ガン The Gun - 悪魔天国 Gun (CBS, 1968) Full Album : https://youtu.be/q5hP0G-7zaM
Recorded in Spring 1968
Released by CBS Records CBS - S 63552, 1968
Front Cover Illustration by Martyn (Rob) Dean
All Songs composed by Adrian Curtis, Lyrics by Jimmy Persons
Musical arrangement by Paul Roberts
(Side 1)
A1. 悪魔天国 Race With The Devil - 3:40
A2. 悲しい物語 The Sad Saga Of The Boy And The Bee - 4:15
A3. ルーパーツ・トラヴェルス Rupert's Travels - 2:30
A4. イエロー・キャブ・マン Yellow Cab Man - 4:50
A5. イット・ウォント・ビー・ロング It Won't Be Long (Heartbeat) - 4:30
(Side 2)
B1. サンシャイン Sunshine - 3:30
B2. ラット・レース Rat Race - 5:30
B3. テイク・オフ Take Off - 12:30
[ The Gun ]
Paul Curtis (Gurvitz) - bass, vocal
Louie Farrell - drums
Adrian Curtis (Gurvitz) - guitar
ザ・ガンはイギリスの純正ハード・ロックの草分け的なバンドで、1967年にポール・カーティス(本姓ガーヴィッツ、1944-)とルイス・ファレル(1947-)を含むギター、オルガン、ベース、ドラムスの4人編成バンドとして活動を始めました。ピンク・フロイドやイエスの前座バンドとして知名度を上げ、1967年11月にはBBCの実況番組にラジオ出演しています。1968年にポールの弟エイドリアン・カーティス(本姓ガーヴィッツ、1949-)がリード・ギターで加入しポールはギターからベースに転向、このカーティス(ガーヴィッツ)兄弟とファレルがデビュー・アルバム『悪魔天国 Gun』1968のメンバーになりました。CBSレコーズの方針によるストリングス過剰なアレンジは大仰で時代を感じますが、英語圏の国々でヒットチャートを総ナメにしたシングルA1『悪魔天国』はハード・ロックがブルース・ロックと分化していなかった1968年には画期的に非ブルース的発想から生まれたハード・ロックで、ジミ・ヘンドリックスが1970年8月のワイト島フェスティヴァルで自作曲「Machine Gun」のアドリブで引用し、ベドラム結成直前のコージー・パウエルがインスト・カヴァーして再び大ヒットさせ、ジューダス・プリーストの『背信の門』1977のアルバム未収録曲となり(CDでボーナス収録)、女性メタル・バンドのガールスクールがデビュー・アルバム『Demolition』1980でカヴァーするなど知る人ぞ知るメタル・クラシックとなりました。アマチュア時代のヴァン・ヘイレンやメタリカはバッジーのコピーをよくやっていたと言いますから、バッジーより早くバッジーと同傾向のソリッドなリフ・チューンをやっていたガンのこの曲なども演っていたに違いないと思わせられます。ガンの先駆性はブルース色皆無な音楽性にあり、同じCBSから1970年にデビューし天才ギター少年ゲイリー・ムーアを擁したハード・ロック・トリオ、スキッド・ロウすらブルース・ロックの延長上にあるハード・ロックにとどまったのです。ガンの画期性も後年の過小評価もブルース・ロックの下地がまったく欠如していることによるのは皮肉なことでした。翌年のセカンド・アルバムでドラマーは後にT2に加入するピーター・ダントンに交代。T2は伝説的ハード・ロック・トリオでやはりガンに似た非ブルース・ロック系の音楽性でした。
*
(Original CBS Records "Gun" LP Liner Cover & Side 1 Label)
ガンはアメリカン・ロック寄りに変化したセカンド・アルバムで終わりましたが、カーティス改めガーヴィッツ兄弟はしぶとく、1971年にはやはりトリオ編成のスリー・マン・アーミーで再デビューします。音楽性はずばりガンの続きで、途中エイドリアンがブライアン・パリッシュ(キーボード、ヴォーカル)とのポップ・デュオ作『パリッシュ&ガーヴィッツ』も出しながら、元ジェフ・ベック・グループ~メイ・ブリッツのドラマー、トニー・ニューマン(のちデヴィッド・ボウイ・バンド、ボクサー、Tレックス、ホワイトスネイク)を迎えた1973年の第2作、第3作までふんばるもセールス的には成功せず解散。カーティス(ガーヴィッツ)兄弟はムーディ・ブルースのドラマー、グレアム・エッジ・バンドに起用され1974年前半を乗り切り、同年後半から1976年までは元クリームのドラマー、ジンジャー・ベイカーに起用されベイカー・ガーヴィッツ・アーミーで活動、3枚のアルバムを残します。1977年にはグレアム・エッジ・バンドのセカンド・アルバムに参加。そしてCBS傘下でELOのレーベルJetからアルバム『Sweet Vendetta』1979でソロ・デビユーしたエイドリアン・ガーヴィッツはロサンゼルスのTOTOのメンバーをバックに(兄ポールも参加しますが)流行のAORシンガー・ソングライターに変貌していました。翌80年の『Il Assassino』も同一路線でこれらは日本でもプロモーション展開されたのでエイドリアン・ガーヴィッツというと『悪魔天国』のガンの、という人とAORシンガーの、という人と、全然知らない大多数の人に分かれるのです。その後エイドリアンはアメリカのロック界で裏方職業ソングライターになって多数のヒットを出し、映画『ボディーガード』のサントラを担当して大ヒットさせました。最近では提供ヒット曲のセルフカヴァー、たまにガンやスリー・マン・アーミーの一時的再結成ライヴなど悠々自適の音楽活動を続けているようです。しかしエイドリアン・ガーヴィッツ生涯の1曲といえば、やはり『悪魔天国』に尽きるのではないでしょうか。
Recorded in Spring 1968
Released by CBS Records CBS - S 63552, 1968
Front Cover Illustration by Martyn (Rob) Dean
All Songs composed by Adrian Curtis, Lyrics by Jimmy Persons
Musical arrangement by Paul Roberts
(Side 1)
A1. 悪魔天国 Race With The Devil - 3:40
A2. 悲しい物語 The Sad Saga Of The Boy And The Bee - 4:15
A3. ルーパーツ・トラヴェルス Rupert's Travels - 2:30
A4. イエロー・キャブ・マン Yellow Cab Man - 4:50
A5. イット・ウォント・ビー・ロング It Won't Be Long (Heartbeat) - 4:30
(Side 2)
B1. サンシャイン Sunshine - 3:30
B2. ラット・レース Rat Race - 5:30
B3. テイク・オフ Take Off - 12:30
[ The Gun ]
Paul Curtis (Gurvitz) - bass, vocal
Louie Farrell - drums
Adrian Curtis (Gurvitz) - guitar
ザ・ガンはイギリスの純正ハード・ロックの草分け的なバンドで、1967年にポール・カーティス(本姓ガーヴィッツ、1944-)とルイス・ファレル(1947-)を含むギター、オルガン、ベース、ドラムスの4人編成バンドとして活動を始めました。ピンク・フロイドやイエスの前座バンドとして知名度を上げ、1967年11月にはBBCの実況番組にラジオ出演しています。1968年にポールの弟エイドリアン・カーティス(本姓ガーヴィッツ、1949-)がリード・ギターで加入しポールはギターからベースに転向、このカーティス(ガーヴィッツ)兄弟とファレルがデビュー・アルバム『悪魔天国 Gun』1968のメンバーになりました。CBSレコーズの方針によるストリングス過剰なアレンジは大仰で時代を感じますが、英語圏の国々でヒットチャートを総ナメにしたシングルA1『悪魔天国』はハード・ロックがブルース・ロックと分化していなかった1968年には画期的に非ブルース的発想から生まれたハード・ロックで、ジミ・ヘンドリックスが1970年8月のワイト島フェスティヴァルで自作曲「Machine Gun」のアドリブで引用し、ベドラム結成直前のコージー・パウエルがインスト・カヴァーして再び大ヒットさせ、ジューダス・プリーストの『背信の門』1977のアルバム未収録曲となり(CDでボーナス収録)、女性メタル・バンドのガールスクールがデビュー・アルバム『Demolition』1980でカヴァーするなど知る人ぞ知るメタル・クラシックとなりました。アマチュア時代のヴァン・ヘイレンやメタリカはバッジーのコピーをよくやっていたと言いますから、バッジーより早くバッジーと同傾向のソリッドなリフ・チューンをやっていたガンのこの曲なども演っていたに違いないと思わせられます。ガンの先駆性はブルース色皆無な音楽性にあり、同じCBSから1970年にデビューし天才ギター少年ゲイリー・ムーアを擁したハード・ロック・トリオ、スキッド・ロウすらブルース・ロックの延長上にあるハード・ロックにとどまったのです。ガンの画期性も後年の過小評価もブルース・ロックの下地がまったく欠如していることによるのは皮肉なことでした。翌年のセカンド・アルバムでドラマーは後にT2に加入するピーター・ダントンに交代。T2は伝説的ハード・ロック・トリオでやはりガンに似た非ブルース・ロック系の音楽性でした。
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(Original CBS Records "Gun" LP Liner Cover & Side 1 Label)
ガンはアメリカン・ロック寄りに変化したセカンド・アルバムで終わりましたが、カーティス改めガーヴィッツ兄弟はしぶとく、1971年にはやはりトリオ編成のスリー・マン・アーミーで再デビューします。音楽性はずばりガンの続きで、途中エイドリアンがブライアン・パリッシュ(キーボード、ヴォーカル)とのポップ・デュオ作『パリッシュ&ガーヴィッツ』も出しながら、元ジェフ・ベック・グループ~メイ・ブリッツのドラマー、トニー・ニューマン(のちデヴィッド・ボウイ・バンド、ボクサー、Tレックス、ホワイトスネイク)を迎えた1973年の第2作、第3作までふんばるもセールス的には成功せず解散。カーティス(ガーヴィッツ)兄弟はムーディ・ブルースのドラマー、グレアム・エッジ・バンドに起用され1974年前半を乗り切り、同年後半から1976年までは元クリームのドラマー、ジンジャー・ベイカーに起用されベイカー・ガーヴィッツ・アーミーで活動、3枚のアルバムを残します。1977年にはグレアム・エッジ・バンドのセカンド・アルバムに参加。そしてCBS傘下でELOのレーベルJetからアルバム『Sweet Vendetta』1979でソロ・デビユーしたエイドリアン・ガーヴィッツはロサンゼルスのTOTOのメンバーをバックに(兄ポールも参加しますが)流行のAORシンガー・ソングライターに変貌していました。翌80年の『Il Assassino』も同一路線でこれらは日本でもプロモーション展開されたのでエイドリアン・ガーヴィッツというと『悪魔天国』のガンの、という人とAORシンガーの、という人と、全然知らない大多数の人に分かれるのです。その後エイドリアンはアメリカのロック界で裏方職業ソングライターになって多数のヒットを出し、映画『ボディーガード』のサントラを担当して大ヒットさせました。最近では提供ヒット曲のセルフカヴァー、たまにガンやスリー・マン・アーミーの一時的再結成ライヴなど悠々自適の音楽活動を続けているようです。しかしエイドリアン・ガーヴィッツ生涯の1曲といえば、やはり『悪魔天国』に尽きるのではないでしょうか。