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ペヤングにんにくMAX!

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 定番のペヤングといえばこれになる。最近廉価版(内容量や具材がやや少ないらしい)ペヨングというのもでたが、今回話題にする新商品はこれ。新商品といっても冬には出ていて、やっぱりカップ焼きそばは非常食にとっておくべきだよな、とか何かお祝い事でもあったらいただこう、と考えているうちに、そろそろ賞味期間が来てしまった。ペヤングにんにくMAXとはこれだ。パッケージからして凄みがある。

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 さて、わざわざ比較対象に普通のペヤングと出来上がりを写真に撮って並べてみたのだが、ご覧ください。どちらがにんにくMAXでどちらが普通のペヤングか、まあ一目瞭然だろう。

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 どちらがそそられるかというと、ちょっと微妙なものがあると思う。にんにくMAXも塩ガーリック風味でなかなかおいしかった。だが人がカップ焼きそばに求めているものとは微妙にズレがあるのは否めない。ペヤングは西日本ではそれほどではないというが(そうなんでしょうか?)東日本でのブランド力は相当なもので(本当か?)、このにんにくMAXもペヤングだからの信頼で美味しくいただいたが、未知または他の大手メーカーからの新商品だったら二の足を踏むようなパッケージだし、また買って食べようか、というのは案外買ってきてから食べるまでの過程も含まれている。
 結論から言うと一度食べてみると案外美味しく、普通のペヤングと遜色ない。だが、なら普通のペヤングがいいや、とまたにんにくMAXを食べようという気にはならないのがペヤングに申しわけない。手持ちの青のりをふりかけたらもっと外観もそそられる仕上がりになったかもしれない。こういうのはたまに食べると美味しい、とはカップ焼きそば共通に言えることなので、気が向いたらおすすめする。見た目はやや味気ないが、味はいけます。

真・NAGISAの国のアリス(68)

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 馬鹿みたい!とアリス。いくら芸人だからって相当売れていた時代もあるんだから、それなりに資産はあったんでしょう。
 それなりどころじゃないと思いますが、と白ウサギ。外国の高級住宅地に邸宅を構えていたくらいですからね、人気の盛りは過ぎたとは言え立派なセレブ、エリートです。
 だったらなおさら仕事を休んで、鬱病とアルコール依存症をきちんと治してから出直せば済んだじゃない。
 進行性の神経性麻痺で演奏家としての将来を悲観していたんです、と白ウサギ、鍵盤楽器演奏家のヴァーチュオーソにとっては、これはほとんど絶望的な事態です。
 演奏できなくなっても作曲・編曲はできるでしょう。今ではDTMで生演奏と匹敵するものが作れる時代だし、バンドリーダー、クリエイターとしての将来をすべて悲観するのは短絡的というか、あまりに衝動的で同情の余地がないわ。海外公演のスケジュールも翌月に組まれていたくらいだから、どれだけの人が迷惑をこうむったことか。少なくとも翌月の海外ツアーはこなせる、と思っていたんでしょう?スケジュール自体は遅くとも3か月前には決まっていたはずで、正式にキャンセルする時間的余地もあったでしょう。結局アドヴァンスだけが目当て何らかの理由でツアーは流すつもりだったんじゃないか、勘ぐりたくもなるわ。
 いや、この世代の人は人口動態ではピークなんですよ、と白ウサギ。それこそ人気が旬のうちに極端な過密スケジュールを組んでおいて、人気が凋落してもいわば惰性のついた労災レベルの過労、ワーカホリックから逃れられない。健康的な休養なんて言っていられないのです。コマは止まると倒れる。アルバム制作とツアーの機会がコンスタントにあるうちはいいが、まずアルバムの発売契約がメジャーからインディーズに落ちて、スポンサーつきの大規模ツアーからいきなりプロモートもされない地味な地方都市の小会場のドサまわりに活動が激変する。数年おきおきにメジャーとインディーズを行ったり来たりしていたような不安定な活動が鬱病とアルコール依存症につながったのは十分推察できますし、おそらく薬物依存が進行性の神経性麻痺に拍車をかけていたでしょう。
 それに、と白ウサギ、最後のパートナーだった内縁のアジア系婦人とも別居婚だったことにも一種の不吉を感じさせます。パートナーとしては必要としあっていた、だが同居婚は耐えられない理由がおそらくあったのです。


John Coltrane - Coltrane Time (United Artists, 1962)

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John Coltrane - Coltrane Time (United Artists, 1962) Full Album
Recorded in October 13, 1958, New York City
Re-Released by United Artists Records United Artists Jazz UAJS 15001, 1962
Originally Released as Cecil Taylor Quintet - Hard Drivin' Jazz, United Artists Records - UAL 4014, mono, 1959
Cecil Taylor Quintet - Stereo Drive, United Artists Records ?- UAS 5014, stereo, 1959
Produced by Tom Wilson
(Side 1)
A1. Shifting Down (Kenny Dorham) : https://youtu.be/G8eTqSpXyVE - 10:43
A2. Just Friends (John Klenner, Sam M. Lewis) : https://youtu.be/fQhE2jAB-JU - 6:17
(Side 2)
B1. Like Someone in Love (Jimmy Van Heusen, Johnny Burke) : https://youtu.be/nucaLqSrlQE - 8:13
B2. Double Clutching (Chuck Israels) : https://youtu.be/j7P_cXAYjw4 - 8:18
[ The Cecil Taylor Quintet ]
Cecil Taylor - piano
Kenny Dorham - trumpet
John Coltrane - tenor saxophone
Chuck Israels - bass
Louis Hayes - drums
 (Original United Artists "Coltrane Time" LP Liner Cover)

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 何を隠そう筆者が高校生の時初めて聴いたジョン・コルトレーン(テナーサックス/1926-1967)のアルバムがこれだった。実はこのアルバムからコルトレーンに入るのは邪道で、前回『Soultrane』の記事でコルトレーンの全アルバム・リストを掲載したけど載っていませんね?それもそのはずで、このアルバムはセシル・テイラー(ピアノ/1929-)のモノラル録音のアルバム『Hard Drivin' Jazz』(1958年10月録音)のステレオ・リミックス盤『Stereo Drive』が一旦廃盤になった後、コルトレーンのインパルス移籍の大キャンペーンに便乗してコルトレーン名義のアルバム『Coltrane Time』1962として再発売してしまったいんちきアルバムで、要するに1950年代のジャズマンには自分のアルバムの権利はほとんど持っていなかった。1961年にコルトレーンがアトランティックからインパルスに移籍する際、アルバム制作メンバーと選曲、マスター・テイク、タイトルとジャケット、発売時期のアーティスト側の決定権を条件にレーベル契約したのはジャズ界では画期的な快挙だったが、過去のアルバムまではどうにもならずにプレスティッジやアトランティックは未発表アルバムの発売を続け、メンバーの一員として参加した他人のアルバムまでがコルトレーン名義で再発売された。『Coltrane Time』はそれの最たるものだった。
 しかも筆者は音楽の先生にカセットテープにコピーしてもらったのだが、先生もレコードではなく先生の友人からコピーしてもらったカセットテープで持っていた。AB面15分もないやけに短いアルバムだな、と思ったら、元々のカセットテープが採譜用に33 1/3rpmのLPレコードを45rpmで再生・録音したものだった。再生スピードを上げると音程は4度上がるが、倍音成分が消えて採譜のための聴き取りが楽になる。カセットテープにはアルバム・タイトルなしでジョン・コルトレーンとしか書いていなかったし、音楽の先生も何のアルバムか知らなかったから、後で探し当てるまで苦労した。そして探し当ててみたら回転数が違っていた、と冗談みたいだが、実話なのだからこのアルバムとはずいぶん屈折した出会いかたをしたものだ。しかもコルトレーンのアルバムはあらかた聴いて見つからず、忘れた頃にセシル・テイラーのアルバムを集めていて『Hard Drivin' Jazz』はステレオ版『Stereo Drive』改題『Coltrane Time』でしか今では入手できないんだよな、とセシル・テイラーのアルバムのつもりで買ったらいちばん最初に聴いたコルトレーン(正確にはレコードが回転数違い)だった。あの時は唖然とした。しかもLPプレーヤーなら簡単に、CDでもDTMで出来るはずだが、A1で言えばKey=FがKey=B♭になるがB♭ならキーとしては違和感ないし(トランペットもテナーサックスもB♭管)、1.5倍のアップテンポになると意外とかっこ良かったりするのだ。
(Original United Artists "Hard Drivin' Jazz" LP Front and Liner Cover)

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 さて、このアルバムは1958年12月のセッションでプレスティッジを契約満了する直前のコルトレーンが参加したことでセシル・テイラーの初期アルバムでも異色作になったのだが、テイラーはそれまで3枚のアルバムを出していた。『Jazz Advance』(1956.9録音)、『At Newport』(ジジ・グライス&ドナルド・バード・クインテットとのスプリット・ライヴ・アルバム、1957.7録音)、『Looking Ahead』(1958.6録音)で、『Hard Drivin' Jazz』の次作『Love For Sale; Plays Cole Porter』(1959.4録音)を経て初期の到達点『World of Cecil Taylor』(1960.10録音)、ギル・エヴァンス・オーケストラとのスプリット・アルバム『Into the Hot』(1961.10録音)でさらに飛躍し、大傑作『Live at Cafe Montmartre』(1962.11録音)、『Unit Structures』(1966.5録音)、『Conquistador!』(1966.10録音)、『Great Paris Concert』(1966.11録音)、『Fondation Maeght Nights (Second Act of "A")』(1969.7録音)に至る。テイラーは本当に寡作だがその分1作1作に重みがあり、ソロ・ピアノ活動とバンドが半々になる1973年以前のアルバムはどれも必聴なのだが、『Hard Drivin' Jazz』だけはテイラーのアルバムでも異質の企画盤なのだった。プロデューサーは元インディーズのトランジション主宰、この頃はフリーのプロデューサーをしていたトム・ウィルソンで、トランジションはテイラーやサン・ラ、ドナルド・バードの初アルバムをリリースしたことからウィルソンはフリー転向後もテイラーやバード、サン・ラをニューヨークのレーベルに単発契約させていた(ウィルソンは1962年からはジャズに見切りをつけ、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、フランク・ザッパ、アニマルズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらフォークとアンダーグラウンド・ロックのプロデューサーに転身する)。
 50年代~60年代のセシル・テイラーは自分のバンドのレギュラー・メンバーとしか録音しなかった。その唯一の例外が『Hard Drivin' Jazz』で、トランペットが元チャーリー・パーカー・クインテット、元ジャズ・メッセンジャーズのケニー・ドーハム(1924-1972)、ベースがビリー・ホリデイやバド・パウエルと共演し、後にエリック・ドルフィーとの共演やビル・エヴァンス・トリオのレギュラー・メンバーになるチャック・イスラエルズ(1936-)でイスラエルズにはこれが初レコーディング、ドラムスは元ホレス・シルヴァー・クインテットでキャノンボール・アダレイのレギュラー・メンバーになるルイス・ヘイズ(1937-)と、腕前は確かだがまったくの寄せ集めのメンバーなのだった。イスラエルズとヘイズはまだ21、2歳だからまだしも融通がきくとされたのだろう。コルトレーンは新鋭テナーマンとしてテイラーとの組み合わせが期待されたらしく、コルトレーン自身が参加には意欲的だったらしい。だがドーハムはマイルス・デイヴィスの後任でチャーリー・パーカー・クインテットのトランペットを勤め、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを立ち上げた大物だった。
(Original United Artists "Stereo Drive" LP Front and Liner Cover)

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 レコーディングはA1、B1、A2、B2の順で行われたと記録されているが、コルトレーンの伝記やインタビュー、テイラーの証言からすると、ケニー・ドーハムがとにかく先輩風を吹かしまくったらしい。コルトレーンへのインタビューではやや誘導尋問ぽくもあるのだが、セシル・テイラーとのレコーディングはもっと上手くできたはずでまたチャンスがほしい、と未練を残していたという。テイラーはワンマンな割に放任主義的な面があり、トランペットとテナーのパートはあんたたちヴェテランなんだから好きにやってくれ、という調子だった。テイラーのバンド・メンバーなら一生懸命テイラーの音楽性に合うプレイをするし、コルトレーンもせっかく異色の新鋭ピアニストのアルバムなのだからチャレンジしてみたかった。コルトレーンからドーハムに、ホーンのアンサンブルの提案と打ち合わせを申し入れたという。ドーハムはケンもホロロに「俺に指図するな」と打ち合わせを拒んだ。かっこいい。さすがだ。選曲はスタンダード2曲(パーカーの愛奏曲「Just Friends」にハードバップ・スタンダード「Like Someone in Love」)にドーハムとイスラエルズのオリジナル・ブルース2曲と決まっていたが、イスラエルズのブルースはパーカーの「Chasin' the Bird」や「Ah-Leu-Cha」の変奏というべき対位法ブルースだったし、ドーハムのブルースはコルトレーンの「Blue Trane」のテーマ・リフをマイルス・デイヴィスのヴァージョンによるミルト・ジャクソンのブルース「Bag's Groove」(キーまで同じ)のテンポとリズム・パターンに移し替えたものだった。
 ドーハムのオリジナルA1がピアノの無伴奏イントロで始まると、いかにもセシル・テイラーらしい異様なムードにどうなるかと思うが、2ホーンとベース、ドラムスが入って曲になるとあっけないほどハードバップのブルースなので拍子抜けする。コルトレーンの先発ソロは後にエリック・ドルフィーが多用するような平行音列を連発して意欲的なのだが、テイラーのソロに移るとどうも先ほどのテナー・ソロがやっていたことはリーダーのピアニストのプレイとは違うように思える。そしてケニー・ドーハムは、ピアノがどうバックアップしてこようが「Bag's Groove」のソロを想定して吹いているように聴こえる。こうなるとベースとドラムスはオーソドックスなプレイでトランペット・ソロを支えるしかなく、ピアノとの一体化は果たすすべもなくなってしまう。
(Original United Artists "Coltrane Time" LP Side 1 & 2 Label)

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 アルバム全編がそういう感じで、ファスト・テンポのA2「Just Friends」はAA'構成のテーマを先のAはドーハム、後のA'はコルトレーンが吹奏し、ソロはセロニアス・モンクを過激にしたようなテイラーから始まるのでいけるかな?と思うが、ドーハムのソロになると普通のハードバップになってしまい、後発ソロのコルトレーンまでドーハムのムードを引き継いでしまう。ドーハムの得意曲だけにどや顔が見えるような仕上がりになっていてテイラーの立場がない。B1「Like Someone in Love」はバラードにもスウィンガーにもなる曲でここではスウィング・テンポだが、やはりAA'形式の曲を先のAをコルトレーン、後のA'をドーハムが吹奏し、そのままドーハムのソロに入る。録音順ではA1の次、A2の前に演奏されただけあって後発ソロのコルトレーンはドーハムに引っ張られまいとしているが、その分どっちつかずのソロになってしまう。トランペット、テナーに続くピアノ・ソロ、ベース・ソロがすごくやりづらそうにやってからエンド・テーマに戻る。
 録音順でもアルバム収録順でも最終曲のB2「Double Clutching」はハードバップどころかビバップの雰囲気すら漂うラフなセッションで、ほとんど手癖のドーハム、張りきれば張りきるほどソロの焦点が定まらない(その代わりにやたら早い)コルトレーンと来て、テイラーのソロが最後に来ると完全にブルース・フォームが霧消してしまう。短いベース・ソロを挟んでフォー・バースになり、無理やりブルースに戻って終わる。そんなわけでこのアルバムはセシル・テイラーのリスナーには「あれは別」扱いされるし、コルトレーンのリスナーには失敗作扱いされるし、一般的にはマイペースを貫いたドーハムのプレイがまだしも、とされる。それもわからないではないが、こういう事故みたいなアルバムがゴロゴロしているのが当時のジャズの面白さでもある。コルトレーンでも聴くか、ただしコルトレーン本人のアルバムじゃないやつ(重いから)、という時にこれを聴くと、案外楽しめたりもする。

真・NAGISAの国のアリス(69)

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 もう少し哲学を入れなさいよ、と渚の国のアリスは言いました、あんたの顔色はあまり良くないわ、まるで黒いお腹の中に秘密でも抱え込んでいるみたいに。
 余計なお世話よ、と鏡の中のアリスは答えました、私は自分のやりたいことは自分で決めないと気が済まないんだから、たとえそれが自分の理性でも逆らいたい時には逆らうわ。
 何をやってるんダス?とハートのキングが格子越しに覗きこみました。アリスは慌てて霊魂をひっこめると、ひどいわ、女の子の部屋を覗くなんて。
 覗くも何もお前は監視されているダス、とハートのキング。牢獄とは誰の部屋でもないものダスよ。
 誰の部屋でもないんなら、あんただって覗く権利はないじゃない、とアリスは抗議しました。ハートのキングはフフッとせせら笑うと、その理屈は通用しないダス。なぜならここは国家権力の部屋ダスから。
 私が何をしたっていうのよ!とアリスは叫びました。私が犯罪者じゃないのは、私自身が知っているわ。
 もしお前が犯罪者でないなら、とハートのキングは言いました、お前でない誰かが犯罪者ダス。お前でない誰もが犯罪者でないなら、他でもないお前以外に犯罪者はないダス。
 そんな理屈ってないわ!とアリスは地団駄を踏みました。何でダス?とハートのキング。だって、とアリス、もし私が悪人かもしれないっていうだけがこんな仕打ちをされる根拠なら、誰だってこんな目にあう理由はあるってことじゃない?
 そこダスな、とハートのキングは腕組みしました。お前は肝心なことをわかっていないダス。そんなのわからなくって当然じゃない、とアリス。それそれ、そこダス。
 ハートのキングは声を低めました。以前この部屋には絞首刑にされた男が入れられていたダス。そいつは平凡な勤め人の独身男だったのが、ある日突然逮捕されてここにぶち込まれ、一時的な釈放期間もあったが何度も裁判にかけられた結果、正式な判決なしに絞首刑に処せられたのダス。
 その男は罪を認めたの?
 いや全然。罪も何も、そもそも訴状自体のない裁判だったのダス。
 ひどい話!とアリスは叫びました、何で訴えられる罪もなかった人が死刑にされたのよ?それじゃあ誰が、何の理由もなしにいつ処刑されてもおかしくないじゃない?
 理由はあるダス、とハートのキング、自分は無罪だと主張すること、それ自体が極刑に値する罪状なのダス。
 そんなの法治国家じゃないわ!
 誰がそう言ったダス?


真・NAGISAの国のアリス(69/Franz Kafka "Der Process"より)

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 もう少し哲学を入れなさいよ、と渚の国のアリスは言いました、あんたの顔色はあまり良くないわ、まるで黒いお腹の中に秘密でも抱え込んでいるみたいに。
 余計なお世話よ、と鏡の中のアリスは答えました、私は自分のやりたいことは自分で決めないと気が済まないんだから、たとえそれが自分の理性でも逆らいたい時には逆らうわ。
 何をやってるんダス?とハートのキングが格子越しに覗きこみました。アリスは慌てて霊魂をひっこめると、ひどいわ、女の子の部屋を覗くなんて。
 覗くも何もお前は監視されているダス、とハートのキング。牢獄とは誰の部屋でもないものダスよ。
 誰の部屋でもないんなら、あんただって覗く権利はないじゃない、とアリスは抗議しました。ハートのキングはフフッとせせら笑うと、その理屈は通用しないダス。なぜならここは国家権力の部屋ダスから。
 私が何をしたっていうのよ!とアリスは叫びました。私が犯罪者じゃないのは、私自身が知っているわ。
 もしお前が犯罪者でないなら、とハートのキングは言いました、お前でない誰かが犯罪者ダス。お前でない誰もが犯罪者でないなら、他でもないお前以外に犯罪者はないダス。
 そんな理屈ってないわ!とアリスは地団駄を踏みました。何でダス?とハートのキング。だって、とアリス、もし私が悪人かもしれないっていうだけがこんな仕打ちをされる根拠なら、誰だってこんな目にあう理由はあるってことじゃない?
 そこダスな、とハートのキングは腕組みしました。お前は肝心なことをわかっていないダス。そんなのわからなくって当然じゃない、とアリス。それそれ、そこダス。
 ハートのキングは声を低めました。以前この部屋には絞首刑にされた男が入れられていたダス。そいつは平凡な勤め人の独身男だったのが、ある日突然逮捕されてここにぶち込まれ、一時的な釈放期間もあったが何度も裁判にかけられた結果、正式な判決なしに絞首刑に処せられたのダス。
 その男は罪を認めたの?
 いや全然。罪も何も、そもそも訴状自体のない裁判だったのダス。
 ひどい話!とアリスは叫びました、何で訴えられる罪もなかった人が死刑にされたのよ?それじゃあ誰が、何の理由もなしにいつ処刑されてもおかしくないじゃない?
 理由はあるダス、とハートのキング、自分は無罪だと主張すること、それ自体が極刑に値する罪状なのダス。
 そんなの法治国家じゃないわ!
 誰がそう言ったダス?


現代詩の起源(2); 高村光太郎と金子光晴(d)

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 今回で第4回になる高村光太郎(1883年=明治16年3月13日 - 1956年=昭和31年4月2日)と金子光晴(1895年=明治28年12月25日 - 1975年=昭和50年6月30日)の読み較べですが、毎回同じ詩を引用して冗長になっているのはご容赦ください。実際の詩に当たるのに「前回の引用を参照」としたのでは不親切という考えからあえて引用をくり返させていただいているのです。まず高村の文明批判的な詩の代表作とされる「ぼろぼろな駝鳥」の原型は「根付の國」、と再度強調しておきます。「根付の國」で「日本人」と名指ししたものが「ぼろぼろな駝鳥」では動物園のダチョウに置き換えられているわけで、その点では高村の発想にほとんど変化はありません。「ぼろぼろな駝鳥」の結句「人間よ、/ もう止せ、こんな事は。」を「根付の國」の結句に置いてもいい。動物園のダチョウに日本人のみすぼらしさを見ているだけで、1911年の詩と1928年の詩では技巧だけが変化していて、それが詩として表現を向上させているとは素直に受け取れません。高村はどちらの詩においても、自分を批判者の側に置き、いわば日本人に自分を含めていないのです。ごく通俗的に言えば、正しい警世詩人であろうとしているにすぎない、ともいえます。「根付の國」「ぼろぼろな駝鳥」が正義感と気迫で訴求力があるにしても、詩の価値は道徳性ではないことは言うまでもないでしょう。そして倫理的な洞察力でも、これらが深い思想性を持っているとは言えない通俗性は否定できません。
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高村光太郎詩集 猛獣篇 / 昭和37年=1962年4月・銅鑼社刊250部限定版

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  ぼろぼろな駝鳥  高村 光太郎

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る國にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無邊大の夢で逆(さか)まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。

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高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」肉筆原稿

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(昭和3年=1928年3月「銅鑼」発表、のち初出型の6行目「何しろみんなお茶番過ぎるぢやないか」を削除、初出では行末句読点なし。「高村光太郎詩集(創元選書)」昭和26年=1951年9月・創元社刊に収録、昭和37年=1962年4月「猛獣篇」銅鑼社250部限定版に再収録)
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高村光太郎詩集 道程 / 大正3年10月(1914年)抒情詩社刊

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  根付の國  高村 光太郎

頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付(ねつけ)の様な顔をして、
魂をぬかれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい
見栄坊な
小さく固まつて、納まり返つた
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人
           (十二月十六日)

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(明治44年1月=1911年1月「スバル」に発表、詩集『道程』大正3年=1914年10月・抒情詩社刊に収録)
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 一方、高村には自分自身を登場人物にした戯曲的な詩があります。それは芸術家同士の交友関係を描いた詩、智恵子夫人との生活を描いた詩を含めてナルシシズム的な側面もありますが、「根付の國」や「ぼろぼろな駝鳥」の延長で文明批判的な詩に高村自身を登場人物とするとどうなるか。それが明治仏具彫刻界の巨匠である父・高村光雲の喜寿祝いの会に取材した「のつぽの奴は黙つてゐる」や、本人から高村に依頼された明治きっての財界人・男爵大倉喜八郎の塑像制作風景を描いた「似顔」といった詩で、まず題材の特異さがはっきり反抒情詩的である面白さがあります。内容的にはエッセイのようなものですが、どちらの詩も前半を俗物自身の語り、後半を高村の内面の声に分けており、実は後半はあまり面白くない。要するに高村自身の俗物批判には意外性はなく平凡なのですが、俗物の語りを再現した前半は高村の現実直視の姿勢、観察力、注意深さを表して見事です。もっとも「のつぽの~」は実際の語りというより高村が観察から想像した俗衆たちの陰口でしょうし、「似顔」も大倉喜八郎の語りをそのまま再現したのではないでしょう。純粋にエッセンスだけを客観的に活写しているので、高村自身の肉声になる後半は詩の情景解説だけの役割の蛇足とも言えます。
 それでもこれらが「根付の國」や「ぼろぼろな駝鳥」より進展が見られるのは手法・技巧の巧さだけではなく、高村自身が通俗喜劇的状況にいる自分を意識し、超越的芸術家ではいられない滑稽な立場を描くようになったことにもよります。高村の本業は彫刻家ですから『道程』の青年時代は彫刻とは詩と同様に自分にとって芸術かどうか真剣に悩んでいました。しかし40代ともなると生活のために請け負う依頼彫刻にも造形美術家として興味を持てる心の余裕ができます。高村の場合は彫刻は仕事でも芸術家たる自負は詩への逃げ場があったとも言えるでしょう。ですが高村の詩がこの後『智恵子抄』の時代へ、そして戦争詩へとなびいていくのは、高村に常に自分を「正しい」と考える立場に向かう志向性があったからと思えるので(それは戦後の懺悔詩集『典型』でも変わりません)、自分自身をも風諭的に見る姿勢の詩はこの時期が最後と言えるのです。
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高村光太郎詩集(創元選書) / 昭和26年=1951年9月・創元社刊

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  のつぽの奴は黙つてゐる  高村 光太郎

 『舞臺が遠くてきこえませんな。あの親爺、今日が一生のクライマツクスといふ奴ですな。正三位でしたかな、帝室技藝員で、名誉教授で、金は割方持つてない相ですが、何しろ佛師屋の職人にしちあ出世したもんですな。今夜にしたつて、これでお歴々が五六百は來てるでせうな。壽の祝なんて冥加な奴ですよ。運がいいんですな、あの頃のあいつの同僚はみんな死んぢまつたぢやありませんか。親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか。何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。なる程、いろんな事をやるのがいけませんな。萬能足りて一心足らずてえ奴ですな。いい氣な世間見ずな奴でせう。さういへば親爺にちつとも似てませんな。いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。やれやれ、式は済みましたか。ははあ、今度の餘興は、結城孫三郎の人形に、姐さん達の踊ですか。少し前へ出ませうよ。』

 『皆さん、食堂をひらきます。』

滿堂の禿あたまと銀器とオールバツクとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。
午後九時のニツポン ロココ格天井(がうてんじやう)の食慾。
スチユワードの一本の指、サーヴイスの爆音。
もうもうたるアルコホルの霧。
途方もなく長いスピーチ、スピーチ、スピーチ。老いたる涙。
萬歳。
痲痺に瀕した儀禮の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。
何がをかしい、尻尾がをかしい。何が残る、怒が残る。
腹をきめて時代の曝し者になつたのつぽの奴は黙つてゐる。
往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
別の事を考えてゐる。
何時(いつ)と如何にとを考えてゐる。

高村光太郎父・仏具彫刻師高村光雲(嘉永5年=1852年 - 昭和9年=1934年)、昭和3年喜寿祝賀会にて

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(昭和5年=1930年9月「詩・現実」発表。のち、初出型の最終行「何時(いつ)と如何にとを考えてゐる。」を削除。初出型のまま「高村光太郎詩集(創元選書)」昭和26年=1951年9月・創元社刊に収録)
*
  似顔  高村 光太郎

わたくしはかしこまつてスケツチする
わたくしの前にあるのは一箇の生物
九十一歳の鯰は奇觀であり美である
鯰は金口を吸ふ
----世の中の評判などかまひません
心配なのは國家の前途です
まことにそれが氣がかりぢや
寫生などしてゐる美術家は駄目です
似顔は似なくてもよろしい
えらい人物といふ事が分ればな
うむ----うむ(と口が六寸ぐらゐに伸びるのだ)
もうよろしいか
佛さまがお前さんには出來ないのか
それは腕が足らんからぢや
寫生はいけません
氣韻生動といふ事を知つてゐるかね
かふいふ狂歌が今朝出來ましたわい----
わたくしは此の五分の隙もない貪婪のかたまりを縦横に見て
一片の弧線をも見落とさないやうに寫生する
このグロテスクな顔面に刻まれた日本帝國資本主義發展の全實歴を記録する
九十一歳の鯰よ
わたくしの欲するのはあなたの厭がるその残酷な似顔ですよ

大倉財閥設立者・男爵大倉喜八郎(天保8年=1837年 - 昭和3年=1928年)肖像

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高村光太郎「大倉喜八郎の首」大正15年=1926年制作塑像

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(昭和6年=1931年3月「詩・現実」発表。「高村光太郎詩集(創元選書)」昭和26年=1951年9月・創元社刊に収録)
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 高村光太郎への同時代詩人たちの評価は、高村を敬愛した草野心平らの若手詩人たちの「銅鑼」~「学校」~「歴程」以外ではおおむね敬して遠ざける風潮がありました。明治象徴主義の継承者を自認する詩史研究家で芸術至上主義詩人の日夏耿之介は高村を孤高のエピキュリアンとして詩史の傍流に位置づけ、北原白秋派・三木露風派・川路柳虹派のどれにも属なさいことから多くの詩壇的詩人も日夏に準じた見解を取り、白秋門下の萩原朔太郎は高村を民主主義詩人と限定して巨匠と認め、萩原の盟友室生犀星は高村の超俗的態度に反感すら抱いていました。犀星は高村との交友関係は萩原以上にありましたが、智恵子夫人は高村家に出入りする詩人たちをはっきり見下した態度を隠さず、すでに精神疾患の兆候があったので仕方のないことですが、そんな智恵子夫人を描いた詩では夫人を美化する一方の高村の詩に欺瞞を感じていました。金子光晴のエッセイを読むと、金子は高村について高く評価しながらもほぼ犀星と近い感想を持っています。
 高村光太郎の潔癖症的倫理観に較べ、20代半ばで養父の遺産1億円(1920年当時)を2年ほどで使いはたし、30歳で結婚後には夫婦で上海~パリ~マレーと7年間に渡って無銭放浪した凄まじい生活力の詩人だった金子光晴には、おそらく高村光太郎が書いているような詩は詩といえる以前のものでした。20代半ばに2年間のヨーロッパ生活、30代には7年間のアジア~ヨーロッパ(しかも途中で日中戦争~大東亜戦争が開戦しています)放浪という激動期に、金子は8冊の詩集をまとめましたが刊行できたのは半数の4冊に過ぎません。アジア~ヨーロッパ流浪から帰国して着手したのが詩集『鮫』収録の長詩7編で、これは金子のもっとも痛烈な反権力の詩集になり、驚異的なことには詩壇へのデビュー詩集『こがね虫』(大正12年=1923年)の象徴主義詩の手法がここでも一貫していることです。『詩集 鮫』は前詩集で夫人の森三千代との共同詩集『鱶沈む』(昭和2年=1927年)から10年後の刊行でしたが(『鱶沈む』以降7年間の放浪生活があったわけです)、『詩集 鮫』に続く『落下傘』『蛾』『女たちへのエレジー』『鬼の兒の歌』は戦時中に書かれながら刊行は叶わず敗戦後の昭和23年~昭和24年(1948年~1949年)に刊行され、『詩集 鮫』以前の未刊詩集4冊も昭和26年=1951年時点での全詩集『金子光晴詩集(創元選書)』でようやく発表されました。金子には30代と40代に詩集をまとめても刊行できないブランクが10年ずつあり、その半ばに唯一発表されたのが『詩集 鮫』です。普通これほど10年ずつ2次ものブランクがあると詩人のキャリアには致命的です。また『詩集 鮫』からの10年間は金子はアジア~ヨーロッパでの生活経験から日本の敗戦を確信し、疎開生活を転々としながら敗戦後に発表を期した大部の戦況悪化のドキュメント詩集を書きためていました。戦時中には意志的にファシズム詩人となった高村とはまったく対照的でした。

 ある意味金子は時代遅れな芸術至上主義的象徴主義詩人として、当時の詩人ではもっとも徹底していたとも言えます。金子の象徴主義は時間をかけて思想にまで昇華されていたので、大東亜戦争という現実への憎悪とそれを支える日本の国民性に激しく敵対しました。そして詩でははっきりと国家の堕落を攻撃しながらも、市民としては国家に取り込まれながら悪態をつくのが精一杯、という皮肉がこの詩を単なる社会批判の詩よりも一歩進めています。高村は「根付の國」や「ぼろぼろな駝鳥」、「のつぽの奴は黙つてゐる」と「似顔」でも俗衆を告発するか、俗衆からの屈辱に抵抗しようとする立場にとどまりました。金子は嫌悪し攻撃する相手が実は自分と変わらない俗衆であることへの絶望と倦怠がある。高村のように決め台詞で終わっておらず、「おっとせい」は結句からまた冒頭に戻ると、実は詩人の自画像にもなっている重層的構造の詩なのです。
 しかし「おっとせい」は強烈な嫌悪から始まる第1連から外向的な攻撃性が圧倒的なあまり、注意深く再読すればことごとく自虐的な退廃の詩でもあることになかなか気づきづらい。それは3章からなる長詩の中で「おっとせい」的俗衆へのさまざまな罵倒をくり広げるボキャブラリーの豊富さ、語りの息の長さ、多彩な暗喩をくり出す知識の豊富さが読者を眩惑してしまうからで、真のテーマはおっとせい的な俗衆の告発ではなく、それが誰の中にも潜んでいる基本的な人間社会の虚しさに問いかけが投げ返ってくるやるせなさ、しかも現代日本のみならず国家を形成する人間の営み自体が生みだす虚無を自覚しないほど俗衆とは幸福でいられるという痴呆的な状態を「おっとせい」ははっきりと指摘しましたが、これが高村光太郎の詩よりも一読して明解さに欠けるのはやむを得ないでしょう。高村の詩にある「正義」がここでは多義的に展開されて単一の正義は解体されています。「人間よ、/ もう止せ、こんな事は。」と締めるには、金子は人間社会がある限り「もう止せ」にはならないと喝破している。高村の詩より深い洞察へと進んでいるが、訴求力や直接的な感動においては「ぼろぼろな駝鳥」に及ばない、とも言えるのです。そこに現代詩の発展過程に生じた日常的なコミュニケーション言語との乖離があり、金子が戦時中に書いていた詩は金子の予想通りの敗戦が実現しなければ読者と現実を共有できなかったでしょう。大傑作『詩集 鮫』ですら自費出版の200部を共有する読者はなく、金子は敗戦まで沈黙を余儀なくされたのです。その間、高村がそれまでとは予期し得なかった国家貢献詩人になっていたのは、金子が「おっとせい」で描いた以上の腐敗が現実化したようなものでした。金子が「むかうむきになってる / おっとせい。」と言っているのは、ほとんどすべての詩人が戦争詩の強要をされる事態に実現されたのです。
*
金子光晴詩集 鮫 / 昭和12年8月=1937年人民社刊

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  おっとせい  金子 光晴



そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしてること。
虚無(ニヒル)をおぼえるほどいやらしい、 おゝ、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。

いん気な彈力。
かなしいゴム。

そのこゝろのおもひあがってゐること。
凡庸なこと。

菊面(あばた)
おほきな陰嚢(ふぐり)

鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、
おいらは、反對の方角をおもってゐた。

やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画(フイルム)でみる
アラスカのやうに淋しかった。




そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを國外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたゝきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢(ほこり)と、饒舌(おしやべり)
かきまはしてゐるのもやつらなのだ。

(くさめ)をするやつ。髯のあひだから齒くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人(きちがひ)だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦(めおと)だ。権妻だ。やつらの根性まで相続(うけつ)ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋黨だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

をしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺いだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網(かなあみ)があった。

……………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたゝくのをきいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、 そのいやしさ、空虚(むな)しさばっかりで雑閙しながらやつらは、みるまに放尿の泡(あぶく)で、海水をにごしていった。

たがひの體温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとふて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、 かぼそい聲でよびかはした。




おゝ。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも氣づかずにゐた。
みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは表情を匍ひまわり、
……………文學などを語りあった。

うらがなしい暮色よ。
凍傷にたゞれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろえて、拝禮してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、 反對をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」

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(昭和12年=1937年4月「文学案内」に発表、詩集『鮫』昭和12年8月・人民社初版200部刊に収録)

Laghonia - Glue (MaG, 1969) Full Album

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Laghonia - Glue (MaG, 1969) Full Album : https://youtu.be/0dJH0f5g3IY
Se solte por Discos MaG LPN-2403, 1969
Todas las canciones escritas y arregladas por Laghonia.
(Lado A)
A1. Neighbor - 3:20
A2. The Sand Man - 3:24
A3. Billy Morsa - 4:16
A4. Trouble Child - 2:48
(Lado B)
B1. My Love - 4:50
B2. And I Saw Her Walking - 3:18
B3. Glue - 3:14
B4. Bahia - 4:24
[ Miembros ]
Saul Cornejo - guitarra, piano, voz primer
Davey Levene - guitarra primer, coros, voz primer (A1,B2)
Eddy Zarauz - bajo
Carlos Salom - organo, piano (A2)
Manuel Cornejo - bateria, vibes (A3,B2)
Alex Abad - percussion

「1967年に結成、翌1968年デビューしたペルーのロック・バンド、トラフィック・サウンドは1972年の解散までに4枚のアルバムを残した。シングル6枚・12曲のうちアルバム未収録曲が6曲ある。アルバムはいずれも1990年代半ばまではペルー国内盤のみで、
1. A Bailar Go Go (Discos MaG, 1968) : https://youtu.be/mAUGVT7zbRA (with Bonus Tracks)
2. Virgin (Discos MaG, 1969) : https://youtu.be/VTXcEWMi0B8
3. Traffic Sound (a.k.a. III) (a.k.a. Tibet's Suzettes) (Discos MaG, 1970) : https://youtu.be/rs7mtL5CMIc
4. Lux (Discos Sono Radio, 1971) : https://youtu.be/RC0rXGjTl8s (with Bonus Tracks)
 があり、1990年代末からようやくアメリカ、イギリス、イタリアのサイケデリック・ロック復刻レーベルから国際的に紹介されることになった」というのが今年2月にトラフィック・サウンド全4作をご紹介した時の書き出しになる。ペルーにロックがあったと知って驚かない人でも、実際ペルーのバンドの名前をいくつも上げられ、もちろん主要なアルバムは聴いている、という人もいると思うが、筆者は最近知った(実は手持ちのコンピレーションにもペルーのバンドは入っていたが、これまで引っかからなかった)ので、これほどオリジナリティがあって質の高いロックがペルーにあると知りつくづく長生きはするものだと思った。トラフィック・サウンドは特にセカンド・アルバム(1は英米ロックのカヴァー・シングル集なので、全曲オリジナルの実質的ファースト・アルバム)『Virgin』が素晴らしい。似たような名称のロック・レーベルがあったが、同日の談ではないほど素晴らしい。これだけの作品が単独で出てくるわけないからペルーのロック遺産は相当なものと推測される。なにしろ元インカ帝国なのだ。しかし資料がほとんどない。
 日本の非英米圏ロック好きの人に人気が高いのは60年代からロックが盛んだったフランス、ドイツ、イタリアで、次いで北欧諸国、それから東欧と南欧諸国といったところで、南米大陸はラテンアメリカ全体の首都ともいうべきブラジルとアルゼンチンか、アメリカと接していることもあってメキシコに集中している。また60年代~70年代に至っても政情不安定な国が多かったのも国際的知名度の高いアーティストが生まれない原因になっているだろう。世界的に最大の成功をおさめた南米出身のポピュラー音楽アーティストは、メキシコ移民のカルロス・サンタナなのは間違いない。だがサンタナの音楽は疑問の余地なくロサンゼルスの音楽産業規格にチューンナップされたもので、アメリカ人のイメージする架空のラテン・ロック以外のものではないだろう。サンタナ一家がメキシコからカリフォルニアに移住してきたのがカルロス15歳の時だが、カルロスの父ホセはメキシコ時代から観光客相手のマリアッチのバンドでヴァイオリン奏者をしており、サンタナの音楽がメキシコを出自としてもそれはいわば観光客向け、輸出商品としてのラテン・ロックだった。サンタナの場合はそれでいい。だがトラフィック・サウンドはペルー人がペルー人リスナーのためにやっているロックだった。
  (Original Discos MaG "Glue" LP Liner Cover)

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 トラフィック・サウンドについて調べて、いくつかのペルーのロックのコンピレーション盤を聴いてみると、ウィ・オール・トゥゲザー、またその前身のラゴーニアというバンドがトラフィック・サウンドと同格に位置づけられているのがわかった。しかし資料がない。手持ちのコンピレーションで聴くと、ウィ・オール・トゥゲザーはビートルズ直系という感じ。ウィキペディアで調べるとウィ・オール・トゥゲザーはスペイン語(ペルーの公用語。南米は元ポルトガル領で今もポルトガル語が公用語のブラジル以外はぜんぶスペイン語が公用語)、英語、イタリア語、ノルウェー語版に載っている。トラフィック・サウンドはスペイン語版と英語版しかない。ではラゴーニアは(Laghonia=ラゴーニアという読みも発音記号を見て知った)、というとスペイン語版しかない。要するに南米スペイン語圏でしか聴かれていないということで、とりあえずスペイン語版ウィキペディアのラゴーニアの項目を全訳する。短いものなので原文をそのまま載せてどなたか奇特な方に訳して頂けば楽だが、一応訳文を載せる。

(スペイン語ウィキペディアより全訳・前半)
ラゴーニア
 ラゴーニア(Laghonia)は1965年にリマで結成されたロック・サイコデリコとプログレッシーヴォのバンドで、1969年に最初のアルバムを発表するまではニュー・ジャグラー・サウンド(New Juggler Sound)名義で活動していた。最初のアルバムはブリティッシュ・ビート・グループからの影響が強いが、セカンド・アルバムではより実験的なサイコデリコとロック・プログレッシーヴォに向かい、バンドが解散した1971年以降の音楽的流行を先取りしていた。ペルーのロック運動が伝説化した後で、ラゴーニアのアルバムはドイツ、スペイン、アメリカ合衆国、イギリス、ペルー本国でようやく知られるようになった。

ラゴーニア
概要
ラゴーニア (Laghonia)
出身 - ペルー共和国・リマ
国籍 - ペルー共和国
音楽ジャンル - ロック・サイコデリコ Rock Psicodelico、ロック・プログレッシーヴォ Rock Progresivo、ロック・ラティーノ Rock Latino、ロック・アンド・ロール Rock and roll
活動期間 - 1965年-1971年
レコード会社 - MaG、Electro Harmonix、Lazarus Audio Products、World in Sound、Repsychled Records
交流関係 - We All Together、Jean Paul "El troglodita"、Traffic Sound
メンバー - サウル・コルネーホ Saul Cornejo (ギター、ピアノ、ヴォーカル)
デイヴィー・レーヴェン Davey Levene (ギター、コーラス)
エディー・ザラウス Eddy Zarauz (ベース、~1969年)
アーネスト・サマメ Ernesto Samame (ベース、1970年~)
カルロス・サロム Carlos Salom (オルガン)
マニュエル・コルホーネ Manuel Cornejo (ドラムス)
アレックス・アバド Alx Abdd (パーカッカッション)
カルロス・ゲレロ Carlos Guerrero (バックグラウンド・ヴォーカル、コーラス、1970~)

経歴
前期 : ニュー・ジャグラー・サウンド (1965年-1968年)
 バンドは1965年にギターとヴォーカルのサウル・コルネーホ、ドラムスのマニュエル・コルホーネ、ベースのエディー・ザラウスを中心に結成され、リード・ギターを探してアルベルト・ミラーを迎え、さらにロス・ジャガーズ(Los Jaguar's)からパーカッションのアレックス・アバドが加入した。バンドは新しいレパートリーと音楽性を模索してニュー・ジャグラー・サウンドのバンド名で活動し、この時期にはザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ホリーズ、ザ・ビーチ・ボーイズ、ジ・アニマルズ、ザ・キンクス、そしてザ・ヤードバーズら、主にイギリスのバンドからの影響の強い音楽を演奏していた。
 彼らはまだその音楽に商業性がなかった1966年にアンダーグラウンドな活動を開始し、少数の理解者によって少しずつ受け入れられるようになっていった。
 1967年半ばにニュー・ジャグラー・サウンドはラファエロ・ヘイスティングに見出され美術展の期間中に演奏する機会を得て、新聞の三面記事に「ヒッピー、リマを侵略す」と話題を提供することになった。
 1968年6月にはシングル「Baby Baby / I Must Go」が、その3か月後には「Mil millas de amor(愛の1000マイル) / Sonrisa de cristal(微笑みの結晶)」が発売され、そのうち前者は英語詞によるものだった。シングル発売の同月末にアルベルト・ミラーがバンドを去り、リード・ギターにはエドゥワルド・ザラウスの友人のデイヴィー・レーヴェンが加入した。レーヴェンのフェンダー・ストラトキャスターによるサウンドとリズム・アンド・ブルースへの造詣はバンドの音楽性を大きく転換させ、ブルース色を増して、バンドはRCAレコードからMaGレコードへと移籍することになる。

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The New Juggler Sound - Baby Baby (RCA, 1968, Single-A Side) : https://youtu.be/fXRRJACvq0k

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The New Juggler Sound - I Must Go (RCA, 1968, Single-B Side) : https://youtu.be/nt3CKx66bY8

(スペイン語版ウィキペディアより全訳・後半)
ロック・ペルアーノ Rock Peruano(ペルー・ロック)のサイコデリコな旅 : ラゴーニア (1968年-1971年)
 1968年にMaGレコードはバンドの売り出しにかかり、「Glue / Billy Morsa」「And I saw her walking / Trouble child」そして「Bahia / The Sandman」と、3枚のシングルを発売した。バンド名がラゴーニア(Laghonia)と決まったのはこの年の後半で、彼らがもっとも影響を受けたザ・ビートルズがまもなく解散間近とのニュースにメンバーたちが悲嘆(La Agonia)に暮れたことからバンド名を決定した。また、バンドはジャズとブラジル音楽に詳しいキーボード奏者のカルロス・サロムを迎えてハモンド・オルガンを使用した「Neighbor」と「My love」で新機軸を生み出す。そしてMaGからニュー・ジャグラー・サウンド名義で発表していた前記シングル3枚の6曲をカルロス・サロム加入後に再録音し、ラゴーニア名義の初のアルバム『Glue』1969の全8曲が完成した。
 ラゴーニアは当時のペルーはおろかラテンアメリカ全体でもハモンドB-2オルガンをレコーディングに使用した数少ないバンドだった。この新しい方向性で録音された1970年5月のシングル「World full of nuts / We all」は話題を呼び、驚異的なサイケデリコのレコードとして記憶され、狂気じみたほどに歪曲された作風の最終段階を記録したものになった。

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Laghonia - World Full Of Nuts (MaG, 1970, Single-A Side) : https://youtu.be/mFV27au-H-E

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Laghonia - We All (MaG, 1970, Single-B Side) : https://youtu.be/WOew60AOFVQ
 ベーシストのエディー・ザラウスは1970年に旅行のために脱退した。後任にはエルネスト・サマメが加入した。
 1971年に、ラゴーニアはセカンド・アルバム『Etcetera』を発表した。カルロス・ゲレロがコーラスで全面参加したこのアルバムは、ラゴーニアがヒューズのついたサイコデリコとプログレッシーヴォの複雑な混合を高いレヴェルでなしとげたもので、同時代の権威あるどんなイギリスのバンドにも匹敵するのを示すものだった。アルバム・ジャケットの表と裏を埋めつくすサイコデリコなコラージュはマニュエル・コルホーネによる。だがアルバム発表後デイヴィー・レーヴェンがアメリカ合衆国に帰国し、アレックス・アバドが別のバンドに去った後、ラゴーニアはカルロス・ゲレロをリーダーにウィ・オール・トゥゲザー(We All Together)として再デビューすることになる。
 2004年にはRepsychledレコードがMCAスタジオからマニュエル・コルホーネによってバンドの残した未発表デモ・テープ、インストルメンタル・トラック、ジャムセッションを発掘し、アルバム『Unglue』として発表した。
 2010年3月にはミラフロア・ペルー/イギリス文化センターで、サウル・コルネーホ、エディー・ザラウスマニュエル・コルホーネ、そしてアレックス・アバドが一時的なラゴーニア再結成コンサートを行い、メンバーの健在ぶりを示したのは記憶に新しい。

ディスコグラフィー
シングル
・"Baby Baby" / "I must go" (RCA Victor 1967 -? New Juggler Sound名義)
・"Glue" / "Billy Morsa" (MAG 1969 - New Juggler Sound名義)
・"And I saw her walking" / "Trouble child" (MAG 1969 - New Juggler Sound名義)
・"Bahia" / "The Sandman" (MAG 1969 - New Juggler Sound名義)
・"World full of nuts" / "We all" (MAG 1970)
スタジオ録音アルバム
・Glue (MAG 1969)
・Etcetera (MAG 1971)

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未発表発掘アルバム
・Unglue (MCA & Repsychled 2004)
(Original Discos MaG "Glue" LP Lado A e Lado B Label)

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 以上でスペイン語版ウィキペディアを全訳したが、ペルー(スペイン語圏)ではサイケデリック・ロックをロック・サイコデリコ、プログレッシヴ・ロックをロック・プログレッシーヴォというのか、そもそもペルーにもサイケやプログレがあったのか、と新鮮に思える。
 ラゴーニアの音楽はどんなものかとアルバムを一聴すると、先にトラフィック・サウンドの名作『Virgin』『Traffic Sound』『Lux』を聴いている人には華やかなトラフィック・サウンドと較べて全然地味じゃん、と期待がスカされた思いをしたかもしれない。再発CDは全10曲入りで、ニュー・ジャグラー・サウンド名義のデビュー・シングル「Baby Baby / I Must Go」で始まるのだが(アルバム『Glue』本編は3~10曲目)、初期メンバーのアルベルト・ミラーとサウル・コルネーホの共作のこの2曲、どこかで聴いたことないか。すぐ思いつく。日本の過小評価GS、アウト・キャストの代表曲「友達になろう」「ふたりの秘密」にそっくりなのだ。アウト・キャストはメンバーのオリジナル楽曲で通したバンドで、タイガースのアルバムの影武者録音をしていたことでも名高い実力派。メンバーは70年代以降のポップス界でもマネジメント運営、作編曲家、スタジオ・ミュージシャンとして重鎮になった。

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アウト・キャスト - 友達になろう (テイチク, 1967, シングルA面) : https://youtu.be/h0sqEz9Fnow

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アウト・キャスト - ふたりの秘密 (テイチク, 1968, シングルB面) : https://youtu.be/ohrXog6KfdE
 初期アウト・キャストから脱退したメンバーが結成したバンドがザ・ラブ、アルバムを1枚残して解散したアウト・キャストの後身はアダムズになったが、ザ・ラブの唯一のシングルも曲調・サウンドともにMaG移籍後のニュー・ジャグラー・サウンドに酷似している。

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ザ・ラブ - イカルスの星 (エクスプレス, 1969, シングルA面) : https://youtu.be/Xi6bGslV_po
ザ・ラブ - ワンス・アゲイン (エクスプレス, 1969, シングルB面) : https://youtu.be/Oi6TFO37yVY
 まだある。ビートルズ直系の曲調、ブルース・ロック~サイケデリック・ロック期特有だがハードロックには行かないギター・サウンドなどラゴーニアのデビュー・アルバムは日本のGSの最良の部分と地球の反対側で同時に同じことをしていた。ザ・ビーバーズは後にフラワー・トラヴェリン・バンドのギタリストになる石間秀樹在籍。ヤンガーズは斬新な構成が光るビート・バラード、ハプニングス・フォーのアルバム曲は『Glue』1曲目のダンス・ナンバーと  双生児と言って良い。
ザ・ビーバーズ - 君なき世界 (セブンシーズ, 1967, シングルA面) : https://youtu.be/tIfCGLHMgi8
ザ・ヤンガーズ - マイ・ラブ・マイ・ラブ (フィリップス, 1968, シングルA面) : https://youtu.be/_M22Mk9fYdw
ハプニングス・フォー - 東京ブーガルー (エキスプレス, 1968, アルバムトラック) : https://youtu.be/EydflJg1iMw
 アルバム『Glue』はトラフィック・サウンドほどのインパクトやオリジナリティはなく一聴して地味なブリティッシュ・ビート系アルバムだが、聴くほどに非英米圏ならではのセンスと巧みな作曲、アレンジが丁寧な演奏に結実しているのがわかる。シングル既発売の曲を再録音した手間をかけただけあるのだ。名曲「And I Saw Her Walking」は60年代モータウン・ソウル調だがエンディングのギターのロング・ソロが素晴らしいし、デイヴィー・レーヴェンのリード・ギターはヤードバーズ時代のジェフ・ベックをポップに消化している。また名曲「Trouble Child」も、ラヴィン・スプーンフルのデビュー・トップ10ヒット、
Lovin' Spoonful - Do You Believe In Magic (Karma Sutra, 1965, Single-A Side) : https://youtu.be/mDYNuD4CwlI
 が明らかに下敷きになっているが、パクリでは終わらない味がある。美メロのバラードA2、B1も冗長な泣きに流れず、アルバムを締めくくるB3、B4ではラゴーニア流ラテン・ロックのグルーヴ感が追求される。こうしてみると『Glue』の良さは聴き手の聴修経験次第でずいぶん違ってくるようにも思える。一見没個性な作風が実は相当なセンスに支えられている。トラフィック・サウンドの『Virgin』と同年だと思うと、日本のロックとペルーのロックの平行進化を思わずにはいられない。
 ちなみにMaGレコードは中堅メジャー・レーベルだったが『Glue』のプレス枚数は300枚、売り上げは260枚だったという。ペルーの国内バンド需要を物語るエピソードだろう。

冷やし中華とジャージャー麺

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 まずこれが冷やし中華、ちなみにメーカーはマルちゃんの「正麺」でつゆはごまだれです。キュウリと紅しょうが、和からしはありましたがハムがなかったので、ウィンナーソーセージを細切りにして添えてみました。
 次にジャージャー麺をご覧ください。あんはレトルトのソースを使いました。

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 そろそろ蒸す日和になってきたので、どちらも美味しくいただきました。ですが写真に撮ってみると、レトルトソースの分だけコスト高のはずのジャージャー麺の方が華やかさで一歩譲るような気がするのはどういうことか。どちらも美味しく食べたからいいんですけどね。料理は見た目も大事なら、冷やし中華と較べてジャージャー麺は割を食った感じです。

真・NAGISAの国のアリス(70)

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 10歳のアリスはお姉さんのロリーナ(13歳)と妹のエディス(8歳)と一緒に川のほとりに座り、ドジソン先生のお話を聞くのが好きでした。ドジソン先生は当年とって30歳、男ざかりの数学の先生で、年ごろの男性にはよくあることですが同年輩の男も苦手なら女ざかりの女性はなお苦手で、くつろげるのは第2次性徴期前の少女を相手にしている時だけというタイプでしたが、そんなことはアリスたちにはわかりません。ドジソン先生にとってこの三姉妹は、13歳のロリーナはぎりぎり相手にできる年ごろで、8歳のエディスは姉たちと並ぶと幼なすぎる。ですからちょうど真ん中の歳の10歳のアリスが先生にはいちばんのお気に入りでした。さすがにそれは少女たちにも感づかれていて、アリスは靴の中に画鋲を入れられたり、砒素を盛られて髪がごっそり抜けたりしましたが、ドジソン先生が姉妹どうしの嫉妬に気づいていたかどうかはわかりません。
 「学生時代最後の夏休みに」と先生は話し始めました、「大ノッポ、中ノッポ、チビの3人は田舎の海に遊びに行きました。暖い陽気に誘われて3人は泳ぎましたが、その隙に服を盗まれ、かわりに軍服がありました。3人はそのため先々で密入国者扱いされ、パトカーに追われる破目になったのです」
 そして、たまたまセクシーなおねいさんから温泉で服を盗んだらいいわ、とアドヴァイスされましたが、謎の追跡者に拳銃を突きつけられ、元の服に戻されてしまいます。彼らには何か事情があるらしいものの、3人には何が何だかさっぱりわかりません。ただただパトカーと追跡者を逃れて走り回らねばなりませんでした。追われているうちに3人は次第に逃げ方も隠れ方も上手になりましたが、今は都会が平和で天国のようなところに思えるのでした。三人の逃走に協力してくれたおねいさんは毒グモのような悪者の情婦でしたが、3人には天使のように親切でした。そんなうちに中ノッポがおねいさんに恋してしまいました。ですが3人はパトカーと、消えてはまた現われる謎の青年たちの拳銃におびえながら首都に向って逃亡を続けていかなければならなかったのです。
 先生、とロリーナは首をかしげました。そのお話にはどういう教訓があるのですか?
 いや、これは正確にはお話ではなく、と先生、動物ならば骨に相当する、プロットと言うものです。そして骨はそれだけでは動物にはならず、教訓もありません。
 第7章完。


2016年4月~6月春アニメ中盤感想(首都圏版)

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 3月末に2016年春アニメ(4月~6月放映予定分)の放映予定リストを掲載した時、注目作として『迷家-マヨイガ-』『キズナイーバー』『はいふり』の3作を上げました。『迷家』は『ガールズ&パンツァー』『SHIROBAKO』『監獄学園』と名作連発、現在日本一多忙なアニメ監督とされるヒットメイカー、水島努監督最新作。『はいふり』は『けいおん!』『ガールズ&パンツァー』『蒼の彼方のフォーリズム』のシリーズ構成・脚本を手がけた吉田玲子さんオリジナル作品、30人以上のヒロインの織りなす群像劇というふれ込みで、『のんのんびより』スタッフによる女子高ドラマでもあり高い前評判を呼んおり、第2話から『ハイスクール・フリート』と改題されたのにも意表を突かれました。『キズナイーバー』はガイナックス作品『グレンラガン』で名を上げたスタッフが独立し、カルトアニメ『キルラキル』で実力を世に知らしめた気鋭プロダクション・TRIGGER制作のオリジナル最新作で、しかも2016年春アニメにはTRIGGERの新作が『キズナイーバー』『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン スペシャル・エディシヨン版』『宇宙パトロールルル子』と3本もある、という面白いことになっています。ほか手堅い話題作には事欠かないリメイク作、シリーズ作、人気原作のアニメ化が揃っていますが、放映時間が遅くなる傾向に拍車がかかっている観もあり、観逃されてしまう不運な秀作もありはしないか懸念されるような過密状態なのが気になります。
 さて、3か月12話前後のうち、すでに前半7話~8話まで放映され、そろそろ後半に向けて作品ごとの性格も見えてきました。放映作品すべてを毎回必ず観ているわけではありませんが、秀作・佳作は見逃していないと思います。星番付はおこがましいのですが、わかりやすいと好評なので目安程度にご参照ください。作品選択は言及したいものだけに絞りました。

●日曜日
・マクロス△(デルタ) (TOKYO-MX他) 22:30~
 80年代アニメの一番恥かしかった部分を代表するシリーズ(特にFなど)というイメージがあったが、今は結構洗練されてきましたね。★★
・コンクリート・レボルティオ~超人・幻想~ THE LAST SONG(TOKYO-MX他) 23:00~

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 1クール目と併せてメタフィクション作品の意欲作。凝った構成、難解な内容は現在の夜アニメ視聴者にはギリギリかも。★★★★
・アクセルワールド(TOKYO-MX他) 23:30~
 再放送。つまらん下らんと前後のアニメのつなぎに何となく観ていたら、2クール作品だけに続きが気になるようになってきた。★★☆
・三者三葉(TOKYO MX/AT-X) 24:00~

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 まんがタイムきらら連載のいわゆる萌え4コマ原作で、「あんハピ♪」と被り印象が混じるが、夜アニメらしい女子校コメディ。★★
・くまみこ(AT-X) 23:30~/(TOKYO-MX) 24:30~
 クマと女子中学生巫女さんのホームコメディで日曜晩にのんびり観られる。1話完結だから飛ばして観ても大丈夫です。★★
・Re:ゼロから始める異世界生活(テレビ東京) 25:35~
 よくあるゲーム世界に迷い込んだループものかなと思いきや、タイム・パラドックス要素を組み込んだスリリングな展開。★★★

●月曜日
・美少女戦士セーラームーンCrystal第3期〈デス・バスターズ編〉(TOKYO-MX) 23:00~

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 90年代セーラームーンでも見せどころ満載だった第3部、コメディ色一切なしだと簡潔だが原作準拠だとこうなるのか。★★☆
・ばくおん!!(TOKYO-MX/サンテレビ/BS11) 24:00~
 原作コミックスはさほどでもないのにアニメはもろ『けいおん!』。しかも『けいおん!』になかったお色気。そこも面白い。★★★
・SHOW BY ROCK!(TOKYO-MX) 24:30~
 再放送。初放送も週2回リピート放映で、深夜帯ではこれが連続3回目?の再放送になるはず。いくらメディアミックスでも……。★
・聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ(テレビ東京/テレビ大阪) 25:35~
 このアニメ枠は最近好調だった割に今回はあまり冴えない。★☆
・ハンドレッド(テレビ東京) 26:05~
 第1話が詰まらなかったので放置していたが、いつの間にか面白そうな展開になっていた。後半は観るつもりです。★★

●火曜日
・ラクエンロジック(TOKYO-MX) 23:00~
 再放送。ゲームとのメディアミックス抜きでアニメだけ観るのはちょっと辛い。★☆
・ジョーカーゲーム(AT-X) 23:00~ / (TOKYO-MX) 24:30~
 第2次大戦中に歴史から隠蔽された敏腕諜報組織があった、と渋い大人のスリラーで、観ると面白いが毎回観る気にはならないな。★★
・MONSTER (TOKYO-MX) 25:05~
 上「ジョーカーゲーム」同様、毎回じっくり観れば堪能できそうだが毎回観る気にならない。軽さと重さのバランスは難しい。★☆

●水曜日
・ブレイクアウト・カンパニー (TOKYO-MX) 22:30~
 地方局初放送(2012作品)。ベタでサービス全開のファンタジー・コメディ。渕上舞さんのブレイク直前作品という見所もある。★★★
・黒子のバスケ (TOKYO-MX) 23:30~
 セレクション再放送。こんなに面白かったんだ?すいません、よくあるバスケアニメと思って侮ってました。★★★★☆
・ちはやふる (TOKYO-MX) 24:30~
 地方局初放送(2012作品)。第3部はまだ原作続刊中につき未制作だが、少女マンガ原作アニメの金字塔的名作になるか?★★★★★
・文豪ストレイドッグス(TOKYO-MX) 25:05~

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 予想ほどひどくはないな、割と普通の超能力集団の事件解決もので、だったら文豪じゃなくても良くないか?とも思うが。★★☆
・SUPER LOVERS(TOKYO-MX) 25:35~
 1期に1作はあるライトBLもので、そういやBLものって放映時間遅いですね。今さらか。★☆

●木曜日
・クロムクロ (AT-X) 21:00~ / (TOKYO-MX) 22:00~
 100点満点で満足度40点の作品が春アニメの大半。これもそれ以上には褒められない。内容は宇宙人が地球に攻めてくる話です。★★
・あんハピ♪(AT-X) 21:30~ / (TOKYO-MX) 22:30~

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 隔週またはランダムに「三者三葉」と入れ替え放映してもわからないのでは。いや、違いはありますけれど……意図的?★★
・ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?(AT-X) 23:00~ / (TOKYO-MX) 23:30~
 単純に言えばネトゲで惚れられた美少女にリアルでもモテモテになる話で、これもベタなラブコメながら今期新作では明快なサービス精神が溢れていてホッとする。★★★★
・甲鉄城のカバネリ(フジテレビ) 24:25~
 ノイタミナ枠で本格的ゾンビもの、「学園黙示録」「進撃の巨人」の監督、「進撃の巨人」「終わりのセラフ」のWITスタジオ作品で、これは圧巻。さすがです。★★★★★
・暗殺教室 第2期(フジテレビ) 24:55~
 敬遠していたが「カバネリ」と「少年メイド」のつなぎ時間なので何となく観る。単品では観ようとは思わないが、ついでなら。★★
・少年メイド(TBS) 25:58~
 美青年叔父&美少年甥のホームコメディで「坂本ですが?」の前菜として観るなら。★★
・坂本ですが?(TBS) 26:28~
 コミックスも話題の、聞きしに勝るスタイリッシュ馬鹿コメディ(笑)。これは午前2時半まで寝ずに観るだけの面白さがあり。★★★★

●金曜日
・うしおととら 第3クール(TOKYO-MX) 22:30~
 この第3期で終わるのか?丁寧な作りで満足のいくアニメ化になり、これなら最後まで納得のいく出来で行けそう。★★★★
・ULTRA SUPER ANIME TIME~宇宙パトロールルル子/影鰐 承/ぷちます(TOKYO-MX/ニコニコチャンネル) 23:00~

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 短編アニメのオムニバスは昔のハンナ=バーベラ・プロ作品ぽくてなかなか。「ルル子」も面白いが、「影鰐」まじ怖いです。★★★☆
・CRASSROOM☆CRISIS パッケージマスター版(TOKYO-MX) 24:00~
 TBS済み作品の放映のディスク版マスター放映なんでしょうか(観ていなかった)?一種の近未来工業学園もので、まあ普通に。★★☆
・ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(TOKYO-MX) 24:30~
 原作では地味だと言われる仗助編ですが敵キャラ続出のため展開も密度も申し分なし。何だかんだで抜群に面白い。★★★★★
・テラフォーマーズ リベンジ(TOKYO-MX) 25:05~
 これは本格SF戦争アクション。「ジョーカー・ゲーム」よりさらにヘヴィすぎて体調いまいちの時は観る気にならないほど。★★★★
・ビッグオーダー(TOKYO-MX) 25:40~
 時期的に微妙だが昨年秋アニメの「シャーロット」とアイディアがかぶった。あれは破綻していたが、破天荒な展開はこちらがはるかに上で頭脳プレイ。どう決着つけるやら。★★★
・迷家-マヨイガ-(TBS) 25:55~

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 挑発的なほど混乱した状況から、第6話まででようやく流れが見えてきた。しかも先が読めない。春アニメ中屈指の意欲作。★★★★
・マギ シンドバッドの冒険(TBS) 26:25~
 毎回観るほどの魅力に欠ける。★☆

●土曜日
・リルリルフェアリル(TV東京)10:00~
 深夜どころか朝アニメ、しかも女児向けだが、これは萌え死にします。★★★☆
・田中くんはいつもけだるげ(TOKYO-MX) 22:00~
 これはいい!ほのぼの学園日常コメディ。★★★★
・キズナイーバー(TOKYO-MX/BS11/群馬テレビ/とちぎテレビ) 23:30~

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 2016年の春アニメは「甲鉄城のカバネリ」「迷家」と本作で記憶されるのではないか。毎回に意外性のある山場があり、先にはすごい感動が待っている予感。★★★★★
・ハイフリート・スクール(BS11/TOKYO-MX/とちぎテレビ/群馬テレビ) 24:00~

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 職業訓練校という設定に限界があったか、ヒロインたちが可愛らしくてもドラマティックな展開にあまりに乏しい。★★☆
・学戦都市アスタリスク 2nd Season (TOKYO-MX) 24:30~
 よくある学園ハイパーバトルものだが2期までかけてじっくり盛り上げてきた。★★★
・ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン スペシャル・エディシヨン版(TOKYO-MX1) 25:00~

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 実験的でキャンプな味を狙って成功はしているが、面白いかというと……。★★☆
・エンドライド(日本テレビ) 25:55~
・ふらいんぐうぃっち(日本テレビ) 26:25~
 実際の放映は「エンドライト」27:30~、「ふらいんぐういっち」28:00~になるのがしばしば(さらに30分~1時間遅い時もある)なので、どちらも★★~★★☆の及第点アニメなだけに惜しい。午前4時や4時半、午前5時放映ではいくら翌日が日曜日でも観られない。
 うちは録画機器もないし、ワンセグも入らないからスマホに録画もできないんですよ。そう、ここに上げた夜アニメはすべて録画せずに放映時間に観ているのです。いやはや。このうち何本投げ出さずに最終回まで観られるでしょうか。たぶん大半は観るんだろうな。

John Coltrane & Don Cherry - The Avant-Garde (Atlantic, 1966)

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John Coltrane & Don Cherry - The Avant-Garde (Atlantic, 1966) Full Album
Recorded at Atlantic Studio, New York City, June 28 (A1,B1) and July 8 (A2,B2,B3), 1960
Released by Atlantic Records Atlantic SD 1451, 1966
(Side one)
A1. Cherryco (Don Cherry) : https://youtu.be/hU3Y3M6_Z6o - 6:47
A2. Focus on Sanity (Ornette Coleman) : https://youtu.be/UoamS-xKGsk - 12:15
(Side two)
B1. The Blessing (Ornette Coleman) : https://youtu.be/O-mrsRDTs-E - 7:53
B2. The Invisible (Ornette Coleman) : https://youtu.be/qLuvBsagL88 - 4:15
B3. Bemsha Swing (Thelonious Monk, Denzil Best) : https://youtu.be/RvuR6XomQtI - 5:05
[ Personnel ]
Don Cherry - cornet
John Coltrane - tenor saxophone on A1, A2, B2, B3 and soprano saxophone on B1, B2
Charlie Haden - bass on A1, B1
Percy Heath - bass on A2, B2, B3
Ed Blackwell - drums

 前回が実はジョン・コルトレーン(1926-1967)参加のセシル・テイラー(1929-)のアルバム『Hard Drivin' Jazz』1959(1958年録音)をコルトレーン名義にしたこじつけ盤『Coltrane Time』1962、今回が実は当時オーネット・コールマン(1930-2015)・カルテットに在籍中だったドン・チェリー(1936-1995)の初リーダー・アルバムとして録音された『The Avant-Garde』1966(1960年録音)とは、わざと奇を衒ったご紹介のように見えるかもしれない。コルトレーンの50枚近いアルバムの中でこの2枚にたどり着くのは過半のアルバムを聴いてからが順当だろう。現在では一応コルトレーン名義のアルバムでも、実際はテイラーなりチェリーのアルバムだからいつも全力投球のコルトレーンとはいえゲスト参加アルバムにすぎない。ドン・チェリーにとってはオーネットのバンドで出身地ロサンゼルスのレーベル、コンテンポラリーから2枚、アトランティックに移籍してからのアルバム2枚の好評を受けて、アトランティック本社があり、またジャズ産業の発信地でもあるニューヨークに進出してきた最初の録音だった。オーネット・カルテットのニューヨーク進出初録音アルバムは1960年7月19日・26日、8月2日録音の『This is Our Music』1961.2で、このアルバムは念入りに制作されたため、セッション時の大量の未収録曲が後の拾遺曲集『The Art of the Improvisers』1970.11、『Twins』1971.11、『To Whom Who Keeps a Record』late 1975に分散収録されている。
 その『This is Our Music』セッション時のオーネット・カルテットのメンバーはオーネット・コールマン(アルトサックス)、ドン・チェリー(ポケット・トランペット)、チャーリー・ヘイデン(ベース)、エド・ブラックウェル(ドラムス)で、それまでの2枚のアトランティック盤でレギュラー参加していたビリー・ヒギンズはフリーランスの売れっ子セッション・ドラマーになったので、ブラックウェルが正式メンバーに就任している。器用で直線的なスウィング感に長け、破綻のないヒギンズに対して、ブラックウェルのドラムスは非対称的・不可塑的な即興性に富んだもので、オーネットはヒギンズとブラックウェルの両者ともロサンゼルス時代からのつきあいだったが、ヒギンズはオーネット・カルテットで名を上げるとすぐに独立したのでブラックウェルを呼ぶことになった。『This is Our Music』は前2作に続く名作になったが、ドン・チェリーの初アルバムとしてその直前に録音された『The Avant-Garde』は6年間お蔵入りにされた上にジョン・コルトレーンとの共作名義で発売されたのだった。
 (Original Atlantic "The Avant-Garde" LP Liner Cover)

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 一般に『The Avant-Garde』は『Coltrane Time』と並んで評判は良くない。コルトレーン自身が1961年からは徐々にフリー・ジャズに接近し、1965年にはほぼ完全にフリー・ジャズに転向するのだが、それは5年あまりの時間をかけてコルトレーン流のフリー・ジャズを追求していったもので、本来フリー・ジャズとは特定の音楽スタイルではなく個々のミュージシャンが独自に自由なスタイルを模索してたものだった。コルトレーンはすでに革新的プレイヤーとして自己のアルバムでも音楽的な挑戦に着手していたが、『Hard Drivin' Jazz』ではセシル・テイラーから吸収しようとして消化不良を起こし、『The Avan-Garde』ではドン・チェリー経由でオーネットのフリー・ジャズに同化しようとしたがさらに資質と噛み合わない結果に終わった、というのが実情だろう。『Hard Drivin' Jazz』の時はまだテイラー自身がバンドを制御できなかったのでケニー・ドーハムやコルトレーンが自己流で演奏する余地があったが、『The World of Cecil Taylor』で作風を確立した1960年のテイラーだったらセッション自体成立しなかっただろう。
 一方オーネット・コールマンのカルテットは1960年にはもっとも強固なスタイルを確立しており、ドン・チェリーはオーネットの音楽をそのまま分け合った存在だった。ベースのヘイデン、ドラムスのブラックウェルもそうで、コルトレーンが割り込む隙のないまったく異質の音楽空間を作り出していた。アトランティックの思惑としてはオーネットの門弟チェリーのデビュー作をオーネットと並ぶジャズ界の新たな革新的カリスマ、コルトレーンと同じレーベルのよしみで売り出してみようとしたのだろう。コルトレーンもオーネットの音楽の革新性に瞠目して賛美者であることを公言していたから、チェリーのアルバムに参加することでオーネットの音楽を学べると考えて引き受けたのは間違いない。チェリーもコルトレーンほどの理解者で大物との共演は歓迎したと思われる。結果的にアトランティックの企画も、コルトレーンやチェリーの読みも楽観的に過ぎたということになる。コルトレーンの演奏はセシル・テイラーの時以上に浮いてしまった。ドン・チェリー、ブラックウェル、ヘイデン、また半数の曲をヘイデンと替わったMJQのパーシー・ヒース(ベース/1923-2005)がオーネットのアルバムと同等の好演を聴かせてくれるだけに、チェリーにとってもコルトレーンにとっても不運なセッションになったと言うしかない。
(Atlantic 1982 Reissued "The Avant-Garde" LP front Cover)

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 アルバムの録音は1960年6月28日にチェリー、コルトレーン、ヘイデン、ブラックウェルのメンバーでチェリーのオリジナルのA1「Cherryco」(CherryとColtrane、スタンダード「Cherokee」にかけている)、B1「The Blessing」(オーネット1958年のアルバム『Something Else!!!!』収録のオーネットのオリジナル)、次いで次回セッションで採用テイクが録音されるオーネットのオリジナル「The Invisible」(同じく『Something Else!!!!』より)が試演された。この第1回セッションの結果からメンバーの見直しが行われ、アトランティックでオーネット・コールマンの後見人的立場だったジョン・ルイス(ピアノ/1920-2001)のMJQからヒースがベースに替わった。オーネット絡みでベースの交代劇があったのはこれが2度目で、オーネットの第2作『Tomorrow is the Question!』はオーネット、チェリーにレーベルの要望でメンバーはスター・プレイヤーということになり、ベースがレッド・ミッチェル(1927-1992)、ドラムスがシェリー・マン(1920-1984)だったのだが、レコーディング前にはやる気満々だったミッチェルが3曲録音して「こんなわけのわからない曲やれるか!」と怒りだしてしまった。困ったオーネットはロサンゼルス公演に来ていたMJQと親しくなっていたので、ジョン・ルイスの勧めでアルバムの残り曲はパーシー・ヒース(ヒースならスター・プレイヤーの資格はある)が交替して仕上げて、ついでにコンテンポラリー社からアトランティック社への移籍も世話になったといういきさつがあった。ヒースの代役ぶりは見事なものだったが、翌7月8日の第2次セッションで本来交替する必要のないヘイデンとの交替が行われたのはコルトレーンの調子を考慮したものだったろう。ヒースは50年代初頭ディジー・ガレスピーのバンドでコルトレーンと同じ釜の飯の仲でもあった。
 そしてベースがヒースに交替したカルテットの7月8日セッションにはまずオーネットのアトランティック移籍第1作『The Shape of Jazz To Come』からA2「Focus on Sanity」を録音、次いで前回セッションでも取り上げた「The Blessing」を再演したが前回のテイクが採用になっている。次に前回のセッションのテイクは没になった「The Invisible」の採用テイクを録音し、最後にセロニアス・モンクの1952年の曲「Bemsha Swing」を録音した。コルトレーンは1957年にモンクのバンドに在籍しており、この曲のコルトレーン参加ヴァージョンの録音はないが肩の荷でも下りたようにようやくリラックスして吹いているように聴こえる。大変なレコーディングだったろう。おそらくレコーディング中にアルバムのお蔵入りはほぼ決定していたと思われる。オーネット・カルテットのドン・チェリー待望の初リーダー作!と売り出すつもりなら、プロモーション用写真が残されただろうがそれもない。まず録音してみて、これは出せないと判断されてしまった。発表されたのはコルトレーンが急逝する前年のこと、録音から6年も経ってからだった。
(Original Atlantic "The Avant-Garde" LP Side 1 & Side 2 Label)

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 確かにこのアルバムは期待して聴くとがっくりするのだが、先に述べた通りチェリー、ブラックウェル、ヘイデン、ヒースのプレイはオーネットのアルバムで聴けるテンションを保っている。A1はチェリーの傑作オリジナルでオーネット・カルテットでも「All」というタイトルで再演されたし、B1、B2はオーネットのデビュー作ではピアノ入りクインテットだったからピアノレス・カルテットで聴ける興味があり、1958年の『Something Else!!!!』から飛躍的に向上した腕前をチェリーが披露してくれる。ヘイデンとヒースの両者ともおよそ変則的な発想のオーネット(とチェリー)のオリジナル曲でこれしかない、という絶妙なベースラインを弾いてみせてくれる。ブラックウェルのドラムスも手練れのバップ・ドラマーには叩けないズンドコ感がたまらない。そうなると足を引っ張っているのはコルトレーンではないかとなりそうだが、そう簡単に片づけていいものか。
 確かにA1など快調なチェリーの先発ソロを受けてテナーがへろへろと白玉(全音符)でよろけながら出てくると愕然とするし、突然16分音符や32分音符を脈絡なくフレーズにもまとめ上げられずに吹きだすと何も考えていないのではないかと思うが、コルトレーンだからそう思うのであって後にオーネットやチェリーと共演する(ロサンゼルス時代から親交もあった)デューイ・レッドマン(テナーサックス/1931-2006)なら許されるのではないか。コルトレーンの演奏が偶然レッドマンの芸風を先取りしたものだとしたら、コルトレーンのオーネット解釈はコルトレーンとしては迷走でも音楽的にはありではないか。しかもこのアルバムのB1はコルトレーンのソプラノサックス初録音のみならず、ソプラノサックスから新たなジャズのホーン・スタイルを引き出そうとする姿勢が端緒からあったことをかろうじて示している価値があるし、何よりコルトレーンにとって完全にピアノレスでアルバム1枚を通したのは急逝5か月前(歿後発表)の『Interstellar Space』(1967年2月録音)しかないが、あれもコルトレーンの最終クインテットのドラマー、ラシッド・アリとのテナー/ドラムス・デュオという特殊なアルバムだった。トランペット(コルネットだが)、テナー、ベース、ドラムスというピアノレス・カルテット編成のアルバムは実態はゲスト参加作とはいえコルトレーンにはこれしかない。ベースとドラムスのみのスカスカのバックでコルトレーンをたっぷり聴ける楽しみもこのアルバムにはある。それでいいじゃないか、というのがこの作文を書きながら20回あまり『The Avan-Garde』を聴き返した率直な感想で、それ以上何を望めというのだろうか。このアルバムだってコルトレーン没後50周年になろうかという来年まで未発表のままだったら、ジャズ界の話題をさらう大発見になったかもしれないのだ。

真・NAGISAの国のアリス(71)

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 第8章(終章)。
 渚の国のアリスとはまったく関係ない国の、ある時代にしか読まれなかった書目一覧。ただしその時代には必読書とされていた事実には要注意または留意。

春陽堂明治大正文学全集全60巻
出版年 : 昭和2年(1927)-昭和7年(1932)

●第1巻東海散土篇佳人之奇遇
矢野竜渓篇斉武名士経国美談

●第2巻末広鉄膓篇雪中梅
丹羽純一郎訳篇花柳春話(純一郎訳)
成島柳北篇柳橋新誌
仮名垣魯文篇西洋道中膝栗毛
饗庭篁村篇人の噂権妻の果走馬燈随筆
幸堂得知篇酒乱

●第3巻坪内逍遥篇桐一葉沓手鳥孤城落月牧の方第一作名残の星月夜新曲浦島お夏狂乱寒山拾得お七吉三ハムレツト(逍遥訳)一読三歎当世書生気質細君壱円紙幣の履歴ばなし梓神子

●第4巻長谷川二葉亭篇平凡浮雲あひびき(二葉亭訳)うき草(二葉亭訳)
山田美妙斎篇蝴蝶まことに憂世横沢城猿面冠者小宰相局
矢崎嵯峨の舎篇初恋流転空蝉つまらぬ人悔恨一剣有響落花村

●第5巻尾崎紅葉篇金色夜叉伽羅枕七十二文命の安売心の闇多情多恨

●第6巻幸田露伴篇天うつ浪五重塔風流仏一口剣対髑髏奇男児一刹那二日物語有福詩人不蔵庵物語蝸牛庵夜譚

●第7巻森鴎外篇即興詩人(鴎外訳)うたかたの記舞姫文づかいヰタ・セクスアリス青年あそび玉篋両浦嶼日蓮聖人辻説法生田川静雁蛙(鴎外訳)橋の下(鴎外訳)刺絡(鴎外訳)辻馬車(鴎外訳)高瀬舟阿部一族ぢいさんばあさん最後の一句山椒大夫寒山拾得魚玄機大塩平八郎

●第8巻黒岩涙香篇巌窟王(涙香訳)
森田思軒篇十五少年(思軒訳)

●第9巻広津柳浪篇雨河内屋今戸心中紫被布 二人やもめ変目伝骨ぬすみ花ちる頃幼時目黒小町
広津和郎篇波の上本村町の家師崎行遊戯場隠れ家生きていく勝者敗者

●第10巻斎藤緑雨篇かくれんぼ油地獄犬蓼見切物売花翁
若松志づ子篇小公子(志づ子訳)
後藤宙外篇独行のこる光やぶれし人魂のありか手向の笛会津節
漣山人篇友禅染

●第11巻高山樗牛篇滝口入道月夜の美感に就いて巣林子の女性平家雑感世界の四聖日蓮上人とは如何なる人ぞわがそでの記人生終に奈何一葉女子の『たけくらべ』を読みて清見寺の鐘声天才の出現況後録釈迦
樋口一葉篇にごりえわれからゆく雲やみ夜大つごもり経つくゑ暁月夜うもれ木闇桜たま襷五月雨別れ霜雪の日琴の音花ごもり軒もる月うつせみこの子十三夜わかれ道うらむらさきたけくらべかれ尾花日記
川上眉山篇大さかづきふところ日記破倫 賤機墨染桜雪折竹白藤

(以下次回)


ガールズ&パンツァー 劇場版ディスク発売

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 この記事は映画ニュース・サイト「シネマトゥディ」(5/23/19:42)の記事、
『ガルパン』劇場版、興収20億円&動員120万人突破!公開27週でベストテン返り咲き!
 をご紹介するものです。ほぼ全文の引用になりますが、転載ではなく紹介・引用とご理解いただければ幸いです。

「昨年11月21日に劇場公開された長編アニメ『ガールズ&パンツァー 劇場版』の累計興行収入が、上映開始から27週目にして20億2,149万984円と20億円を突破、また累計動員は120万7,473人に達したことが明らかになった。

 今月27日のブルーレイ&DVD発売を記念して、21日から新規劇場38館を含む全国153館における再上映がスタートした本作。先週末の土日(21日~22日)だけで、動員4万1,000人、興収8,036万1,200円を記録し、全国映画動員ランキングで9位にランクイン。前週の28位からベストテン内に返り咲く、驚異的な伸びを見せた。

 深夜アニメ劇場版の歴代興収としては、『ラブライブ!The School Idol Movie』(最終興収28億4,000万円)に次いで2位の『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』(最終興収20億8,000万円)に迫る勢い。大規模上映は今月いっぱいまで実施予定で、どこまで成績を伸ばすのかにも期待がかかる。(数字は一般社団法人日本映画製作者連盟調べ)

(以下作品概要略奪)」

 確か『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』は『映画 けいおん!』を抜いて1位になっていたはずで、『映画 けいおん!』に迫るヒットを記録していたのが』劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』でした。さすがに『ラブライブ!』はヒット性でずば抜けていたので『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』をあっさり抜いてNo.1になりましたが、『ガールズ&パンツァー 劇場版』は全国77館公開から始まり、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』の初動129館、『ラブライブ!The School Idol Movie』の初動121館よりも60%程度の上映館数にも関わらずロングランによって記録を伸ばしてきたと言え、DVD/Blu-rayディスクもアマゾンではカテゴリー別ベストセラー1位を予約開始段階からキープし続けている、など(アマゾンでは予約注文の場合約3割引、Blu-ray初回限定版の場合約7,800円。DVD通常盤の場合約5,000円で購入できるのが助かりますが)、ディスク発売の話題性も劇場追加延長上映と合わせて当分さらに反響を呼ぶでしょう。
 5月26日には通信販売の予約購入者には届くので、劇場ではあれよあれよで見逃していた細部までじっくり楽しもうと、昨日はテレビ・シリーズを予習いたしました。よし来い劇場版。初回限定版は特典ディスクつきで、初公開映像も満載らしいし楽しむぞ。
 あ、届いた(笑)。

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Laghonia - Etcetera (MaG, 1971)

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Laghonia - Etcetera (MaG, 1971) Full Album : https://youtu.be/iySxdi9uVn0
Se solte por Discos MaG LPN-2412, 1971
(Lado A)
A1. Someday (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom, Davey Levene) - 3:15
A2. Mary Ann (Saul Cornejo) - 5:09
A3. I'm A Niger (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom) - 3:39
A4. Everybody On Monday (Saul & Manuel Cornejo) - 4:45
(Lado B)
B1. Lonely People (Saul & Manuel Cornejo) - 4:52
B2. Speed Fever (Saul & Manuel Cornejo) - 5:55
B3. Oh! Tell Me July? (Manuel & Saul Cornejo) - 2:43
B4. It's Marvellous? (Manuel Cornejo) - 3:09
[ Miembros ]
Saul Cornejo - guitarra, piano, voz primer
Carlos Guerrero - voz reserva, coros
Davey Levene - guitarra primer, coros, voz primer (A1,B3)
Ernest Samame - bajo
Carlos Salom - organo, piano (A2)
Manuel Cornejo - bateria, percussion latino, bajo (A3)
Alex Abad - percussion

 前回はファースト・アルバムの、
Laghonia - Glue (MaG, 1969) Full Album : https://youtu.be/0dJH0f5g3IY
Se solte por Discos MaG LPN-2403, 1969
 をご紹介した。ラゴーニアは1970年にメンバーはベースのEddy Zarausが抜けてエルネスト・サマメに交替しており、さらにバックアップ・ヴォーカルとコーラスのカルロス・ゲレロがメンバー扱いのうえアルバム制作に関してスペシャル・サンクスを捧げられている。
 ラゴーニアは1965年に結成されたブリティッシュ・ビート系バンドのニュー・ジャグラー・サウンドがサイケデリック・ロックにシフトしたバンドで、デビュー曲は、

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New Juggler Sound - Baby Baby (Albert Miller & Saul Cornejo, RCA, 1968, Single-A Side) : https://youtu.be/fXRRJACvq0k

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The New Juggler Sound - I Must Go (Albert Miller & Saul Cornejo, RCA, 1968, Single-B Side) : https://youtu.be/nt3CKx66bY8
 と、まだビート・グループ色が強いものだった。リード・ギタリストがアルベルト・ミラーからアメリカ人のデイヴィー・レーヴェンに代わってレーベルもMaGレコードに移籍し、68年のうちにMaGからはシングル3枚6曲を発売。新加入のオルガン奏者カルロス・サロムとともにシングルの6曲の再録音と新曲2曲を録音し、バンド名をラゴーニア(苦悩 La Agonia)に変えて1968年にデビュー・アルバムをリリースする。『Glue』とは接着剤やシンナーを意味していかにもヒッピー世代のアルバム名の臭いがする。全曲オリジナルで同時代の日本のグループ・サウンズの最良の部分と曲想やアレンジによく似た音楽性を持っている。地球の裏側で偶然同じようなことをやっていた。ただしペルーの国内ロック需要は日本よりもさらに乏しかったらしく、MaGレーベルは中堅レコード会社なのに『Glue』のプレス枚数は300枚、そのうち実売は260枚にとどまったという。日本でもそうだったが、60年代のビート・グループ(グループ・サウンズ)と70年代の主流ロックのはざまがロックにはビジネス的にもっとも厳しかった時期で、この時期のロックは音楽性を問わずアンダーグラウンドな若者文化の産物として商業的な期待はかけられなかった。日本でいえばフラワー・トラヴェリン・バンドしかり、はっぴいえんどしかり。ペルーではラゴーニア、 Jean Paul "El troglodita"(穴居人ジャン・パウル)、しかり、トラフィック・サウンドしかり。
 (Original MaG "Etcetera" LP Gatefold Inner Cover)

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 ラゴーニアの『Glue』1969、『Etcetera』1971の2作、トラフィック・サウンドの『Virgin』1969、『Traffic Sound (aka Tibet's Suzzete)』1970、『Lux』1971の3作は21世紀になってようやくインカ・ロック(ペルーのロックをそう呼ぶらしい)の古典、国際的水準で1970年前後のアンダーグラウンド・ロックの宝玉と一部のリスナーからは認められた。何しろYou Tubeでラゴーニアとトラフィック・サウンドは全アルバム、シングル、再結成ライヴが重複して複数投稿者からアップされているほどで、ともに45年も昔のバンドだが伝説化され、ペルーのロックでもっとも優れた先駆的バンドとして尊敬されているようだ。アメリカのバーバンク(カリフォルニア)のインディーズ、Lazarus ProductsがJean Paul "El troglodita"、We All Together、Traffic Soundとともに初のアメリカ盤をCD復刻したのがきっかけでアメリカ国内のみならずイギリス、ドイツ、イタリア、北欧等60年代後期~70年代初頭の過渡期のロックの愛好家にたちまち認知された。この時期のロックはビート・グループ、R&B、フォーク・ロック、ブルース・ロック、アシッド・フォーク、サイケデリック・ロック、ファンク、ラテン、ノイズ/コラージュなど何でもありで、やがて整理されたハード・ロックやプログレッシヴ・ロック、主流アメリカン・ロックに収斂するまでの徒花のような期間だった。
 トラフィック・サウンドにはさらにその傾向が強いが、この時期のバンドはアルバム1枚の中に多様な音楽性を詰め込んで特定のジャンル分けができないものになることが多かった。再評価が遅れたのは特定のジャンルのリスナーに注目されづらい実験的なミクスチャー性が大きい。またラゴーニアは、特に『Etcetera』ではいっそう完成度を高めたものの、トラフィック・サウンドもそうだが英語詞で歌っているばかりか、同時代のイギリスの抒情派系(ムーディ・ブルース系といってもいい)プログレッシヴ・ロックに接近しすぎてしまい、これがイギリスの名門ヴァーティゴやネオン・レーベルだったらマニアが血眼で取引するような極上アルバムにもかかわらず、ブリティッシュ・ロック愛好家からの注意は惹かなかった。また、非英米圏ロックの愛好家にとってはトラフィック・サウンドはアピール度が高いが、ラゴーニアはトラフィック・サウンドほど英米ロックが下敷きでも南米的なユニークなトリップ感覚や英米ロックにないニュアンスに富んだヴォーカル、リズム感ではペルーのバンドのアルバムならではの魅力がやや乏しい、と言える。トラフィック・サウンドのようなバンドは英米ロックにはいないが、ラゴーニアなら英米でも埋もれたインディーズ・バンドにいそうな感じがする。比較してしまうとそこが弱い。
   (Original MaG "Etcetera" LP Liner Cover)

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 トラフィック・サウンドとの比較になるが、ペルーらしさと断言はできないにしても、ラゴーニアの非英米圏ロックらしさは聴き返すごとにわかってくる渋い魅力がある。アメリカ人ギタリストが地味ながら表情豊かな好プレイをしているが、当時の英米ロックよりはギター・オリエンテッドなムードではなくオルガン、ベース、ドラムス、パーカッションとのアンサンブルが巧みで、ポップスとして良質ですらある。その傾向はコーラスに迎えたカルロス・ゲレロにアルバムのイニシアチブを渡した『Etcetera』でさらに強まり、『Glue』よりもさらに同時代の抒情派プログレッシヴ・ロックのサウンドに近くなっている。そうしてThe Moody Blues、Caravan、Barclay James Harvest、Renaissance、Camel、いきなり知名度が下がるがCressida、Gracious!、Fairfield Parlor、Fruup、Spring、Fantasyらのアルバムと並べても遜色のない立派なアルバムになっている。ただ『Glue』でもトラフィック・サウンドの名作『Virgin』でも言えたことだが、『Etcetera』でもサイケデリックの要素が完全には払底されていないのは当時の日本のバンド同様で、英米ロックが70年代にサイケデリック要素を切り捨てたか、サイケデリアのブルース面だけを抽出した、もしくは構成的に整然としたプログレッシヴ・ロックに変化させたようには、ラゴーニアやトラフィック・サウンドはサイケデリックからすんなり離れられなかった。
 皮肉なのは、ラゴーニアのレーベル・メイトだったトラフィック・サウンドよりもラゴーニア自身よりも、『Etcetera』発表後にリード・ギターのデイヴィー・レーヴェン、パーカッションのアレックス・アバドが脱退してカルロス・ゲレロをリーダーにラゴーニアの残りのメンバーで結成したWe All Togetherの方が国内的にも国際的にも高い評価を得たことで、We All Togetherは『We All Together』1972、『Volume 2』1974(トラフィック・サウンドのメンバー参加)の2枚のアルバムを発表した後解散・再結成を繰り返して1980年代、1990年代にも一時的再結成アルバムを発表しているが、ニュー・ジャグラー・サウンド時代以上にポール・マッカートニー直系の楽曲・ヴォーカルとサウンドで、ビートルズの舎弟バンドだったバッドフィンガーのペルー版と言われるのも無理はない。全曲オリジナルだったラゴーニア時代とは打って変わって、We All Togetherのデビュー・アルバムなど全10曲中ポール・マッカートニーとバッドフィンガーのカヴァーを4曲もやっている。そのうちバッドフィンガーのカヴァー「Carry On 'Till Tomorrow」がWe All Together最大のヒット曲で、代表曲になっている。
 (Original MaG "Etcetera" LP Lado A e Lado B Label)

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 ファースト・アルバム『Glue』はまだオルガンのカルロス・サロム加入前に発表したシングル3枚・6曲をサロムを迎えて再録音し、新曲2曲を追加して全8曲のアルバムにまとめたものだった。サロム加入後の新曲とオルガン不在時代の曲の再録でオルガンのフィーチャー度にかなり落差がある。全曲がラゴーニア名義のオリジナルで、楽曲は粒ぞろいの素晴らしいものだった。R&B系の2曲はアメリカ人ギタリストのレーヴェンがヴォーカルで、歌は上手くないが雰囲気は出ていた。レーヴェンのギターの上手さは地味だが気づくと惚れ惚れとするようなもので、特に音色のデリケートな使い分けには感心する。レーヴェンの長所は『Etcetera』ではさらに向上しており、リード・ヴォーカルのサウル・コルホーネのリズム・ギター(これも上手い)との絡みは快感きわまりない。『Etcetera』は作曲クレジットを個人名にしたが、おそらく兄弟のサウルとマニュエルの両コルホーネの共作がほとんどを占めている。サウル&マニュエル・コルホーネが楽曲創作では明らかにリーダーだが、今回は最初からサロムのオルガンを大フィーチャーし、カルロス・ゲレロに指導を仰いだと思われる分厚いコーラスでヘヴィな方向性ではないが、厚みを増した音作りになっている。トラフィック・サウンドが『Tibet's Suzzete』、『Lux』と同時代の英米ロックを参照した形跡が明瞭なサウンドに変化していったのと軌を一にしている。
 だが『Virgin』や『Glue』の魅力は英米ロックに触発されて一歩進んだ音楽を目指し、思いがけないオリジナリティが生まれてしまった面白さと自由な発送の瑞々しさで、『Etcetera』や『Tibet's Suzzete』は音楽的な安定感と充実はさらに増したが、その分英米ロックと同じ土俵に上がってしまった観は否めない。アルバムの枚数やリリース・ペースから見てラゴーニアはトラフィック・サウンドより仕事に恵まれなかったと思われ、トラフィック・サウンドが金字塔アルバム『Virgin』を持っているようには『Glue』も『Etcetera』も決定盤とはならなかった(佳作以上、アルバムとして名盤とは言えても、ラゴーニアの独自性が完全に発揮されたアルバムとは言えなかった)。ラゴーニアの最高傑作はCDでは『Etcetera』のボーナス・トラックに収録されているオリジナルLP未収録シングルで、『Glue』発表後のエディー・ザラウス(ペース)最後の参加録音で、オルガンをフィーチャーしたノリノリのサイケデリック・ダンス・チューンで楽器の音色、メロディー、コード進行など楽想も異様な和声に見られるアレンジも頭に虫が湧いたとしか思えない強力サイケな「World Full Of Nuts」と、『Etcetera』の作風を予告して、さらに後身バンドのネーミングの由来にもなった「We All」のカップリング・シングルだろう。もし『Etcetera』ではなくこのシングルの延長線上にラゴーニアが次のアルバムを作っていたら、と思うと戦慄するほど、このシングルはすごい。サイケデリック・ロックのシングルでもこれに並ぶものは各種サイケ名曲コンピレーションを思い浮かべても思い当たらないくらいすごい。

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Laghonia - World Full Of Nuts (MaG, 1970, Single-A Side) : https://youtu.be/mFV27au-H-E

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Laghonia - We All (MaG, 1970, Single-B Side) : https://youtu.be/WOew60AOFVQ

ガールズ&パンツァー 劇場版・ディスク化公式発売日!

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 劇場公開は2015年11月21日の初日に行き、劇場が開く時間に着いたらすでに第1回目の上映は満席(全席指定)、2回目の上映が残席わずかながら席を取れたので観てきました。出てくる時に見るとやはり直後の回は満席で、1回待ち状態が続いていましたね。確か『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』は上映2日目の2013年10月27日(日)、朝から2回目の上映を観たけれど、満席ではなくすんなり席を取れたと憶えています。
 劇場視聴の印象は『[新編]叛逆の物語』ほどではないけれど、1回観ただけでは何がどうなったのか、おおまかな流れはわかるけれど細部まで確認できない場面続出でした。『まどか』も『ガルパン』も最小限、作品から浮かない程度に必要な説明的台詞、映像は入っていますが、視聴者が映像を観て理解できるぎりぎりまで余分な解説は入れずにどんどん映像が展開します。劇場の大スクリーンでは右端で派手なことが起きているのに左端でこっそり次の動きが起きていたりする。劇場公開中にリピーターになる手もありますが、内容はディスク化を待って自宅のテレビでじっくり観ないと十分理解できないな、と楽しみにしていました。

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 通販サイトで予約購入したので公式発売日5月27日の前日昼には配達されましたが(予約割引価格は定価の約3割引とはいえ、月の生計の1割相当になります)、Blu-ray初回限定版仕様の初回限定版特典はよく知らなかったので多少多めの特典映像がついている程度かな、と思っていましたが多少どころではありませんでした。Blu-rayディスク3枚、CD1枚の4枚組です。
●本編Blu-rayディスク/119分
『ガールズ&パンツァー 劇場版』
【音声特典】
1)DTS Headphone:X(本編音声)
2)キャストコメンタリー
3)スタッフコメンタリー(水島努 他)
4)ミリタリーコメンタリー(鈴木貴昭、岡部いさく、杉山潔、他)
●特典Blu-rayディスク1/101分
【映像特典】
1)新作OVA「愛里寿・ウォー!」(本編後日談)
2)『3分ちょっとで分かる! ! ガールズ&パンツァー』
3)ノンクレジットOP・ED
4)『秋山優花里の戦車講座』
5)劇場特報・PV・CM集(蝶野正洋CM含む)
6)劇伴収録メイキング
7)『大洗あんこう祭2015 イベント記録』
●特典Blu-rayディスク2/123分
【映像特典】
1)『プレミア前夜祭イベント記録』
2)『全国舞台挨拶ツアー記録』
●特典CD・ボコのうた「おいらボコだぜ! 」 歌:西住みほ(CV:渕上舞)、島田愛里寿(CV:竹達彩奈)
【本編・特典映像、封入特典収納ケース】
【封入特典】
1)特製ブックレット(88P)
2)杉本功自選作監修正集(20P)
3)イベントチケット優先販売申込券
4)スマホゲーム「ガールズ&パンツァー戦車道大作戦! 」DL特典シリアルコード
5)「Bandai Visual +」シリアルコード

 映像特典のうち『3分ちょっとで分かる! ! ガールズ&パンツァー』 は劇場公開の時に冒頭で上映された、テレビ・シリーズの概略ですが、劇場ではテレビ・シリーズ未見の人はともかく……という内容でしたので、『3分~』抜きで始まる今回の映画本編ディスクはやっと観るべき形で観られた、という感じでした。映画が「これまでのあらすじ」から始まるのと、ダージリン様の「こんな諺を知ってる?」から始まるのでは来たぞ来たぞ感が違います。
 新作の短編OVAも賑やかな内容で、OVAにありがちなキャラ数人がかけあいやって終わり、といかにもオマケ然としたものではなくて良かったです。この新作OVAはキャスト・コメンタリーともども通常盤の特典映像にも収録されるようで、通常盤でもディスクならではの特典は最小限つけるのは良いことです。

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 作中歌のCDはなくもがな、という気もしますが(1回聴いて終わりならスチール構成でいいからPV仕立てで映像ディスクに入れてくれる方が良かった)、特典映像ディスク2枚で101分、123分というヴォリュームは実に大盤振る舞いで、さらに本編も通常2.0chミックスとサラウンド・ミックスが選べます。デフォルトがサラウンド・ミックスなので注意。通常の装置だと2.0chの方が台詞も聞き取りやすく、ついでに言えばダイナミック・レンジが広いので爆音がすごい。むしろ家庭内観賞用にはナロウ・レンジ・ミックスを作って欲しかったくらいです。また、通常音声で楽しんだ後、キャスト・コメンタリー、スタッフ・コメンタリー、ミリタリー・コメンタリーで映画の裏話やキャストやスタッフによる音声解説つきで鑑賞もできるので、本編ディスク2時間を4回、特典映像ディスク2枚を通しで観るだけで3時間40分と、これでもかの内容です。
 イベント優先申し込み券、スマホゲームの特別キャラ・ダウンロード用シリアルコードはともかく、「Bandai Visual +」シリアルコードというのはスマホ、i-Phone専用アプリをダウンロードして2016年5月27日~1年間いつでもスマホで『ガールズ&パンツァー 劇場版』が観られる(シリアルコード1つにつきアプリ1回・スマホ1機)というもの。これはなかなか嬉しいサービスですが、実際にはディスクもすでに購入済みだし、スマホでがんがん映画を観ていたらパケット喰うのであまり利用しないでしょう。通勤通学の電車内で観たりとか、自分が不要なら友人知人に譲るとか使い方はありますが。
 映画や特典映像の感想はまた改めて作文を書いて載せます。先の年末年始特番で映画の冒頭部分はテレビ放映されましたが、ディスク発売されたからにはあちこちでネット上にアップされては消され、のイタチごっこも始まるでしょう。昨日本編をBlu-rayで観た簡単な感想は、テレビ画面で一望すると確かに全体的な動きはつかみやすい、でもやはり何が画面で起こっているのかわからないところが相当ありました。競技アニメなら実況を入れる、という常套手段がありますが、それをやらずに絵と音で見せているのが長所でもあり、わかりやすさを犠牲にしている部分でもあると思います。

真・NAGISAの国のアリス(72)

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(明治大正文學全集承前)

●第12巻泉鏡花篇一之巻二之巻三之巻四之巻五之巻六之巻誓之巻照葉狂言風流線註文帳歌行燈外科室女客葛飾砂子通夜物語三枚続国貞ゑがく櫛巻唄立山心中一曲

●第13巻徳富蘆花篇不如帰自然と人生思出の記

●第14巻村上浪六篇三日月後の三日月井筒女之助奴の小万鬼奴安田作兵衛のこる嵐たそや行燈
塚原渋柿園篇島左近山中源左衛門最上川

●第15巻村井弦斎篇桜の御所小弓御所両美人飛乗太郎
江見水蔭篇夏の館焼山越温泉狂詩人島守泥水清水水錆備前岡山暁に帰る故郷の寂しさ蛇窪の踏切蕎麦凍る

●第16巻小杉天外篇魔風恋風コブシ

●第17巻小栗風葉篇青春恋慕ながし鬘下地

●第18巻菊池幽芳篇己が罪乳姉妹

●第19巻柳川春葉篇生さぬ仲
佐藤紅緑篇春を追ふて

●第20巻正岡子規篇和歌篇明治26年及至明治35年随筆小説篇墨汁一滴他3篇小品篇小園の記他18篇歌論歌話篇歌よみに与ふる書他2篇俳論俳話篇俳諧大要他6篇俳句篇明治18年及至明治35年

●第21巻長塚節篇土芋掘り炭焼のむすめ佐渡ガ島
高浜虚子篇風流懺法斑鳩物語大内旅宿三畳と四畳半興福寺の写真十五代将軍杏の落ちる音道俳諧師兄柿二つ
吉村冬彦篇藪柑子集

●第22巻国木田独歩篇愛弟通信忘れえぬ人々源をぢたき火詩想死鹿狩河霧置土産武蔵野帰去来少年の悲哀昼の悲しみ春の鳥山の力酒中日記神の子運命論者日の出非凡なる凡人馬上の友正直者女難一家内の珍聞岡本の手帳号外波の音恋を恋する人泣き笑ひ窮死都の友へB生より暴風渚二老人竹の木戸空知川の岸辺二少女湯ケ原ゆき湯ケ原より肱の侮辱独歩吟欺かざるの記(抄)

●第23巻田山花袋篇蒲団田舎教師ある僧の奇蹟時は過ぎ行く再び草の野にをばさんのIMAGE旅の者重右衛門の最後

●第24巻島崎藤村篇若菜集一葉集夏草落梅集桜の実の熟する時新生嵐

●第25巻徳田秋声篇足迹爛あらくれ彼女と少年ある売笑婦の話犠牲者
葛西善蔵篇哀しき父贋物奇病患者酔狂者の独白愚作家と喇叭暗い部屋にて不良児おせい蠢く者浮浪推の若葉湖畔手記血を吐くバカスカシわれと遊ぶ子従弟弱者霜枯れ作家の話悪魔

●第26巻和歌俳句篇
俳句篇(正岡子規等)
和歌篇(川田順等)

●第27巻夏目漱石篇三四郎倫敦塔幻影の盾坊ちやん草枕夢十夜虞美人草吾輩は猫である(抄)

●第28巻鈴木三重吉篇千鳥山彦おみつさん烏物語黒髪小猫小鳥の巣金魚瓦黒血櫛紅皿桑の実霧の雨八の馬鹿

●第29巻森田草平篇煤煙初恋輪廻

(以下次回)


ガールズ&パンツァー 劇場版・特装限定版Blu-ray視聴開始!(ネタバレなし)

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 Amazon通販で発売日(5月27日)の前日届いたので、26日・27日かけてようやく本編ディスク(119分)を字幕つき2ch音声で1回、特典映像ディスクの1(101分)と2(123分)を1通り観てキャスト総勢22人(欠員あり)のディスク2収録「プレミア舞台挨拶」26分をリピート視聴、それから本編ディスクに戻って「あんこうチーム」のキャスト・コメンタリーを聴きながら2回目を視聴し、このキャスト・コメンタリーが実にフリートークで映画の進行と関係なく延々楽屋話で盛り上がっており楽しいものでしたが、テレビ・モニター消して音声だけラジオ番組聴くようなものだったのには多少苦笑いたしました。しかしテレビ・シリーズから数えて4年、イヴェントやOVAもあって切れ目なしにやっているだけあって「今やマブダチ感まで来てるよねー(笑)」と和気あいあいのトークショーと思えば音声特典には良かったです。

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 映画本編はチャプター・リストやチャプター送りでもわかりますからネタバレではないですが、冒頭26分が第1部、中盤32分が第2部、後半60分が第3部になっています。後半60分が映画本編の山場なので、通常音声5.1ch(デフォルト)、2.0ch以外に音声特典にキャスト、スタッフ、ミリタリーの各コメンタリーとともに「DTS Headphone:XTM」というのが選べ、解説によるとステレオヘッドフォンの着用で5.1chと同じ全方位・遠近感で音声が聴こえる、というもの。デフォルトの音声は5.1chなのですが、これは実は前後上下左右にあまりに広い上にひそひそ声から爆音までダイナミックレンジが広すぎて、セリフを聴く時は音量を上げ爆音シーンでは音量を下げないと落ち着かないような、映画館ではいいけどお茶の間ではなあ、というような仕様です。そこで結局普通のステレオミックス音声、2.0chの方が一定の音量でセリフも激しい戦闘も聴きやすいのですが、DTS Headphone:X音声を試してみると5.1chと2.0chの間をとったようなバランスで、本来ヘッドフォン向けのミックスですがステレオ・スピーカーから出力しても聴きやすい。そこで後半60分をDTS Headphone:X音声で観直しました。

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 これ以上書くと本編、または特典映像の内容に具体的に触れないで話が進められませんが、10分以上セリフなしで戦闘シーンが続く場面もあるほど言葉による説明は登場人物にとって必要な会話のみに限られており、何台も戦車が縦横無尽に爆走する画面でどの車両がどの車両を撃破したか(または撃破しそこねたか)、全貌を理解できるのは登場戦車すべてが一目で区別できないと難しいでしょう。具体例は自粛しますが、劇場で観ていながらようやくディスク鑑賞でわかった、しかも立て続けに2回観てようやく合点がいった細部もあります。派手なアクションも当然あるし、全体的な流れは劇場視聴だけでも十分楽しめましたが、Blu-rayまたはDVDで細かい動きまで観ると2回、3回観た程度でもまだわかりません(ミリタリー好きの人はすぐわかるのかもしれませんが)。
 ネタバレありの感想もそのうち書ければ、と思いますが、この劇場版も抜群に面白いものでした。それは『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』でもそうでしたが、テレビ・シリーズにあった感動のポイントは劇場版にはあまり感じられませんでした。『映画けいおん!』はテレビ・シリーズのクライマックスを視点を変えたものだったから続編というより劇場用リメイクで感動的でしたが、『まどか』より納得いく続編とはいえテレビ・シリーズの瑞々しさとはちょっと違うな、と贅沢を言ってみたくもなるのは、テレビも劇場版も(もちろんOVAも)楽しんでいるからこそです。

現代詩の起源(2); 高村光太郎と金子光晴(e)

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 このシリーズは最初に採り上げた蒲原有明(1875-1952)が5回でしたので、第2章以降も5回単位で一応切りをつけていこうと思います。第2章は高村光太郎(1883年=明治16年3月13日 - 1956年=昭和31年4月2日)と金子光晴(1895年=明治28年12月25日 - 1975年=昭和50年6月30日)の詩をご紹介する初回で、明治の詩では抑制されていた表現分野が大正・昭和の詩では開拓された例として高村と金子ともに反権力を指向した詩があり、性が主題にされるようにもなったとも指摘いたしました。反権力を微温的に表現すれば自由主義的とも言えますが、性が主題になったのも自由主義的な傾向の一端と言えるかもしれません。
 権力と性は近代のタブーでは代表的なものと言え、具体的には20世紀の思想はマルクスの資本主義社会分析による権力の解明、フロイトの精神分析による性の解明に立脚していました。近代社会では性は権力によって制限されているものであり、性的な原因によって社会から抑圧された立場に置かれる事態を考慮すれば性の解放はそのまま反権力的なものにつながっていきます。これは歴史的には普遍的なものではなく、性のあり方が社会的には制限されない文化も歴史上・地域的には存在したことに留意する必要があります。また近代化とは資本主義文化に限られたのではなく、帝国制文化、社会主義文化でも共通するのは私有財産制の確立という概念でしょう。ブルジョワ層による私有財産制の国政化、富の独占は資本主義でも社会主義でも共通する現象で、人民に対する疎外の形態だけが異なるにすぎないと言えます。
明治44年、自宅アトリエにて、29歳の高村光太郎

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 高村光太郎の生涯の業績は開国日本の中央集権化による統一と近代化がもたらした高揚感に後押しされたもので、社会批判的な詩はむしろ高村の理想主義による改良的発想が根底にありました。一読して痛烈な現代社会批判「根付の國」でさえも、これはひとつひとつの批判を裏返していけば高村にとって願わしい文化国家を希求した詩、とひとまずは言えるとしても、その表現は高村自身の積極的な理想を提出する、という発想から作品化されてはいません。あくまでも現代社会の風潮への嫌厭と拒絶を語っているだけで、ここには民主主義思想や社会主義思想の地盤となる建設的な連帯感とは別の種類の自意識がかろうじて認められることで作品が成立しています。
高村光太郎詩集 道程 / 大正3年10月(1914年)抒情詩社刊

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  根付の國  高村 光太郎

頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付(ねつけ)の様な顔をして、
魂をぬかれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい
見栄坊な
小さく固まつて、納まり返つた
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人
           (十二月十六日)

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(明治44年=1911年1月「スバル」に発表、詩集『道程』大正3年=1914年10月・抒情詩社刊に収録)
*
 詩の表現の中、特に行文の後半になるほど副詞節に主観的な好悪が露出していますが、高村自身は一気呵成に読み下しているので意味よりも詩句にクレッシェンド効果をもたらすための強調でしょう。言うまでもなく「根付の國」の衝撃性は長短全7行からなる1編の詩の全編が1センテンスで出来ている、という破格の技法によるところが大きいので、この音楽はメロディではなく爆発的に高まっていくリズムに全力を尽くしています。リズムは圧縮されているほど強いので、結語までのすべてが「日本人」にかかる比喩として1編を構成したのは造型美術作家である高村ならではのオリジナリティが認められます。ただしこの手法で「根付の國」のような否定の詩、拒絶の詩以外の表現をとれるかというと、高村自身が主体となって語ることはできない難点があります。肯定できる対象を見つけだして自分の理想を仮託するしかありません。その代表的なものとして『智恵子抄』という特殊な恋愛詩集があるのですが、昭和16年=1941年の時点で重篤な精神障害者の家族看護を描いた文学作品は世界的にも類例のない先駆的な業績で、裏返せば恋愛詩集としては普遍性に欠ける上に、社会を切り離して夫婦だけが存在している詩の危険性こそが魅力になっているという厄介な作品ですらあります。そして智恵子夫人の歿後、高村はそれまでの慎重な寡作をかなぐり捨てて戦争詩の多作期に入りますが、それは「根付の國」で否定・拒絶した現代日本をまるごと肯定し同化する作業でした。なぜそんな180°の転換が安易に行えたのかが、高村自身は真摯な詩人だっただけに解釈の難しい謎になってきます。『智恵子抄』以前には、高村の恋愛詩は世界を遮断しない性の詩として率直な斬新さを持っていました。

  淫心  高村 光太郎

をんなは多淫
われも多淫
飽かずわれらは
愛慾に光る

縦横無礙(むげ)の淫心
夏の夜の
むんむんと蒸しあがる
瑠璃(るり)黒漆の大気に
魚鳥と化して躍る
つくるなし
われら共に超凡
すでに尋常規矩の網目を破る
われらが力のみなもとは
常に創世期の混沌に発し
歴史はその果実に生きて
その時劫(こう)を滅す
されば
人間世界の成壌は
われら現前の一点にあつまり
われらの大は無辺際に充ちる

淫心は胸をついて
われらを憤らしめ
万物を拝せしめ
肉身を飛ばしめ
われら大声を放つて
無二の栄光に浴す

をんなは多淫
われも多淫
淫をふかめて往くところを知らず
万物をここに持す
われらますます多淫
地熱のごとし
烈烈----
           (八月二十七日)

(大正3年=1914年9月「我等」発表、詩集『道程』大正3年=1914年10月・抒情詩社刊に収録)
*
 戦争詩に至る前までの高村は日本の歪んだ文化を批判してはいますが、それは未熟さであれ本質的な頽廃ではないので啓蒙によって西洋諸国のように文明化し得ると考えていました。その文明化の一面が生活方針の自由主義であり、高村の性の詩もそうした理想主義的な発想に由来するものでした。しかしこの詩の魅力は思想的なものではないでしょう。文語脈の残った過渡期の口語自由詩型で、大言壮語に近いまでに性の喜びを放埒に綴るその享楽主義者(エピキュリアン)的姿勢のふてぶてしさが面白いので、性について書きながら一種の芸術家的生活態度の表明になっています。これは愛嬌あるものですが、思想性や批評性を生むものではないのです。そこで以前にご紹介した金子光晴の名作を読み返してみましょう。
昭和13年、詩集『鮫』刊行翌年、44歳の金子光晴

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  洗面器  金子 光晴

(僕は長いあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが爪硅(ジャワ)人たちはそれに羊(カンピン) や魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたえて、花咲く合歓木の木陰でお客を待ってゐるし、その同じ洗面器にまたがって広東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ しゃぼりしゃぼりとさびしい音をたてて尿をする。)

洗面器のなかの
さびしい音よ。

くれてゆく岬(タンジョン)
雨の碇泊(とまり)

ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。

人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。

洗面器のなかの
音のさびしさを。

(昭和12年=1937年10月「人民文庫」発表、詩集『女たちへのエレジー』昭和24年5月=1949年創元社刊に収録)
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 この「洗面器」は女性の放尿を描いた詩で、性というよりはエキゾチックな環境における日常的スカトロジー、エロティシズムというよりは生のわびしさについて語った詩です。後半3連は作者の感慨ですから抒情詩の手口としては古い。面白いのは前文の散文が散文詩を意図しない文体なのに、質量ともに本文の詩を圧倒する鮮やかな印象を残す手法の大成功でしょう。淡々とした叙述は高村の「淫心」の高揚感とは対照的といえるくらいですが、「淫心」は詩人の意気軒昂とした精力だけが抽象的に浮かんでくるにすぎないのに較べ、「洗面器」は大袈裟に言えば人類永遠の生きる哀しみがアジアの民間女性たちの活写からひろがってきて、詩行の半分は説明的なものにもかかわらず押しつけや説教臭はほとんどない。それは金子の共感が素直にアジア人賄婦たちの日常感覚に同化しているからで、こうした行きずりの酌婦の女性たちへの理屈を超えた敬意と人間的愛情を表現することに成功したのは金子光晴だからこそ、とも言えます。そして高村光太郎がいちばん遠いのも金子の「洗面器」のような詩で、「根付の國」「淫心」の詩人には「洗面器」のような詩は絶対書けないでしょう。
 一方金子は大東亜戦争の開戦中にアジア~ヨーロッパ放浪から帰国し、痛烈な反戦詩集を1冊出して敗戦後までの10年間近い沈黙に入りました。それが巻頭詩「おっとせい」で知られる傑作詩集『詩集 鮫』ですが、「おっとせい」の前に「根付の國」の系譜で高村光太郎がどのような現代日本批判の詩をたどっていたかを振り返ってみたいと思います。
高村光太郎詩集 猛獣篇 / 昭和37年=1962年4月・銅鑼社刊250部限定版

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  ぼろぼろな駝鳥  高村 光太郎

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る國にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無邊大の夢で逆(さか)まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。

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高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」肉筆原稿

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(昭和3年=1928年3月「銅鑼」発表、のち初出型の6行目「何しろみんなお茶番過ぎるぢやないか」を削除、初出では行末句読点なし。「高村光太郎詩集(創元選書)」昭和26年=1951年9月・創元社刊に収録、昭和37年=1962年4月「猛獣篇」銅鑼社250部限定版に再収録)
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 この「ぼろぼろな駝鳥」は架空の動物と実在の動物を各10編ずつ題材にして『猛獣篇』という詩集を草野心平主宰の同人誌「銅鑼」社から刊行する計画で着手されましたが、連作途中で智恵子夫人の病状が悪化したため中断し、数年の休止期間の後で続編が書かれましたが未完に終わった詩集の1編です。『猛獣篇』は高村の歿後に全集収録された後で生前の約束通り銅鑼社から未完の状態で限定出版されました。この詩が行末表現「ぢやないか」をリフレインに「根付の國」のヴァリエーションなのは明瞭でしょう。日本文化の貧困を動物園のダチョウの寓意で表現しているために非常にポピラリティの高い詩になっています。
 この詩の面白さは小中学生にでもわかるもので、この結句2行は詩としての形を整えるため以上のものではないでしょう。それはやはりこの詩の弱点と言えて、「人間よ、/もう止せ、こんな事は。」を金子光晴「洗面器」の結句2行「洗面器のなかの/音のさびしさを。」の余韻と比較すると金子のさりげない大手腕に対して「ぼろぼろな駝鳥」の結句2行はいかにも貧しいとしか言えません。
 ですが高村の詩の魅惑は強烈なもので、直接的な訴求力では日本最高の20世紀詩人の筆頭格でした。金子光晴を対照させて相対的に鑑賞しないと高村の手中にはまって賞賛するだけで終わってしまう。明治の現代詩を蒲原有明から始めて(他の明治詩人はいずれとりあげます)大正期を高村光太郎で始め、金子光晴を対照させたのは、北原白秋・萩原朔太郎は文学的完成度で穏当な鑑賞・評価もできますし、同時代詩との懸隔も対照的とまで乖離していない。高村ははっきりと異質の資質を持って登場してきました。その異質性は詩としての純度を明らかに損ねていて、それが読者に訴えかけるという作風の詩人です。ほとんど在り方としては思想家・宗教家に近い読まれ方に読者を誘い込みます。白秋・萩原・高村らの10歳年下の金子光晴はまさに高村らの世代の先輩詩人を乗り越えるために出てきたので、高村光太郎の紹介には金子光晴を併置してみる必要がありました。さて、高村が具体的に世俗の詩を書くとどんなものになったでしょうか。
*
高村光太郎詩集(創元選書) / 昭和26年=1951年9月・創元社刊

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  のつぽの奴は黙つてゐる  高村 光太郎

 『舞臺が遠くてきこえませんな。あの親爺、今日が一生のクライマツクスといふ奴ですな。正三位でしたかな、帝室技藝員で、名誉教授で、金は割方持つてない相ですが、何しろ佛師屋の職人にしちあ出世したもんですな。今夜にしたつて、これでお歴々が五六百は來てるでせうな。壽の祝なんて冥加な奴ですよ。運がいいんですな、あの頃のあいつの同僚はみんな死んぢまつたぢやありませんか。親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか。何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。なる程、いろんな事をやるのがいけませんな。萬能足りて一心足らずてえ奴ですな。いい氣な世間見ずな奴でせう。さういへば親爺にちつとも似てませんな。いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。やれやれ、式は済みましたか。ははあ、今度の餘興は、結城孫三郎の人形に、姐さん達の踊ですか。少し前へ出ませうよ。』

 『皆さん、食堂をひらきます。』

滿堂の禿あたまと銀器とオールバツクとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。
午後九時のニツポン ロココ格天井(がうてんじやう)の食慾。
スチユワードの一本の指、サーヴイスの爆音。
もうもうたるアルコホルの霧。
途方もなく長いスピーチ、スピーチ、スピーチ。老いたる涙。
萬歳。
痲痺に瀕した儀禮の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。
何がをかしい、尻尾がをかしい。何が残る、怒が残る。
腹をきめて時代の曝し者になつたのつぽの奴は黙つてゐる。
往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
別の事を考えてゐる。
何時(いつ)と如何にとを考えてゐる。

高村光太郎父・仏具彫刻師高村光雲(嘉永5年=1852年 - 昭和9年=1934年)、昭和3年喜寿祝賀会にて

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(昭和5年=1930年9月「詩・現実」発表。のち、初出型の最終行「何時(いつ)と如何にとを考えてゐる。」を削除。初出型のまま「高村光太郎詩集(創元選書)」昭和26年=1951年9月・創元社刊に収録)
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 これは明治彫刻界の巨匠にして高村光太郎の父・光雲の喜寿・受勲祝いの祝賀会を題材にしています。前文で参列者たちの会話、後半で高村の心象を描いた構成は金子の「洗面器」の先駆をなしてもいます。ただし高村作品は前半の見事な再現力と較べて後半は未定稿のように不安定になっている。要するに高村は観察力や再現力は素晴らしい才能を持っていましたが「根付の國」や「ぼろぼろな駝鳥」のように単純で静止的なシチュエーションを描くならともかく「のつぽの奴は黙つてゐる」や、次にご紹介する明治の大物財界人の老男爵から依頼塑像を受けた時の詩「似顔」では情景描写は人物のモノローグを借りて巧妙なのに、結語で腰砕けの詩になってしまいます。高村はいわば彫刻家の手つきで事象を活写するまでが本領で、結語はあまりにも平凡な批判的感想しか書けなかった。この落差には唖然とします。

  似顔  高村 光太郎

わたくしはかしこまつてスケツチする
わたくしの前にあるのは一箇の生物
九十一歳の鯰は奇觀であり美である
鯰は金口を吸ふ
----世の中の評判などかまひません
心配なのは國家の前途です
まことにそれが氣がかりぢや
寫生などしてゐる美術家は駄目です
似顔は似なくてもよろしい
えらい人物といふ事が分ればな
うむ----うむ(と口が六寸ぐらゐに伸びるのだ)
もうよろしいか
佛さまがお前さんには出來ないのか
それは腕が足らんからぢや
寫生はいけません
氣韻生動といふ事を知つてゐるかね
かふいふ狂歌が今朝出來ましたわい----
わたくしは此の五分の隙もない貪婪のかたまりを縦横に見て
一片の弧線をも見落とさないやうに寫生する
このグロテスクな顔面に刻まれた日本帝國資本主義發展の全實歴を記録する
九十一歳の鯰よ
わたくしの欲するのはあなたの厭がるその残酷な似顔ですよ

大倉財閥設立者・男爵大倉喜八郎(天保8年=1837年 - 昭和3年=1928年)肖像

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高村光太郎「大倉喜八郎の首」大正15年=1926年制作塑像

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(昭和6年=1931年3月「詩・現実」発表。「高村光太郎詩集(創元選書)」昭和26年=1951年9月・創元社刊に収録)
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 高村は描く人としては当代一の詩人だった。それは本格的にヨーロッパの最新芸術思潮を学んできた彫刻家ならではの近代的感性だった。しかし高村の才能は観察者の領域で止まっていて、対象の内部にまで踏み込んで自分自身を見いだすことはなかった。詩作によって認識を深めることなどむしろなかったと考えられます。彫刻家の本能でそれを行っていたのなら、描ききるところまでで詩的想像力はエポケーに達し、「好きだ」「嫌いだ」「困ったものだ」程度の結句で一丁あがりにしてしまう。実は『智恵子抄』、戦争詩集三部作、戦後の『典型』ではそうした詩作態度も徐々に崩れて屈折したものになりますが、それはまた改めてご紹介する必要があるでしょう。
 金子光晴が高村の詩の弱点から批判的に学び、いわば「根付の國」や「ぼろぼろな駝鳥」「のつぽの奴は黙つてゐる」などの系列の詩、特に未完詩集『猛獣篇』からのヒントが大きいと思われるのが「おっとせい」「泡」「塀」「どぶ」「燈臺」「紋」「鮫」の長詩7編からなるコンセプト詩集『詩集 鮫』で、これは選詩集である岩波文庫版や中公文庫版金子光晴詩集にも全7編が収録されている、昭和現代詩でも数少ない完璧な傑作詩集です。巻頭を飾る「おっとせい」1編でこの詩集の不朽の価値は決まったようなものでしょう。『詩集 鮫』は蒲原有明、北原白秋、萩原朔太郎らを修正するものではありませんが、高村の作風から採るべきところは採り、欠けている要素は補って、萌芽としては高村の作品にもあった可能性をほぼ完全に実現してみせました。しかしこれは24冊ある金子光晴詩集の9作目で、発表順では4冊目にすぎません。金子光晴についてもあらためてご紹介する必要があるでしょう。
金子光晴詩集 鮫 / 昭和12年8月=1937年人民社刊

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  おっとせい  金子 光晴



そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしてること。
虚無(ニヒル)をおぼえるほどいやらしい、 おゝ、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。

いん気な彈力。
かなしいゴム。

そのこゝろのおもひあがってゐること。
凡庸なこと。

菊面(あばた)
おほきな陰嚢(ふぐり)

鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、
おいらは、反對の方角をおもってゐた。

やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画(フイルム)でみる
アラスカのやうに淋しかった。




そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを國外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたゝきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢(ほこり)と、饒舌(おしやべり)
かきまはしてゐるのもやつらなのだ。

(くさめ)をするやつ。髯のあひだから齒くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人(きちがひ)だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦(めおと)だ。権妻だ。やつらの根性まで相続(うけつ)ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋黨だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

をしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺いだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網(かなあみ)があった。

……………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたゝくのをきいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、 そのいやしさ、空虚(むな)しさばっかりで雑閙しながらやつらは、みるまに放尿の泡(あぶく)で、海水をにごしていった。

たがひの體温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとふて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、 かぼそい聲でよびかはした。




おゝ。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも氣づかずにゐた。
みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは表情を匍ひまわり、
……………文學などを語りあった。

うらがなしい暮色よ。
凍傷にたゞれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろえて、拝禮してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、 反對をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」

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(昭和12年=1937年4月「文学案内」に発表、詩集『鮫』昭和12年8月・人民社初版200部刊に収録)

(第2章完)

John Coltrane with the Red Garland Trio (aka Traneing In) (Prestige, 1958)

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John Coltrane with the Red Garland Trio (aka Traneing In) (Prestige, 1958) Full Album : https://youtu.be/4WvgVT3D50Y
Recorded at Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, August 23, 1957
Released by Prestige Record Prestige PRLP 7123 issqued in March 1958, reissued as "Traning In" in 1961, later stereo reissued as Prestige PR 7651 in 1969.
Note : Coltrane's second full session as a leader, recorded for Prestige on 23 August, 1957 but only issued early in 1958 (date according to Billboard of 31 March 1958). Originally released as "John Coltrane with the Red Garland Trio" with an abstract cover, the album was reissued three years later as "Traneing In", the cover now showing a portrait of Coltrane taken by Esmond Edwards.
(Side one)
1. Traneing In (John Coltrane ) - 12:34
2. Slow Dance (Alonzo Levister) - 5:28
(Side two)
1. Bass Blues (John Coltrane) - 7:48
2. You Leave Me Breathless ( Ralph Freed, Friedrich Hollaender) - 7:25
3. Soft Lights and Sweet Music ( Irving Berlin) - 4:41
[ Personnel ]
John Coltrane - tenor saxophone
Red Garland - piano
Paul Chambers - bass
Art Taylor - drums
  (Original reissued "Traning In" LP Front Cover)

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 ジョン・コルトレーン(テナーサックス/1926-1967)がマイルス・デイヴィスのバンド在籍中にソロ・デビューしたのはニューヨークのインディー・レーベル、プレスティッジからで、プレスティッジと契約していたマイルスがメジャーのコロンビア・レコーズに移籍したためにプレスティッジはマイルスのバンドメンバーとのソロ契約をしてスター・プレイヤーの埋め合わせとしたのだった。コルトレーンのプレスティッジとの専属契約期間は1959年にアトランティック・レコーズに移籍するまでの1957年~1958年の2年間だったが、その間に他社への録音や共作も含めて、コルトレーンのアルバムとして以下のリストにまとめた16枚のアルバムが制作されている。
Prestige Era (1957-1958)
1. 1957-Late; Coltrane (rec.1957-05-31)
2. 1958-02; Blue Trane (rec.1957-09-15) *Blue Note Records
3. 1958-03; John Coltrane with the Red Garland Trio / Traneing In (rec.1957-08-23)
4. 1958-Summer; Tanganyika Strut (co-leader with Wilbur Harden) (rec.1958-05-13, 1958-06-24) *Savoy Records
5. 1958-10; Soultrane (rec.1958-02-07)
(Released after Prestige Era Albums)
6. 1959-02; Jazz Way Out (co-leader with Wilbur Harden) (rec.1958-06-24) *Savoy Records
7. 1961-03; Lush Life (rec.1957-05-31, 1957-08-16, 1958-01-10)
8. 1961-12; Settin' the Pace (rec.1958-03-26)
9. 1962-10; Standard Coltrane (rec.1958-07-11)
10. 1963-00; Dakar (rec.1957-04-20)
11. 1963-03; Kenny Burrell & John Coltrane (co-leader) (rec.1958-03-07)
12. 1963-09; Stardust (rec.1958-07-11, 1958-12-26)
13. 1964-04; The Believer (rec.1957-12-20, 1958-01-10, 1958-12-26)
14. 1964-08; Black Pearls (rec.1958-05-23)
15. 1965-05; Bahia (rec.1958-07-11, 1958-12-26)
16. 1966-01; The Last Trane (rec.1957-08-16, 1958-01-10, 1958-03-26)
 コルトレーン単独、または共作名義だけで2年間に16枚のアルバムがある上に、参加アルバムはマイルスのバンドでデビューした1955年~1956年の2年間で12枚、1957年~1958年の2年間では24枚を数える。つまり1955年~1958年の4年間では52枚で年間13枚ペースだが、1957年~1958年の2年間では40枚だから年間20枚という驚異的な録音量が判明する。これだけアルバムがあると逆にコルトレーンの楽歴で重要なアルバムと過渡的なアルバムの軽重の差も現れてくるのだが、上記のコルトレーン名義のアルバム以外にも、1955年~1958年の間にマイルスのバンドにメンバーとして残した参加アルバムはコルトレーン自身のアルバムと匹敵、またはそれ以上にコルトレーンにとっても記念碑的作品になっている。
(Original "John Coltrane with the Red Garland Trio" and reissued "Traning In" LP Liner Notes)

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 コルトレーン名義の初アルバム『Coltrane』が1957年5月録音、1967年7月の末期癌による40歳の急逝に先立つ最終アルバム『Expression』が1967年2月・3月録音なので、コルトレーンのソロ・キャリアはちょうど満10年だった。公式アルバムは約45作、プレスティッジ時代(1957年~1958年)は初期、アトランティック時代(1959年~1960年)は中期、インパルス時代(1961年~1967年)は円熟期として2期または3期に分けることができるだろう。プレスティッジ時代の代表作を選ぶなら初アルバム『Coltrane』、ブルー・ノート・レーベルに単発契約で録音された『Blue Trane』、プレスティッジ作品の秀作としては『Soultrane』という定評がある。プレスティッジは馬鹿正直に出来の良いセッションから録音順に発売していったので、録音後すぐに発売された『Coltrane』『John Coltrane with the Red Garland Trio』『Soultrane』の出来が良く、コルトレーンがアトランティックに去った後で発売されたアルバムは『Lush Life』『Settin' the Pace』『Standard Coltrane』あたりまでは統一セッションから編集されたアルバムになっている(『Lush Life』はやや複雑だが、発売時点では膨大な未発表録音があったのてコンセプトを立てた編集がされている)。皮肉なことにプレスティッジの全作品よりもプレスティッジ時代はブルー・ノート盤『Blue Trane』が傑作とされているのは、ブルー・ノート社はアーティストの意向を汲んだ丁寧な制作で定評があった。ブルー・ノート社はオリジナル曲をアーティストの版権に登録する方針からコルトレーンもオリジナル曲の提供を惜しまなかった(プレスティッジではオリジナル曲はレーベルが版権買い取りなので、オリジナル曲の提供を惜しんだ)、またリハーサルなしの当日打ち合わせでジャムセッション式な録音で良しとするプレスティッジに対してブルー・ノートはリハーサル日を設け、リハーサルにもギャラを支払ったので存分に意欲的なオリジナル曲のアレンジを詰めることができた、というプレスティッジではできなかった念入りな制作がされたことにも依る。
 ただし『Blue Trane』はいかにもスタジオで作りこまれた重厚さがこの時期のコルトレーンには例外的で、プレスティッジ作品の良くも悪くも実質的にスタジオ・ライヴのフットワークの軽さが、粗製濫造で薄利多売の量産レーベルらしいやっつけ混じりの面白さになっているのとは異質な感じを受ける。当時の黒人ジャズのインディー・レーベルは黒人ジャズマンのギャラの安さがなければあれほど繁盛しなかった。白人ジャズマンは白人リスナーには黒人ジャズマンより売れたが、いかんせんギャラが高かったという背景もある。1957年~1958年の2年間で参加アルバム40枚、というコルトレーンも原盤権の買い取りではライヴ収入だけ、レコーディング収入だけでは生計が成り立たなかったのだろう。コルトレーンは1957年にはセロニアス・モンクの、1958年には出戻りのマイルスのバンド・メンバーだったから自分がリーダーのバンド活動は1960年以降になるが、もし1957年~1958年時点で自分のバンドを持って独立していたらライヴで聴けるサウンドは『Blue Trane』よりもプレスティッジの諸作に近いものだったろう。何しろマイルス・デイヴィスのバンドですらライヴのためのリハーサルなど一切やっていなかった、と言われたのが今問題にしている時代の黒人ジャズだった。『Coltrane』と『Soultrane』はつい先日ご紹介したので、『John Coltrane with the Red Garland Trio』もご紹介しておくのは順当な選択だろう。
(Original "John Coltrane with the Red Garland Trio" and reissued "Traning In" LP Side 1 Label)

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 ジャケットとタイトルを見て「コルトレーンにこんなアルバムあったっけ?」と思う方がいたら疑問ももっともで、このアルバムは再発盤からジャケットを写真に差し替え、タイトルも『Traning In』に変えて、今では変更後のジャケット、タイトルの方が通りが良くなっている。ただし初めて世に出た時には『John Coltrane with the Red Garland Trio』と、レッド・ガーランド(ピアノ/1923-1984)との連名作に近いタイトルだったのは注意すべきだろう。コルトレーンはデビュー作以来のプレスティッジではコルトレーンのワンホーンにピアノ・トリオだけがバックのカルテット・アルバムが本作(1957年8月録音)、『Soultrane』(1958年2月録音)、『Settin' the Pace』(1958年3月)の3作あり、他はすべてトランペットやサックス、ギターの共演者入りの5人以上の編成だった。これらはそれぞれアルバムごとに1セッションで録音されているので統一性も高い。ガーランドのトリオはポール・チェンバースのベース、アート・テイラーのドラムスで、マル・ウォルドロン(ピアノ)やトミー・フラナガン(ピアノ)と並んでガーランドはプレスティッジの専属セッション・マスターだった。コルトレーンはウォルドロンやフラナガンのセッションにも起用されているが、カルテット・アルバムではなかった。かえってソロ・デビュー以前にポール・チェンバースの『Chambers' Music』1956.3、タッド・ダメロン『Mating Call』1956.10で瑞々しいワンホーン・カルテット演奏を聴かせてくれる。プレスティッジのガーランド・トリオとのアルバムは練れてはいるが、4人中マイルスのメンバーが3人(1957年はコルトレーンはモンクのバンドメンバーだったが)だけあって息は合っているしドラムスがテイラーなのもハード・バップにはうってつけだが、ことに本作は当初連名アルバムだっただけあってガーランド・トリオのコンセプトが強すぎはしないか。
 録音はB2、B1、B3、A1、A2の順で行われたそうで、B1とA1はブルース、B2とA2はバラード、B3は猛烈なファスト・テンポのスウィンガーと選曲のバランスはとれている。楽曲スタイルごとに見ると、まずA1はAA'BA'形式の変型ブルースで、レッド・ガーランド・トリオだけの演奏が前半は延々続き、ベース・ソロを挟んで後半はコルトレーンのロング・ソロになるという構成。テナー・ソロは見事だが、ピアノ・トリオが長すぎる。アルバムの原題通りと言えばそれまでだが。B1のリフ・ブルースはA♭で、後のオリジナル曲「Cousin Mary」(『Giant Steps』収録)がやはりA♭のリフ・ブルースだが、このB1では不慣れなキーが面白いフレーズを生んでいる。スタンダードをファスト・テンポのスウィンガーに解釈したB3はおなじアーヴィング・バーリン作の「Russian Lullaby」(『Soultrane』収録)に引き継がれる。そしてA2、B2のバラードだが、テーマ吹奏だけでソロはピアノとベースに任せることで抒情的な効果を上げている。A2のエンディングはそのまま後年のオリジナル曲「Naima」(『Giant Steps』収録)に流用される。B2のバラードとなると、テーマ吹奏だけでリズム・セクションにムードを委ねた空間性といい、悠然たる楽想といい、ルバートぎりぎりのテンポ感といい、これを推し進めた先に「After the Rain」を頂点にインパルス時代の「Dear Lord」「Welcome」などの瞑想的超越主義バラードが控えていたのか、とコルトレーンの発想の原点が凝縮されたアルバムなのには改めて感心する。ガーランド・トリオもブルース2曲の中庸を得たプレイ、B3の驀進するスウィング感などさすがだ。だがバラード2曲はどうしても従来の4ビートから離れられないでいる。コルトレーンは、やはりエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)をレギュラー・メンバーに獲得したアトランティック時代後半からがバンド自体のサウンドを掌握できるようになった本領発揮の時代と感じないではいられない。

真・NAGISAの国のアリス(73)

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(承前)

●第30巻岩野泡鳴篇耽溺毒薬女征服被征服
小川未明篇薔薇と巫女物言はぬ顔紫のダリヤ魯鈍な猫うば車空中の芸当火を点ず靴屋の主人死者の満足
中村星湖篇少年行親村の西郷畑通過

●第31巻永井荷風篇腕くらべふらんす物語冷笑日和下駄すみだ川紅茶の後珊瑚集

●第32巻上司小剣篇ごりがん美女の死骸水曜日の女女犯英霊兵隊の宿月夜筍婆石川五右衛門の生立女帝の悩み鱧の皮父の婚礼
正宗白鳥篇何処へ塵埃五月幟地獄徒労泥人形午部屋の奥ひ死者生者安土の春人さまざま心中未遂

●第33巻長田幹彦篇零落母の手寂しき日草笛澪糺の森夢占死霊送り火野の宮蜘蛛鳥辺山雛勇狸大尽しぐれ茶屋薄雪お鶴未墾地師匠の娘鰊ころし扇昇の話霧
野上弥生子篇大石良雄海神丸父親と三人の娘

●第34巻武者小路実篤篇耶蘇或る日の一休わしも知らない二十八歳の耶蘇その妹愛欲ある画室の主第三の隠者の運命
長与善郎篇青銅の基督陸奥直次郎春田の小説

●第35巻谷崎潤一郎篇刺青麒麟幇間秘密悪魔続悪魔羮恋を知る頃お艶殺し改作恐怖時代人魚の嘆き魔術師春の海辺母を恋ふる記異端者の悲しみ喜劇腕角力無明と愛染友田と松永の話少年呪はれた戯曲

●第36巻詩篇外山正一篇他52篇
昭和新進作家篇

●第37巻有島武郎篇或る女カインの末裔クララの出家実験室凱旋
有島生馬篇死ぬほど陳子へ孤鸞鏡中影弟へ葡萄園の中

●第38巻久保田万太郎篇朝顔ふゆぞら三の切末枯続末枯寂しければ暮れがた雪雨空夜鴉不幸短夜
水上滝太郎篇大阪大阪の宿

●第39巻倉田百三篇出家とその弟子処女の死後寛桜児
吉田絃二郎篇島の秋彼岸詣り青い毒薬夜船地に落つるもの蜥蜴徳さん山の湯落葉の路貸家礼馬鈴薯畑さるすべり囚人の子尺八を吹く男高原寂しき人々法妙寺の叔母叔父夫婦武蔵野の秋他30篇

●第40巻志賀直哉篇暗夜行路荒絹剃刀濁った頭大津順吉好人物の夫婦赤西蠣太和解十一月三日午後の事流行感冒小僧の神様山科の記憶
佐藤春夫篇改作田園の憂鬱都会の憂鬱指紋瀬沼氏の山羊のんしゃらん記録

●第41巻藤森成吉篇若き日の悩み犠牲磔茂左衛門
加能作次郎篇祖母羽織と時計子供の便り釜父の顔
豊島与志雄篇埋想の4月明都会の幽気操守
松岡譲篇護法の家モトリザ耳疣の歴史
田村俊子篇木乃伊の口紅

●第42巻近松秋江篇黒髪葛城太夫流れ舞鶴心中疑惑別れた妻子の愛の為に
宇野浩二篇高天ケ原蔵の中子を貸し屋心づくし山恋ひ千万老人

 ですが第43巻、里見弓享(とん)の弓享という字がありません。


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