大手拓次(1887-1934)と山村暮鳥(1884-1924)は知名度こそ低いが、山村は萩原朔太郎(1886-1942)と並ぶ群馬三大詩人であり、大手は萩原・室生犀星(1889-1962)とともに「北原白秋門下の三羽烏」と呼ばれ、また山村は萩原・室生との同人誌「卓上噴水」「感情」の創刊仲間でもあった。この四人はビートルズみたいなものだった。ただジョージやリンゴがいなかっただけだ。
山村の第三詩集「聖三稜玻璃」1915(大正4年)は前年から2年間の作品35篇を収める。世界的にもこれほど早く(チューリッヒ・ダダは翌年、「月に吠える」は17年、「ダダイスト新吉の詩」「春と修羅」「死刑宣告」は23~5年)にまったく独自に突然変異的前衛詩集を書いてしまった。当時の批評は2、3を除きほとんど罵倒。萩原すら留保つき評価だった。表紙もやばいが、巻頭作から挑発的だ。
『囈語』(註・うわごと)
窃盗金魚
強盗喇叭(らっぱ)
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鳶絨(びろーど)
姦淫林檎
傷害雲雀
殺人ちゅうりっぷ
堕胎陰影
騒擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら
(大正3年6月「アルス」)
難しくはない。言語破壊をオブジェのように楽しめるかがキモだ。すべて人の罪状とされる語句を人以外のものに結びつける。次の詩はどうか。
『大宣辞』
かみげはりがね
ぷらちなのてをあわせ
ぷらちなのてをばはなれつ
うちけぶるまきたばこ。
たくじょうぎんぎょのめより
おんなのへそをめがけて
ふきいづるふんすい
ひとこそしらね
てんにしてひかるはなさき
ぎんぎょのめ
あかきこっぷをおどらしめ。
(大正4年3月「卓上噴水」)
ひらがな攻撃ときた。お次はどうくるか?
『曲線』
みなそこの
ひるすぎ
走る自動車
魚をのせ
かつ轢き殺し
麗かな騒擾(さわぎ)をのこし。
(大正4年4月「卓上噴水」)
『手』
みきはしろがね
ちる葉のきん
かなしみの手をのべ
木を揺する
一本の天(そら)の手
にくしんの秋の手。
(大正3年11月「地上巡礼」)
詩集冒頭から4篇を引いた。いかに異様な詩集か、一端でもお伝えできたら幸いです。
山村の第三詩集「聖三稜玻璃」1915(大正4年)は前年から2年間の作品35篇を収める。世界的にもこれほど早く(チューリッヒ・ダダは翌年、「月に吠える」は17年、「ダダイスト新吉の詩」「春と修羅」「死刑宣告」は23~5年)にまったく独自に突然変異的前衛詩集を書いてしまった。当時の批評は2、3を除きほとんど罵倒。萩原すら留保つき評価だった。表紙もやばいが、巻頭作から挑発的だ。
『囈語』(註・うわごと)
窃盗金魚
強盗喇叭(らっぱ)
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鳶絨(びろーど)
姦淫林檎
傷害雲雀
殺人ちゅうりっぷ
堕胎陰影
騒擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら
(大正3年6月「アルス」)
難しくはない。言語破壊をオブジェのように楽しめるかがキモだ。すべて人の罪状とされる語句を人以外のものに結びつける。次の詩はどうか。
『大宣辞』
かみげはりがね
ぷらちなのてをあわせ
ぷらちなのてをばはなれつ
うちけぶるまきたばこ。
たくじょうぎんぎょのめより
おんなのへそをめがけて
ふきいづるふんすい
ひとこそしらね
てんにしてひかるはなさき
ぎんぎょのめ
あかきこっぷをおどらしめ。
(大正4年3月「卓上噴水」)
ひらがな攻撃ときた。お次はどうくるか?
『曲線』
みなそこの
ひるすぎ
走る自動車
魚をのせ
かつ轢き殺し
麗かな騒擾(さわぎ)をのこし。
(大正4年4月「卓上噴水」)
『手』
みきはしろがね
ちる葉のきん
かなしみの手をのべ
木を揺する
一本の天(そら)の手
にくしんの秋の手。
(大正3年11月「地上巡礼」)
詩集冒頭から4篇を引いた。いかに異様な詩集か、一端でもお伝えできたら幸いです。