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偽ムーミン谷のレストラン・改(1)

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 ムーミン谷にレストランができたそうだよ、とムーミンパパが新聞から顔を上げると、言いました。今朝のムーミン家の居間には、
・今ここにいる人
・ここにいない人
 ……のどちらも集まっています。それほど広くもない居間に全員が収まるのは、ムーミン谷の住民は人ではなくトロールで融通が利くからです。
 そうだ、わが家は食事のふりならずっとしてきたが、それは家庭という雰囲気の演出のためであって実際に食事をしたことはない。そうだねママ?
 そうですよ、とママはおっとりと答えます。
 私がパイプをくゆらせ安楽椅子で新聞を読んでいるのもそうだ。読売新聞ムーミン谷版は半年に一度しか出ない。半年に一度の紙面を年中読むのを新聞と呼べるだろうか。ムーミン谷にはタウン誌というものもないのだ。
 それで、ねえパパ、新聞にレストランができたって載っていたの?と偽ムーミンが無邪気を装って尋ねます。その頃ムーミンは全身を拘束され地下の穴蔵に幽閉されていました。
 かなり冷え込み、また拘束のストレスもあり恒温動物なら風邪をひくような環境ですが、トロールなのでただ動けないだけです。容貌は瓜二つなので、なにか弱みを握るたびに偽ムーミンはムーミンを脅して入れ違い遊びをしてきましたが、弱みを握られる側にも落ち度があると考えて現状を肯定してしまう卑屈さがムーミンにはありました。
 ねえレストラン行くの?とふたたび偽ムーミン。よく見ると頭部のつむじにあたる部分からアホ毛が三本生えていることでも偽物だと気づくはずですが、ムーミン谷の人びとは細かいことは気にしません。
 そこだよ問題は、とムーミンパパ。レストランに行くには、あらかじめいくつかの条件がある。まず正当な連れがいること、これは問題はない。ムーミン一家だからな。正当な連れ?おかしな組み合わせでレストランに入ったら変だということだよ。たとえばママがスナフキンとミーの三人でレストランに行ったらミーをアリバイにした不倫のように見えるだろう?
 あなた止めてくださいよ、とムーミンママがおっとりたしなめます。
 なら簡単に言おう。ムーミン、きみはお腹が空いたことがあるか?
 うん。そうか。でも一家で食卓につくともう空腹ではなくなるだろ?私たちムーミントロールは食事のふりをするだけでいいのだ。だがレストランでは実際に料理を食べなければならないのだぞ。
 偽ムーミンは驚いたふりをしてみせました。わお。



現代詩の起源(3); 過渡期の詩人たち(c) 横瀬夜雨

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 この章は第2回に詩誌「文庫」主宰者だった河井醉茗(1874-1965)をご紹介しましたが、醉茗は新潮社『現代詩人全集』第1巻に全巻解説に相当する現代詩史を書き下ろしており、名義上は新潮社創業者でもある佐藤義亮ですが、同昭和4年にやはり新潮社から上梓された日夏耿之介(1890-1971)の大著『明治大正詩史』(上下巻・別冊の3分冊)からの示唆が大きいのは初回で触れた通りです。明治以降の現代詩史は同書が初めてではないようですが、これほど浩瀚に大家から群小詩人・詩誌までを網羅してほぼ完璧な書誌を別冊にし、詩史的位置づけと明確な文学的評価を行ったのは画期的な業績で、資料面で協力者がいたとしても通常これだけの大著は分担執筆による共著になるところですが、日夏の単独執筆だからこその一貫性が強みになっています。同書は戦後の昭和23年~24年に創元社から上中下の3分冊(総頁数1,360頁)の『増補改訂』版が再刊され第1回読売文学賞(研究部門)を受賞し、日夏自身も編集委員である河出書房『日本現代詩体系』昭和25年(全10巻)の編集基準にもなりました。
 しかしこの『現代詩人全集』の総解説が河井醉茗によるものなのは納得がいくもので、醉茗は現役長老詩人として日本詩壇の名伯楽というべき位置にいました。1929年には醉茗は55歳、現代ならば老大家というほどの年齢ではありません。しかし明治からの詩人としては土井晩翠(1971年生)、島崎藤村(1972年生)、この全集には(歌人としての盛名の高さから)未収録の与謝野鉄幹(1873年生)が当時存命だったとは言え、藤村は詩からは引退して長く、晩翠の新作はほとんど注目されず、鉄幹は長詩よりほぼ完全に歌人にシフトしていました。醉茗は明治40年の「文庫」解散を引き継いだ早稲田詩社の口語自由詩の詩人たちにも、「文庫」末期に登場した北原白秋・三木露風のデビューにも携わり、白秋・露風のライヴァル関係にも、早稲田詩社系=川路柳虹主宰「日本詩人」~「詩話会」系詩人と白秋門下生と露風門下生の三つ巴の抗争のいずれとも恩人的な存在だったので、もっとも穏便な中立的立場にいたのです。特に早稲田詩社から発展した「日本詩人」~「詩話会」は特定の流派を持たない詩人の組織であり、早稲田詩社創立には「文庫」がパトロン的役割を果たしていたため、露風と柳虹の恩師だった醉茗はいつの間にか日本詩壇の親方的立場的にいました。そこで新潮社『現代詩人全集』の巻立てを今回も再掲載します。

新潮社『現代詩人全集』
昭和4年(1929年)~昭和5年(1930年)
第1巻●初期十二詩人集
湯浅半月集/山田美妙集/宮崎湖処子集/中西梅花集/北村透谷集/太田玉茗集/國木田獨歩集/塩井雨江集/大町桂月集/武島羽衣集/三木天遊集/繁野天来集
*附録・現代詩の展望 (明治、大正、昭和詩史概観) 河井醉茗
第2巻●島崎藤村・土井晩翠・薄田泣菫集
第3巻●蒲原有明・岩野泡鳴・野口米次郎集
第4巻●河井醉茗・横瀬夜雨・伊良子清白集
第5巻●北原白秋・三木露風・川路柳虹集
第6巻●石川啄木・山村暮鳥・三富朽葉集
第7巻●日夏耿之介・西條八十・加藤介春集
第8巻●生田春月・堀口大學・佐藤春夫集
第9巻●高村光太郎・室生犀星・萩原朔太郎集
第10巻●福士幸次郎・佐藤惣之助・千家元麿集
第11巻●白鳥省吾・福田正夫・野口雨情集
第12巻●柳澤健・富田砕花・百田宗治集

 明治~大正の詩人の大半は30歳前後までで詩作から引退していましたが、醉茗は55歳にして詩歴35年を越える当時稀有な現役詩人でした。影響力においてはむしろ若手詩人たちの後を追う作風にすぎなくなっていましたが、醉茗によって世に出た詩人たちが直接・間接的にせよ詩壇の大半を占めていたのですから、流派同士では派閥的対立があっても醉茗には頭が上がりません。この全集の第4巻以降に収録されている詩人のほとんどがそうです。三木露風、川路柳虹が主宰となった早稲田詩社同人には加藤介春、三富朽葉、山村暮鳥、野口雨情、福士幸次郎、人見東名、相馬御風がおり、北原白秋は「文庫」から石川啄木、高村光太郎、木下杢太郎、佐藤春夫、堀口大學の依った鉄幹の「明星」を経て「屋上庭園」主宰を主宰し、大手拓次、萩原朔太郎、室生犀星を世に送りました。三木露風ら「文庫」から上田敏主宰「藝苑」を経て早稲田詩社結成後、川路柳虹と「未来社」を主宰して西條八十、柳沢健を門下生とします。早稲田詩社系の詩人たちは白秋・露風に対抗して川路柳虹主宰「日本詩人」を創立し、やがて白秋系・露風系詩人とも和解し「詩話会」に発展しましたが、佐藤惣之助、千家元麿、日夏耿之介、生田春月、白鳥省吾、福田正夫、富田砕花、百田宗治が日本詩人~詩話会系詩人たちです。これで4巻以降の収録詩人全員の出自に触れたと思いますが、人見東名、相馬御風はともかく、暮鳥、萩原、室生に並ぶ重要詩人ながら大手拓次(1887-1934)が収録されていないのは、遺稿が「中央公論」誌に掲載され遺稿詩集『藍色の蟇』が刊行されたのが昭和11年(1936年)と認められるのが遅すぎたので、伊良子清白『孔雀船』や石川啄木の生前未刊行詩集、『三富朽葉詩集』のように昭和4年の段階では詩史的位置づけができなかったことにもよります。大手拓次は生涯を白秋門下生の詩人として終え、同門以外には知られませんでした。
 北原白秋の存在感は大きく、北原白秋全集全60巻という巨大な文業は日本の専業詩人でも空前のものですが(絶後ではないのは谷川俊太郎がいるからですが)、白秋と同門でなければ木下杢太郎の精妙な詩作はもっと注目されていたでしょう。白秋は門下生にも強烈なカリスマがあり、「日本詩人」~「詩話会」の存在を徹底的に敵視していたのは白秋ひとりを信奉していた萩原朔太郎ひとりと言ってよく、ほとんどの詩人は萩原の業績を認めていたので萩原の批判は本人に不利なだけでした。そこで萩原に対する詩壇の過小評価から、萩原門下生をもって任じる昭和の新人たちの詩誌「四季」が創刊されるのです。「日本詩人」~「詩話会」について言えば、内部からの批判者である生田春月、日夏耿之介らの意見の方がより実践的で尊重されていました。この詩人全集の人選は昭和期の詩人たちが本格的に日本の詩をリードする以前の詩人相関図をそのまま反映したもので、第1巻~3巻までを現代詩の古典期とすれば4巻以降はおおむね「文庫」~「日本詩人」~「詩話会」ラインで引っかかってくる詩人たちが選出されているのです。

 なかでも第4巻(昭和4年11月刊)の醉茗、横瀬夜雨(1978-1934)、伊良子清白(1977-1946)の3人集は『明治大正詩史』による文庫派再評価もあって、謙虚な醉茗の独断だけでは実現しなかった重要な1巻になりました。醉茗自身が多作な時期を過ぎていたので、これは新作を含む第6詩集で全詩集『醉茗詩集』(アルス、大正12年)に続く刊行になり、『醉茗詩集』からの精選作品に加えて第7詩集『紫羅欄花』(東北書院、昭和7年)とも重複しない大正12年~昭和4年の新作を含んだ事実上の第7詩集と言えるものでした。それは夜雨、清白にとっても同様で、新詩集としては『夜雨集』(女子文壇社、明治45年)以来、合本詩集としては『花守と二十八宿』(婦女界社、大正10年)以来、選詩集としては直前に『雪燈籠』(梓書房、昭和4年4月)、同月に『横瀬夜雨詩集』(改造文庫、昭和4年11月)がありましたが、新潮社版『現代詩人全集』の「横瀬夜雨集」は初期作品の改訂決定稿から昭和4年までの新作を含むほぼ全詩集と言ってよく、夜雨は昭和9年2月に逝去するのでいわば最後の新詩集にもなったのです。清白の場合はさらに重大で、既刊の伊良子清白詩集は18編を収めた『孔雀船』(左久良書房、明治39年)が唯一のものでした。夜雨の『雪灯籠』と同時に同じ梓書房から『孔雀船』は日夏耿之介の序文を加えて新装版がほぼ四半世紀ぶりに再刻されましたが、新潮社版『現代詩人全集』では『孔雀船』から10編の再録の他に77編の新旧未収録詩編、34編の訳詩がまとめられ、全貌とまではいかないにせよ(『孔雀船』は約160編の手稿から精選されたと言われます)全年代からの選詩集としては全詩集に準じるだけの業績が明らかになったのです。伊良子清白の全集が刊行され、さらに遺漏詩編や未発表詩編、散文、日記、書簡がまとめられたのは平成15年(2003年)のことでした(岩波書店、上下巻)。
 伊良子清白は生前一部の読者にしか読まれない不遇な詩人でした。河井醉茗が専業詩人であり、横瀬夜雨が筑波の農園主(「花守」というのは、家業で花圃を営んでいたからです)を兼ねながら全国紙への詩発表、新聞雑誌の詩欄選者、エッセイストとして生涯著名詩人だったのとは対照的で、現在はむしろ清白だけが文庫派詩人では評価されているのですが、夜雨の生前の存在感は幼児からの身体障害者であったことや(脊椎カリエスによるもので、自力歩行もままなりませんでした)、詩にもほのめかされている女性関係の波乱が同時代の注意を惹いていた面も大きいので、今ならさしずめNHKのドキュメンタリー番組でブレイクするような私生活に対する興味が詩の鑑賞を注釈していたとも言えます。夜雨の詩は女性に熱狂的な愛読者を持ち、それは身体障害への同情と相まって、家出同然に夜雨の介護のため駆けこんできては翻意して、または周囲の反対で、はたまた突然去って行く女性読者が後を絶たず、それは夜雨が40歳でようやく文学少女ではない遠縁の女性と見合い結婚するまで続きました。結婚以降の夜雨は生活も落ち着いた文人となり、詩作は減少しますが三女を授かる幸福な家庭生活を営み、随筆家として一家をなします。夜雨の作品は何を紹介するか悩み、醉茗が夜雨の名作とするのは「雪燈籠」「野に山ありき」「人は去れり」「我脣は燥けり」「人故妻を逐はれて」「やれだいこ」「富士を仰ぐ」「お才」ですが、夜雨の伝記的知識がないとよくわからなかったり(「人は去れり」)、しかも内容的には抒情詩なのに最大4行30連に及ぶ叙事詩体、対話体、独白体混交の「野に山ありき」や「雪燈籠」「人故妻を逐はれて」だったりと引用に不向きなのです。しかも部分引用では意味をなさないので、ここでは夜雨の私生活が比較的反映していないか、反映していても意味ありげな恋愛詩ではないものを選びました。

 横瀬夜雨の第1詩集『夕月』は収録作品中半数が出版者によって改竄されたので、第3詩集『二十八宿』には改竄作品の原作が再録されましたが(「影」もそのひとつです)、『夕月』から引いた「涙」は改竄を免れた作品。また「お才」は改竄作品で『二十八宿』ではこの4倍あった4部構成の原作が再録されましたが、『夕月』での短い改竄版があまりに有名になったため『現代詩人全集』には夜雨自身によって改作された短縮版が収められています。4部構成版は長大なので割愛しましたが、これはもっとも知られた夜雨作品なので夜雨自身による最終短縮版も載せました。他にも『現代詩人全集』版で夜雨自身が改作し、初出より良くなっている作品が多いのは特筆すべきで、一般的にはほとんどの詩人の場合、自作の改作をすると失敗しますから珍しい例外になります。
 また『現代詩人全集』に収められた最新作の「筑波に登る」は最晩年の絶唱で、夫人とまだ幼い末娘、筑波を訪ねてきた旧知の詩人仲間とともに筑波山を登り、風景を見渡し、幼い娘を見ながら、これが自分には生涯最後の筑波山登山になるのだろうか、と思う澄明な心境が平明簡潔な措辞によって描かれており、併せて引いた旧作「わが額は重し」「吾脣は燥けり」「お才」(夜雨は制作逆年順の詩編配列を好みました)のいずれもが原作よりもすっきりして若々しい、より焦点の定まって感銘の深い作品に生まれ変わっているのは天性の素質の良さを感じます。悲恋詩による不遇な抒情詩人とも、「お才」に代表されるローカルで素朴な民謡体詩人というイメージとも異なる夜雨の冴えた技巧家の面は注目すべきでしょう。
*

  涙  横瀬夜雨

おもひしずけきかりねにも
ゆめだにみればやるせなく
なみだにぬるゝわがそでを
からんとのらすきみもがな

ひとよふけゆくなかぞらに
かたわれづきのてれるみて
はかなきかげのうらめしく
たもとをかみてなきにしを

なほすてられぬかがみには
みやまざくらのはなあせて
かねてかゝせしゑすがたの
いろのみいまににほへれど

(第1詩集『夕月』明治32年=1899年12月・旭堂書店)
*

  お才  横瀬夜雨

花の吾妻の花櫛さいて
髪は島田にいはうとも

やはり妹(をばま)と背追繩(せおひなは)かけて
薪拾うてあつたもの

三國峠の岨路を
越えて歸るはいつぢややら

蜻蛉(とんぼ)つりゝゝ田の面に出て
騒ぐ子等にもからかはれ

お才あれ見よ越後の國の
がんが來たとてだまされて

白雲かゝる筑波根を
今は麓で泣かうとは

『心細さに出て山みれば
雲のかゝらぬ山はない』

(初出「文庫」明治31年6月号「そで子、きん子、合作」名義/(改竄版)第1詩集『夕月』明治32年=1899年12月・旭堂書店)
*
  夕の光  横瀬夜雨

堤にもえし陽炎(かげろふ)
草の奈邊(いづこ)に匿(かく)れけむ
緑は空の名と爲りて
雲こそ西に日を藏(つゝ)

さゝべり淡き富士が根は
百里(ひやくり)の風に隔てられ
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦穗山

雨雲覆ふ塔(あらゝぎ)
懸れる虹の橋ならで
七篠(なゝすぢ)の光、筑波根の
上を環(めぐ)れる夕暮や

雪と輝く薄衣(うすぎぬ)
痛める胸はおほひしか
朧氣(おぼろげ)ならぬわが墓の
影こそ見たれ野べにして

雲捲上(まきあぐ)る白龍(はくりう)
角も割くべき太刀佩きて
鹿鳴(かな)く山べに駒を馳せ
征矢鳴らしゝは夢なるか

われかの際(きは)に辛うじて
魂、骸を離るまで
寂しきものを尾上には
夜は猿(ましら)の騷がしく

水に映らふ月の影
鏡にひらく花の象(かたち)
あこがれてのみ幻の
中に老いたるわが身なり

月無き宵を鴨頭草(つきくさ)
花の上をも仄(ほの)めかし
秀峰(ほつみね)(て)らす紅の
光の末の白きかな

(すが)りて泣かん妹の
(しを)れし花環(はなわ)投げずとも
玉の冠か金光(きんくわう)
せめては墓に輝かば

(第2詩集『花守』明治38年=1905年11月・隆文社)
*

  富士を仰ぎて  横瀬夜雨

大野の極み草枯れて
火は燃え易くなりにけり
水せゝらがず鳥啼かず
動くは低き煙のみ

落日力弱くして
森の木の間にかゝれども
靜にうつる空の色
翠はやゝに淡くして

八雲うするゝ南に
漂ふ塵のをさまりて
雪の冠を戴ける
富士の高根はあらはれぬ

返らぬ浪に影見えて
櫻は川に匂ふらむ
霞みそめたる天地に
遍きものは光かな

涙こほりし胸の上に
閉じたる花も咲かんとして
亡びんとせしわが靈(たま)
今こそ蘇(い)きて新しき

人は旅より歸るとき
花なる妻を門に見む
わが見るものは風荒ぶ
土橋の爪の枯柳

人は旅路に出るとき
美し人を秬梠(ませ)に見む
わが行く路に在るものは
やみを封(こ)めたる穴にして

筑波の山に居る雲の
葉山繁山おほへるも
春は蝶飛ぶ花園に
立つべき足の痿(な)へたるを

やゝともすれば雲の奧に
かくれんとするいとし兒を
悲む母のふところに
退(の)かせじとする枷(かせ)にして

千代もとわれは祈れども
母は子故に死なんといふ
世に一人なる母をおきて
わが有(も)つものは
  有らじと思ふに

(『花守』明治38年=1905年11月・隆文社)
*

  鞭  横瀬夜雨

ほどけかゝりし絹の紐
ゆるき靴もて青梅の
幹はよづるに難(かた)ければ

眉ふりかくす放髪(をばなり)
姉なる姫は長(たけ)のびて
あぐる腕(かひな)の白きかな

袖を抱えて敷石に
かゞみ在(いま)せし二の君の
まろき瞳のやさしさが

(とこ)に置きける銀(しろがね)
鞭をおろして走り來る
庭は木立の緑して

鞭は短し枝高し
踊り上りて下(しも)つ枝(え)
拂へど散るは若葉のみ

母屋(おもや)の屋根に鳩鳴けど
二人の姫は言(ものい)はで
園の白日(まひる)は寂(しずか)なり

(第3詩集『二十八宿』明治40年=1907年2月・金尾文淵堂)
*
  影  横瀬夜雨
  月の夕、ひとり過ぎ行く少女を野邊に見て

影まだ淡(うす)き夕月の
照せる野べに俯(うつむ)きて
(まつげ)にあまる涙をば
稀には袖に拭ふらむ
靜に歩む少女(をとめ)あり

風に戰(おのゝ)く花すすき
(すゝき)が中に一筋の
路をし恃(たの)む秋の野に
映る我身の影見ても
寂しからんを哀なり

いかなる憂(うさ)を藏(つゝ)めれば
花の少女(をとめ)のたゞ一人
(ほつ)れし髪をかき上げて
濡るゝ裳裾(もすそ)をさながらに
荒れたる野(のら)を越ゆるらむ

片足羽川(かたしはがは)の大橋に
藍もて摺れる衣着(ころもき)
赤裳裾(あかもすそ)曳渡りけむ
昔少女(をとめ)が面影を
今眼(ま)のあたり見つるかな

手枕(てまくら)(ま)きて語らひし
我妹子(わぎもこ)ならば呼びとめて
(しばし)なりとも泣かさじを
月に背(そむ)きて行く人の
悲しき影はあれ限(き)りに

(改竄版初出『夕月』/原作復原稿『二十八宿』明治40年=1907年2月・金尾文淵堂)
*

  筑波に登る  横瀬夜雨
  昭和三年、妻と共に三女を携へて筑波に登る。河井
  醉茗北原白秋等十四人、亦行を同じうす。

朽ちたるは 白晒(しらさ)けて
山毛欅(ぶな)の森 蔭荒し
立ち罩(こ)むる 薄霧に
垂れ咲くは 擬寶珠花(ぎぼしばな)

眞弓子(まゆみこ)を 携へて
三千尺(みちさか)の 雲踏めば
從へる 愛(は)し妻の
眼に霧(き)るは 涙哉(かな)

利根鬼怒(とねきぬ)は 白々と
南へ 流れ去り
樺色(かばいろ)の 蝶(てふ)二つ
巌角(いはかど)に 舞ひ上る

浪逆(なみさか)の 湖は
浪の穂や 飜(かへ)るらむ
山の影 映しつつ
(ひむがし)は 天(そら)高し

眠りては 地の上を
人並に 駆れども
日本(ひのもと)に 登るべき
山の名は 知らざりき

眞弓子は 今やがて
走るらむ 跳ねるらむ
夢か我 足痿(な)えて
筑波嶺(つくばね)に 跨れる

風逆山(かざさえし) 風吹けば
白百合の 匂ふ山
風逆山 雨降れば
葛子鳥(しやべりどり) 下りる山

鳴呼山は 筑波嶺
(そら)高く 立てれども
命哉 ながらへて
吾終(わがつひ)に 登りたる

(『現代詩人全集・第四巻』「横瀬夜雨集」昭和4年=1929年11月・新潮社)
*

  わが額は重し  横瀬夜雨

わが額は重し
(うしろ)より射す光を厭ひ
前に動く影を惡(にく)
人憧憬(あこがれ)の夢にばかり
生くれば長き命なるもの
友よ伏せたる眉を咎むるな

わが首(こうべ)は重し
野に走らんか雲湧く
海にせんか浪白き
行くに侶(とも)なき一人ならば
影なる我に神は來らむ
友よ夢見る人の眼を突くな

わが胸は重し
匂へる花を岡に探りて
袖にすとも詮(かひ)あらんや
常陸(ひたち)の小野は秋に入りて
ただ雨の音風の聲々
友よ沈める色を罪なふな

わが心は重し
野がくれ青き草に潜みて
花に埋めし味氣無(あぢきな)の身
今は母の腕(かひな)に凭(よ)りて
幼き夢の國に到らむ
友よ俤人(おもかげびと)の名は言ふな

(初出『夜雨集』明治45年=1912年1月・女子文壇社/改訂決定稿『現代詩人全集・第四巻』「横瀬夜雨集」昭和4年=1929年11月・新潮社)
*

  我脣は燥けり  横瀬夜雨

夕焼の雲西に入りて
星影輝く空となりぬ
一人さまよふ草の戸に
落つるは冷たき涙のみ

筑波の山の猿飛岩も
踏みただらかす脚は痿(な)えたれ
來よと言はば膝行(ゐぎ)りてだに
行きて君に縋らむもの

我脣(くち)は燥(かわ)けり
燥いて焦れんとすれど
露を刺(はり)に貫(ぬ)ける薔薇の花の
白きは人なる君に似たり

肩に凭(よ)れども咎めず
手に觸るれども許せし
人は居らぬ故郷(ふるさと)
樫の大木(おほき)は芽をふきぬ

暗き夢よりさめ來れば
野上を照らす電(いなづま)
影は痛める胸の中に
射すとはすれど留まらず

(初出『二十八宿』/改訂決定稿『現代詩人全集・第四巻』「横瀬夜雨集」昭和4年=1929年11月・新潮社)
*

  お才  横瀬夜雨

女男(ふたり)居てさへ
  筑波の山に
霧がかゝれば
  寂しいもの

佐渡の小島(おじま)
  夕浪千鳥
彌彦(やひこ)の風の
  寒からむ

越後出てから
  常陸まで
泣きに遙々(はるばる)
  來はせねど

お月様さへ
  十三七つ
お父(とと)戀ふるが
  無理かえな

三國峠の
  岨路(そばみち)
越えて歸るは
  何時(いつ)ぢややら

やはり妹(をばま)
  背負繩(しよひなは)かけて
薪拾うて
  あつたもの

お才あれ見よ
  越後の國の
雁が來たにと
  だまされて

彌彦山から
  見た筑波根を
今は麓で
  泣かうとは

心細さに
  出て山見れば
雲のかからぬ
  山は無い

(改竄版初出『夕月』/原作復原稿『二十八宿』/改訂決定稿『現代詩人全集・第四巻』「横瀬夜雨集」昭和4年=1929年11月・新潮社)

Pink Floyd - The Man and The Journey. live at Concertgebouw (September 17, 1969)

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Pink Floyd - The Man and The Journey. live at Concertgebouw (September 17, 1969) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLCAkKZORPupKVuuI8j3R24DKrWg528_zM
Recorded live at Concertgebow, Amsterdam, September 17, 1969
Released by Great Dane Records(Italy, unofficial) GDR 9207, January 1992
Reissued by Shout-To-The-Top, STTP207/208, 2002
[ The Man ]
1. Introduction & Daybreak (Grantchester Meadows/R.Waters) - 9:12
2. Work (R.Waters, D.Gilmour, R.Wright, N.Mason) - 3:54
3. Teatime (R.Waters, D.Gilmour, R.Wright, N.Mason) - 3:35
4. Afternoon (Biding My Time/R. Waters) - 5:14
5. Doing It (The Grand Vizier's Garden Party/N.Mason) - 4:04
6. Sleep (Quicksilver/R.Waters, D.Gilmour, R.Wright, N.Mason) - 4:38
7. Nightmare (Cymbaline/R.Waters) - 9:15
8. Daybreak (part ll, Instrumental Reprise) - 1:22
[ The Journey ]
1. The Begining (Green is the Colour/R.Waters) - 4:56
2. Beset By The Creatures Of Deep (Careful with That Axe, Eugene/R.Waters, D.Gilmour, R.Wright, N.Mason) - 6:28
3. The Narrow Way (The Narrow Way Part III/D.Gilmour) - 5:13
4. The Pink Jungle (Pow.R.Toc.H/S.Barrett, R.Waters, R.Wright, N.Mason) - 4:48
5. The Labyrinths Of Auximenes (Let There Be More Light//instrumental middle section from A Saucerful of Secrets/R.Waters//R.Waters, D.Gilmour, R.Wright, N.Mason) - 6:39
6. Behold The Temple Of Light (R.Waters, D.Gilmour, R.Wright, N.Mason) - 5:32
7. The End Of The Beginning (A Saucerful of Secrets, Pt. IV/R.Waters, D.Gilmour, R.Wright, N.Mason) - 6:55
(The Man And The Journey Run-Through Edition)
1. Pink Floyd - The Man (live at Concertgebouw, Amsterdam. September 17, 1969) - 41:07
2. Pink Floyd - The Journey (live at Concertgebouw, Amsterdam. September 17, 1969) - 40:27
[ Pink Floyd ]
David Gilmour - electric and acoustic guitars, percussion, vocals
Roger Waters - bass guitar, acoustic guitar, percussion, vocals
Richard Wright - organ, piano, mellotron, vibraphone, vocals
Nick Mason - drums, percussion

 ピンク・フロイド幻の未発表アルバムのうち『The Man and The Journey』1969はもっとも初期のものでLP2枚組を想定した40分ずつの2部構成・組曲形式のコンセプト・アルバムであり、しかもバンド自身による完全版ライヴ全編が最上の演奏と音質でラジオ放送用音源に残されているので発掘レーベル各社からLP~CDリリースされている。ピンク・フロイドにとって組曲形式は初の試みで、『The Dark Side of the Moon』1973.3までここまで徹底した作品はなかった。その点でも、1980年代末~90年代初頭にオランダのラジオ局の再放送から明らかになった『The Man and The Journey』は多くのリスナーに驚きを与えた。
 フロイドの未発表アルバムは4作、ないし3作あり、他は『The Dark Side of the Moon』発表後同年10月~12月にスタジオ録音されたが未完成に終わったミュージック・コンクレート(楽器を使わないサウンド・エフェクト作品)『Household Objects』(2011年の『The Dark Side of the Moon』『Wish You Were Here』Collector's Boxに1曲ずつ収められている)、海賊盤業者による1974年の11月19日公演から『Wish You Were Here』1975.9と『Animals』1977.1の発表前先行ライヴ音源をアルバム化した『British Winter Tour 1974』(15万枚の売り上げを記録)、本来『Final Cut』1983.3収録曲も含んで構想されたオリジナル・コンセプト版『The Wall』1979.11といったところだが、『Household Objects』は頓挫したのも無理のない発想だったし『British Winter Tour 1974』は単に大ヒットした海賊盤ライヴにすぎず、『The Wall』と『Final Cut』の分離が成功だったのは歴史が証明している。では、ライヴ完全演奏まで完成しながら未発表になった『The Man and The Journey』とはどういうアルバムだったのか。
(Unofficial Great Dean "Pink Floyd - The Man and The Journey. live at Concertgebouw" CD Liner Cover)

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 この『The Man and The Journey』は1969年4月14日のロンドン公演で初演され、リンクを引いた同年9月17日のオランダ公演の後は部分的に解体されて1970年1月公演までは組曲形式の痕跡を残すことになる。組曲は時間的都合から『The Man』からは抜粋・『The Journey』は完奏や、『The Man』『The Journey』とも抜粋の場合も多く、最後の完奏公演だったオランダ公演がラジオ局によって録音されていなければ完全版は後世に残らなかった可能性もある。フロイド側が放送用録音を許可したのは完全版を残す意図もあったのかもしれない。アナログ盤でちょうど2枚組相当に構成された『The Man and The Journey』だが、ライヴでは演奏しても当時はアルバム化の企画は通らない理由があった。バンド側の意図は組曲形式のコンセプト・アルバムだったが楽曲単位では既発表、または発売予定アルバムに分散収録されたものが大半だったことによる。1969年9月時点で既発表、または発売予定アルバムは、
*The Piper at the Gates of Dawn (1967.8)
**A Saucerful of Secrets (1968.6)
***More (soundtracks, 1969.6)
****Ummagumma (2LP, 1969.11)
*****Zabriskie Point (soundtracks, 1970.3)
******Relics (early compilation including unreleased tracks, 1971.5)
 これを『The Man and The Journey』収録曲で見ると、以下のようになる。
"The Man" Suite
1. Daybreak (Grantchester Meadows)****
2. Work (musique concrete) unreleased
3. Teatime (musique concrete) unreleased
4. Afternoon (Biding My Time)******
5. Doing It (The Grand Vizier's Garden Party / Up the Khyber / Heart Beat, Pig Meat)****/***/*****
6. Sleep (Quicksilver)***
7. Nightmare (Cymbaline / including musique concrete)***
8. Daybreak / Part Two (instrumental reprise / The Grand Vizier's Garden Party)****/****
"The Journey" Suite
1. The Beginning (Green Is the Colour)***
2. Beset By The Creatures Of The Deep (Careful with That Axe, Eugene)******
3 . The Narrow Way / Part Three (The Narrow Way: Part 3)****
4. The Pink Jungle (Pow R. Toc H.)*
5. The Labyrinths Of Auximenes (Let There Be More Light / instrumental section)**
6. Befold The Temple Of Light (The Narrow Way: Part 2 / instrumental section)****
7. The End Of The Beginning (A Saucerful of Secrets, Pt. IV)**
(Unofficial Shout-To-the-Top "The Man Works Before the Afternoon" CD Front Cover)

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 1969年4月がこの組曲の初演というと『The Piper at the Gates of Dawn』1967.8、『A Saucerful of Secrets』1968.6の初期2作は発表済みであり、『More』(soundtracks, 1969.6)もサントラという性質上録音を急いだ(1969年2月~5月)ので、『The Man and The Journey』用の曲を『More』に転用したかその逆か、どちらにせよ新曲の成立時期は同じになる。『Ummagumma』(2LP, 1969.11)に収録されることになった曲はアルバム先行ライヴになったわけだが、『Ummagumma』は1枚がライヴ、スタジオ録音の1枚がA面をリック・ライトとロジャー・ウォーターズ、B面をデイヴ・ギルモアとニック・メイソンがアルバムの1/4ずつソロ曲を持ち寄ってできた作品で、ライヴ盤は好評だがスタジオ盤は不評な異色作ながら全英5位を記録、次作『Atom Heart Mother』1970.10で初の全英No.1を獲得する布石になっている。凝りに凝った完成度の高いアルバムからは意外にも思えるが、ピンク・フロイドの人気はヘヴィな実験的ロックのライヴ・アクトというパフォーマンス面からの話題が大きく、ほとんど休みなしにアメリカ、ヨーロッパ諸国をツアーしながら国内ツアー中にニュー・アルバムを制作する慌ただしさで、『The Dark Side~』は全曲、『Meddle』1971.11や『Wish You Were Here』や『Animals』も主要曲はライヴ先行演奏で練り上げられたものだった。
 フロイドは海賊盤先行流出を警戒して(現在はほとんどの大物バンドがそうしている)『The Wall』以降新曲のアルバム先行ライヴ演奏はしなくなる。が、フロイドの場合それはバンド内の力関係に悪く作用し、次作『Final Cut』はウォーターズが独断で解散アルバムと決めたものになり、ライヴも行われなかった。ウォーターズは40歳を期にソロ・アーティストへの転向を目指しており、同時期にミック・ジャガーもローリング・ストーンズの活動を休止してソロ活動を試みている。ミックは5年後にストーンズの活動を再開したが、フロイドはといえば5年後にはウォーターズ抜きのメンバーがフロイドを復活させて、ウォーターズと泥沼の訴訟合戦を繰り広げることになった。『The Wall』制作中のライヴのブランク期間にウォーターズと他のメンバーの乖離が決定的になっていたのが原因だが、突然ライヴをやらなくなったのがバンドの結束を崩壊させたとも思える。
(Unofficial Shout-To-the-Top "The Man Works Before the Afternoon" CD Liner Cover)

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 この組曲を当時イギリスのロック界で流行したロック・オペラのひとつとしても、最大の成功をおさめたザ・フーの『Tommy』が1969年5月発売、それに先がけたボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドの『Gorilla』が1967年10月、スモール・フェイセズの『Ogdens' Nut Gone Flake』が1968年5月(全英No.1/アルバム片面)、ザ・プリティ・シングスの『S.F.Sorrow』が1968年11月(アルバム全編)で、この『S.F.Sorrow』が『Tommy』に決定的な影響を与えたとザ・フーのピート・タウンゼント本人の証言がある。もっともブリティッシュ・ロック初のロック・オペラ曲はザ・フーのセカンド・アルバム『A Quick One』1966.12収録曲「A Quick One, While He's Away」で、9分11秒の6部構成の組曲になっている。ザ・フーは後続バンドにビートルズ、ストーンズに次ぐ影響力を誇り、初期ピンク・フロイドにもザ・フーからの楽曲・アレンジ・演奏面での影響がうかがえる。またデイヴ・ギルモアはプリティ・シングスと親しく、1998年のプリティ・シングスの『S.F.Sorrow』の全曲再演スタジオ・ライヴ盤『Resurrection』にも参加しており、先行作として『Ogdens' Nut Gone Flake』や『S.F.Sorrow』を意識せずに『The Man and The Journey』のアイディアを得たとは考えづらい。
 より直接的にはムーディ・ブルースの『Days of Future Passed』1967.11がコンセプト上の先例にもなっている。『Ogden』が一夜の男の夢の中の冒険、『S.F.Sorrow』が数奇な運命に生まれた男の成長(『Tommy』も同様)なら、『Days of Future Passed』はある男の一日を描いたコンセプト・アルバムだった。『The Man and The Journey』は第1部『The Man』である男の一日を描き、一日を終えて悪夢に迷い込むまでを描く。第2部『The Journey』は男が悪夢の中をさまよい続けるさまを描いて『Ogden』や『S.F.Sorrow』に近い趣向になる。時間的制約のあるステージでは『The Journey』の完全演奏を優先し『The Man』からは数曲の抜粋になるのが多かったというのは、音楽性はまったく違うが『The Man』はコンセプト上『Days of Future Passed』に似すぎていたからでもあるだろう。既発表曲のライヴ1枚・新曲のスタジオ盤1枚なら『Ummagumma』も『The Man and The Journey』と大差ないのだが、本格的なコンセプト・アルバムは『The Dark Side of the Moon』まで見送られた。だが『The Man~』で試みられたアルバム構成はより緊密なコンセプトで『The Dark Side~』に生きている。さすがだ。そして『The Dark Side~』はロックのコンセプト・アルバムの頂点に立っている。その原点がここにある。

偽ムーミン谷のレストラン・改(10)

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 そもそもレストランとは何だろうか、とムーミンパパは問いかけました。てかそもそも、レストランの何たるかをすら知らないわれわれがレストランにおもむくことにいったい何の意義があるだろうか。もちろん私には皆さんに対してどのような強制力も有さないが、なぜわれわれがレストランに向かわなければならないかは個々の方がたに十分な理解を持っていただきたいと考える。いががですか?
 きみの良いところは野心家であることを隠そうともしない率直さだが、とヘムル署長はひげをつまみ、そういう心配は私ら警察官に任せればよろしい。なぜなら谷の風紀は私の風紀でもあるからだ。きみの風紀ではない(とヘムル署長は言いました)、なぜなら--
 なぜなら?
 私は警察署長だから、とヘムル署長が答えると、少数とはいえ居間のあちこちから小さいブーイングが上がりました。それは今このムーミン家の居間のなかに、
・今ここにいる人
・今ここにいない人
 --の両方が集まっていたからです。一見付和雷同の衆のようなムーミン谷の人びとにも、各自の意見が分かれる時だってあるのでした。例えばムーミンママならば、ムーミンママはムーミンパパの意見には表向きすべて賛成、内心はすべて反対という立場を固持していましたから、それが内海に面した谷の湿度を下げ、かつ寒冷地帯ならではの低い年間平均気温をもたらす原因でもありました。なぜならムーミン谷とは地質学的な存在ではなく、群生した多数のムーミントロールの集合意識が作り出した概念空間として出現したものだったからです。早い話が集団睡眠中のお化けの群れが見ている同じ夢、というと身も蓋もありませんが、この夢から出たり入ったりできる例外的存在が偽ムーミンといえば、それがいかにムーミン谷にとって異質な闖入者であるかはおのずからおわかりいただけると存じます。偽ムーミンの思考は出所が特定できないまま谷の秩序に混入するノイズでした。一例を上げれば、
 --夏のしゃぶしゃぶもいいよね。
 と突然割り込んでくる空気読まずの独白などがそうでした。もちろん谷の人びとも空気など読めませんが、読めないのと「読まない」のには歴然とした違いがあります。
 そこに下男から(いるのです)異国からの従者が伝令を携えてきました、と報告がありました。お通しせよ、とムーミンパパは従者を迎え入れました。従者の伝令は開口一番に、
「プリンスが死にました」
 第1章完。


現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(a)

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 明治の生んだ伝説的詩集『孔雀船』は明治39年(1906年)5月5日刊、四号の大活字で組まれた初版本は本文188ページ、昭和13年(1938年)に岩波文庫で復刻された際には(間に昭和4年=1929年の復刊がある)序文・解説・目次込みで本文110ページ、収録詩編全18編の小冊子にすぎません。それが伊良子清白(鳥取県生まれ・本名暉造、1877-1946)の第1詩集であり生涯唯一の単行詩集で、清白の作品発表は学生時代の明治27年(17歳)から始まりますが、詩集収録詩編は明治33年(1900年、23歳)以降の作品から選ばれています。第1詩集編纂の明治39年時点では約160編の完成詩編があったそうですが、浩瀚な詩集の多かった当時、清白はあえて厳選した18編を第1詩集としました。うち傑作と名高い作品は前年の明治38年に集中しています。清白は医業を本職としており、詩集発行当時は生命保険会社の嘱託医でした。詩集の刊行打ち合わせの際に装幀画家に保険の勧誘をして激怒され、さらに詩人仲間からの無理解と保険医の生業が軽蔑を買ったことから幻滅し、職務の移転と重なって東京を去り、詩の発表も止めて浜田、大分、台湾、京都を転々とし、大正11年(1922年)三重県志摩郡鳥羽町小浜(現・小浜町)で開業医となったのです。そのまま清白は忘れられた詩人になるところでした。
 昭和4年(1929年)に『孔雀船』は日夏耿之介の熱烈な賛辞を連ねた序文つきで再刊、日夏は同年刊の『明治大正詩史』でも薄田泣菫、蒲原有明と並ぶ最高の明治詩集、世界に誇る浪漫派芸術と『孔雀船』を激賞して1章を割き、そうした再評価の気運から清白は同年の新潮社『現代詩人全集』にも河井醉茗、横瀬夜雨との「文庫」派3人集として121編の新詩集が編まれました。昭和13年には『孔雀船』が日本の現代詩集としては異例の岩波文庫からの完全復刻版が刊行されます。しかし『孔雀船』以来の単行詩集は将来編まれませんでした。
 以後も清白は詩壇から離れて短歌、詩作を続けていましたが、昭和20年(1945年)に戦火を避けて三重県度会郡七保村打見(現・度会郡大紀町打見)に疎開、翌1946年(昭和21年)に同地で深夜の往診中に送迎の自転車から転落して脳溢血により急逝しました。享年68歳。
 伊良子清白(『孔雀船』刊行の頃)

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 この『孔雀船』の完成度は与謝野鉄幹『東西南北』(明治29年)、島崎藤村『若菜集』(明治30年)に始まる新体詩完成期の明治後半期詩集の到達点として土井晩翠『天地有情』(明治32年)、薄田菫泣『二十五弦』(明治38年)、蒲原有明『春鳥集』(明治38年)、河井醉茗『塔影』(明治38年)、上田敏訳詞集『海潮音』(明治38年)、横瀬夜雨『花守』(明治38年)、薄田菫泣『白羊宮』(明治39年)、横瀬夜雨『二十八宿』(明治40年)、森鴎外『うた日記』(明治40年)、蒲原有明『有明集』(明治41年)、岩野泡鳴『闇の盃盤』(明治41年)に並び、さらに詩人にとって唯一の単行詩集としては抜群の独自性と達成度を示すものでした。日夏耿之介は明治七大詩人たる鴎外、鉄幹、藤村、晩翠、敏、泣菫、有明に次ぐ地位を清白に認めており、確かに上記詩人たちの代表詩集は現代詩の始まりを告げる里程標足り得ていますが(河井醉茗と横瀬夜雨、岩野泡鳴を足してもいいでしょう)、西洋詩の詩法の影響下ではなく、漢文脈・雅文脈にとらわれず、日本語詩としてこの上なく自然な文体と形式に安定しながら普遍的な詩の美しさを実現しているとまで思わせる点で、刊行から110年になる『孔雀船』は今でも読み継がれ、新しい読者を増やしている詩集です。
 魅力については『孔雀船』はその抒情と古典性では『白羊宮』に勝り、密度と現代性で匹敵するのはおそらく『有明集』より他にありませんが、『有明集』の革新性が今日の読者に示唆する感覚の拡大よりも『孔雀船』の柔軟な美意識に率直な訴求力があるでしょう。泣菫、有明は当時第一線の詩人として発表作品ごとに注目を集めていましたが、清白はもともと地味な作風の詩誌「文庫」でも実力はあるが地味、という定評から、『孔雀船』も地味な好評で迎えられただけでした。100年の後に同年代のどれよりも卓越した詩集と認められるとは、詩人自身ですら期待していなかったでしょう。収録詩編全18編、うち100行以上の長編詩が4編ありますが、全5回をかけて全編のご紹介をしたいと思います。底本は日本近代文学館による佐久良書房からの初版復刻版と照合し、岩波文庫版を底本にして梓書房版再刻版序文、岩波文庫版序文と献辞を冒頭に置きました。今回は詩集冒頭の5編『漂泊』『淡路にて』『秋和の里』『旅行く人に』『島』をご紹介します。
(『孔雀船』明治39年=1906年5月・佐久良書房/カヴァー装・本体)

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(『孔雀船』昭和13年=1938年4月・岩波文庫/初版・戦後版)

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故郷の山に眠れる母の靈に
*
岩波文庫本のはしに

 阿古屋の珠は年古りて其うるみいよいよ深くその色ますます美(うる)はしといへり。わがうた詞拙く節(ふし)おどろおどろしく、十年(とゝせ)經て光失せ、二十年(はたとせ)すぎて香(にほひ)去り、今はたその姿大方散りぼひたり。昔上田秋成は年頃いたづきける書(ふみ)深き井の底に沈めてかへり見ず、われはそれだに得せず。ことし六十(むそ)あまり二つの老を重ねて白髮かき垂り齒脱けおち見るかげなし。ただ若き日の思出のみぞ花やげる。あはれ、うつろなる此ふみ、いまの世に見給はん人ありやなしや。

ひるの月み空にかゝり
淡々し白き紙片
かみびら

うつろなる影のかなしき
おぼつかなわが古きうた
あらた代の光にけたれ
かげろふのうせなんとする

昭和十三年三月
清白しるす

(『孔雀船』岩波文庫版序文/昭和13年=1938年4月・岩波書店)
*
小序

 この廢墟にはもう祈祷も呪咀もない、感激も怨嗟もない、雰圍氣を失つた死滅世界にどうして生命の草が生え得よう、若し敗壁斷礎の間、奇しくも何等かの發見があるとしたならば、それは固より發見者の創造であつて、廢滅そのものゝ再生ではない。

昭和四年三月
志摩にて

(『孔雀船』再刻版序文/昭和4年=1929年4月・梓書房/転載・岩波文庫)
*
  漂泊  伊良子清白

蓆戸(むしろど)
秋風吹いて
河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし
哀れなる旅の男は
夕暮の空を眺めて
いと低く歌ひはじめぬ

(なき)母は
處女(をとめ)と成りて
白き額(ぬか)月に現はれ
(なき)父は
童子(わらは)と成りて
(まろ)き肩銀河を渡る

柳洩る
夜の河白く
河越えて煙の小野に
かすかなる笛の音ありて
旅人の胸に觸れたり

故郷(ふるさと)
谷間の歌は
續きつゝ斷えつゝ哀し
大空(おほぞら)の返響(こだま)の音と
地の底のうめきの聲と
交りて調(しらべ)は深し

旅人に
母はやどりぬ
若人(わかびと)
父は降(くだ)れり
小野の笛(ふえ)(けぶり)の中に
かすかなる節(ふし)は殘れり

旅人は
歌ひ續けぬ
嬰子(みどりご)の昔にかへり
微笑みて歌ひつゝあり

(初出・明治38年=1905年1月「文庫」)
*
  淡路にて  伊良子清白

古翁(ふるおきな)しま國の
野にまじり覆盆子(いちご)摘み
(かど)に來て生鈴(いくすゞ)
百層(もゝさか)を驕りよぶ

白晶(はくしやう)の皿をうけ
(あざら)けき乳(ち)を灑(そゝ)
六月の飮食(おんじき)
けたゝまし虹走る

清涼(せいろう)の里いでゝ
松に行き松に去る
大海(おほうみ)のすなどりは
ちぎれたり繪卷物(ゑまきもの)

鳴門(なると)の子海の幸
(な)の腹を胸肉(むなじゝ)
おしあてゝ見よ十人(とたり)
同音(どうおん)にのぼり來る

(初出・明治38年=1905年9月「文庫」)
*
  秋和の里  伊良子清白

月に沈める白菊の
秋冷(すさ)まじき影を見て
千曲少女(をとめ)のたましひの
ぬけかいでたるこゝちせる

佐久(さく)の平(たひら)の片ほとり
あきわの里に霜やおく
酒うる家のさゞめきに
まじる夕(ゆふべ)
の鴈(かり)の聲

蓼科山(たでしなやま)の彼方にぞ
年經るをろち棲むといへ
月はろ/″\とうかびいで
八谷の奧も照らすかな

旅路はるけくさまよへば
破れし衣(ころも)の寒けきに
こよひ朗(ほが)らのそらにして
いとゞし心痛むかな

(初出・明治35年=1902年12月「文庫」)
*
  旅行く人に  伊良子清白

雨の渡(わたし)
   順禮(じゆんれい)
姿寂しき
   夕間暮(ゆふまぐれ)

霧の山路(やまぢ)
   駕舁(かごかき)
かけ聲高き
   朝朗(あさぼらけ)

旅は興ある
   頭陀袋(づだぶくろ)
重きを土産(つど)
   歸れ君

惡魔木暗(こぐれ)
   ひそみつゝ
人の財(たから)
   ねらふとも

天女泉に
   下り立ちて
小瓶(をがめ)洗ふも
   目に入らむ

山蛭(やまびる)膚に
   吸ひ入らば
谷に藥水(やくすゐ)
   溢るべく

船醉(ふなゑひ)海に
   苦しむも
龍神臟(むね)
   醫(いや)すべし

鳥の尸(かばね)
   火は燃えて
山に地獄の
   吹嘘(いぶく)

(うしほ)に異香(いかう)
   薫ずれば
海に微妙(みめう)
   蜃氣樓(かひやぐら)

暮れて驛(うまや)
   町に入り
旅籠(はたご)の門を
   くゞる時

(よね)の玄(くろ)きに
   驚きて
里に都を
   説く勿(なか)

女房(にようぼ)語部(かたりべ)
   背(せな)すりて
村の歴史を
   講ずべく

(あるじ)膳夫(かしはで)
   雉子(きじ)を獲て
旨き羮(あつもの)
   とゝのへむ

芭蕉(ばせを)の草鞋(わらじ)
   ふみしめて
圓位(ゑんゐ)の笠を
   頂けば

風俗(ふうぞく)(きみ)
   鹿島立(かしまだち)

(おきな)さびたる
   可笑(をか)しさよ

(初出・明治36年=1903年3月「文庫」)
*
  島  伊良子清白

黒潮の流れて奔(はし)
沖中(おきなか)に漂ふ島は

眠りたる巨人ならずや
(かしら)のみ波に出(いだ)して

峨々(がゞ)として岩重れば
目や鼻や顏何(な)ぞ奇なる

裸々として樹を被(かうぶ)らず
(そび)えたる頂高し

鳥啼くも魚群れ飛ぶも
雨降るも日の出(いで)(い)るも

青空も大海原も
春と夏秋と冬とも

眠りたる巨人は知らず
幾千年(いくちとせ)
(ぐわん)たり鍔(がく)たり

(初出・明治34年=1901年9月「文庫」)

Sun Ra - Secrets of the Sun (Saturn, 1965)

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Sun Ra - Secrets of the Sun (Saturn, 1965) Full Album : https://youtu.be/hef9I4EVb4s
Recorded by Tommy Hunter at the Choreographer's Workshop, New York (the Arkestra's rehearsal space) in 1962, 1962.
Released by El Saturn Records 9954, 1965
Composed and arranged by Sun Ra
(Side A)
A1. Friendly Galaxy - 4:35
A2. Solar Differentials - 6:28
A3. Space Aura - 5:26
(Side B)
B1. Love In Outer Space - 4:44
B2. Reflects Motion - 9:07
B3. Solar Symbols - 2:42
[ Sun Ra and his Solar Arkestra ]
Sun Ra - piano, harp, gong
Art Jenkins - voice(on A2)
Al Evans - flugelhorn(on A1)
Eddie Gale - trumpet(on A3)
Marshall Allen - flute, alto saxophone, percussion(on A1, A3 to B3)
John Gilmore - bass clarinet, tenor saxophone, percussion, voice
Pat Patrick - flute, baritone saxophone, bongos(on A1, A3, B1, B3)
Calvin Newborn - electric guitar(on A1)
Ronald Boykins - bass(on A1 to B2)
Tommy Hunter - percussion, drums(on A1, B2)
C. Scoby Stroman - drums(on A2, A3, B2)

 前作『Art Forms of Dimensions Tomorrow』とは実際は前後はつけられず、『Art Forms~』の全7曲中2曲が1961年末録音が含まれているので録音順では先になるというだけで、『Art Forms~』の主要曲5曲と本作『Secrets of the Sun』は1962年の無料練習場セッションからの同一時期の録音になる。『Art Forms~』は1961年録音の曲も上出来で違和感がなかったが、1962年録音で統一された本作はさらに強力でサン・ラ1960年代の最高傑作の1枚といえる。ただし無条件に代表作に推せないのは、現行CDでは音質に難がある上に小規模インディーズのAtavisiticから2008年に少ない枚数プレスされただけで市場にあまり出回らず、入手が困難であることによる。なぜそうなったのかは何となく推測がつかないでもない。
 サン・ラのサターン・レーベル作品は1991年からEvidenceレーベルによって網羅的・体系的にCD化されていた。サターン・レーベル原盤のアルバムは1970年代にはメジャーのインパルス・レーベルで大半LP再発されており、一部のアルバムでは同一曲のテイク違いがあることからも再発の際にインパルス用の新規リミックス音源が制作されていたと思われる。エヴィデンスからのCD化もインパルスとサターンの両音源から使用している。だが本作『Secrets of the Sun』はインパルスからの再発はなく、エヴィデンスからも再発されなかった。アタヴィジティックからの初にして唯一のCD化は2008年にようやく実現し、17分の未発表曲「Flight To Mars」が加えられたことからもサターンからのセッション・テープが使用されたはずだが、オリジナル盤以来インパルス用マスターが作られなかったからか保管状態に問題があったようで音質の劣化が激しく、エヴィデンスがCD化を見送ったのも良好なマスターがなかったためと推定される。サイト上の圧縮ファイル音質としては気にならないのだが、オーディオ機器での再生にはきびしいCD化になっている。
(Original El Saturn "Secrets of the Sun" LP Liner Cover)

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 そうした残念な問題はあるのだが、本作はトミー・ハンターの録音エンジニアリングによる第2作であり、またサン・ラのパブリック・イメージとなる古代エジプトの土星人に扮したポートレイトがジャケットを飾った記念すべきアルバムでもある。50代以上の日本人ならサン・ラの容貌にハナ肇を連想せずにはいられないが(鼻翼の開き方や顔面の下半分が特に似ている)、ハナ肇も偉大なバンドリーダーにしてジャズマンだった(担当楽器は異なるが)。今回も例によって全曲がサン・ラのオリジナル曲だが、楽曲そのものが特殊な録音技術を生かした演奏を引き出すための作曲になっている。その点でもハンターがバンド所有のテープレコーダーで録音専属になった1962年録音は1961年末までの録音とは断絶しており、折衷的な選曲だった『Art Forms~』より1962年録音で固めた本作は、より徹底したコンセプトの下にアーケストラ従来の音楽性を融合させたスケールの大きなアルバムになった。
 実はこのアルバムは未CD化の時期が長かったのでオリジナル・サターン盤からの盤起こしのブートレッグが出回り、リミックスでもデジタル・リマスターでもないすっぴんのコピー盤で多くの?サン・ラ・リスナーのニーズに応えていたのだが、オリジナル・サターン盤でも音質は十分粗悪なものだった。サターンは会場手売りや通販で販売し一般の取次流通には乗らなかったそうで、マニアックなレコード店が直接発注して店頭販売した他はレコード店にも置かれなかったという。ジャケットの貼り込みもメンバーのお手製、レーベル用紙もレコード工場で余り用紙を使って原価削減していたそうだから盤質も最低の再生塩化ヴィニール(ジャンク品レコードを溶解・再利用したもの)を使い、レコードに気泡が入っているのも珍しくはなかった。かくもローファイの極みだが、本質的にはこの時期のサン・ラの音楽はひどいプレスのアルバムでも伝わってくると思う。ただし人には「サン・ラ=音が悪い」という見本のようなアルバムはお勧めできないので保留するのだが、1962年~1964年のアーケストラはたった1台の中古の民生用テープレコーダーでこの魔法のような音楽を作っていたのだ。
(Original El Saturn "Secrets of the Sun" LP Side A & Side B Label)

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 まずのっけのA1「Friendly Galaxy」からして尋常でないベースのリフを中心にしており、明らかに16ビートの感覚で演奏されている。フルート、本作唯一エレキギター(カルヴィン・ニューボーン)、ピアノソロがいずれも短くフィーチャーされ、ソロ・パートのないバス・クラリネットが雰囲気を出すが、これはマイルス・デイヴィスのエレクトリック・ファンク宣言アルバム『Bitches Brew』1970そのものではないか。ソロ・パートの短さもファンク度を高めている。ベースの凄さはA2「Solar Differentials」でも変わらず、ベースとポリリズムをなすピアノの低音リフはレニー・トリスターノのソロ・ピアノ作品を連想させる。1950年代にもメンバーのコーラス入りの曲はあったが、この曲でヴォーカリゼーションにゲストをいれたのは大成功で、ピアノ・トリオにパーカッションのみの楽曲編成が中盤にスリリングなパーカッション・アンサンブルになる。A3「Space Aura」はようやく2管クインテットらしい曲になるが、まったくブルースには聴こえないマイナー・ブルースでマーシャル・アレンのアルト、ジョン・ギルモアのテナーのかけ合いがすごい。いわゆるフリージャズではないのだが4ビートをやっているのに質感はまったく4ビートではなくなっている。
 B面に移ると、B1「Love In Outer Space」は6/8のリズムだがスタッカートのベース・リフにパーカッションがポリリズムで絡み、ジョン・ギルモアのバス・クラリネットは記譜不可能なヴァーバルなラインと音色になっている。ピアノが聞こえないからサン・ラはパーカッションに回っていると思われる。本作随一の大作、B2「Reflects Motion」は個別の楽器が異なるリズム・アクセントでテーマ演奏しているため最初まったくバラバラに聴こえるが、テナー・ソロからはすっきりしたサウンドになる(本作のサックスはほとんどギルモアで、アレン、パット・パトリックは主にフルートとパーカッションでアンサンブル要員になっており、逆に手の空いたメンバー総動員のパーカッション・アンサンブルは管楽器以上に音楽性を決定している)。B3「Solar Symbols」は『Art Forms~』の打楽器のリヴァーヴ・パーカッション曲「Cluster of Galaxies」「Solar Drums」の続編で、『Art Forms~』では冒頭で新生面をアピールするものだったが、楽曲水準や演奏の塾度(コンセプトの焦点)がさらに向上した本作ではエピローグ的な位置に置かれている。1962年録音・1965年発売でこんなにベースがでかく、ドラムスは音割れして、ピアノは地の底のようなリヴァーヴがかかり、管楽器のソロは極端に断片化し、しかもパーカッションが全編鳴りまくっている主流ジャズのアルバムはないだろう。そう、まだこの時点ではあくまでサン・ラは主流ジャズのアーティストで、たまたま主流ジャズには他にアーケストラのようなサウンドを出すバンドがいなかったのだ。

偽ムーミン谷のレストラン・改(11)

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 第2章。
 従者は伝令の役目を果たして引き上げて行きました。戸口まで見送ったのは好奇心旺盛なくせに気取り屋なので谷の陰口を一身に集めているスノークで、ぼんくら揃いでは例外ない谷の住人であるからにはスノークもまたぼんくらのひとりでしたが、だからこそ回避できている住人同士の衝突もあるものです。ムーミン谷は幸か不幸か絶対主(いわゆる神)の概念からは自由でしたが、それには思わぬ利点もあって誰もがぼんくらならばぼんくらの上にぼんくらはなく、ぼんくらの下にもぼんくらはない、という無関心に支えられた平等主義でしたから、スノークが出すぎた真似をしたところでそれは谷にとって不利益を招く心配もなければ、もし利益をもたらすとしても決してスノークの手柄ではなく誰がしても結果は同じだったでしょうから、このムーミン谷の市民道徳はあながち衆愚主義とは言えない美点があったのです。そして今ムーミン家の居間には、いる人もいない人も含めて主要なムーミン谷住民ほぼ全員が顔を揃えていました。すなわち、
・ムーミンパパ、ムーミンママ、偽ムーミン(偽核家族)
・スノーク、偽フローレン(偽兄妹)
・ヘムレンさん、ジャコウネズミ博士(学者、哲学者)
・ヘムル署長、スティンキー(警官と泥棒)
・ミムラ、ミイ、他総勢35名(多産系兄弟姉妹)
・ミムラ夫人(その母、かつ放浪者スナフキンの母)
・ヨクサル(放浪者スナフキンの父)
・ロッドユール、ソースユール、スニフ(ムーミン家友人の冒険家夫妻とその息子)
・フレドリクソン(ロッドユール叔父、発明家)
・3人の魔女
 その一、トゥーティッキ。気のいい世話好きな魔女トロール。
 その二、モラン。すべてを凍らせる冷たい灰色の魔女トロール。
 その三、フィリフヨンカ。きれい好きで神経質で気が小さい魔女トロール。
・ガフサ(フィリフヨンカ友人)
・エンマ(フィリフヨンカ叔母、劇場掃除婦)
・グリムラルンさん(小言爺さん)
・トフスランとビフスラン(双生児夫婦)
・ホムサたち(谷のガキども)
・ニンニ(影の薄い少女)
・ティーティウー(自我を探す這い虫)
・ニョロニョロ(群棲担子菌類)
・ご先祖様(暖炉の裏に住む老ムーミン)
・その他大勢
 --だいたいそんなところです。いないのはムーミン、フローレン、スナフキンくらいのものでした。しかし観客がいなくても芝居の上演はできるように、ムーミンたちの不在も谷には何ら影響はなかったのです。


キーマカレーとコクデミカレー

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 レトルトカレーも最近はずいぶん種類が多くなった。しかも特に高級レトルト食品というのではなくごく普通に、特売品88円とか78円(外税)とかでスーパーで売られているので独身世帯の食生活にはずいぶん重宝する。パッケージと中身の落差が激しい、ということも昔はかなりあった気がするが、最近のはそうでもない。もっともこちらが落差の許容度に馴れてしまったからかもしれないが。

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 カレーの作り置きは夏場は保たないので、今の季節にはレトルトでちょうど良くもある。福神漬けの違いくらいしか工夫の仕様がないが、たいへん美味しくいただきました。普段の食事より豪華な気もするくらいなのだ。

コスモス・ファクトリー - トランシルヴァニアの古城 (日本コロムビア, 1973)

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コスモス・ファクトリー - トランシルヴァニアの古城 (日本コロムビア, 1973) Full Album : https://youtu.be/l7IC60kni8c
Recorded at Columbia Studios, Japan, Tokyo June/July 1973.
Released by 日本コロムビア・レコード Columbia Merry Go Round Series-4 YZ-41-N, Oct 21, 1973
Produced by 立川直樹 Naoki Tachikawa, 本間高雄 Takao Honma
(Side A)
A1. サウンドトラック 1984 = Soundtrack 1984 (インストルメンタル・曲 泉つとむ) - 3:20
A2. 神話 = Maybe (詞・曲 川口恵三) - 5:54
A3. 目覚め = Soft Focus (詞・曲 立川直樹・泉つとむ) - 3:39
A4. 追憶のファンタジー = Fantastic Mirror (詞・曲 泉つとむ) - 4:27
A5. ポルタガイスト = Poltergeist (インストルメンタル・曲 泉つとむ) - 4:26
(Side B)
B. トランシルヴァニアの古城 (詞・曲 泉つとむ) - 18:40
(i)死者の叫ぶ森 = Fantastic Mirror
(ii)呪われた人々 = The Cursed
(iii)霧界 = Darknness Of The World
(iv)トランシルヴァニアの古城 = An Old Castle Of Transylvania
[ コスモス・ファクトリー Cosmos Factory ]
泉つとむ Tsutomu Izumi - Keyboards, Synthesizer (Moog), Lead Vocals
水谷ひさし Hisashi Mizutani - Guitar, Vocals
滝としかず Toshikazu Taki - Bass Guitar, Vocals
岡本和夫 Kazuo Okamoto - Drums, Percussion
Misao - Violin

 コスモス・ファクトリーはウィキペディアにも載っているが、活動期間の長さとアルバム枚数からすれば簡略すぎるほどで、
コスモスファクトリー

コスモスファクトリー(英称: Cosmos Factory)はかつて存在した日本のロックバンド。

コスモスファクトリー
出身地; 日本 愛知県名古屋市
ジャンル; プログレッシブ・ロック
活動期間; 1970年 - 1977年
レーベル; コロムビア、東芝EMI

概要
 1968年、キーボードの泉つとむを中心に「ザ・サイレンサー」として名古屋で結成。
 1973年、立川直樹プロデュースでコロムビアから1stアルバム「トランシルバニアの古城」でレコードデビュー。「コスモスファクトリー」と改名。
 1974年、EMIに移籍し1975年、2ndアルバム「謎のコスモス号」を発表。
 1976年、3rdアルバム「Black Hole」を発表。この時期、ハンブル・パイやムーディー・ブルースなどの前座を務めた。
 1977年、ラストアルバム「嵐の乱反射」を発表後に解散。
 2001年、プログレッシブ・ロックバンド「天志音」として、仲博史(ボーカル、ドラムス)、泉つとむ「泉千」(ボーカル、キーボード)、水谷ひさし(ボーカル、ギター)、山下直樹(ベース)のメンバーで名古屋を基点にライブ活動を始める。

オリジナルメンバー
泉つとむ(ボーカル、キーボード)
滝としかず(ボーカル、ベース)
水谷ひさし(ボーカル、ギター)
岡本和夫(ドラムス)

ディスコグラフィー
アルバム
1. トランシルバニアの古城(1973年)
2. 謎のコスモス号(1975年)
3. Black Hole(1976年)
4. 嵐の乱反射(1977年) 」
 (以上全文)
 と、あまりにもそっけない。70年代の国産プログレッシヴ・ロックのバンドなら四人囃子やファー・イースト・ファミリー・バンドはもっと詳しく載っている。ファー・イーストにはドイツ語版ウィキペディアにも項目があるが、コスモス・ファクトリーは外国語版には項目はない(意外なことに四人囃子にもないが)。もっともウィキペディアを基準にするなら、70年代の日本のロック最高のバンドはフラワー・トラヴェリン・バンドとサディスティック・ミカ・バンド、裸のラリーズになり、次いで日本国内で最大の影響力があったバンドとしてはっぴいえんどが紹介されているくらいになる。フラワーとミカ・バンド、ラリーズ、はっぴいえんどを日本の70年代ロック最高のバンドとするのは意表を突かれるが、案外公平かもしれない。
(Original Japan Columbia "トランシルヴァニアの古城" LP Liner Cover & Gatefold Inner Cover)

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 70年代の日本のプログレッシヴ・ロックのバンドには90年代末に初めて発掘ライヴがCD化され、以来70年代の未発表スタジオ録音が次々とアルバム化された京都のだててんりゅうを始め、関西のロックフェス「8・8ロック・デイ」のオムニバス・ライヴに数少ない音源を残した大阪のだるま食堂、伝説的な(音源がない)四国のヘヴィ・プログレバンドのイゴッソウなどが長い活動で知られ、また単発的にプログレッシヴ・ロックのアルバムを残したバンドの例もあるが(ハプニングス・フォー『引潮・満潮』71.5、『あんぜんバンドのふしぎなたび』76.9など)、デビュー作からプログレッシヴ・ロックのバンドと目され十分な枚数のアルバム制作を叶えたバンドは3、もしくは4バンドしかない。まずサディスティック・ミカ・バンドがグラム・ロックとプログレッシヴ・ロックの中間的存在として上げられ、『サディスティック・ミカ・バンド』1973.5.5、『黒船』1974.11.5、『HOT MENU』1975.11.5、『ライヴ・イン・ロンドン』1976.7.5の4作を残した。だが純粋にプログレッシヴ・ロックのバンドというと、ファー・イースト・ファミリー・バンド、コスモス・ファクトリー、四人囃子の3組を70年代の日本3大プログレ・バンドとするのが80年代以来の定説になっている。
●ファー・イースト・ファミリー・バンド
・日本人 (前身バンド・ファーラウト名義) (1973.3)
・地球空洞説 (1975.8.25)
・多元宇宙の旅 PARALLEL WORLD (1976.3.25)
・NIPPONJIN (1976.8.25)
・天空人 (1977.11.25)
●コスモス・ファクトリー
・トランシルヴァニアの古城 (1973.10.21)
・謎のコスモス号 (1975.8.5)
・Black Hole (1976.8.5)
・嵐の乱反射 (1977.7.5)
●四人囃子
・ある青春~二十歳の原点 (映画イメージ・アルバム) (1973.10.25)
・一触即発 (1974.6)
・ゴールデン・ピクニックス(1976.4.21)
・PRINTED JELLY (1977.10.25)
・'73四人囃子 ('73 幻ライヴ-俳優座ロック・コンサートより) (1978.1.25)
・包 (bao) (1978.7.25)
・NEO-N (1979.11.28)

 当時も後のようにロック系インディーズも盛んであればもっと多くのバンドがアルバムを残せたかもしれないが、70年代にはフォーク系インディーズの存在がせいぜいで、まれにロックのアルバムがフォーク系レーベルから出ることはあっても商業的な成功は望めず、短命に終わるバンドがほとんどだった。ファー・イースト、コスモス、囃子はメジャー・レーベルの目にとまり、純粋なスタジオ録音のオリジナル・アルバムを4作は残せたのだからプログレに限らず国産ロック・バンドでは有数の存在だったと言える。この3バンドでは四人囃子がメンバーの年齢ではもっとも若く、アルバム・デビュー時の平均年齢は20歳だった。コスモスの前身のサイレンサー(泉、水谷在籍)とバーンズ(滝、岡本在籍)はグループ・サウンズ時代のバンドになり、ファー・イースト(ファーラウト)も活動は早くコミック・ソングの企画シングルを71年、72年には少女タレントの企画アルバムに全面参加している。ファー・イーストが本格的にヒッピー的で四人囃子がもっとも若い世代の感覚をそなえてデビューしたとしたら、コスモスは3バンドの中ではセンスにおいてオーソドックスな観をまぬがれなかった。プログレッシヴ・ロックではあるが出自がGS期であるためにビート・グループ的な楽曲をサイケデリック・ロック以降のアレンジで仕上げる発想の尻尾があり、具体的にはヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライを代表とするアメリカのダークなオルガン・ヘヴィ・サイケのバンドが原点にある。イギリスのプログレッシヴ・ロックやハード・ロックもファッジやバタフライの影響下で生まれたので、イギリスのバンドではなくアメリカのオルガン・ヘヴィ・サイケのバンドから直接発展したオリジナリティがコスモスにはあった。特に似ているのは「Black Sheep」1968で知られるデトロイトのバンド、SRCで、ゴールデン・カップス時代のルイズルイス加部氏もフェヴァリット・バンドに上げている。
SRC - Black Sheep (45 Version, 1968) : https://youtu.be/XUrLjD33Vyo
(Original Japan Columbia "トランシルヴァニアの古城" LP Lylic Sheet)

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 解散後も高い人気を誇る四人囃子、伝説的なファー・イーストと較べるとコスモスは地味な存在で、現在でもあまり再評価されているとは言えないがファー・イースト、四人囃子同様コスモスも本作がスペインの復刻レーベルPhenix Recordsから『An Old Castle Of Transylvania』として輸入盤発売されており、レーベルのカタログにはこうある。
「Product Description; Digitally remastered edition of this 1973 album from the Japanese Prog rockers. Cosmos Factory played the local scene for a couple of years before gaining anything more than local success. The band finally made its name as support for The Moody Blues and signed to Columbia Records in 1973, releasing their debut (and best) album An Old Castle Of Transylvania that same year. Cosmos Factory took their marvellous name from a wholly cosmic misreading of Creedence Clearwater Revival's LP Cosmo's Factory, which has unfortunately led many to believe that they were a Space Rock band. Instead, this is Moog keyboard heavy in an Italian progressive style, and the epic 18-minute title track that closes the album enters the realms of real experimentation. For fans of The Nice, Arzachel and early King Crimson.」
 イタリアのヘヴィ・プログレ・スタイルとの類似を上げているのが興味深い。確かにジャーマン・ロック的なファー・イースト、英米ロックからストレートに影響を受けた囃子にはないくどさと垢抜けなさがコスモスにはあって、たぶんメンバー(特に別姓名義だが泉・水谷兄弟)はロックが大好きなんだろうと思わせる没入ぶりがあり、全曲の作詞作曲を手がける(A2のみ外部作者)泉の巧みなマルチ・キーボードと声量あるヴォーカル、音色・フレーズとも見事な水谷のリード・ギター、確かな腕前の滝・岡本のベースとドラムスにケチをつけるところはまったくない。だがバンドが一丸となると日本のバンドでは珍しく高い水準のヴォーカル・コーラス(A2のイントロはクリーム「White Room」だろう)とあいまって、やりすぎなほど臭い世界が広がってしまうのだ。日本ではイタリアン・ロックは熱心な愛好家が多いが、日本の70年代バンドでもっともイタリアン・プログレに近いキャラクターの音楽をやっていたコスモスに日本のリスナーの点が辛いのは近親嫌悪に近い感覚があるのかもしれない。
(Original Japan Columbia "トランシルヴァニアの古城" LP Side A & Side B Label)

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 実際コスモスの泉つとむはリーダー/ソングライター/ヴォーカリストとしてファー・イーストの宮下富美夫、四人囃子の森園勝敏(後期は佐藤ミツル)よりも安定した実力を感じさせる。当時はイタリアン・ロックは日本には未紹介どころか同時進行のムーヴメントだったので、特定のブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックのバンドからの影響(フライド・エッグには露骨にキング・クリムゾンやEL&Pを下敷きにした曲があり、ファーラウトと四人囃子はピンク・フロイドが下地にあった)ではないコスモスのサウンドには十分なオリジナリティがあった。曲調がどの曲も似ている欠点はあるがその分統一感はあり、アルバム・ジャケットの陰鬱なイメージもサウンドに合っていてセンスが良いとは思えなくても悪くはない。ではなぜコスモスの音楽は臭く聴こえるのか。このアルバムの白眉はシングル・テイクも発売された名曲A4で、パーカッシヴなリフが特徴的なアルバム・テイクも良いがシングルとしてはこのヴォーカルが前面に出たアレンジは成功と言える。
(「追憶のファンタジー」シングル・ジャケットより)

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追憶のファンタジー (Single Version) : https://youtu.be/QbicmE1_m3M

 コスモスは本格的にイギリスのプログレッシヴ・ロックから学んだバンドだが、歌詞に外来語も使わないくらい日本語の歌を大事にしていたのはソングライターでリード・ヴォーカルをとる泉つとむのポリシーだろう。後期には滝、水谷も楽曲提供し、第3作『ブラック・ホール』はあからさまに後期キング・クリムゾンを下敷きにしたタイトル曲があり、ラスト・アルバム『嵐の乱反射』では全曲英語詞になるが、デビュー作にして自信作『トランシルヴァニアの古城』で築き上げたスタイルが当時ほとんど注目されずに、四人囃子やファー・イーストにあっという間に差をつけられたのが迷走の始まりだったかもしれない。
 コスモスへの好評も不評もヴォーカルやサウンドのあまりにドラマチックで過剰な抒情性を指摘し、それは英米ロックというよりも当時のリスナーには歌謡曲的に聴こえたことがある。評価はロックというにはあまりに日本的ではないか、と論点では一致していたのだが(ファー・イーストや四人囃子にも少なからず言われた)、イタリアやドイツ、フランスの70年代ロックが紹介されてみると非英語圏のロックはどこもだいたい英米ロックを各国独自に誇張したスタイルをとるのが判明した。「追憶のファンタジー」はピーター・ハミルというより布施明のようだが、布施明だってロック・シンガーとしてのキャリアがある。自国のロック・バンドを二流の亜流扱いしていたのは非英語圏のどこの国でもあったことで、コスモスが苦戦したのも無理はなかった。ただし「このバンドの音は飽きる」とした寸評もあって、それがファー・イーストや四人囃子とコスモスを分けているのは否めない。安定した実力は必ずしも魅力にはつながらず、コスモスの場合はサウンドを平坦なものにしている。難しいものだと思う。

偽ムーミン谷のレストラン・改(12)

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 スナフキンの遺体は濡れた新聞紙を何重にも重ねて隙間なく包まれていました。乾いた新聞紙は意外なほどに丈夫で破れにくいものですが、濡れた新聞紙ほど破れやすい包み紙はないことからも遺体はまず乾いた新聞紙で包まれて、その後にまんべんなく水浸しにされたものと思われました。新聞紙の表面には水ににじんだために読み取れないのか、もともとこの状況で予想される発見者には読めない種類の言語なのか、あるいは言語ですらなく単に新聞紙らしき体裁のためだけに雑多な記号を組み合わせてあるだけかも確実には判別できない印刷がほどこされていました。ただしもしこの新聞紙が新聞紙を模したダミーだとすれば、何も伝えない新聞を新聞とは呼べないことからも、そもそも新聞紙ですらない可能性すら浮かんできます。その場合この遺体を包んでいるものは新聞紙でないのならば印刷された紙の様子をした屍衣にすぎず、スナフキンは新聞紙で包まれた遺体ではないことになります。
 まずいな、とスナフキンは思いました、心臓が破裂しそうだ。
 ホットケーキの発祥は古代エジプトと言われ(要出典)、小麦粉に玉子と砂糖を加えて混ぜたものをバターで焼いたものがそれに当たるといいます。現在市販されているホットケーキ粉は70年ほど前に発売され、当初はまんじゅうを作る粉としても使えるようにするため砂糖は含まれずなかなか広まりませんでした。やがて砂糖を加えたミックス粉が発売されホットケーキは家庭料理菓子として普及しますが、これをホットケーキと呼ぶのは150年程度前に伝播したごく一部の国で、ホットケーキに先だってパンケーキ(フライパンで焼くケーキ)が材料・調理法とも大部分の国では行われています。バターを乗せはちみつをかけて食べるのも同じです。パンケーキとホットケーキの違いは生地を薄く焼くのがパンケーキ、厚く焼くのがホットケーキと言うだけにすぎません。ちなみに厚く焼くこつは円周状に重ねて生地を足すとたっぷりした厚さに仕上がります。
 スナフキンの遺体を包んだ新聞紙の家庭欄にはそうした記事が掲載されていました--もしそれが新聞紙であれば、です。ですがもしその新聞に家庭欄がなかったら、またはその記事の部分だけがていねいに切り抜かれているとしたら、あるいは辛子マヨネーズを塗って食べるものとされていたらどうでしょうか。
 それは考えられないことでした。あまりに無理がありました。


Sun Ra - What's New / The Invisible Sheild (Saturn, 1975/1974)

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(Original El Saturn "What's New" LP Liner Cover and Side A Label)

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Sun Ra - What's New (Sub Undergound Series) (Saturn, 1975)
Recorded by Tommy Hunter at the Choreographer's Workshop, New York (the Arkestra's rehearsal space) in 1962.Side B possibly recorded in 1972.
El Saturn Records ?- ES752, 1975
(Side A)
A1. What's New? (J.Burke, B.Haggart) : https://youtu.be/m0EkstjVogo - 6:55
A2. Wanderlust (Sun Ra) - no links
A3. Jukin' (Sun Ra) - no links
A4. Autumn In New York (Vernon Duke) : https://youtu.be/NxYFstZM_C4 - 7:02
(Side B)
B1. We Roam The Cosmos : https://youtu.be/psvO0AIF3iA - 10:36
[ The Sun Ra Arkestra ]
Sun Ra - piano
Walter Miller - trumpet
John Gilmore - tenor saxophone
Ronnin Boykins - bass
Clifford Jarvis or Lex Humphries - drums
and the others

 ついにこの日が来た、というかよくここまで持ったなと言うべきだろう。この位置でいいのか座りが悪いが(後述)次作『When Sun Comes Out』 (El Saturn, rec.1963/rel.1963)が1963年録音で統一されているからA面が1962年録音とされる本作は録音順でサン・ラの17作目に当たる。17作目にしてようやく全曲リンクを引けないアルバムが登場した。それはこのアルバムは初版の収録曲を復刻したCD化がされていないからで、筆者も盤起こし(LPレコードからのコピー盤)のUnofficial CDでしか知らない。A面はサン・ラのオリジナル2曲をスタンダード2曲が挟んだ構成で、前年録音のニューヨーク進出第1作『Bad and Beautiful』と似た構成だが、進出第4作の本作では1年の間に楽曲もバンドも格段にタイトになっている。
 問題は2点あり、アルバム発表が1975年と遅れすぎたためにB面(全1曲)は推定録音年1972年のテイクが強引にカップリングされた(アルバム順の座りの悪い理由)。なぜ1972年かというとこの「We Roam The Cosmos」、1972年10月録音のアルバム『Space is the Place』(サン・ラ主演の同名映画のための新曲をアルバム用再録音したアルバム)のA面全面を占めるタイトル曲(そちらは21分14秒ある)と異名同曲で、同アルバムはメジャー傘下のブルー・サム・レコーズから1973年に発売されているからサターン盤では改題したとおぼしい。演奏や録音状態からもこちらの「We Roam The Cosmos」は練習テイクで、演奏時間も「Space is the Place」の半分だから本番テイクとは思えない。こういう半端な演奏を収録したせいでサターン・レコーズには『What's New』の異版もある。それが次にご紹介する「Hybrid Version」と呼ばれるもので、収録曲に違いがある。
*

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Sun Ra - What's New (Sub Undergound Series) / Hybrid Version (Saturn, 1975)
Recorded by Tommy Hunter at the Choreographer's Workshop, New York (the Arkestra's rehearsal space) in 1962.
El Saturn Records ?- ESR 752 / 529, 1975
This is a hybrid version of "What`s New? that has the original B side replaced with side A of "The Invisible Shield"(Saturn, 1974). It`s more common than the original version.
(Side A)
A1. What's New? (J.Burke, B.Haggart) : https://youtu.be/m0EkstjVogo - 6:55
A2. Wanderlust (Sun Ra) - 5:53 *no links
A3. Jukin' (Sun Ra) - 2:25 *no links
A4. Autumn In New York (Vernon Duke) : https://youtu.be/NxYFstZM_C4 - 7:02
(Side B)
B1. State Street (Sun Ra) : https://youtu.be/tc_t8lxubPs - 3:49
B2. Sometimes I'm Happy (I.Caesar, V. Youmans) : https://youtu.be/zitlM8qqXSY - 6:37
B3. Time After Time (Stereo) (Jule Styne, Sammy Cahn) : https://youtu.be/PjaYI_eIJ9g - 3:36
B4. Time After Time (Mono) (Jule Styne, Sammy Cahn) - no links
B5. Easy To Love (Cole Porter) : https://youtu.be/o3OWiH_Ddb4 - 3:36
B6. Sunny Side Up (Buddy De Sylvia) : https://youtu.be/GcpV_hZ4E8g - 3:39
[ The Sun Ra Arkestra ]
Sun Ra - piano
Walter Miller - trumpet
John Gilmore - tenor saxophone
Ronnin Boykins - bass
Clifford Jarvis or Lex Humphries - drums
and the others

 ご覧の通りジャケット違いで、アルバムのA面は同じだがB面はB1のみサン・ラのオリジナルでB2以降はスタンダード4曲・5テイクが並び、1962年録音で統一されたアルバムになった。となると一見先の『What's New』の改訂版かと思われるが、実際はどちらが先に出たか、または同時に出たか判然としないらしい。つまりこちらの全曲1962年録音版が先で、B面を1972年録音に差し替えた方が後という可能性も、意図的にかプレスミスかで(ジャケットにもレーベルにも曲目の記載がない)両方が出回った、というサン・ラならでは、手売りレーベルのサターン・レコーズならではの事態になったとも考えられる。
 意図的に、という可能性があるのは、実は1962年録音統一版のB面は『What's New』1975発売の前年、1974年に初版が出た『The Invisible Sheild』ですでに発売されていたからだった。今回は異例の3枚紹介なのはそういう事情で、次のアルバムがそれになる。これが輪をかけてややこしいアルバムで、いずれまた取り上げなければならないのだが(後述)、一応ご紹介しないわけにはいかない(後述)。
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Sun Ra - The Invisible Shield (Saturn, 1974)
Credited as Recorded in 1962 (Side A), 1970 (Side B) but possibly 1970 & 1973 (Side B)
Saturn Research ?- 144000, El Saturn Records ?- 529, 1974/1977
Reissued as "Janus", "A Tonal View of Times Tomorrow, Vol. 2", "Satellites are Outerspace", Side A replaced 1969-1970 materials.
(Side A)
A1. State Street (Sun Ra) : https://youtu.be/tc_t8lxubPs - 3:49
A2. Sometimes I'm Happy (I.Caesar, V. Youmans) : https://youtu.be/zitlM8qqXSY - 6:37
A3. Time After Time (Jule Styne, Sammy Cahn) : https://youtu.be/PjaYI_eIJ9g - 3:36
A4. Time After Time (Jule Styne, Sammy Cahn)
A5. Easy To Love (Cole Porter) : https://youtu.be/o3OWiH_Ddb4 - 3:36
A6. Sunny Side Up (Buddy De Sylvia) : https://youtu.be/GcpV_hZ4E8g - 3:39
(Side B)
B1. Island In The Sun (Sun Ra) : https://youtu.be/JKxyz_ZY-vQ - 5:27
B2. The Invisible Shield (Sun Ra) : https://youtu.be/8VAhOB-hgq4 - 12:44
B3. Janus (Sun Ra) https://youtu.be/U4YYNsSzWVA - 7:22
[ Sun Ra and his Intergalactic Research Arkestra ]
Personnel incredited.

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 これがジャケットのない(業務用の無印刷ジャケットに入れただけの)1974年発売の『The Invisible Sheild』になる。ジャケット印刷もクレジット・シートもないから曲目と「Sun Ra and his Intergalactic Research Arkestra」名義、レコード番号がわかるだけでメンバーも録音データもわからず、A面は『What's New』ハイブリッド版(ハイブリッド版と呼ぶ由来はA面62年+B面72年版『What's New』のA面と『The Invisible Sheild』A面からなることから呼ばれる)のB面に収録されるまで1962年録音と判明しなかった。公式クレジットの1962年はそのデータに基づき、これはハイブリッド版の存在からもミスではないだろう。
 問題はB面で、1977年に『Janus』として本作B面はそのまま、A面は差し替えの再発盤が出た時に丸ごと1970録音とされた(本作を録音順では『Janus』版で再度ご紹介する要がある理由)。公式クレジットはそれに基づくが、これが信用おけないらしく、マニアの研究では新登場のA面は1969年~1970年、B面(『The Invisible Sheild』B面と同じ)は1970年と1973年セッションからの曲ではないか、という説が有力らしい。さらにこのアルバムは『A Tonal View of Times Tomorrow, Vol. 2』『Satellites are Outerspace』と改題した異版もあるらしく、筆者も『The Invisible Sheild』『Janus』までは揃えたが『A Total View~』『Satellites are~』までは持っていない。サン・ラの歿後発表アルバムには2007年~2008年に『The Lost Reel Collection』と題して「Volume 1」から「5」まで1970年~1974年の5年分の未発表録音をCD8枚にまとめてリリースしたものがあるから、『A Total View~』や『Satellites are~』の差し替え曲はそこに含まれているかもしれない。しかしそこまで大量にサン・ラを聴くと、セッション単位はともかくとして1曲単位では区別がつかなくなってくるのだ。今回は演奏内容についてはほとんど触れないご紹介になってしまったが、1963年度に入った次作『When Sun Comes Out』は傑作連発期の到来を告げる1961年~1962年録音の前々作『Art Forms of Dimensions Tomorrow』、1962年録音の前作『Secrets of the Sun』からさらにテンションの高い、圧倒的なパワーがみなぎる名盤で、録音順18作目にして完成即発売されたアルバムでは『Jazz by Sun Ra』1957、『Super-Sonic Jazz』1957、『Jazz in Silhouette』1959、『The Futuristic Sounds of Sun Ra』1961に次ぐ第5作になった自信作でもある。次回ご期待ください。『Art Forms~』や『Secrets of~』を差し置いて『When Sun Comes Out』まで熟成を待ったサン・ラのすごみがわかる。

偽ムーミン谷のレストラン・改(13)

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 ムーミンは退屈になってきたので考えごとでもしてヒマつぶししようと思いつきました。たとえば国勢調査などの統計調査で、回答者が年齢や生まれ年を、キリのいい数字(典型的には下1桁が0や5である数字)や、文化的に好まれる思える数字(よくある例ではサバを読んだりその逆だったり、縁起の良い年生まれとしたり)で不正確に報告することがあります。ウィップル指数とは人口統計学で用いられる指標で、そういった統計が年齢や生まれ年を不正確に報告する傾向を測る方法のひとつとして知られます。それは人口ピラミッドなどの年齢統計で0または5で終わる年齢が特に値が突出して多くなるという、エイジ・ヒーピングと呼ばれる現象に基づいています。それは自分の年齢を正確に知らない人が自分の年齢を回答する場合、自分の年齢に近いと思われる、切りの良い数字で回答することが主な原因となります。この現象は発展途上国の統計に多く見られますが、発展途上国の場合でも十二支が社会的習慣として浸透している国では必ずしもそうとは限りません。エイジ・ヒーピング(10進法とその中間値としての0、5)が診られる統計結果では末尾が0または5の回答を全人口に平均化すれば完全値に近い精度が求められる、というのがウィップル指数の考えで、これが完全値との偏差の大きい統計ほど回答の平均値を許容値の中心とすると、非常に不良、不良から、比較的正確、非常に正確まで信憑性・精度を判定できるとするのがウィップル指数の応用による人口統計学の基本になっています……
 ああ喉が乾いた、とムーミンは(思っただけですが)思いました。思いついた飲み物はマヨネーズでした。マヨネーズ、とムーミンは声に出してみました。まあ言うだけはタダですから。でもパンの耳につければマヨネーズはサンドイッチのスプレッドになる、つまり飲み物じゃなくて食べ物になるわけだ……
 ウィップル指数が統計情報の分析に使えるのは一部の哺乳動物だけで、動物一般にはぜんぜん役に立たないのも自明のことです。では応答反応が観測できる生物ならば、バクスター効果が得られる植物であってもウィップル指数による統計分析が可能ではないか。マヨネーズが飲み物にも食べ物にも分類できるように、また概念の実体化であるムーミントロールの谷にも樹木や草花があるように、メタフィジックとフィジカルが両立するシステム環境が観測できるのではないか……


現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(b)

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伊良子清白(1877-1946/『孔雀船』刊行の頃)

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 生前刊行に単行詩集『孔雀船』(明治39年=1906年)1冊、他には文学全集『現代詩人全集』(新潮社・昭和4年=1929年)に自選詩集の収録があったきりの明治30年代の詩人、伊良子清白の詩編を、『孔雀船』から順を追ってご紹介する第2回は、前回の詩集冒頭の5編に続いて2編をご紹介します。冒頭5編は一応短詩というべき長さで内容も抒情詩と言えるものでしたが、今回の2編はいずれも100行を越え、「海の聲」は岩波文庫版で10ページ、「夏日孔雀賦」は14ページにもおよぶ長詩です。岩波文庫版『孔雀船』は110ページほどの小冊子で収録詩編は全18編ですから、この2編だけで22%の占有率になるわけで、しかもタイトルからも詩集『孔雀船』は孔雀と海が暗示されていますから、連続して配列されたこの2編は詩集の中心テーマを示すものと考えられます。「海の聲」は雑誌発表型では「海の聲山の聲」と題され、詩集収録に当たって半分の長さに改作されました(「海の聲山の聲」はのち原型に復して『現代詩人全集』に再録されており、この選詩集には『孔雀船』からは他には9編しか再録されていませんから、清白自身にも原型には愛着を持っていたと推察されます)。
 明治の詩で現代の読者が読みづらいのが、どの詩人にも長大な叙事詩や劇詩があることで、薄田泣菫と蒲原有明はともに4冊の詩集を持つ好敵手で島崎藤村(やはり4冊)の系譜を大正詩に向けて大きく変革した詩人ですが、叙事詩と劇詩を含まない詩集はありませんでした。『孔雀船』にもさらに100行以上の叙事詩が「華燭賦」(明治33年=1900年12月「文庫」、「南の家北の家」三を分割改題)、劇詩「駿馬問答」(明治34年=1901年1月「文庫」)の2編あり、全18編中の4編ですがページ数からはこの4編だけで詩集の半分弱を占めています。先に『孔雀船』のタイトルに触れましたが、詩集名は「五月野」「きらら雲」「孔雀船」の三案が候補にあったと言われており、「五月野」は詩集収録詩編中前年の自信作(明治38年=1905年9月「文庫」)の表題ですが「きらら雲」「孔雀船」は蒲原有明の翻案叙事詩(劇詩)「姫が曲」(明治37年=1904年3月「新小説」/明治38年=1905年7月・第3詩集『春鳥集』本郷書院)に現れる造語です(「孔雀ぶね」の表記)。
 
 明治33年(1900年)10月~12月に「文庫」に連載された「南の家北の家」は清白の詩歴でも数少ない話題作になりましたが『孔雀船』では第3章だけを「華燭賦」と改題収録しているように、詩集の「海の聲」は明治37年(1904年)1月「文庫」発表「海の聲山の聲」を1/3程度に圧縮改作したもので、「夏日孔雀賦」は明治35年(1902年)6月「文庫」発表(孔雀のモチーフは「姫が曲」より早かったわけです)と、発表順では「華燭賦」(明治33年)、「駿馬問答」(明治34年)、「夏日孔雀賦」(明治35年)、「海の聲」(明治37年)になりますが「華燭賦」と「海の聲」は前述の通り雑誌発表型から最終章だけ独立させたもの、または大胆に圧縮改作しており、叙事詩・劇詩の全盛期だった明治30年代に清白はもっと多くの叙事詩を発表していますが、『孔雀船』にはただ4編を精選し、また短縮しているのもわかります。
 詩集『孔雀船』(明治39年)のうち半数の傑作は刊行前年の明治38年度に集中して書かれ、発表されていますが、清白は明治27年(1894年)以来の発表作品中明治33年(1900年)以降の詩編のみを対象とし、近年の作品ほど充実した内容になりました。それらは比較的短い抒情詩(清白の場合は客観的視点の作品が多いことから、叙事詩と抒情詩の区分が解釈次第で異なるので単純には言えず、「抒情的な短詩」という程度の区分ですが)で、詩人の第1詩集は取捨選択があってもいわば全詩集です。明治30年代の詩人として清白が叙事詩・劇詩を手がけたのは自然なことで、詩集の中では古い年代からほぼ毎年1編を採ったのは清白の詩歴を示すもので、また改作して密度を高めることで詩集『孔雀船』全体の調子とも整えており、詩編単位で読むとしたら現代の読者には確かに明治の叙事詩はとっつき辛い詩形です。しかし詩集の中にはしっくりはまる。また、明治20年代の『孝女白菊の歌』『十二の石塚』から与謝野鉄幹、土井晩翠を通って薄田泣菫、蒲原有明に至るまで、叙事詩・劇詩の実作で清白ほどこなれた成功例はほとんどないとも言えるのです。

(『孔雀船』明治39年=1906年5月・佐久良書房/カヴァー装・本体)

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  海の聲  伊良子清白

いさゝむら竹打戰(うちそよ)
丘の徑(こみち)の果にして
くねり可笑しくつら/\に
しげるいそべの磯馴松(そなれまつ)

花も紅葉もなけれども
千鳥あそべるいさごぢの
渚に近く下り立てば
沈みて青き海の石

貝や拾はん莫告藻(なのりそ)
摘まんといひしそのかみの
歌をうたひて眞玉(またま)なす
いさごのうへをあゆみけり

波と波とのかさなりて
砂と砂とのうちふれて
流れさゞらぐ聲きくに
いせをの蜑(あま)が耳馴れし
音としもこそおぼえざれ

社をよぎり寺をすぎ
鈴振り鳴らし鐘をつき
海の小琴(をごと)にあはするに
澄みてかなしき簫(ふえ)となる

御座(ござ)の灣(いりうみ)西の方(かた)
和具の細門(ほそど)に船泛(う)けて
布施田の里や青波の
潮を渡る蜑(あま)の兒等

われその船を泛べばや
われその水を渡らばや
しかず纜(ともづな)解き放ち
今日は和子(わくご)が伴たらん

見ずやとも邊(べ)に越賀の松
見ずやへさきに青の峰
ゆたのたゆたのたゆたひに
潮の和(なご)みぞはかられぬ

和みは潮のそれのみか
日は麗らかに志摩の國
空に黄金(こがね)や集ふらん
風は長閑に英虞(あご)の山
花や縣(あがた)をよぎるらん

よしそれとても海士(あま)の子が
歌うたはずば詮ぞなき
歌ひてすぐる入海の
さし出の岩もほゝゑまん

言葉すくなき入海の
波こそ君の友ならめ
大海原に男(を)のこらは
あまの少女は江の水に

さてもかとりの衣ならで
船路間近き藻の被衣(かつぎ)
女だてらに水底の
黄泉國(よもつぐに)にも通ふらむ

黄泉の醜女(しこめ)は嫉妬(ねたみ)あり
阿古屋(あこや)の貝を敷き列ね
顏美(よ)き子等を誘ひて
岩の櫃もつくるらん

されば海(わた)なる底ひには
父も沈しづみぬちゝのみの
母も伏(こや)しぬ柞葉(はゝそは)
生れ乍らに水潛る
歌のふしもやさとるらん

櫛も捨てたり砂濱に
(かざし)も折りぬ岩角に
黒く沈める眼のうちに
映るは海の泥(こひぢ)のみ

若きが膚も潮沫(しほなわ)
觸るゝに早く任せけむ
いは間にくつる捨錨(すていかり)
それだに里の懷しき

哀歌をあげぬ海なれば
花草船(はなぐさふね)を流れすぎ
をとめの群も船の子が
袖にかくるゝ秋の夢

夢なればこそ千尋なす
海のそこひも見ゆるなれ
それその石の圓くして
白きは星の果ならん

いまし蜑(あま)の子艪拍子(ろびやうし)
など亂聲(らんざう)にきこゆるや
われ今海をうかがふに
とくなが顏は蒼みたり

ゆるさせたまへ都人(みやこびと)
きみのまなこは朗らかに
いかなる海も射貫くらん
傳へきくらく此(この)海に
男のかげのさすときは
かへらず消えず潛女(かつぎめ)
深き業とぞ怖れたる

われ微笑にたへやらず
肩を叩いて童形(どうぎやう)
神に翼を疑ひし
それもゆめとやいふべけん

島こそ浮べくろ/″\と
この入海の島なれば
いつ羽衣の落ち沈み
飛ばず翔らず成りぬらむ

見れば紫日を帶びて
陽炎(かぎろ)ひわたる玉のつや
つや/\われはうけひかず
あまりに輕き姿かな

(しら)ら松原小貝濱(こがひはま)
泊つるや小舟(をぶね)船越(ふなごし)
昔は汐も通ひけん
これや月日の破壞(はゑ)ならじ

潮のひきたる煌砂(きらゝずな)
うみの子ならで誰かまた
かゝる汀(みぎは)に仄白き
鏡ありとや思ふべき

大海原と入海と
こゝに迫りて海神(わたつみ)
こゝろなぐさや手すさびや
(くが)を細めし鑿(のみ)の業(わざ)

今細雲の曳き渡し
紀路は遙けし三熊野や
白木綿(しらゆふ)咲ける海岸(うみぎし)
落つると見ゆる夕日かな

(初出・明治37年=1904年1月「文庫」発表「海の聲山の聲」より改作)
*
  夏日孔雀賦  伊良子清白

園の主に導かれ
庭の置石石燈籠(いしどうろ)
物古(ふ)る木立築山の
景有る所うち過ぎて
池のほとりを來て見れば
棚につくれる藤の花
紫深き彩雲(あやぐも)
陰にかくるゝ鳥屋(とや)にして
(つがひ)の孔雀砂を踏み
優なる姿睦つるゝよ

地に曳く尾羽の重くして
歩はおそき雄(を)の孔雀
雌鳥(めとり)を見れば嬌(たを)やかに
柔和の性は具ふれど
綾に包める毛衣(けごろも)
己れ眩き風情あり

雌鳥雄鳥(をどり)の立竝び
砂にいざよふ影と影
飾り乏(とぼし)き身を恥ぢて
雌鳥は少し退けり
落羽は見えず砂の上
清く掃きたる園守(そのもり)
(はゝき)の痕も失せやらず
一つ落ち散る藤浪(ふぢなみ)
花を啄(ついば)む雄(を)の孔雀
長き花總(はなぶさ)地に垂れて
歩めば遠し砂原(いさごばら)
見よ君來れ雄の孔雀
尾羽擴(ひろ)ぐるよあなや今
あな擴げたりこと/″\く
こゝろ籠めたる武士(ものゝふ)
晴の鎧に似たるかな
花の宴(さかもり)宮内(みやうち)
櫻襲(さくらがさね)のごときかな
一つの尾羽をながむれば
右と左にたち別れ
みだれて靡く細羽の
金絲(きんし)の縫(ぬひ)を捌くかな
圓く張りたる尾の上に
圓くおかるゝ斑(ふ)を見れば
雲の峯湧く夏の日に
炎は燃ゆる日輪の
半ば蝕する影の如(ごと)
さても面は濃やかに
げに天鵞絨の軟かき
これや觸れても見まほしの
指に空しき心地せむ

いとゞ和毛(にこげ)のゆたかにて
胸を纒へる光輝(かゞやき)
紫深き羽衣は
紺地の紙に金泥(こんでい)
文字を透すが如くなり
(かぶり)に立てる二本(ふたもと)
羽は何物直にして
位を示す名鳥の
これ頂(いたゞき)の飾なり
身はいと小さく尾は廣く
盛なるかな眞白なる
砂の面を歩み行く
君それ砂といふ勿れ
この鳥影を成す所
(たへ)の光を眼にせずや
仰げば深し藤の棚
王者にかざす覆蓋(ふくがい)
形に通ふかしこさよ
四方に張りたる尾の羽の
めぐりはまとふ薄霞(うすがすみ)
もとより鳥屋(とや)のものなれど
鳥屋より廣く見ゆるかな

何事ぞこれ圓(まど)らかに
張れる尾羽より風出でゝ
見よ漣(さゞなみ)の寄るごとく
羽と羽とを疾(と)くぞ過ぐ
天つ錦(にしき)の羽の戰(そよ)
香りの草はふまずとも
香らざらめやその和毛(にこげ)
八百重(やほへ)の雲は飛ばずとも
響かざらめやその羽がひ
獅子よ空しき洞をいで
小暗き森の巖角に
その鬣(たてがみ)をうち振ふ
猛き姿もなにかせむ
鷲よ御空を高く飛び
日の行く道の縱横に
貫く羽を搏ち羽ぶく
雄々しき影もなにかせむ
(たれ)か知るべき花蔭に
鳥の姿をながめ見て
朽ちず亡びず價(あたひ)ある
永久(とは)の光に入りぬとは
誰か知るべきこゝろなく
庭逍遙(せうえう)の目に觸れて
孔雀の鳥屋の人の世に
高き示しを與ふとは
時は滅びよ日は逝けよ
形は消えよ世は失せよ
其處に殘れるものありて
限りも知らず極みなく
輝き渡る樣を見む
今われ假(か)りにそのものを
美しとのみ名け得る

振放け見れば大空の
日は午に中(あ)たり南(みんなみ)
高き雲間に宿りけり
織りて隙なき藤浪の
影は幾重に匂へども
紅燃ゆる天津日(あまつひ)
焔はあまり強くして
(をさ)と飛び交ひ箭(や)と亂れ
銀より白き穗を投げて
これや孔雀の尾の上に
盤渦(うづ)卷きかへり迸(ほとばし)
或は露と溢れ零(お)
或は霜とおき結び
彼處(かしこ)に此處に戲るゝ
千々(ちゞ)の日影のたゞずまひ
深き淺きの差異(けじめ)さへ
色薄尾羽(いろうすをば)にあらはれて
涌來(わきく)る彩の幽かにも
末は朧に見ゆれども
盡きぬ光の泉より
ひまなく灌(そゝ)ぐ金の波
と見るに近き池の水
あたりは常のまゝにして
風なき晝の藤の花
靜かに垂れて咲けるのみ

今夏の日の初めとて
菖蒲刈り葺く頃なれば
力あるかな物の榮(はえ)
若き緑や樹は繁り
煙は深し園の内
石も青葉や萌え出でん
雫こぼるゝ苔の上
雫も堅き思あり
思へば遠き冬の日に
かの美しき尾も凍る
寒き塒(ねぐら)に起臥して
北風通ふ鳥屋のひま
(ふたつ)の翼うちふるひ
もとよりこれや靈鳥の
さすがに羽は亂さねど
塵のうき世に捨てられて
形は薄く胸は痩せ
命死ぬべく思ひしが
かくばかりなるさいなみに
鳥はいよ/\美しく
奇しき戰(いくさ)や冬は負け
春たちかへり夏來り
見よ人にして桂の葉
鳥は御空の日に向ひ
尾羽を擴げて立てるなり
讚に堪へたり光景の
庭の面にあらはれて
雲を驅け行く天の馬
翼の風の疾(と)く強く
彼處(かしこ)蹄や觸れけんの
雨も溶き得ぬ深緑
(おり)未だ成らぬ新造酒(にひみき)
流を見れば倒しまに
底こと/″\くあらはれて
天といふらし盃(さかづき)
落すは淺黄(あさぎ)瑠璃の河
地には若葉の神飾り
誰行くらしの車路(くるまぢ)
朝と夕との雙手(もろで)もて
さゝぐる珠は陰光(かげひかり)
溶けて去なんず春花に
くらべば強き夏花や
成れるや陣に驕慢の
(なんぢ)孔雀よ華やかに
又かすかにも濃(こま)やかに
千々(ちゞ)の千々なる色彩(いろあや)
間なく時なく眩ゆくも
(あら)はし示すたふとさよ
草は靡きぬ手を擧げて
木々は戰(そよ)ぎぬ袖振りて
即ち物の證明(あかし)なり
かへりて思ふいにしへの
人の生命の春の日に
三保の松原漁夫(いさりを)
懸る見してふ天の衣(きぬ)
それにも似たる奇蹟かな
こひねがはくば少くも
此處も駿河とよばしめよ

斯くて孔雀は尾ををさめ
妻戀ふらしや雌(め)をよびて
語らふごとく鳥屋の内
花恥かしく藤棚の
柱の陰に身をよせて
隱るゝ風情哀れなり
しば/\藤は砂に落ち
ふむにわづらふ鳥と鳥
あな似つかしき雄(を)の鳥の
羽にまつはる雌の孔雀

(初出・明治35年=1902年6月「文庫」)

コスモス・ファクトリー Cosmos Factory - 謎のコスモス号 A Journey With The Cosmic Factory (東芝エキスプレス, 1975)

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コスモス・ファクトリー Cosmos Factory - 謎のコスモス号 A Journey With The Cosmic Factory (東芝エキスプレス, 1975) Full Album : https://youtu.be/k9_cn5cR2Zg
Recorded at Toshiba-EMI Studios & Mouri Studios 1974-1975.
Released by 東芝EMI Express ETP-72083, August 5, 1975
Produced by Kei Ishizaka, Naoki Tachikawa
(Side 1)
A1. Sunday's Happening 日曜日の出来事 (N.Tachikawa-T.Izumi) - 4:14
A2. Daydream 白日夢 (Cosmos Factory) - 2:42
A3. Hiver 哀しみのイヴェール (T.Izumi) - 3:47
A4. Confusion 錯乱 (Cosmos Factory-N.Tachikawa) - 2:15
A5. The Infinite Universe Of Our Mind 心の宇宙 (T.Izumi-H.Mizutani) - 4:28
(Side 2)
B1. The Sea 海 (Cosmos Factory) - 5:14
B2. A Hidden Trap 秘められた罠 (T.Izumi-N.Tachikawa-K.Ishizuka) - 2:07
B3. Wind In The Morning (A Trip) 朝の風 (T.Izumi) - 3:44
B4. Journey Of No Destination 終りなき旅 (T.Izumi) - 4:52
B5. The Cosmogram コスモグラム (Cosmos Factory-N.Tachikawa) - 2:24
[ Cosmos Factory ]
Tsutomu Izumi - Organ (Hammond B3), Piano, Electric Piano (Fender Rhodes), Synthesizer (Solina, Self-made Symphonizer, Mini-moog, Arp, Yamaha Yc20), Mellotron, Celesta, Effects (Tape)
Hisashi Mizutani - Acoustic Guitar, Electric Guitar, Other (Funny Cat, Talking Bag, Fuzz Master, Hitting A Door), Effects (Tape)
Toshikazu Takeuchi - Bass Guitar, Bass (Fuzz), Piano, Percussion, Effects (Tape), Voice (Synthesized), Vocals
Kazuo Okamoto - Drums, Percussion, Timpani, Drums (Synthesized), Performer (Electric Cleaner), Voice

 コスモス・ファクトリーの第2作は日本コロムビアから東芝EMIに移籍、デビュー作『トランシルヴァニアの古城』から1年10か月ぶりのアルバムになった。今回クレジット類がすべて英語になっており、アルバム・タイトルや曲名も日本語タイトルは副題あつかいされている。文中もそれでは読みづらいので人名だけでも漢字・かな表記にすると、メンバーは泉つとむ(リード・ヴォーカル、キーボード)、水谷ひさし(ギター)、滝としかず(なぜか今作だけTakeuchi姓となっている。ベース、ヴォーカル)、岡本和夫(ドラムス)。プロデュースは立川直樹(音楽ジャーナリスト)と石坂啓一(東芝レコード・洋楽部門ディレクター)で、ライナー・ノーツはデビュー作では立川直樹、泉つとむによるものだったが今作は立川氏の指名か当時人気ロック・ジャーナリストだった大貫憲章・渋谷陽一、またレコーディング・エンジニアの小菅憲一氏が寄せている。ジャーナリスト両氏の寄稿はともかくエンジニア小菅氏の制作ドキュメントは実に熱く、バンドとスタッフ一丸となってベストを尽くした様子が伝わってきて、襟を正して聴かなくては、という気になる。
 デビュー作と比較して大作がなくなり、また楽器の音色や楽曲のアイディアが格段に多彩になった。デビュー作は外部作家提供の1曲を除き全曲をリーダーの泉つとむが作詞作曲し、ヴォーカル曲はリード・ヴォーカルをとっていたが、今回はメンバーやバンド全員の共作が増え、ベースの滝としかずのヴォーカル曲も本作以降採用されることになる。キーボードについても前作はオルガンの延長線上でシンセサイザーが使われていた程度だが、今回のA2A4、B2B5などはエレクトロニックでB2などフランスの同時代バンド、エルドンみたいだ(同時なので影響は考えられない)。デビュー作のようなB面1曲の大作組曲はないが、B面の流れはA面のA4~A5同様メドレーになっていて、特に曲間なしのB3~B4がクライマックスになっているため実際はB面全体で組曲的な構成になっている。アナログLP時代のミュージシャンのアルバム構成意識はCD時代のアーティストには及びもつかないほど高かった。
(Original Express "A Journey With The Cosmic Factory" LP Liner Cover)

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 コスモス・ファクトリーは70年代日本のプログレッシヴ・ロックの代表的バンドと言われるが、当時のリリース状況について前回のおさらいをすると、日本のプログレッシヴ・ロックのバンドでは、
サディスティック・ミカ・バンド
・サディスティック・ミカ・バンド (1973.5.5)
・黒船 (1974.11.5)
・HOT MENU (1975.11.5)
・ライヴ・イン・ロンドン (1976.7.5)
ファー・イースト・ファミリー・バンド
・日本人 (前身バンド・ファーラウト名義) (1973.3)
・地球空洞説 (1975.8.25)
・多元宇宙の旅 PARALLEL WORLD (1976.3.25)
・NIPPONJIN (1976.8.25)
・天空人 (1977.11.25)
コスモス・ファクトリー
・トランシルヴァニアの古城 (1973.10.21)
・謎のコスモス号 (1975.8.5)
・Black Hole (1976.8.5)
・嵐の乱反射 (1977.7.5)
四人囃子
・ある青春~二十歳の原点 (サントラ) (1973.10.25)
・一触即発 (1974.6)
・ゴールデン・ピクニックス(1976.4.21)
・PRINTED JELLY (1977.10.25)
・'73四人囃子 ('73 幻ライヴ-俳優座ロック・コンサートより) (1978.1.25)
・包 (bao) (1978.7.25)
・NEO-N (1979.11.28)
 と、最年少バンドだった四人囃子が唯一79年までアルバムがあるが、ミカ・バンドは76年、ファー・イーストも77年のアルバムは解散決定後に発売され、コスモスも77年のアルバムから間もなく解散している。ミッキー・カーチスと侍やフライド・エッグらブリティッシュ・ロックの動向に即応した早いバンドはあり、ミカ・バンドはグラム・ロックやプログレッシヴ・ロックを折衷したロキシー・ミュージックや10ccに近いバンドだったが、いわゆるプログレッシヴ・ロックはファーラウト、コスモス、四人囃子のデビュー作が出揃った1973年(同年3月にピンク・フロイドの『狂気』が発表されている)には頂点に達していて音楽のトレンドはイギリスからアメリカへ移っていく時期だった。フロイドの前作『おせっかい』1971.11の影響が日本のプログレッシヴ系バンドには強いが『おせっかい』と『狂気』の音楽性の差は大きく、『狂気』には『おせっかい』にはなかったソウル・ミュージックの換骨奪胎が根本にある。『狂気』をきっかけにそれまでのプログレッシヴ・ロックの方向性に変化があり、日本のプログレッシヴ・ロックバンドがその衰退期を活動時期とした不運は英米ロックのリスナーには古いセンスのロックと見なされたことだった。
(Original Express "A Journey With The Cosmic Factory" LP Incert Sheet)

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 前述したようにデビュー作から本作への変化は時代に対応したものと言えて、楽曲をコンパクトにして大作に代えて配列の構成で聴かせる、楽器の音色の多彩さ、エレクトロニックな音楽性の強調、楽曲アイディアの多様化、またヴォーカル曲の比重も減り、短調のヴォーカル曲ばかりだったデビュー作と違ってA1、B3は長調のヴォーカル曲になった。前述したようなエレクトロニック系の曲と並びA3B1のようなヨーロピアン・ムードの曲もあり、『エマニエル夫人』的というか70年代のソフト・ポルノのサントラ的だが、コスモスは実際にっかつロマンポルノのサントラを多く手がけている。しかしA面・B面のクライマックスがともに短調のヴォーカル・バラードA5、B4なのはコスモスというバンド本来の訴求力がどのような楽曲で現れるかをよく現している。
 本作のA2「Daydream 白昼夢」(ヴォーカルは滝としかず)にすでに兆候が現れているが、次作『Black Hole』は冒頭のタイトル曲は「Daydream 白昼夢」パート2といってよい、後期キング・クリムゾンにヒントを得たヘヴィ・ロック的プログレッシヴ・ロックで、当時ドイツではヘルダーリン、フランスではエルドン、シャイロックといったバンドがやはり後期キング・クリムゾン影響下のヘヴィ・ロックをやっていた。この時期コスモスはステージでもクリムゾンの「Red」を演奏していたという。第4作「嵐の乱反射 Metal Reflection」は制作途中でドラムスの岡本和夫が脱退、19歳の新人ドラマーを迎えて完成させたが、全曲が英語詞でアップテンポのハード・ロックという急激な路線変更のアルバムになり、それが結局コスモス・ファクトリーの最終作になった。
(Original Express "A Journey With The Cosmic Factory" LP Side 1 & Side 2 Label)

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 デビュー作は確かに発表当時すでに古いスタイルのヘヴィなオルガン・サイケ系プログレッシヴ・ロックだったし楽曲も単調な短調のミディアム・バラードばかり、楽器の音色もオーソドックスなものだったが、それは限界が明らかながらも一定の完成に達していて、新しかった時は一度もないがこれ以上古びることもないものだった。レス・ポール系のギターのナチュラルなフィードバック・サウンドで統一された水谷ひさしのリード・ギターはトリッキーではないが美しく芯のある音色で、オルガン中心の泉つとむの控え目なキーボードと泣きのヴォーカルによく合っていた。
 セカンド・アルバムは制作開始の1974年には当時日本で可能な限りの最新楽器やエフェクター、録音機材や技術を駆使した意欲的なものだったろう。エンジニア小菅氏のライナー・ノーツが伝えてくれる通り、メンバーもスタッフも最新のスタイルで最高の水準のサウンドを作り上げるのに真剣に取り組んだ。しかし、デビュー作でも感じたが自身もミュージシャン出身の音楽ジャーナリスト・立川直樹氏がプロダクション・マネージャーでプロデューサーについたコスモス・ファクトリーというバンドは、アーティストというにはあまりにもロックが好きで、それも遠くて高いところへ向かおうとするより自分たちの身の丈で完結してしまうような愛し方をしていたように感じる。セカンド・アルバムでの挑戦や変化は結果的にデビュー作よりも時代によって古びる要素を取り込んでしまう結果になったと思える。四人囃子のように発掘ライヴや未発表テイク入りボックス・セットでも出れば4作のアルバムからはうかがい知れなかった面が明らかになるかもしれないが、そうした再評価の動きはまるでない。せめて未発表ライヴでもと思うのだが。

偽ムーミン谷のレストラン・改(14)

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 案外手間はかからなかったようだな、とムーミンパパはレストランのドアの前に立ち、ムーミンとムーミンママを振りかえりました。ムーミン、実は偽ムーミンはムーミン家の居間の会話中、危険を察してトイレに立ち、本物のムーミンと入れ替わっていたのです。
偽ムーミンが抱いた疑惑とは主に、
・情報源があやしい
・謎のレストランという設定がやばい
・特上の料理が出る
・挙句に食材にされる
 その根拠としては、半年に一度の新聞が今朝届いたとは思えませんし、ムーミンパパの頭はどうも不思議な電波を拾っているらしい。顧客を肥らせ食材にする話はいくつか知っている。偽ムーミンはムーミン谷の公立図書館に隠れて勝手に住んでおり、女性司書とも肉体関係があるので耳年増なのです。ムーミン谷の識字率は小数点を越えてマイナス値に達していますので当然利用者も皆無に近く、これほど偽ムーミンに好都合な施設はありません。
 さらに、
・ムーミン谷には通貨がない
 --というのも偽ムーミンの抱いた疑惑の根拠でした。正確には現在は通貨がないが、過去には1ムーミン2ムーミンという単位が存在していたらしい。だがこれはかつて貨幣経済が行われていた、というより人身売買経済がムーミン谷の制度だったのではないか、と半ばタブーになっています。おそらくそれはムーミン族が高次意識体たるトロールに到達する前で、食事や運動、買い物、排泄、性交、入浴などはトロール化以前の生活習慣の名残ではないか、と偽ムーミンは性交中に女性司書から教わりました。そんなの学校じゃ習わなかったよ。学校で教わることなんてみんなウソなのよ(笑)。
 ただし偽ムーミンはおいしいところはいただくつもりでしたので、注文が済んだらトイレに立つようにムーミンを脅してありました。トイレで入れ替わり、食事が済んだら食後のコーヒー中にまたムーミンと入れ替わる。そうすればお勘定は1.25ムーミンでございますという事態にも居合わせずに済む。家族三人の片足・片腕ずつでいいかね?それでは勘定に合いません。パパどうするの?何ならいいのかね?臓器などはいかがでしょうか?
 それに若い臓器ほど高くお引き取りいただけます、と偽ムーミンは想像し、親友の不運に憐憫を禁じ得ませんでした。
 その頃ムーミンパパはメニューを開いて給仕に尋ねていました。このけったいな模様は何かね?はい、と給仕、それはロールシャッハ・テストと申します。

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Sun Ra - When Sun Comes Out (Saturn, 1963)

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Sun Ra - When Sun Comes Out (Saturn, 1963) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL2n1428fctHwef_ylwQ-94tiEiQ5-mECP
Recorded by Tommy Hunter at the Choreographer's Workshop, New York (the Arkestra's rehearsal space) in 1962, 1962-1963.
Released by El Saturn Records Saturn LP-2066, 1963
All songs by Sun Ra
(Side A) :
A1. Circe - 2:34
A2. The Nile - 4:51
A3. Brazilian Sun - 3:50
A4. We Travel The Spaceways - 3:21
(Side B) :
B1. Calling Planet Earth - 5:30
B2. Dancing Shadows - 5:56
B3. The Rainmaker - 4:33
B4. When Sun Comes Out - 4:54
[ Sun Ra and his Myth Science Arkestra ]
Sun Ra - Piano, Electric Celeste, Percussion
Walter Miller - Trumpet
John Gilmore - Tenor Sax, Drums, Percussion, Percussion
Teddy Nance, Bernard Pettaway - Trombone
Marshall Allen - Flute, Alto Saxophone, Percussion
Pat Patrick - Baritone Saxophone, Bongos, Drums on A4
Danny Davis - Alto Sax on B4
Ronnie Boykins - Bass
Clifford Jarvis - Drums
Lex Humphries - Drums on B1
Tommy Hunter - Recording, Gong, Drums, Tape Effects
Theda Barbara - Vocals
Ensemble vocals

 今回も堂々とお勧めできる。1962年~1963年録音の本作『When Sun Comes Out』は傑作連発期到来を告げる1961年~1962年録音の前々作『Art Forms of Dimensions Tomorrow』、1962年録音の前作『Secrets of the Sun』からもさらにテンションの高い、圧倒的なパワーがみなぎる名盤で、録音順18作目にして未発表作品ばかりだったサン・ラにとっても、完成即発売したアルバムでは『Jazz by Sun Ra』1957、『Super-Sonic Jazz』1957、『Jazz in Silhouette』1959、『The Futuristic Sounds of Sun Ra』1961に次ぐ第5作になった勝負作でもある。『Art Forms~』や『Secrets of~』を差し置いて『When Sun Comes Out』まで熟成を待ったサン・ラのすごみがわかる。
 もっとも勝負で勝って商売ではそれほどの成果が得られなかったのは仕方のない面もある。まだサン・ラ・アーケストラがニューヨークに進出して満2年、アーケストラとしてのライヴ活動はほとんど停滞し、メンバーたちは優秀なミュージシャンたちだったから生活費の捻出だけでも他のバンドと掛け持ちせざるを得ず、また音楽以外のアルバイトで食いつながなければならなかった。サン・ラは不服だったが、最優先をアーケストラとすることでバンド外活動を許している。ニューヨーク進出後は規模を縮小したとはいえ、10人弱のグループに全員十分なギャラがまわるには相当な興行活動が必要なのだが、ニューヨーク進出後のアーケストラは発売未定のアルバム制作だけのスタジオ・リハーサルバンドになっていた。よくこの時期に空中分解しなかったと思うが、ノーギャラどころか持ち出しでもこの親分についていこう、というカリスマがサン・ラにはあったのだ。
(Original El Saturn "When Sun Comes Out" LP Liner Cover)

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 1963年度にアーケストラが完成させたアルバムは本作に続いて『Cosmic Tones for Mental Therapy』(発表1967年)、『When Angels Speak of Love』(発表1966年)があり、1964年の『Other Planes of There』(発表1966年)までが無料練習場Choreographer's Workshopでの録音時代になっている。コレオグラファーズ・ワークショップでの自主録音は1961年の『Bad and Beautiful』(発表72年)から1961年~1962年『Art Forms of Dimensions Tomorrow』(発表65年)、1962年『Secrets of the Sun』(発表65年)、1962年『What's New』(発表75年)、本作と続いてきたが、さらに続く3枚のアルバムも充実した内容にも関わらず、これら8枚のうちサン・ラのマネジメントが経営するサターン・レコーズが即刻リリースしたのは本作きりだったのはサン・ラの意向だけではないだろう。1965年に話題の新設フリー・ジャズレーベルESPレコーズからの『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume One』発表による話題で、ようやく未発表に終わっていた50年代~64年までのセッション・テープが次々に新作とともに発売されたのは1965年~1967年のことで、一部の録音は70年代まで持ち越された。
 本作『When Sun Comes Out』でこれまでとちょっと違うのは、アーケストラの花形ソロイストはテナーのジョン・ギルモアだった。アルバムのほとんどのホーン・ソロをギルモアが吹いている場合もあった。本作ではギルモアのソロらしいソロがなく、マーシャル・アレン(アルトサックス、フルート)かパット・パトリック、新人のダニー・デイヴィス(アルトサックス)がフィーチャーされている。古参メンバーのパトリックやアレンもビッグバンド要員で他のバンドでアルバイトしていたのだが、ギルモアはメイン・ソロイストとして他のアーティストのアルバムに積極的にレコーディング参加していた。そこらへんでリハーサル参加が足りず、本番録音での出番も削られたのではないか。なのでギルモアのテナーに存在感がないのが唯一の不満と言えば言えるが、アレンやパトリックが埋め合わせて余りあるので後から気がつく程度の不在でしかない。
(Original El Saturn "When Sun Comes Out" LP Side A & Side B Label)

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 アルバムA1「Circe」はチャイナ・ゴングをフィーチャーした『Art Forms of Dimensions Tomorrow』以降の音響的作風を示すパーカッション・アンサンブルにセダ・バーバラ(サイレント期のヴァンプ女優セダ・バラのもじりか)の妖艶なヴォーカリゼーションが絡む。A2「The Nile」はシカゴ時代にもなくはなかったエキゾチック路線だがやはりドラムス/パーカッションの録音とアレンジが異常。こういう曲ではマーシャル・アレンがフルートにまわる。リフだけの楽曲で、永遠に続くんじゃないかと思わせる。A3「Brazilian Sun」はちっとも暑さも清涼感もないピアノ曲で、ドラムスの他にパーカスが最低2人はいそうだし、ロニー・ボイキンスのベースも冴えるが、まったくサンバ・ビートに聴こえないのがミソだろう。そして1967年に発表されることになる、56年~1961年シカゴ時代の録音をまとめたアルバムのタイトル曲、A4「We Travel The Spaceways」は旧来のレパートリーだが発表ヴァージョンはこれがもっとも早く、バンドのヴォーカル・コーラスも器楽曲との違和感がなく、旧ヴァージョンを黒さと重さではるかに凌ぐ。
 B面に移ると、メンバーのチャットから始まるB1「Calling Planet Earth」はA面にはなかったアグレッシヴなフリージャズで、サン・ラのピアノが進行を仕切っているがソロイストにフィーチャーされたパット・パトリックはバリトンサックスの限界を越えるプレイ、全体的にはパトリックとこの曲のみ参加のレックス・ハンフリーズの独壇場になっている。続くB2「Dancing Shadows」は特定のモード(特殊音階技法)に限定しないモード・ジャズと言えるか(4ビートだし)。ホーン陣は良いのだが、ピアノがオフ気味なのが惜しい。とも思うとすかさず変態4ビート曲のB3「The Rainmaker」がすぐ出てくる。今回のレコーディングから加わった17歳のアルト奏者ダニー・デイヴィスとともに活力を吹き込んだのが22歳のドラマー、クリフォード・ジャーヴィスで、ブルー・ノートのフレディ・ハバードやジャッキー・マクリーン作品でも冴えていたが主流派4ビートをやって4ビートに収まらない。B4「When Sun Comes Out」はパトリックがドラムスを兼ねてツイン・ドラム、手の空いている人間はパーカスで、あんまり怖くないおばけ屋敷のような曲想にアレンとデイヴィスの兄弟子・弟弟子のアルトが気持ち良く吹いている。CDではボーナス・トラックに3分半ほどの「Dimensions of Time」がボーナス収録され、今回のアルバムでほとんど出番のなかったジョン・ギルモアのバスクラリネットとパーカッションのデュオ演奏になっている。これはなくてもいいのでリンクにも引いていない。本作はギルモアがメイン・ソロイストでないだけでも異色作なのだが、それ以上にバンドの一体感と勢いで圧倒される。サン・ラの音楽に馴染めない人にもこれは説得力があるだろう。筆者の好みでは『Art Forms~』や『Secrets of~』、この後の『When Angels~』や『Cosmic Tones~』の方が好きだが、サン・ラ堂々の公式発売第5作という事実には敬意を表さないではいられない。この辺のアルバムは黙って聴いて、それから話が始まるというものだろう。

2016年夏アニメ序盤感想(首都圏版)

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 2016年夏アニメ(7月~9月)も第2~3話にさしかかりましたので序盤の印象ですが、良くない予感的中。ドングリの背くらべとは言いませんが、なんだかパッとしないのです。個々の作品がそれほど悪いわけではないのですが、すごく力のある作品があって全体的な印象を引っ張り上げてくれている、というのがない。毎週観逃せない作品としては『ジョジョ~』『食戟のソーマ』『RE:ゼロから始める異世界生活』『アクティブレイド -機動強襲室第八係-』などがありますがどれも2クール目になる作品で今季夏アニメの新作感はなく、新作では『リライフ』『rewrite』『orange』あたりが観ごたえあるかと思いますが手放しで面白い快作かというと好みを分けそうです。案外10月からの秋アニメに力作が控えていて、夏場はあえて控え目な作品が並んだのかもしれません。今回も一応★をつけましたが、余興程度とお受け取りを。なお筆者は録画デッキを持っておらず、どの作品もオンエア視聴したきりの感想ですので、多少の勘違いはご容赦ください。

[ 日曜日 ]
日●魔法つかいプリキュア/テレビ朝日他・8:30~=★★★★☆
(CV:高橋李依, 堀江由衣, 早見沙織, 齋藤彩夏)

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 夜アニメではなくても外せないプリキュア。マスコット妖精キャラの早見沙織さんも7月度から途中追加プリキュアになっておいしい所をさらう展開。秋の劇場版も楽しみ。
日●(再)ご注文はうさぎですか??/TOKYO MX・17:30~=★★★
 第3期もありそう。女子高生&喫茶店設定萌え4コマ系日常コメディでは安心のシリーズ。
日●不機嫌なモノノケ庵/TOKYO MX・22:00~/BS11・火27:00~=★★★
 女っ気抜きの高橋留美子(境界のRinne)的学園妖怪コメディ。★3だが毎回観るほどでは……。
日●マクロス△(第2クール)/TOKYO MX・22:30~=★★☆
 今回のマクロスは割とシリアス寄りの設定だが、やっぱり歌うんだよな。
日●テイルズ オブ ゼスティリア ザクロス/TOKYO MX・23:00~/BS11・火24:30=★★
 類似作品多数で紛らわしい天界超越ファンタジー(『うたわれるもの』風?)もの。
日●DAYS/TOKYO MX・23:30~=★★★
 今風サッカーアニメだが、ちばあきお作品を思い出す素朴なスポーツまんが的面も。
日●orange オレンジ/TOKYO MX・24:00~/BS11・24:30~=★★★★☆
(CV:花澤香菜, 高森奈津美, 衣川里佳, 山下誠一郎, 古川慎, 興津和幸他)

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 誰もが「あの花~」を連想しそうな青春出直しアニメ。好みを別にすれば出来は良いです。
日●あまんちゅ!/TOKYO MX・24:30~/BS11・月24:00~=★★★
(CV:鈴木絵理, 茅野愛衣, 大西沙織, 梅原裕一郎, 伊藤静, 久保ユリカ, 井上喜久子他)

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 海が舞台の女子高生観光アニメと思えば絵はきれいなほのぼの作品なんだけどなあ。
日●RE:ゼロから始める異世界生活(第2クール)/テレビ東京・25:05~=★★★★☆
 2クール目も緊迫感溢れる壮絶な絶体絶命魔界ファンタジー。先の読めない衝撃的展開続々。放映中のアニメでは抜群の1作かも。
日●斉木楠雄のΨ(さい)難/テレビ東京・25:35~=★★★☆
 朝の「おはスタ」で月~金放映の短編5編を日曜晩に放映しているそうです。早朝・深夜両放映は初だそうな。地味に暮らしたい超能力少年の学園コメディ。けっこう面白い。
日●(再)響け!ユーフォニアム/tvk・26:30~=★★★
(CV:黒沢ともよ, 朝井彩加, 豊田萌絵, 安済知佳, 寿美菜子, 早見沙織, 茅原実里)

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 劇場版総集編に続き第2期前哨戦再放送らしい。高校ブラバンものだが展開は淡々。あまり期待せず再放送で観る方が楽しめる。早見沙織さんの端役が声と顔が案外似合っている(笑)。
日●腐男子高校生活/tvk・27:30~=★☆
 BL好きの男子を腐男子と呼ぶそうな(笑)。放映時間が早ければ★★つけてもいい学園コメディだが、いかんせん午前3時半では……。
 
[ 月曜日 ]
月●ダンガンロンパ3 The End of 希望ヶ峰学園・未来編/TOKYO MX・23:00~/BS11・24:30~=★★
 ミュージカル化もされている超高校級生徒たちの学園コメディ。『暗殺教室』っぽいムード。緒方恵美さんのシニカルキャラは『AngelBeats!』っぽかったりもする。
月●モブサイコ100/TOKYO MX・24:00~=★☆
 同じ原作者の『ワンパンマン』には残念ながらまるで及ばない超能力少年もの。
月●アクティヴレイド -機動強襲室第八係- 2nd/TOKYO MX・24:30~=★★★☆
 機動警察パトレイバーを今風にした感じ。手堅いが、第1クールより鮮度落ちたかな。
月●SHOW BY ROCK!! しょ~と!!/TOKYO MX・25:00~=★☆
 サンリオの誤算。てかこのシリーズ、元々5分アニメがせいぜいだったのがわかる。
月●甘々と稲妻/TOKYO MX・25:05~/BS11・火25:30~=★★★★
(CV:中村悠一, 遠藤璃菜, 早見沙織, 戸松遥, 関智一他)

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 画像通りのホームドラマ。一人娘を抱えた男(料理未経験)におしかけ女子高生(料理未経験)、というムシの良い設定だが、育児と料理を要にして嫌みなく観せる。早見沙織さんの声がヒロインの顔に全然合ってない(笑)。
月●D.Gray-man HALLOW/テレビ東京・25:35~=★★
 10年ぶりの続編になるダークファンタジーの金字塔だそうで、前シリーズを観ていない人間にはあれよあれよの何が何やら。
月●TABOO-TATTOOタブー・タトゥー/テレビ東京・26:05~=★★★★
 明快かつストレートな超能力者バトルものだが、痛快なアクション・シーンだけで観せる。制作のJ.C.STAFFは『あまんちゅ』『斉木Ψ雄の災難』『食戟のソーマ』も手がけるが、話題性に乏しい作品でもさすがの出来。

[ 火曜日 ]
火●(再)パンでPeace!/TOKYO MX・18:30~=★☆
 パン好きJKの萌え4コマ原作ときたら、5分アニメより30分枠向きの題材では。
火●うーさーのその日暮らし 夢幻編/TOKYO MX・18:35~=★★★★
 10分アニメだがシニカルでシュールなギャグが光る。他作品とのコラボ企画も面白い。実質的再放送(『ウルトラスーパーアニメタイム』で放映済み)。だが誰が観るのだ(笑)?
火●チア男子!!/TOKYO MX・23:00~/BS11・水24:30~=★★
 萌え男子ものではあるが、チアリーディングをスポーツとして描いて明るく健全。
火●NEW GAME!/TOKYO MX・24:30~/BS11・水24:00~=★★★☆
(CV:高田憂希, 日笠陽子, 茅野愛衣, 山口愛, 戸田めぐみ, 竹尾歩美, 朝日奈丸佳, 森永千才, 喜多村英梨他)

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 ゲーム制作会社を舞台にした働くOL(未経験高卒採用ありか?)もの。うーん、意外と地味だが萌え4コマ原作ならこんなものか。
火●(再)MONSTER(第3クール)/TOKYO MX・25:05~=★★
 浦沢直樹原作ものなりに重厚な出来だが、原作読んでいる人なら飛び飛びで観られるもののアニメ単体で観るには長くてしんどいぞ。
火●スカーレッドライダーゼクス/テレビ東京・25:35~=★★
 恋愛アドヴェンチャーゲーム原作の侵略者撃退美青年チームもの。メカ戦闘に変身戦闘、いきなりバンドもの(チームワークの特訓!)になるとか、いろいろ盛り込みすぎでは。

[ 水曜日 ]
水●SERVAMP-サーヴァンプ/TOKYO MX・22:00~=★★
 吸血鬼従者バトルファンタジー。この手のものではホラー風よりコミカルだが、せっかく早い時間帯なのだから、他に題材はないのか。
水●ツキウタ。 THE ANIMATION/TOKYO MX・23:00~/BS11・26:00~=★☆
 こないだまで男子声優オーディション企画番組をやっていました。アニメ自体が企画もの風で(アニメイトで営業する回とか)何だかなあ。
水●黒子のバスケ セレクション(第2クール)/TOKYO-MX・23:30~=★★★★★
 こんなに面白いとは再放送まで知りませんでした!と不明を恥じる。なぜかセーラー服着用の顧問の先生演じる斉藤千和さんもキュート。
水●OZMAFIA!!/TOKYO MX・24:00~=★☆
 女性向け恋愛アドヴェンチャーゲーム原作。しかも5分ではあまりに断片的で……。
水●魔法少女?なりあ☆がーるず/TOKYO MX・24:05~=★★
 長めのPVかと思ったら本編だという、OPとEDの方が長いんじゃないかという5分アニメ。
水●(再)gdgd妖精s(ぐだぐだフェアリーーズ)/TOKYO MX・24:15~=★★
 一応15分あるだけあるタイトル通りの内容か?いかにも深夜アニメのぐたぐた感。
水●(再)ソードアート・オンライン(第1期)/TOKYO MX・24:30~/BS11・木25:00~=★★
 人気シリーズらしいので★はオマケ。
水●Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ 3rei!!(ドライ)第4期/TOKYO MX・25:05~/BS11・金27:00~=★★★★
 第3期を観てよくある魔法少女チームものかと思ったが、この第4期はパラレルワールドに飛ばされたヒロインに焦点を絞って面白い。
水●魔装学園H×H(ハイブリッド・ハート)/TOKYO MX・25:35~/BS11・27:00~=★★☆
 女の子のエクスタシーをエネルギー源にするロボット戦隊もの。というと馬鹿馬鹿しいようだが、頭を空にして観るには恰好。

[ 木曜日 ]
木●クロムクロ(第2クール)/TOKYO MX・22:00~=★★
 2クール使ってやるかな?宇宙侵略者撃退ロボットバトルもの、主人公がタイムトリップしてきたサムライという工夫がある程度。
木●レガリア The Three Sacred Stars/TOKYO MX・22:30~=★★★☆
(CV:本渡 楓, 佐倉 綾音, 久保 ユリカ, 小倉 唯, 瀬戸 麻沙美, 東山奈央, 金元寿子, 緒方恵美, 浅倉 杏美, 井口 裕香他)

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 これもロボットバトルヒロインもので、ロボットが普段は人間体とか工夫もあるが「ガルパン」のアクタス制作にしては荒っぽい。中盤以降の期待をこめて☆オマケ。
木●ダンガンロンパ3 The End of 希望ヶ峰学園・絶望編/TOKYO MX・23:30~/BS11・24:30~=★★
 割とシリアス寄りの「希望編」に対してこちらはブラック・コメディか。同一シリーズの新作週2回放映は初だそうです。希望編が『暗殺教室』ならこちらは1話完結学園ドタバタコメディで、4コマ原作ものに近い乗り。
木●バッテリー“ノイタミナ”/フジテレビ・24:55~=★★☆
 ノイタミナ枠は青春臭くて恥ずかしいんだよな。女っ気なしの淡々として健全な青春高校球児もの。素直に観てると感動しそうで悔しい。
木●マジェスティックアワー 銀河機攻隊 マジェスティックプリンス全24話+新作25話/BS11・26:00~(毎回1時間)=★☆
 うちはBS11映らないのでサイトにアップされている第1話を観た。全49話は無理だあ。
木●はんだくん /TBS・25:58~=★★☆
 春アニメの『坂本ですが?』同様の変人高校男子ものだが、はんだくんが坂本くんほど魅力ない。比較しなければこれはこれで面白い。
木●この美術部には問題がある!/TBS・26:28~=★★★★
(CV:小澤亜李, 小林裕介, 上坂すみれ, 東山奈央, 利根健太朗, 水樹奈々他)

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 変人揃いの中学校美術部でひとりまともなヒロインが奮闘する学園コメディ。設定、お話は並だがほのぼのムードが可愛らしい。
木●美男高校地球防衛部LOVE!LOVE! (第2期) /テレビ東京・27:05~=★☆
 こんな時間帯にテレビ東京は何をやっているのだ?何か使命感でもあるのか?

[ 金曜日 ]
金●ももくり/TOKYO MX・22:30~/BS11・24:30~=★★★
 週末の晩の早い時間帯にはぴったりの「年下の彼」ものラブコメでホッとする。
金●Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀
※人形劇 /TOKYO MX・23:00~/BS11・23:30~=★☆
 台湾の伝統的人形劇を使った人形アニメだが(脚本=虚淵玄)、映像とアフレコが浮いた印象。
金●ReLIFE(リライフ)/TOKYO MX, BS11・24:00~=★★★★
(CV:小野賢章, 茅野愛衣, 木村良平, 戸松遥, 内田雄馬, 上田麗奈, 沢城みゆき他)

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 CS先行全話放映。27歳無職男が化学実験で若返り高校3年の1年間をやり直しすニート更生プログラムの話。舞台化されてもいるそうで、なるほど『orange』以上に実写向けのお話。
金●ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(第2クール)/TOKYO-MX・24:30~=★★★★★
 このまま原作のエピソード完全アニメ化期待。おかわり何杯もいける面白さだが、結局ジョジョが一番面白いのではやばいのではないか。
金●ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン/TOKYO MX・25:05~=★★★☆
 架空の古代風国家を舞台にした政変ドラマで地味だがしっかりした筋立てに好感が持てる。
金●(再)ストライクウィッチーズ/TOKYO MX・25:40~=★★★★
(CV:福圓美里, 千葉紗子, 名塚佳織, 沢城みゆき, 田中理恵, 園崎未恵, 野川さくら, 斎藤千和, 小清水亜美,門脇舞以)

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 キャスト一新の新シリーズ『ブレイブウィッチーズ』の前哨戦再放送らしい。2008年度のアニメだが刺激もソフトな代わり古びていないのに感心。その分★をオマケ。本作名物、ブルマー股間のアップの連続には閉口するが。
金● "アニメイズム" 91Days/TBS・25:55~=★★★☆
 マフィアに復讐する91日間の青年の闘い。放映期間と作中時間経過の一致は面白い。内容は典型的ハードボイルド系ヴァイオレンス。
金●ベルセルク(新シリーズ)/TBS・26:25~=★★★
 作者生前完結しないのではないかと高名な長期連載中コミックスのまだほんの前半。すごいのはわかるが一見視聴者にはきついわ。

[ 土曜日 ]
土●リルリルフェアリル~妖精のドア~/テレビ東京・10:00~=★★★★
 女児向け早朝サンリオ作品はプリキュアと並ぶ夜アニメじじい(私です)のオアシス。
土●〈ハオライナーズ〉一人之下 the outcast/TOKYO MX・21:00~=★★★☆
 日中合作のカンフーアニメ。原作は中国の人気Webコミックスらしいが、まるっきりジャパニメーションじゃありませんか。それでも微妙にセンスの違いがあって面白い。早見沙織さんの声がヒロインの顔に全然合ってない(笑)。
土●食戟のソーマ 弍ノ皿/TOKYO MX・22:00~/BS11・日25:30~=★★★★☆
 第2クールも快調に飛ばす学園料理対決コメディ(だよな)。それにしても夏アニメ、痛快なのは2クール作品ばかりだなあ。
土●ラブライブ!サンシャイン!!/TOKYO MX・22:30~/BS11・23:00~=★★★★☆
(CV:伊波杏樹, 逢田梨香子, 諏訪ななか, 小宮有紗, 斉藤朱夏, 小林愛香, 高槻かなこ他)

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 観ているとむずがゆくなるが(何だよスクールアイドルって)、ラブライブ新シリーズとしては上乗の出来。今回は千代田区の高校のμ's(ミューズ)じゃなくて沼津の高校のAqours(アクア)が主役と、ローカル色が新味。
土●Rewrite(リライト)/TOKYO MX, BS11・23:30~=★★★
(CV:森田成一, 斎藤千和, 篠宮沙弥, 喜多村英梨, すずきけいこ, 朝樹りさ, 花澤香菜他)

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 ヴィジュアルアーツKey(『Kannon』『AIR』『CLANNAD』など)のギャルゲー原作アニメ。期待度は高いが原作ゲームが2011年作品とやや旧作、作風自体もちょっと古いタイプ(Keyが発祥にしても)の夜アニメという観は否めず。
土●クオリディア・コード/TOKYO MX, BS11・24:00~=★★☆
 宇宙からの侵略者を撃退する東京・千葉・神奈川代表の高校生エスパーたち(笑)。いやコメディではないのだが、そもそもそんな首都圏に高校生より他に人材はいないのか(笑)。
土●B-PROJECT~鼓動*アンビシャス/TOKYO MX, BS11・24:30~=★★★★
 腐女子向け美青年集団芸能界ものかと思いきや、主役は女子マネ役の金元寿子さん。何でもこなす人だが本作の可憐な演技は絶品。
土●初恋モンスター/TOKYO MX・25:00~/BS11・金23:00~=★★★☆
 見かけだけ高校生美少年の小学5年生と交際することになったおぼこい女子高生の変則ラブコメ(笑)。絵柄なら小学生を高校生の姿に描ける、というのは発明かも。中身はあくまで普通の小学5年生なのが毎回の定番ギャグ。
アンジュ・ヴィエルジュ/TOKYO MX・25:30~=★★
 第1話観たら『ストライクウィッチーズ』まんまに見えたが、2話目以降そうでもなくなった。これも未確認宇宙侵略者撃退飛行戦隊魔法少女ものだが(長い)、任務(戦闘)より人間ドラマの比重が高くて爽快感に欠ける。
土●エンドライト(第2クール)/日本テレビ・26:30~=★★
 嫌みのない異世界ファンタジーだが、1クールにしておけばよかったのに。第2クールは何だか引き延ばし感が漂う(放映時間も遅いし)。

※放映時間は変更される場合があります(特にキー局放映作品)。ご注意ください。

偽ムーミン谷のレストラン・改(15)

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 さて、今ムーミン谷のレストランには、いる人もいない人も含めて主要なムーミン谷住民ほぼ全員が顔を揃えていました。すなわち、
 ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミン/スノーク、フローレン/ヘムレンさん、ジャコウネズミ博士/ヘムル署長、スティンキー/ミムラ、ミイ、ミムラ族35兄弟姉妹/ミムラ族とスナフキンの母ミムラ夫人/スナフキンの父ヨクサル/冒険家ロッドユールとソースユール夫妻と息子スニフ/発明家フレドリクソン/3人の魔女トロール・トゥーティッキ、モラン、フィリフヨンカ/フィリフヨンカの叔母エンマ、女友だちガフサ/小言じじいグリムラルンさん/双子夫婦トフスランとビフスラン/谷のガキどもホムサたち/見えない少女ニンニ/迷い這い虫ティーティウー/群棲担子菌類ニョロニョロ/ご先祖様(暖炉の裏に住む老ムーミン)
 その他ここにいない人たちです。上に挙げた人たちでも必ずしも今レストランにいるわけではなく、たとえばムーミントロールのなれの果てとはいえもはやムーミンでもトロールでもないようなご先祖様をいかにして暖炉の裏から引っ張り出せるというのでしょうか。
 ご先祖様はムーミンをミイラにしたような身体に全身から長い毛を生やした姿をしていました。誰もその毛を触ってみた者はおらず、抜け毛らしいものも見当たりませんでしたが、山はりねずみのように毛を立てることができるのか、または静電気を帯びて膨らんでいるのか、毛の立った状態では亀の子だわしのように膨らんでいるので本体はしわくちゃに痩せ細ったわら人形というか、そのものずばりミイラ化したムーミンであることは先に教えられていなければ惑わされてしまうかもしれません。このような不気味な新種の、または未知のトロールがいるのかと腰がひけるだけです。では幽霊の正体見たり枯れ尾花でわかってしまえば何も言うことはないかというと、このご先祖様の存在ほどムーミン谷の人びとにとって頭の痛い懸案はありませんでした。
 つまり谷の誰もがこのご先祖様がいつから存在しているのか、ひょっとすると谷よりも古くから存在していたのかもわかりませんでした。この物体は知られた時にはすでに対話は不可能なほど老化していました。そしてもしもいつか将来、今いる谷の住民がすべて存在を失ってしまっても、ご先祖様だけは暖かな、または誰も火を灯すことのない暖炉の裏でじっとうずくまっているかもしれないのです。


だててんりゅう - 1971 (Gyuune, 1996)

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だててんりゅう - 1971 (Gyuune, 1996) Full Album : https://youtu.be/b3tpUSVs47s
Recorded live in studio 1971-1973
Released by Gyuune Cassette CD95-06, October 25, 1996
(Track Number)
1. ぶっこわれた僕 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・隣雅夫) - 4:17
2. 春げしき (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 10:07
3. 泥まみれ (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 20:02
4. Part-4 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・だててんりゅう) - 4:01
5. あぶくの味 (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 8:30
[ だててんりゅう ]
隣雅夫 - Organ
楢崎裕史 - Vocals, Bass, Harmonium
中村好孝 - Drums (tracks: 1,2,3)
山下圭 - Guitar (tracks: 4,5)
上田省吾 - Drums (tracks: 4,5)

 今回はパンクもメタルもぶっとばす凄まじいオルガン・トリオ、それも日本語ヴォーカルの強烈なやつで歌詞がまったく聞き取れない。しかもこれに似たバンドが存在しないばかりかあまりに異質で突然変異的な点、日本や世界という枠を飛び越えているばかりか音楽だけ聴くといつの時代の録音かも断定できない超越性すらある。70年代に京都を拠点としたロックバンド、だててんりゅうは1996年初のアルバム(発掘音源)が発表されて以来2006年までに7枚のアルバム、1枚のライヴ・コンピレーション参加作がある(リスト後述)。バンドの歴史については公式ホームページ、
DATETENRYU OFFICIAL WEBSITE ; http://homepage2.nifty.com/unto/sub02.html
 が詳しい。バンドは1983年に活動休止宣言し、1996年にリーダーの隣雅夫とオリジナル・ベーシストでヴォーカルの楢崎裕史の再会から活動再開し、この『だててんりゅう/1971』はバンドの復活をサポートする形でリリースされ、以来次々と未発表になっていたスタジオ録音音源、ライヴ音源がCD化されたのだが、ホームページのバンド・ヒストリーから1971年~1983年の年表を引用させていただく。実質的にはだててんりゅうは1981年のライヴで活動休止に入っているが、バンドを去来したメンバー、共演したバンドの顔ぶれを見ると、日本のロックのど真ん中を生き抜いてきたバンドなのがわかる。以下、オフィシャル・サイトからのヒストリーの転載になる。

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「1971年から2008年までの隣雅夫を中心とするだててんりゅうの主な活動歴
▽1971
●5月 京都産業大学軽音楽部にて、隣雅夫(オルガン)、楢崎裕史(ヴォーカル、ベース)、上田省吾(ドラム)、山下圭(ギター)にて、だててんりゅう結成。
●6月 京都産業大学にて加藤和彦のコンサートのオープニングアクトをつとめる。
●7月 京都円山音楽堂にてサウンドクリエーター主催の『モップスコンサート』のオープニングアクトをつとめる。
▽1972
●2月 御池ナショナル・ショウルームにて、定期的に自主企画コンサ-ト開始(2年間継続 )。豊田勇三、古川豪などジャンルをこえたゲストを迎えてのイベントを企画する。
●7月 京都円山音楽堂、サウンドクリエーター主催の「だててんりゅう・ハートマザーオーツ・コンサート」。ゲストにモップス、井上陽水.やしきたかじんなどが出演。
●9月 中村好孝(ドラムス)加入。
▽1973
●5月『村八分』京大西部講堂レコーディングライブで、オープニングアクトを務める。
●8月大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(ウエストロードなど)。
●10月 楢崎ひろし『頭脳警察』加入の為、脱退。
▽1974
10月京都成安女子大文化祭、京都平安女子大文化祭に出演。隣、中村、三須磨一也(ドラム)、野中ひろあき(ベース)、村地博(サックス)。ブルースハウス・ブルース・バンドと共演。ツインドラムにベースにオルガンそしてサックスとゆう編成で活動再開。
●11月各地の大学文化祭に出演。
▽1975
●4月 京都円山音楽堂スプリング・フェスフェスティバルに出演。(ダウンタウン・ブギウギ・バンド、桑名正博、ブラインドエキスプレス、ペドロ&カプリシャスなど出演)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ゲストにフルート&サックスに市川修(ジャズ・ピアニスト)。飛び入りで当時、頭脳警察の楢崎ひろし(vo,herp)出演。京都KBSラジオにて、オン・エアー。
●8月 大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(上田正樹、ウエストロードなど)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ZIN(g)。
●9月 埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、あんぜんBAND、頭脳警察などと共演)
●10月 現フロマージュ/シネマの谷口裕一(dr)加入。
●12月 京大西部講堂「Mojo West 」大晦日コンサート出演。
▽1976
●4月 井上衛(b)、五百頭旗邦彦(vo.g)、三須磨一也(dr)、三須磨大成(g)加入。各地ライブハウスを回る。
●9月 埼玉県浦和市田島ケ原野外コンサート出演。東京・渋谷の屋根裏、高円寺次朗吉、三ノ輪モンドなどに出演。
▽1977
●3月 京都ライブ・ハウス磔磔を中心に、隣、村地、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、ZIN(g)、横川理彦(violin)にて即興演奏主体のライブ・パフォ-マンスを繰り返す(2年間)。
●8月1日発行 阿木譲 主催の月刊誌rock magazine 隣雅夫、散文を公開。
●8月 ブラインドエキスプレスから西峰裕(g)参加。
●9月埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、魔人岩、ハルオフォンなどと共演)。
高円寺次朗吉出演。 
●10月 ドラックストアー主催の京大西部講堂コンサート出演(天地創造、ダダなど)。
●12月 FM-NHK(若いこだま)出演(阿木譲企画)、3曲演奏。
▽1978
●1月 ヤマハ神戸センター・ロックホライゾン出演(シェラザード、アイン・ソフなどと共演)。隣雅夫(org.syth.vo)、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、西峰裕(g)、村地博(sax)。
▽1979
●7月 京大西部講堂 村八分 再結成コンサートに、隣、ピアノ・オルガンで参加。
●9月 京都ライブハウス 銀閣寺・サーカス&サーカス、祇園・共和村を中心に隣、三須磨大成(ギター)、末永雄三(ベース),岩本コージ(ドラム)だるま食堂から倉田潤(ギター)らでアンサンブル主体のライブ・パフォースマンスを繰り返す(2年間)。この頃は、INU(町田町蔵在籍)、ドクター(kyon在籍)とよく共演する
●10月 京都 祇園・共和村ライブに山口富士夫(村八分)ギターで飛び入り出演。
●11月 共和村ライブに浅田哲(村八分)ハープで飛び入り出演
●12月 京大西部講堂REVO1980出演(フリクション、ノーコメンツ、キャラバンなど)。
▽1980
●10月 京都府立勤労会館198X・だててんりゅうコンサート。ジー(ベース)加入。サポートプレイヤーに光森英毅(キーボード)。
●12月 京大西部講堂コンサート出演(Tバード、キャラバン)。大阪 SABホール関西TV(ローリング・ポップス)出演。
▽1981
●1月 尼崎ピッコロ・シアター・ライブ・ルネッサンス、だててんりゅうコンサート。
●2月 サポートキーボード光森に替わりKYON参加。
●8月 サーカス&サーカス出演を最後に、だててんりゅう名義のライブ活動を休止する。
●11月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。ゲストギタリストに三十三間堂の中路ススム参加!
▽1982
●2月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。
●12月 隣、井上、杉浦、村地、松田幹夫(g)、KYON(p)、佐野東洋(sax)、スタジオ録音の作品中心に、サーカス&サーカスにてライブ。
▽1983
●1月 リーダー隣雅夫の意向により音楽製作、ライブ活動休止!
1983年以降10数年間だててんりゅうは音沙汰無しとなる。
1983ー1995(活動中止)
○NRXT 1996ー2005」

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 アルバムの全5曲中、オリジナル・メンバーの上田省吾(ドラムス)、山下圭(ギター)参加の音源はTrack 4「Part-4」とTrack 5「あぶくの味」で、Track 1~3は中村好孝(ドラムス)参加のギターレス・トリオだから、4と5が1971年録音、1~3は1972年~1973年録音と推定される。2007年以降リーダーの隣雅夫はソロ・アルバムをリリースしているが、これまでのだててんりゅうのバンド名義の発掘音源からのアルバムと新録音は、
1. 1971 ?(CD, Album/Gyuune Cassette/CD95-06) - 1996
2. Unto ?(CD, Album/Belle Antique/Belle 97370) - 1997
3. 1976 ?(CDr, Ltd/Hello Good-Bye Studio/HGM10002) - 2000
4. 凪 (Nagi) ?(CD, Album/Banana Songs/WPR-1211) - 2000
5. 2001 拾得 ライブ!(CD, Album/Banana Songs/WPR-1212) - 2003
6. Red Afternoon Blues (CD, Album/Banana Songs/WPR-1213) - 2004
7. Cool Flying Dragon ?(CD, Album/Banana Songs/WPR-1214) - 2006
8. ウラワ・ロックンロール・センター秘蔵音源復刻シリーズ/秘蔵ライブ音源BEST SELECTION1973~1983 (CD, Comp./Caraway Records/CARA-3019) - 2006
 のフルアルバム7枚、コンピレーション参加作1枚がある。他に「Underground復刻シリーズ」として『Vol.1 夕焼け祭り』『Vol.3 ラリーズ・ハウス・セッションat福生』『Vol.8 Underground Tracks 70's/V.A.』『Electric Allnight Show/1973.11.3-4@Saitama Univ.』などを出していたレーベルが楢崎裕史が参加した歴代バンドの未発表ライヴ音源オムニバス『Vol.2 HIROSHI伝説』(だててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズ、ほか)を2004年にリリースしているが、だててんりゅうオフィシャル・サイトのディスコグラフィでも落とされている通り、これはアーティスト未公認らしい(「Underground復刻シリーズ」そのものが法外な価格、収録アーティスト認可の形跡がないことから疑わしいリリースだった)。しかし隣雅夫、楢崎裕史、中村好孝のギターレス・トリオ時代が1971年~1981年のだててんりゅうの活動でも最初のピークだったのは違いないと言えそうで、CDのインサートでも「このアルバムは、故・中村好孝(1981・没)に捧げる。」と隣雅夫が記している。中村好孝が2代目ドラマーになったのが1972年9月、楢崎裕史が頭脳警察加入のため脱退したのが1973年10月だから、このラインナップは正味1年だけ続いたものだった。

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 スタジオ録音とはいえ演奏全体が音割れして、ヴォーカルやベースにまでファズがかかったような状態なので1~3の歌詞はほとんど聴きとれないが、この3曲だけでもアナログLPのAB面に相当するわけで、1973年の時点でこれが発売されていたらと思うと慄然とする。楽器編成はオルガン・トリオでエマーソン・レイク&パーマーというか、使用キーボードはオルガンだけなのでキース・エマーソンの元いたバンド、ザ・ナイスと同じになり、キーボード・トリオは当時プログレッシヴ・ロックに分類されていたし、オルガンが縦横無尽に駆け回り、頻繁なリズム・チェンジや変拍子、ベースやドラムスとのインタープレイがあるといった点でもEL&Pや当時のイギリスのプログレッシヴ・ロックのバンドとの共通点はある。6/8拍子のインタープレイはグレッグ・レイクのいたキング・クリムゾンの「21Century Schizoid Man」を連想させるし、リズム・ブレイクからキーボードのアルペジオやバンド一丸となったユニゾン・プレイになる展開などイエス、クリムゾン、EL&Pなどのアルバムを聴き込み、学んでいないということはないだろう。
 しかし曲想や全体に満ちた殺気、切迫感はイギリスのプログレッシヴ・ロックはもちろん当時の日本のバンドでも類例がないもので、歌詞が聞き取れなかったり演奏全体が割れてしまっている音質もかえって音楽の凶暴性を際だたせている。当時はまだ日本のロックが英語詞で歌うか日本語で歌うかで姿勢を問われていた時代だが、ヴォーカルの楢崎裕史のセンスは迷わず日本語詞を選んでいるのに(しかも聞き取れない!)日本語ヴォーカルの響きまで音楽の凶暴さをいや増している。楢崎裕史のヴォーカルはこうしたスタイルの音楽以外では歌とすら呼べないものだろう。それは隣雅夫のオルガン、中村好孝のドラムスも同じで、アルバム最大の20分に及ぶ大作3ではディストーションのかかったオルガン、ベース、ドラムスがガレージもパンクも超えてほとんどノイズ・ミュージックの域に達している。同時代のチェコスロバキアのキーボード・バンド(1970~1981)、コレジウム・ムジカムのキーボード奏者マリアン・ヴァルガも爆音を出していたし本家キース・エマーソンもライヴではフィードバック音を暴走させていたが、隣雅夫はエマーソンもヴァルガも関係なく自分の発想でだててんりゅうのスタイルにたどり着いた。楢崎裕史のヴォーカルとベース、中村好孝のドラムスのトリオ編成だからこそ到達したスタイルでもあって、音響実験的な4、楢崎裕史のシンガー・ソングライター的な面がフォーク・ロック期のボブ・ディランに似た曲想で現れている5も好ましいが、やはり1~3の3曲に尽きる。ちなみにジュリアン・コープの例の『ジャップロック・サンプラー』で本作はベスト50アルバムの32位につけている。

偽ムーミン谷のレストラン・改(16)

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 さて、今ムーミン谷のレストランには、いる人もいない人も含めて主要なムーミン谷住民ほぼ全員が顔を揃えていました。すなわち、
 ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミン/スノーク、フローレン/ヘムレンさん、ジャコウネズミ博士/ヘムル署長、スティンキー/ミムラ、ミイ、ミムラ族35兄弟姉妹/ミムラ族とスナフキンの母ミムラ夫人/スナフキンの父ヨクサル/冒険家ロッドユールとソースユール夫妻と息子スニフ/発明家フレドリクソン/3人の魔女トロール・トゥーティッキ、モラン、フィリフヨンカ/フィリフヨンカの叔母エンマ、女友だちガフサ/小言じじいグリムラルンさん/双子夫婦トフスランとビフスラン/谷のガキどもホムサたち/見えない少女ニンニ/迷い這い虫ティーティウー/群棲担子菌類ニョロニョロ/ご先祖様(暖炉の裏に住む老ムーミン)
 その他ここにいない人たちです。ところでこれらのトロールたちは(ニョロニョロもトロールと呼べればですが)何のためレストランに大挙して押しかけていたかというと、早い話が習性としか呼びようのないものでした。習性というと生態学的で客観的に過ぎるならば、野次馬根性と言えばどうでしょうか。
 生死の境界がはっきりしないトロールにとっても死は厳粛な儀式であるはずでした。しかしトロールたちはといえば、些細な習俗の変化でさえも見逃さないのですから死ほどの一大イヴェントを逃すわけはなく、どこからともなく集まれば飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎになるのは責めても仕方のないことです。トロールたちの習慣では生命活動の停止が観測されてから一昼夜かけて蘇生しないかを確認しつつ集会する、これをお通夜と呼び、そののち故人と行政にとってもっとも望ましいとされる方法で遺体の処分を行う際にまた集会を開いて執り行う、これを葬儀と呼びます。
 もちろん概念の実体化でしかないトロールにはこれらはまったく意味を持たない習俗ですが、習俗自体が本来意味を必要としますでしょうか。ないない、ことトロールに限って言えば、あー、あり、ありえん、あーりえないことですから多くを期待したら負けです。そんなの負けたって悔しくないやと思わせてしまうのがトロール効果というべきで、尊厳においてトロール以下であることがどれほど恐ろしいことかを知っていればいるほど語るべきことと語らざるべきことをわきまえているはずでしょう。そこに谷の深淵が開いていました。


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