Recorded at 箱根ロックウェルスタジオ, March 5-12, 1982&東京サンライズ・スタジオ, March 18-23, May 3, 1982
Released by 徳間音楽工業/クライマックスレコード, CMC-2505, July 1, 1982
Produced by 森脇美貴夫
全作詞・遠藤みちろう、全作編曲・THE STALIN
(Side A)
A1. ロマンチスト - 2:09
A2. STOP JAP - 1:50
A3. 極楽トンボ - 0:45
A4. 玉ネギ畑 - 2:25
A5. ソーセージの目玉 - 1:15
A6. 下水道のペテン師 - 1:54
A7. アレルギーα - 0:53
A8. 欲情 - 1:43
A9. MONEY - 3:23
Total Time : 16:36
(Side B)
B1. STOP GIRL - 3:56
B2. 爆裂(バースト)ヘッド - 2:39
B3. MISER - 2:42
B4. 負け犬 - 2:03
B5. アレルギーβ - 0:53
B6. ワルシャワの幻想 - 5:30
Total Time : 17:43
[ ザ・スターリン THE STALIN ]
ミチロウ - ボーカル
タム - ギター
杉山シンタロウ - ベース
イヌイ・ジュン - ドラムス
音楽誌「レコードコレクターズ」2010年9月号・日本の80年代ロック/ポップス・アルバム・ベスト100選で16位。アルバム単体としては評価・チャート成績とも『STOP JAP』を上回るメジャー第2作『虫』1983は54位で、インディーズからのファースト・フル・アルバム『Trash』1981は選外ですからメジャー・デビューのインパクトで選出された面はあるでしょう。2位の暗黒大陸じゃがたら『南蛮渡来』1982はインディーズ盤ですし、他にも上位のパンク系は3位にフリクション『軋轢』1980、7位にINU『メシ喰うな!』1981、8位に『THE BLUE HEARTS』1987、10位に『Phew』1981、15位に突然ダンボール『成り立つかな?』1981が入っています。これらが大瀧詠一や山下達郎、YMO、RCサクセション、佐野元春らに混じって上位を占めているのは「レコードコレクターズ」誌の性格をよく表すものでしょう。じゃがたら、フリクション、INUは妥当だとしてもPhewや突然ダンボールがこんなに上位に来るのは無理があります。オリコン2位を記録した『虫』はスラッシュ・メタルを予告したハードコア・パンク作品としての革新性を打ち出しながら大ヒット作にもなっただけでもベスト10内にランクされるべきアルバムです。『STOP JAP』の16位が順当でも『虫』が54位では『STOP JAP』の評価は単にバンドのセンセーショナルな存在感によるものと思えます。
先に『Trash』を聴いていたリスナーとしては『STOP JAP』の第一印象はメジャー・リリース向けに手加減したアルバムに聴こえました。「ロマンチスト」「ワルシャワの幻想」は『Trash』の「主義者(イスト)」「メシ喰わせろ!」、「玉ネギ畑」は『スターリニズム』の「コルホーズの玉ネギ畑」の改題再録ですが、P.i.L.風の「ワルシャワの幻想」以外の2曲はオリジナル・ヴァージョンに分があります。新曲のうち「アレルギーα」と「アレルギーβ」は同一曲の別ヴァージョンですから全15曲中で新曲は実質11曲ですが、全20曲で曲も多彩な『Trash』のヴォリューム感に較べると新曲にはあまり作風の進展は感じられず、『Trash』よりも後退した印象すら受けました。CDで『虫』とのカップリング盤を買い直した時もやっぱりいまいちだなあ、日常的に聴きたい種類の音楽ではないしと思って売ってしまったくらいです。懺悔いたします。『STOP JAP』は『Trash』や『虫』にも劣らない素晴らしいアルバムで、EP『スターリニズム』に近い位置なのは良い意味でザ・スターリンのポップで明快なパンク路線がうまく作品化されており、1日中リピートしていても飽きません。じゃがたらやフリクション、INUと較べるとストレートなパンク・ロックに聴こえますが、そこがザ・スターリンの巧妙さで、ストレートなサウンドに露悪的な反社会的な歌詞とパフォーマンスをこれほど上手く打ち出したのは新鮮でした。あえて言えばアナーキーがいましたが、平均年齢20歳のアナーキーの反社会性は健康で毒がないものでした。30歳を越えてパンク・ロッカーになった遠藤ミチロウは反社会性と毒気のバランスを絶妙にとれたパフォーマーだったのです。
(Original Tokuma/Climax Records "STOP JAP" LP Liner Cover)
実売では『STOP JAP』には及ばなかったもののチャート成績は最高位2位まで上がった『虫』のヒットは、『STOP JAP』を聴いたリスナーの大半が次回作も買い、リピーターにならなかったリスナーの分も新しいリスナーが増えたからこそでした。『STOP JAP』発売に伴う全国ツアーはライヴハウス規模の会場や市民ホールでこそあれ60箇所以上に上る精力的なもので、テレビ出演や雑誌取材にも積極的に応じています。『STOP JAP』は3月中には完成していましたが、自主規制した歌詞内容で制作されたにもかかわらずレコード倫理委員会からほぼ全曲・40箇所以上に及ぶ規制・修正注意がかかり、5月3日に全面的な改訂歌詞ヴァージョンが録音され直されました。現在では修正前のマスターテープが発見され『STOP JAP NAKED』として聴けますが(2007年CD化)、遠藤ミチロウ自身は修正版も妥協のないものと自負を語っています。しかし完売廃盤になった『Trash』を聴いていないリスナーには検閲なしのスターリンの曲はわからないので、積極的なライヴ活動とメディア進出は『STOP JAP』では添削されたスターリンの一面を知らしめることになりました。ザ・スターリンはバンドとはいえ遠藤ミチロウがバンドの顔であり頭脳であって、若手バンドに較べると10歳あまり年長の遠藤ミチロウの座談は日本のロック・ミュージシャンでも抜群にインテリジェンスの溢れたものでした。
(Original Tokuma/Climax Records "STOP JAP" LP Lyric Sheet)
遠藤ミチロウが積極的にメディアに露出したのは、ザ・スターリンの『STOP JAP』の音楽性と同じくインパクトのある明快なパンク・ロックをやろうとしていたと思われ、フリクションの『軋轢』もINUの『メシ喰うな!』も徳間音楽工業からのリリースでしたがパンク・ロックとしても実験的な音楽性のアルバムで、バンド自身が非商業的態度を隠さない面がありました。ザ・スターリンもとい遠藤ミチロウは音楽的にはフリクションやINUに共感していたに違いありませんが、ポスト・パンクの孤高のアーティストになるのだけは断固として拒否したのです。芸術も芸能も芸ならば芸術家も芸人も芸能人です。ザ・スターリンのようなバンドがタレント並みのポピュラリティを得れば変化するのはバンドの方ではなくタレントの定義の方です。その点で、遠藤ミチロウは本人自身は比較を嫌う忌野清志郎や坂本龍一のように1980年代に新しく登場した知的なタイプのミュージシャン/タレントでした。
(Original Tokuma/Climax Records "STOP JAP" LP Side A & B Label with Limited 7' Flexidisc)
メジャー・レーベルからのリリースにもかかわらず広告やチラシはバンドと、バンドを後援するインディーズのパンク音楽誌「Doll」編集長・森脇美貴夫プロデューサーが制作して東京都内主要レコード店に配布・貼り紙して歩いたというのもザ・スターリンを広告代理店ではなくバンド自身の意志の通った売り出し方をしたい、という熱意の表れだったでしょう。もっともザ・スターリンは自主制作盤『Trash』の2000枚完売の話を「Doll」誌編集部から聞いた徳間音楽工業の三浦光紀ディレクターが、社内の大反対を押し切って社長のOKのみでクライマックスレコード所属アーティストになった経緯から自社での広告制作が困難でもありました。三浦ディレクターは70年代に伝説的なベルウッド・レコード(キング・レコード傘下)、フィリップス傘下のニュー・モーニング・レーベルを主宰していたメジャー内インディーズ的ポジションにいた人で、ベルウッドやニュー・モーニングのアーティストを思うとザ・スターリンをメジャー・デビューさせた人でもあるのは驚かされます。『STOP JAP』はオリコン初登場48位・最高位3位、12万6千枚のヒットになり、年間で徳間音楽工業最高の売り上げになりましたが、徳間音楽工業社内のヒット賞の金賞は売り上げ次点の五木ひろしのベスト・アルバムになり『STOP JAP』は銀賞の上に授賞式への参加を禁止されたそうです。味のある話ではないでしょうか。