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映画日記2019年2月3日・4日/小林正樹(1916-1996)監督作品(2)

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 小林正樹は木下惠介監督作品のチーフ助監督を昭和23年('48年)の戦後第7作(通算第11作)『破戒』(12月公開)から昭和28年('53年)の戦後第17作(通算21作)『日本の悲劇』(6月公開)まで勤めていますから、監督デビュー作になった昭和27年('52年)の併映用の45分の実質的には中編の『息子の青春』(6月公開)はまだ正式な監督昇進前の助監督時代の社内試験的作品であり、昭和28年1月公開の初の長編作品『まごころ』も6月公開の木下作品『日本の悲劇』に先行していますから、おそらく昭和28年3月までは助監督、4月以降に正式な監督昇進が行われたと思われます(小林正樹自身は実質的に監督昇進第1作が『まごころ』だったと晩年のインタビューで語っていますが、松竹の辞令では同年8月に監督昇進が決定されたことになっています)。大胆なセミ・ドキュメンタリー手法により戦後の世相の頽廃と家庭崩壊劇を描いた『日本の悲劇』はキネマ旬報ベストテン第6位と高い評価を受け、翌昭和29年の木下作品『二十四の瞳』と『女の園』が第3位の黒澤明の『七人の侍』を抑えてキネマ旬報ベストテン第1位と2位を獲得するステップになりました。助監督の小林正樹との共同作品の木下作品で原案も木下自身による家長失墜劇のコメディ『破れ太鼓』'49(昭和24年)の時点で円満なホームドラマではない現実の敗戦日本を描く構想は抱かれていたに違いないので、『日本の悲劇』は前年の昭和27年にアメリカ進駐軍による日本の占領支配が終わってようやく実現した企画だったでしょう。木下惠介がオリジナル脚本を提供した『まごころ』は監督に昇進する小林へのはなむけであり、小林の正式な監督昇進もヒットメーカーであり押しも押されぬ第1線監督になった木下の強い推挽があっただろうと想像されます。初長編『まごころ』のあと木下の『日本の悲劇』をチーフ助監督の最後に監督に昇進した小林ですが、第2長編で監督昇進後の初作品『壁あつき部屋』は昭和28年度中に完成され、試写会まで行われるも松竹上層部による政治的配慮から昭和31年まで公開延期されてしまいます。そうした事情もうかがえる点で、戦後監督である小林正樹監督作品はキネマ旬報に公開当時の新作日本映画紹介がありますから、時代相を反映した歴史的文献として、今回も感想文中に引用紹介させていただくことにします。

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●2月3日(日)『まごころ』(松竹大船'53)*95min, B/W・昭和28年1月29日公開

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 昭和20年代の木下惠介がいかに時代の要求に応えた多作かつ多彩な作風のヒットメーカーだったかは昭和21年の戦後第1作『大曾根家の朝』から昭和29年の戦後第19作『二十四の瞳』がともにキネマ旬報ベストテン第1位を獲得し、9年間に19作(前後編に分けて公開された昭和24年の『新釈四谷怪談』を2本と数えれば20作)という充実した質量からもうかがえるので、小林正樹監督作品の初期はスタッフも木下監督の実弟の木下忠司(音楽、『破れ太鼓』では主人公の息子の六人兄妹の売れない音楽家役で好演もしていました)始め木下作品から引き継いだスタッフが多いのですが、本作は多忙な木下惠介がオリジナル脚本を提供し、小林正樹の又従姉に当たる主演格の大女優の田中絹代が賛助出演する、と話題性のあるバックアップ体制で製作されました。俳優座の指導者的存在である千田是也、東山千栄子が田中絹代に並んでキャスティング上では主演であり、映画の主人公は実業家の千田是也の息子役の石浜朗と裏庭向かいのアパートに越してきた貧しい姉妹の病弱な妹役の野添ひとみですが、石浜朗の姉役の淡路恵子、野添ひとみの姉役の津島恵子さえもが俳優の格の点でキャスティング序列は主人公の二人よりも先(上)になっているあたり、当時の専属社員俳優制度が反映したクレジットは今日の目から見ると混乱を招きます。簡潔に言えば階級差に隔てられた少年少女の悲恋映画、と青春メロドラマ映画を予期してDVDのジャケットのキャスト表を見て、映画本編を観始めても千田是也と田中絹代の主演で青春メロドラマ映画になるはずはないので、新劇俳優や映画俳優の俳優の現実的序列が映画の内容より優先(尊重)された配役リストが出てくる。それが当時は当然とされていたということで、こうした感覚は映画の内容にも入りこんでいるのが映画の焦点をぼやけさせています。キネマ旬報の紹介のあらすじは公開時の宣伝資料に基づいたものでしょうから映画の内容に沿っていますが、ならば配役順列は内容とは関係なく偉い人順で、内容をちっとも反映していないことになります。紹介文を引いておきましょう。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 木下恵介 / 製作 : 久保光三 / 撮影 : 森田俊保 / 美術 : 平高主計 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 妹尾芳三郎 / 照明 : 豊島良三
[ 解説 ] さきにSP「息子の青春」でデビュした小林正樹監督のフィーチュア第一回作品。脚本は師、木下恵介のオリジナルである。「処女雪」の森田俊保、「学生社長」の木下忠司がそれぞれ撮影、音楽を担当。キャストは小林監督の従姉にあたる田中絹代の特別出演のほか、俳優座の千田是也、東山千栄子、永田靖、「ひめゆりの塔(1953)」の津島恵子、「夏子の冒険」の淡路恵子、「鳩」の石浜朗、「うず潮(1952)」の新人野添ひとみ(SKD)、「春の鼓笛」の高橋貞二、大船入社第一回の三橋達也など。
[ 配役 ] 千田是也 : 有賀有三 / 田中絹代 : 邦子 / 東山千栄子 : いち / 淡路恵子 : みどり / 石浜朗 : 弘 / 津島恵子 : 野々宮清子 / 野添ひとみ : ふみ子 / 永田靖 : ふみ子の叔父 / 高橋貞二 : 矢島敬一 / 三橋達也 : 志村透 / 須賀不二男 : 坂本八郎 / 水上令子 : アパートの小母さん / 高松栄子 : 下宿の小母さん / 藤原元二 : 弘の友人
[ あらすじ ] 有賀弘は万事潤沢な家庭にそだち、のびやかでやんちゃで遊びずき一方の少年だった。来春に迫る大学入試の準備のため、すきなラグビーを擲つことがちかごろの苦労といえば、苦労である。或る朝、有賀家と路一つへだてたアパートに、野々宮清子、ふみ子という年若い姉妹が引越してきた。――窓ごしにそのふみ子の姿を目にした瞬間、弘はなにか悩ましい、未知の感動におそわれる。胸を病む美少女ふみ子もまた、弘の面影に淡い慕情をかんじた。――クリスマスの夜。清子とその恋人志村が出かけた留守に突然、姉妹を利用しようとしつこくつきまとう悪辣な叔父が、たずねてくる。夢中で戸外に走り、やがて雪を喀血でそめ倒れ伏しているふみ子を助け起したのは、弘のラグビーの先生坂本だった。たまたまお歳暮をもってその下宿に来合せた弘は、坂本と共に自動車をよび、ぐったりしたふみ子をアパートへ運ぶ。彼女は、すでに重態に近かった。――名前もしらぬその人の療養費を父に出してもらおうとした弘は、その交換条件――入試合格のために、今迄とはうつて変る猛勉強をはじめた。一心に思いつめて粘りぬく弘の姿に、理由をしらぬ家人は驚いたり心配したりする。が、ふみ子の病勢の進度はもっと速かった。弘の試験の前日、彼女はこの世を去る。――弘は自室に閉篭って泣きじゃくった。悲しみ、絶望。彼の人生最初の試錬である。しかし彼は、同じような過去をもつ坂本先生のはげましで、それに耐えることができた。
 ――と、1時間35分(もう少し短くても良さそうですが)にほど良くまとまった本作は裕福な実業家一家の息子でラグビーに熱中している受験生(石浜朗)が裏庭向かいのアパートに越してきた肺患の少女(野添ひとみ)に恋したことから始まる悲恋物語です。少年の家は裕福で、実業家の父親(千田是也)、母親(田中絹代)、姉(淡路恵子)と祖母(東山千栄子)と豊かな生活をしています。 例えばこの一家の愛犬が病気になり動物病院に入院させる事件が起こりますが、一方、向かいの貧しい少女とその姉(津島恵子)は、姉妹のささやかな収入をむしり盗る強欲な叔父(永田靖)から逃げて来て辛い生活をしており、医療を受ける経済的余裕もありません。姉妹を唯一支えるのが姉の恋人(三橋達也)です。窓から顔を合わせるだけでいつしか想い合うようになる少年と少女ですが、この姉妹の部屋からは北向きの裏庭に面した少年の窓からは月も太陽も見える、しかし外出もできないほど健康を害していて手工芸の内職をしている少女は一日中陽の差さない部屋にいて、鉄道共済会の仕事に就いた姉が帰宅して月夜の晩と聞いても窓からは月すら見えない、という対照が設けられています。また少年の姉の恋人、少女の姉の恋人はともに婚約中ですが(少年の姉は結婚式まで進みます)、この二組のカップルも経済力の差で大きく隔てられている、とここでも対照があります。少年はラグビーの顧問の先生(須賀不二男)から先生が見かけた向かいのアパートの少女の病態が重篤であること、顧問の先生も恋人を空襲で亡くしたことを聞き、ようやく少女の病状に気づいて父に受験が叶ったらある人に援助してほしい、と頼み、実業家の父は「女か?」「それは言えません」「まあ受験に受かったら聞いてやるよ」という具合ですが、少女はついに治療も受けられず(顧問の先生から「あの様子では手遅れだろう」と聞いていましたが)、部屋で死の床に就きながらどうしてもお日様が見たいと言い出し曇り空だと姉に言われてもいう事を聞かず窓を開けてもらいます。次のカットで目が合った少年の顔が映ります。少女にとって窓から唯一見える太陽のような存在が少年で、また少年が祖母と三日月を話題にする場面からも少年にとって少女は月のような存在だったのが暗示されます。 顧問の先生に少女の死を知らされた少年が父以外が揃っている家族の前で救って欲しいのはあの人でした、と打ち明け、帰宅した父が業務が好調なので上機嫌で受験が受かったら何でも聞いてやるぞ、と少年に言い、少年は耐えきれず自室に引っこんでしまう。ぽかんとする父に母があの子は良い子です、と泣きながらすがり、翌日に受験日の前日にもかかわらず高校のグラウンドで顧問の先生とラグビーの練習をするところで映画は終わります。少年と少女は死別までついに間近で出会うことも一言も交わすこともなかった、という話で、映画の最終場面のラグビーの練習場面は映画冒頭にもありますが、少年の帰宅場面で自転車で教会の前を通り過ぎるショット、少年の家のクリスマスパーティや姉の教会での結婚式、とキリスト教を暗示した場面が目立ち、また少女が病床で手鏡を使って顔を映すシーンはベルイマンの『野いちご』'57に類似したショットがありますが、これは発想の近似から生じた偶然でしょう。映画の終わりのラグビー練習は冒頭の牧歌的な印象と対照をなすストイックな悲壮感が漂い、やはり本作はホームドラマというより少年を主人公とした青春メロドラマ悲劇映画と見るのが妥当だと思います。少年役の石浜朗も脳天気な『息子の青春』より内面的ニュアンスに富んだ好演で、石浜朗は助演の次男役ながら『この広い空のどこかに』'54ではさらに成長した良い俳優になります。ただし本作は脚本の次元で理想化された悲劇ロマンス映画とリアリズムの配分が上手く行っていないようにも見え、少女の姉とその恋人がそれほど極端に貧窮している様子はないのに少女を医療機関に診せていなかったり、逆に少年が見ず知らずの他人をと鼻にもかけられないのを恐れてか父親に頼み事の実情を話せないと妙なところでは現実的だったりし、また『武器よさらば』の結末ではあるまいし少女の死を知ると霊前にも慰問にも行かずラグビーに没頭して忘れようとする結びは映画の冒頭との照応のための効果で必ずしも心理的説得力がない、などと木下脚本らしくもない粗も見えます。本作のテーマは『三つの愛』'54で再現され『この広い空のどこかに』でようやく十分な成功を収めた観があり、また大島渚の監督第1作がブルジョワ家庭の少女と貧困家庭の少年の交情を描きながら松竹上層部に「これでは金持ちと貧乏人はわかりあえないという映画じゃないかね」「そうです」そして『鳩を撃つ少年』の題名は会社側に監督に断りもなしに『愛と希望の街』'59と改題された、という逸話と容赦ない作品内容を思いあわせると、大島が暴こうとしていた松竹ホームドラマの空ぞらしさは『まごころ』ではまだ克服しきれていないように思えます。

●2月4日(月)『壁あつき部屋』(新鋭プロ=松竹'56)*110min, B/W・完成試写昭和28年('53年、公開延期)、昭和31年10月31日公開

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 本作は『まごころ』のあと木下惠介のチーフ助監督を『日本の悲劇』'53(昭和28年6月公開)を最後に正式に監督に昇進した昭和28年4月以降に着手・年内完成され、試写会まで行われたようで、キネマ旬報新作日本映画紹介にも試写会段階で掲載されたようですが会社上層部の判断で政情的に不適切、つまり反米感情を刺戟する内容とされて無期公開延期となり、次作『三つの愛』'54(昭和29年8月公開)の紹介でも「解説」に「小林正樹が『壁あつき部屋』に次いで、自ら書き下したオリジナル・シナリオにより監督する作品」と書かれていますから映画ジャーナリズム内では公開未定の完成済み新作と認知されていたらしく、本作がようやく公開にこぎつけたのは第7作『泉』'56(昭和31年2月公開)のあとの昭和31年10月末ですが、松竹は1か月もたたず第8作『あなた買います』'56(昭和31年11月公開)を封切ったのでなるべく早く『壁あつき部屋』の封切り期間を切り上げようとしていたとしか思えず、おそらくそれが嫌な思いとなったのかBC級戦犯の手記からオリジナル脚本を書き下ろした当時新人作家の安部公房(1924-1993)ものちの生前の全集『安部公房全作品』'72-'73のラジオドラマ、放送劇、映画脚本の巻に収録していません(勅使河原宏監督作品『おとし穴』'62は収録)。しかし本作は手法的にも題材・政治的にも思い切った前衛的作品であり、松竹で明らかに政治的理由から作品を4日で打ち切りにされて監督昇進から1年、長編3作だけで退社してフリーになったのは後年の大島渚ですが、本作の事実上のお蔵入りにもかかわらず松竹に踏みとどまった小林監督も粘り強かったと言うべきでしょう。安部公房は戦後文学では第2世代と目される世代ですが、'16年生まれで兵役体験のある小林正樹は文学では第1次戦後派と呼ばれる世代と同世代であり、椎名麟三(1911-1973)の『自由の彼方て』が昭和28年、武田泰淳(1912-1976)の『風媒花』が昭和27年、梅崎春生(1915-1965)の『砂時計』が昭和30年、野間宏(1915-1991)の『真空地帯』が昭和27年、中村真一郎(1918-1997)の『死の影の下に』五部作の完結が昭和27年です。しかし第1次戦後派の小説家が昭和21年~23年には新進作家の地位を築いていたのに対し映画のような大がかりなメディアでは新人の登場は難しく、戦時中に監督デビューしていた黒澤明(1910-1998)や木下惠介(1912-1998)が戦後文学に対応する役割を映画で果たしていたので、本作で小林正樹は一気に戦後文学に匹敵する内容の作品に挑んだとも言える意欲作であり、集団劇としてスター格の俳優もいなければ後半の主人公となる浜田寅彦(1919-2009)も俳優座の新劇俳優で性格俳優・端役俳優としての映画・テレビ出演は80歳を超えた2001年まで無数にあり、いちばん有名なのが『ウルトラQ』第15話「カネゴンの繭」(TBS=円谷プロ'66)のカネゴンに変身する金男少年の父親役かもしれない人ですが、本作が唯一の主演作となりました。本作のために依頼された安部公房の脚本も戯曲・ラジオドラマの執筆を始めた最初の年の作品としては見事に冴えており、政治的前衛と芸術的前衛の両立としておそらく占領解放翌年の昭和28年としては限界まで迫った作品です。本作は日本に先駆けて2013年にようやくアメリカの古典映画復刻レーベルのクライティリオン社から4作品の世界初DVD化のボックス発売されましたが(他3作は『あなた買います』'56、『黒い河』'57、『からみ合い』'62)、ボックス・セットのタイトルは『Masaki Kobayashi Against the System』と題されました。小林正樹作品でも反体制映画監督としての作品は本作が嚆矢になるでしょう。本作についても当時のキネマ旬報の作品紹介を引いておきます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 安部公房 / 原作 : BC級戦犯の手記より / 製作 : 小倉武志 / 撮影 : 楠田浩之 / 美術 : 中村公彦 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 大野久男 / 照明 : 豊島良三
[ 解説 ] 巣鴨拘置所に服役中のBC級戦犯の手記「壁あつき部屋」の映画化で、新鋭プロ第一回作品。脚色には芥川賞受賞作家阿部公房が当り、「まごころ」の小林正樹が監督している。撮影は「日本の悲劇」の楠田浩之、音楽は「青空大名」木下忠司。出演者は「沖縄健児隊」の三島耕、「早稲田大学」の小沢栄、信欣三、「君の名は」の岸恵子、小林トシ子ほか俳優座、文学座、民芸などの新劇人である。
[ 配役 ] 浜田寅彦 : 山下 / 三島耕 : 横田 / 下元勉 : 木村 / 信欣三 : 川西 / 三井弘次 : 西村 / 伊藤雄之助 : 許(朝鮮人) / 内田良平 : 横田の弟 / 林トシ子 : 山下の妹 / 北龍二 : 隠亡燒 / 岸恵子 : 娘ヨシ子 / 小沢栄 : 浜田 / 望月優子 : 浜田の妻 / 小林幹 A級戦犯 / 永井智雄 : 戦犯 / 大木実 : 戦犯 / 横山運平 : M爺さん / 戸川美子 : 特飲街の女
[ あらすじ ] 巣鴨拘置所――そこには文明と平和の名に於いて裁かれた戦犯達が服役している。その一人山下は、戦時中南方で上官浜田の命令で一人の原住民を殺したのだが、その浜田の密告で重労働終身刑の判決を受けた。また横田は戦時中米俘虜収容所の通訳だっただけで巣鴨に入れられた。しかも戦時中、横田がたった一人人間らしい少女だと思つた優しいヨシ子は、今では渋谷の特飲街に働く女である。朝鮮人の許も、神経質な山下もこうして戦犯の刻印をおされた犠牲者の一人にすぎなかった。脱出に失敗した山下はその直後母の死を知った。時限をきめて出所を許された山下は、浜田が女手の山下の家を今迄迫害し続けていた事を知ると一切の怒りがムラムラとこみあげてきた。しかし恐怖に歪んだ浜田の表情を見た山下は、殺す気もしなくなった。たった一人の妹は、「これからどうする?」という山下の問いに、「生きて行くわ」とポツリと答えた。再び横田達に迎えられて、拘置所の門をくぐる山下、そしてそこには、再びあつい壁だけが待っていた。
 ――先のご紹介では本作は画期的な傑作であるかのような印象を抱かせてしまうかもしれませんが、例えばフラッシュバック形式を多用したフィルム・ノワールの名作佳作の数々や黒澤明の『羅生門』'50、小林の師の木下惠介の『日本の悲劇』と較べて、またより徹底したベルイマンの『野いちご』やアラン・レネの『二十四時間の情事』'59に較べると、本作は映画としての陶酔感に欠ける観は否めません。非常に生真面目に戦争責任や戦勝国と敗戦国の間の理不尽を追及・告発しており、左翼系の映画監督らの映画よりは内面的な思索性や現実の不条理性の認識において柔軟ですが、原作戯曲自体も映画演出自体もあまりにユーモアに欠けていて、こうした題材は悲壮で切迫したものになりがちですが、それを救うとしたらユーモアによる客観性や美的洗練の追求による陶酔感になるのが一般的に映画に観客が求める感覚と思われます。収容所内の強制重労働によって岩石が一定のテンポで砕かれる音がオープニングから響き渡り、獄中のB級・C級戦犯である囚人たち('53年の巣鴨プリズンが観られるだけでも跡地である現在の池袋サンシャインシティしか知らない私たちには歴史的価値があります)の包まれた異様な精神状態が伝わってくる。本作は製作され本来公開されるはずだった1953年時点を現在時制にしており、囚人たちも「俺の8年間は……」と戦犯たちにとって戦争体験は戦犯となって収監された敗戦後の8年間も続き、今なお続いていることを訴えています。これは被害者意識ではなく厳然たる事実で、映画のメッセージを拡大すれば市井にいて映画など観ている観客もこの映画の作り手たちもみな戦犯たちを生贄にして責任から逃れている卑小な国民にすぎない、ということも映画は語っています。本作はフラッシュバックで描かれる戦時中のシーンを始め苦悩の末に自殺する在日朝鮮人戦犯の許(伊藤雄之助)が白い部屋の中に閉じこめられて銃声が響くたびに壁に次々と拳大の穴が空き自分を責め苛む声を聴く、というシュルレアリスム風のシークエンス、またA級戦犯たちによる戦犯救済会の演説者が「我々A級戦犯が政治犯であれば皆さんBC級戦犯の方々は刑事犯であって……」とぬけぬけと述べ会場中のブーイングを食らう場面、さらに進駐軍の占領解放後は戦犯たちの拘置を引き継いだのは日本の刑務官であるという指摘されないと気づかれないような実態まで興味深く、また脱走失敗者の山下(浜田寅彦)を実例に悲惨な獄中生活手記を友人の雑誌記者に渡した獄中記の雑誌発表で問題視され、手記の筆者のインテリ戦犯がかえって憎悪の的になる流れから山下が主人公になり、母親の死によって1泊だけの釈放・帰郷を許され、俘虜処刑を「上官の命令は天皇の命令である」と行わせながら山下の裁判で部下の独断と戦犯証言をして自分は罪を免れたかつての同郷の上官・浜田(小沢栄)を殺しに訪ねるが……というサスペンス展開などエンタテインメント的展開に収斂していく運びは観客を引きこむ力がありますし、結末も本作はこれでいいかと説得力のあるものです。その一面、こうした映画としては陳腐に聞こえるような台詞や演出もちらほらあり、作劇上そうした類型的な部分が煩雑になりかねない場面の省略法として働いているから仕方ないのですが、それが全体として興を削ぎかねない粗さになっているのはのちの小林正樹作品にも見られるので、誠実で生真面目な作風で一貫した丁寧な映画作りですが感覚的な陶酔感に乏しい感じにつながる。仲代達矢を得て仲代氏自身も『醉ひどれ天使』'43での黒澤明と三船敏郎との出会いになぞらえる『黒い河』'57も、黒澤&三船のコンビは『赤ひげ』'65で最後になりますが小林作品では遺作『食卓のない家』'85にいたるまで続いたので、30年あまり続いた監督&主演コンビも稀有なことですが、『黒い河』も後味の良い映画ではなく小林作品は自然な流露感に乏しい印象につながります。重厚で生真面目で社会派で反体制と今どきの観客からは敬遠される特徴で小林作品は『黒い河』から一貫することになり、本作のお蔵入りからまた小林作品は松竹の路線に沿ったホームドラマとメロドラマにしばらく戻ることになりますが、本作の最大の美点は力を尽くしてこの時点で最大の野心作をやり切った全人的な発露にあり、軍人ものですから男ばかりの映画ですし全人的といっても本作ならではの枠組みの中ではありますが、本作の公開延期から『三つの愛』『この広い空の下に』『美しき歳月』『泉』とメロドラマ路線を迂回することになるのが本作を機に一足飛びに社会派映画に専心するより表現の幅を広げる結果を生み、本作についてはついに念願の企画を実現した第2の処女作と見なせる達成感がしみじみとしたやるせない余韻を残す結びの作品にしている。その意味では本作はこうむった運命は不運だったとは言え、作られる運命を背負って作られた映画ならではのみずみずしい青春性があります。

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