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現代詩の起源(8); 近藤東『抒情詩娘』(iii)

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近藤東(1904.6.24.-1988.10.23.)/創元社『全詩集大成?現代日本詩人全集15』(昭和30年=1955年10月刊)著者近影より

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 今回ご紹介する巻末の8編で詩集『抒情詩娘』は全編になります。実は4回に分けてご紹介するつもりを、第1回目に代表作「レエニンノ月夜」(詩集8編目)までご紹介したく進めてしまったので全3回で終わることになってしまいました。詩集自体が短詩ばかりで収録詩編が少ないもあり、もともと見返しを除く本文は24ページ(横長で1ページ1編)という小冊子です。詩誌発表時のタイトルを抹消し、全24編すべてを無題の「★」で統一したのは詩編単位の作品的な完結性を否定したとまでは言えないまでも詩編ごとの主題を打ち消したものとも言え、詩集のタイトルもまた最初からイロニーの効果を狙ったものです。『抒情詩娘』というタイトルで抒情詩の詩集を出す詩人はあり得ませんが、『抒情詩娘』というタイトルで抒情詩のパロディを試みることはできるので、近藤東の発想は伊東静雄の『わがひとに與ふる哀歌』に近いでしょう。同時代の詩人では抜群に優れた天性を持った中原中也や逸見猶吉がいたにもかかわらず、中原や逸見には終生ロマン主義や象徴主義への本質的な懐疑はなかったのと対照をなすのが『抒情詩娘』や『わがひとに與ふる哀歌』です。もちろんすべての詩の成り立ちに疑いがなければならないわけではありませんが、近藤や伊東は詩を疑い、また詩人である自分を疑いながら詩作し詩集を編んだのに対し、中原や逸見は世界を疑う根本に自分自身への確信、詩への確信がありました。

 ここで逆転現象が起きるのが詩と現実世界との関係で、中原や逸見の場合には現実は抽象的にイデア化されて把握されてしまうのに対し、近藤や伊東の詩は一見きわめて人工的に見えながら、現実との抵抗感をもって世界の実在を具体化していることです。近藤東は発表後20年あまり経った昭和25年(1950年)に「レエニンノ月夜」を自作自解していますが(『詩の教室-詩作ノート(上)』新日本詩人刊行会)、そこでは自作を平がな・ゴシック体なし・略字体に改めています。『抒情詩娘』版と自作自解版を並記してみましょう。

 レエニンノ月夜(『抒情詩娘』版)

橋カラノ下リ勾配。黄包車(ワンポツオ)ハ西瓜ノ種ダ。西瓜ノ種ハコムニストデハナイ。

黄浦江ノ靄ハ拳銃ヲ亂射シタ。ソヴイエエト領事館ノ窓ガ無數二散ツテ光ツタ。空色ノ軍艦ガ水兵ヲ吐瀉シタ。陸戦隊。透明ナ哨兵ハ一着ノ黄合羽(エロウスリツカア)デアル。

ボクハ月夜ヲ感ジタ。月夜ヲ。レエニンノ月夜ヲ。寝台(ベツド)ノ中デ。女ハ白系ロシアノ食用薔薇。女ハ機関車ノヤウニオシカカツテ來タ。ボクハ轢死スル。

 レーニンの月夜(自作自解版)

橋からの下り勾配。黄包車(わんぽつお)は西瓜の種だ。西瓜の種はコムニストではない。

黄浦江の靄(もや)は拳銃を乱射した。ソビエト領事館の窓が無数に散つて光つた。空色の軍艦が水兵を吐瀉した。陸戦隊。透明な哨兵は一着の黄合羽(エロウ・スリツカア)である。

ぼくは月夜を感じた。月夜を。レーニンの月夜を。寝台ノ中で。女は白系ロシアの食用薔薇。女は機関車のようにおしかかつて来た。ぼくは轢死する。

 もともとこの詩は懸賞詩当選の時点ではカタカナ表記ではなく、『抒情詩娘』収録に当たって他の収録詩編ともどもカタカナに統一されたそうですから、カタカナ版は無題の「★」ということになります。下り勾配は上海のゲートを指し、黄包車と呼ばれる人力車には人々が吐き出された西瓜の種のように群がる。だが比喩表現ではない現実の西瓜の種は「コムニストではない」。つまりこの詩は比喩表現として用いられた語句が一転して具体物を示す構造が冒頭から提示されており、平がな表記では文法からその区別は読み取りやすいでしょう。ところがカタカナ表記では文法の読み取りが困難になり、単語単位の判別から読み進むので叙述の次元が比喩か現実かまで注意が向かなくなってきます。その点で同じカタカナ表記の手法でも逸見猶吉は攻撃的・破壊的な効果を狙ったもので、意図的に喩法の次元の混乱をカタカナ表記から生み出した近藤とは発想がまったく異なります。逸見と近藤の違いを、萩原朔太郎の『月に吠える』と山村暮鳥の『聖三稜玻璃』の喩法の差に例えてもいいでしょう。
 総合的な優劣とは別に、『抒情詩娘』が同時代の、より優れた詩集に勝る方法意識があるのは、おおむね上記の点に依ります。軽佻浮薄を絵に描いたような無内容な詩集、という評価は刊行当時すでにありましたし、それなら『聖三稜玻璃』もさらに悪評で迎えられた詩集でした。それよりも読み手の側にどれだけ汲み取ることができるかで詩集の価値は上がりも下がりもします。『抒情詩娘』の真価はまだ十分に読み込まれているとは言えないのです。

『詩集?抒情詩娘』昭和7年=1932年11月1日・ボン書房刊(袖珍判本文24頁・限定200部・定価20錢)

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近藤東自筆原稿「レエニンノ月夜」

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<アタシ? イマ? オセンダクシテタノヨオ>
バケツノ水ガ海ニナリタガツテヰル。

少女ガキモノヲ脱グト化粧鏡ノ中ニ雲ガ浮イタ。少女ハ手套(テブクロ)ノヤウニピツチリト水着ヲツケテヰル。アシノウラガクスグツタガル。

少女ハデンワノ受話器ヲモツタママ眠ツタ夢ヲ見タ。ソノ夢ヲオモヒダシシテアカイ顔ヲスル。少女ノ絹布製ノ天幕ノ入口ヲ右手ノステツキデ撥ネテクグルトボクハ三倍モ明ルイ一列ノ白イ丘丘ヲパノラマシタ。シカシ既ニ少女ハ答ガナカツタ。

(原題「少女」昭和6年=1931年9月「詩と詩論」)

 

ボクラハ古風ナ辻馬車ヲ拾ツタ。馬車ハ銅貨ノヤウニ日向ノ街角ヲ廻ツタ。

レモン型ノフツト・ボオルガ昼ノ月ノヤウニ空ニ飛ンデヰタ。日本人チイムガ失敗ヲツヅケテヰタ。ポロ・グラウンドノ競技場旗ガ風ヲ彩色シテヰタ。ボクラハ出來ルダケエキサイテイングニ唄ヲ唄ツタ。

女ハ祖國ノ政府ヲ軽蔑スルタメニ白イリボンヲ頸ニ捲イテヰタ。ボクラハ溶解シナイ思想ノタメニ別離ヲ決心シタ。眼ノ中デ魚(サカナ)ガ泳イダ。エレヴエイタア・ロビイニハスバラシイ大理石ガ張ツテアツタ。ボクハ辷ル足モトヲ氣ニシナガラナガイナガイ最後ノ抱擁ヲシタ。

(原題「朝」昭和6年=1931年6月「詩と詩論」。再録詩集では前半2連に1連を足して「朝」、最終連を独立させ「白イリボン」と改題)

 

アノマダムハ瞳(メ)ニマデ白粉(オシロイ)ヲツケテヰル!

(詩集初出・再録詩集なし)

 

新婦ノ右ノ眼ハ義眼デアツタ。ソレ故新婦ノ右ノ眼ハ無思想デアツタ。ソレデモ新婦ノ左ノ眼ハ彗星ヲ嫉妬シタ。彗星ヲ。

新婦ハ一ツノ郊外撞球場ノゲイム採リデアツタ。新婦ハ東日本ノ淫賣婦デアル。

新婦ハ今宵クララノヤウニ結婚シタ。ボクノ花礫ハ三片ノ銅貨デアル。花礫ガ頬ペタニ痛イダラウ。花礫ガ頬ペタニ痛イダラウ。

(原題「新婦」昭和4年=1931年12月「詩と詩論」)

 

天使ガ最初ニ出會ツタノハ、ユタカナ鳳梨ノ實デアツタ。鳳梨ノ實ヲ甜メテヰルニグロノ女デアツタ。

ニグロノ女ハ鳳梨ノヤウナ乳房ヲフサフサト波ウタセテ、皓イ齒デ笑ツタ。

部厚イ彼女ノ表皮ノ上ニ灣ガアル。浅瀬ガ快適ニ温(ヌル)マツテヰタ。

天使ハ鳳梨ノ實ヲ甜メテ、ソノ酸味ニ眉ヲヒソメナガラ、蒼然ト墮落シテ行ツタ。

(原題「ニグロ」昭和6年=1931年9月「詩と詩論」)

 

ヲンナノ髪ニ昨夜ノ新月ガ引懸ツテトレナイ。
ヲンナノ腋毛ハ飴色ノ腋毛ダ。

窓ノ港ニハ白イパイロツト・ボオトガ揺レテヰタ。
フタリハ急ニ悲シクナツタ。

日本ノ軍艦ガ遡航シテ入港シタ。午後三時。
--トウトウ驅逐艦デ追ツカケテ來タワヨ。

(原題「逃亡」昭和4年=1931年5月「改造」。懸賞詩一等当選作「レエニンノ月夜」と同時掲載)

 

橋。少女。少女ハ掌ヲサシノベル。晴天ノ下ニ。
少女ハボクニ戀ヲシテヰル。ボクハ少女ヘノ口説ヲ知ラナイ。白クマロカナ掌ヲ散歩スルノミデアル。

白クマロカナ掌ハ春メイテヰタ。
白クマロカナ掌ハ外光ヲ反射シテヰタ。
白クマロカナ掌ニボクハ彼女ノ持ツスロオプヲ測量シテヰタ。

白クマロカナ掌ニ一點ノ陰影ガ移行スル。見上ゲレバ一隻ノ航空船ガカナシゲニ游イデヰタ。ボクヲサゲスンデ游イデヰタ。

(原題「掌」昭和6年=1931年6月「詩と詩論」)

 

ヲンナハ踊子デアツタ。生姜色ノ皮膚ヲシテヰタ。スカアトヲ展イテ足止(トウ)デ立ツトボクノ右肩ノアタリデ一本ノ海濱日傘ガボクヲシエイドスル。ボクノユビハハダシニナツテ砂ヲフミハジメル。タイプライタアキイノ上デ。

(原題「夏の唄」昭和6年=1931年9月「詩と詩論」)

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