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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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『金輪際』1

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昨日はこのタイトルで作文しようとしたら、この三年間のブログを振り返って、という前振りだけが長くなり、回顧的趣きになってしまったのだ。
これは確かに以前にも書いたのだが、現在までのところ最後の精神科入院、2010年12月~2011年03月から退院して、そもそも入院の原因となった人間関係をばっさり整理し、それは遅かれ早かれそうしなければならず自分でも反動に耐える自信はあったにもかかわらずやはり無理で、ゴールデンウィーク頃にはもう相当な鬱になってしまっていた。毎日大学ノート一頁以上の詳細な日記をつけるのが習慣だったが、鬱の経験者のかたにはおわかりいただけると思うが強鬱下では読み書きができなくなる。本や雑誌の紙面は目に入らないし、ペンでノートに文字を書くことができない。読み書きともに、失語症に近い状態になる。

最後の入院はあまりにひどい躁鬱症状の悪化で入院したので隔離室に三週間、閉鎖病棟の相部屋に移されてもしばらくは公衆電話の利用も許されなかった。年末年始に重なっていたが、福祉課と精神科と実家以外からは突然失踪したように見えるだろうな、と思った。退院前に一旦帰宅外泊練習があり、今回も新聞はどかんと溜まっていたが二週間くらいで新聞屋の判断で止めたらしい。
なので退院後も購読再開はしなかったが、鬱ではテレビのニュース番組も観られない。だが携帯サイトなら例外的に読めることに気づいた。それに筆記用具は持てないが、携帯で文字打ちならできる。
だが人間関係を整理してしまったのでメールを打つ相手はいない。よくわからないけれど、ブログっていうのをやってみようかな、と思いついたのはそういう流れの果てだった。

今回も本来書こうとしていたことの前振りだけでここまで来てしまったが、『金輪際』という言葉はこうした生活体験を経てくると、一種の危機感を内に秘めた表現のように感じないわけにはいかない。
『満艦飾』あたりと同様にこの語も日常用語としては死語かもしれない。書き言葉の上でなら使われているかというと、それもあやうい。俗語としては戦前の日本では生きていたようだ。仏教用語に由来するかららしい。かえって『若干』などの漢語表現は軍人が多用したため庶民には嫌われていたという。
ようやく前振りが済んだ。次回では『金輪際』とその用法について掘り下げてみたい。

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