主治医は椅子にかけているから、扉は患者が閉めなければならない。ぼくは壁を向いて、自分で閉めることがなかなかできなかった。刑務所に四か月入っていたから、扉の開閉は刑務官が行う、その間囚人は壁を向いて直立不動でなければならない、という規則がまだ精神を縛っていたのだ。
「これがぼくが唯一持っている別れた妻子の写真です…財布に入れていたから。2004年、もう10年近く前。この翌年からはパニック障害、乖離性障害、躁鬱の発症が始まりました。家庭生活が幸せだった最後の時期です」
「もう娘さんたちも大きくなっているだろうね」
「昨日、長女の15歳の誕生日でした。プレゼントを郵送したけど相変わらずなんの返答もありません。ぼくからも電話したりしなかった」ぼくは一息つき、「先生のおっしゃる『風化』かどうかは判りませんが、娘たちには娘たちの幸せがある、ならばぼくはぼく自身の生活をしっかりしよう、そう考えるようになったんです」
主治医は少し驚いた様子で聞いていたが、「いいと思うよ。将来娘さんたちが会いたいと思ってくれた時に牢屋や精神病院じゃ、あんまりだからね」
先生、(とぼくは思った)他人の子女を呼ぶ時は「娘さん」ではなく「お嬢さん」が正しい日本語ですよ。それにぼくがこう考えられるようになったのは、娘たちと会える希望がなくても生きていく、という覚悟ができたからですよ。
午後四時からは歯科。治療は型取り。次回予約で例のギャルゲーキャラの女の子が出てきた。スティッチの懐中時計にさらにスティッチを模した棒状のものがぶら下がっている。
「これ印鑑なんですよ。特注だから待たされて」
接写したがボケる。接写だから仕方ない。
「着けてるところを撮らせてくださいよ。ヤマギシさんなんか、ほら」
「えー、私シャイ・ガールだからダメです」
二人とも笑いあった。このシャイ・ガールのつけまつ毛ったらあっぱれなものだから、写真でお見せできないのが残念だ。