著名な作品だがクリスマス・ストーリーの名作とは語られないドイツ文学の古典に、アーダルベルト・シュティフター『水晶』短篇集「石さまざま」1853収録―がある。
作者シュティフター(1805-1868)はボヘミア生まれのオーストリア作家。実家は農園、35歳までは家庭教師をしながら画家を志していたが、書きためていた習作が認められ「習作集」全5巻を刊行、鮮烈なデビューを飾る。
シュティフターの思想的転機は1848年のドイツ3月革命で、自由主義新憲法の制定をめぐるこの革命の失敗からシュティフターは人間性への失意を深め、教育の重要性を痛感するようになる。
「石さまざま」序文でシュティフターは自分の思想信条を述べ、世界は「穏やかな法則」によって動いている、としている。シュティフター作品自体が平凡な市民の日常の些細な事件を抑えた筆致で描いたもので、生前は賛否両論かまびすしかった。確かに反ドラマ性ではシュティフターほど徹底した小説家は当時も現在もいない。
ニーチェ、のちにはトーマス・マンの賞賛がシュティフターを19世紀最高のドイツ語圈作家に押し上げた。大作「晩夏」1857で生涯の最高傑作を書き上げたあとシュティフターはガンを病い、遺作「ヴィティコー」1867完成の翌年自刃して亡くなる。主義通り静謐な生活を貫いたこの作家にとって、喉を剃刀で切り裂いたこの最期は唯一の激しい行為だっただろう。
「水晶」はシュティフター作品の美点が十分に発揮され、かつ欠点として指摘されがちなドラマ性の欠如もほどよく盛り込まれている点で、誰にでも親しめる作品といえる。19世紀ドイツ短篇小説の珠玉。これがドイツ長篇小説の金字塔「晩夏」となると900ページの日常生活が延々と続く。おいそれとはお薦めできないが、シュティフターの名前は「水晶」と「晩夏」と共に記憶されるだろう。
クリスマス・イヴ、幼い兄妹が山を越えておじいちゃん・おばあちゃんにママの料理を届けに行く。帰りに兄妹は吹雪に遭い洞窟で一夜を明かす。おばあちゃんが持たせてくれたポットのコーヒーが兄妹を暖める。クリスマスの朝、捜しに来た大人たちが元気な兄妹を見つける。
それだけの話だ。ぼくは2007年、真夏の獄中で初めて読んだ。
今年のクリスマスも教会に行かずに終るだろうか、と思いながらこの記事を再録した。
作者シュティフター(1805-1868)はボヘミア生まれのオーストリア作家。実家は農園、35歳までは家庭教師をしながら画家を志していたが、書きためていた習作が認められ「習作集」全5巻を刊行、鮮烈なデビューを飾る。
シュティフターの思想的転機は1848年のドイツ3月革命で、自由主義新憲法の制定をめぐるこの革命の失敗からシュティフターは人間性への失意を深め、教育の重要性を痛感するようになる。
「石さまざま」序文でシュティフターは自分の思想信条を述べ、世界は「穏やかな法則」によって動いている、としている。シュティフター作品自体が平凡な市民の日常の些細な事件を抑えた筆致で描いたもので、生前は賛否両論かまびすしかった。確かに反ドラマ性ではシュティフターほど徹底した小説家は当時も現在もいない。
ニーチェ、のちにはトーマス・マンの賞賛がシュティフターを19世紀最高のドイツ語圈作家に押し上げた。大作「晩夏」1857で生涯の最高傑作を書き上げたあとシュティフターはガンを病い、遺作「ヴィティコー」1867完成の翌年自刃して亡くなる。主義通り静謐な生活を貫いたこの作家にとって、喉を剃刀で切り裂いたこの最期は唯一の激しい行為だっただろう。
「水晶」はシュティフター作品の美点が十分に発揮され、かつ欠点として指摘されがちなドラマ性の欠如もほどよく盛り込まれている点で、誰にでも親しめる作品といえる。19世紀ドイツ短篇小説の珠玉。これがドイツ長篇小説の金字塔「晩夏」となると900ページの日常生活が延々と続く。おいそれとはお薦めできないが、シュティフターの名前は「水晶」と「晩夏」と共に記憶されるだろう。
クリスマス・イヴ、幼い兄妹が山を越えておじいちゃん・おばあちゃんにママの料理を届けに行く。帰りに兄妹は吹雪に遭い洞窟で一夜を明かす。おばあちゃんが持たせてくれたポットのコーヒーが兄妹を暖める。クリスマスの朝、捜しに来た大人たちが元気な兄妹を見つける。
それだけの話だ。ぼくは2007年、真夏の獄中で初めて読んだ。
今年のクリスマスも教会に行かずに終るだろうか、と思いながらこの記事を再録した。