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現代詩の起源(9); 尾形龜之助『雨になる朝』(i)

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尾形龜之助(1900.12.12-1942.12.2)/大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に参加の頃。

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 仙台生まれの詩人・尾形龜之助は明治33年(1900年)生まれ。大正10年(1921年)大学を落第、その後すぐに最初の結婚と上京、裕福な実家からの経済的支援を受けながらボヘミアン生活を送り、前衛美術運動への参加を経て詩作に転じ、大正14年11月に第1詩集『色ガラスの街』を自費出版して草野心平、高村光太郎の知遇を得ます。最初の結婚で1男1女を得ましたが昭和3年(1928年)に離婚、翌年第2詩集『雨になる朝』を刊行、詩人仲間の女性と2人目の結婚をしましたが昭和5年(1930年)頃から餓死自殺をしきりに吹聴し、同年8月に第3詩集『障子のある家』刊行とともに家財道具一切を処分して年末まで放浪。この第3詩集が実質的に詩との訣別になりました。翌年にはほとんどの詩人仲間と交際を絶ち、昭和7年(1932年)からは仙台の実家所有の借家に陰棲します。
 昭和11年(1936年)までに2人目の夫人との間に3男1女を得ましたが実家の財政悪化から37歳にして初めて市役所税務課の臨時雇のサラリーマン生活を送ります。昭和16年(1941年)までには夫人の3回におよぶ出奔、また喘息、腎臓炎など数々の持病の悪化に悩まされ、実家は膨大な借財を抱え込んでいました。昭和17年(1942年)、尾形は持家を売却し単身下宿生活に入りますが、喘息の悪化から摂食障害に陥り、喘息と栄養失調と全身衰弱から孤独死したのは12月2日と推定されています。

 尾形は日本の現代詩史的には大正末~昭和初頭のダダイズムの詩人と位置づけられていますが、典型的なダダイズム詩人とされる高橋新吉や萩原恭次郎でもなければダダイズムを先取りしたとされる山村暮鳥、宮澤賢治、ダダイズムとの直接・間接的な類縁が草野心平、中原中也、逸見猶吉らの誰とも似ない風格があります。解説めいたご紹介は次回以降にして、全48編が収められた第2詩集『雨になる朝』を12編ずつ、4回に渡ってご紹介します。この詩集は、先に詩人本人の肉声が聞ける「後記」をご覧いただくと入っていきやすいと思います。

後記
 こゝに集めた詩篇は四五篇をのぞく他は一昨年の作品なので、今になつてみるとなんとなく古くさい。去年は二三篇しか詩作をしなかつた。大正十四年の末に詩集「色ガラスの街」を出してから四年経つてゐる。
 この集は去年の春に出版される筈であつた。これらの詩篇は今はもう私の掌から失くなつてしまつてゐる。どつちかといふと、厭はしい思ひでこの詩集を出版する。私には他によい思案がない。で、この集をこと新らしく批評などをせずに、これはこのまゝそつと眠らして置いてほしい。

第2詩集『雨になる朝』昭和4年(1929年)5月20日・誠志堂書店刊/著者自装・ノート判54頁・定価一円。

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雨になる朝

尾形龜之助

この集を過ぎ去りし頃の人々へおくる

  二月・冬日

 二月

 子供が泣いてゐると思つたのが、眼がさめると鶏の聲なのであつた。
 とうに朝は過ぎて、しんとした太陽が青い空に出てゐた。少しばかりの風に檜葉がゆれてゐた。大きな猫が屋根のひさしを通つて行つた。
 二度目に猫が通るとき私は寢ころんでゐた。
 空氣銃を持つた大人が垣のそとへ来て雀をうつたがあたらなかつた。
 穴のあいた靴下をはいて、旗をもつて子供が外から歸つて来た。そして、部屋の中が暗いので私の顔を冷めたい手でなでた。

 冬日

 久しぶりで髪をつんだ。晝の空は晴れて青かつた。
 炭屋が炭をもつて來た。雀が鳴いてゐた。便通がありさうになつた。
 暗くなりかけて電灯が何處からか部屋に來てついた。
 宵の中からさかんに鶏が啼いてゐる。足が冷めたい。風は夜になつて消えてしまつた、箪笥の上に置時計がのつてゐる。障子に穴があいてゐる。火鉢に炭をついで、その前に私は坐つてゐる。
           千九百二十九年三月記


 十一月の街

街が低くくぼんで夕陽が溜つてゐる

遠く西方に黒い富士山がある


 

街からの歸りに
花屋の店で私は花を買つてゐた

花屋は美しかつた

私は原の端を通つて手に赤い花を持つて家へ歸つた


 雨になる朝

今朝は遠くまで曇つて
鶏と蟋蟀が鳴いてゐる

野砲隊のラツパと
鳥の鳴き聲が空の同じところから聞えてくる

庭の隅の隣りの物干に女の着物がかゝつてゐる


 坐つて見てゐる

青い空に白い雲が浮いてゐる
蝉が啼いてゐる

風が吹いてゐない

湯屋の屋根と煙突と蝶
葉のうすれた梅の木

あかくなつた畳
昼飯の佗しい匂ひ

豆腐屋を呼びとめたのはどこの家か
豆腐屋のラツパは黄色いか

生垣を出て行く若い女がある


  落日

ぽつねんとテーブルにもたれて煙草をのんでゐる

部屋のすみに菊の黄色が浮んでゐる


 晝寝が夢を置いていつた

原には晝顔が咲いてゐる

原には斜に陽ざしが落ちる

森の中に
目白が鳴いてゐた

私は
そこらを歩いて歸つた


 小さな庭

もはや夕暮れ近い頃である
一日中雨が降つてゐた

泣いてゐる松の木であつた


 初夏一週間(戀愛後記)

つよい風が吹いて一面に空が曇つてゐる
私はこんな日の海の色を知つてゐる

齒の痛みがこめかみの上まで這ふやうに疼いてゐる

私に死を誘ふのは活動写真の波を切つて進んでゐる汽船である
夕暮のやうな色である

×

昨日は窓の下に紫陽花を植ゑ 一日晴れてゐた


 原の端の路

夕陽がさして
空が低く降りてゐた

枯草の原つぱに子供の群がゐた
見てゐると――
その中に一人鬼がゐる


 十二月の晝

飛行船が低い

湯屋の煙突は動かない

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