この結構なジャケットのアルバムは白人女性ピアニストのトリオ作品で、オーディオ・フィディリティなるロサンゼルスのインディーズ・レーベルからのリリース(1956年)ながら、発表後60年を経た現在も珍重されている。ベーシストがビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』1961録音直後交通事故で夭逝するスコット・ラファロなのだ。このアルバムも企画は平凡なスタンダード集(全12曲!)だが、ピアノよりベースの方が音が大きかったりする。
パット・モランさんもごく普通のジャズ・ピアニストで、当時こういうジャズに需要があったのはまあ快適なイージー・リスニングとしてのジャズが求められていたというだけのことだが、音楽的にはラファロの凄腕ベース、アルバム自体のムードはジャケット込みという感じがする。アイディアの勝利だが、これは女性ピアニストのジャケットでなければできないし、思いつけば誰でもできるがなかなか思いつくものではなく、先例があれば真似はできない。
疑問があるとすればこの脚は本当にパット・モランさん本人なのか、というあたりだが、それは言うだけ野暮だろう。ピアニストがピアノの鍵盤に足など掛けるものかというのがそもそも虚構なのだし、モランさんには他にもアルバムがあるので実在の女性ピアニストではあるのだが、ここでは演奏の合間にピアノに足を掛けてひと休み、という架空(かもしれない)のキャラクターがこのアルバムのヒロインなのだ。この洒落っ気は女性ならではで、羨ましい。
パット・モランさんもごく普通のジャズ・ピアニストで、当時こういうジャズに需要があったのはまあ快適なイージー・リスニングとしてのジャズが求められていたというだけのことだが、音楽的にはラファロの凄腕ベース、アルバム自体のムードはジャケット込みという感じがする。アイディアの勝利だが、これは女性ピアニストのジャケットでなければできないし、思いつけば誰でもできるがなかなか思いつくものではなく、先例があれば真似はできない。
疑問があるとすればこの脚は本当にパット・モランさん本人なのか、というあたりだが、それは言うだけ野暮だろう。ピアニストがピアノの鍵盤に足など掛けるものかというのがそもそも虚構なのだし、モランさんには他にもアルバムがあるので実在の女性ピアニストではあるのだが、ここでは演奏の合間にピアノに足を掛けてひと休み、という架空(かもしれない)のキャラクターがこのアルバムのヒロインなのだ。この洒落っ気は女性ならではで、羨ましい。