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Recorded at AMS in August & September 1980
Released by 日本コロムビア/DENON, AF-7017-AX, November 25, 1980
(Side A)
A1. テキーラ (作曲 : Chuck Rio) - 1: 19
A2. 恋をしようよ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 1: 50
A3. カモン・エヴリバディー (作詞・作曲 : Edward Cochran) - 2: 32
A4. モナ (アイ・ニード・ユー・ベイビー) (作詞・作曲 : Ellas Modaniels) - 2: 40
A5. フール・フォー・ユー (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 13
A6. ハリー・アップ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 55
A7. イン・アンド・アウト (作曲 : The Roosters) - 1:12
(Side B)
B1. ドゥー・ザ・ブギ (作詞 : 柴山俊之、作曲 : 鮎川誠) - 4: 15
B2. 新型セドリック (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 21
B3. どうしようもない恋の唄 (作詞 : 南浩二、作曲 : 大江慎也) - 3: 19
B4. 気をつけろ (作詞・作曲 : 大江慎也) - 2: 01
B5. ロージー (作詞・作曲 : 大江慎也) - 4:45
[ ザ・ルースターズ The Roosters ]
大江慎也 - ボーカル、ギター
花田裕之 - ギター
井上富雄 - ベース
池畑潤二 - ドラムス
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北九州で結成されたザ・ルースターズは結成翌年の1980年には東京に進出、各種バンド・コンテストを総ナメにし、レコード会社の争奪戦を経て日本コロムビア/DENONレーベルから1980年11月にシングル「ロージー/恋をしようよ」、アルバム『THE ROOSTERS』で早くもデビューしました。コンテスト審査員の多くは現役の音楽ジャーナリストでもあったのでレコード発売前から評判は鳴り響いていました。テレビ神奈川のロック番組「ファイティング80's」の出演回数も多く(レギュラー・ホストは宇崎竜堂、1980年度のレギュラー・バンドは子供ばんどで、翌年はザ・モッズがレギュラーだったと記憶しています)、観客を入れたスタジオ・ライヴでもかっこ良さではずば抜けており、大江慎也は肘ごと腕を振り直角にコードを刻んでいました。「ファイティング80's」はレコード・デビューしたほとんどの新人バンドのライヴが観られる番組で、ARB、ザ・ルースターズ、ザ・ロッカーズ、ザ・モッズら福岡出身バンドは特に出演回数が多かったのですが、ルースターズに突出した評価が集まったのは生演奏の映像を観ていなくてもレコード音源だけでもわかります。前述の福岡出身バンドはおおまかに分ければライヴハウス「照和」系のバンド(70年代にチューリップ、海援隊、甲斐バンドを輩出している)がARBとザ・モッズで、シンガーソングライター+バンドという性格を残していました。ARBなら石橋凌、ザ・モッズは森山達也というシンガーソングライターあってのバンドです。一方「照和」系のバンドとも交流がありながらルーツ・ロックに強く立脚していたのがサンハウス影響下のビート・バンドで、シーナ&ザ・ロケッツ、ザ・ロッカーズやザ・ルースターズはこちらに入ります。
(Original Nippon Columbia/Denon "THE ROOSTERS" LP Liner Cover)
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サンハウスのロックは日本へのロック移入としてはもっとも正攻法なもので、日本のロックはザ・スパイダースとザ・ブルー・コメッツの次にグループ・サウンズではなくサンハウスが登場すべきでした。グループ・サウンズでもザ・ジャガーズ、ザ・カーナビーツ、ザ・テンプターズ、ザ・ゴールデン・カップスらはサンハウスと競合できたでしょう。しかしグループ・サウンズ最大の人気バンドは本人たちも不如意なまま和製モンキーズ/ビージーズ/ウォーカー・ブラザースのポピュラー・コーラス・グループ路線で売り出されていたザ・タイガースで、進んで哀愁コーラス・グループ路線でデビューしたジ・オックスがNo.2につけました。当時まだサンハウスのメンバーは九州の大学生バンドでストレートな同時代の英米ロックのカヴァーをやっていました。サンハウスを結成するメンバーをルーツ・ロックに開眼させたのは『Beggars Banquet』1968から『Get Yer Ya-Ya's Out !』1970を通って『Exile On Main St.』1972に達する時期のローリング・ストーンズだったでしょう。サンハウスのデビュー・アルバム『有頂天』1975は頭脳警察のデビュー作『頭脳警察セカンド』1972、キャロル『ルイジアンナ』1973、村八分『村八分ライブ』1973、外道『外道』1974と較べて遅きに失した観がありました。『有頂天』のセールスはアルバムのラジオ放送禁止規定にも関わらず好調なものでしたが各種音楽誌からの評価は点の辛いもので、上記のバンドのどれよりも音楽的にはオーソドックスなロックだったのです。
(Original Nippon Columbia/Denon "THE ROOSTERS" LP Side A Label)
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このデビュー・アルバムの時点でリーダーでヴォーカルの大江とドラムスの池畑は22歳、ギターの花田は20歳、ベースの井上は19歳です。リーダーの大江は健康上の理由で後に脱退してリーダーとヴォーカルは花田が継ぐことになりますが、その頃には池畑や井上も自分がリーダーのバンドを立ち上げメジャー・デビューしていました。花田がリーダーのルースターズ解散後には花田の新バンドに井上・池畑が入り、さらに二転三転して健康状態次第で大江が加わる、という、別バンド名義ながらメンバーはオリジナル・ルースターズという状態が10年来続いています(アルバム発表もされています)。35年以上断続的にこのメンバーは離合集散をくり返しているのですが、年齢構成がデビュー当時のビートルズと同じです。担当楽器が少し違いますが、ビートルズはジョンとリンゴが22歳、ポールが20歳、ジョージが19歳でした。ザ・ルースターズはカヴァー曲もオリジナル曲も良いですが、がなるような大江のパンキッシュなヴォーカルが良く、何よりメンバー全体の一体感とグルーヴ感をデビュー・アルバムでこれだけ高度に表現できたバンドは日本のロックではルースターズが初めてかもしれない。スパイダースやカップス、キャロルや村八分、外道、サンハウスでもデビュー・アルバムでここまですさまじいグルーヴをレコードに刻みこめなかったし、彼ら先達バンドの全アルバムでもルースターズのデビュー・アルバムほどソリッドなロックンロール・アルバムはなかったと言えるほどです。それは先立つ日本のパンク・ロックのアルバムすら凌駕するパンキッシュなアルバムでもありました。しかも音楽的な斬新さとは一切関係がないのです。これがまぐれなのではなかったのは、続く数枚のオリジナル・メンバー時代のアルバムからでもわかります。