Albert Ayler(1936-1970,tenor sax)。
晩年のアイラーには奇行が目立った。顔にペインティングして出歩いたり、マイルス(!)出演中のクラブに自分のレコードを休憩中にかけてほしいと頼みに行き断られて人前で号泣したという。言動も狂信的になっていた。
アイラー逝去の年、70年は七月にフランスで行われた三か所のライヴ録音しか残されていない。そのうち二種はごく近年になってから発掘されたもので、ひとつは不完全な観客録音、もうひとつは放送用完全収録だが選曲が弱い。アイラー没後すぐ発表された、LP2枚の「ラスト・レコーディング」が後期アイラーの終着点と言えるだろう。
Live On The Riviera(画像1)70.7.25
-は未発表ボックスのさらに翌年、ESPレーベルから2005年に発掘された。フランス公演は夫人メアリー・マリア、ピアノのカール・コブスに、現地でスティーヴ・ティントワイス(ベース)、アレン・ブライアマン(ドラムス)が採用されシンプルなワンホーン・カルテット+夫妻のヴォーカルで行われた。このリヴィエラのライヴはコブスの抜けたテナー・トリオだが、62年の「ファースト・レコーディング」とは格段にアイラーの音楽を理解したベースとドラムスで、演奏も良い。全7曲も「ラスト・レコーディング」と一曲しか重複しない。
Live In Saint-Paul-De-Vence(画像2)70.7.27or28
-はCDでは25日、ボックスでは28日、LPでは27日と録音日が特定できない。全4曲42分の観客録音、'Mothers/Children'以外はテーマなしの完全即興で、ピアノの出番がほとんどない。曲の欠落部分は、ヴォーカル部分をカットしたものと思われる。
Nuits De La Fondation Maeght(画像3)70.7.25,27
-こそが「ラスト・レコーディング」として長年愛されてきたライヴ盤で、これで後期のピークに達したアイラーは次作では作風の転機があると思われた。
夫人とテレビを観ていたアイラーは突然激昂し、母親を大声で呪うとサックスをテレビに投げつけて失踪した。三週間後の70年11月25日、アイラーの遺体は川に浮いていた。死因不明。三島由紀夫の自決と同日、まだ34歳だった。
晩年のアイラーには奇行が目立った。顔にペインティングして出歩いたり、マイルス(!)出演中のクラブに自分のレコードを休憩中にかけてほしいと頼みに行き断られて人前で号泣したという。言動も狂信的になっていた。
アイラー逝去の年、70年は七月にフランスで行われた三か所のライヴ録音しか残されていない。そのうち二種はごく近年になってから発掘されたもので、ひとつは不完全な観客録音、もうひとつは放送用完全収録だが選曲が弱い。アイラー没後すぐ発表された、LP2枚の「ラスト・レコーディング」が後期アイラーの終着点と言えるだろう。
Live On The Riviera(画像1)70.7.25
-は未発表ボックスのさらに翌年、ESPレーベルから2005年に発掘された。フランス公演は夫人メアリー・マリア、ピアノのカール・コブスに、現地でスティーヴ・ティントワイス(ベース)、アレン・ブライアマン(ドラムス)が採用されシンプルなワンホーン・カルテット+夫妻のヴォーカルで行われた。このリヴィエラのライヴはコブスの抜けたテナー・トリオだが、62年の「ファースト・レコーディング」とは格段にアイラーの音楽を理解したベースとドラムスで、演奏も良い。全7曲も「ラスト・レコーディング」と一曲しか重複しない。
Live In Saint-Paul-De-Vence(画像2)70.7.27or28
-はCDでは25日、ボックスでは28日、LPでは27日と録音日が特定できない。全4曲42分の観客録音、'Mothers/Children'以外はテーマなしの完全即興で、ピアノの出番がほとんどない。曲の欠落部分は、ヴォーカル部分をカットしたものと思われる。
Nuits De La Fondation Maeght(画像3)70.7.25,27
-こそが「ラスト・レコーディング」として長年愛されてきたライヴ盤で、これで後期のピークに達したアイラーは次作では作風の転機があると思われた。
夫人とテレビを観ていたアイラーは突然激昂し、母親を大声で呪うとサックスをテレビに投げつけて失踪した。三週間後の70年11月25日、アイラーの遺体は川に浮いていた。死因不明。三島由紀夫の自決と同日、まだ34歳だった。