)の創作は内容的に見ると形式的には異なりながら主題は共通しているものが多いのに気づきます。処女作『アンドレ・ワルテルの手記・詩』1891~1892は詩的散文と分類されていますが内容はジッド自身の日記や詩のリライトで、自伝的作品どころではありません。主人公アンドレは従姉との結婚を臨終の母に拒絶され狂死に至りますが、ジッド自身が...
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