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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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Steve Lacy with Don Cherry - Evidence (New Jazz, 1962)

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Steve Lacy with Don Cherry - Evidence (New Jazz, 1962) Full Album: https://youtu.be/X9SBzQw2IJY
Recorded November 1, 1961, Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ
Released New Jazz NJLP 8271, 1962
(Side A)
1. The Mystery Song (Ellington, Mills) - 5:30
2. Evidence (Monk) - 5:00
3. Let's Cool One (Monk) - 6:35
(Side B)
1. San Francisco Holiday (Monk) - 5:15
2. Something To Live For (Ellington, Strayhorn) - 5:50
3. Who Knows (Monk) - 5:20
[Personnel]
Steve Lacy - soprano saxophone
Don Cherry - trumpet
Carl Brown - bass
Billy Higgins - drums

 スティーヴ・レイシー(1934~2004)はモダン・ジャズのソプラノサックスでは第一人者だった人で、ソプラノサックスをモダン・ジャズのソロ楽器に定着させたのはジョン・コルトレーン、さらにウェイン・ショーターによってソプラノサックスは70年代ジャズ~フュージョンの花形楽器になるが、コルトレーンもショーターも主要楽器はテナーサックスだった。ソプラノサックスは戦前のディキシーランド・ジャズ時代には「木管楽器のキーシステムで運指ができ、金管楽器の音量が出る」という理由からトランペットに相当するパートで多用されていたが、実際にはソプラノサックスのピッチ・コントロールは金管楽器のトランペットに劣らず難しい。高音域の楽器で管体が短いためアンブシュア(マウスピースの咥えかた)とブレスの正確さに注意しないとすぐに音程が狂う。テナーサックスやアルトサックスはもちろん、モダン・ジャズではバリトンサックス奏者よりも少なかったのは、管体が小さい分豊かな倍音成分に欠けるからでもある。早い話が音に厚みがなく、しかも音程が不安定とくる。
 戦前からソプラノサックスのソロイストとして名をなしていたのはシドニー・ベシェほか数人に限られていたが、ディキシーランド・ジャズ時代に重用されたのはディキシーが屋外演奏されるジャズのスタイルだったからで(ディズニーランドのアトラクションを想起されたい)、スウィングやモダン・ジャズは屋内演奏のジャズだったから楽器として問題の多いソプラノサックスはすたれた。シドニー・ベシェもパリに移住してフランスのジャズマンになってしまった。ところが50年代初頭にディキシーランド・ジャズのリヴァイヴァル・ブームが白人大学生層を中心に起こる。これは60年代初頭から白人大学生層を中心に戦前のデルタ・ブルースのリヴァイヴァル・ブームが起こったのと同じで、黒人音楽のスタイルはインテリ白人層に受け入れられるまで世代交代ほどの時間がかかる、ということでもある。ロックンローラー志願だった若いディランが取りあえず流行のアコースティック・ブルースからキャリアを開始したのと同様、本当は斬新なモダン・ジャズをやりたかった16歳のスティーヴ・レイシーは取りあえず流行のディキシーランド・ジャズからジャズ界に入った。モダン・ジャズからは払底されてしまったソプラノサックスがレイシーの主楽器になったのもディキシーをやる上で欠員の多いパートだったからで、ソプラノサックスはアルトやテナーよりクラリネットに近いからレイシーも少しはクラリネットも吹くが、ソプラノサックスだけに特化したジャズマンなどレイシーの世代には他にひとりもいない。それほどモダン・ジャズの時代にはソプラノサックスは時流から外れた楽器になっていた。

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 (Original Prestige "Evidence" LP Liner Notes)
 ソプラノサックスがモダン・ジャズのソロ楽器として再び注目を浴びるようになったのはジョン・コルトレーン(1926~1967)の『マイ・フェヴァリット・シングス』(1960年10月録音)で、これは映画化もされたミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』挿入歌をカヴァーしたもので、ユダヤ音楽風の短調のワルツ曲なのも強いインパクトを与え、最先端のジャズマンと目されていたコルトレーンの名を一躍ポピュラーにした。コルトレーンは急逝直前のライヴまでこの曲を繰り返し演奏することになる。コルトレーンはマイルス・デイヴィスのバンドを退団したばかりで、ロサンゼルスから相次いでニューヨーク進出してきたオーネット・コールマンとエリック・ドルフィーに刺激を受け、ライヴではドルフィーを自分のバンドに迎えてアルトサックスに加えフルートの斬新な奏法、ほとんど先例のないソロ楽器としてのバスクラリネット演奏に瞠目していた。偶然共演したジャズマンが楽屋に置き忘れていったソプラノサックスを目にして、ついでに勝手に吹いてみて、これだ、と思ったという(通常管楽器の貸し借りは非常に問題とされる)。
 マイルスのバンドで数人を経てコルトレーンの後輩テナーになったウェイン・ショーター(1933~)はコルトレーンとは対照的な個性的奏法でバンドの音楽性を一新したが、ソプラノサックスの使用は1967~68年にマイルスのバンドの没テイクからと、なかなか慎重だった。それが一気に爆発したのが、アルバム全編をソプラノサックスで通した『イン・ア・サイレント・ウェイ』(マイルス、1969年2月録音)とショーター自身のアルバム『スーパー・ノヴァ』(1969年8月録音)だった。ショーターのソプラノサックスにコルトレーン以来の革新性があったのは、8ビートにもラテン・リズムにも対応できるジャズ・ロック・スタイルを一気に確立したことで、2015年に至っても81歳で現役のショーターをさらに塗り替える改革はない。まあケニーGという人もいるが。

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 (Original Prestige "Evidence" LP Side A Label)
 だがスティーヴ・レイシーはコルトレーンより早くモダン・ジャズのソプラノ奏者としてデビューし、テナー奏者の持ち替えではなく(テナーとソプラノは1オクターヴ違うBフラット管で運指は共通、バリトンとアルトはEフラット管で同様)ソプラノ専任であり、コルトレーンともショーターともまったく異なるサウンドを持っていた。ジョー・ファレル、デイヴ・リーブマン、スティーヴ・グロスマン、ソニー・フォーチュン、ビル・エヴァンス(サックス奏者の方の)、ボブ・バーグ、ブランフォード・マルサリスなど主流ジャズでソプラノを兼任するテナー奏者はほぼ全員コルトレーンとショーターの折衷的スタイル(マイケル・ブレッカーはソプラノは使用しなかったが、EWIがソプラノサックスに相当する)と言えて、これはコルトレーン以降のテナー奏者が大半はコルトレーン系テナー・スタイルを習得するところからキャリアを開始していることにもよる。テナーでは必ずしもショーター的ではないがソプラノではショーターの影響が加わるのは、ソプラノに関してはコルトレーンの到達点よりさらにショーターが切り開いた表現領域が大きい、ということになる(後註)
 それに対してスティーヴ・レイシーのソプラノ・スタイルはほとんど類似した奏者がいない。レイシー自身も楽歴では何度か作風の転換があったが、変化というよりもヴァリエーションであり、一貫性の方を強く感じさせる。ディキシーから出発したレイシーは22歳でセシル・テイラー・ユニットのメンバーになり『Jazz Advance』1956、『At Newport』1958に参加、またギル・エヴァンス・オーケストラのレギュラー・メンバーを勤めるかたわら、渡欧する1965年までに4枚のリーダー作をものした。
1. Soprano Sax (Prestige, 1957)
2. Reflections (Prestige, 1958)
3. The Straight Horn of Steve Lacy (Candid, 1960)
4. Evidence (New Jazz, 1961)

 以上4作がそれで、フォーマットとしては普通のハードバップを演奏している。1はエリントン2曲とモンク1曲にスタンダードを取り上げ、ウィントン・ケリーをピアノに、ベースとドラムスはセシル・テイラー・ユニットのビュエル・ネドリンガーとデニス・チャールズが勤め、2はセロニアス・モンク曲集でマル・ウォルドロンのピアノ、ネドリンガーのベース、エルヴィン・ジョーンズのドラムスで、この1と2はワンホーンでソプラノ演奏が楽しめる。傑作3はバリトン・サックスのチャールズ・デイヴィスとのピアノレス・カルテットで全6曲中3曲がモンク曲で、ベースはモンク・カルテットのジョン・オール、ドラムスはロイ・ヘインズ。そして4はこの『エヴィデンス』で全6曲中4曲モンク、2曲エリントンを取り上げ、ベースはカール・ブラウン、何より解散直前のオーネット・コールマン・カルテットよりドン・チェリーとビリー・ヒギンズの参加が注目される。これら4作はジャズ誌ですべて星四つ~星五つの好評を博したが、62年にはオーネットやドルフィーですらレーベル契約を失うジャズ不況で、レイシーの仕事はほとんどギル・エヴァンス・オーケストラしかなくなる。そこで思い切って渡欧し、イタリアで現地ジャズマンと録音したのが『Disposability』1965、『Sortie』1966であり、未発表アルバム『Zvatsha』1966を挟んでアルゼンチンでのライヴ録音『The Forest And The Zoo』1967に至る。『Disposability』はモンクとセシル・テイラーの曲を取り上げたピアノレス・ワンホーン・トリオ作品、『Sortie』は全曲レイシーのオリジナルによる2管ピアノレス・カルテット、ひさしぶりのアメリカ発売(ESP盤)になった『森と動物園』も2管ピアノレス・カルテットでレイシーのオリジナルがA面1曲(森)・B面1曲(動物園)で展開される完全フリージャズ・アルバムだった。
 ただしレイシーのフリージャズは師事したセシル・テイラーやソプラノの再発見者コルトレーンよりもオーネット・コールマンとの親近性を持っていて、オーネットをジャズ史上初のアンチ・マッチョ・ジャズと評した批評があるが、コルトレーンやテイラー、またミンガスやコルトレーンのバンドメンバーだったドルフィーには抒情的な面もあるが攻撃的なニュアンスも非常に強い。モダン・ジャズはビ・バップ以降の黒人ジャズのスタイルだが、コルトレーンやテイラーの激しく跳躍するコード分解による手法はビ・バップのオリジネーターであるチャーリー・パーカーやバド・パウエルの発想を突き詰めたものだった。オーネットはビ・バップの躍動感は引き継いだがビ・バップの陥りがちな理論的・機械的なフレーズ構成には追従せず、情感の自然な発露を優先した。オーネットのデビューは1958年だが、レイシーはオーネットに先立ってソプラノサックスという意表をつく楽器で同様なアプローチを実行していたことになる。白人ジャズマンであるレイシーはセシル・テイラーからビ・バップの理論的極限を学び、自分自身はビ・バップ的発想と相互補完的なスタイルを発見した。それにはジャズのルーツであるデューク・エリントンと、ビ・バップと同時代にビ・バップの本流からずれたところでビ・バップに収まりきらない音楽をやっていたセロニアス・モンクをレイシーなりに再解釈する作業と同時進行になった。

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 (Original Prestige "Evidence" LP Side B Label)
 レイシーのアメリカ時代の初期4作はどれも素晴らしいが、『エヴィデンス』はレイシーと素質の似たドン・チェリーのトランペット(ほとんどソプラノサックスとトランペットを聴き分けられない場面すらある)、オーネット・カルテットでピアノレス・カルテットのドラミングはお手のものとしていたビリー・ヒギンズのドラムスで初期レイシーの到達点を示している。ベースとドラムスだけのスカスカなリズム・セクションにまったく力みのないトランペットとソプラノサックスが淡々とソロを紡いでいくこのアルバムは、モダン・ジャズには違いないがマイルス・デイヴィスやジャズ・メッセンジャーズ、ジョン・コルトレーンなどをジャズとすれば、ジャズの形式をとったアンチ・ジャズですらある。一聴して、まるで素人が演奏している下手くそな演奏にすら聞こえるが、テクニックで押しまくるのではなく一音一音が丁寧に、まるで夜中の墓場でも歩くような慎重さでアルバム全編を貫いている。
 エリントン・ナンバーのA1『ザ・ミステリー・ソング』1曲でこのアルバムが傑作だというわくわくするような予感があり、アルバム全編その予感は裏切られない。ソプラノサックスの厚みのない音色も、どこで不安定になるかわからない音程も、ソプラノサックスという楽器の構造的欠点と言われるすべてがここでは音楽的に豊かなアーティキュレーションに高められている。コルトレーンやショーターはソプラノサックスを使いこなした人だったが、スティーヴ・レイシーこそはソプラノサックスに選ばれた人だった。フォロワーが存在しないのも無理はないと思えてくる。

(後註)ソプラノサックスの演奏にコルトレーンとショーターの影響が見られない奏者にはローランド・カーク(1936~1977)がいる。テナーサックスを主楽器とし、マルチリード(木管)・ブラス(金管)楽器奏者だったカークは複数楽器同時吹奏のために手製の改造アルトサックス(ストリッチ)、改造ソプラノサックス(マンゼロ)を使用し、フルート奏者としてもエリック・ドルフィーに匹敵する実力者だったが、ストリッチにおいてはパーカー直系のビ・バップ・スタイルで演奏するにもかかわらず、マンゼロの演奏はシドニー・ベシェの伝統に忠実だった。ソプラノ1本で古今のジャズのスタイルを消化したレイシーとは対照的に、30種類以上の演奏楽器にジャズ史のスタイルを振り分けたのがカークの手法で、レイシーとは別の意味でカークのフォロワーは困難すぎて存在しない。

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