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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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一日一麺

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 今年の目標は「一日一麺」と決めた。画像は昨日食べた「ラ王」のとんこつラーメンになる。見てもわからないが、スープには酢を少々入れた。すり胡麻があればなお良かったが、紅しょうがが買ってあったな。載せれば良かったな。

サックス、フルート、クラリネット

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(画像上=ソプラノサックス、アルトサックス、テナーサックス)
(画像下=クラリネット、フルート、プラスチック・アルトサックス)
 音楽をやりたいから楽器を習得するのは誰しも同じだろうが、やりたい楽器があるから音楽をやるのとやりたい音楽があるから楽器をやるのとは違うのではないだろうか。前者の場合は音楽教室や音楽サークル活動に参加して学ぶだろうし、後者はリスナーから始まっているから基本は独学で、実践から技術や方法を身につけていくことになる。その場合、楽器について語る前にどんないきさつで楽器にたどり着いたかから書かなければならないだろう。

 もともと中学生の頃からロックが好きでギターを始め、高校時代からは仲間うちで長続きしないバンドをいくつかやっていた。長続きしないのはまだ10代だと音楽の好みがころころ変わるからで、唯一一年近く続いたバンドは全曲筆者のオリジナル曲(といっても拙いものだが)だったのでブレなかったのだと思う。
 そのうちロックでも実験的なものを聴くようになって、そうしたものはインストルメンタル主体のものが多く、次第にヴォーカル・パートの入らないロックでも聴けるようになってきた。ロックの発達史でビート・グループからブルース・ロックへは断絶があり、ブルース・ロックからサイケデリック・ロック、プログレッシヴ・ロック、ハード・ロックへの発展があり、パンクやポスト・パンク以降のロックも1970年前後の混沌とした時期に孤立した先例がいくつもあるのがわかった。そうなると仲間うちで安易にコピーバンドなどやっても面白くない。

 その頃には社会人になっていた。ある朝職場で仕事前の掃除をしていると、親しい同僚がラジカセでカセットテープをかけた。なんだかよくわからない管楽器の咆哮が無伴奏で始まると、これまでロックでも数回しか聴いたことがない殺気立ったスネア・ドラムの一撃で曲が姿を現した。ジャズなんだろう。これがジャズなら今までロックに求めていた要素は全部そこにあって、しかもロックより凄いじゃないか。
 泡をくって同僚になんのアルバムか訊いた。エリック・ドルフィー『ラスト・デイト』、カセットテープを借りて何度も聴き、初めて買ったジャズのアルバムになる。ついていたことに、実家にお兄さんやおじさんの置いていったアナログ盤があるんだけどLPプレーヤーなくて、という同僚たちからカセットテープに録音を頼まれたアルバムはモダン・ジャズの基本ライブラリーといって良いものだった。ジョン・コルトレーンの『ヒストリック・パフォーマンス』とチャールズ・ミンガスの『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』、オーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』、オリヴァー・ネルソンの『ブルースの真実』にもエリック・ドルフィーは参加していた。

 名盤ガイドブックとして一番活用したのは油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』(新潮文庫1986)で、ジャズの発達史についてはたまたま興味本位で蔵書にあった相倉久人『モダン・ジャズ鑑賞』(角川文庫1981・原著1963)が筋道をつけてくれた。1963年の時点で相倉氏の注目するアーティストはレニー・トリスターノ、チャールズ・ミンガス、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィー、ビル・エヴァンス、オーネット・コールマン、セシル・テイラーで、氏の高い見識がうかがわれる。ドルフィーに続いて、ドルフィー以上に夢中にさせてくれたのはミンガスとコルトレーンだった。そこでわかったのは、ロックがビート・グループからブルース・ロック以降の発展をとげるのにはマイルス、ミンガス、コルトレーン、オーネットらのジャズが直接の音楽的アイディアになっているということで、モダン・ブルースよりもその比重は高いと思われる。
 
 それでひと仕事終えた時に、思わず買ってしまったのがアルトサックスだった。コルトレーンが好きなのにアルトを買ったのは店頭で「初めてサックスを始める方に」と札が出ていたのと、アルトもテナーも大差なかろうと思ったからだ。全然違う楽器でごさいます。音域の高さから並べるとソプラノ→アルト→テナー→バリトンと低くなるが、名称通りアルトは女性の声域、テナーは男性の声域といえて、犬でいえばチワワ→秋田犬→土佐犬→ドーベルマン、猫なら三毛猫→チーター→虎→ライオンほどの違いがある。だがチワワにもチワワの道があり、秋田犬には土佐犬にはないフットワークの軽さがある。もっともテナー奏者にコンプレックスを持たないアルト奏者は少ないし(ソプラノはテナー奏者の持ち替えの場合が多い)、サックス奏者は金管奏者には劣等感を抱いているのだ。
 アルトの独学を始めるようになったら、フルートを知人から譲ってもらえることになった。そうなったらクラリネットも知りたくなって、学習用の安いプラスチック・クラリネットを買った。アルトもなんとか吹けるようになったら、アルト同様安い台湾製のソプラノサックスも手に入れた。一応アルトとソプラノ、クラリネットは同じくらい吹けるようになった頃にはジャムセッションや自分のバンド(楽器店の張り紙コーナーで集めた)で人前で演奏するようになっていた。
 
 同じ頃から始めたのに、フルートは全然上達しなかった。楽譜を書いてあらかじめ練習しておいた分を吹くのがやっとで、アドリブがとれない。特定の曲のテーマ部で使うのがせいぜいだった。また、人前で演奏するようになってからアメリカン・セルマー(略称アメセル)のテナーサックスの新品!を知人から安く譲ってもらえることになった。アメセルのサックスといえばエレキギターならギブソン・レスポールみたいなもので、保証書つきのプロ仕様だから30万円もアコースティック楽器としては当然になる。その新品未使用品を10万円で譲ってもらえることになったのだが、吹いてみて愕然とした。吹けないことはないのだが、自分の感覚では中音域から上しか使えないのだ。つまりアルトサックスの音域より下の音域を含むフレージングをイメージできない。管体がでかいから音も遠鳴りしているように聞こえる。使い慣れているドスを日本刀に替えたような使い勝手の違いがある。重いのだ。
 
 そんなわけで、せっかくのアメセルなのにライヴでは一度も使うことがなかった。持っている楽器の中では一番の高級品なのにだ。アメセルのアルトを人に少し吹かせてもらったことがあるが(もちろんマウスピースは替えて)、まともな楽器というのは同じアンブシュアで指づかい通りの音が正確に出るのに呆れた。筆者の使っている台湾製アルトなんかはアンブシュアで調整しないと指づかい通りの音が出ないのだ。おかげで自分に絶対音感があるのが判明してしまったが、前向きに考えれば安物楽器のせいで正確にピッチを修正しながら演奏する訓練になり、逆にピッチを歪める奏法も習得する結果になった。うちのバンドはどちらかといえばテナーをフロントにしたバンドが採用するレパートリーを演奏していたが、音域的にはテナーなら中音域以上になる吹奏をして違和感がなかったのは最初からまともなアルトサックスらしい音色ではなかったからだった。
 
 ソプラノサックスなどはもっとピッチの悪い楽器だったから、エオリアン・モード(音階)とペンタトニック(五音階)専門に使っていた。つまり左手しか使わないのでソラシドソ、という五音階になる。ソラシドソならソがトニックになるのでエオリアンということにもなる。
 通常ソプラノサックスで演奏されるようなことはクラリネットを使っていた。クラリネットは最低音はアルトサックスの最低音の半音上なだけ、しかも3オクターヴ以上の音域が可能な演奏ポテンシャルの高い楽器で、だが倍音成分は低いためにサックスとはまるで異なるキャラクターがある。フィンガリングやキー構造はサックスより複雑になるため、元々デリケートなアンブシュアを要求される楽器だがヘマをすると暴発する面白さがあり、どの楽器でもそうだがミストーンが出てしまったらそれをどう演奏の中に組み込んでしまうかがジャズのような即興演奏の音楽ではプレイヤーの腕前になる。
 
 プロのジャズ・プレイヤーに話をうかがっても「プロだってミスするよ」と率直に打ち明けてくださる方は多い。だからと言ってアマチュアと同じレヴェルのミスではないのはもちろんだが、ジャズの管楽器奏者にとって音はヴォイスなのだから、一人の奏者のヴォイスには一貫性がなければならないだろう。管楽器奏者に限らずアマチュアのジャズ・プレイヤーには「いろんなジャズマンのいいとこ取り」みたいなつぎはぎ演奏が多いのもジャムセッションではよく見られる。それからやたら長い音階練習をアドリブ・ソロと勘違いしているテクニックひけらかしプレイヤー。ひとに聴かせたい演奏、なにを言いたいのか内容をこめた演奏など、演奏者自身にどれだけの自覚があるかは少し聴けばわかる。
 
 筆者は結婚やら子育てやら失業やら離婚やらでもう15年近く楽器に触れなかった。プラスチック(ポリカーボネート)・アルトサックスは昨年末、サックスを始めて以来ずっと探し求めていたもので、1950年代には生産されていたがこのモデルがつい最近発売されるまでは50年以上製造メーカーがなかったものだ。チャーリー・パーカーが『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』1953で、オーネット・コールマンが『ジャズ来たるべきもの』1959や『フリー・ジャズ』1960で吹いたのも白いプラスチック・アルトだった(材質は旧来のプラスチックだろうが)。リハビリにはまだ相当時間がかかるだろうが、長女(高一)がフルート歴三年半、次女(中一)がオーボエ歴半年ならまだサックスでなら勝ち目がある。少なくとも音楽的ボキャブラリーではとーちゃんに分がある。楽器経験値をリセットしても聴いてきた音楽は消えない。長女がもうドビュッシーやメシアンにまでたどり着いていたらちょっとやばいが、土俵がジャズならどんとこいだ。いや、しかし姉妹でジャズフルート&オーボエ・プレイヤーなんていったらどう見ても親父の方が華がないな。自分の娘たちに華があるなら結構なことだが。

団地の寿命

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 この団地、正確には四階建て・五棟からなる某私鉄社員寮は、1970年にはもうあった。敷地はかなり広く、夏には花火や盆踊りの会を催しているのが当時から見られたから、建てられた年代はたぶん1970年より数年はさかのぼるだろうと思われる。
 おそらく入居条件があるのだろう、中庭で遊んでいるのは若い母親たちと乳幼児ばかりだった。子供が小学校にあがるくらいの学齢になると世帯の収入も上がるから、社員寮時代が終わるのだと思う。
 一昨年から昨年にかけて、入居者が転居した空き部屋がどんどん増えていき、若い母親たちも乳幼児たちの姿もなくなった。これはひょっとしたら、と思っていたらまずヴェランダ、次に内装の撤去工事が始まった。歴代で何世代の交替があったかわからない。育った子供たちも、ここに住んでいた頃はまだまだ幼すぎて、記憶にはないだろう。
 団地にも寿命がある。昭和37年の映画『私は二歳』は団地住まいの若夫婦を主人公に描いた駄作だが、当時「団地」とは日本人にはいかにモダンな魅力を感じさせたかがわかる。もう50年以上昔のことだ。団地は変わらなかったのだが、人の心は変わった。

ピーナッツ畑でつかまえて(25)

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 それならウッドストックに訊いてみようじゃないか、とチャーリー・ブラウンは、こんな窮地までもあるじの忠実な下僕ならぬ秘書としてスヌーピーについてきた雑種の小鳥を指して提案しました。スヌーピーあるところ常にウッドストックあり、死路への逃避行とも言えるこの逃亡にもウッドストックは当然のように同行していましたが、寡黙なこの小鳥はパインクレストの平和な日々からまるで変わらない様子に見えました。もともと毛並みはみすぼらしい雑種ですし、小鳥相応に小食ですから、日毎にやつれていく様子がありありとわかるチャーリーたちに対してウッドストックは今やほとんど優雅にすら見えるほど以前と変わりのない風貌を保っていました。彼らの序列を知らない通りすがりの人が見れば、この小鳥こそがグループはのあるじであり、少年と子犬を従えているように思えたかもしれません。
 これはちょっと不自然じゃないですか、とスノークはヘムレンさんたちに向き直り、あの少年と犬は食うか食われるかという事態に直面したわけでしょう?だったらまず二人であいつをヤキトリにしてこの場をしのげばいいはずですよね。そうしないというのは、やはり何か理由があるのかな。食えない鳥でもあるまいし、裏づけなしには納得がいきませんよ。
 それはだね、とヘムレンさんは首を傾げると、われわれの場合なら主役をムーミンに置き換えて考えるといい。手錠でつながれたムーミンとスナフキンがフローレンと三人で逃避行のすえに、ついに食糧も底を突く。ムーミンたちならどうするね?
 何の逡巡もなくフローレンを食べるでしょうね、とスノーク。ムーミンとスナフキンの友情は固いですから。
 私もそう思う。だが君まで同意するのはどんなものかな。仮にも君はフローレンの兄だろう?あまりに身も蓋もない発言ではないか?
 哲学者として私は、とスノーク、倫理よりも真実を貴びますからね。
 では彼ならどう答えるだろうね、とヘムレンさんはスノークに注意を促しました。しんちゃんはハイレグお姉さんに肩車され、左右の手をエレベーターガールとバスガイド嬢に取られながら丘を越えてくるところでした。道端では、花を摘みにきたフローレンが足をくじいてうずくまっていました。しんちゃんはハイレグお姉さんに下ろしてもらうと、さりげない足どりでフローレンに近づいていったのです。

営業している。

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 日中はこの店はただのプレファブ倉庫みたいな様子をしている。前身であるヤキトリ屋こーちゃんの時代はそうでもなかった。営業時間は午後4時~9時というやる気のない店だったが、黄色いのぼりと赤ちょうちんを雨の日だろうが出しっぱなしにしており、拾ってきたような板によれよれの筆文字で書いたメニュー表が出窓から見えるようになっていて、シャッターは閉め忘れか面倒くさいのかで閉めていないことが多かったのだ。

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 だが創作料理居酒屋に衣替えしてからは営業時間外はきちんと赤ちょうちんをしまい、店の入り口に場違いなほど立派な玄関マットを出していて、これもきちんと営業中にだけ敷く。ボロ板みたいなメニュー看板は出さず、以前より補強されてきれいに塗り替えられたシャッターも営業時間外はきちんと閉めている。これではまるで人格変異を起こしたようで、たしかに商売としてまともなのは現在の創作料理居酒屋なのかもしれない。しかしカウンター席5席、テーブル席2席しかない店を、まだ立ち飲みで客の回転が牛丼チェーンや駅のそば屋並みに速い営業ならともかく、こんな住宅地の外れにポツンとあるような店にとってまともな商売とはどんな基準になるものか。これが隣にパチンコ屋でもあればなるほど、交換所ねと納得もいくのだが、そういうものもない。

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 道の向かいには眼科医院があり、少し離れて斜め向かいに美容院と中華料理店がある。美容院はたぶん40年前からここの店、というような固定客で支えられているのだろう。眼科医院は最寄り駅から徒歩圏ではここしかなく、未だに電子カルテを使っていない老舗だが院長先生は物腰も柔らかく名医と評判が高い。となると怪しいのは中華料理店で、という話題は何度もしてきたが要約すると、中華料理店とヤキトリ屋こーちゃんはたがいを監視している諜報機関の仮の姿の派出所なのではなかろうか、と仮説を立てでもしないと商売など成り立っている様子はないのだ。だがヤキトリ屋こーちゃんに何かが起こった。創作料理居酒屋の看板に架け替えてからこのかたは、一見尋常な営業をいそしんでいるように見える。
 それも敵(!)の姿を欺く一種の作戦なのではないか、とも考えられる。だとすれば創作料理居酒屋、ひょっとしたら今も黒幕はこーちゃんのじいさんかもしれないが、じいさんの心中にはどのような策謀が秘められているのだろうか。わかるません。ひょっとしたらやっぱり、何も考えていないかもしれないのだ。

2014年リイシューCDベスト3

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 そうは言っても筆者のCD購入は中古が大半で、新装再発を待ちかねて入手したリイシューCDなど大してない。数少ない中から上げるから、実際は大してお役に立てないのをお詫びしたい。一般的には未発表音源・最新リマスターによるレッド・ツェッペリンのデラックス・エディション(デビュー作~『聖なる館』までリリース済み)、クロスビー、スティルス&ナッシュの『1974』あたりが大作だろうか。また、ザ・ポップ・グループは『ウィー・アー・タイム』の再発とともに新たに未発表音源集『キャビネット・オブ・キュリオシティーズ』されたが、相変わらず傑作セカンドの再発はかなわないようだ。ポップ・グループは2月発売予定で『シチズン・ゾンビ』というアルバムが予告されており、全盛期の未発表音源ならまだしも老醜(YouTubeで最近の無惨なライヴが観られる)をさらけ出した新作ならいっそ発売中止を願いたい。勝手な言い分で申し訳ないが。
 ボックスものは後回しとして、国内盤の単発リイシューCDでは、

[ジャズ]
ラリー・ヤング『ユニティ+4』

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・1965年のコルトレーン派(!)オルガン・ジャズ奏者の異色の名盤に、50年あまり未発表のまま新発見された別テイク4曲を加えた増補リマスター再発盤。全曲が素晴らしい名曲・名演のアルバムだったから別テイクの発見は嬉しい。参加メンバーのウディ・ショウ(tp)、ジョー・ヘンダーソン(ts)、ヤング(org)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)は全員故人となったが、全員にとってもベストプレイというべき最高にクールな演奏が聴ける。ウディ・ショウとジョー・ヘンダーソンの提供したオリジナル曲は60年代ブルー・ノート作品でも白眉の出来だろう。新発見の別テイクはヘンダーソン作の『イフ』が2テイク、ショウ作の『ムーントレイン』『ビヨンド・オール・リミッツ』が1テイクずつの別テイクで、アルバム収録曲中スタンダードの『朝日のようにさわやかに』とセロニアス・モンクの『モンクス・ドリーム』、ヤング作の『ゾルタン』の別テイクは残されていなかったらしい。リハーサル日程なし、1965年11月10日のセッション一回で完成された凄みがわかる。
 他に、パブリック・ドメイン化による手頃なリイシューCDとしては、
Roland Kirk-"Complete Recordings 1956-1962(Import)

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 がある。厳密にはコンプリートではないが(チャールズ・ミンガス『ミンガス・オー・ヤー』1961など)、56年の初リーダー作から名盤『ドミノ』までの5枚、参加作3枚(クインシー・ジョーンズ『ビッグ・バンド・ボサ・ノヴァ』、ロイ・ヘインズ『アウト・オブ・ジ・アフタヌーン』、タビー・ヘイズ『タビーズ・バック・イン・タウン』)をCD4枚にまとめている。発売のEnlightenmentレーベルはアーマッド・ジャマル、エリック・ドルフィー、ビル・エヴァンスも同様の体裁に廉価シリーズ化しており、ボーナス・トラックはなく録音データ記載もないし、収録曲のオミットも多少あるが、リマスターによる音質向上も良く、縮小ながらオリジナル・ジャケットも掲載しており(ジャケットの版権はサイズで規定されているため)、パブリック・ドメイン再発としては良心的な廉価レーベルといえる。

[ジャズ(発掘)]
Miles Davis-"On The Crest of the Airwaves"(Import)

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 この発掘ライヴ編集盤は今回は正式には再発の再発になるが、4枚組で1200円程度の廉価再発でもあり、普通の輸入CD店で買えるハーフ・オフィシャル盤でもある。すべてFM放送音源で、ディスク3と4を占める1988年5月2日のライヴは編集すれば正規盤で通る音質。ディスク1は1970年8月18日のライヴで、エアチェック音源なのかやや音質がこもるが、有名なワイト島ロックフェスと同じメンバーで緊張感溢れる演奏。ディスク2は同年10月15日、チック・コリア(el-p)とデイヴ・ホランド(el-b)、アイアート・モレイラ(per)が抜け、キーボードはキース・ジャレットだけになり、ホランドとアイアートの後任にマイケル・ヘンダーソンとジュマ・サントスが入った。それだけの違いでディスク1のジャズ・ロック的演奏からファンク・ロックへの音楽的変化がみられる。こちらはディスク3-4同様FM音源マスターから直にCDマスタリングされたとおぼしい高音質で収録されている。マイルスの発掘ライヴは400枚を超えているし、メンバー・チェンジとセット・リストを把握しないとハズレをつかむが、それほど集めていない段階ならこの4枚組はお得。

[ロック(海外)]
キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンド『リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー』

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 ポップ・グループ『ウィー・アー・タイム』1980に10年先んじる脱構築ロックの大傑作がこれだ。キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドは二枚組アルバム『トラウト・マスク・レプリカ』1969が質・量・ジャケットのインパクトの総合点では代表作だろうが、あまりのヴォリュームと奔放さに繰り返し楽しむにはしんどいところがあった。『レプリカ』の次作に当たる1970年の『リック・マイ~』ではグッと密度を増した作品になっており、38分15曲と短い曲を畳みかけてくるようなアルバムで、79分28曲の『レプリカ』と曲数比率は変わりないようだが『レプリカ』の曲は半数が1分前後のキャプテンの詩の朗読だった。『レプリカ』を『ホワイト・アルバム』とすれば『リック~』は『リボルバー』で、順序が逆なのもロック史上最高の変人と名高い名物男ビーフハートらしくてよろしい。ビーフハートのワーナー系作品は90年代初頭に一斉CD化されたが、『リック~』だけなぜか初回プレスきりで廃盤になり相当なプレミアがついていた。今回の再発はタワーレコード限定発売らしいが、これで一気にプレミア価格も下がった。輸入盤CDでも現在廃盤状態なだけに国内盤再発の意義は大きい。『レプリカ』より『リック~』が好きという人も多いし、ビーフハートを初めて聴くならこのアルバムが一番いいと思います。

[ロック(国産)]
ザ・モップス『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』

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モップス『モップス1969~1973』

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 鈴木ヒロミツ、星勝を擁したザ・モップスはメンバーの平均年齢20歳の1968年にシングル『朝まで待てない』c/w『ブラインド・バード』で日本初のサイケデリック・ロック・バンドとしてデビューした。デビュー・シングルAB面は作詞家・阿久悠にとってもデビュー作だった。『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』はデビュー・シングルAB面を含むデビュー・アルバムだが、これまで3回CD化されたどれもが『ブラインド・バード』を歌詞の差別表現問題からオミットしていた。ジャックスの『からっぽの世界』や村八分『あッ!』はどちらも90年代には歴史的作品として解禁されたが、『ブラインド・バード』は21世紀になってからの再発盤でもカットされており、パブリック・ドメイン作品として海外プレスされたアルバムでしか聴けない状態だった。モップスは1974年に解散したが、海外での評価も次第に高まり、そのフィードバックもあって、解散40周年を記念してしばらく廃盤状態が続いていたモップスの全アルバムが、これまでアルバム未収録のため未CD化だったシングル曲を同時期のアルバムにボーナス・トラックに追加して一斉再発された。
 ザ・モップス(アルバム2作目からはレコード会社を移籍してモップス)には全部で8枚のアルバムがあるが、今回の一斉再発でマストなのはデビュー・アルバム『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』と『モップス1969~1973』だろう。前者は国内盤CDで初めて『ブラインド・バード』を含む完全版であり、サイケデリック・ロック時代の未収録シングル曲2曲を追加収録。後者は新録音曲やリメイクを含むレコード会社移籍後のオリジナル・ベストアルバムで、今回初めて単独アルバムとしてCD化リイシューされたもの。この後のモップスはラスト・アルバムで解散コンサートのライヴ盤『EXIT』しかないから、『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』と『モップス1969~1973』の2枚でモップスのあらましはつかめる。
 全然ベスト3になっていないが、次回は今回収まりきらなかった2014年CDボックス大賞をやりたいと思っております。候補としては2013年の"Columbia Jazz Collection"、今年作品なら大賞をあげたい、
Various-"Jazz on Vogue The Perfect Collection"(Import,20CD)

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に続くシリーズの、
Various-"Atlantic Jazz Legends"(Import,20CD)

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があった。発売資料を引くと、
「名門アトランティック・ジャズの至宝20作品を集めたボックス・セット。アトランティックの新旧ロゴをモチーフにした、シックなデザインのボックスにはレーベルが1950年代から1970年代にかけてリリースしてきた、ジャズの名盤、レア盤を20枚収納。その中にはジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』やチャールズ・ミンガスの『ブルース&ルーツ』、MJQの『ピラミッド』やビリー・コブハムの『スペクトラム』までモダン・ジャズ~フュージョンにかけての歴史を語る上で外せない名盤の他、モンゴ・サンタマリアの『モンゴ70』や、ユセフ・ラティーフの『ザ・ブルー・ユセフ・ラティーフ』などのレア・グルーヴの注目盤まで、幅広くピックアップ。各アルバムの簡単な解説と参加ミュージシャンのデータを掲載した28ページのブックレットも付属。」
 となかなかいけるように思えるが、普通に入手しやすいアルバムが大半で稀少盤の割合は少なく物足りない。なので大賞は次回で発表いたします。

It was 35 years ago Today...

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 レッド・ツェッペリンがバンド存続中に制作・発表した最後のアルバムが『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(1979年8月15日発売)。前作はライヴ・アルバム『永遠の詩』(76年10月)だがこれは同名のライヴ映画の公開に合わせたリリースで、内容は73年7月のコンサートからだった。スタジオ録音アルバムとしては『プレゼンス』(76年3月)から三年以上のブランクを置いた新作になり、やはり『ホテル・カリフォルニア』(76年12月)以来三年ぶりの新作となったイーグルスの『ロング・ラン』(79年9月)、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』(79月11月。前作『アニマルズ』は77年1月)と、大物バンドの寡作化が目立ってきた時期だった。

 60年代には年間2作、70年代には年1作が標準だったのだが、入念なリサーチとプロモーション期間、長期の大規模ツアーと休養期間が常套化してアルバム発表が不規則になっているのは現在ではメジャー・レーベルのアーティストでも珍しくないが、ツェッペリン、フロイド、イーグルスら70年代の大物バンドも76~77年まではペースを守っていたものの80年代を目前にしてバンドのコンセプト自体が良くも悪しくも煮詰まってきていた。80年代間もなくイーグルスは次作のライヴ盤を出して解散、フロイドは実質的にリーダーのロジャー・ウォータースのソロ・アルバムといえる解散記念アルバムを出して解散、ツェッペリンは大規模ツアー中(正確にはヨーロッパ・ツアー後のアメリカ・ツアーのリハーサル中)の80年9月25日にジョン・ボーナム(ドラムス)が事故死(酩酊して吐瀉し窒息)し、解散発表ののち未発表曲をまとめたアルバムを出したら『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』より出来が良かった、という笑えない話もある。

 さて、当時もあって今もあるロック系音楽誌といえば『ミュージック・マガジン』『ロッキング・オン』『Player』だが、それらは論評や音楽分析、網羅的な新作紹介、かなり内幕に突っ込んだ取材記事などに主眼を置いており、中高生の読者にとって魅力的なのは今は亡き『ミュージック・ライフ』と『音楽専科』だった。この両誌はまず最新グラビアとゴシップを楽しむ雑誌で、インタビュー記事なども中高生でも思いつくような質問しかしない。だがそれは中高生が知りたいようなことなので、前述の音楽誌が音楽観や演奏技法、音楽ビジネスなどについて訊きたがるのに対して『ミュージック・ライフ』や『音楽専科』は趣味や好きな食べ物や休みの日のすごし方などについて訊くのだ。
 それでも『ミュージック・ライフ』と『音楽専科』は部数でも知名度でも圧倒的に差が開いていた。『ミュージック・ライフ』は置いていない書店のほうが少なかったが、『音楽専科』(略称『音専』…)は置いている書店のほうが少なかった。しかし固定読者もついていて、志摩あつこさんの「エイトビート・ギャグ」なんていう名物連載なんてものもあったのだ。
 
 この画像はたしか79年の年末か80年の新春かに出た『音楽専科』の増刊号で、数年後に古本屋の店頭の100円均一で買ったが、『音楽専科』本誌で刊行告知は見たが新刊書店の店頭では見かけなかった、と思う。本誌ですら部数が少ないのだから増刊号ではなおのことだろう。せめてロバート・プラント(ヴォーカル)とのツーショットならともかく、ジミー・ペイジ(ギター、リーダー)単体で表紙にするあたりが『音楽専科』らしくて良い。当然自社取材の写真ではないだろう。『ミュージック・ライフ』のように専属カメラマンはいなかったはずだ。しかしバンド存続中に『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』リリース記念に発行されたレッド・ツェッペリン特集増刊号とは、はしなくも生前葬になってしまった趣きがあり、それを出したのがシンコー・ミュージック出版社ではなく音楽専科社だったのが感慨深い。

 古本屋で一緒に買ったのが『ミュージック・ライフ』増刊号「ロック御三家大特集~キッス、クイーン、エアロスミス」で、キッスが『地獄の軍団』76.3、クイーンが『オペラ座の夜』75.11、エアロスミスが『ロックス』76.5が最新作だった時期だから(クイーンの『華麗なるレース』は76.12)76年の夏あたりにでたのではないだろうか。こちらは『ミュージック・ライフ』のグラビアからの未発表写真も満載で、資料的に価値があるのは現在のオフィシャル・プロフィールとの違いがかなりあることだ。文献的には現在は正確かつ綿密になっているが、逆に不正確で遺漏が多かった時期はバンド側が情報操作していたことがわかる。ミュージック・ライフがクイーン『シアー・ハート・アタック(クイーンIII)』1974.11、エアロスミス『闇夜のヘヴィ・ロック』75.4、キッス『地獄の狂獣(アライヴ!)』75.9ではなく、各々の次作『オペラ座の夜』『地獄の軍団』『ロックス』が出揃うのを待って御三家大特集の増刊号を出したのも鋭い。これらがクイーン、キッス、エアロスミス各々の最高傑作であることに異論はないだろう。

 ツェッペリン増刊号も御三家増刊号も80年代初頭には古本屋の100均本だったわけだが、現在世界的にマニアの層の厚さを思うと、オークションにでも出たらどうなるかゾッとする。海外での取り引きのほうがすごいことになりそうな気がする。
 残念ながらキッス・クイーン・エアロスミス御三家増刊号は別れた妻の友達に貸したら又貸ししているうちに行方不明になったという。だから女は信用が……。20年以上手元に置いて愛読していたのに、あー。
 レッド・ツェッペリン特集号も30年あまり手元にあったのだが、ロック好きの同年輩のかたに先日差し上げた。もちろんツェッペリンは今でも大好きだが、喜んでくださるかたに差し上げたほうがいい。御三家増刊号の二の舞にはならないだろう。
 あの『ミュージック・ライフ』増刊号なら買い直してもいいのだが、千円や二千円では無理になっているに違いない。だって76年のキッスとクイーンとエアロスミスをタイムカプセルに封じたような生搾りですよ、もう手にする機会はないんだろうなあ。

ピーナッツ畑でつかまえて(26)

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 しんちゃんは花を摘んでいるフローレンに向かって進んでいきましたが、道端の花畑にまでたどり着くと3本ばかり花を摘んでまた引き返し、けらいのお姉さんたちに1輪ずつを捧げると再びハイレグお姉さんに肩車され、左右の手をバスガイド嬢とエレベーターガールに取らせて丘の一本道を進み始めました。フローレンは黙々と花を摘んでいます。
 これはどういうことですかね、とスノーク。私の知るあの幼児は極めて見境いなく好色な幼稚園児であるはずなんですがね。まあ人間の美意識ではムーミン谷の美の基準など測れはしないでしょうが、一応わが妹はムーミン谷の誇るヒロインですよ。何らかの表敬行為があってしかるべきではないですか。
 表敬行為とは何かね、おねいさん担々麺は汁あり派・汁なし派?みたいなナンパ質問かね?とヘムレンさん。つまり私の知るあの幼児は普段そういう風に共通の話題から入ってナンパを試みる性癖があるらしいが、フローレンにはなぜ同様の行為を行わんのか、それは彼女を口説くほどの美少女と認めていないからではないか、ときみは憤慨しているのかね?
 いや私は単純に、とスノーク、なんであんなにあっさり無視したんだろう、と思っただけですよ。つい目と鼻の先まで近づいておきながら、あれはないんじゃないかな。
 それは単純に、とヘムレンさん、あの変態幼児にはフローレンが見えておらんのじゃないかね?つまりさ、われわれの知覚には知っているものは見えるが、知らないものは見えん、という妙なフィルター機能がある。これは知的生命体のみならず野生動物ですら言えることで、もっとも野生動物の場合は本能によるのだが、生きていく上で必要な情報のみを認識し不要な情報は目に入らないわけだよ。
 だったらそれは変じゃないですか、とスノーク。かたやチャーリー・ブラウン、かたや幼稚園児の一行は今も接近しつつあるし……それに考えてみれば、あの幼児はむしろ野生動物の一種でしょうが、われわれは知的生命体ではなくトロールですよ!
 そういうことだろうね、とヘムレンさん。そしてまたフローレンもトロールであり、われわれは一般的には他者からの知覚の中にでも外にでも出入りできるのだろう。だが今われわれは観察者の立場なのだ。
 キミはどう思う?とチャーリー・ブラウンは小鳥に訊きました。ウッドストックは、
・、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、!
 と鳴きました。

2014年リイシューCDボックス大賞

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 前回で予告した通り2014年リイシューCDの続きで、今回はボックス大賞として東西からワンセットずつ選びたいと思う。ボックスセットの醍醐味といえば一気にズドンとまとまって手に入ることだが、海外商品で圧倒的に有利なのはパブリック・ドメイン作品の豊富なカタログがあることだろう。こればかりは国内生産商品ではどうしてもかなわない。2014年筆者が購入した最多枚数のボックスセットはメンブラン社(ドイツ)の『エンサイクロペディア・オブ・ジャズ~ビバップ・ストーリー』100枚組(輸入)でした。半分くらい手持ちのCDとダブったが100枚組で5000円、しかも実質的に2LPin1CDだからCD50枚分でもLP100枚分に相当するし、これでしか聴けないアルバム満載となればアルバム1枚あたり50円という買い物になる。ただしこのボックスセットは2014年の新発売ではないので大賞外とした。実は輸入盤ではこっそりととんでもない代物、レコード大賞企画賞でも足りない、前回候補に上げた"Atlantic Jazz Legends"などありふれた代物にすら見える、誰も想像できなかったような驚愕のボックスセットが出てしまったのだ。

[ボックスセット(海外)]
Charlie Parker Records-"The Complete Collection"(Import)

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 ドイツのパブリック・ドメイン廉価再発レーベル(たまに新録音も発売するが、主力商品はパブリック・ドメイン作品、ジャンルは主にクラシック)Membran社は以前は音源データを記載しないにもかかわらず10枚組で1000円など痛し痒しのレーベルだったが、さすが技術国ドイツだけあって音質は正規レーベル盤を凌駕すらするものだった。だが5年ほど前に驚愕の500枚組(100枚×5セット)"The Encyclopedia of Jazz"(ジャズ史上の主要作品を1917年のジャズ初録音から50年代後半まで網羅したもの)発売あたりから、さすがに分売でも100枚組(当初5000円)にデータなしでは売り物にならないと覚悟して(それまでは意図的にデータ無記載だったのだろう)、精密詳細な録音データを添付するようになった。
 これが当たったようで、2014年のメンブランの廉価盤ボックスはすごかった。フランク・シナトラ全集46枚組、エラ・フィッツジェラルド全集48枚組、マイルス・デイヴィス全集34枚組、価格はCD1枚あたり100円くらいの設定になっている。ただし全集といってもデビュー~1960年までで、版権がうるさいからか抜けも多少ある。それでもシナトラはクリスマス・アルバム、V-ディスク(軍用慰問レコード)、映画サントラ、他歌手のプロデュース作品、シナトラ指揮のオーケストラ作品まで網羅しているのだ。エラやマイルスはすべてではないがラジオ放送音源、マイルスではサイドマン録音、セッション、ゲスト参加作も初期はほぼ完全に、後半もそこそこ入っている。シナトラとエラはLPサイズのブックレット、マイルスはわざわざCD-ROMで録音データが添付されている。
 だがシナトラもエラもマイルスもぶっ飛ぶボックスがこの『チャーリー・パーカー・レコーズ~コンプリート・コレクション』で、つまりシナトラらは正規レーベルからの再発盤を集めれば越したことはない。かなり稀少音源も入っているが、稀少音源のために買うならもう相当に持っているCDがあるだろう。しかし『チャーリー・パーカー・レコーズ~コンプリート・コレクション』は、チャーリー・パーカー(1920~1955)の未亡人がパーカー没後に立ち上げたいわくつきのインディー・レーベルで、たとえば主力商品パーカーの発掘ライヴでは、
チャーリー・パーカー『ハッピー・バード』(1951年4月録音)

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チャーリー・パーカー『バード・イズ・フリー』(1952年9月録音)

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 など、パーカーの発掘ライヴでも屈指の名盤を早い時期に出した功績がある(近年でもまだ未発表ライヴの発見があるが)。パーカーの発掘ライヴについてはそのうち連載記事にでもしたいと思っているが、パーカー存命中から無許可ライヴ盤が出回っていたほどとはいえ、本格的に発掘ライヴを市場に乗せたことはレーベル本来の使命だったろう。また新録音アルバムでも、ユゼフ・ラティーフ『ロスト・イン・サウンド』セシル・ペイン『パフォーミング・チャーリー・パーカー』『ザ・コネクション』バリー・マイルス『マイルス・オブ・ジニアス』などがあり、ラティーフ作品以外はパーカー・バンドのピアニストでパーカー没後に長く不遇をかこっていたデューク・ジョーダンがピアニストを勤めていた。ジョーダン自身のアルバムはハンプトン・ホウズ(やはりパーカーが生前西海岸ツアーで起用していた不遇ピアニスト)とのスプリット・アルバムの『イースト・アンド・ウエスト・オブ・ジャズ』と、あの、
デューク・ジョーダン『危険な関係』(1962年1月録音)

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 があり、これは日本では格別人気の高いアルバムで、日本からの根強い支持によってのちにジョーダンは引退同様の状態から国際的に認知された長老ピアニストとして復帰することになる。ここまでの文中でゴシック体にしてきたアルバムは当然全部ボックスセットに収録されている。コンプリートですから。
 チャーリー・パーカー・レコーズ発売の全アルバムを集めたのがこの30枚組ボックス・セットなのだが、同じような企画で『チャールズ・ミンガス・コンプリート・デビュー・レコーディングス』1990というのがあった。これはチャールズ・ミンガスとマックス・ローチが主宰した自主レーベル『デビュー』のアルバムのうち、ミンガスの参加アルバムを完全網羅した12枚組だった。それ以前には日本で児山紀芳氏監修による『コンプリート・キイノート・コレクション』が出ている。短命なインディー・レーベルの場合、全アルバムのボックス・セットもCDでは可能ということになる。だが、デビューもキイノートもちゃんと新録音アルバムを出していたレーベルだった(だから現在でも正規レーベルから正規版権で出ている)し、前回紹介したコロンビア、アトランティック、ヴォーグ等のレーベル別の名盤集成なども新録音レーベルだったから収録アルバムを単体で集められないわけではない。だがチャーリー・パーカー・レコーズは発掘ライヴも旧作の再発(しかも改題、別ジャケット、曲順を改竄して)も、権利関係不明なままでまともな新録音とごちゃ混ぜに出しまくっていたのだ。アルバム総数は46枚、収録曲総計421曲になる。うち14枚がチャーリー・パーカーのアルバムで、他アーティストまたはオムニバスが32枚(CDでは2in1)。通販サイトから爆笑の商品説明(英文)を簡単に要約すると、レコード収集家ならば必ずぶち当たる謎のチャーリー・パーカー・レコーズだが、パーカー専門のレーベルかと思うと全然関係ないR&Bやラテン音楽のアルバムまで出しているわ、有名ジャズマンかと思うとデータ不明で新録音か新装再発かわからないアルバムだわ、時代的にあり得ないはずのステレオミックスになってるわ(疑似ステレオ?)、謎だらけのレーベル「チャーリー・パーカー・レコーズ」の全貌が今ここに……しかもブックレットのデータはチャーリー・パーカー・レコーズの原盤から丸写しなので、謎の解明はリスナーに丸投げですが、ついに伝説の全貌がワンセットになったのです。と、まあそういう内容の紹介になる。ジャズと名のつくものならクソでも、ましてやチャーリー・パーカーとつくとあらば素通りできない人には地獄行き片道切符みたいなボックスだろう。ちなみにこのボックスセットもCD1枚当たり100円相当の価格でした。
Charlie Parker Records-The Complete Collection(Membran,Import)
[この商品について]

Exhaustive 30 CD collection from the Jazz legend's short-lived label. Contains 46 original albums (421 tracks) plus booklet. Every record-collector has run across an album with the little sax-playing bird in its label-logo, right next to the brand name Charlie Parker Records or CP Parker Records. Turning the sleeve over, especially if it was one of the non-Parker releases, and seeing a '60s release date under the header Stereo-pact! was as exciting an experience as it was confusing. Was the claim Bird Lives meant more literally than previously thought? What do the Rays Nance and Barretto have to do with Charlie Parker? Who is the Satan In High Heels? When did Barney Kessel and Harold Land tame El Tigre? And what is Stereo-pact!, after all? Rumors are far and wide, speculation and misinformation abounds, while fans and experts discuss the releases of this short-lived label from the '60s at record fairs and in internet forums. But even though a discography can be found online, never before has anyone made an attempt to present the complete output of this legendary label in one set.

[ボックスセット(国産)]
五つの赤い風船『URCコレクション1969-1971 CD-BOX』

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 このボックスは販売店舗限定商品で、たとえば最大手通販サイトA.では分売でしか扱っていない。しかし分売されずボックスのみ収録のディスクが2枚あり、インディー・レーベルからの発売としては痛いところを突いてきた。偶然にもこれは映像ディスクの『ジャック・タチ・コンプリート・ボックス』と発売日が重なったが、五つの赤い風船もジャック・タチの映画ディスクも廃盤が長くて旧規格の中古ディスクに相当なプレミアがついていた。ジャック・タチの方は、DVDボックスよりBlu-rayボックスの方が高価だが特典映像を含めるとBlu-rayの方が収録時間が倍近い、という、こちらも泣きどころを突く商法で来た。
 しばらく前に五つの赤い風船の記事を載せているので、発売レーベルの資料引用で内容紹介としたい。分売なら、ジャケットを掲載した2作を推薦したい。

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[商品説明]
教科書にも載った名曲"遠い世界に"を始めとして、伝説のフォーク・レーベル、URC に残したオリジナル・アルバ厶をコンプリート。更には、URC の倉庫に眠っていた、超お宝蔵出しライヴ音源を収録した特典ディスク付!
■五つの赤い風船〈アルバム第一集〉
五つの赤い風船の衝撃のデビュー・アルバム。風船のトラックのみを収録したスペシャル・ヴァージョン! 1969年作品
※このアルバムはBOXのみに収録で一般には市販しません。
■おとぎばなし〈アルバム第二集〉
自由な発想から生まれたコンセプト・アルバム。「青い空の彼方から」他、珠玉の名曲を収録! 1969年作品
■巫OLK 脱出計画〈アルバム第三集〉
五つの赤い風船の実験性が凝縮された傑作!サイケでアヴァンギャルドで、アシッドな香りが漂う。 1970年作品
■イン・コンサート〈アルバム第四集〉

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五つの赤い風船の絶頂期を記録した貴重なライヴ・アルバム!今回は「遠い空の彼方に」のフル・ヴァージョンを初収録! 1970年作品
■New Sky・Flight〈アルバム第五集〉

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赤い風船における『ホワイト・アルバム』のような作品で、実験性とポップさが美しく対になっているアルバム! 1971年作品
■URC 未発表ライヴ集〈特典ディスク〉
URC の倉庫から新たに発掘された、超貴重なお宝ライヴ音源収録!
※このアルバムはBOXのみに収録で一般には市販しません。

勝負麺。

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 タイトルででかく出てしまったが、毎日一食は麺類という食生活をしていると、結局麺類の王者は鍋焼きうどんなのではないか、という気がしてくる。まず調理器具がそのまま食器というところが良い。しかも使い捨て容器ではないのだからエコがエコがと文句をつけられる筋合いはない。何より猫舌の人間には好きなだけ生ぬるくしても煮立った状態とそう変わりはないところが嬉しい。
 生麺もスーパーで三玉98円程度のもので十分美味しい。長ネギと七味、乾燥ワカメと玉子、あと切り落としチャーシューを少々。市販の濃縮つゆをキャップ2杯程度(見当で)。これがただの温麺だったら月見うどんに多少具を添えたにすぎないが、煮込みにすることでまろやかにそれぞれの具から出汁の入り混じった、より深みのある味わいになるのだ。
 毎年冬のたびに鍋焼きうどんについては同じようなことを書いているような気がするが、冬なんて良いことは鍋物がおいしくなるくらいだろう。幸い長ネギや白菜が安くなる季節でもある。この冬にはあと2回くらい鍋焼きうどんを讃える作文を載せるかもしれない。

ピーナッツ畑でつかまえて(27)

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 チャーリー・ブラウンからの唐突な問いに答えたつもりか、ウッドストックは一気呵成に、
・、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、!
 と鳴きました。困惑するチャーリー。このみすぼらしい雑種の小鳥がどうやらチャーリーに反感を持っているらしいことは少年にも判断できました。ウッドストックは普段ブラインドタッチでスヌーピーの著述の口述タイピングを勤めているくらいですから、毎回出版社から返送されてくるその内容はともかく、彼らが標準アメリカ英語を読み書きできる能力があるのは明らかです。発声がままならないのは仕方ない、犬や鳥ですから。ですが直接チャーリーに返答するのであれば、逃亡中にまで携行しているタイプライターで答えることができるはずです。要するにこのクソッタレな小鳥はスヌーピーを通してしか話さないと決めており、もちろんスヌーピーは自分たちに不利な提案はするわけはないのですから、ウッドストックにどんな意見を求めようがチャーリーと彼らの1対2の構図は崩れようがないことでした。
 ウッドストックは何て言ったんだい?と屈辱感に耐えながらチャーリーはビーグル犬に訪ねました。ビーグル犬は爪楊枝で歯間をほじり、歯垢を舐めて空腹をしのぐ作業に熱中していましたが、突然チャーリーから呼びかけられたのに対する返答の猶予を求めてなのか、それとも単なる思いつきか、口元に前肢を当てると小首をかしげ、目を細めて極めて下品に、
・イシシシシシシ(笑)
 とおよそスヌーピーらしからぬ好色な笑い声を満足げに上げました。
 あーあれならオレ知ってるよ、あの笑い方はケンケンだろ?と野原ひろしはポン、と手を打ちました。だけどそれはハンナ=バーバラ・プロ作品でしょう?とスノーク。
 細かいこと言いなさんな、とひろしはスノークのグラスにビールを注ぎ足すと、おれにしてみりゃスヌーピーだろうとムーミンだろうとケンケンだろうと違いはないよ。
 だったらあなたがたご一家はどうなります?たとえば私たちなんかはサザまる子さんやあなたがたご一家によって「お茶の間」と呼ばれる生活様式を知ったのですがね。
 確かに「お茶の間」はこの国独特の暮らしぶりだろうね、とひろしは自分のグラスにもビールを足しました。でもサザまる子さんっていったい、何のことだい?
 ああ、商標権がうるさいんですよ。そう答えてスノークもイシシシシシ、と笑いました。

夜食の基本は

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 夏はともかく、冬の夜食はチャーハンばかり食べている。味噌汁は必ずつける。ワカメがたっぷり食べられるし、汁物でしかも醗酵食品だから味噌汁のあるなしで身体の暖まりかたが違う。具材は至ってシンプルで、長ネギをチャーハン用と味噌汁用に刻んでおく。長ネギを切らしている時にはドライフードの刻みネギや分葱を常備してある。ドライフードはよく使う。味噌汁や麺類には乾燥ワカメが欠かせない。塩蔵の生ワカメより風味や食感は落ちるが、ひとり暮らしの人間が毎食に調理するのには塩蔵ワカメの水戻しは手間がかかる。自炊は野菜が不足しがちだし、牛乳は多く飲むと下す体質だから、食物繊維やミネラルの摂取にはワカメは最適で、お通じは良いし爪も伸びが早い。カルシウムとヴィタミンではワカメは牛乳と野菜を合わせたくらい栄養価が高いのだ。ただし蛋白質の含有量はほとんどないので、チャーハンの具材で埋め合わせる。
 米飯自体が炭水化物ばかりでなく蛋白質も豊富だが、チャーハンで欠かせないのはまず玉子と長ネギ、調味料は何でもいい。塩胡椒としょうゆだけでも美味しい焼きメシができる。市販のチャーハンの素の類はいろんなスパイスやドライフードが混合してあり便利だが使い回しが利かず割高につく。粉末の中華コンソメや粉末ガーリックを足すとさすがに塩胡椒・しょうゆだけより一層おいしい。顆粒カレー粉ならカレーチャーハンができるし、トマトケチャップならケチャップライスになる。
 さて肝心の具材だが、長ネギや玉子同様スーパーで安い切り落とし焼豚かハムを買っておくと麺類の具にもなるし、チャーハンが面倒かパン食の時にはサンドイッチやハムエッグに使い回せる。ハムエッグサンドなんか手軽で良い。ハムより焼豚は多少割高だが、チャーハンや麺類の具にするとハムなら1枚でも何となく薄味だが、焼豚ならハムの半分量でも味が広がる。ただ賞味期限はなまものだけに短いので、べたついてきたり臭ってきたり青カビが生えてきたら諦めるしかない。
 麺類ならうどん、そば限定(ラーメンやスパゲッティには向かない)だがチャーハンの具に使えるドライフードなら揚げ玉がある。ただし酸化しやすいので開封後は冷蔵庫保管のこと。うちの近所の中華チェーンなどは揚げ玉チャーハンしか出さない。さすがに外食で揚げ玉チャーハンはないんじゃないかと思う。
 チャーハン、うどん、そば、ラーメンに使えるのは乾燥桜エビなんかもいい。チャーハンの場合は揚げ玉より桜エビの方が好ましい。瓶詰め類ならメンマチャーハンもありだろう。キムチチャーハンも評判が良いが、唐辛子系の熱いものに弱い筆者はちょっと試せない。キムチ自体は好きだが、体調の悪い時はのぼせたようになって頭の地肌から首筋までが汗だくになり、脳溢血寸前になるのだ。ガラムマサラ系のスパイスでもそうなることがある。わさび、和からしではなったことがない。
 筆者の通っていた大学の学生食堂のチャーハンは缶詰ものらしいツナを使っていた。これはなかなか悪くなかった。ラーメンとチャーハンが各200円で、セットだと300円というお得メニューだったからもっぱらそればかり注文していたものだ。だが業務用にどっさり仕入れるならともかく、自炊ではツナ缶は焼豚やハムより高くつく。ちなみに筆者が買っているスーパーでは切り落とし焼豚100g128円、ハム100g108円で、ツナ缶は固形量80gでも結構するし、使用量や開缶後の賞味期限を考えても倍以上割高につく。なんか書いていたらツナ缶食べたくなってきたが。ひとり暮らしになってからはツナ缶を買っていたのはまだ家庭を持っていた感覚があったうちだけで、それからは入院食でツナサラダやツナ和えやツナオムレツを食べたきり、たまにスーパーで見切り品のサンドイッチで食べたくらいかもしれない。
 麺類、チャーハンときたから、次回はサンドイッチでもネタに作文してみようと思います。予告してどうするって気もするが。

2014年ロック発掘映像大賞

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The Doors - R-Evolution (Official DVD Release,2013) : http://youtu.be/0EqGbB2qi6I
1. Break On Through (To The Other Side) - Music Film (1967.1)
2. Break On Through (To The Other Side) - Shebang (1967early O.A.)
3. The Crystal Ship / Dick Clark Interview / Light My Fire - American Bandstand (1967.7.O.A.)
4. Light My Fire -Malibu U (1967.8.O.A.)
5. People Are Strange - Murray The K In New York (1967.9.O.A.)
6. Moonlight Drive - The Jonathan Winters Show (1967.12.O.A.)
7. Unknown Soldier - Music Film (1968.2)
8. Hello, I Love You - Musik Fur Junge Leute : 4-3-2-1 Hot And Sweet (1968.9.OA.)
9. Touch Me - The Smothers Brothers Comedy Hour (1968.12.O.A.)
10. Wild Child - Music Film (1969.7)
11. Roadhouse Blues - Music Film (1970.2)
12. Crawling King Snake - GTK (Get To Know) (1971.3.O.A.)
13. The Changeling - Music Film (1971.4)
14. Gloria - Music Film (1983.10)
15. People Are Strange - Music Film (1984)
16. Strange Days - Music Film (1980's)
17. L.A. Woman -Music Film (1985)
18. Ghost Song - Music Film (1995)
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 2014年度のロック発掘映像はザ・ドアーズのディスク2作で決まりだった。まず1月にアメリカ・日本でほぼ同時発売になったのが『R-Evolution』で、ヨーロッパ盤先行で2013年末に発売されていたが2014年度作品としてもいいだろう。ほぼ全編をまとめたものがリンク先で試聴できるが、これが1967年~1970年の映像かと驚嘆するほど映像も音声も美しく、レストア(デジタル修復作業)の成果が素晴らしい。これはドアーズほど伝説的人気があり、かつメンバー間でバンドのアーカイヴ化の意志が強いバンドだからこそ可能なことで、リーダーのレイ・マンザレク(オルガン、2013年5月逝去)にとってはこのテレビ出演・プロモ映像集が遺作となったといえる。内容は半数が既発映像だが半数はこれが公式発売は初めてで、存在も知られていなかった映像も多く、先に強調した通り画質・音質は最上のものになっている。
 ドアーズ初のオフィシャル映像ソフトは1985年にVHSヴィデオで発売され、これは60年代のロック・バンドのアーカイヴ映像ソフトではもっとも早いものだった。ジム・モリソン(ヴォーカル)とマンザレクはカリフォルニア州立大学の映像科学生だったので、バンドの映像素材を大切に保有していた。『R-Evolution』は素晴らしい発掘だが、『ダンス・オン・ファイア』もマンザレクの監督作品としてドアーズの映像ソフトの最初の記念碑といえるものだった。
The Doors - Dance on Fire(Official VHS-Video Release,1985): http://youtu.be/BwSDTxbEH9E
1. Break On Through / 2. People Are Strange / 3. Light My Fire / 4. Wild Child / 5. L.A. Woman / 6. The Unknown Soldier / 7. Roadhouse Blues / 8. Texas Radio and the Big Beat / 9. Love Me Two Times / 10. Touch Me / 11. Horse Latitudes / 12. Moonlight Drive / 13. The End / 14. Crystal Ship / 15. Adagio / 16. Riders On The Storm
Director: Ray Manzarek
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The Doors - Feast Of Friends(Filmed 1968,Official DVD Release,2014)- Trailer HD: http://youtu.be/D0mggL7Gew0
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 ドアーズはバンド自身でプロモ映像を制作したバンドの草分けだったと言われる。それが2014年の秋にはついに出た。海賊盤アナログLPで音声だけだったり、ダビングにダビングを重ねたような(しかも不完全版の)海賊盤ヴィデオやDVDでしか手に入らなかったドアーズ幻の自主制作プロモ映画『フィースト・オブ・フレンズ』(1968年制作、約35分)がついにオリジナル・フィルムからディスク化された。ディスク内容は4部に分かれており、第1部が『フィースト・オブ・フレンズ』本編、第2部が『フィースト・オブ・フレンズ』未使用フィルム(約35分)、第3部がドアーズのコンサートのフル映像でも『ライヴ・アット・ハリウッド・ボウル』1987(撮影1968)と並ぶ傑作『ザ・ドアーズ・アー・オープン』1990(テレビ放映1968)の最新リマスター(約55分)で、これはジェファーソン・エアプレインとのダブルビルのイギリス~ヨーロッパ・ツアーだったため短いが、全8曲に濃密に煮詰めた演奏を堪能でき、単独発売されていた『ザ・ドアーズ・アー・オープン』のDVDより画質も音質も向上した上に単独発売盤は廃盤でプレミア価格がついているから、映画『フィースト・オブ・フレンズ』とのカップリングならお釣りがくる。
The Doors Are Open (1968,Full Movie / Official VHS-Video Release,1990): http://youtu.be/cml_eWm6wlI
1. Introduction - When the Music's Over / 2. Five to One / 3. Spanish Caravan / 4. The Doors Talk About Their Music - Hello, I Love You / 5. Back Door Man / 7. Jim Morrison On Expression - Wake Up - Light My Fire / 8. The Unknown Soldier
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 また、第4部は2002年に発表された三回分のテレビ出演(2時間分)をまとめた『サウンドステージ・パフォーマンセズ』から、ハイライトとなったすさまじい『ジ・エンド』のテレビ用ライヴ(!)という必見の映像がやはりリマスター再録されている。
The Doors - The End (TV-Show, Toronto, 1967): http://youtu.be/xDLQlzTf9Mw
*
 2014年発売の上記2作が揃ったので、DVDまたはブルーレイでザ・ドアーズの映像ソフトを集めるには、あと『ライヴ・アット・ハリウッド・ボウル』Live At Hollywood Bowlと『サウンドステージ・パフォーマンセズ』Soundstage Performancesで一応は足りるようになった。問題はドアーズ最初のオフィシャル・ヴィデオ『ジム・モリソンに捧ぐ』No One Here Gets Out Alive(1981)と前述のレイ・マンザレク監督作品『ダンス・オン・ファイア』Dance On Fire(1985)、さらにやはりマンザレク監督作品の『ザ・ソフト・パレード』The Soft Parade - A Retrospective(1991)で、ドアーズのヒストリー・ヴィデオである『ジム・モリソンに捧ぐ』は『サウンドステージ・パフォーマンセズ』と2枚組で『ザ・ドアーズ~プレミアム・エディション』でのみ日本盤ディスク化されているが、使用された映像素材14曲(うち完奏は3曲のみ)はほとんど後発ソフトに完全なかたちで再収録されてしまった。ミュージック・クリップ集の『ダンス・オン・ファイア』と68年のバンド内部の危機的状況をテレビ出演映像と絡めたドキュメンタリー作品『ザ・ソフト・パレード』は『ライヴ・アット・ハリウッド・ボウル30thアニヴァーサリー』1998に『~ハリウッド・ボウル』とともに収録された以外単独DVD/ブルーレイ化されていないが、内容はやはり後発ソフトにほぼ吸収されているとはいえレイ・マンザレク監督作品であり外すに忍びない。ところが『ライヴ・アット・ハリウッド・ボウル』はブルーレイ対応に2012年にリマスターされて、62分のディスクから映像と音声の修復によって本編71分、特典映像64分と倍以上の収録内容になった。画質と音質の向上も当然目覚ましい。そのかわり『30thアニヴァーサリー』で増補されていたマンザレク監督作品2作は今回は未収録になった。1998年の『30thアニヴァーサリー』盤は『ダンス・オン・ファイア』と『ザ・ソフト・パレード』の併録しか価値がなくなってしまった。レイ・マンザレク監督作品ならば映像によるドアーズのオリジナル作品という位置づけができるだけに、やはりこれもマストな映像ソフトだろう。
 今のところ『フィースト・オブ・フレンズ』の日本盤発売予定はないようだが、『ジム・モリソンに捧ぐ』『ザ・ソフト・パレード』と『フィースト・オブ・フレンズ』はドキュメンタリー作品でもあるので日本語、または英語字幕つきで鑑賞するに越したことはない。ネイティヴ・スピーカーでも50年前のドキュメンタリーは正確に言葉が聞き取れないのは珍しくない。音楽やフィクションは当時のままで聴けるが、ドキュメンタリーのトークとなると50年間では相当な変化があるのが普通だからだ。
 後半はドアーズ映像ソフト・ガイドみたいになってしまったが、一年のうちにツタンカーメン級の発掘映像が2枚もソフト化されるのだから、これで打ち止めかまだまだあるのか予断を許さないバンドではある。ひさびさに『ダンス・オン・ファイア』や『ザ・ドアーズ・アー・オープン』を観直したが、のめり込むようにドアーズのアルバムを聴いていた高校生の頃の気分がよみがえってしまった。まだホームヴィデオもなかったアナログLPの時代だ。こうしていつでも居ながらに映像が観られるなんて信じられない気がする。

ピーナッツ畑でつかまえて(28)

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 いま危機に瀕しているのが誰なのかといえば、まだおたがいの存在に最後の可能性を残している(あえて迂遠な表現をするなら)、ともいえるチャーリー・ブラウンとスヌーピーよりも、考えすぎが悪く働いて徐々におのれの実在性が薄れつつあることに気づき始めた偽ムーミンよりも(考えないことだ、と考えるのも深みにはまる一方で)、しんのすけの出奔が毎度必ずや家族全員(といっても核家族ですが)を巻き込む大騒動に発展する野原一家よりも(ただしそれは『映画クレヨンしんちゃん』の時だけの話)、手っ取り早くヤキトリにすれば二人とも当座はしのげるとチャーリーとスヌーピーが気づけばそれまでよのウッドストックでもなく(それにはこーちゃんのじいさんが要るので)、
・氷浸けの(真)ムーミン
 なのにようやく気づいたのは、他ならぬムーミン本人でした。ムーミンは景気づけに電線音頭を踊ろうとしましたが、そんな40年あまりも昔のコントをやってしまうのは思いつきにもほどがある、と反省し、だいたい氷浸けでは踊りようがないのにも落胆しました。

  冷凍魚
  思はずも跳ね
  ひび割れたり     高柳重信


「、、、、、、、、、、、、、、、、、、!」
 とウッドストックはスヌーピーに向き直ると、このクリクリ坊主に通訳してやってくり!と万国共通のクソッたれサインを出しました。小鳥にしては器用なものですが、小鳥は万来歌が好き、母さん呼ぶのも歌で呼ぶくらいなので、
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、!」
 以外には無駄口は叩かないのです。しかしそれではスヌーピーにすら通じないときがあり、鳴き声が駄目となるとボディ・ランゲージより他にどんな方法があるでしょうか?
・マーキング行為?
 鳥もマーキングするんでしょうかね、とスノークは消えていくビールの泡を見つめながら呟きました。さあねえ、とひろしは受け流すと、ふと思い出して、オイみさえ、しんのすけはいつから出てったんだ?そうか帰るとすぐか、じゃあシロの散歩は今日はまだじゃないか。
 たまにはいいんじゃない、とみさえはひまわりの紙おむつを取り替えながら答えました。海原雄山は紙おむつを許しませんが、野原家のやり方に口を挟む資格はありません。
 どう考えてもぼくが一番悲惨だ、と(真)ムーミンは思いました。だけど、どうすればこの窮地から逃れられるのだろうか?

解体は進む

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 画像(上)が先週月曜、画像(下)が今日つまりちょうど一週間になる。その間にこれだけ解体作業は進んでしまった。四階建ての4棟の小団地だが、今後商業施設になるのか分譲マンションになるのか見当もつかない。商業施設にするのは無理としても、分譲マンションならあり得るが、ならばもう広告が出ていてもおかしくない。都心から50分ほどのベッドタウンのすぐ駅前だから、私鉄社員寮として建てられた50年前ならともかく改築するなら社員寮では割に合わないだろう。つまりどう考えてもすんなりおさまりがつかない。
 駅の東口を下りて北を向くとすぐ右手にこの団地があり、線路沿いの小道をそのまま北に歩くと団地4棟にそのまま沿って歩くことになり、約120メートルで団地が終って線路をまたぐ歩道橋にぶつかる。だいたいそんな具合なのだが、しばらく前からこの4棟は誰も住んでいないわけだ。人が住まなくなった家には別のものが住むという。というよりは、家が何かを呼び寄せるといったほうがいいだろう。
 そして一旦、その(何か)が住みついてしまったら、解体・改築工事に対してたいがいはどう来るか、従順素直に従うとはとても思えないだろう。わずらわしい事態に至らないで済むことを望むかぎりだ。

Charles Mingus-"Blues & Roots" 1960

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Charles Mingus - Blues & Roots (1960) [Full Album]: http://youtu.be/Y9KcMfQhn6w
Released March?1960 Atlantic SD1305
Recorded 4 February 1959, Atlantic Studios, New York City
A1. "Wednesday Night Prayer Meeting" ? 00:00
A2. "Cryin' Blues" ? 05:42
A3. "Moanin'" ? 10:44
B1. "Tensions" ? 18:48
B2. "My Jelly Roll Soul" ? 25:18
B3. "E's Flat Ah's Flat Too" ? 32:08
All Titles Composed By Charles Mingus.
[Personnel]
Charles Mingus ? bass
John Handy ? alto sax
Jackie McLean ? alto sax
Booker Ervin ? tenor sax
Pepper Adams ? baritone sax
Jimmy Knepper ? trombone
Willie Dennis ? trombone
Dannie Richmond ? drums
Horace Parlan ? piano, except for "E's Flat Ah's Flat Too"
Mal Waldron ? piano on "E's Flat Ah's Flat Too"
Nesuhi Ertegun ? producer
Tom Dowd ? recording engineer
*
 もう松の内も明けたが、ジャズのアルバム紹介はまだ……でもありませんでしたね。2014年度リイシューCDでも半分はジャズだったし。だがアルバムのリンクつき紹介はジャズでは今年これが初めてになる。
 チャールズ・ミンガスという人はビバップ以降のモダン・ジャズではパーカー、ディジー、モンクらに次ぐ巨匠で、ディジー同様バンドリーダー・作編曲家としての力量は素晴らしく、ほとんどの黒人ジャズマン(または黒人ジャズ指向の白人ジャズマンも)は最初にパーカーかディジーの薫陶を受け、マイルス、ブレイキー、ミンガスのバンドメンバーを経験している。ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズはリーダーがドラマーだったため音楽監督持ち回り制でメンバーの回転が早く、マイルスのバンドはメッセンジャーズ経験者から生え抜きの人選をしていた。メッセンジャーズもマイルス・クインテットもアルバムのみならずライヴ・バンドとしての人気も高かった。
 ミンガスのバンドはメッセンジャーズやマイルス・クインテットのようにはライヴができなかった。まずスタンダード曲はやらずにミンガスの自作曲ばかりやる、飲食や会話がうるさいとミンガスみずから客にケンカを売るので出演させてくれるジャズクラブがない。そこでミンガスのバンドはドラムスのダニー・リッチモンド以外固定メンバーを置かず、ミンガス・ファミリーとも言えるミュージシャンたちからアルバム制作ごとにメンバーを召集する、という集団制作方法を採ることになる。
 毎回新曲で、しかも短期集中的にアルバム制作するから、ミンガスのリーダーシップは強引なので悪名高かった。殴られなかった管楽器奏者はジーン・ショウ(tp)とエリック・ドルフィー(as,b-cl)、ローランド・カーク(ts,reeds)くらいだったらしい。
 面白いのは、ミンガス・バンド経験者はディジーのバンドやメッセンジャーズ、マイルス・クインテットと同じくらい大成したメンバーが多いが、ディジーやメッセンジャーズ経験者から生え抜きのメンバーが参加したのがマイルス・クインテットだったくらいディジー、ブレイキー、マイルス門下生は重なるのに、ミンガス・ファミリーのミュージシャンは見事なくらいメッセンジャーズやマイルスからはお呼びがかからない。唯一例外はジャッキー・マクリーンで、マイルス・バンドを経てからミンガス・ファミリーに加わり、ミンガスのバンドとメッセンジャーズの掛け持ちを同時にやってのけている。1956年~1957年の2年間がそれに当たるが、2年間で30枚のアルバムに参加している。
 大してお金にならない上に、リーダーの満足いく演奏まで殴られながらもメンバーたちがついて行ったのは、ミンガスの音楽が魅力的でもあり実際に高い評価を受けて、ミンガス門下生であることはメッセンジャーズ以上にミュージシャンたちの勲章だったからだ(ミンガスの音楽は嫌いだ、と明言したコルトレーンのような人もいたが)。この『ブルース&ルーツ』はアトランティックからの3作目になり、『直立猿人』1956、『道化師』1957に続くアルバムだが、3か月後にミンガス初のメジャー・レーベル(コロンビア)作品『ミンガス・アー・ウム』とほぼ同メンバーで、傑作と名高いコロンビア作品よりものびのびとして奔放なアトランティック作品を好む人は多い。
 ミンガス自身はアルバムの自筆ライナーノーツで以下のようにこの作品を解説している。見事な自作解説で、作品制作の背景もわかる。これだけ明確に音楽的ヴィジョンを提示できたバンドリーダーはミンガス以外にはいなかった。だが、モダン・ジャズ全体の中ではミンガスの方法は特殊なもので、ローランド・カークやエリック・ドルフィー、ブッカー・アーヴィンくらいしか直接的影響は及ばさなかった(オーネット・コールマンを加えてもいいが)。ジャズの作曲家としてもエリントン、モンク、オーネットと並ぶ存在だがミンガスの曲はアレンジと不可分で、滅多に取り上げられない。巨匠でありながら何となく主流からは外れるのはそのせいでもある。ミンガスをどれだけ聴いているかで耳の肥え方も違ってくる気がする。
(Original Liner Notes)
 This record is unusual?it presents only one part of my musical world, the blues. A year ago, Nesuhi Ertegun suggested that I record an entire blues album in the style of Haitian Fight Song (in Atlantic LP 1260), because some people, particularly critics, were saying I didn't swing enough. He wanted to give them a barrage of soul music: churchy, blues, swinging, earthy. I thought it over. I was born swinging and clapped my hands in church as a little boy, but I've grown up and I like to do things other than just swing. But blues can do more than just swing. So I agreed.(Charles Mingus)
*
[Charles Mingus(1922-1979)Discography as Leader]
1. Baron Mingus - West Coast 1945?49 (2001, Uptown)
2. Strings and Keys (duo with Spaulding Givens) (1951, Debut)
3. The Young Rebel (1952, Swingtime)
4. The Charles Mingus Duo and Trio (1953, Fantasy)
5. Charles Mingus Octet (1953, Debut)
6. Jazz Composers Workshop (1954-55, Savoy)
7. The Jazz Experiments of Charlie Mingus (1954, Bethlehem, originally issued as Jazzical Moods Vol. 1 & 2)
8. Mingus at the Bohemia (1955, Debut)
9. The Charles Mingus Quintet & Max Roach (1955, Debut)
10. Pithecanthropus Erectus (1956, Atlantic)
11. The Clown (1957, Atlantic)
12. Mingus Three (1957, Jubilee)
13. Tijuana Moods (RCA, 1957 [1962])
14. East Coasting (1957, Bethlehem)
15. A Modern Jazz Symposium of Music and Poetry (1957, Bethlehem)
16. Jazz Portraits: Mingus in Wonderland (1959, United Artists)
17. Blues & Roots (1959, Atlantic)
18. Mingus Ah Um (1959, Columbia)
19. Mingus Dynasty (1959, Columbia)
20. Pre-Bird (aka Mingus Revisited) (1960, Mercury)
21. Mingus at Antibes (1960, Atlantic)
22. Charles Mingus Presents Charles Mingus (1960, Candid)
23. Mingus! (1960, Candid)
24. Reincarnation of a Lovebird (1960, Candid)
25. Tonight at Noon (1961, Atlantic)
26. Oh Yeah (1961, Atlantic)
27. The Complete Town Hall Concert (Blue Note, 1962 [1994]) contains all tracks released on Town Hall Concert (United Artists, 1962)
28. The Black Saint and the Sinner Lady (1963, Impulse!)
29. Mingus Mingus Mingus Mingus Mingus (1963, Impulse!; sometimes referred to as Five Mingus)
30. Mingus Plays Piano (1963, Impulse!)
31. Charles Mingus Sextet with Eric Dolphy Cornell 1964 (Blue Note, 1964 [2007])
32. Town Hall Concert (Jazz Workshop, 1964)
33. Revenge! (live 1964 Paris performance with Eric Dolphy, 32 Jazz; previously issued by Prestige as The Great Concert of Charles Mingus)
* Concertgebouw Amsterdam, Vol. 1 (1964, Ulysse Musique)
* Charles Mingus Live In Oslo 1964 Featuring Eric Dolphy (1964, Jazz Up)
* Charles Mingus Sextet Live In Stockholm 1964 (1964, Royal Jazz)
* Charles Mingus Sextet Live In Europe (1964, Unique Jazz)
34. The Great Concert of Charles Mingus (1964, America)
35. Mingus In Europe (Volume 1 & 2 1964, Enja)
* Mingus In Stuttgart, April 28, 1964 Concert (1964, Unique Jazz)
36. Right Now: Live at the Jazz Workshop (Fantasy, 1964)
37. Mingus at Monterey (Jazz Workshop, 1964)
38. Music Written for Monterey 1965 (Jazz Workshop, 1965)
* Charles Mingus - Cecil Taylor (1966, Ozone)
* Statements (1969, Joker)
* Paris TNP (1970, Ulysse Musique)
39. Charles Mingus in Paris: The Complete America Session (Sunnyside, 1970 [2006]) contains all tracks released on Blue Bird (America, 1970) and Pithycathropus Erectus (America, 1970)
* Charles Mingus Sextet In Berlin (1970, Beppo)
40. Charles Mingus with Orchestra (Denon, 1971)
41. Let My Children Hear Music (Columbia, 1972)
42. Charles Mingus and Friends in Concert (1972, Columbia)
43. Mingus Moves (1973, Atlantic)
44. Mingus at Carnegie Hall (1974, Atlantic)
45. Changes One (1974, Atlantic)
46. Changes Two (1974, Atlantic)
* Village Vanguard 1975 (1975, Blue Mark Music)
47. The Music Of Charles Mingus (1977, Baystate)
* Stormy & Funky Blues (1977)
48. Cumbia & Jazz Fusion (1977, Atlantic)
49. Three or Four Shades of Blues (1977,Atlantic)
50. His Final Work (1977,Who's Who in Jazz)
(Posthumous recordings)
51. Something Like a Bird (1979, Atlantic) (Mingus does not play on this session)
52. Me, Myself An Eye (1979, Atlantic) (Mingus does not play on this session)

最近見かけないもの

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 車やバイクはまったく無知なのだが、70年代前半を境に突然なくなったものにオート三輪があった。また、皆無ではないようだが50ccのオートカブはどうなっているのだろうか?あれは強度や安定性、燃費に非常に優れた車種らしく、しかも安価なので転売用に盗難が非常に多かったと聞く。盗品売買だから近隣の海外諸国に輸出されて売りさばかれる。筆者の住んでいる県は外国人街があり、外国軍基地があり、商業港があるから薬物売買や私娼窟に次いでこんな話が多いのだ。根底には排他的な差別意識があるだろうが、外国人差別は日本人ばかりの特質ではなく、どの国にも移民や外国人労働者への差別は似たようなジョークとなって現れる。ユダヤ人・黒人・黄色人種については紀元前までさかのぼるほどだから、先数千年程度では人権的には解消されても差別意識まで霧消するのは見込めないだろう。これ以上踏み込むと真面目な文章になってしまいそうなので止める。このブログでは真面目なことはあんまり書かない決まりにしている。

 そこでタイトルに戻るのだが、バキュームカーをどれだけ見かけるかといえば全然見かけなくなったのに気づいた。筆者の生家が水洗トイレつきの建て売り住宅に住むようになったのは昭和50年で、それまで住んでいた父の勤め先の社員住宅は汲み取り式便所だった。子供だったから頻度は憶えていないが、バキュームカーが来るたびにおー、と見とれていたものだ。
 谷崎潤一郎に『過酸化マンガンの夢』という短編があり、かなり晩年の作品でもう60年代に入ってからの作品だが、谷崎家はいち早く日本で水洗トイレを自宅に設置した家庭だったらしい。新しい物・珍しい物好きで金に糸目をつけない谷崎らしい。このエッセイ風短編で谷崎は水洗トイレの楽しみをとうとうと述べており、特に水洗トイレの優れた点は自分の排泄物をじっくり観察できることとして、水に沈んだ便を見てフランス映画『悪魔のような女』を思い出した、と書いている。

 まあ谷崎は置いておいても、スカトロジーと幼児性が密接に結びつくくらいは素人考えでもわかる。さらに幼児は車が好きだから、以前保育園のすぐ隣に住んでいた頃、園庭の柵のすぐ外にゴミの収集所があり、収集車が来るたびに園児たちが大興奮してゴミ収集車!ゴミ収集車!と叫んでいたが、普通の自家用車ではなくトラックだったりタンクローリーだったり、ましてやゴミ収集車やバキュームカーとなれば興奮せずにいられようか。
 だが今やバキュームカーが道を走る姿、家に横づけしている姿などほとんど見ない。それだけ汲み取り式トイレの数が減ったからだ。昭和50年というとちょうど40年前になるが、少なくとも築40年より新しい住居や施設は水洗トイレがデフォルトということだろう。だが木造家屋の場合築30年といえばそろそろ改築が必要で、三階建てにして部屋数を増やすには鉄筋に改築しなければならないから実質リフォームどころか元の家は足場の代わりになるだけで、事実上の新築になる。当然水洗トイレになるのは言うまでもない。
 
 そこでこの画像になる。煙突みたいなものが真ん中の一軒家の裏口の中央に立ってますね。これは明らかに汲み取り式トイレの排気筒だろう。こんなに屋根のあたりまで高くそびえ立たせているのが普通のことなのか、台風でもきたら折れてしまいそうで心配する。また、場所が裏庭なのも意味ありげな気がする。バキュームカーが回りづらいが、これだけ裏庭だと通りに面した表口からはバキュームカーが汲み取り中でも見えないだろう。
 実を言うとこれは某中華料理店の裏庭なのだった。駅前の歩道から駐車場越しに見えるのだが、今まで汲み取り式トイレの排気筒まで気づかなかった。某中華料理店の斜め向かいには以前某ヤキトリ屋某ちゃんがあり、現在はスナック風の居酒屋になっている。
 無責任に面白がるわけではないし、いろいろ事情もあるのだろうが、まさか客用トイレだけ水洗に改築しているとも思えないから、汲み取り式トイレのまま(おそらく)40年以上もの間営業している外食店、というのは今どき珍しいだろう。衛生法にはどうやら水洗トイレの義務化はないらしい。ふと、汲み取り式トイレには排泄物以外の腐敗物も処理できるんだよな、と蛆のたかる絵柄が思い浮かんでしまうが、まあそれは置いておいて、2015年にもなって汲み取り式トイレの飲食店のトイレというのにも興味深いものがある。当然和式だろうな。筆者の長女(1998年生まれ)などは幼児の頃すでに和式トイレで用がたせなかった(2001年生まれの次女は平気だったが)。アンモニアやサンポールの臭いもずいぶん嗅いでいない気がする。

ピーナッツ畑でつかまえて(29)

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 読むぞ。
ある庭のかた隅に一輪のひな菊が咲いておりました。花壇の中には華やかな牡丹や美しい百合などが誇り気に咲いておりましたが、ひな菊そういう花を見ても少しもうらやましいとは思わず、幸福な日を送っておりました。
 ちょうど、ひな菊の頭の上ではひばりが楽しそうな歌をうたっておりましたが、ひな菊はじっとその歌を聞いて、ああ面白い歌だ、とは思いましたが、ひばりになりたいなどとは少しも思わず、やはり自分は自分だけで幸福だ、と考えておりました。
 ひばりがひな菊のかたわらへ下りて来て、まあ、何てきれいな花だろう!というと、その声を聞いた牡丹は、
・私の美しさを讃めないとはひどい!
 といって大変怒りました。チューリップは頭を持ち上げて、何だ庭隅のひな菊が、といってせせら笑いました。
その時一人の少年がハサミを持って来て、
・よく咲いているからお母さんのところへ切って持って行こう
 といいながら、チューリップや牡丹を、みんな切ってしまいました。少年はお母さんのところへその花を持って行くと、
・まあ、この子は大事な花壇を荒してしまって何て悪い子でしょう!
 と、讃められると思いきや、かえってさんざんに叱られました。
(オラだってそんなことはしないゾ、としんのすけは言いました)
 次の朝ひな菊が目醒めると、頭の上で、
・ピヨ、ピヨ
 という悲しそうな声が聞えるので、ふとその方を見ると、ひばりが捕えられてカゴの中へ入れられているのでした。ひばりは食べ物はおろか水一滴なくて、今にも喉が涸いて死にそうになっていたのでした。ちょうどそこへ少年が帰って来て、その様子を見ると大変に驚いて、何かひばりに与えるものはないかしら、とあたりを見廻しましたが、あいにくそこには水もありませんでした。
 ウロウロしていた少年は庭隅のひな菊を見付けると、
・そうだ、あのひな菊をやろう、ひばりはきっと、ひな菊が好きに違いない!
 と呟いて一本の芝草と一緒にひな菊を切って、ひばりのカゴの中へ入れました。飢えているひばりは一口に喰べてしまうだろうと少年が見ていると、ひばりはひな菊を見ると悲しそうに側へ行つてその小さな花に頬をすり寄せて、そして優しく歌をうたい始めました……。
 ひばりが喰べないので、少年はひな菊をお母さんのところへ持って行きました。するとお母さんは、まあいい花だこと、私の花瓶に差しておくれ、といって大変に喜びました。
 次回第三章完。

鍋焼きたぬきうどん

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 だがこれはついこの間ご紹介した鍋焼きうどんとどう違うのかと言えば、あちらには切り落とし焼豚が2枚載っていたのに対してこちらは小エビ入り天かすが盛ってある、というだけの違いしかない。だがそれだけで味わいは相当異なるもので、焼豚の方は煮込んである分、出汁が全体に染み通っている。一方天かすは鍋焼きうどんが出来上がってから載せるので適度な食感も楽しめるが、こちらは衣(と言っても天かすはただの揚げ玉だが)から次第ににじみ出てくる食用油が麺や具を包み込んだような、やはりまろやかな味わいになる。
 たぬきうどんの語源は知らないし、せいぜいきつねうどんと対になって定着した品名くらいのものだろうが、それだけでは大してありがたくもない天かすがうどんやそばに加わると、まさにマジックとしか言いようのない味わいをかもし出す。そこでたぬきという命名の妙味が知れてくる、ということだろう。やはりこれも冬にはいっそう美味しく頂けるものだ。西洋料理や中華料理にはない簡素な味わいがある。玉子の食べ方も、鍋焼きうどんの具として煮込むのがおでんと並んで最高の味わいなのではないかと思えてくる。

Flea-"Topi o Uomini"Italy,1972

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Flea-"Topi o Uomini"Italy,1972(Full Album)
A1. - Topi o Uomini(20:24) : http://youtu.be/jvB6xhqvJvY
B1. - Amazzone a piedi(4:10) : http://youtu.be/OWIN-NMx0qA
B2. - Sono un pesce(6:30) : http://youtu.be/p1WYnCllHkU
B3. - L'angelo timido(5:51) : http://youtu.be/K7Tmtdior38
Agostino Marangolo - drums, vibraphone, percussions
Antonio Marangolo - vocals, harmonica, piano, harmonium
Carlo Pennisi - guitar, mandolin, vocals
Elio Volpini - bass, soprano sax, vocals
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 フレアは70年代イタリアのハードロック・グループ。 72 年、METAMORFOSI、GARYBALDI のツアー・サポートを経て結成。 FLEA ON THE HONEY名義および FLEAで二枚のアルバムを残し、ETNAに改名後さらに一作を残す。 その後マランゴロ兄弟は GOBLINに参加。 エリオ・ヴォルピニは FLEA の後 L'UOVO DI COLOMBOを結成するも、ETNA ヘ復帰-
 というのが日本で知られているこのバンドの経歴で、フレアのアルバムはイタリア国営放送局のレーベル、フォニト・チェトラから発売されたくらいだから力量は本国でも認められたものだったろう。メンバーもゴブリンやエトナで後年さらに高い評価を得るのだが、このフレアのアルバム自体はマニアの多いイタリアの70年代ロックの中ではあまり語られることが少ない。72年はイタリアのロックが翌年にかけて盛り上がりをかけた年で、重鎮イ・プーとフォルムラ・トレは『ミラノの映像(アレッサンドラ)』、『夢のまた夢』を出し、成長株ニュー・トロルスとオザンナは『UT』と『ミラノ・カリブロ9』で成果を上げ、ついにイタリアの切り札バンコ・デル・ムトゥオ・ソッソルソとプレミアータ・フォルネリア・マルコーニがデビュー作を発表する。
 と、こうして上げていくとフレアがイタリアのロックを愛好する人にあまり好まれないのもなんとなく納得がいく。先に上げたグループがメロディアスでドラマチックな、情感に強く訴えかけてくるような、ああイタリアだなあという日本人のイメージするムードがフレアにはないのだ。テクニックは後に参加するバンドでも実証されたようにバンコやPFMのメンバーと較べても遜色ない。むしろ英米ロックの咀嚼度では勝っているくらいかもしれないが、そこがかえってイタリアらしさを稀薄にしている感がある。同時期の北欧の暗いヘヴィ・ロックのグループ、ブルース・アジェクツとかハーディ・ガーディみたいなアンダーグラウンドなアシッド感があり、実はブルース系英米ロックにはあってイタリアでは洗い流されたのはアンダーグラウンドなアシッド感でもある。
 フレアの曲はかなり凝ったものだが、これも日本人好みの整然としたプログレッシヴ・ロックの緻密な構成美ではなく、どんな方向に進み、どこに着地するのか不安になるような展開をみせる。ピアノ、ヴィブラフォン、サックスも持ち替え楽器でアンサンブルに加わるが、基本はツイン・リードギター+ベース+ドラムスの編成で、ヴォーカルの比重は少ない。専任ヴォーカリストはいないのでコーラスを重ねており、それが余計に淡々と地味に聴こえる。
 アメリカのイタリア系バンドと言えば70年代ではエアロスミスだが、アルバム・タイトル曲『ネズミか人か』などを聴くとギターがジョー・ペリーとブラッド・ウィトフォードみたいに聴こえる。ペリーは基本はブギー・ブルース、ウィトフォードはブリティッシュ・ハード・ロックのスタイルで作曲・演奏するギタリストだが、エアロスミスのヘヴィ・ロック的な面とフレアのサウンドはリフまでよく似ている。エアロはフレアほど曲の構成に凝らないし、フレアほどアンダーグラウンドなアシッド感はなく、バンドの演奏技術もフレアはエアロより数段上たが、フレアにはスティーヴン・タイラーがいなかった。もっとも専任ヴォーカリストがいたイタリアのバンドはどのヴォーカリストもうまいのに、それが商業的成功に結びついたバンドはほんの一握りだったから、フレアに強力なヴォーカリストがいてもアルバム一枚で終わる運命には変わらなかったかもしれない。だがヴォーカルとキーボードを中心にしたアルバムだったら、おそらくもっと整理された構成になっていて、日本のマニアの好みに合った音楽に近くなったかもしれない。
 フレアのアルバムはどちらかといえば「サイケデリック感覚を残したプログレッシヴ・ロック時代のヘヴィな無国籍ギター・ロック」を愛好する人向けだろう。イギリスのスキッド・ロウ(ゲイリー・ムーア)やT2、クリアー・ブルー・スカイ、ヒューマン・ビーストらと近いし、日本のフラワー・トラヴェリン・バンドやブルース・クリエイションにも近い。この "Topi o Uomini" を聴くと、エアロスミス『ロックス』の旧LP-B面を思い出しもする。
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