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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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60年代のアメリカ小説(1)

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筆者が高校時代に読書ガイドとして熟読したのは、高橋正雄「二十世紀アメリカ小説」全四巻(1973~1979・冨山房)と、トニー・タナー「言語の都市」(原著1971/翻訳1980・白水社)、レイモンド・M・オールダマン「荒地の彼方」(原著1972/翻訳1981・評論社)の六冊だった。
高橋著は「1.アメリカ自然主義の形成」「2.『失われた世代』の作家たち」「3.政治の季節1930年代」「4.アメリカ戦後小説の諸相」からなり、実質的には19世紀末に新人として登場したリアリズム作家たちを起点に、大平洋戦争終結後に現れた新人たちの作品歴をたどる。世代としては1950年前後までにデビューした作家たちになる。非常に堅実な研究書で、平易な文体で妥当な作品論が展開されており説得力がある。ただし著者自身の文学観は保守的なもので、戦後小説の下限を朝鮮戦争までで区切ったのも著者の史観からは限界とも言え、作品評価についても最大公約数的な平坦さは否めない。

なぜ筆者が20世紀アメリカ小説を熱心に読んだか、といえば、アメリカ現代文学は各種文学全集や叢書類でもエアポケットというべき分野だったからだ。筆者も中学生の頃はSFやミステリに夢中で、それらは圧倒的にアメリカの作品が多かった。だが主流文学に興味が進むと、アメリカ現代文学はごく限られた作家しか古典とは認められておらず、ヘミングウェイやスタインベックは半ば通俗的な作家とされ、フォークナーですらまだ珍奇な前衛作家と見倣されていた。
アメリカ小説の古典はポー短編集に「緋文字」と「白鯨」、「ハックルベリー・フィンの冒険」が定番だがどれもヨーロッパ文学の基準から大きく外れる。フィリップ・ロスがアメリカ小説の古典は不倫と捕鯨と浮浪少年か、ならばおれは、と「素晴らしいアメリカ野球」1976というパロディ純文学を書いたのは痛快だった。

アメリカという国家自体が移民による独立宣言で始まり(1776年)、奴隷解放宣言(1862)と南北戦争の終結(1865年)で統一国家となり、西部開拓によって辺境、いわゆるフロンティア消滅(1890年)が実現した。それだけの歴史しかない国だからアメリカ文学自体が仮構であり、人種や地域すら作品の成立条件ではなく、個人と国家が剥き出しのまま相対しているといってよい。これはアメリカでしか見られない現象だろう。

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