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(1)Syd Barrett-"The Madcaps Laughs"U.K,Jan.1970

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Syd Barrett-"The Madcaps Laughs"U.K,Jan.1970(Full Album)
https://www.youtube.com/watch?v=qfrBVgGMl-o&feature=youtube_gdata_player
(Side A)
1.カメに捧ぐ詩 - "Terrapin" - 5:05
2.むなしい努力 - "No Good Trying" - 3:26
3.ラヴ・ユー - "Love You" - 2:30
4.見知らぬところ - "No Man's Land" - 3:03
5.暗黒の世界 - "Dark Globe" - 2:02
6.ヒア・アイ・ゴー - "Here I Go" - 3:12
(Side B)
7.タコに捧ぐ詩 - "Octopus" - 3:48
8.金色の髪 (ジェイムス・ジョイス作の一篇より) - "Golden Hair" (Syd Barrett, James Joyce) - 2:00
9.過ぎた恋 - "Long Gone" - 2:50
10.寂しい女 - "She Took a Long Cold Look" - 1:56
11.フィール - "Feel" - 2:17
12.イフ・イッツ・イン・ユー - "If It's In You" - 2:27
13.夜もふけて - "Late Night" - 3:11
[Personnel]
Syd Barrett ? guitar, vocals, production
David Gilmour ? bass, 12-string acoustic guitar, drums (on "Octopus"), production
Jerry Shirley ? drums, bass (track 4)
Willie Wilson ? bass, drums (track 4,6)
Robert Wyatt ? drums (tracks 2, 3)
Hugh Hopper ? bass (tracks 2, 3)
Mike Ratledge ? keyboards (tracks 2, 3)
[Production personnel]
Syd Barrett ? producer (tracks 7, 8)
David Gilmour ? producer (tracks 5, 7?11)
Malcolm Jones ? producer (tracks 1?4, 6, 12, 13)
Roger Waters ? producer (tracks 5, 9?11)
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(シド・バレット、1970年)
 1968年にピンク・フロイドを脱退したシド・バレットは、同年5月13日、ピーター・ジェナーのプロデュースの下で最初のデモ・レコーディングを行う。「夜もふけて」はその時に最初のテイクが録音されたが、アルバムに収録されたのは5月28日録音のヴァージョン。その後ハーヴェスト・レコードの社長であるマルコム・ジョーンズのプロデュースで、本格的なレコーディングが開始された。「むなしい努力」と「ラヴ・ユー」では、ソフト・マシーンのメンバー3人による演奏がオーバー・ダビングされる。マルコムの下で6曲が完成し、その後、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアとロジャー・ウォーターズも合流して、プロデュースと演奏で参加。ジャケット・デザインは「ヒプノシス」のストーム・ソーガソンとオーブリー・パウエルが担当し、写真撮影はミック・ロックによる。
 1969年11月14日、「タコに捧ぐ詩」がシングルとして先行リリースされた。それは結果的に、シド唯一のソロ・シングルとなった。そして、1970年にアルバムが発表されると、全英40位に達した。(ウィキペディア英語版・日本語版より引用)
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(ピンク・フロイド『炎』制作中に訪ねてきたシド・バレット、1975年)
 シド・バレットは妙に過大視されもすれば正当な重要性に見合うほどは聴かれていないとも言えて、ちなみに英語版ウィキペディアのシドの項目はアルバム解説も含めて猶に評伝一冊分ほどの分量があった。ロック・ミュージシャンとしての重要性もあるが、シドの場合はあまりに短い活動期間と、在籍バンド(ピンク・フロイド)のその後とは対照的な隠棲生活が劇的で、人物像に対する興味がある。シドの陥った苦境は多くのミュージシャンが陥った境遇の典型でもあり、また音楽活動が病状悪化から不可能になるまでのほんの2、3年ほどに制作したアルバムは、シド自身の意図とはまったく関係なくロックのある種の流派を代表する音楽になっており、シドのアルバムに先立って同様の音楽をやっていたり、まったく同時期だったりシドより後だったりはするが「シド・バレットみたいな」で通用するタイプのミュージシャンがジャンルをなしている、という現象がある。
 ピンク・フロイドのファースト・アルバム『夜明けの口笛吹き』1967はシド・バレット(1946-2006)がリーダーだった唯一のフロイドのアルバムだが、内容はザ・フーとラヴに影響されたガレージ・パンク・サウンドをサイケデリックに拡張したものだった。だがシドの精神疾患発症からバンドの友人だったデイヴ・ギルモア(ギター、ヴォーカル)を増員し、スタジオ盤はシド参加の五人、ライヴはシド抜きの四人で活動することになる。そしてセカンド・アルバム『神秘』1968が制作されたが、シドはアルバム半数の4曲しか参加できなかった。結局フロイドのアルバム制作へのレギュラー参加は不可能と判明し、シドは脱退しフロイドのメンバーがシドのソロ名義アルバム制作につきあう、と話はまとまる。
 その後『帽子が笑う…不気味に』(旧邦題『幽玄の世界』)、『その名はバレット』(旧邦題『シド・バレット・ウィズ・ピンク・フロイド』)を1970年1月、11月に発表し、トウィンクらとスターズを結成し活動予定で二回ほどステージに立ったらしいが、まったく演奏できなかったらしい。72年にはシド・バレットは完全に音楽界から姿を消す。ピンク・フロイドが『炎』をレコーディング中に突然訪ねてきたが、やはり復帰はとても不可能という話だった。
 パンク/ニュー・ウェイヴ時代以降、オルタネイティヴ・ロックの文脈から生前すでにシド・バレットの再評価は進んでいたが、シド在籍時のピンク・フロイドとシドのソロ名義のアルバムでは評価はまちまちだった。『夜明けの口笛吹き』はタイトなロック・アルバムだが、シドのアルバムはぐだぐだのアコースティック・ギター弾き語りで、いわゆるフォークとも言いがたいがロックと言っていいようなものか、その点ではピンク・フロイド以上にポップスからは遠いものだった。そこが癖物で、シドのソロ名義のアルバムは1970年の前後数年間に英米を問わずヨーロッパ、日本にも大量に制作されたアシッド・ロック~フォークの決定版といっていい作品だった。日本ではアシッド=カウンター・カルチャーとしてのロックという面はスルーされブルース、サイケ、プログレ、ハードなど音楽の形式的分類で把握されていたが、欧米ではそうした垣根はなく一口に新しいロックとされているものは、精神的基盤ではひとつながりになっているものだった。
 シド個人の才能は過大評価も過小評価もされてはまずいと思うし、シドがいなくてもメイヨ・トンプソンの『コーキーズ・シガー』やアレクサンダー・スペンス『オアー』、サイモン・フィン『パス・ザ・ディスタンス』などが『帽子が笑う…不気味に』や『その名はバレット』と同傾向で同等の名作として存在感を示していたと思うが、それでもシドという人がいた以上その2枚のソロ名義アルバムはアシッド・ロック最高の典型例になっている。イタリアのクラウディオ・ロッキ『魔術飛行』やアラン・ソレンティ『アリア』、日本の『溶け出したガラス箱』や五つの赤い風船『New Sky』などシド・バレットやシドに先立つアメリカのパールズ・ビフォー・スワインに直接影響されたとは思えないが、同じ時代の空気を吸っていただけで世界各地で似たような音楽が発生したのだ。
 この『帽子が笑う…不気味に』で興味深いのは、ピンク・フロイド組(ウォーターズ、ギルモア)がプロデュースした曲はほとんどギター弾き語りから加工されていず、演奏ミスまでそのまま収録されている。ソフト・マシーンのメンバーもオーヴァーダビングで参加したマルコム・ジョーンズのプロデュース曲では何とか曲を曲らしく仕上げようとしているが、ギター弾き語りにキーボードやベース、ドラムスのオーヴァーダブというのは通常順番は逆で、めったに行われない。シドはバンド形態での録音セッションすら不可能になっていたのだろう。ギター弾き語り曲にはよく現れているが、一人だとけっこう機嫌よく楽しげに歌っているのがわかる。そこが怖い。
 シド・バレットのような、というジャンルがロックにはあるのがご理解いただけただろうか。影響力、人気(セールス)ともに最大のロック・バンドとなったピンク・フロイドさえ出発点はシド・バレットの音楽だったのだ。フロイドが最終作(らしい)"Endless River"を発表した今後は、シド在籍時のアルバム未収録・未発表音源などの発掘発売などもされないだろうか。

ピーナッツ畑でつかまえて(18)

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 普通これはないんじゃないかなぁ、とチャーリー・ブラウンはボヤきました。どこがやねん?とジェスチャーするスヌーピー(このビーグル犬は筆談はできますが、さすがに人語は発音できないのでミミックで会話するのです……たいがいの人には人間を馬鹿にした犬のような仕草に見えますが)。これだよ。
 手錠だよ!とついに温厚、というよりはお人好し、というよりはうすのろのチャーリーですら我慢がならずに叫びました。そういう時チャーリー・ブラウンは類型的なアメリカ人少年のボディ・ランゲージとして顔は天を仰ぎ、両腕は翼のようにお手上げするのですが、いかんせんチャーリーの右手首はスヌーピーの前肢とつながれていたので右手からはビーグル犬をぶら下げたどこかの抜け作のように見えました。
 彼らの会話を追って記述するより要点をまとめると、つまり彼らは無銭飲食で捕まって押送中に逃げてきたのです。無銭飲食などはアメリカ市民なら当然の権利とまでは言わずとも人生で一度や二度は通る道、今さらながら失敗が悔やまれるのは安易に手錠のままで脱走してきてしまったことでした。せめて手錠が外されるまで待つべきだったのです。
 それにしてもさ、とチャーリー、たとえキミが二足歩行の犬だとしても、普通は人と犬を手錠でつなぐって法はないんじゃないかい!ああそうだよ、共犯だからっていうのが司法の言い分だろうね。だけど未決犯にもちゃんと人権てものがあるのがこの国のはずなんだ!
 うなずくビーグル犬。いや、スヌーピー、勘違いしてもらっちゃ困るけど、人権があるのはぼくで、キミにはない。キミはぼくの私有財産でしかないんだよ。だから?とスヌーピー。だからさ、キミはぼくの私有財産だから……。空いている方の手で握手を求めるスヌーピー。
 愕然として現状に直面するチャーリー。余裕の姿勢で忠誠のポーズすらキメるスヌーピー。ああ、そういうことになるのか!要するにぼくは私有財産につながれているだけで、不当な懲罰であることを嘆くこともできないのか。そしてかえって有利な力関係になってしまったこの小型ビーグル犬の呑気きわまる態度!
 二足歩行といっても身長差は歴然とあるので、手首を袖口で隠せば彼らは普通よりちょっとおかしい犬の散歩に見えたでしょう。しかしそれはチャーリーにはビーグル犬の主人として屈辱感を拭いきれないことでした。

(2)Syd Barrett-"Barrett"U.K,Nov.1970

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Syd Barrett-"Barrett"U.K,Nov.1970(Full Album)
https://www.youtube.com/watch?v=zHRm6yWHyNk&feature=youtube_gdata_player
全曲シド・バレット作詞・作曲。
(Side A)
1.ベイビー・レモネード - "Baby Lemonade" - 4:06
2.ラヴ・ソング - "Love Song" - 2:59
3.ドミノ - "Dominoes" - 4:03
4.あたりまえ - "It Is Obvious" - 2:54
5.ラット - "Rats" - 2:54
6.メイシー - "Maisie" - 2:46
(Side B)
7.ジゴロおばさん - "Gigolo Aunt" - 5:42
8.腕をゆらゆら - "Waving My Arms in the Air" - 2:07
9.嘘はいわなかった - "I Never Lied to You" - 1:47
10.夢のお食事 - "Wined and Dined" - 2:53
11.ウルフパック - "Wolfpack" - 3:41
12.興奮した象 - "Effervescing Elephant" - 1:50
[Personnel]
Syd Barrett - guitars, lead and backing vocals
David Gilmour - production, bass guitar, organ (second organ on "It Is Obvious" and "Gigolo Aunt", "Wined and Dined"), drums ("Dominoes"), 12-string guitar
Richard Wright - piano, harmonium, Hammond organ
Vic Saywell - tuba
Jerry Shirley - drums and percussion
Willie Wilson - percussion
John Wilson - drums
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(シド・バレット、1970年)
 1970年2月24日、シドはBBCの番組『The John Peel Show』のために5曲を録音し、3月14日にオン・エアされるが、その中には本作収録曲「ジゴロおばさん」「ベイビー・レモネード」「興奮した象」も含まれていた。この時の録音は1987年に『The Peel Sessions』というタイトルでCD化される。そして2月26日に本格的なレコーディングを開始。プロデュースは、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアが中心となり、前作『帽子が笑う…不気味に』に参加したロジャー・ウォーターズは「もう誰もシドをプロデュースできない」と発言して、本作には関与しなかった。
 レコーディングの途中の6月6日には、シドはデヴィッド・ギルモアとジェリー・シャーリーを従えて、ピンク・フロイド脱退後としては初めて公衆の前でライヴを行うが、4曲だけでステージを降りた。
 ジャケット・デザインはヒプノシスが担当し、イギリス盤の初回盤は、ジャケットがエンボス仕様となっていた。本作は全英チャート・インを果たせなかった。本作はシドにとって最後のオリジナル・アルバムとなり、1974年発売の2枚組LP『何人をも近づけぬ男』は、前作『帽子が笑う…不気味に』(ここでは『気狂い帽子が笑っている』という邦題になっている)と本作を抱き合わせただけの内容で、以後も未発表音源集や、既発音源を流用したコンピレーション・アルバムしかリリースされていない。(ウィキペディア英語版・日本語版より)
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(『何人をも近づけぬ男』"Syd Barrett"2LPジャケット)
 シド・バレットのソロ名義アルバムは、といっても『帽子が笑う…不気味に』『その名はバレット』、その2枚のアウトテイク集『オペル』、前記3枚にさらに19曲の未発表アウトテイクを補充したボックス・セット『クレイジー・ダイヤモンド』1993にBBC出演音源『ピール・セッションズ』1987、それに3曲増補した『ラジオ・ワン・セッションズ』2004、なんとデイヴ・ギルモア家で発見された未発表曲『ボブ・ディランズ・ブルース』をフィーチャーしたベスト盤『ぼくがいなくて寂しくないの~ベスト・オブ・シド・バレット』2001、これで全部になる。
 ピンク・フロイドのセカンド・アルバム『神秘』の録音開始は68年1月のデイヴ・ギルモア加入からで、3月にはシドの脱退が新リーダーとなったロジャー・ウォーターズから勧告される。シド脱退後にアルバムは完成し6月に発表され、内容は確かにシドがリーダーだったフロイドとは別のバンドになっていた。
 一方、『帽子が笑う…不気味に』の録音が68年5月~69年8月、『その名はバレット』は70年2月~7月録音だから、ピンク・フロイドは『モア』『ウマグマ』『原子心母』と発表し『おせっかい』の準備中、ともっとも多忙な時期(当時はノン・ストップのツアーの合間にレコーディングしていた)だった。シドはアンダーグラウンドのヒーローだったから実質的な馘首はピンク・フロイドにとってはマイナス・イメージになり、『帽子が笑う…不気味に』ではウォーターズとギルモア、『その名はバレット』ではギルモアとリック・ライトがプロデュースに当たったのは人間関係の確執からではないことをアピールしたかったのかもしれない。結果的にシドの後釜ギタリストになることになったギルモアが2枚ともプロデュースに名を連ねているのは義務感めいたものを感じるが、フロイドの他のメンバーより適度に距離があっただけちょうど良かったろうし、まったく未知のミュージシャンがプロデュースについてもシドの場合は難しかっただろう。
 『ラジオ・ワン・セッションズ』の増補ライヴ3曲は71年2月録音で、それ以降2006年7月7日の逝去までシドには録音はないらしい。精神疾患は完全に慢性化し、留守番も付き添いなしの外出も不可能になっていた。ピンク・フロイドを馘首されたのもまったく演奏できなくなっていたからで、リード・ヴォーカルとリード・ギタリストだったにもかかわらずワン・ステージをコードひとつだけを延々かき鳴らし、自分が歌っていないのにも気づかないほどだったと伝えられる。デイヴ・ギルモアを入れてスタジオ録音はシド入りの五人、ライヴはシド抜きの四人でと開始されたのが『神秘』のレコーディングだったが、すぐにシドはバンド録音も不可能になっていたのが判明する。そこからフロイド栄光の歴史と、シドの悲惨な余生が始まる。
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(シド・バレット、1975年)
 ギター弾き語り中心だった『帽子が笑う…不気味に』とは対照的に、『その名はバレット』はほぼ全曲がシドのヴォーカルとギターにリック・ライトのキーボード、デイヴ・ギルモアのベース、ジェリー・シャーリーのドラムスという固定したバンド・サウンドで、段違いに聴きやすい。曲も『ベイビー・レモネード』『ドミノ』『ジゴロおばさん』などサイケ・ポップの名曲が入っており、それほど印象の強くない曲も前作のようなリハーサルの断片を並べたようなとりとめのなさは感じさせないものになった。昔NHK-FMでサウンド・ストリートという帯番組があって、渋谷陽一DJが「あの人は今」特集で必ずかけていたのがこのアルバムの前記3曲のうちどれかで、2枚のソロ・アルバムでも『バレット』は特に傑作、と推奨していた。当時日本盤LPは廃盤で(80年代に再発売されるが)、輸入盤で入手しやすかったのが『帽子が笑う…不気味に』と『その名はバレット』をそのまま二枚組にした"Syd Barrett"こと『何人をも近づけぬ男』だった。
 音楽誌の紹介やアルバム・ガイド本、音楽サイトなどでは、昔も今も『帽子が笑う…不気味に』の方が評価は高い。渋谷DJ評価は少数派になるだろうが、『その名はバレット』を下とする評価はバンド・サウンドにするためのプロデュースがシドの持ち味を抑制している、という点にある。だが『その名はバレット』を上とする評価では同じ点がむしろアルバムの長所になる。バンド・サウンドとシドの歌・ギターとの乖離がいびつな魅力になっているのだ。
 シドのアルバム2作はどちらもシドのギター弾き語りに他の楽器をオーヴァーダビングしたもので、本人は正確なリズムキープはできないしする気もないからリズムは当然揺れまくる。『帽子が笑う…不気味に』では一部の曲のみベースとドラムスがダビングされたが、大半は弾き語りそのままかリード・ギター、オルガン程度のダビングで完成された。
 だが『その名はバレット』ではシドの新曲がデモテープ段階から演奏もしっかりしていたのだろう。ウォーターズが手を引いたのはピンク・フロイドで手一杯だったからだろうが、ライトとギルモアはアルバム全編をバンド・サウンドで仕上げられると踏んだ。アルバム冒頭のEマイナーの無伴奏アルペジオのギター・イントロはシドではなくギルモアが弾いていると思われる。シドはバンドと一緒に演奏するのは無理だから、シドのギター弾き語り→サイド・ギター、オルガン、ベース、ドラムスのオーヴァーダブ→シドのリード・ギターのオーヴァーダブ→リミックスとオーヴァーダブ調整、という手順だったろう。結果、多重録音にありがちなリズムの揺ればかりか、シドが意識しないところで変則小節や変拍子が発生したが、それはシドの弾き語り録音の段階からあったものだから調整しきれなかった。
 前作では回避されたが今回は正面から取り組んだプロデュースによる音楽的破綻が、『帽子が笑う…不気味に』にはない『その名はバレット』の面白さになっている。実際ラジオ用スタジオ・ライヴを聴くと、意外なくらい『帽子~』や『~バレット』より軽快でポップな歌と演奏が聴けて、『帽子~』よりも『~バレット』の方が当時のバレットの実像に近いのでは、と思えてくる。

ヤキトリ屋こーちゃんの呪い?

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 今日の朝、年内最後の通院(老眼と緑内障予防で通っている)で眼科医院に行くと、同じ通りの向かいのヤキトリ屋こーちゃん跡地の「居酒屋・創作料理」のお店が開店準備の支度をしている様子なのが見えた。店長の体調不良は大丈夫なのか?一応店頭のバイクを見ると、こーちゃんのじいちゃんがこんなバイクに乗るとは思えないから「居酒屋・創作料理○食べ(和たべ、と読むらしい」)はこーちゃんのじいちゃんが看板を変えた店ではなく、新しいテナント(笑)が入ったと思われる。でもこのお店はいつどうなるか予測がつかない展開をしてきたから、今後も観察してご報告いたします。さすがに食べに入って内部調査、こーちゃんのじいちゃんのその後の聞き込みまではできませんが(笑)。

(3)Syd Barrett-"Opel","The Radio One Sessions"U.K,1988,2004

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Syd Barrett-"Opel"U.K,1988(rec.1968-1970/Full Album)
https://www.youtube.com/watch?v=uFgdLJiNZkE&feature=youtube_gdata_player
1.オペル Opel
2.クラウンズ&ジャグラーズ(オクトパス) Clowns & Jugglers(Octopus)
3.ラッツ Rats
4.金色の髪 (リメイク、テイク6) Golden Hair (Instrumental)
5.ドリー・ロッカー Dolly Rocker
6.ワード・ソング Word Song
7.夢のお食事 Wined And Dined
8.スワン・リー Swan Lee (Silas Lang)
9.バーディー・ホップ Birdie Hop
10.レッツ・スプリット Let's Split
11.ランキー (パート1) Lanky (Part One)
12.僕がいなくてさみしくないの(暗黒の世界) Wouldn't You Miss Me (Dark Globe)
13.銀河 Milky Way
14.金色の髪 (テイク1) Golden Hair (Instrumental)
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 拾遺アルバム『オペル』のリリースは1988年10月、後にボックス・セット『クレイジー・ダイヤモンド』1993でさらに19曲の別テイクが発表される。それら19曲は現在では『帽子が笑う…無気味に』『その名はバレット』『オペル』の三枚に分散収録されているが、『オペル』はCD時代にさしかかっていたとはいえ、まだ新作はアナログ盤でも発売されていた頃のリリースだったのでLP盤の収録時間に合わせて編集された。『帽子が笑う…無気味に』からのアウトテイクが1,2,4,8,11,12,14でうち1,8,11が未発表曲、『その名はバレット』からのアウトテイクは3,5,6,7,9,10,13でうち5,6,9,10,13が未発表曲になる。ほとんどギター弾き語りの一発録りでデモテープ集に近いものだが、2.はソフト・マシーンがバンド演奏をオーヴァーダブ、8.と11.にもバンド演奏がオーヴァーダブされているがこちらはピンク・フロイドによるものらしい。ピンク・フロイドはシド・バレット在籍時のアルバム未収録シングル、未発売シングル曲を未だに完全には公式発売しておらず、3枚目のシングルに予定されながらEMI側の意向で"Apples and Oranges"c/w"Paintbox"に差し替えリリースされた"Scream Thy Last Scream"c/w"Vegetable Man"の2曲は前記のボックス・セットに収録が予定されながら発売直前にフロイド側が不許可を出し収録されなかった。おそらくフロイド側で元リーダーのウォーターズと残留組のギルモア&メイソンにフロイド名義の著作権の法的抗争があり、フロイドの名義が使えないのだろうと思われる。だからって未だにお蔵入りのままはないと思うが。
 未発表曲を8曲含むことでも『オペル』にはそれなりの存在価値はあるが、『帽子が~』に未収録の3曲、『~バレット』に未収録の5曲はアルバムに入れなかったプロデューサーの判断が正しかった。『オペル』で曲単位で聴くとああシド・バレットだなあ、と胸に沁みるのだが、『帽子』や『バレット』は実は統一感のある完成度の高いアルバムだったのがわかる。まずはその2枚を聴いてから聴きましょう、というのが『オペル』だろう。邦題の副題が『ザ・ベスト・コレクション・オブ・シド・バレット』というのはハッタリです。
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Syd Barrett-ボブ・ディラン・ブルース "Bob Dylan Blues" (from "Best of Syd Barrett/Wouldn't You Miss Me?"2001)
https://www.youtube.com/watch?v=uOokCdkIejk&feature=youtube_gdata_player
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 21世紀になってデイヴ・ギルモア家の押し入れからとんでもないものが出てきた。たった1曲の未発表曲だが、せっかくだからとベスト・アルバムが編まれることになる。それがこのアルバムで、問題の未発表曲が『ボブ・ディラン・ブルース』になるのだが、ちょっと軽快に初期ディラン風にやってみました、というところだろう。30年間押し入れにしまっていたギルモアは偉いというか呑気というか、シドは2006年に亡くなるからベスト・アルバムの発売は晩年のシドには明るい出来事だったろう。本人はもう何もわからなくなっていたかもしれないが。このベスト盤は好選曲・編集で『オペル』より良い、と好評を博した。
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Syd Barrett-"The Radio One Sessions"U.K,2004(rec.1970,1971)
https://www.youtube.com/watch?v=F-BiOyHQWqM&feature=youtube_gdata_player
1.カメに捧ぐ詩 Terrapin
2.ジゴロおばさん Gigolo Aunt
3.ベイビー・レモネード Baby Lemonade
4.興奮した象 Effervescing Elephant
5.トゥ・オブ・ア・カインド Two Of A Kind
6.ベイビー・レモネード Baby Lemonade
7.ドミノ Dominoes
8.ラヴ・ソング Love Song
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 1~5は1970年2月24日付けのジョン・ピール・セッションで『ジョン・ピール・セッションズ』として1987年に発売されていたもの。ドラムスにジェリー・シャーリー、ベースとギターでデイヴ・ギルモアが参加し、『その名はバレット』よりも軽快な歌と演奏が聴ける。ピール・セッションはスタジオ・ライヴといってもオーヴァーダビングが奨励されていたのでスタジオ録音の別テイク・別アレンジ版という方が正しいかもしれない。
 6~8は2004年のこの盤初出のソロ・ライヴで録音は71年2月16日のボブ・ハリス・ショー。こちらは正真正銘のライヴ一発録りで弾き語りだが、録音状態の悪さ(音源がラジオのエアチェック・テープなのだろう)以上にシドが苦しそうで、さっさと終わらせたいからか早めのテンポで演奏時間も短い。年代的にもこれが残されたシドのラスト・レコーディングになる。それから逝去までの35年間、シドは音楽どころではない人生を送ったのだった。

ピーナッツ谷でつかまえて(20)

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 昔広島県の人から聞いた話だけどさ、とチャーリー・ブラウンは言いました。敗戦後は食糧難の時代がずっと続いて、毎日沖へ出てはタコばかり食べてしのいだ人もいたんだって。タコだよタコ、とチャーリーはフーッとため息をつきました。毎日毎日タコ。信じられる?
 スヌーピーは阿波踊りのポーズをしました。チャーリーのMPを下げようとしたのではなく(そんなものはもともとありません)それが彼らの会話方法なのです。いや、売ってお金にすればいいってもんじゃないんだよ。キミはエントロピーの法則というのを知ってるかい?食費に十分なお金を得るだけのタコを採る労力は売り上げに釣りあわないんだ。漁業全体のエネルギーは目減りしていく一方なんだよ。ああ!
 パパもフレデリクソンさんやスニフのお父さんたちと航海に出ていたことがあるんだよね、と偽ムーミンは振りました。冒険家時代の話にくいつくか機嫌をそこねるかでムーミンパパのだいたいの調子はわかるのです。その辺が安定していないあたりがムーミンパパのメンタルの弱さですが、若い頃のムーミンパパ(当時ムーミン)をよく知るフィリフヨンカさんやヘムル署長は「明るいわんぱくな子だったよねえ」と一瞬笑顔になり、慌てて神妙な表情に戻るのがたびたびでした。
 タコの話はよそう、だいたいぼくが広島県の人から話なんか聞く機会があるものかい。これはムーミン谷について書いた本で読んだんだ……というか、ペパーミント・パティがそう言ってた、読書家だからね。スヌーピーはほう、という表情をしました。
 鳥ではカラス以外はだいたい食える、カラスは臭くて食えない。猫はまずいが犬はだいたい食える、特に赤犬が美味いそうだ。赤犬というのは、国によって黄色とかオレンジとか呼び方は違うけど、要するに人なら茶髪、犬なら赤茶けた毛並みなんだろう。
 かんかん照りの砂漠の陽差しの反映と、吹きつける風でたっぷり砂塵を含んで、今やスヌーピーは申し分なく生まれつきの赤犬のような見かけになっていました。
 これまでキミはぼくの親友ということになっていたけど、手錠でつながれてはっきりわかった。キミはぼくの私有物、エントロピーの法則に従うならば、たとえ売っても餓えをしのぐに足りない程度なんだよな。どちらかが犠牲になるしかないなら、おたがい一方が人間、一方が犬に生まれたのを恨もうじゃないか。
 第二章完。

(前)小津安二郎『父ありき』(松竹1942)前編

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『父ありき』(全)
https://www.youtube.com/watch?v=EWG7EY-M5f0&feature=youtube_gdata_player
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 これで小津作品のご紹介は何本目になりますか、数えてみたら17本目になりました。『東京の宿』までのサイレント期の作品は翌年の『大学は出たけれど』まで含めて散佚作品が多いですが主要な作品は押さえられたと思います。『一人息子』からのトーキー作品は残されていますから、こちらもほぼ全作品をご紹介できる用意はあります。
 ただ、小津作品に限らず映画のご紹介でいつも気になるのは、あらすじなど必要なものなのだろうか、ということで、映画を観たことがある人には不要でしょうし、まだ未見の人には興を削ぐだけともいえます。細部まで書いた詳細な再現度のあらすじですら実物を観るに敷くはないので、あらすじなど以前観たけれど記憶が薄れている人か、未見だけどどんな話か知りたい人に向けた簡略なものでいいでしょう。以前このブログで某ギャグ漫画の話題を出した時に、こういう秀逸なギャグがありました、と書いて非常識、精神疾患患者(それはプロフィールに書いてある通りですが)呼ばわりされたこともあります。筆者の感覚では面白かった作品を話題にする時、秀逸だと思えた点を上げるのに何の問題も感じませんが、そう述べると「医療担当者への早急な相談をお勧めします」と返されたのはなんともはやでした。あのマンガ面白かった、こんなギャグがあって、というのをネタバレ(怒)とキレる人もいるわけです。
 さて、佐藤忠男、ドナルド・リチー、蓮實重彦各氏のモノグラフィーのうち、佐藤氏は伝記と作品紹介は本文各章に含み、フィルモグラフィー(データのみ)を巻末に添える体裁、リチー氏は本文は総論と技法で、巻末の「伝記と作品目録」は独立したパンフレットになりうる評伝と内容紹介つきフィルモグラフィー(データつき)、蓮實氏は本文は総論、巻末に関係者インタビューと資料(制作日誌)、フィルモグラフィー(データのみ)、詳細年譜という構成です。いわゆる「あらすじ」から作品論に入っていくのは佐藤氏だけですが、リチー氏の「伝記と作品目録」も簡略なだけに要点を尽くして面白いもので、たとえば今話題にしている『父ありき』などはこうです。
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『父ありき』 松竹大船 脚本=池田忠雄、柳井隆雄、小津安二郎 撮影=厚田雄春 音楽=彩本暁一 美術=浜田辰雄 出演=笠智衆、佐野周二、水戸光子、坂本武、佐分利信、津田晴彦、日守新一など 2588メートル(85分、〈記録〉93分) 1942年4月1日封切。脚本、複写ネガ、プリントあり。
 もと中学校の教員の父が、息子とずっと別居しながらも愛情で固く結ばれている。成人した息子も教員になり、徴兵検査を受けたおりに、父に再会する。父は喜んで親友の娘を嫁に世話してやる。父が死んだあと、息子は妻と一緒に父の遺骨を持って故郷に帰る。
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 感情を交えないあっけないくらいの要約で見事ですが、リチー氏の著作が刊行された1974年にはおそらくGHQによる敗戦後の検閲で85分に短縮されたヴァージョンしか知られていなかったのがわかります。その後発見された現行ヴァージョンは94分あり、記録より長いくらいですから、現行の94分ヴァージョンは完全版と考えていいでしょう。一方、佐藤氏は小津生誕90周年記念のオムニバス本『小津安二郎新発見』1993で『小津安二郎全作品解説』を担当し、年季の入った情理尽くした作品紹介を短い分量ずつでこなしています。以下引用しましょう。
「小津芸術のひとつの頂点をなす傑作であるが、現存するプリントは残念ながらサウンド・トラックが破損してセリフの聞き取れない部分が多い。しかしそれでも名作は名作であり、ファンなら必見である。
 地方の中学教師だった父(笠智衆)が生徒の事故死の責任をとって辞職して上京してから、父と息子は遠く離れて暮らしている。成長してやはり別の地方で教師になった息子(佐野周二)は、温泉宿で父との出合いを楽しんだ機会に、こんどこそ父と二人で暮らしたいから教師を辞めようと思う、と相談する。すると父は、教師は天職と思うべきで、そんな私情で軽々しく辞めてはいけないと諄々と説教し、息子はすがすがしい気持ちで納得する。まもなく父は息子の結婚を見とどけて脳出血で急死するが、息子は新妻(水戸光子)に、本当にいい父だったとしみじみ言う。理想の父親像を完璧に演じた笠智衆は、しかし一挙手一投足まで小津の指示どおりに動いたのだと言っている」
 短い中に感動の焦点がよく絞られた鑑賞文ですが、佐藤忠男氏の『完本 小津安二郎の芸術』2000の増補資料を参観すると、現行のサウンドトラック欠損もない94分の良質な完全版プリントはロシアのフィルム・ライブラリーから近年発見されたものとあり、ただし戦時中の粗悪な材質のフィルムが使用されているための画質の悪さは仕方ないようです。日本で上映用にデュープされたポジか、1942年当時のソヴィエトで輸入プリントからさらにデュープされたネガかまでは記載されていません。現行プリントはデジタル・リマスターされ、可能なかぎり良質な画質・音質にリストアされたもの。筆者が名画座で30年近く前に観たのは当然検閲カット版だったはずですが、当時は完全版との比較はできなかったわけですから具体的に違いを指摘できません。(チャップリンやエイゼンシュテインの作品は複数ヴァージョンの違いがわかりましたが)
 著作権保護期間を過ぎた作品ですので松竹からのDVD以外にも廉価版DVDが発売されていますが、冒頭の松竹タイトル画面の有無以外には日本語字幕の有無の違いがあります。これは50~70年前の日本映画を見慣れているかにもよりますが、映画は少ない例外を除けば当時の標準語(時代劇作品ではむしろ人工的な折衷的標準語になりますが)で作られています。それが現代の標準語のアクセントとはかなりかけ離れている場合があり、少ない例外に属するのはたとえば祇園ものの映画がありますが、祇園の上方言葉は特殊なだけに映画を見始めてしばらくすれば、方言として理解しやすい。しかし現代映画で標準語が使われているのに、アクセントや発声の違いから何を言っているのかわからなくなる。こればかりは仕方ありません。2014年の日本語だって2086年には変な発音に聞こえるでしょう。『父ありき』は72年前の映画です。つまり今年公開された映画が2086年にも生命を保っているようなものです。日本映画を日本人が観るのでも字幕が有用な場合がある、ということです。
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 あらすじはリチー氏、佐藤氏の解説に尽きていますが、ストーリーをなす枝葉の部分をもう少し詳しく書いてみます。
  妻を亡くした中学教師(笠智衆)と息子(日守新一)は二人暮らしをしています。ところが中学の修学旅行で生徒の一人が無断でボート遊びに抜け出し溺死し、その責任をとって父は教師を辞任します。
 父は辞任後は会社勤めに転じ、息子も転校を余儀なくされます。息子は中学に進学し、そこで寄宿舎に入って親子は別れて暮らすことになりました。父も東京の工場に転任します。父子が会う機会はますます減りますが、息子は無事東北の帝国大学に進学します。しかし父への郷愁は募る一方でした。
 息子は大学を出て秋田の高校教師になります。東京と秋田からそれぞれ黒磯の温泉で落ち合って再会を果たし、しみじみと湯に浸かって語り合い、湯上がりにビールを注ぎあって親子の絆を深めます。息子はそろそろ教師を辞めて東京に行き父と同居したいと願います。父は、教師は天職だから辞めてはいけない、生涯をかけて遣り通せと諭します。父は無念の辞職を経験したから自分の思いをかけているのだと気づき、息子は父の勧めを受け入れます。息子は別れ際に父におこづかいの包みを渡し、父はお母さんにお見せするよ、とお礼を言います。
 父は行きつけの碁会で退職した中学教師時代の同僚(坂本武)と再会します。また、成人して社会人になった中学教師時代の教え子たちが訪ねてきて、同僚とともに同窓会に招かれて旧交を暖めあうことにます。この元同僚の坂本武がサイレント期の喜八ものとは別人のような品格のある紳士で、よく通る声で知性と品を備えた紳士ぶりがますます引き立ち、喜八の子孫たる寅さん演じる渥美清も顔立ちと美声のギャップで売り出した喜劇人だそうですが、DVDを観終えてキャスティングを見るまでまさか喜八の人とは思いませんでした。
 その頃、息子は徴兵検査を終えて父のもとに訪ねてきます。父は甲種合格を喜び、常に社会で有用な、世のために尽くす人間であるように、と激励します(米軍検閲でカットされたのはこの場面かもしれません)。父はちょうど年頃の、中学教師時代の同僚の娘(水戸光子)との縁談を持ちかけると、息子は「任せます」と縁談を委ねます。息子が母の仏壇に報告し、席を外すと、父も亡妻の仏壇にお焼香します。このシーンは仏教文化圏以外の観客も理解でき、感動させる力があるでしょう。
 同窓会が開かれると、紅顔の少年だった生徒達はみな家庭をもち、子供もいる年齢になっていました。その成長ぶりを喜び、生徒たちに息子の面影を重ねて丁寧な祝辞を述べます。実子だけではなく主人公の全人的な父性を感じさせるシーンです。この同窓会で父はつい上機嫌で飲み過ぎてしまいます。
 翌日、出勤しようとした父は脳卒中で倒れてしまいます。息子、中学教師時代の同僚、その娘が枕元に控え、昨夜の同窓会の幹事だった教え子二人も駆けつけてきています。父は襟元を緩めてもらいながら、私はやれるだけのことはやった、そうやって生きてきた、思い残すことはない、とくりかえしつぶやいて事切れます。医師が診断し、許嫁の娘が泣き伏し、絶句してベッドを離れて立ち尽くす息子に、許嫁の父があんたのお父さんは立派だった、と慰めます。すぐに場面は蒸気機関車の車中になり、「お父さんと過ごした最後の一週間ほど楽しかったことはなかったよ」とすっかり新妻めいた娘を連れて父の納骨のために秋田に連れて行くシーンで終ります。
 小津は初期は青春コメディ、まもなくホームドラマに移り、他のジャンルの作品は初期は時々、中期以降はほとんど撮らなかった監督ですが、『父ありき』は『一人息子』と並んで家庭なき家庭を描いたホームドラマと言えます。ホームドラマに普通英雄的人物造形はありませんが、『父ありき』は一本一本見ていくと案外その作品ならではの異色作も多い小津作品でも、テーマへの集中力で際立った作品と言えるでしょう。『一人息子』で母親が息子に望む「成功」が、ここでは当時社会的には「報国」という概念だったにせよ。溝口健二『宮本武蔵』1944のように「討ちして止まん」とは入れられないとしても、もし制作・公開があと1、2年後だったら冒頭に「八紘一宇」と題辞を入れられかねない時代だったのです。

ピーナッツ畑でつかまえて(21)

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 第三章・疾風丑の刻詣りの巻。
 あらヤダわ、とみさえはひまわりの添い寝から起き出しながら柱時計を確かめました。まだしんちゃんの帰りまで買い物行ってくる時間はあるかしら。柱時計はひろしが会社の後輩の結婚式の引き出物でいただいたものでした。
 最近の引き出物は気が利いてるよなー、カタログで好きなもの選べるようになっているんだぜ。最近、といっても野原一家は半永久的に夫35歳・妻29歳・長男5歳・長女0歳から歳をとらないのですが、この場合の「最近」は1990年代後半と思われます。ほーら、とひろしがバブル時代のニッセンほどではないが、地方の職業別電話帳よりはずっと分厚いその冊子を、ずい、と封筒から取り出すやいなや、
・ダイエットヨガをしていた妻みさえ
・ブタの絵を描いていた長男しんのすけ
・テレビのアイドル番組を観ていた長女ひまわり
 ……が正確に120度ずつ三方の角度から迫ってきました。単に欲が深いからわれ先にと無我夢中なだけですが、こういう時にはチームワークが良いのが野原家の憎めないところです。
 オラはカンタムロボ!あなたジュエリーない?あままままあ。いいからまず落ち着け、みんな座れ(ひまちゃんはママのおひざね)。まずは家長のおれがだな……(よっ課長!うるさい!)。ええと、ここからここまでのページは時計か。カンタムロボ!うるさい!それから……時計……時計……時計……。あなたこれ時計しか載ってないカタログじゃない!おかしいなあ、気の早い連中なんか式のはねた後すぐ開いて喜んでたけどなあ。あなた間違えてもらってきたんじゃないの、きっとランクがあるのよ、時計ばかりじゃカタログの意味ないじゃない!仕方ないだろっ、それよりビール、ビール。はいっ、今日は発泡酒ね、それもレギュラーサイズの!なんだよ、おれのせいかよ!課長だけに……(両腕を短針長針にして)カッチョン、カッチョン。お前はうまいこと言わなくてもいい!
 という事情で野原家の居間を飾っているのです。そうね、まだ二時間くらいは……とみさえが伸びをしていると、シロの喜びの鳴き声から間髪入れずしんのすけがドドドドと玄関から突進してきました。どうしたのよしんのすけ、幼稚園は、と尋ねるみさえに、しんのすけは、
「タイヘンなんだゾ、今スヌーピーが……」
 とだけ言うと、また外の世界へ駆け出して行ったのです。

物語シリーズ・ファイナルシーズン『憑物語』大晦日一挙放映

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 2014年度のアニメ作品を振り返る記事のためにいろいろ調べていたら、このブログでも放映直後に取り上げた『花物語』のレビューで「ファイナルシーズン『憑物語』大晦日に一挙放映」と知りました。ドコモのテレビ情報で検索したら、東京地区では『花物語』と同じ東京MX-TVで12月31日22:00~23:58、サイトには、

番組概要
<物語>シリーズファイナルシーズン。全4話一挙放送!

TOKYO MX-TV、BS11、niconicoより2014年12月31日22:00~23:58放映・配信

[番組詳細]
番組内容

貝木泥舟の暗躍で、千石撫子の一件が解決した2月。受験勉強に追い込みをかける阿良々木暦の体には“見過ごすことのできない”変化が現れ始めていた。これまでの報いとも言える、その変化とは!? 青春に、別れの言葉はつきものだ。

出演者
【阿良々木暦】神谷浩史  【斧乃木余接】早見沙織  【原作】西尾維新『憑物語』(講談社BOX)」
 とありました。この説明からすると、「物語シリーズ・セカンドシーズン」の最終話『ひたぎエンド』が終わった所から始まる話になります。時系列的には、『花物語』ではシリーズ全体の狂言回し的主人公である阿良々木暦は高校を卒業し大学生になっていますから、「ファイナルシーズン」の連作は『花物語』より前か、途中に『花物語』が平行して挟まれるかと予想されます。「物語シリーズ」連作は毎回ヒロインの名前がサブタイトルに入りますが、『憑物語』のサブタイトルは『よつぎドール』となっています。
 公式サイトではプロモ動画1と2、テレビCM、本編オープニングが公開されています。プロモ動画とCMはプロモ動画2がいちばん長く、1とテレビCMの内容も2にすべて含まれていますから、ここではプロモ動画2と本編オープニング(主題歌動画)のリンクをご紹介します。

プロモ動画2
https://www.youtube.com/watch?v=ZIu4m-UMDlA&feature=youtube_gdata_player
本編オープニング「オレンジミント」
https://www.youtube.com/watch?v=fT8MOlWRpPI&feature=youtube_gdata_player

(後)小津安二郎『父ありき』(松竹1942)後編

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『父ありき』(全)
https://www.youtube.com/watch?v=EWG7EY-M5f0&feature=youtube_gdata_player
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 小津安二郎監督作品から一作を選ぶなら、とアンケートをとれば一般的には『東京物語』1位、『晩春』2位、ちょっと考えて『麦秋』3位というところでしょうが、同等かそれ以上に重視されるべき作品が戦中の『一人息子』『淑女は何を忘れたか』徴用を挟んだ『戸田家の兄弟』、そして再度の出征前に撮られた最後の作品『父ありき』になると思います。初のトーキー作品で通算35作目な『一人息子』からのトーキー4作で、小津はそれまでのサイレント作品で扱ってきたテーマを総決算した観があり(『一人息子』で不況もの、『淑女は~』でアメリカ映画風コメディ)、さらにこれまでのどの作品よりも規模の大きい一族の群像劇(『戸田家~』)を成功させ、さらに『生れてはみたけれど』や『出来ごころ』『浮草物語』では必ずしも中心テーマにならなかった父と息子の愛情を完全に中心に据えて描き切ったのが通算38作目になる『父ありき』でした。この充実したフィルモグラフィーには、戦時下の並々ならぬ覚悟が感じられてなりません。
 小津の畏敬していた3歳上の伊丹万作監督は逝去は戦後1946年ですが戦時下の闘病生活が続いて『巨人傳』1938が遺作になりましたし、小津を敬愛していた6歳下の山中貞雄監督は『人情紙風船』1937を遺作に1938年に戦死します。伊丹万作は遺作が38歳で享年46歳、山中貞雄は遺作が28歳で享年29歳です。『父ありき』は小津38歳の作品でした。
 小津の最初の徴用は演習召集で、監督昇進の1927年9月~10月に20日間ほど入営しています。本格的な徴用は1937年9月~1939年7月で、この間1938年7月に山中貞雄の戦死があり、1939年春には志賀直哉の『暗夜行路』完結編を読んで何年もないほどの感動を受けています。1938年6月からの徴用は軍報道部映画班員としてシンガポールに召集されますが、戦局の悪化で敗戦までまったく軍務はなく、敗戦後は民間人収容所でゴム林での労働に従事。ようやく引き上げがかなって帰国したのは1946年2月でした。39歳~42歳の働き盛りを戦地で過ごしたわけですが、戦局悪化の結果かえって安全になっていた地域に配置されたのは皮肉なことでした。仮に戦中作品が遺作になっていた場合、文学者では時局迎合的な作品が残されてしまった気の毒な例が多いのですが、言論統制が行われて時局的に好ましいとされた脚本しか映画化が許されない、というのが時局も太平洋戦争まで進んだ日本の映画情勢でした。
 しかし、ただでさえ制作本数が減少する一方なのに露骨な戦意高揚映画が観客に歓迎されるわけはない。小津の『戸田家の兄弟』は巧みに時局臭を取り入れながら華のある娯楽映画になりましたし、黒澤明は『姿三四郎』や『一番美しく』で時局臭の中にも爽やかな青春映画を作り上げ、『虎の尾を踏む男たち』などは敗戦末期に制作された時代劇ながら戦後の占領軍検閲にも易々と通過して公開されたものです。無惨なのは溝口健二『宮本武蔵』のような作品で、溝口は当時松竹所属でしたから出征していなかったら小津に回ってきた可能性もある企画ですが、1944年12月28日公開ですから正月映画ながら上映時間50分、『宮本武蔵』というタイトルの次に「討ちして止まん」と筆書きの字幕が出て、ワンシーン・ワンカットと言えば聞こえはいいですが俳優の演技を遠景から据えっぱなしのカメラで写しているだけ、という代物でした。映画は大きな経費のかかる事業ですから、いくらやる気がなくてもどんな映画もそれなりに工夫の跡が感じられるものですが、溝口版『宮本武蔵』に限って言えば作品とすら呼べないもので、こういうのがあるのが溝口の恐ろしいところです。
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 親子の愛情を描いたものでは、母と息子の組み合わせでは『一人息子』がすでにありました。『父ありき』では父と息子になるのはタイトルからも予想がつきます。ただし内容は大きく異なります。単に母親が父親に変わっただけではなく、『一人息子』が母子家庭の行く末を描いて社会的な視野を持ったものだったのに対し、『父ありき』でも社会的な視点はあるけれど母子家庭が弱者としての立場にさらされているようにはここで父子は描かれてはいないので、小津の狙いは理想的な父親像を息子の視点から描いてみせることでした。『一人息子』の暗さと『父ありき』の暖かさの違いはそこに由来します。『父ありき』が理想的父親像を描いた作品になったのは志賀直哉の影響もあるかもしれません。小津安二郎の世代には、志賀直哉は中でも突出した存在ですが、白樺派の文学者たちは人生肯定的な思想の代弁者でした。
 また、小津の描いた白樺派的・調和的な理想的父親像は運良く戦時下の日本の国策とも調和するものであり、また敗戦後に占領軍により再検閲を受けた際にも穏健な人文主義的思想と見逃されるようなものだったのです。国家への奉仕参翼的な行き過ぎはなかったが国民総動員的な時勢には同伴していた、だが戦後民主主義からもこの映画が描いた人間像には根本的には批判はされない普遍性、公平さがありました。
 それを「社会にとって有用な仕事に持てる力を尽くす」こと、と言ってしまうとあんまりですが、『父ありき』で父から息子へ渡されるバトンはそういうメッセージです。これをいかに安っぽくなく、生きた人間同士の関わりを描きながら一本の映画として見ごたえのある作品にしたか、『父ありき』での小津の手腕は名人芸以上の訴求力を持って訴えかけてくるのです。
 蓮實重彦氏の『監督 小津安二郎』は政治的視点を意図的に避けていますが、佐藤忠男氏の『小津安二郎の芸術』は戦時下に少年時代を送った論者だけに『父ありき』の主題と国策の並立に複雑な感慨を指摘せざるを得ません。一方、佐藤氏より10歳近く年長(すなわち青年時代を敵国アメリカ市民として送った)ドナルド・リチー氏がこの作品に『一人息子』を上回る芸術的達成を認め、小津の主題は国家公認のものだったがプロットのために人物造形を犠牲にしたり、政治宣伝のために人物造形を歪めたりは決してしなかった、むしろ小津の主題の扱い方が非常に人間的だったので当局の姿勢の方が問題とされるべきだろう、と擁護しています。
 しかし『父ありき』が制作可能だったのも(昭和17年、4月1日公開)この年がぎりぎりの限度だったかもしれません。前作『戸田家の兄弟』の公開は昭和16年3月1日でした。小津の再度の徴用は翌年6月でしたし、『父ありき』は観客動員も良く、キネマ旬報年間ベストテン2位でしたが日本映画の古典となるだろう、と予言的評価も獲得しました(その通りになりました)。時間的には再度の徴用までにもう一作が望めたはずです。ですが次作の構想はまとまらず、小津は原作者も兼ねる監督ですから『父ありき』が国家検閲を通るぎりぎりの構想だったのかもしれません。それを本人も承知していたから、制作本数低下にかこつけて急がなかったのではないか。その場合『父ありき』は小津にとって遺作になる覚悟で制作されたのではないかとすら思われるのです。

ピーナッツ畑でつかまえて(22)

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 そりゃ腕力では人間の少年としては非力な君にすらかなわないだろうさ、とスヌーピーは言いました。だが相撲に勝って勝負に負けた、という……逆だったかな?まあいい、そういうことわざもある。仮に武器を使っての戦いであっても、武器の性能より勝負は武器と技術の乗数で決まることくらい、ミリタリー・マニアを志したことのない君にはわかるまい。どうかねくりくり坊主くん?
 そのくらいはミリタリー・マニアでなくてもわかるよ、とチャーリーは反論しました。要するにキミはこう言いたいんだろ、運動神経や反射神経ではキミが圧倒的に有利だ、って。運動神経は攻撃力に結びつくし、反射神経は防御力以前の防御、すなわち攻撃回避能力に優れるのを意味する。つまりあれだな、牛若丸と弁慶だって言いたいんだろ?
 そうそう。だから無駄な争いはしないが賢い。君は野蛮な人間だから赤犬だと思えばぼくを食肉にもできようが、もしぼくが勝っても君に喰われるのを逃れたか先延ばししただけで、いっそ殺せば君からの危機はなくなるが人間を殺めた動物はよほどの稀少種以外問答無用で死刑になる。この場合の稀少種ってなんだい?パンダやコアラかい?パンダやコアラに人間が殺せるものかい?
 つまりさ、とスヌーピーは言葉を継ぎました。ぼくらが争ってどちらかが死ねば、君は餓えがしのげる。だけど君に勝ってもぼくはそんなの食らうのは御免だ。先に述べた理由で君を殺めた咎で処分されるのも御免だから、結局この勝負は君がぼくに勝って犬肉にありつくか、ぼくが君を制して勝負をドロウし続けるしかない。だいたいぼくは餓えても君など殺して食べたくない。知能指数が下がってしまいそうだもの。
 ひどいこと言うなあ、と偽ムーミンはあきれてスヌーピーの表情に見入りました。いつも通り感情らしい感情の感じられない犬面がそこにはありました。
 その頃しんのすけは山を越える一本道をせっせと急いでいました。つらい斜面はアクション仮面、カンタムロボ、ぶりぶりざえもんたちの勇姿を脳裏に浮かべてがんばりました。オラ男の子だもの、本気でやらなきゃならない時には本気で勇気を出さなきゃいけないんだ。
 するとみちばたにハイレグおねいさんが立っていました。
「あら、可愛い坊や」
「ハ、ハイグレおねいさん!オラ……ポッポー!」

年末年始はこれで乗り切る!

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 年末年始を乗り切るには菓子くらい食べたっていいだろう。そこで買ってきたのが画像掲載の菓子類で、他にポテトチップスやコーンスナック類の買い置きもある。まあ万全といったところだ。
 ちなみに朝刊にはこんな記事が載ったらしい、とモバイルサイトのニュースで見た。こんな年末に増税の決定、しかも貧乏人からさらに巻き上げるような増税案など実に卑しいことをやってくれる。普段は政治と宗教、人種問題には触れないマナーでいるつもりだが、記録として残しておきたい。こんな年の瀬に決まった増税案とはどんなものか。増税による税収の運用の成約なしに増税案だけが先行する、そんな政府を許している国家と国民とはどのようなものか。

「わかば」など旧3級品たばこ、4段階増税へ

読売新聞 2014年12月30日 08時55分

 自民、公明両党の税制調査会は29日、2015年度与党税制改正大綱の最終案をまとめた。

 30日に決定する。「わかば」など6銘柄のたばこ製品のたばこ税を安くしている特例を、19年3月末で廃止する。16年4月から毎年、増税し、他のたばこの税率と同額にする。「わかば」(20本入りで税込み260円)や「エコー」(同250円)などは4段階で値上げになる。

 たばこ税は1箱(20本)当たり約245円だが、「旧3級品」と呼ばれる6銘柄は半額程度の約116円。16年4月と17年4月に20円ずつ、18年4月に30円、19年4月に約59円引き上げる。日本たばこ産業(JT)は、増税分だけ販売価格を値上げする見通しだ。

年末年始スペシャル!映画『砂の上の植物群』

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 2014年の日本映画最大の損失は中平康監督作品『砂の上の植物群』(日活1964)の初DVD化の発売延期(事実上の中止)でしょう。中平康監督(故人)の生誕88周年を記念に、7月に5作品が初DVD化同時発売される予定だったのですが、『砂の上の植物群』だけが発売延期(中止)になってしまって、以後何のインフォメーションもない状態が続いています。内容的に今日では条令違犯に該当する行為が描かれているからかもしれませんが、この映画は15年ほど前にはNHK-BSでも放映された実績があり(筆者もその時初めて観ました)、ミケランジェロ・アントニオーニ『太陽はひとりぼっち』の系列に連なるアート・ムーヴィーとして高い評価を受けている作品でもあります。今後、映画『砂の上の植物群』のDVD化が実現する可能性はあるのか、もし発売されても回収騒ぎになる可能性もあります。注目したいと思います。以下は、同DVDの発売予定だった通販サイトからの商品説明の引用です。ではみなさま、これをお読みになるとさぞかしモヤモヤされると思いますが、良いお年をお迎えください。
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[この商品について]
[内容紹介]
こちらの商品は発売延期になりました。発売日は未定です。

映画化困難といわれた吉行淳之介の同名ベストセラー小説を原作に、中平康が多彩なテクニックを駆使した衝撃の像化!

(1)祝!生誕八十八周年、永遠に新しい「モダニスト」そしてヌーヴェルバーグに「発見」され2000年代に再発見された、「速すぎた天才」中平康監督の伝説的5作が待望のDVD化!
(2)吉永小百合他オールスター「光る海」、芦川いづみが女優生命を賭けた衝撃作「結婚相談」、伝説のスラップスティック・ムービー「牛乳屋フランキー」、光速のアクション映画「若くて、悪くて、凄いこいつら」、禁断の倒錯性愛篇「砂の上の植物群」、どの作品もオリジナリティに溢れ、あまりにも魅惑的に光り輝く伝説の5作品を、すべて初パッケージ&初DVD化、HDリマスターにてリリース!
(3)「嫁入りにさしつかえるから、封切り前に辞表を出す」と公開当時日活女子社員が申し出たという、「ヘンタイ性愛」映画。

【ストーリー】化粧品セールスマンの伊木は、夜のマリンタワーで見知らぬ少女に声をかける。名前を明子というその少女は、 全身をこわばらせ、苦痛に訴えながらも伊木と結ばれた。セーラー服を着た明子は、あどけない表情で「早く失くしたかったの」と呟き、 彼に、
「姉さんを誘惑してひどい目に遇わせてほしいの」と頼む。
やがてバ ー「鉄の槌」のホステスをしている京子を見つけ、旅館に誘いこむ伊木。京子は豊満な乳房の周りに三つの青い痣があった。
「噛む男がいるいう京子の乳房を痣の上から力任せに握りながら、「掴んでくれと頼むんだろう!もっと強くって」
という伊木。顔を歪めながら歓喜の呻きをあげる京子。とそのとき、不意に伊木の指の間から白い液体が糸のようにほとばしった...。
京子と伊木の歪んだ密会は続けられ、京子の腕や足首に青紫の線が絶えることはなかった。
そして京子はその痣をかばうことによって異常に燃えるマゾヒストだった。
さすがの伊木も京子との情事でやせおとろえ、妻の江美子に気遣われるようになった。そんなある日、
バー「鉄の槌」から出てきた伊木は、京子の妹・明子とばったり逢い、「ひどいわ。どうなったか教えてくれる約束よ!」と言われる。
伊木はそんな明子のセーラー服にみだらな欲望を覚え、彼女を旅館に誘うのだった...。

【キャスト】仲谷昇 稲野和子 西尾三枝子 高橋昌也 谷口香 福田公子 岸輝子 小池朝雄 島崎雪子 信欽二

【スタッフ】企画:坂上静翁/原作:吉行淳之介/脚本:池田一朗、加藤彰、 中平康/監督:中平康

【特典】
・HDリマスター版・封入解説書(執筆:小西康陽) ※予定・作品データ ※予定・フォトギャラリー ※予定・劇場予告編収録 ※予定
(※特典は制作事情により変更する場合がございます。)
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
『月曜日のユカ』の中平康監督が吉行淳之介のマゾヒズム文学を完全映画化。化粧品のセールスマン・伊木は、高校3年生の明子と関係を持つ。明子は「姉を誘惑して酷い目に遭わせて欲しい」と頼み、伊木は明子の姉・京子と密会を重ねていくが…。
内容(「Oricon」データベースより)
大学を卒業し、それぞれの道を歩みはじめた男女の恋・仕事・セックス・結婚をいきいきと描いた青春群像劇。勝気な文芸才女役の吉永小百合がキュート!田中絹代、森雅之、高峰三枝子などベテラン勢の共演が風格を添える。監督は才人・中平康。

ではみなさま、良いお年を。

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 これが今年最後の投稿作文になると思う。毎年冬は腰痛に悩まされているが、この冬は年内はなんとかまだ無事でいる。その代わり、というわけではないだろうが、玄関のドアポストがこの有り様になってしまった。蓋の部分の右側が外れてしまったらしい。
 今日の昼食は年越しそばを食べた。生麺、乾燥ワカメ、長ネギ、ドライフードの小エビかき揚げ天、めんつゆ、七味唐辛子。そんなものだ。家庭を持っていた男だった頃にはこんな静謐な大晦日はなかった。もっと以前では、昨日12月30日は母の命日だった。もう32年も前になる。とっくに母を亡くしてからの時間の方が長くなっている。別れた娘たちとも、一緒に過ごした時間より別れてからの時間の方が長くなった。母を失っても、妻子を失っても結局どうにかしてきたのだ。
 ドアポストもこのままにはしておけないから、直せるかどうかやってみよう。一人に慣れた男は、こんなことくらいどうにかするものだ。

年末年始スペシャル!原作『砂の上の植物群』

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 明けましておめでとうございます。2014年~2015年の年末年始スペシャルは久しぶりの官能ネタで喜ばしいかぎり。普段このブログはお色気が欠如しているからです。これでも以前は尿酸と官能のブログだった頃があるのですが、最近はすっかりクリーンな記事ばかりになってしまった観があるからです(わざとそうしているのですが)。
 『砂の上の植物群』の原作者は、新潮文庫版のプロフィールを転載するとこうなります。

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吉行淳之介
ヨシユキ・ジュンノスケ
(1924-1994)1924(大正13)年、岡山市生れ。東京大学英文科中退。1954(昭和29)年「驟雨」で芥川賞を受賞。性を主題に精神と肉体の関係を探り、人間性の深淵にせまる多くの作品がある。また、都会的に洗練されたエッセイの名手としても知られる。1994(平成6)年、病没。主要作品は『原色の街』『娼婦の部屋』『砂の上の植物群』『星と月は天の穴』(芸術選奨文部大臣賞)『暗室』(谷崎賞)『夕暮まで』(野間賞)『目玉』等。


 この人は、村上春樹とは正反対に文壇人としての存在感で、現在の村上春樹に匹敵する純文学の人気作家でした。村上春樹は文壇とは関わらない、というスタンスで別格的作家になったわけですが、吉行淳之介は文壇の人事部長みたいな人でした。人気では1978年の『夕暮れまで』までが全盛期だった人です。当時としてはきわどいセックスをテーマに、退廃的で非政治的な立場から作品を書いたので、かえって中立的立場の存在でいられたのでしょう。実際にトラウマやセックスの重視など村上春樹作品との類似はかなり大きいと思えます。80年代中期から晩年は逆に新世代の作家の台頭ので急速に霞んでしまった作家という印象は否めません。
 長編小説『砂の上の植物群』は私小説的な設定がトリックになっていて、父・吉行エイスケ(母は吉行あぐり、妹は吉行和子、吉行理恵)という吉行自身の家庭環境が主人公の父親コンプレックスと近親相姦願望に投影されているように読者には読まれることがミスディレクションになっています。あらすじとしてサイト『Movie Walker』から引用しますが、これは原作小説に準拠したあらすじで、中平康監督作品『砂の上の植物群』は映像的な工夫によってこのあらすじからはかなり異なったものになっています。映画『砂の上の植物群』が1964年8月29日公開、原作小説は2月に刊行されたばかりでベストセラー中でしたが、雑誌連載は『文学界』1963年1月~12月なので単行本化を待たずに映画化が企画されたのでしょう。
 原作小説の結末は以下のあらすじ通りですが、映画ではさらに退廃的で虚無的な、長いラスト・シークエンスが付け足されていて、ある意味現代文学では当たり前になってしまった吉行淳之介の小説手法よりも、はるかに鮮烈で驚異的な映像作品になっています。中平康作品にはアントニオーニの60年代初頭作品から影響がありますが、アントニオーニの70年代作品『さすらいの二人』をはるかに先取りしています。原作も現代文学の里程標というべき小説ですが、比較すると中平康監督作品ははるかに鋭利で衝撃的な作品でしょう。DVD化が流れてしまったら、またNHK-BSででも再放映してくれないものか。50年前の映画が現在の倫理基準でDVD化不可能なんて(権利関係かもしれないが)理不尽きわまりないことです。では、以下映画サイトからのあらすじ引用ですが、これは映画ではなく原作小説からまとめてあるあらすじです。肝心な映像表現の画期性はこのあらすじだけではわかりません。やばいキーワードは「未成年との性行為」「SM行為」「近親相姦」でしょうね。新年そうそういいのか、こんな記事で(笑)。
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[あらすじ]
 化粧品セールスマン伊木一郎は、ある夜マリンタワーの展望台で見知らぬ少女に声をかけられた。真赤な口紅が印象的だった。少女は自ら伊木を旅館にさそった。裸身の少女は想像以上に熟れていたが、いざとなると拒み続けるのだった。二人は名も知らずに別れた。一週間後二人は再び展望台で出逢った。今度は伊木が少女を誘った。少女は苦痛をうったえながらも、伊木の身体をうけ入れた。少女はその夜はじめて名を名乗った。津上明子、高校三年生だった。明子の姉京子は、バー「鉄の槌」のホステスをしていた。親代りの姉は、明子に女の純潔についてやかましかった。が、自らは昼日中から男とホテルにいりびたっていた。明子はそんな京子を激しく憎み、伊木に姉をひどい目にあわせてくれとたのんだ。伊木はそんな京子に興味を感じ、バー「鉄の槌」を訪ねた。その夜、伊木は京子を抱いた。京子は、マゾヒスティックな媚態で伊木にこたえた。伊木と京子のゆがんた密会は続けられ京子のマゾヒスティックな欲望はつのる一方だった。伊木も京子との異常な情事におし流されていった。が、そんな一方、伊木は父と懇意な床屋から、妻の秘密をさぐっていった。床屋は父と妻との関係は否定したが、父と芸者との間に生まれた腹違いの妹がいることを告白した。その名は京子といった。しかも明子の話では、姉妹は父違いだというのだ。伊木は重苦しい疑惑にさいなまされた。そんなとき、明子から姉のことを知りたいと電話があった。伊木は京子を旅館の一室に、あられもない姿のままとじこめ、明子の前にさらした。床屋がいう京子は別人であった。全てが終ったと思った。が、数日後再び会った伊木と京子の脳裏に「いこう」という言葉が同時にひびいた。夕日に染まる海岸通りに二人のシルエットがすいこまれていった。(『Movie Walker』より)
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 映画ではこの後、ヨリを戻し、近親相姦の可能性がなくなった以上もはや背徳感も失い愛着も執着も興奮もない二人が、エレベーター(階ごとに開く)の中で無感動にキスしたまま硬直している長いエンド・シークエンスの頽廃感は圧巻でした。大人の、しかも人生に疲れた人間にはたまらない訴求力のある作品で、いつかまた観られるでしょうか?小説も悪くないですが、映画はさらにその上を行っているのです。

初春のお喜びを申し上げます。

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 深夜0時にも記事をアップしているが、当然昨年中に書いて用意していたものだから、純粋に平成27年に入ってからの作文はこれが最初になる。はい、ごらんの通りドアポストはあっさり直りました。もともとくり抜いてある内側の溝にボルトをはめ込めば良かったので、工具も何も要らなかった。
 だが平成27年!天皇には失礼ながら、昭和があまりに長く続いたせいか、なんとなく明治と昭和に挟まれた大正みたいに10数年で改元するのではないかと思っていたが(天皇の崩御ではなく、一定期間で改元するような元号制度の見直しがあるかもしれないという意味で)、平成改元の時に平成27年を想像できた成人以上の人はほとんどいなかったのではないか。しかも2015年となると、20世紀中葉に書かれたSF小説ではもう全世界はコンピューターで管理された原子力エネルギー工業が成立しているはずだが、あれ?もうそうなってるのか。だが人類の宇宙進出なんていうのはコストや安全面でも実現はまず不可能とわかり、何より平成の足かけ27年で何があったかといえばテクノロジーの発展くらいで、人間性そのもの、社会組織とその倫理は大して変わらなかった。
 社会主義国の民主化なども実はそう画期的なことではなく、資本主義制度と社会主義の折衷が可能になったというだけで、社会主義国の建国は画期的なことだったが解体はそうではない。1900年~1927年の世界史、または1950年~1977年までの世界史を考えると、27年の間に世界各国で政治体制と民衆文化の組み替えが毎年のように激しく行われていた。それに較べると、1989年~2015年など人類は眠って過ぎたようなものだともいえるし、今は何かの予兆を待っている時期なのかもしれない。または、本当に人間社会の可能性は蕩尽しつくされて、もう残りカスみたいな歴史しか続いていかないのかもしれない。ヤキトリ屋こーちゃんが創作料理居酒屋になったような変化しかない世の中が続くのかもしれない。だがそれも一興かもしれない。しれないな、と呟くばかりだ。

ピーナッツ畑でつかまえて(23)

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 私が船乗りをしていた頃は「大航海時代」と呼ばれたものだ、とムーミンパパはパイプに刻みを詰めながら、遠い海洋に思いを馳せる臭い芝居に入り込みました。ですがすぐに気が変わったか、私が登山家だった頃は「山男にゃ惚れるなよ」と言われるくらいに誰も彼もが山登りに血道を上げていたものだ、いやあ若気の至りだね、ときたので、次にスキーの話題になった時は良心のかけらもない偽ムーミンですらこの軽薄で哀れな男と、自分が今なりすましているその息子の存在に無意味であることの憐れみを痛感したほどです。その痛みは鋭利なものではなく、鈍い痛覚がじわじわ後を引くようなものでした。偽ムーミンであることがこれだけ無責任でいられることならば、将来実のムーミンが背負いこまなければならないだろうムーミン谷の「虚」とはどれだけのものなのか、偽ムーミンには直視しがたいものがありました。
 それに君は、前回は君にしてはなかなかの分析力だったとほめてあげてもいいが、もっとぼくたちを能力において隔てる大きな要素を素通りしている。君だって本質はただのうすのろやぼんくらではなく、おそらく人類史的にはローカルなイノセンティの象徴とも言えて、おそらく侵略と略奪、殺戮の建国史を持つ国家だからこそ君のような間抜けがフィクションの人気者になるんだ。つまりさ、とスヌーピーは言いました、ぼくは口先三寸で君を丸め込めるが君にはそれができない。ぼくらが握手すると君は友だちになれたなと思うがぼくはこれでうまく騙せたなと思う。君はそういう少年さ。
 あのーハイグレおねいさん、と野原しんのすけは言いました、これでオラのお手伝いをしてくれないかなあ。ハイグレじゃないわよハイレグ、とおねいさんはしんのすけの差し出したものを見ると、ねえ坊や、これってなんの冗談?
 冗談じゃあないぞ、きびダンゴだゾ。きびダンゴって普通串には差してないものじゃなあい?みっつしか買えなかったから。だんご三兄弟、なんちて。だからハイグレおねいさんは一番目のお手伝いさんだゾ。ね、オラ何でもするから、お願い。
 ハイグレおねいさんはしんのすけの泣き落としをこばめず一人めのけらいになりました。しばらく進むとバスに置いてきぼりにされたバスガイドに出会い、けらいは二人になりました。三人めにけらいになったのはヒッチハイク中のエレベーターガールでした。

2014年度日本アニメ・ベスト3

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 年も明けたことだし、大した数を観ているわけではないが、昨2014年度に劇場公開、またはテレビ放映されたアニメ作品からこれは面白い、お薦めできます、といえるものを選んでみた。2013年度は『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』『ドキドキプリキュア!』ですんなり決まったのと同様に、実際は選んだとも言えないようなもので、『映画クレヨンしんちゃん』の質の高さは定評があるし(ジブリ作品はおろか『ドラえもん』や『ポケモン』『プリキュア』以上に実績と観客からの信頼がある)、『たまこラブストーリー』は京都アニメーション作品『けいおん!』で初監督にしてメガ・ヒットを飛ばした若手女性監督初のアニメ・オリジナルとして十分期待に応えたものだった。劇場公開作品からではこの2作がまず入るだろう。男女全年齢対象なのも好ましい。

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・『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』4月19日(土)東宝系公開(通算22作)
「全国329スクリーンで公開され、2014年4月19、20日の2日間の動員29万4,599人、興収3億3,893万200円をあげ、観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第3位となった。これは興行収入13.0億円という好成績を上げた『バカうまっ!B級グルメサバイバル!!』(2013年)の興行対比150.4%にも及ぶ。公開3週目には興行収入10億円を突破した。更に、公開30日目には興行収入15億5404万5700円を記録し、『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年)の15億円、『嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!』(2007年)の15.5億円を超え歴代3位にランクインした。さらに公開73日間での累計で観客動員数151万2418人、興行収入17億9074万円を記録し、最終興行収入は18億2000万円だった。
 この回の興行成績は、ロボットもの人気の根強さと裾野の広さが裏付けられるものとなった。また、ぴあの調査による初日満足度ランキングでは満足度92.3を獲得し第2位となっている。また、第18回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で優秀賞を受賞。文化庁メディア芸術祭での受賞は『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(2002年)以来12年ぶりとなる。審査委員である森本晃司は贈賞理由として『脚本を担当している中島かずきの構成が実に素晴らしく、エンターテインメントの大切な要素が生かされていると感じる』としている。」(ウィキペディアより)
 しんちゃん映画では、原恵一監督時代の作品、特に『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』と『アッパレ!戦国大合戦』は日本アニメ史上に残る金字塔と名高い。最新作という話題性もあるが、『逆襲のロボとーちゃん』はそれらに並ぶ名作という評価が早くも定着しつつある。来年度の作品の期待値が上がって大変だろう。
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・『たまこラブストーリー』4月26日(土)松竹系公開
「『たまこマーケット』は京都アニメーションの制作による日本のテレビアニメ、およびそのノベライズ作品。テレビアニメは2013年1月より3月まで放送された。全12話。2014年にはアニメ映画による続編『たまこラブストーリー』が公開された。」
「『けいおん!』の監督の山田尚子による完全オリジナルアニメ作品。同じくシリーズ構成に吉田玲子、キャラクターデザインに堀口悠紀子と、『けいおん!』のスタッフが名を連ねている。」
「全国24スクリーンの小規模公開であったが、公開初週の土日2日間成績では動員2万263人、興収3168万8700円で、全国映画動員ランキング(興行通信社調べ)で11位にランクインするなど健闘した。
 本作は第18回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で新人賞を受賞した。」(ウィキペディアより)
 『けいおん!』のメガ・ヒットに較べれば地味な高校生の恋愛を丁寧に描いた作品だが、作劇術やきめ細かなキャラクター造型では着実に進展が見られる。『けいおん!』がまぐれ当たりのヒット作ではなかった実力が感じられ、淡々とした作風ながら繰り返し観るごとに良さが沁みてくるような作品だろう。山田監督は劇場公開作品は『映画けいおん!』に続く二作目だが、『逆襲のロボとーちゃん』と並んで文化庁芸術祭アニメーション部門を優秀賞で獲得する資格は十分あったのではないか。
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 単発テレビ放映作品では、西尾維新原作・シャフト制作=新房昭之総監督(『魔法少女まどか☆マギカ』)の『物語』シリーズは2009年の『化物語』以来『偽物語』『猫物語(黒)』「セカンドシーズン」連作とテレビ放映されてきたが、「セカンドシーズン」の掉尾を飾る『花物語』はシリーズでもシリアスな独立性の強い、全シリーズ中屈指の傑作と高い評価を得た。2014年大晦日には「ファイナルシーズン」三部作の開始となる『憑物語』が一挙放映されたが、定本と言うべきソフト(ディスク)化は2月~3月になるので、今後放映されるファイナルシーズンの続編と併せて2015年度の作品に繰り下げたい。『憑物語』についてはちかぢかテレビ視聴レビューを書きます。
・『花物語』8月16日(土)TOKYO MX-TV他にて全5話一挙放映
「〈物語〉シリーズ セカンドシーズン
2013年7月より同年12月(一部2014年1月)にかけてTOKYO MXほかにて放送された。全26話(総集編3話を含む)。『花物語』のみ2014年8月16日に全5話が一挙放送。」
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 2014年最高の作品と推奨したいのは、2013年~2014年の2クールにまたがって完結したテレビ放映作品で、アニメ専門誌『New Type』でTV部門年間作品賞を獲得した人気作『キルラキル』になる。エヴァンゲリオン以来のロボットアニメで新たな革新性を評価された『天元突破グレンラガン』のスタッフによるものだ。タイトルやディスク・パッケージのヴィジュアルではどんな内容か見当もつかないが、学園番長バトルマンガの定石を借りて少女番長をの抗争を描き、戦闘服に変型するセーラー服(人格があり、生きている素材で作られている知的生命体)に仕組まれたSF設定が次第に惑星侵略レヴェルのスケールと明らかになるとんでもないアイディアが軸になっている。戦闘服モードになるとこの服は着用者の鮮血をエネルギー源とする物騒な代物なのだ。たぶんこの説明では何がなんやらだが、徹底して異常なインパクトを追求した結果超怒級で爽快なエンターテインメント作品に成功している。スケバンバトルで今後この作品を超えるものを作り出すのは難しいだろう。難を上げると、アイディアとしては理詰めなのを映像表現で強引に押し通した観があり、同じ手は今後利かないような作風でもあることかもしれない。ネタバレになるので触れないが、発想自体はこれ以上繰り返すと二番せんじになりかねないパターンを踏襲している。ただし秀逸なひねりによってこの作品は類型性を感じさせず、2014年度テレビ放映アニメの傑作になっており、長く記憶される作品になるだろう。また、この作品は放送コードぎりぎりの過激な内容がアニメならではの表現によってエンターテインメント作品として成立しており、その意味でもアニメ史に残る価値がある。
・『キルラキル』2013年10月4日(金)~2014年3月28日(金)TBS-TV他にて全24話放映
「[受賞歴]
・Newtype×マチ★アソビ アニメアワード2014
・キャラクターデザイン賞:すしお
・脚本賞:中島かずき
・サウンド賞
・作品賞(TV部門)」(ウィキペディアより)
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 以上、はなはだ簡単ながら2014年日本アニメのベスト3+No.1を選んでみた。ヒット実績・作品評価ともに、これだけあれば2014年度のアニメ界はなかなかの成果を上げたと言えるだろう。いずれもすでにディスク化されているから、サイトで予告動画などをご覧いただくなりレンタル店ででも手に取っていただきたい。『たまこラブストーリー』はともかく、面妖な吸引力がたちこめているのは間違いない。
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 最後に文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の2014年度分全体を上げておこう。受賞作中のうち大半は商業作品ではないアート・ムーヴィーだから、商業作品の受賞はかえって異彩を放っているのだ。脚本家の中島かずきさんは『逆襲のロボとーちゃん』と『キルラキル』でダブル受賞になる。興味をお持ちの方はウィキペディアで「文化庁メディア芸術祭アニメーション部門」を調べると、1997年度からの全受賞作を知ることができます。
[文化庁メディア芸術祭アニメーション部門第18回(2014年)]
・大賞
The Wound(短編)
・優秀賞
クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん(劇場公開・長編)
ジョバンニの島(劇場公開・長編)
PADRE(短編)
The Sense of touch(短編)
・新人賞
コップの中の子牛(短編)
たまこラブストーリー(劇場公開・長編)
Man on the chair(短編)
[審査委員会推薦作品]
・長編(劇場公開、TV、OVA)
キルラキル、残響のテロル、ピンポン、蟲師 続章、ブルー 初めての空へ、STAND BY ME ドラえもん、The Stressful Adventures of Boxhead & Roundhead
・短編
想い雲、境界線、森の伝説 第二楽章、Between Times、Blue Eyes - in HARBOR TALE -、Boles、Canis、Decorations、Goodbye Rabbit, Hop Hop、Poker、Portrait、Rainy Days、Something Important、The Swallow、Waiter、Zepo

正月のたぬきそば

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 生麺は昨年暮れにうどんもそばも買ってあったのだが、製造日は大差なくてもうどんとそばでは賞味期限にかなりの開きがある。細菌の繁殖などではなく、製法自体に品質の傷みに結びつく条件がある。
 つまり、同じ日に製造されてもうどんは衛生的な保管では2週間あまりの賞味期限を保つが、そばの場合は10割そばは即日、8割そばでも翌日、4割そばくらいでも三日かそこらしかそばのかたちを保てない。そばというのは、そば粉自体にはほとんど粘着性がないから粘着剤(つなぎ)として用いられるのは主に小麦粉で、他に使われるのは卵白やとろろなどだがまあ普通は小麦粉2割の8割そばならこしもしっかりしている。老舗の10割そばなんていったら旨いことは滅法旨いが、下手に茹でるとグズグズになってしまって素人が自宅の台所で茹でるには向かない。
 うどんの賞味期限が長いのはなぜか、もう説明するまでもなかろう。粘着剤である小麦粉自体でできているから、保存中も調理中も崩れないのだ。生そばなど保存中から水分と粘着剤が分離してボソボソになっていく。そば粉の割合が低く、小麦粉の割合が多いほど賞味期限も麺のこしもしっかりするが、そば粉の少ないそばはやはり「そば粉入りうどん」に近づくわけで、ついでに言えばおおざっぱに、うどんとそばは同量ならうどんの方がカロリーは1.5倍高く、たんぱく質含有量はそばの方が倍近く高い。ローカロリー、高植物性蛋白食品としてそばの方がうどんのみならず中華麺、スパゲッティなどと較べても抜群に優れているのだが、10割そばじゃないとそばではない、などと拘泥するようになっては人間として大切なものを失ってしまうような気がする。
 
 大晦日にそばは食べたばかりだったので本当はうどんを食べたかったのだが、そういう理由で年末に買った生そばの賞味期限が近づいた。近づいたといえば大晦日の紅白歌合戦で審査員に出てきた黒柳徹子さんが、もうすっかり老婆のしゃべり方になっていたのも胸が痛かったが、生麺のそばの場合の賞味期限は衛生面ではなく、その期限を過ぎるとそばの柔軟性が急激に低下してボロボロになってしまうか、なんとか崩さず茹でてもまるで歯ごたえのないふやけたようなものになってしまう。
 ちなみに写りこんでいるのはレスター・ヤング(ts)の編集盤で、デビューから50年代初頭までの公式録音をクロノロジカルに網羅したものだが、前期・中期・後期に分けると初期のレスターはしなやかでのびのびしていた。中期のレスターは音域は低く、フレージングも慎重になる。後期レスターというと、ためらいながらボソボソと吹いていていかにも気乗りがしないようで、時おり奇蹟のように輝かしい瞬間もあるが長くは続かない。なんだかレスターの楽歴について語るとそばの麺の場合のそば粉の割合について語っているような気がしてくる。
 たぬきそば。そういえば2015年に入ってからはこれが最初の麺食になるんだな。一人暮らしの病人としては、この程度の支度は苦もなく出来れば入院生活には戻らなくて済むだろう。最後の入院が2010年12月~2011年3月になる。今年の3月で最後の退院から満4年になるのだ。入院すると女性患者に追い回される、逆恨みを買うというろくでもないジンクスもある。もう勘弁願いたい。ただし入院食はありがたいです。そばやうどんの日だったりするとまるで旗日のような気がしてくるくらい。
 
 再びレスター・ヤングの話にもどると、そばで言えば年とともにそば粉の割合が高くなっていった、つまり手打ちそば的には高級化していったということにはなる。だが演奏はそば粉含有率が高まるほど慎重に、またためらいがちになり、青年時代には汲めども尽きない歌心の宝庫だったような人が、あからさまに集中力の欠如をさらけ出してしまうような演奏ぶりになったのが録音作品にも残されてしまっている。もちろん天才の演奏は腐っても鯛だが、衰弱自体が特徴であるような演奏というのもあんまりだろう。
 しかしレスター50年の生涯で、演奏が次第に純化していった結果がわかりやすく青年~壮年~老年相応の演奏になっているのは、本当に自分を偽らなかった人、生涯むき出しの無垢のまま生きた人とも感じ、聴き返すたびにまるで初めて聴くような瑞々しさがあるのだ。無理矢理むすびつけるが、麺類では飽きないのはそばが一番、みたいなものだ。

ピーナッツ畑でつかまえて(24)

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 キミが口先三寸のビーグル犬だってことは誰もが知ってる、とチャーリー・ブラウンは苦々しい口調で言いました。そしてぼくは飼い犬にも劣る知性の少年の役割、コメディ・リリーフってやつね、そういう役割なのも承知してる。ぼくらはピーナッツ世界の住人だからね。
 だけど今、こんな状況じゃぼくたちはデフォルトの設定が通用しない事態に陥ったと考えるしかない。つまり……もう何度もつまりと言ってきたような気がするが、今やぼくたちは絶体絶命の窮地にいる。キミだってそのくらいは承知のはずだ。
 普段チャーリーがこれほどの長広舌を繰り広げることはめったにありません。しかしスヌーピーの態度はのれんに腕押し、柳に風といった様子なのが偽ムーミンにも妙に不吉な予感を抱かせました。もしピーナッツの世界が崩壊するならば、このムーミン谷もピーナッツ・タウンの平行世界ですから、ドミノ倒し式にムーミン谷の成立基盤も崩壊しないとはかぎらない。その時には、偽ムーミンは今ある偽ムーミンとの同一性を保てなくなってしまうかもしれません。それは偽ムーミンにとって、もっとも望ましくない変化でした。しかし……。
 チャーリーの預かり知らぬところで、偽ムーミンが唯一希望を託せるとしたら、それは野原しんのすけの存在でした。しんちゃんにとってスヌーピーたちが従来通りであり、ムーミン谷が同じムーミン谷として判別されているならば、しんちゃんの認識の中にはピーナッツ世界もムーミン谷もそのままのかたちで存在しているのです。しんちゃんにとって虚構と現実が同一線上に混在している事態は、
・アクション仮面
・カンタムロボ
・ぶりぶりざえもん
 ……の具現化からも明らかです。しかし偽ムーミンたちの世界から見れば、しんのすけの住む世界で実在しているのはただ一人しんのすけだけで、チャーリーとスヌーピーにとってパインクレスト町がそうであるように、春日部市自体がしんのすけの存在によって出現した仮構の空間にすぎないのでした。野原ひろし、みさえ、ひまわり、幼稚園のみんな、もちろん春日部ぼうえい隊もすべてはしんちゃんの悪夢の生んだキャラクターにすぎなかったのです……偽ムーミンから見れば。では、と偽ムーミンは考えました。おれも誰かに見られている、その夢の中の存在にすぎないのだろうか?
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