そこで'50年代~'70年代にも存在感があり、たびたびリヴァイヴァル公開された三大喜劇王に声価は定まったのですが、ポピュラリティや芸術的評価でも突出する自作自演(製作・監督・脚本・主演)のチャップリンを別格として、やはり監督・脚本・主演を兼ねていたキートンについての評伝や研究書、またサイレント喜劇全般についての概括では、キートンの才能と業績につまびらかな解説と評価が行われながら、サイレント時代~トーキー時代を通して観客動員数や興行成績はロイドが喜劇俳優では最高の人気を誇り、チャップリンがロイドに次ぎ、キートンは平均点喜劇俳優の中では上位クラスで興行成績にもムラがあり必ずしも安定した人気を維持してはいなかった、とされます。ロイドはローチ・プロダクション在籍中でも実質的にはプロデューサーで独立後は自己のプロダクションを運営し、監督や脚本には専業監督、専業脚本家を立てましたが作品内容の全権はプロデューサーであるロイドが握っていたので、製作権は所属プロダクションのプロデューサーに握られていたキートンよりも企画や内容はロイド自身の意向に沿ったもので、その点でもチャップリンに匹敵する主演俳優兼ワンマン・プロデューサーでした(キートンはサイレント末期~トーキー初期のMGM時代には監督権や脚本権も奪われてしまいました)。ただし監督を兼ねていた時代のキートン作品は公開当時ヒットしなかった作品、興行成績では赤字になった商業的失敗作でも天才的な奇想と閃き、驚異的な演出の冴えがあり、正統的な映画監督・プロデューサーだったチャップリンやロイドにはない大胆な発想の飛躍がありました。それはトーキー時代にサイレント時代の人気喜劇俳優に取って替わったマルクス兄弟の不条理で狂気に満ちた感覚と並ぶもので、そうした強みからキートンはやはり大監督であるチャップリンと競う高い評価を得ているのですが、同時代にはもっとも大衆的に共感を集めて最高の人気を誇ったハロルド・ロイドがかえって顧みられなくなっているという評価の逆転も起こりました。しかしロイドの映画は今観ても抜群に面白いもので、DVDでは2008年に発売された素晴らしいレストア版9枚組ボックス・セット『ハロルド・ロイド・コレクション』(ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン)で長短29作を一気に観ることができます。とりわけ長編になってからの16作はアメリカ喜劇映画の最高峰としてチャップリンやキートンの諸作と並ぶ古典的風格があります。そこでひさしぶりに観直して楽しむことにしました(ロイド作品は正規ライセンスの同ボックス以外の日本盤DVDはパブリック・ドメイン・プリントによる画質の悪い短縮版が大半で注意が必要です)。なお作品紹介は9枚組ボックス『ハロルド・ロイド・コレクション』の簡潔なあらすじを転用させていただきました。
『ロイドの水兵』 Sailor Made Man (ハル・ローチ・プロダクション=パテ'21)*47min, B/W, Silent : https://youtu.be/g7NP7DFv8-k
○社長令嬢に一目惚れした金持ちのお坊ちゃま。社長から自分の体で働く男でないとだめだと言われ、なりゆきで海軍に入隊してしまう。6か月後水兵となった彼は船の上で任務に励んでいた。一方、社長令嬢は仲間とともに楽しい船旅の真っ最中。2人は異国の町で再会するが、国王に気に入られた彼女が誘拐されて……。
ロイドの最初の長編である本作は偶然の産物で、アメリカ映画が長編時代に入っても喜劇映画の長編化は遅れており、マック・セネットが'14年11月に舞台喜劇の人気女優マリー・ドレスラー(1868-1934、ウォーレス・ビアリー共演、ジョージ・W・ヒル監督・製作のMGM作品『惨劇の波止場(Min and Bill)』'30で62歳でアカデミー賞主演女優賞受賞)の長編映画初出演=主演作品で6巻の『醜女の深情け(Tillie's Punctured Romance)』(ドレスラー46歳)をいち早く発表していましたが、同作はデビュー年の同年のみキーストン社に在籍のチャップリンが結婚詐欺師役で準主演しているのが唯一の取り柄と言えるもので以来長編喜劇らしい長編喜劇は続かず、チャップリン自社のファースト・ナショナル社の第1作「犬の生活」'18、第2作「担へ銃」'18、続く「サンニイ・サイド」'19もまだ3巻で、製作に丸1年をかけた'21年2月公開の『キッド』で初めてチャップリンは自身の監督・脚本・主演による6巻の長編を作りますが、次の長編は2巻ものの短編2編を挟んでやはり製作期間1年をかけた4巻の『偽牧師』'23.1になり、監督・脚本に専念したエドナ・パーヴィアンス主演のシリアスなメロドラマ作品『巴里の女性』'23.10を挟んでチャップリン主演の長編第3作は'25年8月公開の『黄金狂時代』(9巻)、次が'28年1月公開の『サーカス』(7巻)で、次はサイレント長編最終作になりトーキー時代になっていたのにサイレントで押し通した'31年2月公開の『街の灯』でした。次作『モダン・タイムズ』'36以降はトーキーですから長編時代にはチャップリンはいかに寡作になっていたかがわかります。他方キートンは'20年10月公開の長編『馬鹿息子』(7巻)がありますがこれはMGM作品で舞台喜劇の映画化にキートンが主演しただけで監督・スタッフもMGMの仕込みであり、キートン喜劇とは言えません。キートンが監督も兼ねてレギュラー・スタッフと短編喜劇から長編喜劇に移ったのは'23年9月公開の『滑稽恋愛三代記』(6巻)からで、以降プロダクションごとMGMに移籍し監督権を奪われて俳優専業にされるまでの'28年までにキートン監督・主演の長編は足かけ6年で10作を数えます。映画史家トム・ダーディスによる評伝『バスター・キートン』'79(翻訳'87年リブロポート刊、飯村隆彦訳)では「アメリカ人の監督として、古い2巻もの喜劇を初めて完全に捨てたのはハロルド・ロイドだった」と、『醜女の深情け』や『キッド』を先例として上げながらも指摘されています。セネットはもちろんチャップリンでさえも長編第1作を機に長編路線に完全に転換はできなかった、とした上でダーディスは前記の指摘をし、「とはいえ、それはほとんど偶然の結果である。(『ロイドの水兵』の製作時に、)彼はスタッフが4巻分に及ぶフィルムを撮影してしまったことに気づいた。その中には「カットするには惜しいほどよくできた」ものが含まれていた。不安はあったが、映画はその4巻のまま上映され、結果的にはかなりの成功を収めた」。記録によると当初2巻ものの短編として平均的な7万7,000ドルの製作費で作られた本作は48万5,000ドル以上の収益を上げた大ヒット作になりました。「『豪勇ロイド』でも同様のことが起こった」とダーディスは書いています。よって続きは『豪勇ロイド』に送ります。なお本作は日本公開前に「キネマ旬報」で「喜劇界に於いて人気といい実力といいチャップリン氏の塁を磨さんとするハロルド・ロイド氏が2、3巻物から進んで始めてフィーチュアー物らしい喜劇を製作した第1回の作品である。相手役は例の通り、最近婚約を報じられたミルドレッド・ハリス嬢である。筆者は試写を見たが蓋し大傑作の賛辞をおしまぬ」と絶賛され紹介された評判作だったのをつけ加えておきます。
●6月2日(土)
『豪勇ロイド』 Grandma's Boy (ハル・ローチ・プロダクション=パテ'22)*56min, B/W, Silent : https://youtu.be/SWe0NlnwE6I
○のどかな田舎町で祖母に育てられた青年ハロルドは、良く言えばおとなしくて謙虚、悪く言えば臆病な意気地なし。子供の頃からいじめっ子のライバルには勝てず、愛する女性も横取りされそうになっている。そんな彼が、ある日ひょんなことから保安官代理に任命され、町の無法者たちを捕まえる任務を与えられる。
今回数年ぶりに観直すと、ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン版DVDは以前観て感激したほど劇的な画質の向上はまだこの辺の長編初期ではそれほどでもないな、と思ってしまいました。最初は画質の向上と観たことのないシーンの連続に驚いたものです。画質はもともとハロルド・ロイド財団がロイドの遺品から管理している現存する最上のプリントやオリジナル・ネガから起こしたものですし、ロイドの認めた全長版でもあります。9枚組DVD『ハロルド・ロイド・コレクション』から作品ごとに分売されていないのが難点ですが、ユニバーサル・ジャパン版以外の日本版DVDの大半は民間上映レンタル用16mmプリントを原盤にして適当にピアノ伴奏をつけたもので、音楽については目をつぶるにしても本編映像自体があちこちをカットした短縮版で、催し物などで上映して大勢で楽しむためならばともかく、DVDする価値はないものです。ロイド作品はチャップリン、キートンと同様'70年代にニュープリントで代表作のリヴァイヴァル公開があり、連動してNHKや民放でも短編や長編の放映が行われましたが、'80年代のホームヴィデオ普及時に再びニュープリント以前のパブリック・ドメイン版プリントを使うメーカーがあったために、チャップリンの初期短編時代作品、ロイドとキートンについては全長版を復原したニュープリントが存在する作品までも再び粗悪な短縮版が出回ることになってしまい、2008年のユニバーサル・ジャパン版公式決定版DVD発売以後にも短縮版DVDを販売しているメーカーがあります。ロイドの映画は流れるようにひとつ一つのシーンにドミノ倒しのように連続するギャグがあり、よくもまあ自宅から出てガールフレンドの家に着くだけのシークエンスにギャグまたギャグの連続を盛りこんだものだと、ギャグひとつなら割と平凡なものでもそれが次々と新たなギャグに連なっていくのがロイドの作品の特徴で、チャップリン作品のエモーショナルなメリハリやキートン作品のダイナミックな一難去ってまた一難とは違うロイドの洒落っ気なのですが、短縮版は先の例で言えば家を出るショットの後にいきなりガールフレンドの家に着くショットをつないでしまうような編集をしていて、そこまでひどい短縮でなくてもシークエンスの途中に切れ目があればギャグが9連発されるシークエンスを前半4つのギャグで次のシーンに移ってしまう編集がされています。本作も他社からホームヴィデオ時代と同じ原盤を使ったDVDが発売されていて10分近い短縮版になっており、同社ではロイド作品中もっとも有名な長編第4作『ロイドの要心無用』'23をやはり10分近く短い短縮版のまま、やはり代表的名作の長編第6作『猛進ロイド』'24にいたっては20分近い短縮版でDVD化しています。喜劇映画からギャグをカットしてストーリーだけは残すカットは「短縮」どころではないと思いますが、トーキー以降はともかくサイレント時代のロイド映画の感想文が難しいのはストーリーだけならDVDパッケージの紹介文で済んでいて、内容は視覚的に面白いギャグまたギャグの連続でつけ入る隙がなく、これに感想を書こうとすれば片っ端から作中に盛りだくさんなギャグを書き連ねていくしかない、という性質によります。チャップリンやキートンのように求心的なテーマを持たない、またはテーマ自体はギャグの器に過ぎないという恐るべき明快な割り切りがロイド映画にはあり、なるほどこれは批評的分析どころかなまじっかな感想文すら寄せつけないところがある。『ロイドの水兵』のタイトルには1行「Plot - "The Boy" Loves "The Girl".」(「プロット――主人公の青年がヒロインに恋をする」)と出てきます。しかしこれは感想文ですから、次の『ドクター・ジャック』で3作まとめて感想文らしい感想文に挑んでみようと思います。
●6月3日(日)
『ドクター・ジャック』 Dr. Jack (ハル・ローチ・プロダクション=パテ'22)*60min, B/W, Silent : https://youtu.be/PBsu6luYThI
○田舎町で人助けに奔走するドクター・ジャック。彼はどんな病気でもトンチの利いた方法で治してしまう頼りになる医者だ。そんな彼が裕福なお嬢様の治療を担当することに。報酬目当ての医者に病人扱いされ屋敷に閉じ込められて暮らすお嬢様を元気にするためドクター・ジャックはとっておきの治療を行うことにする。
年代順にロイド作品を観直すのは今回が初めてなので、初期3作を観ると当初はいつもの2巻か3巻ものを撮るつもりだったという『ロイドの水兵』は基本プロットは1本でなるほど短編の予定だったと納得がいき、自由に長くなるままに撮ったという『豪勇ロイド』は入れ子構造になっていて付加されたのはそうした二重構造の部分だったとわかり、実はあまり上手くいっていない印象を受けます。しかし『豪勇ロイド』が前作より魅力的になっているのはロイドが金持ち世間知らずのお坊ちゃんキャラクターの『水兵』より優しく臆病、しかし勇気をふるうと大胆という主人公のキャラクターがロイドには合っていて、平均的な身長で体は細身のロイドの身体能力が鍛え抜かれたとんでもないものという外見との意外性を生かした作りになっていて、そのきっかけのために祖父は南北戦争の英雄だったというお祖母ちゃんの話(ロイド二役)が追加されているわけです。設定やアイディアは悪くないが構成がまずく、作中作として挿入される南北戦争の祖父の武勇伝(祖母の話)が現在進行形のロイドの無法者退治を遮るかたちになっているのが惜しまれます。これが最初から6巻ものの長編にする構想で撮った『ドクター・ジャック』ではどう改善されたかと言うと、プロローグ部分で病弱扱いされているヒロインと頑固者の旧弊な主治医が描かれると映画前半は田舎医者ロイドの名医ぶりが町の人々との交流を通して描かれ、後半は仲介者の弁護士を通してヒロインに紹介されたロイドがいかにして旧弊な主治医の誤診をあばきヒロインを助けるかという話になります。これは前半と後半が割れていますが等分な時間配分のせいでそうなっているので、前半の調子をメインに平行してヒロインとの交流を挟んでオチにヒロインとのハッピーエンドをもってくる程度にするか、前半部分はほんの前振り程度にしてヒロインとの出会いをもっと早めて後半の話をメインにするかに絞った方が長編として首尾が整ったでしょう。前半の調子はオムニバス映画的な小エピソードの羅列なのに後半は急にメロドラマ的な展開になるので、本作の前半後半の等分な構成は難があるように感じられるのです。サイレント時代の映画では観客は話法の不統一はむしろ趣向として楽しんでいたので、サイレント育ちでとりわけ軽妙なロイド喜劇を愛好していた松竹蒲田の斎藤寅次郎や清水宏、小津安二郎の大学生喜劇『若き日』'29や『落第はしたけれど』'30などは構成の緩さに面白みがあり、そうした日本の映画監督はトーキー以後に喜劇ではないドラマ作品を作ってもエピソードの累積的な独特の話法を生むことになり、一方アメリカではトーキー以後はサイレント的なエピソード的話法より集中的な話法が求められた、とも言えると思います。ロイドの代名詞的代表作『要心無用』が次の第4作で、サイレント的な即興的自由さと綿密に計算されたプロットとギャグの配分で早くも金字塔的作品に到達したのは『ドクター・ジャック』からの大きな飛躍への意欲が感じられ、それは『要心無用』を最後にロイドと結婚引退するヒロイン、ミルドレッドへのはなむけだったとも思えるのです。