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文学史知ったかぶり(24)

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『ミメーシス』の著者がギリシャ演劇を外したのは大きな問題をはらんでいる、と言えます。『オデュッセイア』『旧約聖書』と、さらにアウエルバッハが論考の対象から外した一方の問題である古代ギリシャ抒情詩から古代ギリシャ演劇が一歩を進めた新しい文学表現なのは、おそらく演劇の起源自体は典礼的なものであったにせよ、急速に性格造形の組み合わせによる人間関係の追求という具体的なものに発展していった、ということです。それはアイスキュロス、ソポクレスと徐々に神話から人間の世界に降りて、エウリピデスやアリストパネスでは悲劇と喜劇の違いはあれ完全に人間感情を描くことが演劇文学の目的となります。

劇的な状況にある人間像ならばホメーロスにも旧約聖書にもあり、また人間感情ならば抒情詩においても行われていましたが、叙事詩においては劇的状況は神の摂理にあり、抒情詩は内面以外には劇を欠いていました。古代ギリシャ演劇は叙事詩と抒情詩を融合し、さらに宗教性をも必要としない文学型式を初めて創造したのです。
後世まで演劇はそれ自体、効果的な芸術表現として永らえていますし、現代でもギリシャ悲劇・喜劇、中世演劇、近世演劇、近代演劇はアナクロニズムではなくしばしば再演されます。映画やアニメーションは演劇の派生形ですし、コミックスの技法も絵画ではなく映像作品によって特殊な発展をとげたものです。

また、演劇からのフィードバックがなければ普通考えられている「叙事詩から小説へ」という変化が各時代でさまざまな言語圏に現れたかが想像し難いのです。叙事詩は物語を語ることはできますが、性格を備えた登場人物は必要ではなく、役割を果たすための肩書きさえあればいい。劇作家には性格造形力と劇的想像力が必要とされます。叙事詩から演劇が生まれた時にその発想が生まれたのは、主題が神々、または観念から具体的な人間感情に変化した時期だったのでしょう。演劇は公共のためのものでしたが、結局作者の自己表現性が強いものが具体的な作品として残りました。
同じことがウェルゲリウスにも言えて、古代文学を中世文学に橋渡しした境界線上にある詩人でした。ですから『ミメーシス』は神々の時代から人間の時代への移行期を意図的に省略しているとも言えるのです。それはなぜかというと、やはりキリスト教の出現が関わることでしょう。

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