文学史知ったかぶり(18)
アメリカ自然主義の頂点をなすドライサー『アメリカの悲劇』1925、ルイス『バビット』1922、アンダソン『ワインズバーク・オハイオ』1919は、「失われた世代」と呼ばれる新人の初期作品―カミングス『巨大な部屋』1922、ドス・パソス『マンハッタン乗換駅』1925、フォークナー『響きと怒り』1929、そして「失われた世代」の代表格であるフィッツジェラルド『楽園のこちら側』1920、『グレート・ギャッツ...
View Article偽ムーミン谷のレストラン(39)
この店にはウェイターはいないらしく、どうやら調理師自身が料理を運んできたようでした。玉子型の胴体の頂点が頭部に当るのか、いわば玉子に目鼻と手足をつけた姿です。この土地でスナフキンは相当異形の姿形にも馴れていましたが、中でもこの調理師はデフォルメの具合が激しい部類でした。頚椎に当る部位がないということは、とスナフキンは理系らしく(技師ですから)思いました、後ろを向く時不便だろうな。よく幼児が背後の大人...
View Article少し休みます。
まったくの私事ですが、週末に誕生日を迎えますので前後数日は新規記事の作成をお休みします。現在、・入院日記(毎日)と、・ジャズ・文学史・映画・作家研究に関する雑文を日毎で順繰りに掲載し、・童話・エッセイを不定期に掲載しておりますので、再開後もほぼ同様のペースで続けます。入院日記は退院まで残り10日分になりましたので、あと20~30回で終了しそうです。童話(ムーミン谷)は一章10回、全八章全80回で終了...
View Article偽ムーミン谷のレストラン(40)
われわれにはついに解明できなかったが、最終的に下した判断の正当性は間違いはなかったと信じている。あれは、言うなれば一種の汚染のようなものだった。しかもわれわれはうかつにも外側からではなく、内側から蝕まれていたということに気づくのが遅かった。あまりに酷い有様だったのでわれわれは長い間、それは単にわれわれの目にする現実にすぎないと思いこんでいたのだが、それこそわれわれの自惚れや油断から来る錯覚だったのだ...
View Article(再録)山村暮鳥詩集「聖三稜玻璃」1915
大手拓次(1887-1934)と山村暮鳥(1884-1924)は知名度こそ低いが、山村は萩原朔太郎(1886-1942)と並ぶ群馬三大詩人であり、大手は萩原・室生犀星(1889-1962)とともに「北原白秋門下の三羽烏」と呼ばれ、また山村は萩原・室生との同人誌「卓上噴水」「感情」の創刊仲間でもあった。この四人はビートルズみたいなものだった。ただジョージやリンゴがいなかっただけだ。山村の第三詩集「聖三...
View Article(再録)山村暮鳥『風景~純銀もざいく』ほか
山村暮鳥(1884-1924)の詩集「聖三稜玻璃」1915(三稜玻璃は「プリズム」のこと)については前に解説した。この詩集最大の悪評は巻頭作『囈語』と、巻末近い次の作品による。『風景~純銀もざいく』いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなかすかなるむぎぶえいちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめ...
View Article(再録)大手拓次『そよぐ幻影』1933 ほか
萩原朔太郎は同世代のライヴァルから影響を受けるのが実に巧みで、「月に吠える」では室生犀星・山村暮鳥、「青猫」では大手拓次(1887-1934・群馬県生れ)の顕著な影響が見られる。犀星は大成したが、暮鳥・拓次の知名度はぐっと落ちる。その一因には生前の評価も低かったこと、萩原や室生のような完成度に欠いていたことがある。『水草の手』わたしのあしのうらをかいておくれ、おしろい花のなかをくぐってゆく花蜂のよう...
View Article(再録)大手拓次の初期詩編
大手拓次(1887-1934)も山村暮鳥(1884-1924)同様専門的な研究が行われているが、郷土詩人・自然詩人の風貌もある暮鳥は各地に詩碑が建立されるほど今日では愛され、あの「いちめんのなのはな」詩碑さえある。それにひきかえグロテスクでエロチックな表現が続出する拓次は分が悪い。ごく初期(明治末期)の、『昔の恋』我胸のにしきの小はこ、そと開くさみだれのまど。朧なるともしびもえて、徒らのきみがおもか...
View Article(再録)大手拓次『春の日の女のゆび』1927
身のこなしも女性的で、生涯独身・童貞だったというこの詩人(1887-1934・群馬県生れ)。「幻視とフェティシズムの詩人」と簡略に紹介してもいいが、幻視もフェティシズムもともに定義の難しい性質だ。空想・エロティシズムとは重なりつつ異なる。覗き趣味、小児同性愛、足フェチ、匂いフェチなどこの詩人の食指は多種多様だった。そして今回は「女のゆび」だが、これは明らかに女性の自慰行為の描写だろう。『春の日の女の...
View Article(再録)鮎川信夫『繋船ホテルの朝の歌』1949
今回は戦後日本の現代詩屈指の一篇をご紹介する。鮎川信夫(1920-1986・東京生まれ)は戦前から詩作を始め、除隊後に詩誌「荒地」の中心となった。作風はエリオット、オーデンの影響が強い。『繋船ホテルの朝の歌』ひどく降りはじめた雨のなかをおまえはただ遠くへ行こうとしていた死のガードをもとめて悲しみの街から遠ざかろうとしていたおまえの濡れた肩を抱きしめたときなまぐさい夜風の街がおれには港のように思えたの...
View Article(再録)鮎川信夫『Who I Am 』1976
戦後現代詩を代表する詩人・鮎川信夫(1920-1986・東京生れ)の作品は、先に『繋船ホテルの朝の歌』1949をご紹介した。今回は1977年の「現代詩手帖」新春号の巻頭を飾りセンセーショナルな話題を呼んだ異色作を取り上げる。『Who I...
View Article(再録)鮎川信夫『白痴』1951
鮎川信夫(1920-1986・東京生れ)にはあまり話題にされないが好ましい佳篇がいくつもある。「荒地」同人編「荒地詩集一九五一年版」収録の鮎川詩集は『死んだ男』『アメリカ』『白痴』『繋船ホテルの朝の歌』『橋上の人』の5篇。このなかで『白痴』は力作4篇にあって箸休めのように見える。だがこの詩を単独で読むと実にいいのだ。『白痴』ひとびとが足をとめている空地には瓦礫のうえに材木が組立てられ鐘の音がこだまし...
View Article(再録)吉岡実『劇のためのト書の試み』1962
今回はすごいのをいく。まずは作品を。どうすごいかは、読んでみればわかる。この詩人にとってはこれがアヴェレージ作というのも念頭におかれたい。作者にとっては特に力作でも何でもないのだ。『劇のためのト書の試み』それまでは普通のサイズある日ある夜から不当に家のすべての家具調度が変化するリズムにのって 暗い月曜日の風のなかで音楽はユーモレスク視覚的に大きなコップ...
View Article(再録)吉岡実『わがアリスへの接近』1974
戦後現代詩の巨匠のひとり・吉岡実(1919-1990・東京生まれ)は作風の実験にも意識的で、およそ生涯に4期の変化があり、そのいずれもが成功している。今回ご紹介する詩篇は1974年発表、大反響を呼び日本での「アリス」(ルイス・キャロル)ブームの火つけ役となり、収録詩集が刊行されるとたちまちベストセラーになり各種文学賞を受賞した。吉岡実の作風のなかでは第三期を代表する作品。ではご紹介する。『ルイス・キ...
View Article(再録)吉岡実『聖少女』『桃―或はヴィクトリー』『静物』
吉岡実(1919-1990・東京生れ)は同年輩の鮎川信夫と共に戦後現代詩の2大潮流を創った人で、モダニズムや兵役体験など重なる経歴も多い。だが作品は、これほどかけ離れた詩人はいないと言っていいほどだ。『聖少女』少女こそぼくらの仮想の敵だよ!夏草へながながとねてブルーの毛の股をつつましく見せるあいまいな愛のかたち中身は何で出来ているのか?プラスチック紅顔の少女は大きな西瓜をまたぎあらゆる肉のなかにある...
View Articleアメリカ喜劇映画の起源(1)
趣味などどこで決るか判らないもので、中学生の頃に繰り返し熱心に読んでいたのは小林信彦のエッセイ集だった。小説の二大傑作、「大統領の密使」「大統領の晩餐」は何度読んだか数えられないし、長編エッセイ「パパは神様じゃない」と「つむじ曲がりの世界地図」も愛読したが、特にすみずみまで憶えこんだのは「東京のロビンソン・クルーソー」「東京のドン・キホーテ」、そして「世界の喜劇人」「日本の喜劇人」だった。小林信彦が...
View Article偽ムーミン谷のレストラン(41)
第五章。追加登場人物・三人の魔女トロール&子だくさんの母トロール(ミムラ夫人)。ミムラ夫人、ミムラやミイの母親。35人の子を持つムーミン谷一多産な夫人。本人同士も知らないスナフキンの実の母親。三人の魔女トロール。その一、トゥーティッキ。帽子にしましまの服を着た気のいい女性。冬眠から目覚めたムーミンに冬の暮し方を教える。その二、モラン。通った道は凍りつき、長く座った場所には何も生えなくなる。世界一冷た...
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