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ブルース・クリエイション Blues Creation - ブルース・クリエイション Blues Creation (ポリドール, 1969)

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ブルース・クリエイション Blues Creation - ブルース・クリエイション Blues Creation (ポリドール, 1969) Full Album : http://youtu.be/Bc67FMCY8RM
Recorded in Spring 1969
Released by 日本ポリドール株式会社 Polydor ?SMP-1446, October 1, 1969
All Arranged by Blues Creation
(Side A)
A1. Checkin' Up On My Baby (Sonny Boy Williamson) - 4:53
A2. Steppin' Out (Memphis Slim) - 2:52
A3. Smoke Stack Lightnin' (C. Burnett) - 5:31
A4. Double Crossing Time (Eric Clapton, John Mayall) - 7:03
(Side B)
B1. I Can't Keep From Crying (Blind Willie Johnson) - 4:37
B2. Spoonful (W. Dixon) - 8:13
B3. Rollin' And Tumblin' (M. Morganfield) - 4:03
B4. All Your Love (Otis Rush, Willie Dixon) - 4:34
[ ブルース・クリエイション Blues Creation ]
布谷文夫 - Vocals
竹田和夫 - Lead Guitar, Vocals, Harmonica
野地義行 - Bass
田代信一 - Drums
with
ヒュー・カトラー - Harmonica (tracks: A1, B2)

 ブルース・クリエイションのデビュー・アルバムである本作は、日本のロックが脱グループ・サウンズ(ビート・グループ)化を図った1969年の一連のブルース・ロック・アルバムに位置づけられます。当時の最新の英米ロックのスタイルはサイケデリック・ロックとブルース・ロックがやや盛りを過ぎ、プログレッシヴ・ロックとハード・ロックの台頭期でしたが、サイケデリック・ロックは日本ではカウンター・カルチャーとしてのアシッド・ロック性は収拾されず流行的にグループ・サウンズにビート・グループのスタイル内に取り込まれていたので、脱ビート・グループは脱サイケデリック・ロックでもありました。プログレッシヴ・ロックとハード・ロックはサイケデリック・ロックの発展したスタイルですが当時のギター・バンドのスタイルではプログレッシヴ・ロックを消化するには1969年にはまだサンプルが少なすぎました。そこで、ブルース・ロックをハード・ロックにシフトした過渡的なスタイルが脱グループ・サウンズ期の日本のロックの一時的な方向性になったのです。
 グループ・サウンズがサイケデリック・ロックから取り込まなかったアシッド・ロックとしての側面は長時間のインストルメンタル・ジャムが主要な要素で、それは本来ブルース・ロックとも共通したものでした。フォーク・ロックにブルース・ロックを掛け合わせたものが本来のサイケデリック・ロックだったとも言えます。ですから脱グループ・サウンズとしてブルース・ロックを指向してもフォーク・ロック的要素を引けばサイケデリック・ロックとの共通性はあるわけで、日本のブルース・ロックはグループ・サウンズがやらなかった長時間のインストルメンタル・ジャムを初めて取り入れた以外は方法意識にはさほど違いがなかったとも言えます。このインストルメンタル・アンサンブルを緊密にしていき、楽曲からブルース・フォームやアシッド的不確定性を排除していくと白人ロックのハード・ロック・スタイルが出来上がります。それは1970年以降のスタイルなので、1969年の日本のロックはまだブルース・ロックからスタイルを模索していました。
(Original Polydor "Blues Creation" LP Liner & Gatefold Inner Cover)

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 日本のブルース・ロックのアルバムでもっとも早いものはゴールデン・カップスの『ブルース・メッセージ ゴールデン・カップスアルバム第3集』1969.3.10になります。ゴールデン・カップスは1968年3月のデビュー・アルバムからグループ・サウンズではなく「R&Bグループ」という触れ込みで、実際レパートリーは黒人R&Bの流行曲を演っていましたが、ここではポール・バタフィールド・ブルース・バンド、ブルース・プロジェクト、キャンド・ヒートら白人ブルース・ロックのバンドの黒人モダン・ブルースのカヴァーを参考にしたアルバムを制作しました。ブルース・クリエイションの本作のB1『I Can't Keep From Crying』も11分以上の長時間演奏をしています。同年8月1日発売の『スーパー・ライヴ・セッション』(4月21日クラブ"ゼン"録音)ではより本格的な長時間演奏が披露され、同作のジャム・セッション曲に参加していたのが後輩バンド、パワーハウスの陳信輝と柳ジョージでした。
 パワーハウスのデビュー・アルバム『ブルースの新星/パワーハウス登場』は同年4月1日発売です。これもマディ・ウォータースやハウリン・ウルフらのシカゴ・ブルースを白人ブルース・ロックのバンドがカヴァーしたスタイルで演奏しており、ブルース・クリエイションの本作B2『Spoonful』の長尺プレイは15分以上に及んでおり、グループ・サウンズとは一線を画しています。同月には神戸のブルース・ロック・バンド、ザ・ヘルプフル・ソウルがデビュー(ジュニ・ラッシュ、チャーリー・コーセイ在籍)。優れたオリジナル2曲の他はクリームとジミ・ヘンドリックスのカヴァーで、ここでも『Spoonful』が演奏されています。先輩格で一応グループ・サウンズの硬派とされるゴールデン・カップスを別格として、パワーハウス、ザ・ヘルプフル・ソウル、ブルース・クリエイション(同年春に録音されたが発売は10月に遅れた)を1969年の日本のブルース・ロック御三家とする評価はほぼ定まっています。ブルース・クリエイションの次作は1971年、メンバーも変わり音楽性もハード・ロックになるので、オリジナル・ブルース・クリエイションは1969年の1作きりになり、パワーハウスも1作のみ、ヘルプフル・ソウルも他には長編アニメ『千夜一夜物語』のサウンドトラック・アルバム(冨田勲音楽監督)への参加しかありません。
(Original Polydor "Blues Creation" LP Side A & Side B Label)

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 ブルース・クリエイションは3バンドでももっとも硬派で完成度の高いブルース・ロックのアルバムになっており、録音の時点で布谷が22歳だった以外は竹田、野地、田代はまだ17歳の高校生でした。ライヴも行う本格的なプロ・デビューには早すぎるので春に録音されたアルバムが10月発売に延期されたのでしょう。散発的なラジオ、テレビ出演を経て9月からはライヴも増えますが、おそらく半年の間に布谷と竹田らの音楽的指向性が離れたと思われ、布谷は1969年いっぱいで脱退して日本語オリジナル曲のブルース・ロック・バンド、DEWを結成します。竹田をリーダーとしたブルース・クリエイションはヴォーカルに大沢博美、ベースに佐伯正志、ドラムスに樋口昌行の新メンバーで新ブルース・クリエイションの『悪魔と11人の子供達』1971.8、ヴォーカルのカルメン・マキを全面バック・アップした『カルメン・マキ/ブルース・クリエイション』1971.9(英語詞)をリリースしますが、音楽性は完全にハード・ロックにシフトしたもので、特に全曲竹田のオリジナル曲(英語詞)からなる『悪魔と~』はトニー・アイオミばりの竹田のギターリフ、オジー・オズボーンを模した大沢のヴォーカルで初期3作のブラック・サバスそのままでした。長年評価が低かったのはそのためですが、サバスの再評価とともに欧米リスナーからはサバスをさらにデフォルメした強力なアルバムと人気が高まり、欧米主導で日本のロック・クラシックと目されることになります。
 しかし本作はパワーハウスやヘルプフルよりもさらに本格的なブルース・ロックに徹しており、メンバーのブルース・ロック研究の熱意がうかがえます。A1『Checkin' Up On My Baby』はシカゴ・ブルースのソニー・ボーイ・ウィリアムソンの曲をヤードバーズのヴァージョン経由で、A2『Steppin' Out』はメンフィス・スリムの曲をジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ経由で、A3『Smoke Stack Lightnin'』はハウリン・ウルフの曲をヤードバーズ経由、A4『Double Crossing Time』はブルース・ブレイカーズのオリジナル曲でエリック・クラプトンとメイオールの共作です。B面に移ると、B1『I Can't Keep From Crying』はデルタ・ブルースの古典曲をアル・クーパーとブルース・プロジェクトから、B2『Spoonful』は言わずと知れたクリームのヴァージョンで、B3『Rollin' And Tumblin'』はヤードバーズ、のちフリートウッド・マックが『Black Magic Woman』に改作してサンタナがヒットさせた原曲のB4『All Your Love』は再びクラプトン在籍時のブルース・ブレイカーズからです。原典そのものがブルース・ロック・クラシックになった現代だからこそ簡単に指摘できることですが、1969年春の時点で数多のサンプルから的確な選曲をし(故中村とうよう氏にThanksのクレジットがあるので、アドヴァイスを受けていたかもしれませんし、布谷は22歳でしたが)高校二年生のバンドが十分に練れたオリジナリティのあるアレンジと確かな演奏力で作り上げたアルバムとして驚異的な作品であることは違いありません。ヴォーカル、ベース、ドラムスも重量感のある力量あるものであり、エリック・クラプトンを完全にこなした上に独自の解釈で多彩なフレーズを織り込むギター・ワークは天才少年と呼ばれただけあるものですが、オリジナル・ブルース・クリエイションは本作きりのバンドで終わりました。1969年という過渡期だからこそ現れたバンドとも言えるのです。

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