ドイツ出身の映画監督エルンスト・ルビッチ(1892-1947)は俳優から出発した映画人で、人気喜劇俳優ヴィクトル・アルノルドに弟子入りし舞台に立っていましたが、1912年に劇団の座長演出の映画に出演したのがきっかけで映画に傾倒し、喜劇俳優として映画界入りを果たしました。短編コメディの演出を任され監督としも活躍するようになったのは1914年で、イギリスの喜劇俳優チャールズ・チャップリン(1889-1977)がアメリカで映画デビュー(年内に監督昇進)したのと同年です。'18年に『呪の眼』で長編デビュー、翌年にフランス革命を描いた初の大作『パッション』が世界的大ヒットとなり、反独感情の強かった当時のアメリカではフランス映画に見せかけて公開されましたが女優ポーラ・ネグリを大スターにしてハリウッドに招かせ、D・W・グリフィスにフランス革命メロドラマの大作『嵐の孤児 (Orphans of the Storm)』'21を作らせるほどの反響を呼びました。メアリー・ピックフォードの招聘でハリウッド進出した第1作『ロジタ』'23は歴史メロドラマでしたが渡米第2作『結婚哲学』'24以後はルビッチ自身のエルンスト・ルビッチ・プロダクションから洗練されたシチュエーション・コメディの傑作を連発し、それらの作品のエレガントで洒脱な映像表現は"ルビッチ・タッチ"と呼ばれ、サイレント時代からトーキー以後を通じて高い人気と評価を誇り、同業者の映画監督からもっとも尊敬された監督となりました。後進のビリー・ワイルダー、オットー・プレミンジャーを脚本家・助監督に起用し、'42年に持病の心臓疾患から一時休業しましたが『小間使』'46で復帰、翌'47年『あのアーミン毛皮の貴婦人』(助監督プレミンジャーによりルビッチ沒後完成)製作途中に心臓発作で逝去しました。ドイツ時代から晩年までの代表作を上げます。
○ドイツ時代
『出世靴屋』Schuhpalast Pinkus (1916, Comedy); https://youtu.be/XIAPIDAZU_4 (with English Subtle)
『楽しき牢屋』Das fidele Gefangnis (1917, Comedy); https://youtu.be/5oZQ2hrngiY
『呪の眼』Die Augen der Mumie Ma (1918, Horror); https://youtu.be/viwuKZYnfQ0 (English Version)
『男になったら』Ich mochte kein Mann sein (1918, Comedy); https://youtu.be/TXY67bI9Fns (English Version)
『カルメン』Carmen (1918, Drama); https://youtu.be/i06MLZxSgRk (with English Subtle)
『花嫁人形』Die Puppe (1919, Comedy); https://youtu.be/hmAaO5i7DnE (with English Subtle)
『ベルリンから来た市長』Meyer aus Berlin (1919, Comedy); https://youtu.be/UHtOUhfTwOg (with English Subtle)
『牡蠣の王女』Die Austernprinzessin (1919, Comedy); https://youtu.be/0Eog9sMDaRA (English Version)
『パッション』Madame Dubarry (1919, Drama); https://youtu.be/H1g-qHOYBrM
『白黒姉妹』Kohlhiesels Tochter (1920, Romance); https://youtu.be/P8Vn1I_Wdi0 (English Version)
『寵姫ズムルン』Sumurun (1920, Drama); https://youtu.be/Pr9OVBo-ezA
『デセプション』Anna Boleyn (1920,Drama); https://youtu.be/3B9-JWxp5jQ (English Version)
『山猫リュシュカ』Die Bergkatze (1921, Comedy); https://youtu.be/oW9G7BJ8Fmk
『ファラオの恋』Das Weib des Pharao (1922, Drama); https://youtu.be/G_q2utPy3EU
○ハリウッド進出後
『ロジタ』Rosita (1923, Romance); https://youtu.be/6uwdJZn2djg
*『結婚哲学』The Marriage Circle (1924)
*『ウィンダミア夫人の扇』Lady Windermere's Fan (1925)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(2002年度)
『当世女大学』Kiss Me Again (1925)
『陽気な巴里っ子』So This Is Paris (1926)
『思ひ出』The Student Prince in Old Heidelberg (1927)
*『ラヴ・パレイド』The Love Parade (1929)
『モンテ・カルロ』Monte Carlo (1930)
『陽気な中尉さん』The Smiling Lieutenant (1931)
*『君とひととき』One Hour with You (1932)
『極楽特急』Trouble in Paradise (1932)
『私の殺した男』Broken Lullaby (1932)
『生活の設計』Design for Living (1933)
*『メリィ・ウィドウ』The Merry Widow (1934)
『天使』Angel (1937)
『青髭八人目の妻』Bluebeard's Eighth Wife (1938)
*『ニノチカ』Ninotchka (1939)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(1990年度)
*『桃色の店 (街角)』The Shop Around the Corner (1940)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(1999年度)
*『淑女超特急』That Uncertain Feeling (1941)
*『生きるべきか死ぬべきか』To Be or Not to Be (1942)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(1996年度)
『天国は待ってくれる』Heaven Can Wait (1943)
『小間使』Cluny Brown (1946)
『あのアーミン毛皮の貴婦人』That Lady in Ermine (1948)
今回観直したのは*の9作です。『結婚哲学』以前のサイレント作品もYouTubeで視聴できるものが15作は確認できましたが、今回は見送りました。ルビッチのサイレント作品は極端に字幕が少なく、また字幕が読めなくても理解できるもので、ルビッチの日本公開作品のうちもっとも製作年度の早い『出世靴屋』'16でもサイレント話法の技巧を究めていたのがわかります。ドイツ時代はコメディ作品と『パッション』『寵姫ズムルン』などけばけばしくエロティックでグロテスク趣味の強い大作をともに撮っていたルビッチですが、『結婚哲学』以降は洗練を第一に軽妙で融通の利く作風に専念したのが機を見て敏な感覚で、監督デビュー翌年の'19年から最晩年の'47年まで一流監督の座を譲らなかったのは、先週観てきたばかりのスタンバーグ(ルビッチより2歳年下)の盛衰の激しさと較べるとため息が出ます。なおルビッチの映画も、とにかく映像が美しい(DVDではむごいマスターのソフトもありますが)ので、当時のポスターに添えてスチール写真もなるべく掲載するようにしました。
●3月23日(金)
『結婚哲学』The Marriage Circle (Warner Bros, 1924)*86min, B/W, Silent、日本公開大正13年('24年)10月3日; https://youtu.be/TnPXRPyHdIQ (Full Movie)
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) オーストリーの首府ウィーンを背景とした結婚問題劇で、ロタール・シュミットの原作を、パウル・ベルンが脚色し、エルンスト・ルビッチが「ロジタ」に続いて第2回米国作品として監督したものである。出演は「本町通り」のフローレンス・ヴィダー、「本町通り」「舞姫悲し」のモント・ブルー、「結婚とは」「女は曲者」のマリー・プレヴォー、「巴里の女性」「世界の喝采」のアドルフ・マンジュウ、「女の魅力」のクレイトン・ヘール等。
○あらすじ(同上) ストック教授(アドルフ・マンジュウ)は結婚生活に嫌悪を覚えていた際とて、若く浮気な妻のミッツィ(マリー・プレヴォー)が、彼女の親友シャーロット(フローレンス・ヴィダー)の友フランツ・ブロウン(モント・ブルー)に近付いて行ったとき、離婚の材料ができるとかえって喜んだぐらいであった。シャーロットは夫のフランツを深く愛している。愛しているだけに嫉妬も強かった。一寸の争いからフランツが家を飛び出した後へ、かねてシャーロットを恋していたフランツの友グスターヴ・ミューラー(クレイトン・ヘール)が来て彼女に接吻したが、彼女は夫を愛しているとて彼を拒けた。一方フランツはミッツィに誘われたが、彼も妻を愛しているとて彼女のもとを去った。しかしシャーロットは夫とミッツィとの仲を誤解したが、ミッツィから夫に宛てた恨みの手紙を見て、夫に後ろ暗いところのないのを知った。1度は破れようとした2人の仲は幸福にかえったが、ミッツィとミューラーの新しい友情はまだストック教授をして望み通りの離婚を得させるほど激しいものではなかったのである。
キネマ旬報外国映画ベストテン第2位(芸術的優秀作品部門)。本作日本公開の大正13年('24年)はキネマ旬報が年間ベストテン投票を始めた年で、芸術的優秀映画第1位はチャップリン『巴里の女性』、第2位はルビッチ『結婚哲学』、第3位はレイ・C・スモールウッドのアラ・ナジモヴァ主演作『椿姫』というすごいベスト3でした。同年の娯楽的優秀映画1位、2位はジェームズ・クルーズの『幌馬車』『ホリウッド』で第3位がハロルド・ロイドの『要心無用』です。当初ベストテンは外国映画だけで大正14年も芸術的優秀作品と娯楽的優秀作品に分けられ、外国映画を一本化し日本映画のベストテンも行われるようになったのは大正15年(昭和元年、'26年)からでした。キネマ旬報ベストテンやアカデミー賞始め映画賞とはほとんどが業界の景気づけにすぎないので映画賞など穫ると取らぬと映画作品の本質的な生命力には関わりないのですが、ルビッチの本作が初公開当時から日本で高い評判を呼んだのは大きな意味があります。日本の大手映画会社は当時日活と松竹の2社でしたが、'30年代初頭に監督昇進した松竹の若手監督、名前を上げれば島津保次郎、斎藤寅次郎、小津安二郎、清水宏、成瀬巳喜男といった監督らは明らかにルビッチの作風を好んでルビッチ作品の軽みに学んだ痕跡があります。日本公開がほぼトーキー化を完了するのは'36年以降で、'35年までは日本映画の監督たちは主にサイレント映画を作っていました。外国映画はほとんどトーキー化し、日本映画もちらほらトーキー作品が作られ始めた、そうした時期にもっともお手本にされたのが'30年代の新進監督たちがまだ一人前になるやならずの頃から日本でも人気を集めたルビッチ作品だったのです。しかしそれよりもルビッチの映画は観る人に「この面白さを他人がわかるだろうか」と独占的で意味深長なむずむずするような楽しみを感じるのが他の映画にないルビッチ作品ならではの味で、大正13年にもそういう魅力で日本人観客の人気をつかんだのでしょう。テレビ普及後の時代にはルビッチの映画はあまりテレビ放映されないので自然に名前を知る機会はあまりなく、家庭用映像ソフト普及以前には相当映画好きになってから知ってめったにない上映機会に観に行く、めったにないテレビ放映をチェックするくらいにしか観られないものでしたが、ヴィデオ化以前に初めて本作を上映会で観た時には仰天しました。サイレント映画でしかも音楽すらついていないプリントの上映会でしたが、台詞字幕などほとんどないのに登場人物がしゃべるしゃべる、しかも何をしゃべっているのかちゃんと伝わってくるのです。後で思えばチャップリンやロイド、キートンらのスラップスティック喜劇映画にはそれは当たり前で、筆者もサイレント映画でいちばん古い記憶はそうしたスラップスティック喜劇でした。ディズニー映画戦前のシリー・シンフォニー・シリーズも音楽アニメであって実質的にはサイレント映画アニメです。とはいえ映画を観るうちにスラップスティック喜劇やディズニー短編は映画の例外で、台詞、つまり会話音声のあるドラマ映画が映画の標準だといつの間にか当たり前に思うようになっていた。だからサイレント映画を観ても台詞字幕があるのは当然のように観ていたので、補足説明のために台詞字幕が必須なサイレント映画は音声のある現代映画とは別物のように感じたのです。
細かいことを言えばサイレント映画とトーキー化した映画には明確な差がリアリティの水準の次元で存在します。逆に言えばリアリティの水準でサイレント映画もトーキー映画と同次元にあるならその差は具体的な音声があるかないかというだけでしかなくなります。ルビッチの本作はまさにその点で驚くべきもので、フランク・キャプラやハワード・ホークス、レオ・マッケリーら'30年代のトーキー映画のスクリューボール・コメディと違うのは音声の有無だけになっている。しかも台詞字幕をほとんど挿入せず、現実音がないのを場面転換を示す完結な字幕だけ(「翌朝」程度)で映像だけで会話内容も登場人物たちの心情の推移までも観客に伝えてしまう。そのための説明的な、または喩法的なモンタージュやオーヴァーラップ、アイリスなどの映像効果も使わず、たまに必要最小限な細かいカット割りはあるが基本的にはゆったりした固定ショットで引き、寄り、クローズアップの組み合わせで落ちついた映像で構成され、奇をてらった構図や映像技法はまったくない。そうしたまっとうな、しばしばサイレント映画では凝りすぎの映像になってしまいトーキー映画のリアリティとの水準の相違を感じさせるような面を廃しているので、ルビッチから少し遅れてスタンバーグが従来のモンタージュ技法による効果ではなく十分に充実した映像から自然なサウンド効果を達成してみせたのとも異なる、すっきりした俳優演出による画面構成でサイレント映画でありながら観客に登場人物たちの会話まで聞きとらせてしまう映画を作ってみせた。時代を感じさせるのはサイレント時代のフィルム感度上仕方ない俳優の白塗りメイク(特にモンテ・ブルー。マンジューや女優は違和感なし)くらいです。これには前年のチャップリンの『巴里の女性』'23の手法にヒントを得てルビッチがよりにぎやかで楽しい映画にしてみせたのもあるでしょうし(同作はサイレント時代唯一のチャップリン自身の出演しない悲恋メロドラマで、アドルフ・マンジューの出世作でもあります)、よく観ればドイツ時代の『寵姫ズムルン』'20あたりですでにほとんど無字幕映画に成功しています。サイレント時代の無字幕映画の金字塔に必ず上げられるムルナウの『最後の人』'25(大正15年度キネマ旬報ベストテン第2位、同年第1位はチャップリン『黄金狂時代』'25)よりはるかに早いのですが、同作はアラビアン・ナイトもののエキゾチック・ドラマなので衣装やセット、大仰で様式的な演技が無字幕を可能にした要因が大きく、またルビッチがハリウッド進出後の作品に本領発揮とされる監督のためドイツ時代の作品が見逃されがちなのもあるでしょう。本作のような現代ウィーンを舞台にした都会派艶笑コメディで、ややこしい小細工や騙し騙されの夫婦2組の浮気のかけひきが、完全な無字幕台詞ではありませんが場面ごとの会話の第一声を示す程度で(またはそれすらなしに)サイレントで見せてややこしい会話内容がちゃんと観客にわかる。つまり「この面白さを他人がわかるだろうか」と観客ひとり一人が自分だけの解釈をして面白くなってしまうような作品になっている。小津安二郎の'30年代前半のサイレント時代の作品、特に喜劇作品を観るとそのものずばりです。外国映画の新作がすべてトーキー化しても日本映画がしばらくサイレントで乗り切れたのはルビッチやスタンバーグのサイレント作品に学んだからだったのがよくわかります。なお本作はルビッチ自身によってパリを舞台にしたミュージカル・リメイク『君とひととき』'32がありますが、そちらは次回ご紹介します。
●3月24日(土)
『ウィンダミア夫人の扇』Lady Windermere's Fan (Warner Bros, 1925)*115min, B/W, Silent、日本公開昭和2年('27年)1月6日; https://youtu.be/FvcHHFB6SyE (Full Movie)
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) オスカー・ワイルドの佳作戯曲を映画化したもので「三人の女」「当世女大学」に続いてエルンスト・ルビッチ氏が監督した。映画劇に書き改めたのはジュリエン・ジョセフソン氏である。「ダーク・エンゼル」「亭主教育」等出演のロナルド・コールマン氏、「愁いの明星」「結婚春秋」等出演のアイリーン・リッチ嬢、「三人の女」「幻の家」等出演のメイ・マカヴォイ嬢、「恋の鉄条網」「スポーツ生活」等出演のバート・ライテル氏が主演し、エドワード・マーティンデル氏、ヘレン・ダンバー嬢等が助演している。
○あらすじ(同上) 醜聞があったためにロンドン社交界を去って行方をくらましていたアーリン夫人(アイリーン・リッチ)は、再びロンドンに帰って来たが社交界は彼女をもちろん歓迎しなかった。その頃、ウィンダミア夫人(メイ・マカヴォイ)の誕生日の祝宴が催されることを知ったアーリン夫人はウィンダミア卿(バート・ライテル)に自分を招待してくれと頼んだ。卿は少なからず立腹したが、夫人は自分こそウィンダミア夫人の実母であると告げて卿を説き伏せることに成功した。卿はアーリン夫人を招待するようにと妻に言った。しかし、卿の友人であるダーリントン卿(ロナルド・コールマン)は、ウィンダミア夫人に懸想しており、密かに夫婦の間を裂こうと策を講じ、夫人に向かってウィンダミア卿がアーリン夫人に金を与えたことを告げた。夫人はアーリン夫人と夫の仲を疑い、怒って問題の女を招待することを拒んだ。ウィンダミア卿は止むを得ずアーリン夫人に断り状を出したが、彼女はそれにも拘らずウィンダミア夫人の誕生パーティーに出席したので、ウィンダミア夫人は激怒した。彼女はアーリン夫人の出現は、夫の自分に対する侮辱と裏切りと解して夫に復讐すべく、ダーリントン卿と駆落ちする決心をする。彼女はその夜、夫に書置きを残して一人ダーリントン卿の留守宅に赴いて、卿の帰宅を待つことにした。一方アーリン夫人はその愛嬌で昔の敵を魅惑し、なかでもオーガスタス卿(エドワード・マーティンデル)は彼女を深く愛するようになった。ウィンダミア夫人が家出をしたと知ったアーリン夫人は、娘への愛情に目覚め、ウィンダミア卿に知られぬよう書置きを握り潰すと、後を追ってダーリントン卿の住居に出向き、ウィンダミア夫人に駆け落ちをやめるように説得した。アーリン夫人が夫の恋人であると信じているウィンダミア夫人は、聞く耳をもたない。2人が言い争っているところへダーリントン卿が、ウィンダミア卿やオーガスタス卿及び他の友達を伴って帰宅した。2人の夫人は物陰に隠れたが、ウィンダミア卿は妻の扇が腰掛けの上にあるのを見付けてダーリントン卿に詰問した。アーリン夫人は、娘の名誉を守るために、その扇は自分が間違えて持って来たのだと名乗り出た。その隙にウィンダミア夫人は密かに帰宅することができた。翌朝ウィンダミア卿夫妻が和解したところへアーリン夫人は扇を返しに来た。続いてオーガスタス卿も訪れてアーリン夫人と結婚する旨を語ったのだった。
アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(2002年度)。このアメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿というのは1989年から施行された文化財保存法の映画部門で、第1回の'89年度には25作が選ばれ劇映画、ドキュメンタリーの長短・商業非商業・実写アニメーション問わずアメリカ国内の映像動画作品の文化財作品を選定し永久保存する制度で、アメリカほど映画の大量産出国はないのでむしろ'89年というのは遅きに過ぎた観があります。それまでは公立のフィルム保存施設はニューヨーク近代美術館やアメリカ各地の大学図書館、また特別なマニアが個人所蔵していた程度で、日本近代美術館フィルムセンターもニューヨーク近代美術館に倣ったものなのですが、年間20本程度しかフィルム購入予算がないそうです。'70年代以降戦前植民地化していた南米や社会主義政権下だったロシア(ソヴィエト)、東欧からアメリカ映画、西欧映画、日本映画の戦前の作品が発見されたくらい映画はむしろ産出国以外の外国での方が大事に保存されていたので、アメリカや日本のような大国だけに大量、小国なのに大量に新作映画を作っていた国では上映需要のなくなったと見なされた旧作映画は片っ端から打ち捨てられた、または映画会社によって処分されたので、本作と同年のルビッチ作品『当世女大学』Kiss Me Againもワーナー・ブラザースの倉庫で"Junked 12/27/48"付けで廃棄処分されています。フリッツ・ラングの『ハラキリ』'19やルイ・デリュックの『洪水』'24のように偶然ブラジルあたりで元ポルトガル貴族が蔵の中に所蔵していたのでもない限り発見の見込みはないということで、ルビッチ作品ではパート・トーキー第1作『愛国者 (The Patriot)』'29も散佚しています。サイレント作品にはかなりのヒット作で高名な作品ですら散佚作品はかなりあり『結婚哲学』や本作だって散佚していてもおかしくなかったわけで、映画の運命なんてわからないものです。本作は今日ルビッチのサイレント時代の最高傑作とされている作品で、筈見恒夫氏の『映画作品辞典』'54にも田中純一郎氏の『日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』'57にも紹介項目があり、両氏ともに戦前からの映画批評家・映画史家ですが戦前公開のルビッチ作品の言及はアメリカ映画監督中でも際立って多く、戦前ではグリフィス、シュトロハイム、スタンバーグが次ぐ程度でしょうか。それほど戦前の日本映画界では上記の監督たちが尊重され、人気を集めていたということで、そうした風潮の中で高い目標を持っていた当時の日本映画が外国映画より低く見られながら、偶然残っている作品を観る限りですら当時のフランス映画やドイツ映画の平均的水準よりも優れているのはもっと認められていいでしょう。
本作は日本公開当初から好評だったものの同年は外国映画の話題作が多かったためキネマ旬報ベストテン入りは逃し、1位フランク・ボーゼイジ『第七天国』、2位A・E・デュポン『ヴァリエテ 曲芸団』、3位キング・ヴィダー『ビッグ・パレード』、4位ハーバート・ブレノン『ボー・ジェスト』、5位ヴィクター・フレミング『肉体の道』、6位クーパー=シェードザック『チャング』、7位モーリッツ・スティルレル『帝国ホテル』、8位フレッド・ニブロ(ノーマ・タルマッジ版)『椿姫』、9位ジャック・フェデー『カルメン』、10位アラン・クロスランド(レコード式パート・トーキー)『ドン・ファン』で、ロナルド・コールマン主演作が4位と10位に入っているので本作がこぼれてしまったのでしょうが、4位はウィリアム・A・ウェルマンのゲイリー・クーパー版('39)、7位はビリー・ワイルダーのリメイク『熱砂の秘密』'42、8位はアラ・ナジモヴァ版('21)、グレタ・ガルボ版('35)に隠れて忘れられているのではないでしょうか。現在でも古典的名作として映画史に名を残しているのは1位~3位ですが、後は本作が入れ替わってもいいようなベストテンです。もっともキネマ旬報ベストテンは'30年代初頭までは読者投票だったそうですから上位3位以下は横並びのようなものだったとも考えられます。本作は世紀の洒落者オスカー・ワイルドかけ値なしの傑作戯曲の見事な映画化で、ルビッチを措いて適任はいないでしょう。19世紀末ロンドン社交界の雰囲気もばっちりで、競馬場やルーペなど舞台や小道具の映画的な生かし方などプロの映画監督も脚本家もこれには舌を巻く上手さでしょう。艶笑コメディが母娘の情愛ドラマに自然に移り変わっていくところなど心憎いばかりでまるでワイルド(1856-1900)がルビッチのために原作戯曲(1892年刊)を書いたようで、絶対関係なさそうですがデリュックの『さすらいの女』'22のふたりのヒロインのクライマックスの会話場面を連想します。『結婚哲学』と本作は同じ会社から日本盤DVDが出ていますが、同社の『結婚哲学』はかなり劣化したプリントがマスターなのに較べると本作の画質はなんとか及第点ですし『結婚哲学』よりもセットや多彩な場面転換に格段のスケールの差があります。ただし本作の悠然とした115分は『結婚哲学』の快調な86分と較べて長い。舞台劇なら緊張感を持って持続する2時間かもしれませんが映画序盤と終盤では観客を引きこむドラマの集中力があるのに競馬場のシーン以降いよいよ本筋に入ってからが長いのが、観客には仕組みの割れている筋なので長く引っ張られてもムードの演出にはなっても物語上のサスペンスにはならない弱点があり、実は本作は初めて上映会で観た時中盤をまるまる眠ってしまったのでバイト疲れの後だったのもありますが、その後も特集上映やヴィデオ、今回何度目かのDVD鑑賞で観ても眠くなるのは相変わらずです。シークエンスが多いのもありますが人物の動作が非常にゆったりとしていて、ヴィクトリア朝イギリス上流貴族社交界の描写として必要ではあっても、それが登場人物たちがちゃかちゃか動く『結婚哲学』より30分も長い原因になっている。『結婚哲学』と『当世女大学』はトーキー後にルビッチ自身によるリメイクがありますが本作は完成度からもトーキー化の要なし、時代の雰囲気の再現ではかえって損ねてしまうという理由もあったでしょうが、トーキー版でリメイクしたら90分前後に圧縮してもっとテンポの良い作品になったのではと思わせるのが、サイレント映画の究極を極めた作品と認めた上で感じさせる難点に感じます。本作をやや冗漫と見るかこの悠然とした雰囲気を良しとするかで好みが分かれるのではないでしょうか。
●3月25日(日)
『ラヴ・パレイド』The Love Parade (Paramount, 1929)*107min, B/W、日本公開昭和5年('30年)9月18日; https://youtu.be/L2o2KvnPhXE (Extract)
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「レビューのパリっ子」に次ぐモーリス・シュヴァリエ氏主演映画で、ジュールス・チャンセル氏とレオン・ザンロフ氏合作の舞台劇に基いてガイ・ボルトン氏が喜歌劇に脚色したものを、エルネスト・ヴァイダ氏が脚本化し、「思い出」「禁断の楽園」のエルンスト・ルビッチ氏が監督したもの。助演者は「放浪の王者」のジャネット・マクドナルド嬢を始めとして「素晴らしいかな人生」のルピノ・レーン氏「ハニー」のリリアン・ロス嬢で、その他ライオネル・ベルモア氏、ユージーン・パレット氏、カールトン・ストックデール氏、エドガー・ノートン氏、ヴァージニア・ブルース嬢、マーガレット・フィーリー嬢等も出演している。キャメラは「アイスクリーム艦隊」「テキサス無宿」のヴィクター・ミルナー氏で、この映画の歌詞はクリフォード・グレイ氏が新たに書き下ろし、ヴィクター・シェルツィンゲル氏が作曲した。
○あらすじ(同上) ヨーロッパ、架空の王国シルヴァニアは女王のルイーズ陛下(ジャネット・マクドナルド)が治めて、国富み民豊かで平和を謳歌していた。しかし内閣大臣諸公は女王が未だに独身であることに心を痛めていた。或る時シルヴァニアからパリに派遣されていた伯爵アルフレッド(モーリス・シュヴァリエ)が女性スキャンダルを起こして帰国した。伯爵のパリでの所業の詳細な報告を手にした女王は、伯爵を召して、彼がどのように女性を口説いたのかを直接話させた。ところが話に熱が入って、女王自身が伯爵の恋物語の相手役を演じ出した。その様を見た大臣達は女王が結婚されるようになればいいと念じたのである。女王と伯爵との恋模様が本気度を増すと、伯爵の侍者ジャック(ルピノ・レーン)と女王の侍女ルル(リリアン・ロス)も恋に堕ちた。かくて女王と伯爵の結婚式が盛大に執り行われた。伯爵は女王の婿君となったが、やがて「女王の夫」という役割に嫌気を感じ始めた。事毎に伯爵は妻である女王様の命令に服従しなければならないからだ。或る晩彼はオペラの初日の晩に見物に行くようにという命令を拒絶した。しかたなく女王は一人で出掛けたが、夫君の不在は国民に夫婦仲の悪さを露呈することとなり、女王にとっては大変な不名誉となる。ところが伯爵は後からやって来て、国民の前でにこやかな笑顔を振りまいてその場を収めた。しかしその夜、伯爵は明朝パリへ出立し、離婚の成立を待つと言明した。女王は泣いて懇願し、もう二度と命令はしない「あなたは私の王様」だからと誓う。もともと女王を愛している彼は喜んでパリ行きをやめた。かくて伯爵は「女王の夫」から「王様」へと昇格したのである。
キネマ旬報外国映画ベストテン第2位(発声映画部門)。今回はサイレント時代でくくっているのに本作だけはトーキー作品ですがそれも理由があり、この年度はトーキーとサイレントの新作が拮抗した年だったので、この年だけ例外的に発声映画部門と無声映画部門が2位まで発表されるという変則的なベストテン(ベスト2)でした。外国映画発声映画部門ベスト1はマイルストンの『西部戦線異常なし』でした。『第七天国』同様アカデミー賞作品賞受賞作でトーキー作品としては前年の『ブロードウェイ・メロディー』に続く作品賞受賞作、衝撃のラストシーンで有名な反戦映画です。ただしドイツの学徒出陣兵が主人公なので、ベストセラー小説の原作通りとは言え、これが第一次大戦のヨーロッパ戦線志願兵の青年を主人公にした反戦悲劇だったらブーイングの嵐でアカデミー賞作品賞どころではなかったでしょう。真面目で重厚、悪く言えば鈍重なのが持ち味のマイルストン作品が1位で、玉の輿プレイボーイ貴族が架空国シルヴァニア(笑)の若い女王陛下と結婚後尻に敷かれるのに耐えられず亭主関白の座を勝ち取るまでを描いた軽薄ミュージカル喜劇の本作が2位とは冗談みたいですが、これも筈見恒夫氏の映画辞典、田中純一郎氏の映画史に項目を割かれている戦前トーキー初期の話題作で、ルビッチにとってもパート・トーキー作『愛国者 (The Patriot)』(日本未公開)は別として初の完全トーキー作品で、サウンドのダビング技術が開発実現したのは'32年以降ですからミュージカル映画の本作は撮影スタジオの隅にオーケストラが生演奏しながら台詞・歌と同時録音撮影だったはずで大変な苦労だったはずです。ライヴァル社MGMの『ブロードウェイ・メロディー』'29は世にもくだらない音楽映画でしたが'30年の時点でアメリカ映画史上9位の大ヒット作になりました。2位~6位はサイレント時代の作品ですが'30年時点でアメリカ映画史上の最大ヒット作はワーナー・ブラザースの『シンギング・フール (Singing Fool)』'28(日本未公開)、7位がやはりワーナーのアメリカ映画初の完全トーキー『ジャズ・シンガー』'27、8位、10位がフォックス社の『サニイ・サイド・アップ (Sunny Side Up)』'29(日本未公開)と『藪睨みの世界』'29で、これらのトーキー作品はいずれもミュージカル(1位、8位)、または音楽(とダンス)映画(7位、9位、10位)でした。日本未公開作品になっている作品があるのは字幕スーパー開発以前だったからです。字幕スーパー開発以後もミュージカル映画、音楽映画の音楽シーンは字幕なしか大意で済ませる程度が常套だったのですが、本作にはそこに画期性がありました。まず映画のサウンド化以降どの映画会社も車のクラクションが騒がしく響く、ドアがバタンと閉まる、落としたグラスが割れる、登場人物が大笑する、咳払いする、子供が泣く、ピストルが暴発するなどなど騒音盛りだくさんの映画で受けを狙っていたのですが本作では無駄にサウンド効果を狙う演出が一切ない。ミュージカル映画なので台詞が歌になるシーンが多い分冒頭のクレジットとエンドタイトル以外は音楽はかぶせず、ミュージカル部分の歌も自然な台詞の簡潔な歌詞になっていて字幕スーパーにしても違和感がない。当たり前のようですが'29年の時点で、'30年代ミュージカル映画の水準に較べても遜色ないどころかむしろ抜群に自然なミュージカル演出をこなしている。モーリス・シュヴァリエとジャネット・マクドナルドのコンビを主演させたルビッチのミュージカル路線は決定版『メリイ・ウィドウ』'34まで続きますが(もちろんミュージカル以外の作品も挟みますが)、今回初めて気づきましたが昭和10年代のPCL撮影所(東宝の前身)のエノケン、ロッパ、エンタツ・アチャコ主演のミュージカル喜劇映画のヒントになっているのではないでしょうか。'30年代ミュージカル=音楽喜劇映画ならトーキー以後のキートンも無理矢理やらされていましたし、チャップリンやロイド、キートンより年上なのに舞台芸人時代が長くマシンガントークと音楽芸が得意なマルクス兄弟の映画デビューはトーキー長編『ココナッツ』'29でした。マルクス兄弟映画も参考にされたでしょうがコメディアンとしての個性が強いのでそのまま日本のコメディアン諸氏に応用できない。そこで普通の芝居部分とミュージカル部分の自然な配合にルビッチのミュージカル喜劇は格好のお手本になったと考えられます。ルビッチは曲芸は達者な脇役俳優に任せていますが日本のコメディアンでは抜群の曲芸運動力を誇るとなるとエノケンくらいなので、主演ふたりは軽いダンスと歌にとどまるシュヴァリエとマクドナルドのコンビのルビッチ・ミュージカルは応用の利く見本だったでしょう。
筋書きだけを見れば本作の内容は泣けてくるほど下らないもので、素朴なフェミニストでなくても現代人(とは言え文化圏によって異なるでしょうが)の目から見れば軽佻浮薄を絵に描いたようなモーリス・シュヴァリエの主人公が軽薄ゆえに不満たらたらなのは自業自得ですし、こんな奴が亭主関白の座を勝ち取って王位に就いたらシルヴァニア王国は(緊張した国交関係らしい)サウジアラビアに攻められて一巻の終わりです。ジャネット・マクドナルドは公務熱心で賢く美しい女王陛下ですが、シュヴァリエに惚れてしまって亭主のわがままに譲歩すればするほど馬鹿に見えてくるという損な役回りです。ちなみにシルヴァニア王国というのは作中で何度も間違えられるようにペンシルヴェニアをもじった架空国名のようで、玩具やアニメでお馴染みシルヴァニア・ファミリーは本作とは関係ないかもしれませんが森の動物一家たちがキャラクターなのでペンシルヴェニア由来というのは共通しているかもしれません。主人たちの恋と従者たちの恋が平行して描かれるのはルノワールの『ゲームの規則』'39やベルイマンの『夏の夜は三たび微笑む』'55にもありましたが、シェークスピアやセルヴァンテス、モリエールらの時代にもすでにあった作劇術で、本作は侍者ジャック(ルピノ・レーン。アイダ・ルピノの従兄弟だそうです)と侍女ルル(リリアン・ロス)が達者な曲芸ダンスを披露してくれます。ルノワールやベルイマンの上流階級喜劇は辛辣な社会批判やアナーキーな笑いを含んでいましたが、ルビッチの本作は一見本当に無邪気で無害なので毒のない他愛ない映画に見え、観客の頭を空っぽにするような作品です。ひたすらおもしろ可笑しい映画を目指して純粋におもしろ可笑しいだけの映画を作ってしまうのはルビッチほどの力量がないとできないのをありありと感じさせます。本作もミュージカル映画仕立てでなければ107分もの長さは不可能で、シノプシス段階で企画会議にかけられれば短編映画にしかならないので何らかのサブ・プロットを設ける、例えばシュヴァリエの友人に二重スパイがいて、シュヴァリエとマクドナルドの結婚を機に宮廷に入りこみ、マクドナルドに取り入りシルヴァニア王国の経済的崩壊を画策して、それをシュヴァリエが見抜いて阻止することでプリンスからキングに認められるとか、そういうマルクス兄弟映画MGM時代(パラマウント時代ではなく)のサブ・プロットのような陳腐なドラマを組み込んだでしょう。しかしルビッチはハリウッド第2作『結婚哲学』から自己のプロダクションでルビッチ自身が企画の決定権を握るプロデューサー兼監督でした。もとは舞台劇とはいえ映画化すれば短編にしかならないような原案から、いかに楽しく自然な演出のミュージカル喜劇映画を作るか初の完全トーキー作品に向けての意欲があった。次回にもルビッチの'30年代作品でミュージカル喜劇をご紹介しますが、この路線では初作の本作がいちばん瑞々しく爽やかな作品だと思います。
○ドイツ時代
『出世靴屋』Schuhpalast Pinkus (1916, Comedy); https://youtu.be/XIAPIDAZU_4 (with English Subtle)
『楽しき牢屋』Das fidele Gefangnis (1917, Comedy); https://youtu.be/5oZQ2hrngiY
『呪の眼』Die Augen der Mumie Ma (1918, Horror); https://youtu.be/viwuKZYnfQ0 (English Version)
『男になったら』Ich mochte kein Mann sein (1918, Comedy); https://youtu.be/TXY67bI9Fns (English Version)
『カルメン』Carmen (1918, Drama); https://youtu.be/i06MLZxSgRk (with English Subtle)
『花嫁人形』Die Puppe (1919, Comedy); https://youtu.be/hmAaO5i7DnE (with English Subtle)
『ベルリンから来た市長』Meyer aus Berlin (1919, Comedy); https://youtu.be/UHtOUhfTwOg (with English Subtle)
『牡蠣の王女』Die Austernprinzessin (1919, Comedy); https://youtu.be/0Eog9sMDaRA (English Version)
『パッション』Madame Dubarry (1919, Drama); https://youtu.be/H1g-qHOYBrM
『白黒姉妹』Kohlhiesels Tochter (1920, Romance); https://youtu.be/P8Vn1I_Wdi0 (English Version)
『寵姫ズムルン』Sumurun (1920, Drama); https://youtu.be/Pr9OVBo-ezA
『デセプション』Anna Boleyn (1920,Drama); https://youtu.be/3B9-JWxp5jQ (English Version)
『山猫リュシュカ』Die Bergkatze (1921, Comedy); https://youtu.be/oW9G7BJ8Fmk
『ファラオの恋』Das Weib des Pharao (1922, Drama); https://youtu.be/G_q2utPy3EU
○ハリウッド進出後
『ロジタ』Rosita (1923, Romance); https://youtu.be/6uwdJZn2djg
*『結婚哲学』The Marriage Circle (1924)
*『ウィンダミア夫人の扇』Lady Windermere's Fan (1925)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(2002年度)
『当世女大学』Kiss Me Again (1925)
『陽気な巴里っ子』So This Is Paris (1926)
『思ひ出』The Student Prince in Old Heidelberg (1927)
*『ラヴ・パレイド』The Love Parade (1929)
『モンテ・カルロ』Monte Carlo (1930)
『陽気な中尉さん』The Smiling Lieutenant (1931)
*『君とひととき』One Hour with You (1932)
『極楽特急』Trouble in Paradise (1932)
『私の殺した男』Broken Lullaby (1932)
『生活の設計』Design for Living (1933)
*『メリィ・ウィドウ』The Merry Widow (1934)
『天使』Angel (1937)
『青髭八人目の妻』Bluebeard's Eighth Wife (1938)
*『ニノチカ』Ninotchka (1939)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(1990年度)
*『桃色の店 (街角)』The Shop Around the Corner (1940)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(1999年度)
*『淑女超特急』That Uncertain Feeling (1941)
*『生きるべきか死ぬべきか』To Be or Not to Be (1942)*アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(1996年度)
『天国は待ってくれる』Heaven Can Wait (1943)
『小間使』Cluny Brown (1946)
『あのアーミン毛皮の貴婦人』That Lady in Ermine (1948)
今回観直したのは*の9作です。『結婚哲学』以前のサイレント作品もYouTubeで視聴できるものが15作は確認できましたが、今回は見送りました。ルビッチのサイレント作品は極端に字幕が少なく、また字幕が読めなくても理解できるもので、ルビッチの日本公開作品のうちもっとも製作年度の早い『出世靴屋』'16でもサイレント話法の技巧を究めていたのがわかります。ドイツ時代はコメディ作品と『パッション』『寵姫ズムルン』などけばけばしくエロティックでグロテスク趣味の強い大作をともに撮っていたルビッチですが、『結婚哲学』以降は洗練を第一に軽妙で融通の利く作風に専念したのが機を見て敏な感覚で、監督デビュー翌年の'19年から最晩年の'47年まで一流監督の座を譲らなかったのは、先週観てきたばかりのスタンバーグ(ルビッチより2歳年下)の盛衰の激しさと較べるとため息が出ます。なおルビッチの映画も、とにかく映像が美しい(DVDではむごいマスターのソフトもありますが)ので、当時のポスターに添えてスチール写真もなるべく掲載するようにしました。
●3月23日(金)
『結婚哲学』The Marriage Circle (Warner Bros, 1924)*86min, B/W, Silent、日本公開大正13年('24年)10月3日; https://youtu.be/TnPXRPyHdIQ (Full Movie)
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) オーストリーの首府ウィーンを背景とした結婚問題劇で、ロタール・シュミットの原作を、パウル・ベルンが脚色し、エルンスト・ルビッチが「ロジタ」に続いて第2回米国作品として監督したものである。出演は「本町通り」のフローレンス・ヴィダー、「本町通り」「舞姫悲し」のモント・ブルー、「結婚とは」「女は曲者」のマリー・プレヴォー、「巴里の女性」「世界の喝采」のアドルフ・マンジュウ、「女の魅力」のクレイトン・ヘール等。
○あらすじ(同上) ストック教授(アドルフ・マンジュウ)は結婚生活に嫌悪を覚えていた際とて、若く浮気な妻のミッツィ(マリー・プレヴォー)が、彼女の親友シャーロット(フローレンス・ヴィダー)の友フランツ・ブロウン(モント・ブルー)に近付いて行ったとき、離婚の材料ができるとかえって喜んだぐらいであった。シャーロットは夫のフランツを深く愛している。愛しているだけに嫉妬も強かった。一寸の争いからフランツが家を飛び出した後へ、かねてシャーロットを恋していたフランツの友グスターヴ・ミューラー(クレイトン・ヘール)が来て彼女に接吻したが、彼女は夫を愛しているとて彼を拒けた。一方フランツはミッツィに誘われたが、彼も妻を愛しているとて彼女のもとを去った。しかしシャーロットは夫とミッツィとの仲を誤解したが、ミッツィから夫に宛てた恨みの手紙を見て、夫に後ろ暗いところのないのを知った。1度は破れようとした2人の仲は幸福にかえったが、ミッツィとミューラーの新しい友情はまだストック教授をして望み通りの離婚を得させるほど激しいものではなかったのである。
キネマ旬報外国映画ベストテン第2位(芸術的優秀作品部門)。本作日本公開の大正13年('24年)はキネマ旬報が年間ベストテン投票を始めた年で、芸術的優秀映画第1位はチャップリン『巴里の女性』、第2位はルビッチ『結婚哲学』、第3位はレイ・C・スモールウッドのアラ・ナジモヴァ主演作『椿姫』というすごいベスト3でした。同年の娯楽的優秀映画1位、2位はジェームズ・クルーズの『幌馬車』『ホリウッド』で第3位がハロルド・ロイドの『要心無用』です。当初ベストテンは外国映画だけで大正14年も芸術的優秀作品と娯楽的優秀作品に分けられ、外国映画を一本化し日本映画のベストテンも行われるようになったのは大正15年(昭和元年、'26年)からでした。キネマ旬報ベストテンやアカデミー賞始め映画賞とはほとんどが業界の景気づけにすぎないので映画賞など穫ると取らぬと映画作品の本質的な生命力には関わりないのですが、ルビッチの本作が初公開当時から日本で高い評判を呼んだのは大きな意味があります。日本の大手映画会社は当時日活と松竹の2社でしたが、'30年代初頭に監督昇進した松竹の若手監督、名前を上げれば島津保次郎、斎藤寅次郎、小津安二郎、清水宏、成瀬巳喜男といった監督らは明らかにルビッチの作風を好んでルビッチ作品の軽みに学んだ痕跡があります。日本公開がほぼトーキー化を完了するのは'36年以降で、'35年までは日本映画の監督たちは主にサイレント映画を作っていました。外国映画はほとんどトーキー化し、日本映画もちらほらトーキー作品が作られ始めた、そうした時期にもっともお手本にされたのが'30年代の新進監督たちがまだ一人前になるやならずの頃から日本でも人気を集めたルビッチ作品だったのです。しかしそれよりもルビッチの映画は観る人に「この面白さを他人がわかるだろうか」と独占的で意味深長なむずむずするような楽しみを感じるのが他の映画にないルビッチ作品ならではの味で、大正13年にもそういう魅力で日本人観客の人気をつかんだのでしょう。テレビ普及後の時代にはルビッチの映画はあまりテレビ放映されないので自然に名前を知る機会はあまりなく、家庭用映像ソフト普及以前には相当映画好きになってから知ってめったにない上映機会に観に行く、めったにないテレビ放映をチェックするくらいにしか観られないものでしたが、ヴィデオ化以前に初めて本作を上映会で観た時には仰天しました。サイレント映画でしかも音楽すらついていないプリントの上映会でしたが、台詞字幕などほとんどないのに登場人物がしゃべるしゃべる、しかも何をしゃべっているのかちゃんと伝わってくるのです。後で思えばチャップリンやロイド、キートンらのスラップスティック喜劇映画にはそれは当たり前で、筆者もサイレント映画でいちばん古い記憶はそうしたスラップスティック喜劇でした。ディズニー映画戦前のシリー・シンフォニー・シリーズも音楽アニメであって実質的にはサイレント映画アニメです。とはいえ映画を観るうちにスラップスティック喜劇やディズニー短編は映画の例外で、台詞、つまり会話音声のあるドラマ映画が映画の標準だといつの間にか当たり前に思うようになっていた。だからサイレント映画を観ても台詞字幕があるのは当然のように観ていたので、補足説明のために台詞字幕が必須なサイレント映画は音声のある現代映画とは別物のように感じたのです。
細かいことを言えばサイレント映画とトーキー化した映画には明確な差がリアリティの水準の次元で存在します。逆に言えばリアリティの水準でサイレント映画もトーキー映画と同次元にあるならその差は具体的な音声があるかないかというだけでしかなくなります。ルビッチの本作はまさにその点で驚くべきもので、フランク・キャプラやハワード・ホークス、レオ・マッケリーら'30年代のトーキー映画のスクリューボール・コメディと違うのは音声の有無だけになっている。しかも台詞字幕をほとんど挿入せず、現実音がないのを場面転換を示す完結な字幕だけ(「翌朝」程度)で映像だけで会話内容も登場人物たちの心情の推移までも観客に伝えてしまう。そのための説明的な、または喩法的なモンタージュやオーヴァーラップ、アイリスなどの映像効果も使わず、たまに必要最小限な細かいカット割りはあるが基本的にはゆったりした固定ショットで引き、寄り、クローズアップの組み合わせで落ちついた映像で構成され、奇をてらった構図や映像技法はまったくない。そうしたまっとうな、しばしばサイレント映画では凝りすぎの映像になってしまいトーキー映画のリアリティとの水準の相違を感じさせるような面を廃しているので、ルビッチから少し遅れてスタンバーグが従来のモンタージュ技法による効果ではなく十分に充実した映像から自然なサウンド効果を達成してみせたのとも異なる、すっきりした俳優演出による画面構成でサイレント映画でありながら観客に登場人物たちの会話まで聞きとらせてしまう映画を作ってみせた。時代を感じさせるのはサイレント時代のフィルム感度上仕方ない俳優の白塗りメイク(特にモンテ・ブルー。マンジューや女優は違和感なし)くらいです。これには前年のチャップリンの『巴里の女性』'23の手法にヒントを得てルビッチがよりにぎやかで楽しい映画にしてみせたのもあるでしょうし(同作はサイレント時代唯一のチャップリン自身の出演しない悲恋メロドラマで、アドルフ・マンジューの出世作でもあります)、よく観ればドイツ時代の『寵姫ズムルン』'20あたりですでにほとんど無字幕映画に成功しています。サイレント時代の無字幕映画の金字塔に必ず上げられるムルナウの『最後の人』'25(大正15年度キネマ旬報ベストテン第2位、同年第1位はチャップリン『黄金狂時代』'25)よりはるかに早いのですが、同作はアラビアン・ナイトもののエキゾチック・ドラマなので衣装やセット、大仰で様式的な演技が無字幕を可能にした要因が大きく、またルビッチがハリウッド進出後の作品に本領発揮とされる監督のためドイツ時代の作品が見逃されがちなのもあるでしょう。本作のような現代ウィーンを舞台にした都会派艶笑コメディで、ややこしい小細工や騙し騙されの夫婦2組の浮気のかけひきが、完全な無字幕台詞ではありませんが場面ごとの会話の第一声を示す程度で(またはそれすらなしに)サイレントで見せてややこしい会話内容がちゃんと観客にわかる。つまり「この面白さを他人がわかるだろうか」と観客ひとり一人が自分だけの解釈をして面白くなってしまうような作品になっている。小津安二郎の'30年代前半のサイレント時代の作品、特に喜劇作品を観るとそのものずばりです。外国映画の新作がすべてトーキー化しても日本映画がしばらくサイレントで乗り切れたのはルビッチやスタンバーグのサイレント作品に学んだからだったのがよくわかります。なお本作はルビッチ自身によってパリを舞台にしたミュージカル・リメイク『君とひととき』'32がありますが、そちらは次回ご紹介します。
●3月24日(土)
『ウィンダミア夫人の扇』Lady Windermere's Fan (Warner Bros, 1925)*115min, B/W, Silent、日本公開昭和2年('27年)1月6日; https://youtu.be/FvcHHFB6SyE (Full Movie)
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) オスカー・ワイルドの佳作戯曲を映画化したもので「三人の女」「当世女大学」に続いてエルンスト・ルビッチ氏が監督した。映画劇に書き改めたのはジュリエン・ジョセフソン氏である。「ダーク・エンゼル」「亭主教育」等出演のロナルド・コールマン氏、「愁いの明星」「結婚春秋」等出演のアイリーン・リッチ嬢、「三人の女」「幻の家」等出演のメイ・マカヴォイ嬢、「恋の鉄条網」「スポーツ生活」等出演のバート・ライテル氏が主演し、エドワード・マーティンデル氏、ヘレン・ダンバー嬢等が助演している。
○あらすじ(同上) 醜聞があったためにロンドン社交界を去って行方をくらましていたアーリン夫人(アイリーン・リッチ)は、再びロンドンに帰って来たが社交界は彼女をもちろん歓迎しなかった。その頃、ウィンダミア夫人(メイ・マカヴォイ)の誕生日の祝宴が催されることを知ったアーリン夫人はウィンダミア卿(バート・ライテル)に自分を招待してくれと頼んだ。卿は少なからず立腹したが、夫人は自分こそウィンダミア夫人の実母であると告げて卿を説き伏せることに成功した。卿はアーリン夫人を招待するようにと妻に言った。しかし、卿の友人であるダーリントン卿(ロナルド・コールマン)は、ウィンダミア夫人に懸想しており、密かに夫婦の間を裂こうと策を講じ、夫人に向かってウィンダミア卿がアーリン夫人に金を与えたことを告げた。夫人はアーリン夫人と夫の仲を疑い、怒って問題の女を招待することを拒んだ。ウィンダミア卿は止むを得ずアーリン夫人に断り状を出したが、彼女はそれにも拘らずウィンダミア夫人の誕生パーティーに出席したので、ウィンダミア夫人は激怒した。彼女はアーリン夫人の出現は、夫の自分に対する侮辱と裏切りと解して夫に復讐すべく、ダーリントン卿と駆落ちする決心をする。彼女はその夜、夫に書置きを残して一人ダーリントン卿の留守宅に赴いて、卿の帰宅を待つことにした。一方アーリン夫人はその愛嬌で昔の敵を魅惑し、なかでもオーガスタス卿(エドワード・マーティンデル)は彼女を深く愛するようになった。ウィンダミア夫人が家出をしたと知ったアーリン夫人は、娘への愛情に目覚め、ウィンダミア卿に知られぬよう書置きを握り潰すと、後を追ってダーリントン卿の住居に出向き、ウィンダミア夫人に駆け落ちをやめるように説得した。アーリン夫人が夫の恋人であると信じているウィンダミア夫人は、聞く耳をもたない。2人が言い争っているところへダーリントン卿が、ウィンダミア卿やオーガスタス卿及び他の友達を伴って帰宅した。2人の夫人は物陰に隠れたが、ウィンダミア卿は妻の扇が腰掛けの上にあるのを見付けてダーリントン卿に詰問した。アーリン夫人は、娘の名誉を守るために、その扇は自分が間違えて持って来たのだと名乗り出た。その隙にウィンダミア夫人は密かに帰宅することができた。翌朝ウィンダミア卿夫妻が和解したところへアーリン夫人は扇を返しに来た。続いてオーガスタス卿も訪れてアーリン夫人と結婚する旨を語ったのだった。
アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(2002年度)。このアメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿というのは1989年から施行された文化財保存法の映画部門で、第1回の'89年度には25作が選ばれ劇映画、ドキュメンタリーの長短・商業非商業・実写アニメーション問わずアメリカ国内の映像動画作品の文化財作品を選定し永久保存する制度で、アメリカほど映画の大量産出国はないのでむしろ'89年というのは遅きに過ぎた観があります。それまでは公立のフィルム保存施設はニューヨーク近代美術館やアメリカ各地の大学図書館、また特別なマニアが個人所蔵していた程度で、日本近代美術館フィルムセンターもニューヨーク近代美術館に倣ったものなのですが、年間20本程度しかフィルム購入予算がないそうです。'70年代以降戦前植民地化していた南米や社会主義政権下だったロシア(ソヴィエト)、東欧からアメリカ映画、西欧映画、日本映画の戦前の作品が発見されたくらい映画はむしろ産出国以外の外国での方が大事に保存されていたので、アメリカや日本のような大国だけに大量、小国なのに大量に新作映画を作っていた国では上映需要のなくなったと見なされた旧作映画は片っ端から打ち捨てられた、または映画会社によって処分されたので、本作と同年のルビッチ作品『当世女大学』Kiss Me Againもワーナー・ブラザースの倉庫で"Junked 12/27/48"付けで廃棄処分されています。フリッツ・ラングの『ハラキリ』'19やルイ・デリュックの『洪水』'24のように偶然ブラジルあたりで元ポルトガル貴族が蔵の中に所蔵していたのでもない限り発見の見込みはないということで、ルビッチ作品ではパート・トーキー第1作『愛国者 (The Patriot)』'29も散佚しています。サイレント作品にはかなりのヒット作で高名な作品ですら散佚作品はかなりあり『結婚哲学』や本作だって散佚していてもおかしくなかったわけで、映画の運命なんてわからないものです。本作は今日ルビッチのサイレント時代の最高傑作とされている作品で、筈見恒夫氏の『映画作品辞典』'54にも田中純一郎氏の『日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』'57にも紹介項目があり、両氏ともに戦前からの映画批評家・映画史家ですが戦前公開のルビッチ作品の言及はアメリカ映画監督中でも際立って多く、戦前ではグリフィス、シュトロハイム、スタンバーグが次ぐ程度でしょうか。それほど戦前の日本映画界では上記の監督たちが尊重され、人気を集めていたということで、そうした風潮の中で高い目標を持っていた当時の日本映画が外国映画より低く見られながら、偶然残っている作品を観る限りですら当時のフランス映画やドイツ映画の平均的水準よりも優れているのはもっと認められていいでしょう。
本作は日本公開当初から好評だったものの同年は外国映画の話題作が多かったためキネマ旬報ベストテン入りは逃し、1位フランク・ボーゼイジ『第七天国』、2位A・E・デュポン『ヴァリエテ 曲芸団』、3位キング・ヴィダー『ビッグ・パレード』、4位ハーバート・ブレノン『ボー・ジェスト』、5位ヴィクター・フレミング『肉体の道』、6位クーパー=シェードザック『チャング』、7位モーリッツ・スティルレル『帝国ホテル』、8位フレッド・ニブロ(ノーマ・タルマッジ版)『椿姫』、9位ジャック・フェデー『カルメン』、10位アラン・クロスランド(レコード式パート・トーキー)『ドン・ファン』で、ロナルド・コールマン主演作が4位と10位に入っているので本作がこぼれてしまったのでしょうが、4位はウィリアム・A・ウェルマンのゲイリー・クーパー版('39)、7位はビリー・ワイルダーのリメイク『熱砂の秘密』'42、8位はアラ・ナジモヴァ版('21)、グレタ・ガルボ版('35)に隠れて忘れられているのではないでしょうか。現在でも古典的名作として映画史に名を残しているのは1位~3位ですが、後は本作が入れ替わってもいいようなベストテンです。もっともキネマ旬報ベストテンは'30年代初頭までは読者投票だったそうですから上位3位以下は横並びのようなものだったとも考えられます。本作は世紀の洒落者オスカー・ワイルドかけ値なしの傑作戯曲の見事な映画化で、ルビッチを措いて適任はいないでしょう。19世紀末ロンドン社交界の雰囲気もばっちりで、競馬場やルーペなど舞台や小道具の映画的な生かし方などプロの映画監督も脚本家もこれには舌を巻く上手さでしょう。艶笑コメディが母娘の情愛ドラマに自然に移り変わっていくところなど心憎いばかりでまるでワイルド(1856-1900)がルビッチのために原作戯曲(1892年刊)を書いたようで、絶対関係なさそうですがデリュックの『さすらいの女』'22のふたりのヒロインのクライマックスの会話場面を連想します。『結婚哲学』と本作は同じ会社から日本盤DVDが出ていますが、同社の『結婚哲学』はかなり劣化したプリントがマスターなのに較べると本作の画質はなんとか及第点ですし『結婚哲学』よりもセットや多彩な場面転換に格段のスケールの差があります。ただし本作の悠然とした115分は『結婚哲学』の快調な86分と較べて長い。舞台劇なら緊張感を持って持続する2時間かもしれませんが映画序盤と終盤では観客を引きこむドラマの集中力があるのに競馬場のシーン以降いよいよ本筋に入ってからが長いのが、観客には仕組みの割れている筋なので長く引っ張られてもムードの演出にはなっても物語上のサスペンスにはならない弱点があり、実は本作は初めて上映会で観た時中盤をまるまる眠ってしまったのでバイト疲れの後だったのもありますが、その後も特集上映やヴィデオ、今回何度目かのDVD鑑賞で観ても眠くなるのは相変わらずです。シークエンスが多いのもありますが人物の動作が非常にゆったりとしていて、ヴィクトリア朝イギリス上流貴族社交界の描写として必要ではあっても、それが登場人物たちがちゃかちゃか動く『結婚哲学』より30分も長い原因になっている。『結婚哲学』と『当世女大学』はトーキー後にルビッチ自身によるリメイクがありますが本作は完成度からもトーキー化の要なし、時代の雰囲気の再現ではかえって損ねてしまうという理由もあったでしょうが、トーキー版でリメイクしたら90分前後に圧縮してもっとテンポの良い作品になったのではと思わせるのが、サイレント映画の究極を極めた作品と認めた上で感じさせる難点に感じます。本作をやや冗漫と見るかこの悠然とした雰囲気を良しとするかで好みが分かれるのではないでしょうか。
●3月25日(日)
『ラヴ・パレイド』The Love Parade (Paramount, 1929)*107min, B/W、日本公開昭和5年('30年)9月18日; https://youtu.be/L2o2KvnPhXE (Extract)
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「レビューのパリっ子」に次ぐモーリス・シュヴァリエ氏主演映画で、ジュールス・チャンセル氏とレオン・ザンロフ氏合作の舞台劇に基いてガイ・ボルトン氏が喜歌劇に脚色したものを、エルネスト・ヴァイダ氏が脚本化し、「思い出」「禁断の楽園」のエルンスト・ルビッチ氏が監督したもの。助演者は「放浪の王者」のジャネット・マクドナルド嬢を始めとして「素晴らしいかな人生」のルピノ・レーン氏「ハニー」のリリアン・ロス嬢で、その他ライオネル・ベルモア氏、ユージーン・パレット氏、カールトン・ストックデール氏、エドガー・ノートン氏、ヴァージニア・ブルース嬢、マーガレット・フィーリー嬢等も出演している。キャメラは「アイスクリーム艦隊」「テキサス無宿」のヴィクター・ミルナー氏で、この映画の歌詞はクリフォード・グレイ氏が新たに書き下ろし、ヴィクター・シェルツィンゲル氏が作曲した。
○あらすじ(同上) ヨーロッパ、架空の王国シルヴァニアは女王のルイーズ陛下(ジャネット・マクドナルド)が治めて、国富み民豊かで平和を謳歌していた。しかし内閣大臣諸公は女王が未だに独身であることに心を痛めていた。或る時シルヴァニアからパリに派遣されていた伯爵アルフレッド(モーリス・シュヴァリエ)が女性スキャンダルを起こして帰国した。伯爵のパリでの所業の詳細な報告を手にした女王は、伯爵を召して、彼がどのように女性を口説いたのかを直接話させた。ところが話に熱が入って、女王自身が伯爵の恋物語の相手役を演じ出した。その様を見た大臣達は女王が結婚されるようになればいいと念じたのである。女王と伯爵との恋模様が本気度を増すと、伯爵の侍者ジャック(ルピノ・レーン)と女王の侍女ルル(リリアン・ロス)も恋に堕ちた。かくて女王と伯爵の結婚式が盛大に執り行われた。伯爵は女王の婿君となったが、やがて「女王の夫」という役割に嫌気を感じ始めた。事毎に伯爵は妻である女王様の命令に服従しなければならないからだ。或る晩彼はオペラの初日の晩に見物に行くようにという命令を拒絶した。しかたなく女王は一人で出掛けたが、夫君の不在は国民に夫婦仲の悪さを露呈することとなり、女王にとっては大変な不名誉となる。ところが伯爵は後からやって来て、国民の前でにこやかな笑顔を振りまいてその場を収めた。しかしその夜、伯爵は明朝パリへ出立し、離婚の成立を待つと言明した。女王は泣いて懇願し、もう二度と命令はしない「あなたは私の王様」だからと誓う。もともと女王を愛している彼は喜んでパリ行きをやめた。かくて伯爵は「女王の夫」から「王様」へと昇格したのである。
キネマ旬報外国映画ベストテン第2位(発声映画部門)。今回はサイレント時代でくくっているのに本作だけはトーキー作品ですがそれも理由があり、この年度はトーキーとサイレントの新作が拮抗した年だったので、この年だけ例外的に発声映画部門と無声映画部門が2位まで発表されるという変則的なベストテン(ベスト2)でした。外国映画発声映画部門ベスト1はマイルストンの『西部戦線異常なし』でした。『第七天国』同様アカデミー賞作品賞受賞作でトーキー作品としては前年の『ブロードウェイ・メロディー』に続く作品賞受賞作、衝撃のラストシーンで有名な反戦映画です。ただしドイツの学徒出陣兵が主人公なので、ベストセラー小説の原作通りとは言え、これが第一次大戦のヨーロッパ戦線志願兵の青年を主人公にした反戦悲劇だったらブーイングの嵐でアカデミー賞作品賞どころではなかったでしょう。真面目で重厚、悪く言えば鈍重なのが持ち味のマイルストン作品が1位で、玉の輿プレイボーイ貴族が架空国シルヴァニア(笑)の若い女王陛下と結婚後尻に敷かれるのに耐えられず亭主関白の座を勝ち取るまでを描いた軽薄ミュージカル喜劇の本作が2位とは冗談みたいですが、これも筈見恒夫氏の映画辞典、田中純一郎氏の映画史に項目を割かれている戦前トーキー初期の話題作で、ルビッチにとってもパート・トーキー作『愛国者 (The Patriot)』(日本未公開)は別として初の完全トーキー作品で、サウンドのダビング技術が開発実現したのは'32年以降ですからミュージカル映画の本作は撮影スタジオの隅にオーケストラが生演奏しながら台詞・歌と同時録音撮影だったはずで大変な苦労だったはずです。ライヴァル社MGMの『ブロードウェイ・メロディー』'29は世にもくだらない音楽映画でしたが'30年の時点でアメリカ映画史上9位の大ヒット作になりました。2位~6位はサイレント時代の作品ですが'30年時点でアメリカ映画史上の最大ヒット作はワーナー・ブラザースの『シンギング・フール (Singing Fool)』'28(日本未公開)、7位がやはりワーナーのアメリカ映画初の完全トーキー『ジャズ・シンガー』'27、8位、10位がフォックス社の『サニイ・サイド・アップ (Sunny Side Up)』'29(日本未公開)と『藪睨みの世界』'29で、これらのトーキー作品はいずれもミュージカル(1位、8位)、または音楽(とダンス)映画(7位、9位、10位)でした。日本未公開作品になっている作品があるのは字幕スーパー開発以前だったからです。字幕スーパー開発以後もミュージカル映画、音楽映画の音楽シーンは字幕なしか大意で済ませる程度が常套だったのですが、本作にはそこに画期性がありました。まず映画のサウンド化以降どの映画会社も車のクラクションが騒がしく響く、ドアがバタンと閉まる、落としたグラスが割れる、登場人物が大笑する、咳払いする、子供が泣く、ピストルが暴発するなどなど騒音盛りだくさんの映画で受けを狙っていたのですが本作では無駄にサウンド効果を狙う演出が一切ない。ミュージカル映画なので台詞が歌になるシーンが多い分冒頭のクレジットとエンドタイトル以外は音楽はかぶせず、ミュージカル部分の歌も自然な台詞の簡潔な歌詞になっていて字幕スーパーにしても違和感がない。当たり前のようですが'29年の時点で、'30年代ミュージカル映画の水準に較べても遜色ないどころかむしろ抜群に自然なミュージカル演出をこなしている。モーリス・シュヴァリエとジャネット・マクドナルドのコンビを主演させたルビッチのミュージカル路線は決定版『メリイ・ウィドウ』'34まで続きますが(もちろんミュージカル以外の作品も挟みますが)、今回初めて気づきましたが昭和10年代のPCL撮影所(東宝の前身)のエノケン、ロッパ、エンタツ・アチャコ主演のミュージカル喜劇映画のヒントになっているのではないでしょうか。'30年代ミュージカル=音楽喜劇映画ならトーキー以後のキートンも無理矢理やらされていましたし、チャップリンやロイド、キートンより年上なのに舞台芸人時代が長くマシンガントークと音楽芸が得意なマルクス兄弟の映画デビューはトーキー長編『ココナッツ』'29でした。マルクス兄弟映画も参考にされたでしょうがコメディアンとしての個性が強いのでそのまま日本のコメディアン諸氏に応用できない。そこで普通の芝居部分とミュージカル部分の自然な配合にルビッチのミュージカル喜劇は格好のお手本になったと考えられます。ルビッチは曲芸は達者な脇役俳優に任せていますが日本のコメディアンでは抜群の曲芸運動力を誇るとなるとエノケンくらいなので、主演ふたりは軽いダンスと歌にとどまるシュヴァリエとマクドナルドのコンビのルビッチ・ミュージカルは応用の利く見本だったでしょう。
筋書きだけを見れば本作の内容は泣けてくるほど下らないもので、素朴なフェミニストでなくても現代人(とは言え文化圏によって異なるでしょうが)の目から見れば軽佻浮薄を絵に描いたようなモーリス・シュヴァリエの主人公が軽薄ゆえに不満たらたらなのは自業自得ですし、こんな奴が亭主関白の座を勝ち取って王位に就いたらシルヴァニア王国は(緊張した国交関係らしい)サウジアラビアに攻められて一巻の終わりです。ジャネット・マクドナルドは公務熱心で賢く美しい女王陛下ですが、シュヴァリエに惚れてしまって亭主のわがままに譲歩すればするほど馬鹿に見えてくるという損な役回りです。ちなみにシルヴァニア王国というのは作中で何度も間違えられるようにペンシルヴェニアをもじった架空国名のようで、玩具やアニメでお馴染みシルヴァニア・ファミリーは本作とは関係ないかもしれませんが森の動物一家たちがキャラクターなのでペンシルヴェニア由来というのは共通しているかもしれません。主人たちの恋と従者たちの恋が平行して描かれるのはルノワールの『ゲームの規則』'39やベルイマンの『夏の夜は三たび微笑む』'55にもありましたが、シェークスピアやセルヴァンテス、モリエールらの時代にもすでにあった作劇術で、本作は侍者ジャック(ルピノ・レーン。アイダ・ルピノの従兄弟だそうです)と侍女ルル(リリアン・ロス)が達者な曲芸ダンスを披露してくれます。ルノワールやベルイマンの上流階級喜劇は辛辣な社会批判やアナーキーな笑いを含んでいましたが、ルビッチの本作は一見本当に無邪気で無害なので毒のない他愛ない映画に見え、観客の頭を空っぽにするような作品です。ひたすらおもしろ可笑しい映画を目指して純粋におもしろ可笑しいだけの映画を作ってしまうのはルビッチほどの力量がないとできないのをありありと感じさせます。本作もミュージカル映画仕立てでなければ107分もの長さは不可能で、シノプシス段階で企画会議にかけられれば短編映画にしかならないので何らかのサブ・プロットを設ける、例えばシュヴァリエの友人に二重スパイがいて、シュヴァリエとマクドナルドの結婚を機に宮廷に入りこみ、マクドナルドに取り入りシルヴァニア王国の経済的崩壊を画策して、それをシュヴァリエが見抜いて阻止することでプリンスからキングに認められるとか、そういうマルクス兄弟映画MGM時代(パラマウント時代ではなく)のサブ・プロットのような陳腐なドラマを組み込んだでしょう。しかしルビッチはハリウッド第2作『結婚哲学』から自己のプロダクションでルビッチ自身が企画の決定権を握るプロデューサー兼監督でした。もとは舞台劇とはいえ映画化すれば短編にしかならないような原案から、いかに楽しく自然な演出のミュージカル喜劇映画を作るか初の完全トーキー作品に向けての意欲があった。次回にもルビッチの'30年代作品でミュージカル喜劇をご紹介しますが、この路線では初作の本作がいちばん瑞々しく爽やかな作品だと思います。