引き続き毎日二本(2枚)立てのDVD鑑賞感想文です。この辺はそれこそ中学生の頃にテレビ放映の吹き替え・編集版で最初に観たものが多く、テレビの2時間枠にもともと2時間の映画を収めると民放の場合CM分で90分強の尺に短縮されるわけで、さらに1時間半枠の場合は70分弱まで短縮されることになり、まさかよと思いますがゴダールの『メイド・イン・USA』もベルイマンの『恥』もアントニオーニの『砂丘』もスコリモフスキーの『早春』もホッパーの『イージー・ライダー』もモンテ・ヘルマンの『断絶』も最初に観たのは日本語吹き替えの短縮版70分ヴァージョンでした。基本的にはストーリーの大筋は残して枝葉を切った編集でしたが、ルビッチの『ニノチカ』などはこれぞ名場面というべきシーン3箇所がまるごとカット、ジョセフ・ロージーの『秘密の儀式』などは映画の前半70分のみ放映して後半まるごとカット、というとんでもないテレビ放映ヴァージョンもありました。しかしサイレントの昔から映画のカットや再編集は当たり前で、映画ほど資本のかかる産物はスタッフなりキャストなり誰か1人の占有物ではなく手渡されるごとに形を変えていく宿命もあり(オリジナル版復原版の意義もそこから来ます)、他の分野よりも複合的・集団製作的なメディア性があったからこそ映画は20世紀を代表する新興創作ジャンルとして隆盛を究めたのかもしれません。--と、もっともらしい前置きはこの辺で。今回はほぼ前作1930年代~1950年代のハリウッド映画を観ることにしました。有名作品ばかりです。
11月11日(金)ヒッチコック×ジョーン・フォンテイン
●アルフレッド・ヒッチコック『レベッカ』(アメリカ'40)*130mins, B/W
・男寡夫の貴族で富豪の紳士に突然見初められた庶民の少女。使用人には見下され、前妻の死には秘密があり……とまるっきり『ジェーン・エア』通俗版の原作小説の映画化だが(『テス』と『東への道』のようなもの)、怪優揃いの助演陣が楽しい。ヒッチコックのハリウッド進出第1作で会社企画の原作らしく音楽がくどいが、回想形式で女性視線のドラマを作っても語り口に無理がなく快適に観られる上手さに惚れぼれする。ヒロインのナレーションが印象的だけに、これはオリジナル音声版が重要。観直して女性映画としての巧さに改めて感心し、意外なほど40年代アメリカ映画全般への影響力が大きい(メインストリームからフィルム・ノワールまで)のが印象的でした。
●アルフレッド・ヒッチコック『断崖』(アメリカ'41)*99mins, B/W
・ヒッチコック自身はフォンテインを「ただの人形」と高く買わなかったそうだが、うさんくさい遊び人のケーリー・グラントと偶然の出会いで結婚してしまう気の弱いおぼこ娘は『レベッカ』同様はまり役。『レベッカ』も本作も監督始めスタッフ一堂フォンテインに冷たく接してオドオド演技を引き出したらしい。しかし本作の後味の悪さはカルト映画の域に達してはいないか。辻褄だけは無理矢理合わせているだけになおのこと。ケーリー・グラントはキャプラやホークスの映画と同じ口八丁手八丁のキャラクターで可笑しいったらない。実は真相は……と煙に巻いたまま終わってしまう、意地の悪い怪作。観直すと多分に底が割れてるが、こういう変な映画も得意でヒットさせているのが喰えない巨匠ヒッチコックの面白さ。
11月12日(土)ブロンテ姉妹映画二本立て
●ウィリアム・ワイラー『嵐が丘』(アメリカ'39)*105mins, B/W
・後にルイス・ブニュエル、ジャック・リヴェット、吉田喜重も同原作の怪作を作るが、ローレンス・オリヴィエ主演の本作は二部構成の重厚な原作を上手く再構成したシナリオで短めにテンポ良く仕上げて模範的な出来。プロデューサーのセルズニックの作品と言われるそうだが、1時間45分で控えめにまとめたのは演出の冴えあってこそだろう。ジョージ・キューカーほどにも作家主義的評価がされず過去の優等生的大家と見られがちなワイラーだが、やはり腕前は大したもの。オーソン・ウェルズ『市民ケーン』の専売特許みたいに言われているパン・フォーカスやロー・アングル撮影もヒッチコックやワイラー(溝口健二にも)に先駆的な用例があるのがわかる。ちなみに、『嵐が丘』はヒロインの存在感はもともとない(幽霊だし)話で、ブロンテ姉妹原作の文学的評価はともかく、映画化ならば原作の優劣は関係なくなる。同じ『嵐が丘』でも監督ごとに違いは大きく、ブニュエル版が一番壮絶でした。
●ロバート・スティーヴンソン『ジェーン・エア』(アメリカ'44)*96mins, B/W
・同原作は妹の『嵐が丘』よりリーダブルなので、これが3度目の再映画化らしい。スティーヴンソンも穏健な実力派だが、オーソン・ウェルズとジョーン・フォンテイン主演で力作を作った。『ジェーン・エア』も『嵐が丘』も原作は大冊だが、映画はむしろ短めに一気に観せる構成なのが潔い。ウェルズとフォンテインも良い意味無理のない好演。というか、ここまでウェルズの存在感がでかいと嫌でも推進力がある。これもヒッチコックの『レベッカ』を演出上の雛型にしているのは間違いない。ヒッチコックやワイラーと較べると、スティーヴンソンは名前も似ているジョージ・スティーヴンス同様演出にムラがあるのは仕方ないかな。
11月13日(日)オーソン・ウェルズ×ジョセフ・コットン
●オーソン・ウェルズ『市民ケーン』(アメリカ'41)*119mins, B/W
・日本公開1966年。アメリカ的「成功」に頂点近くまでのしあがった男(ウェルズ自身主演)が私生活の破綻から精神的荒廃に至る様を当時25歳のウェルズが監督・脚本・主演で堂々と描く。コットンは中心視点人物役。あまりにアメリカ的テーマだし何度も観て食傷気味でもあるが、細部まで凝りに凝った技法が迷宮的な酩酊感すら起こさせる。製作前年の『レベッカ』の影響が早くも現れているのが当時の映画の技術革新事情を示して興味深い。天才青年が頭でこしらえた初老までの人生観、社会観でしかない面はぬぐえないが、映像的把握の確かさは暴力的なほど圧巻。何だかんだ言っても、エイゼンシュタインやゴダールの作品のようにこれほどの傑作となると観るたびに印象が変わるので断定的には語れないです。
●オーソン・ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』(アメリカ'42)*88mins, B/W
・グリフィスに生前本作を観て欲しかった(絶対観なかっただろうけど)。19世紀末~20世紀初頭にかけて孫の代で没落してしまう名家の三代記で、アメリカ版『ブッデンブローク家の人々』というあたりか。本作はウェルズは出演せず(ナレーション担当)、コットンは前作同様主要視点人物役。130分のオリジナルを配給会社が88分に短縮したヴァージョンしか残っていないが、この88分の密度がすごい!第1作『市民ケーン』でやり残した課題を第2作で完璧にフォローし、スケールもはるかに大きい。作風はグッと渋くていわば純文学的だから一般受けは難しいタイプの映画だろうと思わせてしまうのが唯一の弱みだし、『市民ケーン』と合わせて1本として観なければ40分あまりの短縮は補えない観もあるが、この作風を継いだのがストローブ&ユイレ夫妻の映画になるのかも。
●キャロル・リード『第三の男』(イギリス'49)*105mins, B/W
・コットンと役者ウェルズの共演というとこのイギリス映画が断トツに知名度が高いが、二度観ない方がいい映画の典型。敗戦直後のオーストラリアの違法薬品闇商人、という題材はもっと生かせたはずで、有名シーンてんこ盛りなのに知っていて観ると画面に全然緊張感がない。アイディアだけあって演出の力不足を感じさせ、コットンとウェルズは好演なだけに、これならウェルズに監督させれば『ザ・ストレンジャー』(ウェルズ作品'46)くらいの出来になったろうにと思えてくる。もっともウェルズの天才は才能(成長性)よりも資質(本来性)だったから、成否のほどはわからない。
11月14日(月)ターザンvs.キング・コング!
●W・S・ヴァン・ダイク二世『類人猿ターザン』(アメリカ'32)*100mins, B/W
・有名な初代ターザン、元オリンピック・メダル5冠王のジョニー・ワイズミュラーのターザン。当然スタントなしで、ジェーン役モーリン・オサリヴァンの濡れた下着が売りの映画だったのもわかる。100分もあんのかよと観始めれば、これがなかなか面白くてあなどれない。監督はクラーク・ゲイブル主演作『桑港』'36でも知られる職人肌の人で、こういう映画がヒット作だったのは健康な世相だったんだなあ、とほのぼのする。好感の持てる作品です。
●メリアン・C・クーパー&アーネスト・B・シェードサック『キング・コング』(アメリカ'33)*100mins, B/W
・クライマックス近く、警視庁対策本部の会話「コングは女をつかんだままか」「エンパイヤ・ステート・ビルに登ったそうだ」「困ったな、近寄れないぞ」「そうだ、飛行機がある」「それだそれだ」中二どころか小学二年生でもわかる親切な会話(アイヴァー・ノヴェロ台詞監修)。人形アニメのコングは案外チャチく、ジャングルの奥地は恐竜が跋扈する時代と出鱈目極まるが、細かいことは気にしない。前半の運びがタルく、作品としては『類人猿ターザン』に及ばない。怪獣映画の元祖と見れば満点に近い出来で、前半のタルさも怪獣映画の宿命みたいなものだからケチはつけられない。
11月15日(火)ジョン・フォード×モーリン・オハラ
●ジョン・フォード『わが谷は緑なりき』(アメリカ'41)*118mins, B/W
・19世紀末、末っ子の視点から描いたウェールズの炭坑夫一家の物語。こんなに灰色の階調が美しい映画はカラー撮影の標準化以降なくなってしまった。長女のオハラは1時間目で嫁いでしまうが30分後に戻ってくる。最高のアメリカ映画のうちの一つで、思い出しても目頭が熱くなるが、観直すと美しいシーンばかりをつないでいて蓋をしている展開の飛躍の多さも感じる。冒頭のフラッシュバックにつながるなら物語前半だけでまとめており、偶然だが『市民ケーン』も回想のピークで突然時間が大きく飛んで現在になるのは映画的な省略(圧縮)でもあるが、凋落の具体的な過程を避けて通ったきらいもない(冒頭の時制が特定できない)。欠点ではないが観直して一種の話術トリックなのに気づいた。『風と共に去りぬ』や『嵐が丘』、本作、『怒りの葡萄』『偉大なるアンバーソン家の人々』と1940年前後に家族凋落・解体映画が集中するのは時代の危機感だろうか。
●ジョン・フォード『静かなる男』(アメリカ'52)*129mins, Technicolor
・こちらはジョン・ウェインとの共演作だが西部劇ではなく、アメリカで一旗あげて故郷アイルランドに戻ってきた引退ボクサーが結婚にこぎつけるまでの話で、日本人なら名古屋の結婚話を連想するアイルランドの結婚手順(監督フォードはアイルランド系アメリカ人)の厄介さを賑やかなコメディ調に描く。とにかく酒とケンカと博打で大騒ぎするシーンの連続で、『わが谷~』ではノーブルだったオハラも本作では喧嘩上等の花嫁を演じてコメディエンヌの真骨頂を見せる。有名なラスト10分以上に及ぶ花嫁の兄との殴り合いケンカ場面の馬鹿馬鹿しい楽しさったらない。現代劇だが本作のアイルランドはあまりに現実離れしているのでお伽話のように愉快に観られる。「テクニカラーの女王」オハラもこっちの方が生き生きして魅力的、撮影の美しさも特筆もの。
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映画日記2016年11月11日~15日
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