フリッツ・ラングは1934年にMGMに招かれハリウッドに渡りますが、ドイツ本国でトーキー第1作『M』1931、トーキー第2作『怪人マブゼ博士』1932の後にはフランスを往復し、1934年公開のフランス映画『リリオム』を監督します。ヒトラーによるナチス政権の成立は1933年でしたからユダヤ系の家系のラングには自発的に亡命する理由は十分にありましたが、時代はまだ弾圧を受けるほどの時勢ではありませんでした。ラングにとっては事情は10年来のパートナーでシナリオ共作者の夫人テア・フォン・ハルボウと1932年に離婚した方が大きく、またこの時代には主にドイツ映画界の不況からハリウッドに渡る映画人も多かったので、ラングも監督職の需要から政治情勢に先んじてアメリカの映画監督になったのです。渡米第1作『激怒』1936までにラングの初期トーキー作品はドイツでの『M』『怪人マブゼ博士』、フランスでの『リリオム』の3作しかありませんが、これらトーキー初期のラング作品にもラング作品の白眉と言える名作を見出せて、それはサイレント時代のラング作品にはなかった方向性を確かに打ち出したものでした。しかもラングはこれら3作の後さらに25本の映画を作るのです。
●5月14日(日)
『M』M (独ネロ'31)*109mins, B/W
●5月15日(月)
『怪人マブゼ博士』Das Testament des Dr. Mabuse (独ネロ'33)*122mins, B/W
●5月16日(火)
『リリオム』Liliom (仏SAFフォックス'34)*116mins, B/W
●5月14日(日)
『M』M (独ネロ'31)*109mins, B/W
●5月15日(月)
『怪人マブゼ博士』Das Testament des Dr. Mabuse (独ネロ'33)*122mins, B/W
●5月16日(火)
『リリオム』Liliom (仏SAFフォックス'34)*116mins, B/W