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豚白モツ煮、または訪問履歴累計170,000人達成祝い

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 昨日の夕食は冷蔵庫に冷凍してあった豚白モツを解凍して甘辛仕立て(しょうゆ2 : みりん1 : 味噌大さじ1 : 砂糖大さじ2 : おろし生姜小さじ1 : 七味唐辛子数振り)に煮込んでモツ煮を作って食べました。すると深夜0時までの累計訪問履歴人数が170,060人になっていたという次第です。17万人越えです。16万人に達したのが今年7月6日ですので(たぶんその頃に記事があるはず。また累計10万人達成は2015年6月6日でした)、約4か月で1万人の累計訪問人数があったことになり、訪ねてくださったかたがたには感謝の念にたえません。
 ブログ開始が2011年5月ですから6年半になります。記事は4,080件を越え、特にガラケーからスマホに変えて以来(2014年9月)は10,000万字を越えて15万字に迫る長い記事も多いので(引用も多いですが)、これまでで400字詰原稿用紙換算60,000枚以上の分量になりました。平均的な文庫版の小説・エッセイが300~400ページで400字詰原稿用紙400~500枚ですから、文庫本にすれば120~150冊分の分量の記事を6年半で掲載した(書いた)ことになります。病身を抱えた老後の自宅療養生活の身とはいえ作文だけは精を出しているわけです。病気で外出制限があるのでマラソンを日課にする代わりに作文しているようなものです。
 ちなみに最近はもっぱら相変わらずのサイレント映画と西部劇、音楽もジャズは相変わらずのビリーとビ・バップとサン・ラですが、ジミ・ヘンドリックスとデレク&ザ・ドミノスのライヴ盤収集、あとはブログ記事の作文のBGMや就寝用に流しっぱなしにしているうちにアイアン・バタフライとスロッビング・グリッスルをほぼコンプリートしました(すぐ前はヴェルヴェット、昨年はクローム、3年前はホークウィンドでした)。マラソンするほうが明らかに健康的なのですが、あとは自炊に工夫を凝らしてなるべく手抜きで食べごたえのある一品料理を、とすると仕込みさえ済ませばCD流してスマホで作文しながら横目で見ているうちにでき上がるソテー料理、鍋料理が手軽でよろしい。ようやく作り置きして常温で数日は持つ秋冬の季節も来たことですし、一気に400gの白モツを煮込んだ次第です。祝17万人達成のお祝いにたまたまかち合ったとは、これはこの秋冬はモツ煮がラッキー・ソウルフードというお告げでしょうか。豚モツ、モツ煮が苦手な方には見苦しい写真をお見せしたことをお詫びして一文を終わります。最後におまけ。

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Throbbing Gristle - Greatest Hits (Rough Trade US, 1980) Full Album : https://youtu.be/aWc5L3mjirE
Recorded by/from Industrial Records in between 1976-1980
Released by Rough Trade US, ROUGH US13, 1980
All compositions by T.G. except A4 by Chris Carter.
This Compilation dedicated to Martin Denny.
(Side Left)
A1. Hamburger Lady - 4:11
A2. Hot on the Heels of Love - 4:21
A3. Subhuman - 2:58
A4. AB/7A - 4:49
A5. Six Six Sixties - 2:07
A6. Blood on the Floor - 1:16
(Side Right)
B1. 20 Jazz Funk Greats - 2:42
B2. Tiab Guls - 4:19
B3. United - 4:05
B4. What a Day - 4:36
B5. Adrenalin - 4:01
B6. (untitled hidden track) - 0:39
[ Throbbing Gristle ]
Genesis P-Orridge - vocals, bass guitar, violin, vibraphone, synthesizer
Cosey Fanni Tutti - guitar, synthesizer, cornet, vocals
Chris Carter - synthesizer, album sequencing, drum programming, vocals
Peter Christopherson - tape, vibraphone, cornet, vocals

ルー・リード Lou Reed - Live in Italy (RCA, 1984)

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ルー・リード Lou Reed - Live in Italy (RCA, 1984) Full Album : https://youtu.be/nxd8dfCYQGM
Recorded live at Arena di Verona (September 7, 1983) and at Stadio Olimpico in Rome (September 10, 1983) by the Rolling Stones Mobile Unit.
Released by RCA Records Italy PL89156-2, January 1984
All songs written by Lou Reed except as indicated.
(Side One)
A1. Sweet Jane - 3:46
A2. I'm Waiting for My Man - 4:00
A3. Martial Law - 4:06
A4. Satellite of Love - 5:06
(Side Two)
B1. Kill Your Sons - 5:35
B2. Betrayed - 3:05
B3. Sally Can't Dance - 3:24
B4. Waves of Fear - 3:16
B5. Average Guy - 2:54
(Side Three)
C1. White Light/White Heat - 3:10
C2. Some Kinda Love / Sister Ray (Reed, John Cale, Sterling Morrison, Maureen Tucker) - 15:30
(Side Four)
D1. Walk on the Wild Side - 4:28
D2. Heroin - 8:34
D3. Rock & Roll - 6:10
[ Personnel ]
Lou Reed - vocals, guitar
Robert Quine - guitar
Fernando Saunders - bass guitar
Fred Maher - drums

(Original RCA Italy "Live in Italy" LP Liner Cover & Side One Label)

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 ルー・リード(1942-2013)はヴェルヴェット・アンダーグラウンド脱退後の1972年から2013年の逝去まで22作のスタジオ・アルバム、13作のライヴ・アルバムがありますが、そのソロ・キャリアの中でも代表作と定評があるのは『Transformer』'72、『Berlin』'73、『The Blue Mask』'82、『Live in Italy』'84、『New York』'89の5作でしょう。また異色作として筆頭に上がるのはギターのフィードバック・ノイズが2枚組LPのABCD各面で16分1秒(D面はエンドレス仕様)ずつ64分4秒に渡って続く『Metal Machine Music』'75ですが、同作は一応例外として(最後の単独名義アルバム『Hudson River Wind Meditations』2007はアンビエント作品、遺作となったメタリカとの共演作『Lulu』2011も同系統のフィードバック・ノイズ作品ですが)、全アルバム35作でも13作に及ぶライヴ・アルバムのうち代表作5作の中に上げられるのが、当初イタリアRCA原盤でヨーロッパ諸国と日本でしか発売されなかった、今回ご紹介する『ライヴ・イン・イタリー』です。英語圏ではイギリスとオーストラリアでは発売されましたが、アメリカ合衆国では今でも未発売になっています。つまりアメリカのリスナーは本作の高い評価が定着した今なお輸入盤で入手するしかないので、逆に言えばアメリカ本国では国内盤が発売されていないのに評価が高まったのはヨーロッパや日本での評価がアメリカに伝わったからでもあり、原盤権を持つイタリアRCAがあえてアメリカ盤の発売を許可しないのか、輸入盤で出回りすぎているのでアメリカ本国のRCAでは国内盤を出さないのかのどちらかでしょう。通常こうしたアルバムは評価自体が安定しないか、評価が定着したからには廉価版ででも全世界発売がされるものですから、本作のような例は珍しいことです。日本ではルー・リードはソロ・デビューしてから紹介された人ですが熱心なファンが多く、『Metal Machine Music』ですら『無限大の幻覚』という邦題で即座に日本盤が発売されたほどでした。また同作は日本盤が世界初CD化だったほどです。
 それほど日本でも支持者が多かったルー・リードですが、やはりリスナーはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの元リーダーとしての面影を求めていたのが'70年代後半~'80年代初頭にかけての人気・評価の低迷を招いた面がありました。ヴェルヴェットの再評価が高まり定着したのがこの時期であり、リードの方はヴェルヴェットのイメージから外れる傾向のサウンドに向かっていたのも同じ'70年代後半~'80年代初頭の時期でした。1982年の『ブルー・マスク』が久々の傑作とされたのも、アルバム・ジャケットが『トランスフォーマー』のもじりで'70年代後半~'80年代初頭に在籍していたアリスタ・レコーズからRCAに復帰した第1弾アルバムで注目されたのもありますが、同作でソロ・デビュー以来初めての、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代と同じ(リード自身を含む)2ギター&ベース、ドラムスの4人編成によるスタジオ・ライヴ形式の録音が試みられていたのが大きいでしょう。翌'83年の『Legendary Hearts』でも同じ4人編成バンドによる制作が行われ(ドラマーのみ全作と交代)、『Legendary Hearts』のメンバーでツアーに出た途中のイタリア公演2箇所から収録されたのが本作、『ライヴ・イン・イタリー』となります。確かにこの編成のライヴはルー・リードにとってヴェルヴェット・アンダーグラウンド以来であり、メンバーも非常にまとまり良く引き締まった演奏を聴かせてくれます。『American Poet』のザ・トッツと較べるのは失礼なくらいタイトで上手いバンドですし、『Rock' N Roll Animal』のディック・ワグナー・バンドのように技巧に走ることもない、非常にオーソドックスな4人編成のギター・バンドで、次にこの編成で世評高いアルバムを出すのは『ニュー・ヨーク』'89になります。ですが本作に違和感を感じるとすればその出しゃばらずそつのないどこかしら中庸なその上手さで、ヴェルヴェットも決して重心の低いバンドではありませんでしたがビート感覚には独特の土着的感覚がありました。較べるとこの『ライヴ・イン・イタリー』のバンドは軽やかで洗練されており、そこが高い評価のゆえんでもありヴェルヴェット時代の曲やソロ初期の『トランスフォーマー』の曲などはどこかセルフ・カヴァーめいた微妙な別物感が感じられる点でもあります。下手なりに下手そのものの演奏をしていたザ・トッツや、まったく別アレンジで曲を一新していたディック・ワグナー・バンドに較べても意外性が感じられない、とも言えるので、本作の内外での高い評価にあまり賛同できない鈍いリスナー(筆者です)のようなぼんくらだっているのです。

映画日記2017年11月4日~6日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(2)

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 前回の3作『リゼネレーション(更正)』'15、『バグダッドの盗賊』'24、『ビッグ・トレイル』'30はいずれもアメリカ国立フィルム登録簿登録作品、つまり国定保存映画作品として永久保存の価値が認められた作品でした。しかしそれらが歴史的価値と内容的価値の両方で認められたとしても、映画として面白くてたまらない作品というならラオール・ウォルシュにはもっと後年に純粋に娯楽映画として監督した楽しい作品が山ほどあります。『ビッグ・トレイル』の完成度はトーキーが実用化されてわずか2年ほどの作品ながら同時代の初期トーキー映画の水準を思うとずば抜けたもので、サイレント映画を15年以上撮ってきた監督が映画のトーキー化にすんなり移行できた例としては驚くべきものでした。同世代の多くの監督がトーキーに手こずる中でウォルシュがなぜ突出していたかは映画史の研究者に解明していただきたい話題ですが、サイレント時代にヒットメーカーだったウォルシュはトーキー以降も順調に監督作を送り出します。監督デビュー1913年、引退作品1964年、全監督作品138本という多作な監督ですしサイレント時代の作品にはフィルムが現存していないものもあり、全貌を知るのは不可能ながら、おおよそウォルシュ作品がもっとも充実していた時期は1930年前後~1950年代半ばのほぼ25年間(!)と思われます。今回からはその時期のウォルシュ作品を観ていきます。

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●11月4日(土)
『彼奴(きやつ)は顔役だ!』The Roaring Twenties (ワーナー'39)*107min, B/W; 日本公開1955年(昭和30年)6月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「裸の街」のプロデューサー、故マーク・ヘリンジャーの原作を「機動部隊」のジェリー・ウォルド、ロバート・ロッセン、それにリチャード・マコーレイの3人が共同脚色し「愛欲と戦場」のラウール・ウォルシュが監督、「カーニバルの女」のアーネスト・ホーラーが撮影を担当した。主なる出演者は「追われる男」のジェームズ・キャグニー、「裸足の伯爵夫人」のハンフリー・ボガート、「毒薬と老嬢」のプリシラ・レーン、「探偵物語」のグラディス・ジョージ、「三人の妻への手紙」のジェフリー・リン、「猿人ジョー・ヤング」のフランク・マクヒュー、など、音楽はレオ・F・フォーブステインの担当。1939年作品。
[ あらすじ ] 第一次大戦も終局に近いフランス戦線で、3人のアメリカ兵が帰還後の方針を語り合っていた。再びガレージで自動車の整備工として返り咲こうというエディ(ジェームズ・キャグニー)、酒場に戻るジョージ(ハンフリー・ボガート)、弁護士になりたいと遠大な希望を抱くロイド(ジェフリー・リン)がそれだ。中でもエディは、いつも慰問文をよこすジーンという女性に会えると思うと胸がときめいた。しかし、エディの後釜には他の男が雇われており、復職できぬ傷心の彼が慰問文の主ジーン(プリシラ・レーン)を訪ねると、彼女はまだ10代の高校生だった。その後、旧友のタクシー運転手ダニー(フランク・マクヒュー)から運転手の口にありついたエディはナイトクラブの経営者パナマ・スミス(グラディス・ジョージ)への密造酒の配達から一時刑務所入りするが、彼女は出所したエディを手先に使い、たちまち一財産を作り上げる。3年が経ち、エディはかつての戦友ロイドを迎え、美しく成長してショーガールになっていたジーンをパナマのナイトクラブへ世話する。エディはジーンに想いをよせるが、彼女はエディの法律顧問のロイドに夢中だった。敵対するボス、ブラウン(ポール・ケリー)の配下になっていたジョージを相棒かつブラウン側の内通者にして金持ちになったエディもブラウンとの抗争からダニーを殺され、報復にブラウンを暗殺した事からジョージと喧嘩別れして落目となり、再び無一文になった。それから5年。 堅気になったロイドと結婚しているジーンの前に、今は顔役のジョージの子分がロイドの担当する案件について脅迫に現れる。思い余ってジーンはエディに救いを求めた。昔の愛人の幸福のためエディはジョージを倒すが、路上でハリーの子分から背後にピストルを射込まれ、駆けつけたパナマの腕の中で息絶える。

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 前回の『ビッグ・トレイル』'30から一気に本作に飛んで無念ですが、'30年代のウォルシュ作品はなぜか映像ソフト化が遅れていて再見できず割愛せざるを得ません。ご了承ください。さて、フィルム・ノワール時代(~オーソン・ウェルズ『黒い罠』'58までが全盛期とされます)の幕開けとされるハンフリー・ボガート主演作『マルタの鷹』'41(ジョン・ヒューストン)に先立つプレ・ノワール作品と名高い本作ですが、やはりウォルシュ'49年の傑作『白熱』のラストシーンを観てゴダールの『気狂いピエロ』'65を連想しない方が無理なように、本作のラストシーンを観てやはりゴダールの『勝手にしやがれ』'60を思い出さない人はいないのではないでしょうか。これでコーモリ傘でも風に吹かれたら大和屋竺の『裏切りの季節』'66のようです。ウォルシュとゴダールの両作が一方はジェームズ・キャグニー主演、他方はジャン=ポール・ベルモンド主演で、ウォルシュとゴダール双方ともこれを一対の作品として制作していることでも両者は共通します。原題『The Roaring Twenties』は第1次世界大戦の復員兵が溢れて雇用環境の悪化が進む一方ではバブル景気が訪れ、禁酒法によってますます治安の乱れた「狂乱の'20年代」という慣用句ですが、邦題の『彼奴(きやつ)は顔役だ!』はばっちり決まっており、戦前の外国映画興行のセンスの良さが端的に表れています。スタンダード「My Melancholy Baby」の変奏が全編に流れ、プリシラ・レーンのオーディション・シーンでも歌われます。流行歌を作中に使うのは当時の娯楽映画の慣習とはいえ、本作のような犯罪映画では皮肉な効果を上げています。ボギーは『化石の森』'36(マーヴィン・ルロイ)で悪役俳優として注目されたものの以後のキャリアは横ばいでしたから、ジェームズ・キャグニー、プリシラ・レーンに続いてキャスト3人目の本作は大抜擢と言うべきでした。プロデューサーのヘリンジャーは早逝した映画人ですが本作はヘリンジャー自身の原案を映画化しており、共同脚本にはロバート・ロッセンも参加しています。本作が監督デビュー26年、第1長編から24年の当時の映画監督では最古参の大ヴェテランの作品と思うと企画の斬新さ、作風の若々しさには驚嘆します。フレッド・ニブロやシュトロハイムらサイレント時代にキャリアを終えた映画監督と同世代ながら、ヒューストンやビリー・ワイルダーら20歳あまり若い20世紀生まれの新進監督たちと競えるほどの清新さがウォルシュにはあったのです。本作が第1次世界大戦から始まって組織化されたギャングが幅を利かす'20年代に舞台を置いているのは、ノワール作品ではありませんがウォルシュ自身の次のキャグニー主演作『いちごブロンド』'41、キャグニーがアカデミー賞主演男優賞を穫った『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』'42(マイケル・カーティス)の先駆となるノスタルジア作品(アメリカ映画では周期的に流行する現象です)の側面もありますし、ホークスの『ヨーク軍曹』'41なども同じ傾向と言えます。その点でも本作は早く、やはりワーナー作品でキャグニー主演、ボギー助演のヒット作『汚れた顔の天使』'38(カーティス)の続編的な企画でもあるでしょう。『ヤンキー・ドゥードゥル~』同様に芸能界ものもノスタルジア作品ははまりやすく、そうするとウェルマンの『スタア誕生』'37もあって、カーティスやウェルマンはホークスと並んでウォルシュと何かとかぶる人で本作の企画が誰に行ってもおかしくなかったかもしれませんが、作品の仕上がりを観るとウォルシュ以外に考えられないのは類型化されたキャラクターを配置しながら人物関係の微妙な距離感、それに連れてキャラクターが類型から変化して個性化して行く過程を描く手腕でしょう。この柔軟な人間性の把握はキャラクターの一貫性によってドラマを組み立て、強いインパクトを狙う演出方法とは微妙に異なるもので、仮に前記の監督たちが本作を演出したらキャグニー、ボギー、ジェフリー・リンの3人の元兵士(この設定はジョン・ドス=パソスの長編小説『三人の兵士』'21に着想を得たものかもしれません)の性格設定はもっと固定されたもので、フォークナーの『兵士の報酬』'26やヘミングウェイの『日はまた昇る』'26のような第1次大戦復員兵の適応障害から来るドラマに集中した作品になっていたかもしれません。その見方で言えば本作はキャラクターがぶれぶれで、映画の序盤と中盤、結末ではどの主要人物も中途半端に性格が変化しており、明確にドラマチックならフランスの「詩的リアリズム」映画のようにもなるのですが本作のキャグニーもボギーも実に格好悪い末路を迎えます。特にボギー演じる悪党の中途半端さったらなく、格好悪いを通り越して情けないことこの上ありません。『望郷』'37(デュヴィヴィエ)や『霧の波止場』'38(カルネ)のジャン・ギャバンのような哀愁の漂う悲劇的アンチ・ヒーローと本作のキャグニーやボギーの性格造型は一見似通っていますが実際はまるで対照的なもので、さすがにボギーが初主演作品になった『ハイ・シェラ』ではここまで情けない悪党ではありませんが、喰えない主人公を描いて成功するのは普通映画では難しいはずです。ノスタルジア作品の意匠はおそらく、舞台背景を現代にしたギャング映画は'30年代半ば以降の映画の倫理規制強化をパスするためのやむを得ない事情で、アメリカの世相史・年代記的な構成が効果を上げている面と、作品の興味を拡散させているマイナス面の両方があります。組合犯罪組織ではなくノワール作品が個人の強盗犯・殺人犯に題材を移行させるのはそうした理由があったからで、本作が過渡期のノワール作品という印象なのは、古いタイプのギャング映画と個人犯罪者の運命劇の両方の性格を持つ橋渡し的な内容にも依っています。プリシラ・レーンはヒッチコックの『逃走迷路』'41のヒロインで、プロデューサー指名による起用でヒッチコックとトリフォーの『映画術』で「平凡で品のない……」(トリフォー)、「そうなんだよ。がっくりきた」(ヒッチコック)とクサされている女優ですが、スタイリッシュなヒッチコック作品ではともかく本作のレーンはこんな鈍くさい女を巡って男の友情に亀裂が生じるかなあ、ともどかしくなる皮肉な役には適役であり、本作の真のヒロインは控えめな酒場のマダムで酸いも甘いも噛み分けたキャグニーの一番の理解者グラディス・ジョージで、女性キャラクターは男と違って状況がどうあろうと性格が一貫しているのにはリアリティがあります。ウォルシュの男性理解、女性理解は的確で現実的で、即物的なムードは素晴らしく説得力に富み、型にはまらない融通無碍な態度があります。水商売に生まれつき世間知に長けて自らをわきまえた大人の女ジョージよりも、キャグニーが憧れるのはまるで市民社会の象徴のような可愛いだけの平凡で世帯臭い鈍重なレーンであり、レーンにとっては退役してカタギの職にも就けないキャグニーは利用価値以外に取り柄のある男ではない。そういう身も蓋もない人間の両義性に基づくリアリティは一般的にはドラマ的な方向性を拡散させてしまうので映画には不向きなのに、本作はごく自然にこうした人間模様を作品に昇華しています。50歳を越えて本作ほどの自在な境地を迎えたウォルシュを職人監督で片づけるのはとうてい正当な評価ではないでしょいう。また本作があってこそ'40年代~'50年代初頭の、ウォルシュのもっとも多作で実り多い作品群への道が開けたと言えるとも思えます。

●11月5日(日)
『暗黒の命令』Dark Command (リパブリック'40)*93min, B/W; 日本公開1952年(昭和27年)4月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「潜航決戦隊」のW・R・バーネットの原作小説に基づき、「海洋児」のグローヴァー・ジョーンズ、「令嬢画伯」のライオネル・ハウザー、「われら自身のもの」のF・ヒュー・ハーバートの3人が共同脚色し、「大雷雨」のラウール・ウォルシュが監督した1939年度作品。撮影は「ダコタ高原」のジャック・マータ、音楽監督はヴィクター・ヤング。主演は「キー・ラーゴ」のクレア・トレヴァーと「リオ・グランデの砦」のジョン・ウェインで、「赤きダニューブ」のウォルター・ピジョン、「愛馬トリッガー」のロイ・ロジャース、ジョージ・ギャビー・ヘイス、ポーター・ホール、マージョリー・メインらが助演している。
[ あらすじ ] 19世紀、南北戦争の起こる前のこと。ボブ(ジョン・ウェイン)はグランチ(ジョージ・ギャビー・ヘイス)と共に、新天地を求めてカンサスに来た。ボブはフレッチ(ロイ・ロジャース)と知り合い、その姉メアリー(クレア・トレヴァー)に惹かれて結婚を申し込んだが、にべもなく断られる。町に保安官の選挙があり、メアリーの恋人の学校教師クアントリル(ウォルター・ピジョン)が立候補していることを知ったボブは自らも立候補して文盲にもかかわらず当選し、クアントリルは憤って母(マージョリー・メイン)の制止も聞かず夜盗の親玉になり街を荒らし始める。その頃、南北戦争が勃発する。フレッチの父マクラウド(ポーター・ホール)は銀行家だが、私腹を肥やしているという噂のためにフレッチは父を侮辱した市民ヘイル(トレヴァー・バーデット)に激怒して銃殺し、クアントリルの民衆を煽動する弁論がかえってフレッチを無罪にするが、クアントリルの夜盗団はますます活動を激化して町を不安に陥れ、市民の怒りは銀行家マクラウドに向かい、マクラウドは暴徒の殺到の中、暗殺される。フレッチはすべてボブの仕業だと思い、仇討ちを決意してクアントリルの一味に加わる。メアリーはクアントリルと結婚したが、彼女が苦境に立った時、助けてくれたのはボブだった。クアントリルは、ボブを幽閉する。それを知ったフレッチはボブの潔白を知り、彼を救い出して脱出する。クアントリルは籠城し、ボブとスレッチは包囲するが、クアントリルの母はメアリーを逃がしてクアントリルを射殺しようとしてライフルの暴発で死亡し、追い詰められたクアントリルはボブとの一騎打ちで斃れる。かくしてメアリーとボブはフレッチとともに、新しい生活を求めてテキサスに旅立つ。

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 一介の大衆作家ながらJ・M・ケイン(『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『深夜の告白』『ミルドレッド・ピアース』)や本作の原作者W・R・バーネットは映画への貢献は偉大な人で、ウォルシュで言えば本作の他にも『ハイ・シェラ』『死の谷』という不朽の作品の原作者でもあります。本作は大平洋戦争開戦直前で外国映画の輸入規制が始まった頃の作品のため戦後公開になったジョン・ウェイン主演の西部劇。初主演作品『ビッグ・トレイル』からちょうど10年、見違えるように誰もが知るジョン・ウェイン(『赤い河』'48で中年の貫禄がつく前の、若いウェインですが)になっています。ヒロインのクレア・トレヴァーは『駅馬車』'39でも主演女優で、『駅馬車』同様本作でもキャストのトップはトレヴァー、次いでウェインとなっています。トレヴァーはのちボギーとバコール主演、ウォルター・ヒューストンとE・G・ロビンソン助演の『キー・ラーゴ』'48(ヒューストン)でアカデミー賞助演女優賞を受けてブーイングを浴びますが、本作『暗黒の命令』でも『駅馬車』同様別にトレヴァーでなくてもいい役。二人の男に挟まれるだけの役ですし出番も大してあるわけでもなく、たまに出演シーンがあっても筋書きの進行上出てくるだけのつまらない役で、フォードにしてもウォルシュにしてもトレヴァーから何の魅力も引き出そうとしていないのは明らかです。本作は成長したウェインを主演に真っ当な西部劇を撮ろう、という企画で、派手なアクションも凝ったプロットもない古いタイプの作品ですがこうした作品はムードを楽しむべきものでしょう。ウォルター・ピジョン演じる悪党には流れ者で文盲(なのに知的で紳士的)なウェインに当確だったはずの保安官立候補を横取りされたばかりか婚約者にまで言い寄られる、と逆切れして夜盗強盗団に走るというそれなりの事情があり、マージョリー・メイン演じるその老母との関係が結末への伏線になっているのもオーソドックスですが、うまい手です。本作くらいの作品ならヘンリー・ハサウェイが撮っても十分かもしれませんがハサウェイならもっとヒロインに見せ場を作ってしまうのではないか。ただしこうしたオーソドックスなタイプの西部劇の場合、あえて感情移入しようとする観客を突き放すような作りにする点ではウォルシュとハサウェイには似た指向があり(ウォルシュはエモーショナルな作品ではとことんエモーショナルな演出をすることもある監督ですが)、それが筋書きの一応の勧善懲悪的要素を臭味のないものにしています。本作は出世したウェインの恩人ウォルシュへの恩返し作品だったのか、ウォルシュからのウェイン出世おめでとうの祝賀作品だったのかわかりませんが、西部劇らしい凄惨なドラマもほどほどにくつろいだ軽い娯楽映画を狙って意図通りの出来になったものでしょう。後味も爽やかで、こういう映画を観た晩はすっきりした気持でよく眠れる、そういうタイプの映画です。

●11月6日(月)
『ハイ・シェラ』High Sierra (ワーナー'41)*100min, B/W; 日本公開1988年(昭和63年)12月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 心の底で汚れない愛と自由を求めたヒューマンな犯罪者の姿を描く。エグゼクティヴ・プロデューサーはハル・B・ウォリス、監督はラウール・ウォルシュ、原作・脚本はW・R・バーネット、共同脚本はジョン・ヒューストン、撮影はトニー・ゴーディオ、音楽はアドルフ・ドイッチェが担当。出演はハンフリー・ボガート、アイダ・ルピノほか。
[ あらすじ ] インディアンの農家の息子から凶悪な銀行強盗犯となったロイ・アール(ハンフリー・ボガート)は、8年ぶりに特赦で出所し、仲間のビッグ・マック(ドナルド・マクブライド)がお膳立てしているロスの高級リゾート・ホテルの強盗の片棒を担ごうとしていた。若い手下のベイブ・コサック(アラン・カーティス)とレッド・ハタリー(アーサー・ケネディ)の待つキャンプ場へ到着したロイは、彼らが一緒に連れて来た娘マリー・ガーソン(アイダ・ルピノ)が邪魔で仕方ない。また強盗の手引きをするフロント係のメンドーサ(コーネル・ワイルド)が怖気づいている様子も気にかかる。そんなロイだったが、道中のガンリンスタンドで出会ったグッドヒュー老夫婦(ヘンリー・マクヒュー、エリザベス・リスドン)の孫娘ヴェルマ(ジョーン・レスリー)に愛情を抱き、足の悪い彼女の手術代の捻出を申し出る。果たして強盗決行、ロイはパトロール中の警官を射殺、逃亡の際にベイブとレッドは運転をあやまり事故死し、ビッグ・マックも心臓発作で死亡、襲ってきた部下のジェイク(バートン・マクレイン)をロイは射殺、彼も傷を負いながらマリーと逃亡する。ロイは「狂犬ロイ・アール」として指名手配される。その途中、全快したヴェルマのもとを訪れたロイは、彼女から婚約者を紹介されてヴェルマへの愛を断ち切り、かねてから彼に寄せられていたマリーの愛情に応える。マリーをバスに乗せ彼女と別れたロイは、車で逃走中強盗で資金稼ぎをし警察の非常線にかかってしまう。ハイ・シェラに追いつめられたロイは、報を知り駆けつけたマリーの見守る中、狙撃手に撃たれ息絶える。

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 42歳にしてハンフリー・ボガート初主演作品ですが、タイトル上ではアイダ・ルピノ、ハンフリー・ボガートの序列でwithアラン・カーティス、アーサー・ケネディ、ジョーン・レスリーと続きます。ジョン・ウェイン同様主演とはいえヒロイン女優の方がまだ知名度が高かったということです。しかし本作のアイダ・ルピノは『暗黒の命令』のクレア・トレヴァーのように単なる筋立て上の役割以上の存在感があり、『彼奴は顔役だ!』のプリシラ・レーンのような皮肉な使われ方でもなく映画が進めば進むほどヒロインの風格を放つような大役を与えられています。映画の冒頭10分は特赦で出所してきた前科者の伝説的強盗犯を演じるボギーの一人舞台で、本作は1949年にウォルシュ自身によって西部劇『死の谷』にリメイクされますが(原作小説は同一、脚本家は一新。『ハイ・シェラ』は原作者W・R・バーネットとジョン・ヒューストンの共同脚本)、アイダ・ルピノとボギーなら『死の谷』のヴァージニア・メイヨとジョエル・マクリーに圧勝と思いきや、両方観ると『死の谷』に軍配を上げる人も多いのではないでしょうか。男たちの犯罪ドラマにヒロインを絡ませた効果が『ハイ・シェラ』ではまだ試行段階で、『死の谷』の方が壮絶かつ鮮烈な印象を残します。その一因は脚に障害を持った少女の治療費、とボギーの強盗計画参加の動機に情を作ってしまった中途半端さで、ドラマに曲折を与えてはいますがせっかくのルピノの起用が役不足になっています。前半からもっとルピノを生かすべきだったか、前半ほとんど空気だったルピノが後半めきめき精彩を放つ意外性ではどちらが良かったかが『死の谷』を観るともっと自然かつ効果的に解決されており、そちらではメイヨがインディアンの混血という設定がマクリーとの逃避行のアウトロー感をいや増していますがこれはメキシコ系の混血女優ルピノからさらに発展させた設定ですし、逃亡劇になる後半は車と無線通信がある現代劇の本作と馬と徒歩で砂漠や岩山を逃げるしかない『死の谷』ではやっぱり西部劇ならではのサスペンスが生まれてくる分後者に分があります。とはいえこれは『死の谷』でウォルシュが自家牢中の題材でリメイクに取り組んだ結果なので、本作もウォルシュが撮ったボギー初主演作として単独に観ればこれ以上望むのはバチが当たるほどの名作です。特にボギーとルピノが車で出ようというのにルピノに懐いた犬がついてきちゃうのがいいなあ、とあっても無くても支障のない場面に見える(しかも金庫強盗決行の晩にもついて来る)が実は結末までの伏線になっている巧妙さ、グッドヒュー老夫婦を演じる役者のいかにも田舎の好々爺然としたじいさんばあさんぶりなど、緊迫感とゆるい場面の対照にあざとさが微塵もなく、「逃亡の際にベイブとレッドは運転をあやまり事故死」分け前を届けるも「ビッグ・マックも心臓発作で死亡」とボギーひとりが強盗実行犯になってしまい、ルピノに呆れられながらグッドヒュー家を訪ねると手術後全快したヴェルマ(『彼奴は顔役だ!』のプリシラ・レーンの役柄の発展型だとここで判明する)はいかにも軽い彼氏と流行歌「I Get A Kick of You」(「私はすっかりあなたのもの」)のレコードをかけて踊っている、二人の女のにらみ合いになる、馴れ馴れしい態度の男にボギーは「お前は嫌いだ」とはっきり言いルピノに促されて去る、と観ていて目が離せません。『死の谷』はより純度の高い傑作と思いますが、だだっ広い西部のコロラドが舞台なのに景色の単調さに変化が乏しいためにかえって『ハイ・シェラ』の方が開放感を感じさせるのも適度に雑味があるからで、こういうのは一長一短にもなるでしょう。ラストの山頂の籠城は『ハイ・シェラ』も『死の谷』も同じですが、ライフルの弾の火薬で遺書を書くボギー、そして犬のバード(象徴的なネーミングです)が最後に果たす役割とボギーが射殺された後ルピノが保安官に「男にとって<抜け出す>ってどういうことなの?」「ああ、自由ってことじゃないかな」そして「Free...」と呟きながら歩き出すルピノを正面から撮ったラスト・カットは『死の谷』とは違った良さがあり(とはいえ訴求力は『死の谷』の結末の方が圧倒的でしょう)、この台詞にしても作品内容にしてもあまりに脚本を書いたヒューストン的で、ヒューストン自身の後年の監督作『アスファルト・ジャングル』'50の原型みたいなものですし、ボギーも本格的にブレイクするのは本作の次に主演したヒューストンの監督第1作『マルタの鷹』'41だったのは納得がいく気もします。本作では従来の犯罪者役のボギーのままの役柄ですから、本当にスター俳優の座に就くには『マルタの鷹』のハードボイルド私立探偵サム・スペード役を得たからこそで、犯罪者役専業のままでは性格俳優に留まっていたでしょう。ちなみにボギー版『マルタの鷹』は再映画化で初映画化はウィリアム・ディターレ監督作(未見)になるそうですし、映画の最後のボギーの台詞は原作小説にはなく脚本も書いたヒューストンの創作ですが、『ハイ・シェラ』のラストの対話同様いかにも名台詞で締めようとする臭みがないではありません。本作のラスト・カットが台詞の臭みを上手く中和しているのは歩き始めたルピノをバスト・アップの正面の構図で固定ショットのカメラをトラック・バック(後退移動)しながら撮影しているさり気なさで、前進運動を固定ショットで撮影するのにトラック・バックはよく使われる手法ですがほとんどカメラを見据えんばかりに人物を真正面から映し、しかも感覚的にも視覚効果としても移動ショットになっているにもかかわらずそれがラスト・カットで断ち切るように終わってしまう例はありそうであまりないのではないでしょうか。言葉で説明するとまるでアントニオーニの映画みたいに実験的なことをやっているような、こういう無技巧の技巧を本能的にやってしまうあたりにウォルシュの映画監督としての表現力の豊かさを感じます。そうしたウォルシュと較べると、ヒューストンは脚本は巧みに書ける監督ですが、脚本レベルではない映像自体の表現力には意外性が乏しく感じられ、サイレント生え抜きの監督とトーキー以降の監督の違いがあるように思わせられるのです。

現代詩の起源(17); 三好達治詩集『測量船』(ii) 「測量船拾遺」

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 三好達治(1900.8-1964.4)昭和29年9月/54歳
 (撮影・浜谷浩)

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 前回だけでは詩集『測量船』全編のご紹介が終わらなかったので今回後半1/3に相当する10編を掲載し、また昭和21年の再刊版『測量船』(南北書園版)に増補された15編の「測量船拾遺」を併せて掲載しました。昭和37年の『定本三好達治全詩集』ではさらに22編が増補され、詩人逝去の前月、昭和39年3月に編集完了した新版『測量船』ではさらに2編、また昭和39年の全集ではさらに15編が追加されましたが(全集では「測量船拾遺」は総計54編)、詩人自身が南北書園版の「あとがき」に書いている通り、同書の初の「測量船拾遺」が三好にとっても最初期の、もっとも愛着のある拾遺詩編を選出したものなのでしょう。内容は『測量船』の詩人がこんな稚拙な詩から詩作を始めていたのかとあきれるようなものですが、それだけに『測量船』本編の完成度が際立ちます。また、南北書園版『測量船』あとがきは三好の優れた散文家の一面を示すもので、あえて「測量船拾遺」の前に置きました。「測量船拾遺」よりもこの回想文・自作解説としての「あとがき」の方に価値があるのではと思えるくらいです。

 詩集『測量船』第一書房「今日の詩人叢書」
 第二巻、昭和5年12月20日刊(外箱)

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        書籍本体

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      三好達治揮毫色紙

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        測 量 船

        三 好 達 治


  M E M O I R E

 秋風に姉が喪くなつた。長い竹箸にその白骨がまた毀れた。竃は煖かつた。あたりには、また秋風がめぐつてゐた。私は子供の頬を舐めた。私は旅に出た。もう恋人からは、稀れな手紙も来なくなつてゐた。海は澄んでゐた。空も青かつた。私は海岸を歩き廻つた。その頃、アリストテレスを読んでゐた。沖に軍艦が泊つてゐた。夕方喇叭(らつぱ)が聞えた。また灯が点つた。山上に祭礼があつた。私は稲田の間を遠く歩いて行つた。林間の、古い長い石階を上つた。それは高い山だつた。私は酒を酌んだ。

 (発表誌不詳)


  E n f a n c e f i n i e

 海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。

  約束はみんな壊れたね。

  海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。

  空には階段があるね。

 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣(わか)れよう。床(ゆか)に私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。

  僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

 (「詩と詩論」昭和6年4月)


  ア ヴ ェ ・ マ リ ア

 鏡に映る、この新しい夏帽子。林に蝉が啼いてゐる。私は椅子に腰を下ろす。私の靴は新しい。海が私を待つてゐる。

 私は汽車に乗るだらう、夜が来たら。
 私は山を越えるだらう、夜が明けたら。

 私は何を見るだらう。
 そして私は、何を思ふだらう。

 ほんとに私は、どこへ行くのだらう。

 窓に咲いたダーリア。窓から入つて来る蝶。私の眺めてゐる雲、高い雲。

 雲は風に送られ
 私は季節に送られ、

 私は犬を呼ぶ。私は口笛を吹いて、樹影に睡つてゐる犬を呼ぶ。私は犬の手を握る。ジャッキーよ、ブブルよ。――まあこんなに、蝉はどこにも啼いてゐる。

 私は急いで十字を切る、
 落葉の積つた胸の、小径の奥に。

 アヴェ・マリア、マリアさま、
 夜が来たら私は汽車に乗るのです、
 私はどこへ行くのでせう。

 私のハンカチは新しい。
 それに私の涙はもう古い。

 ――もう一度会ふ日はないか。
 ――もう一度会ふ日はないだらう。

 そして旅に出れば、知らない人ばかりを見、知らない海の音を聞くだらう。そしてもう誰にも会はないだらう。

 (「詩と詩論」昭和4年9月)


  雉
     安西冬衛君に

 山腹に朴(ほほ)の幹が白い。萱原に鴉の群が下りてゐる。鴉が私を見た。私は遠い山の、電柱の列が細く越えてゐるのを眺めた。私は山襞に隠れていつた。

 道は川に沿ひ、翳り易い日向に、鶺鴒(せきれい)が淡い黄色を流して飛ぶ。

 枯葉に音をたてる赤楝蛇(やまかがし)の、その心ままなる行衛。

 夕暮に私は雉を買つた。夜になつて、川を眺める窓を閉ざした。私は酒を酌んだ。水の音が窓から遠ざかつていつた。

 食膳の朱塗りの上に、私は一粒の散弾を落した。

 (「詩と詩論」昭和4年12月)


  菊
     北川冬彦君に

花ばかりがこの世で私に美しい。
窓に腰かけてゐる私の、ふとある時の私の純潔。

私の膝。私の手足。(飛行機が林を越える。)
――それから私の秘密。

秘密の花弁につつまれたあるひと時の私の純潔。
私の上を雲が流れる。私は楽しい。私は悲しくない。

しかしまた、やがて悲しみが私に帰つてくるだらう。
私には私の悲しみを防ぐすべがない。

私の悩みには理由がない。――それを私は知つてゐる。
花ばかりがこの世で私に美しい。

 (「オルフェオン」昭和5年2月)


  十 一 月 の 視 野 に 於 て

 倫理の矢に命(あた)つて殞(お)ちる倫理の小禽(ことり)。風景の上に忍耐されるそのフラット・スピン!

 小禽は叫ぶ。否、否、否。私は、私から堕ちる血を私の血とは認めない。否!

 しかし、倫理の矢に命つて殞ちる倫理の小禽よ!

   ★

 雲は私に告げる。――見よ! 見よ! 如何に私が常に変貌するところのもの、飛び去るところのものであるか。私は自らを否定する。実に私の宿命から、かく私は私の生命を旅行し、私自らの形象から絶えず私を追放する。否!…… 否!……

 それに私は答へる。――君は、追求することによつて建築し、建築することによつて移動する。ああ智慧と自由の、羨望に価する者よ! ただ、しかしながらその宿命を以て告げるところの、君や、常に敗北の影ある旅行者よ!

 (「文學(第一書房版)」昭和4年12月)


  私 と 雪 と

 今日私をして、なほ口笛を吹かせるのは何だらう?
 古い魅力がまた私を誘つた。私は靴を穿いて、壁から銃を下ろした。私は栖居(すまひ)を出た。折から雪が、わづかに、眩しくもつれて、はや遅い午後を降り重ねてゐた。犬は、しかし思ひ直してまた鎖にとめた。「私は一人で行かう。」そして雪こそ、霏々(ひひ)として織るその軽い織ものから、私に路を教へた。私はそれに従つた、――寧ろいさんで。

 私は林に入つた。はたと、続いて落ちる枯枝の音と鳥の羽搏きと。樹立の垂直はどこまでも重なりあつて、互に隠しあひ、それが冷めたく溜息つく雰囲気で私を支配した。私から何ものかが喪はれた。(ここには、生命があつて灯火がない。)私はそれを好んだ。恐らく私は疲れてゐたから。
 やがて日没の空が見え、林がきれた。そこに時刻の波紋が現れた。私は静かに銃器に装填した。(どこかで雪が落ちた。)私は額をあげ、眼深くした帽子の庇(ひさし)を反らし、樹立にぐつと肩を寄せた。射程が目測され、私の推測が疑ひのない一点の上に結ばれた。床尾の金具が、冷めたく肩に滲みた。私は息を殺した。緊張の中に鋼(はがね)のやうな倦怠が味はれた。そして微かな最後の契機を、ただ軽く食指が残したとき、――然り、獲物はそこに現れた。(しかも、この透視の瞬間にあつて、なほ私が如何に無智な者であつただらう!)獲物の歩並(あしなみ)は注視され、引鉄(ひきがね)が落ちた。泥とともに浅い雪が飛沫をあげた。硫黄の香りが流れた。この素早い嗅覚の現在が、まるで記憶の、漠とした遠い過去のやうに思はれた。
 私は獲物に向つて進んでいつた。しかし、それも狩猟者の喜びでではなかつた。獲物の野猪(しし)は、日暮(にちぼ)に黝(くろ)ずんだ肢体をなほ逞(たく)ましく横たへてゐた。その下で、流れ出る血が泥に吸はれてゐた。ふと、私は促されるやうに背後を顧みた。そして私は総(すべ)てを了解した!
 私の立つてゐた樹立の蔭に、今また私と同じ人影が、黄昏から彼の推測の一点に私を切り離して、狙撃者の眼深にした帽子の庇を反らし、私と同じ外套の襟を立て、その息を殺した照準の中に、既に私を閉ぢこめてゐた。
「よろしい、もはや! 私は斃れるだらう! まるで何かの小説の中の……」
 ――早や、私は横ざまに打ち倒れた。銃声が轟いた……、記憶の遠い谺に。
 そして、しかし今一度意識が私に帰つてきた。私は力めて、ただ眼を強く見開いた。視覚の最後の印象に、恰もそこに私自身を見るやうに、暮色の曇り空を凝視した。その凝視を続けようとした。しかし間もなく瞼は落ちた。私は傷ついて私の獲物の上に折り重なつてゐた。(あの狙撃者が、私に近づいて来るだらう。彼は、あらゆる点で私と一致してゐたから。)そして私の下の野獣が、もはやその刺(とげ)に満ちた死屍が、麻酔に入らうとする私にとつての、優しい魅力であつた。その時私は聴いたのである。私の下の死屍、寧ろ私と同じい静物から、それの中に囁く声を、「私と雪と……」

 (「文學」昭和5年1月)


  郷 愁

 蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角(まちかど)に海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」

 (「オルフェオン」昭和5年2月)


  獅 子

 彼れ、獅子は見た、快適の午睡の果てに、――彼はそこに洗はれて、深淵の午後に、また月のやうに浮び上つた白磁の皿であつた、――微かに見開いた睫毛(まつげ)の間に、汚臭に満された認識の裂きがたいこの約束、コンクリートの王座の上に腕を組む鉄柵のこの空間、彼の楚囚の王国を、今そこに漸く明瞭する旧知の檻を、彼は見たのである。……巧緻に閃めきながら、世に最も軽快な、最も奔放な小さい一羽の天使が、羽ばたきながらそこを漂ひ過ぎさるのを。……蝶は、たとへば影の海から日向の沙漠へ、日向の砂浜から再び影の水そこへと、翩翻(へんぽん)として、現実の隙間に、季節と光線の僅かな煌きらめく彫刻を施しながら、一瞬から一瞬へ、偶然から偶然への、その散策の途すがらに、彼の檻の一隅をも訪れたのである。彼は眼をしばたたいた。その眼を鼻筋によせて、浪うつ鬣(たてがみ)の向日葵のやうに燃えあがる首を起こし、前肢を引寄せ、姿態を逞ましくすつくりとたち上つた。彼は鉄柵の前につめ寄つた。しかしその時、彼はふと寧(むし)ろ反つて自分の動作のあまりに緩慢なのに解きがたい不審を感じた。蝶はもとより、夙やく天の一方にその自由の飛翔を掠(かす)め消え去つた。彼は歩行を促す後躯のために、余儀なく前躯を一方にすばやくひんまげた。そして習慣の重い歩(あし)どりで檻にそつて歩き始めた。彼にとつての実に僅かな、ただ一飛躍にすぎない領土を、そこに描く屈従と倦怠の縦横無尽の線条から、無限の距離に引き伸して彼は半日の旅程に就いた。しかしながら懶(ものう)く王者の項(うなじ)をうな垂れ、しみじみとその厚ぼつたい蹠裏に機(はず)む感覚に耐へ、彼は考へた。ああかの、彼の視覚に閃き、鉄柵の間から、墜ちんとして夙(は)やく飛び去つたところのあの訪問者、あの花の如き一瞬は何であつたか? 彼の生命にまで溌剌たりし、かの明瞭の啓示、晴天をよぎつて早く消え去つた、かの輝やく情緒、それは今自らにまで、如何に解くべき謎であらうか? そして思はず彼は、彼の思索の無力を知つて、ただ奇蹟の再び繰り返される周期にまで思慕をよせた。けれどもその時、檻の前に歩みをとめた人々は小手を翳して、彼の憂鬱の徘徊を眺めながら囁き交した。……運動してゐますね……こんなのに山の中で出遇つたら……いやまつたく、威勢のいい鬣ですな……。しかしながらこの時、彼――獅子は、その視線を落してゐた床(ゆか)の上に、更に一の新しい敵、最も単純にして最も不逞な懐疑の抗弁を読みとつた。彼は床に爪をたてて引つかいた。彼は床をたたきつけた。錯覚! 錯覚であるか? 彼は自らの眼を疑つた。果してそれは錯覚であるか? 彼は猛然と項をあげた。鬣の周囲に激しく渦巻く焔を感じた。そして彼は突嗟のやみがたい鬱憤から、好奇の眼を以て彼の仕草を眺めてゐる群衆にまで、自らをたたきつけ、咆哮して戦を挑んだ。苦しいまでに漲(みなぎ)る気魄にわななきながら、堅く皮膚を引き緊め、腱を張り、尾を槍のやうにして、四肢に千鈞の弾力を歪ませ、咆哮して鋭く身構へた。柵外の群衆は、或は畏怖のしなをつくつて偽善者の額に袂をあげ、或は急いでそれに対抗して楽天家の下つ腹をつき出した。――そして見よ、ああしかしながら、ここに吼ゆるところの獅子は、一箇の実体する思想、呼吸する鞴(ふいご)であつたか? 真に事実が、如何に一層悲痛ではなかつたか? この時、獅子の脳漿よりしてさへ、かの一羽の蝶はまた、再び夙やく天の一方に飛翔し去る時!

 (「詩・現實」昭和5年6月)


  パ ン

パンをつれて、愛犬のパンザをつれて
私は曇り日の海へ行く

パン、脚の短い私のサンチョパンザよ
どうしたんだ、どうしてそんなに嚏(くさめ)をするんだ

パン、これが海だ
海がお前に楽しいか、それとも情けないのか

パン、海と私とは肖(に)てゐるか
肖てゐると思ふなら、もう一度嚏をしてみろ

パンはあちらへ行つた、そして首をふつて嚏をした
木立の中の扶養院から、ラディオの喘息持ちのお談議が聞える

私は崖に立つて、候兵(ものみ)のやうにぼんやりしてゐた
海、古い小さな海よ、人はお前に身を投げる、私はお前を眺めてゐる

追憶は帰つてくるか、雲と雲との間から
恐らくは万事休矣、かうして歌も種切れだ

汽船が滑つてゆく、汽船が流れてゆく
艫(とも)を見せて、それは私の帽子のやうだ

私は帽子をま深にする
さあ帰らう、パン

私のサンチョパンザよ、お前のその短い脚で、もつと貴族的に歩くのだ
さうだ首をあげて、さう尻尾もあげて

あわてものの蟹が、運河の水門から滑つて落ちた
その水音が気に入つた、――腹をたてるな、パン、あれが批評だよ

 (「作品」昭和5年8月)

(以上詩集『測量船』了・後半1/3=10編)


       測 量 船 拾 遺

       三 好 達 治

   同人誌「青空」時代の三好達治

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  あ と が き

 長谷川巳之吉さんの第一書房から、『測量船』の出たのは昭和五年末、これが私の詩集第一冊であつた。丁度このあとがきを認めてゐる時からいつて、まる十七年以前になる。だから詩集の内容のあるものは、二十年の余も以前の旧作になる訳である。「測量船」はそつくりそのまま、後に出した創元社の選書中の一冊『春の岬』にをさめてある。私としては従つて改めて本書を出す必要も認めないのであるが、南北書園の需めによつて、この集を単独に一冊としてみることにした。そしてこの機会に、『測量船』をまとめた当時、自分の考へから集中に省いて入れなかつた当時の作品十数篇を、今度は拾遺として巻末に加へることにした。今日から見ると、当時の自分の考へなるものが、たいして意味のあるものとも思へなくなつたからである。なほそれでも、その時分の作品中既に散逸して見出し得ないものや、また幸ひ手元に存するものでもあまり見苦しいものは、ここには省いて入つてゐない。この後もうこの種の集をまとめるやうなことは、再びあるまいと思はれるから、これが二た昔以前の私の記念物としては、最後の形のものとなるであらう。今度の編纂では、一二辞句の明らかな誤謬――当時の無智や不注意からをかしたものを訂正した外、また数箇の誤植を正しておいた外、作品に手を加へることはしなかつた。過去の私を訂正することは、この書中に於てではなく、当然他の場処に於て私のなさなければならない仕事と考へるからである。
 しかしながら、かうして遠い以前の作品をもう一度そのままで世に出すことは、私としてはたいへん心ぐるしい気持がする。作品として、相当の評価を以て今日の私にうけとれるものは、殆んど集中に一篇も見当らない。私としては、これら過去はすつかり抹殺したい気持が強いのである。校正の筆をとりながらも、まことに冷汗三斗の思ひをした。けれどもそれは、今となつては致し方のないこととして、我慢をしておく。私がこれらの作品を書いた当時の詩壇は、今日からは到底想像もつかないやうなひどい混乱状態に在つて、見識もなく才能も乏しい私のやうなものは、周囲の情勢にもつねに左右され、五里霧中でひきまはされたやうな感がなくもない。その点ででも私は今日たいへん恥かしい思ひをしてゐる。その当時の情勢は、事情の全く異つた今日からは、容易にくはしく説くことを得ないし、それはまた他に人があつて、他のところで説明されることもあらう。私の作品には、さういふ時代の混乱の影がふかく、支離滅裂の感がいちじるしい。用語も浅薄で、気まぐれで、しつかりとした思想の支柱がなく、また無理な語法を無理にも押通して駆使しようと試みた跡が、今日の私には甚だ眼ざはりで醜く見える。それは勿論時勢のせゐといふばかりでなく、私個人の用意の到らなかつたのがその専らな理由で、それやこれや思ひあはせてまことに慚愧に耐へないことが多い。そのやうな無慚なわざをくりかへしながらも、しかし当時の私は、新らしい詩歌の可能性を、貧しい私の才分なりに、力をつくして摸索しつづけたやうに記憶してゐる。これも亦時勢がさういふ時勢であつたといつてもいいかとも思はれる。ともあれさうして新奇を一途に追ひながらも、果してどれほどのものを発見し得たであらうか、答は甚だ心細いが、それはここではもう問題でない。時は去つた。――時は遠く去つた、しかしそれはまた「今日」となほ全く無関係ではないかもしれない。
 もしもこの詩集が、今日の最も年若い時代の詩歌と、全く無関係の、無縁のものと化し了つてゐないならば、幸ひにこの書の再刊もいささか自己弁護の辞を得た訳になるだらう。腋下にひややかな汗をおぼえながらも、私が書園の需めに応じて、この書の再刊を自分に許したのは、凡そ上の一語に理由は尽きてゐる。
 私は今校正の筆を投じて、改めてまたいろんな意味で羞恥や気おくれを覚えるが、併せて謙虚な気持で書園の主にその労を感謝したい。

昭和二十一年歳晩
著者記


  玻 璃 盤 の 胎 児

生れないのに死んでしまつた
玻璃盤の胎児は
酒精(アルコール)のとばりの中に
昼もなほ昏々と睡る

昼もなほ昏々と睡る
やるせない胎児の睡眠は
酒精の銀(しろがね)の夢に
どんよりと曇る亜剌比亜数字の3だ

生れないのに死んでしまつた
胎児よお前の瞑想は
今日もなほ玻璃を破らず
青白い花の形に咲いてゐる
 (「青空」大正15年6月)


  祖 母

祖母は蛍をかきあつめて
桃の実のやうに合せた掌(て)の中から
沢山な蛍をくれるのだ

祖母は月光をかきあつめて
桃の実のやうに合せた掌の中から
沢山な月光をくれるのだ
 (「青空」大正15年6月)


  短 唱

木の枝に卵らみのり
日に日にゆたかにみのり
いつしかに心ふるへて
しらじらと命そだちて
木の枝に卵らみのる
 (「青空」大正15年6月)


  魚

魚の腹は
白ければ光り
魚の腹は
たそがれかけてふくらむ

魚のこゑ
ちいちいと空にきこえ
光れる腹をひるがへす

雲間に魚の産卵をはり
魚はうれしや
たらたら たらたら
風鈴のやうに降りてくる
 (「青空」大正15年6月)


  王 に 別 る る 伶 人 の う た

空に舞ひ
舞ひのぼり
噴水はなげきかなしみ
ひとびと
うなじたれ花をしくなり

哀傷の日なたに
花はちり
花はちり
見たまへかし
王がいでましのすがたなり

風に更紗(さらさ)のかけぎぬふかせ
ゆるやかに象があゆめば
み座(くら)ゆれ
ゆれ光り
金銀の鈴がなるなり

象の鼻
をりふしに空にあげられ
のびちぢみ
楽しげに
楽しげにみゆきするなり

しづしづと
撥橋(はし)はおろされ
枢(くるる)なりきしみ
ひとびと
うつつなる眼をぬぐふなり

かくて
日は昃(かげ)り
日は沈み
影青く丘を越えゆく
王がいでましのすがたなり

いやはての
いやはての
王がいでましのすがたなり
 (「青空」大正15年7月)


  夕 ぐ れ

夕ぐれ
ほの白き石階(きだはし)をのぼり
女こそは
しぬびかに祈りするなれ

眼をつむり
ほのかなる囁きをもて
背(せな)まるう
み仏に祈りするなれ

ひとりなる
皮膚あをきみ寺のわらべ
かかる夕ぐれ
人霊のあゆみを知りけり
 (「青空」大正15年7月)


  ニ ー ナ

ニーナ
眼の隈の青いニーナ
ニーナはゆうかりの葉

その肩も痩せてゐて
いそがしいあしどりで歩いてゆく

ニーナ
ニーナに
誰か虔ましい恋をしませんか
 (「青空」大正15年8月)


  物 語

私の読んでゐる長い長い恋の物語――
それがききたいのか
夜ふけの屋根へ鳥がきてとまつたやうだ
月の光にぬれながら静かに休んでゐるやうだ

私の読んでゐる長い長い罪の物語
それをきいてゐるのか 鳥の身もこんな夜頃は
ぢつと頸をすくめて
いつかしら苔のやうに泣いてゐるやうだ
 (「青空」大正15年8月)


  夜

太郎
夜ふけて白い花をたべる
太郎
太郎よ
その花はうまいか

うまければ露にぬれ
夜ふけて白い花をたべる
太郎
太郎はまことに淋しいのです
 (「青空」大正15年8月)


  私 の 猫

わたしの猫はずゐぶんと齢(とし)をとつてゐるのだ
毛なみもよごれて日暮れの窓枠の上に
うつつなく消えゆく日影を惜むでゐるのだ
蛤のやうな顔に糸をひいて
二つの眼がいつも眠つてゐるのだ
わたしの猫はずゐぶんと齢をとつてゐるのだ
眠つてゐる二つの眼から銀のやうな涙をながし
日が暮れて寒さのために眼がさめると
暗くなつたあたりの風景に驚いて
自分の涙をみるくとまちがへて舐めてしまふのだ
わたしの猫はずゐぶんと齢をとつてゐるのだ
 (「青空」大正15年10月)


  失 題

しづかにしづかに
永劫の時(タイム)を歎いてゐる谷まの傾斜に
年月とても忘れて私は停(たたず)むでゐた
手はしなへ
衣服(きもの)は海藻のやうに濡れて
めしうどのやうに停むでゐた
さみしい銀色の光につつまれ
そのうす青い光のなかで
いつしらず私は年おい
私はあやしげな樹木になつてしまつてゐた
苔いろをした二本の枝を張つた
葉のないあやしげな樹木になつてしまつてゐた
夜になると
樹木はさみしい瞳をすゑ
しづかに星のならんでゆく空を眺めてゐた
風もない空の不思議な一隅から
頭の青い小さな兀鷹のやうな鳥が生れて来ては
皿のやうにまひ降り
しきりに集つてきて翼を休めた
それらの眼はうるむで卑しげに光り
鱗のかさなつたきたない脛(はぎ)をこすりあひ
脛の間からは白い唾きのやうなものを滴らせてゐた
これらの鳥は馬鈴薯のやうな形の頭をかしげ
癒しがたい空腹のためにたえずからだを顫はせてゐた
鳥の心は羊のやうにものほしげで
その皮膚からはたへがたい悪臭を漂はせてゐた
それゆゑに樹木の心はかなしみ
しだいに言葉をうしなひ
明けがたには
たとへやうもない懶い心を虹のやうに橋かけてゐた
 (「青空」大正15年9月)


  黒 い 旗

 私は、しだいにその穹窿を鋭くする頭蓋骨をもつた。日ごとに高まり聳えてゆく鵜の肩をもつた。額に冷めたく切れる眉の根を怡(たの)しみ、薄暮の蟹の如くに己れの肢体を嗜み磨いた。水流の音を聞いては、夜陰、蟷螂の装束をなして石橋の欄干を渡つた。もの音に愕いては、壁に滲透して、蝙蝠の視聴をひそめた。そして明け方には、足跡を消し、舟虫の如くに汀を疾走した。

 見給へ――
 今日もあの市には、夜、無惨な横死をとげた幾人かの市民のための、黒い旗がその塔に樹てられて、静かに翻つてゐるではないか。
 (「青空」大正15年12月)


  梢 の 話

 深い落葉を踏むで、深夜、その背中に一本の白い蝋燭をともし、身を揺りながら、銀杏樹の方へ一頭の熊が近づいてゆく。四囲に籠つて、その荒荒しい呼吸の音が、林の静寂に消えてゆく。

 銀杏樹の梢から、豊かな毛並をもつた、この不思議な獣ものを、ロシア人らしい一人の男が眺めてゐる。

   パパ! ママだよ!
   パパ! ママだよ!

 死んだ子供の声が鳥になつて、空から聞えて来る。死んだ妻が熊になつて、林へ歩いて来る。――そんな事はあり得ない事だ。そんな事はあり得ない事だと、梢で彼は考へてゐる。
 (「青空」大正15年11月)


  昨 日 は ど こ に も あ り ま せ ん

昨日はどこにもありません
あちらの箪笥の抽出しにも
こちらの机の抽出しにも
昨日はどこにもありません

それは昨日の写真でせうか
そこにあなたの立つてゐる
そこにあなたの笑つてゐる
それは昨日の写真でせうか

いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計

昨日はどこにもありません
昨日の部屋はありません
それは今日の窓掛けです
それは今日のスリッパです

今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと

いいえ悲しくありません
何で悲しいものでせう
昨日はどこにもありません
何が悲しいものですか

昨日はどこにもありません
そこにあなたの立つてゐた
そこにあなたの笑つてゐた
昨日はどこにもありません
 (「詩と詩論」昭和4年3月)


  水 の ほ と り

 この水のほとりに立つてゐるのは誰でせう。この、林の中を通つてきたのは誰でせう。(――林の中の小径では、晴れた空路が見えてゐた。)
 この夕暮の中にたたずむのは誰でせう。この、うつむいて煙草を喫つてゐるのは誰でせう。(――煙草の煙は、二度とは同じ形にのぼりません。)
 山と山との間ではほんとに一日が暮れ易い。暮れ易い空を眺めて、そこを流れる小さな雲に、まだ今日の太陽が映つてゐると、あすこにはまだ昼があると、ぼんやりと、この懐ろ手をしてゐるのは誰でせう。この青年は誰でせう。
 林の中を人が通る。林の中を犬が通る。もうこんなに吹曝しの冬になつては、旅芸人の群も渡つてこないし、小舎掛芝居の太鼓の音も聞えはしない。実に静かだ、静かなものだ、と、この落葉を眺めてゐるのは誰でせう。この青年は誰でせう。――いいえ僕ではありません。
 いいえ僕ではありません。この夕暮にたたずむでゐる、この青年の肩の上に、空路から舞ひくる落葉。梢から舞ひくる落葉。舞ひくる舞ひくる舞ひくる落葉。くるくる、くるくるくる。くるくる、くる。くる。ああ空は高い。水は流れる。
 (「詩と詩論」昭和4年3月)

(以上南北書園版詩集『測量船』「測量船拾遺」了・全15編)


(テキスト底本は筑摩書房『三好達治全集 I』昭和39年10月刊を用い、歴史的仮名使いは生かして用字は略字体に改め、廃字の場合はやむなく同義文字で代用し、ルビを補いました。)

Sun Ra - The Night of The Purple Moon (Thoth Intergalactic, 1970)

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Sun Ra And His Intergalactic Infinity Arkestra - The Night of The Purple Moon (Thoth Intergalactic, 1970) Full Album : https://youtu.be/8JIzMfbYsX0
at Variety Recordings Studio, New York, June 1970
Released by El Saturn/Infinity Inc./Thoth Intergalactic ‎- IR522, August 1970
All Composed by Sun Ra
(Side A)
A1. Sun-Earth Rock - 4:37
A2. The All Of Everything - 4:22
A3. Impromptu Festival - 4:00
A4. Blue Soul - 3:44
A5. Narrative - 2:53
A6. Outside The Time Zone - 5:00
(Side B)
B1. The Night Of The Purple Moon - 3:45
B2. A Bird's Eye-View Of Man's World - 2:56
B3. 21st Century Romance - 4:05
B4. Dance Of The Living Image - 4:35
B5. Love In Outer Space - 3:45
[ Sun Ra And His Intergalactic Infinity Arkestra ]
Sun Ra - double Mini-Moog synthesizer(A4,A5,A6), double Roksichord harpsichord(all tracks)
Danny Davis - alto saxophone(A1), alto clarinet(B2,B5), flute(A2,B3), bongo(B4,B5), percussion & drums(A3)
John Gilmore - tenor saxophone(A3), percussion & drums(except.A3)
Stafford James - electric bass(all tracks)

 本作はいくつかの点でアーケストラ作品では例外的に普通の意味でプロフェッショナルなものです。おそらく発売日の決定から逆算してきっちり作られたアルバムなのは自主レーベルのサターン・レコーズ(サブ・レーベルのインターギャラクティック)からの作品にしては珍しく比較的録音データが明確であることでも推察されます。普通の商業的アルバムなら当然のことですが、サン・ラのサターン作品の場合は作ってから発売を決めるのがほとんどなのは、これまでのアルバムでも見られた通りです。70年代に入ってサン・ラのアルバムはサターン以外のさまざまなレーベルから依頼制作されるようになり、本作はサターンのサブ・レーベル作品ながら商業ペースの制作を試してみたアルバムと言えそうです。また本作はアーケストラ名義ですが通常最低でも6人~10人編成のレギュラー・アーケストラではなく、サン・ラ、ダニー・デイヴィス、ジョン・ギルモア、スタフォード・ジェームズによるカルテット作品で、ドラムスは本来看板テナー奏者のギルモアが担当しています。ギルモアのテナーはA3だけで、同曲ではアルト奏者のデイヴィスがドラムスに回り、デイヴィスはアルト(A1)、アルト・クラリネット(B2,B5)、フルート(A2,B3)、ボンゴ(B4,B5)と大活躍。デイヴィスまたはギルモアが管楽器を吹かない曲ではサン・ラとベースのジェームズのデュオ、またはギルモアがドラムスのトリオになります。本作制作の1970年前後はアーケストラにはレギュラー・ドラマーがいなかったため、ライヴは臨時メンバーでこなしてもレコーディングではギルモアがドラムスを買って出たようです。前任ドラマーが精鋭クリフォード・ジャーヴィスでしたから後任メンバー選びも慎重になるでしょう。
 アーケストラのサックス・セクションといえば50年代のシカゴ時代からギルモア、パット・パトリック、マーシャル・アレンが忠実なメンバーで、ダニー・デイヴィスはアーケストラがニューヨーク進出してきてからの『When Sun Comes Out』1963に1曲参加したのが初めてでした。実力派のギルモアは1963年以降他のバンドに招かれしばしば穴を空け、デイヴィスも参加当初17歳だったのでアレンとパトリックのように皆勤賞ではなく、デイヴィスとほぼ同期参加のロバート・カミングス(バス・クラリネット)同様準レギュラーというところでした。本作では管楽器入りの6曲中ギルモアのA3を除き5曲がデイヴィスのアルトサックス、フルート、アルトクラリネットをフィーチャーしたトラックになっています。またベースについては60年代アーケストラを支えた凄腕ロニー・ボイキンス退団以降数作、ベースレス編成によるアルバム作りが続いていました。アコースティック・ベースでボイキンス以上の人材を見つけるのも困難ですが、サン・ラ自身の音楽もアコースティック・ピアノの使用はソロ・ピアノ作品『Monorails and Satellites』1968を制作後では激減し、エレクトリック・キーボードを主要楽器にするようになります。アルバムごとにエレクトリック・チェレステ、クラヴィオーネ、カラマズー・オルガン、ホーナー・クラヴィネットなどを使い分け、前作『My Brother the Wind』1969-1970ではアルバム全篇でミニ・ムーグ・シンセサイザー2台(ミニ・ムーグはモノフォニック=単音楽器だったため)を導入します。音色的にもエレクトリック・ベースへの交替は自然な時期でした。

(Original Thoth Intergalactic "The Night of The Purple Moon" LP Liner Cover & Side A Label)

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 本作はブルースのA1から始まりますが、4ビートながらエレクトリック・ベースと良くも悪くもステディなギルモアのドラムスによってシャッフル系の8ビートの感覚があり、その効果でフリーキーなアルトサックスのソロもフリージャズ的ではなくR&B風に聴こえます。デイヴィスのアルトは鮮やかで、フルート曲ではソロよりキーボードとのアンサンブルが聴き所ですが、いつもはマーシャル・アレンが担当しているフルート・パートを遜色なくこなしており、アレン(1924-)より21、2歳年下のデイヴィスの方がやはり感覚的には新しさを感じます。オリジナル・メンバーのアレンを置いて本作ではデイヴィスがソロイストに抜擢された理由はその辺りにありそうです。
 ギルモアは専任ドラマーではないだけにビートがオーソドックスなのも本作の軽快でノリのいい仕上がりに貢献していますが、一方アルバムの半分はサン・ラのキーボード・ソロかベースとパーカッションとのデュオまたはトリオで、こちらはいわゆる4ビートとは全然違う、サン・ラ流の元祖テクノ・ポップと呼べるようなトラックです。音色的に統一感があるため管・ドラムス入りの4ビート曲と違和感がありませんが、所どころマイルス・デイヴィスの『In A Silent Way』(1969年7月発売)、『Bitches Brew』(1970年4月発売)に近いサウンドが聴かれます。マイルスははっきりと同時代の最先端のロックの先を行くジャズ・ロックを目指したものでしたが、サン・ラはマイルスのアルバムを聴いていたかといえば、少なくとも若いアーケストラのメンバーは全員聴いていたでしょう。本作がサン・ラ作品にしては異例なくらいまとまりがあって聴きやすいのは、いつも以上に明確な音楽的ヴィジョンをメンバー全員が共有していたため、と思われるのです。

映画日記2017年11月7日~9日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(3)

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 1941年はラオール・ウォルシュの全キャリアでも創作力の頂点とも言える年で、この年の4作『ハイ・シェラ』(アイダ・ルピノ、ハンフリー・ボガート主演)、『いちごブロンド』(ジェームズ・キャグニー、オリヴィア・デ・ハヴィランド、リタ・ヘイワース主演)、『壮烈第七騎兵隊』(エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演)、『大雷雨』(E・G・ロビンソン、マレーネ・デートリッヒ、ジョージ・ラフト主演)はいずれも名作、傑作、秀作、佳作のどれかには数えられる作品でした。ウォルシュは年間3作という年はざらにありますが、年間4作公開されてこれほど優れた作品ばかりが揃ったのはキャリア28年・54歳の監督にしては驚異的で、ウォルシュの師グリフィスにも1919年の6作『幸福の谷』『勇士の血』『散り行く花』『スージーの真心』『悪魔絶滅の日』『大疑問』の例がありますが、名作を3作含む(『幸福の谷』『散り行く花』『スージーの真心』)とはいえ'41年のウォルシュ作品ほど粒ぞろいとは言えません。この4作は『ハイ・シェラ』は犯罪映画、『いちごブロンド』と『大雷雨』はまったく趣向の異なる人情劇、『壮烈第七騎兵隊』は歴史的西部劇かつ戦争映画と多彩なジャンルに渡るものですが文句なく面白く鮮烈な印象を残し、別に必ずしも映画が面白く印象的でなければならない法はなくて退屈で印象稀薄な映画の肩も大いに持ちたいとした上でもこれほど面白さを堪能できる映画はやはり大したもので、この4作で1作選ぶならスケールの大きさと見事な完成度で『壮烈第七騎兵隊』が傑出していると思いますが、理想化されたカスター将軍の武勇伝など現代日本人にはほとんど興味をそそられない題材を描いてこれほど引き込まれる作品になっているのは驚くべきことです。かと思うと『いちごブロンド』『大雷雨』は一見単純な人情ドラマが意表を突く語り口でジャンル映画の括りをはみ出る感銘を残す作品で、晴天下のプレ・フィルム・ノワール作品の傑作『ハイ・シェラ』と歴史/戦争/西部劇の傑作『壮烈第七騎兵隊』と交互にこの2作があるのは、それがたった1年の間であるだけにウォルシュの芸域の広さと柔軟性、回ってきた企画拒まずの融通無碍さには文台引き下ろせば反故とでも言わんばかりの思い切りの良さを感じます。またそれが『壮烈第七騎兵隊』のような例外的な傑作以外では職人監督が受けた企画を右から左にこなしている風でもあり、一流監督中でも作品の一貫性・完成度には比較的無頓着に見える原因になっています。すんなり観ると気がつきづらい要素なのですが、ウォルシュの面白い点は、そうした無頓着さが作品の充実感を必ずしも損ねてはいないことにもあります。

●11月7日(火)
『いちごブロンド』The Strawberry Blonde (ワーナー'41)*99min, B/W; 日本公開1947年(昭和22年)6月/アカデミー賞最優秀ミュージカル映画音楽賞ノミネート

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「群集の喚呼」のジェームズ・キャグニーが、「海賊ブラッド」のオリヴィア・デ・ハヴィランド及び「晴れて今宵は」のリタ・ヘイワースを相手に主演する映画で、ジェームズ・ヘイガンの舞台劇の再映画化である。脚本は「カサブランカ」のフィリップ・G・エプスタイン、ジュリアス・J・エプスタインが協力執筆し、「嵐の青春」のジェームズ・ウォン・ホウが撮影した。助演は「ロビンフッドの冒険」のアラン・ヘール、「砂塵」のジャック・カーソン、劇壇に名あるジョージ・トビアス等である。1941年作品。
[ あらすじ ] 1900年のニューヨークの一角、ある日曜日の午後である。ビフ・グライムス(ジェームズ・キャグニー)は通信教授で免状をとった歯科医である。ビフは親友のギリシア人の床屋ニコラス(ジョージ・トビアス)と馬てい投げをしていると、歯を抜いてくれという電話がかかる。休みと断ったが患者の名がヒューゴー・バーンステッド(ジャック・カーソン)と聞くと引き受ける。彼こそビフの仇敵である。抜歯の麻酔に使うガスを多量に興えて殺すつもりなのだ。ヒューゴーを待つ間にビフは10年前を回想する。そのころ彼は下町に居た。町の美人娘、いちごブロンドのヴァジニア(リタ・ヘイワース)にビフはほれていた。そして友達のヒューゴーもほれていた。お人好しのビフはヒューゴーにだしに使われて、ヴァジニアはビフを翻弄した揚句、ヒューゴーと結婚してしまった。ビフはヴァジニアの友達のおとなしいエミイ(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と結婚したが、ヴァジニアに対する気持ちは変らない。その後ヒューゴーは建築会社の副社長にビフを迎えた。ビフは夢のような気持ちで、頼まれるままに書類に署名した。やがてヒューゴーの命令で手抜き工事中の現場が倒壊し、作業員をしていたビフの父(アラン・ヘイル)は重傷を負う。濡れ衣を着せられたビフは逮捕され、懲役10年の実刑判決に甘んじた……そして遂に、ヒューゴーに復讐する機会がやって来たのだが……。

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 魅力的なタイトルが印象的な本作ですが(ちなみにこの作品については活劇映画ではありません)、タイトルが指す「いちごブロンド」を演じるリタ・ヘイワースは実は本当のヒロイン、オリヴィア・デ・ハヴィランドの純真さを対照的に浮かび上がらせるための役柄なので、タイトルのひねり具合も一見素朴な人情ドラマのように見えて意外にややこしい構造を持った映画なのを象徴しているかのようです。キャグニーとハヴィランドはワーナーのスターで初共演作の大作『真夏の夜の夢』'35はハヴィランドの映画デビュー作でしたし、ヘイワースは本作はブレイク直前の出演作でもあり、準ヒロインながらタイトル・ロールなのはむしろ厚遇だったでしょう。一応本作はノスタルジア映画としては(時代背景は違いますが)『彼奴は顔役だ!』の系列に入る作品であるとともに、ヒット劇の映画化でゲイリー・クーパー主演の『或る日曜日の午後』'33(One Sunday Afternoon、監督スティーヴン・ロバーツ)の再映画化になります。そちらは未見ですが文献によるとゲイリー・クーパー版はミュージカル仕立てではないようで、本作も町の楽団が古い流行歌「The Band Played On」「Bill Bailey」「Meet Me in St. Louis, Louie」「Wait Till The Sun Shines Nellie」「Love Me and the World Is Mine」などを合唱団つきで次々と披露し、映画のエンド・ロールには「みなさんも一緒に歌いましょう」と映画本編の各場面をイラストでおさらいしたタイトル字幕で歌詞が流れるほどですが、主要人物たちのドラマがミュージカル演出で展開されるわけではないので映画そのものは歌謡映画ではあってもミュージカルではありません。'30年代のアメリカの娯楽映画には歌曲シーンがつきもので'40年代には減少していきますが、本作も本来は歌曲シーンがなくても成り立つシナリオです。また回想形式で過去をサンドイッチした話法はこの頃からアメリカ映画の流行になる手法で、本作の場合過去から追った構成では展開が飛躍、または間延びしてしまうために回想形式が使われていますが、ウォルシュはフラッシュ・バックはまったく使わず、カット・バックすら最小限にして、視点人物を限定し現在形でストレートに話を進めていくタイプなので、本作は歌謡ノスタルジア映画の意匠で人情劇を描いて構成は一種の平行話法という、一口でどういう映画か語るにはあまりに雑多で焦点を絞りきれず、見方によっては散漫ですらある作品です。各要素を取ってみればあまりに異なる方向に拡散していて、ヨーロッパ映画的な指向性の監督はもちろん作品の統一性に厳しい監督ならシナリオ段階で納得しないでしょうし、脚本家出身の監督なら自分で書き直してしまうでしょう。つまりワイラー、フォード、ホークスといった監督であれば本作はもっと主人公の運命を主軸に、復讐劇に見せて人情ドラマに移っていく、くっきりとした構成の映画になっていたはずです。ワーナーの看板監督でもマイケル・カーティスならばもっとコメディかメロドラマか明快なジャンル映画に作り上げたでしょう。物語の骨格だけ採ればこの映画の原案は相当陰湿な愛憎劇で、何しろ主人公が医療事故に見せかけた殺人を計画するまでを描いているのですから本来明るく楽しい話にはならないようなものです。ところが実際の映画ではほのぼのとするような大人の男の馬蹄投げ遊びの場面から始まり、主人公の回想も結末の投獄以外は楽しい19世紀末ニューヨークの2組の青年男女の恋愛コメディ調で進んでいきます。陰湿どころか映画から伝ってくるのは生き生きとした幸福感なので、脚本家は翌年のワーナー作品『カサブランカ』'42のライターというのも意外ですが、1941年は12月の真珠湾攻撃までアジア圏の大東亜戦争、ヨーロッパの第二次大戦にアメリカの世論が参戦派と非参戦派ともに不安と緊張を抱えていた時期です。日本で言えば昭和16年に明治33年が舞台、かつ明治23年に回想がさかのぼる内容の歌謡ノスタルジア映画が『いちごブロンド』なので、筋立ては一応因果物めいたドラマであるにせよ当時観客が求めていたのは明るかった世相を思い出させてくれる映画、40年~50年前が舞台ですから観客の多くは生まれる前の両親や祖父母の若かった時代背景ですがアメリカが幸福だったと思いたい時代を描いた映画だったでしょう。ウォルシュが作ったのはそうした観客の願いに応えた映画でした。つまり日曜の暇な午後に手の空いた近所の歯医者と床屋が空き地で馬蹄投げ、日本で言えばべー駒遊びに興じているような長閑な世界です。歯医者にはずる賢い旧友と恋敵になって負けたばかりか親友の業務過失で冤罪を背負わされて投獄されて散々な目にも遭ってきた、しかし再会してみればかつて恋い焦がれたいちごブロンドのわがまま女より、その親友で自分の結婚した慎ましい妻と自分の方が殺したいほど憎んでいた旧友よりも幸せではないか。キャグニーは凶悪な犯罪者から小粋な伊達男まで芸の幅の広い名優ですが、ここでは心優しく本当の幸福を知る平凡な一市民を演じて観客を自然な共感に誘います。出所してきたキャグニーが暮らしていた家でずっと待ち続けていたハヴィランドと再会する回想シーンのクライマックスは本編の白眉で、このシーンがあればこそ自分の生活をぶち壊した旧友への復讐心も、またハヴィランドとの幸福への自覚がそれを水に流すのも説得力を持ってきます。ところでいちごブロンドのリタ・ヘイワースですが、キャグニーの視点からは今では単なる悪妻に見えるのはキャグニーの女性観が変わったので、世渡り上手に見えて詰めが甘い実業家の小狡いジャック・カーソンの妻の座に収まって夫の器量の小ささを承知で夫婦を続けていればこんなものなのではないか、という程度に夫を小馬鹿にしつつ別れる気もない妻なので、勝気で美貌や能力で男に渡りあう自信のある女性ならこんなものにも見えますし、回想の中でも若い頃からそういう性格の女性に描かれており、それはそれで魅力的なタイプでもあり、親友のハヴィランドが地味というのもよくある組合せです。この映画は美学的な一貫性はめちゃくちゃで、それは多分ワーナー側の企画に前述した映画の統一性からは相容れない雑多な要求がてんこ盛りにされており、観客ウォルシュが真正面に全部演ってみせた結果によりますが、結果的には人情の機微に触れる味わい深い佳作になっています。ルノワールの『フレンチ・カンカン』'55に匹敵し、ゴダールの『女は女である』'61、ベルイマンの『この女たちのすべてを語らないために』'64のような過剰な自意識もなしにより大胆にコメディの本質(ハッピーエンドで終わるドラマはすべてコメディです)を射抜いています。さすがに次々作の人情劇『大雷雨』(『Manpower』というすごい原題、しかも電線保安員の話)ではウォルシュも「もうちょっとまとまりのあるシナリオをくれ」と掛けあったか、それでもとんでもないキャスティングをされてしまいますが、E・G・ロビンソン、マレーネ・デートリッヒ、ジョージ・ラフトでは『いちごブロンド』路線は無理にもほどがあるので趣向を変え、これもまた不思議な人情劇になっています。ですがそれら2作の人情劇の間に挟まれた『壮烈第七騎兵隊』はウォルシュ作品のうちでももっともウォルシュらしく、しかも完成度の高い、サイレント時代の最高傑作『栄光』'26と並ぶウォルシュを代表する戦争アクション映画の大傑作になりました。本作と同年に『壮烈第七騎兵隊』があるのがウォルシュの空恐ろしいところです。

●11月8日(水)
『壮烈第七騎兵隊』They Died with Their Boots On (ワーナー'41)*142min, B/W; 日本公開1953年(昭和28年)6月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「底抜け落下傘部隊」のハル・B・ウォリスが製作指揮にあたり「テキサス決死隊(1949)」のロバート・フェローズが1942年に製作した騎兵隊物でウォーリー・クラインと「盗賊王子」のイーニアス・マッケンジー共同の脚本を「世界を彼の腕に」のラウール・ウォルシュが監督した。撮影監督はバート・グレノン(「赤い灯」)、音楽は「外套と短剣」のマックス・スタイナーである。「すべての旗に背いて」のエロール・フリンと「風と共に去りぬ」のオリヴィア・デ・ハヴィランドが主演し、「怒りの河」のアーサー・ケネディ、「最後の無法者」のジーン・ロックハート、アンソニー・クイン(「すべての旗に背いて」)などが助演。
[ あらすじ ] ジョージ・アームストロング・カスター(エロール・フリン)は1857年、ウェスト・ポイントの陸軍士官学校に入学したが、成績は開校以来最低といわれた。しかし、勇敢なことも開校以来と定評をとった。南北戦争勃発で卒業が繰り上げられ、彼も恋人リービー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)に別れを告げる暇もなく、北軍に加って出征した。彼はスコット中将(シドニー・グリーンストリート)の目にとまって第2騎兵隊に所属することになり、大勲功をあげて軍の書類の混乱にも手伝わされ副少将にまで昇進した。凱旋したカスターは恩人シェリダン将軍(ジョン・ライテル)の媒酌でめでたくリービーと結婚したが、戦争が終わって退役軍人の生活はあまり幸福ではなかった。そのことを気遣った妻の尽力でカスターは現役に復帰することになりダコタのリンカーン砦にある第7騎兵隊の司令に任命された。彼はだらけきった第7騎兵隊を再建し、付近のインディアンと平和条約を結んで彼らの住むブラック・ヒルには白人は入らないことを約束した。しかしこの地域に金鉱があると聞いたネッド(アーサー・ケネディ)という男がインディアン地域にのり込もうとし、カスターの説得も空しく、ついに全インディアンは鋒起した。劣勢の第7騎兵隊はカスターを先頭に救援の来る前に全滅したが、カスターの遺書によって未亡人リービーとシェリダン将軍の手でネッドの悪行は当局に暴かれ、カスターとインディアンとの間に結ばれた条約は破棄されず守られることになった。

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 邦題の『壮烈第七騎兵隊』も良いタイトルですが原題『They Died with Their Boots On』つまり「彼等はブーツを履いたまま死ぬ」には痺れます。収まりのいい日本語の訳題がないのでカスター将軍最後の決戦からそのまま『壮烈第七騎兵隊』を持ってきたわけですが、内容もカスターがこの映画のような先見的で公正な正義派の良識的軍人ではなかったのはよほどのカスター贔屓でもない限り歴史的人物と事件に題材を借りたフィクションなのはおそらく当時すでにアメリカ人の平均点知識からしても明らかでしょう。史実のカスターは上官の失策につけ込みながら成り上がり、地位を利用して他人を操作し私腹を肥やした挙げ句に、引っ込みがつかなくなって無茶な決戦で戦死し部隊を全滅させた、歴史の曲がり角にどんな国のどんな時代にも普遍的と言っていいほどよく出現するタイプの軍人=政治家と容易に想像がつきます。ところがこのカスターの履歴は解釈次第では史実は史実そのままに誠実深慮に歴史のあるべき姿を予見して自己犠牲的に未来への希望を託した名将の行動に読み替えることも可能で、この着眼点はご都合主義とアイロニーの両方がありますが1941年の西部劇でここまで壮大に歴史観をひっくり返した作品は画期的なのではないかと思われます。西部劇の変質は'30年代半ばからギャング映画を西部劇に置き換えた『バーバリー・コースト』'35、西部劇版「ロミオとジュリエット」の『丘の一本松』'36、西部劇をアクション映画に純化した『駅馬車』'39、その真逆のコミカルな『砂塵』'39、無法者と保安官の位置を逆転させた『西部の男』'40、西部劇にしてアクションも乗馬シーンもないキリスト教信仰劇の『丘の羊飼い』'41と徐々に進んでいており、戦後はさらに屈折していき'60年代~'70年代には一種のアメリカ建国神話否定的な自己破壊的な発想に至るのですが、『壮烈第七騎兵隊』の先駆性はほとんど時代に20年以上先んじていたと言えます。違いを上げればウォルシュ作品はスタッフやキャストがまだ両親や祖父母に南北戦争の体験者がいた時代に作られており、風貌や物腰に古い時代のアメリカ人の面影を残すキャスティングが可能だったのに対し、'60年代~'70年代の西部劇はさらにその子供か孫の世代になって現代人が衣装だけ南北戦争前後の服装をしているようにしか見えない。そうなるとサム・ペキンパーのような監督は従来の西部劇の衣装とはまったく別の、俳優に合わせた現代の衣装を意図的に着崩させて現代の感覚で西部という荒野のスラム街の住人ならば実際にはこんなものだったのではないか、というような虚構のリアリティから発想するようになりした。こうした発想はカリカチュアに近いほど理想化されているがゆえに行動原理はまるで異なりながら実際の行為は史実と符合する『壮烈第七騎兵隊』のカスター像と想像力の働きにおいて通じるものです。それがシナリオの次元だけで成り立つものではないのは本作の主演俳優がエロール・フリン(1909-1959)からでも明白で、この二枚目俳優は日本の感覚で置き換えれば歌舞伎出身俳優のような妙な中性的色気があります。水商売上がりというか、ホスト上がりのようでもあります。こういう喩えはどう言っても失礼なのを承知で言えばうさんくささといかがわしさを備えつつ、それがフリンのサイレント時代の映画俳優のような柄の大きさでもあるわけです。エロール・フリンと本作のヒロイン、オリヴィア・デ・ハヴィランドは美男美女コンビとして'30年代~'40年代に多くの作品で共演していますが、ほとんどは剣戟映画、いわゆる西洋チャンバラ映画です。いわばフリンはトーキー時代のルドルフ・ヴァレンティノ(1896-1925)みたいな俳優で、名うてのプレイボーイとしても知られてきわめて素行は悪く、イギリスの良家のお嬢様育ちのハヴィランドは頑としてフリンを撥ね退け続けたので「仕舞にはパンティの中に生きた蛇やら蜘蛛まで入れて気を惹こうとしたが失敗した」とフリンの自伝にはあるそうです。こういう天然の俳優をどう演出するかと言えば、フリンの持ち味に合わせてカスターのキャラクターを作り直してしまう。それが観客にとっても受け入れやすくフリンの魅力を自然に生かすことにもなるからです。フリン演じるカスターは軍事教練校の入学式に自分の愛馬に乗って特注品のモールがフリフリの軍服で帽子をかぶったナポレオンみたいな格好で現れて教官や教練生たちの度肝を抜き、卒業までの課程を終える段階的で成績はトップですが服務違反や素行は教練校始まって以来の最悪という実にエロール・フリンらしい軍人候補生ぶりを演じます。シナリオ自体のアイディアでしょうがこれを憎めず手に負えずテンポ良く見せる手腕はウォルシュならではのもので、やがて南北戦争が勃発し(リンカーンの大統領就任が実現すれば内戦は避けられない、とカスターが仲間に意外な洞察力を見せるシーンが伏線になっています)、教練校の生徒も北部出身者が帰郷していき、職業軍人に就任したカスターはまだ未知数の戦況で一応成績優秀者なので大した軍功も期待されず異例の抜擢を受けるうちに誰も予期していなかった戦況の急激な進展で軍功を上げてどんどん出世していく。ご都合主義も極まりない展開ですが現在進行形でどんどん進んでいく南北戦争の戦況はプロフェッショナルな軍部上層部にとっても先行きが予期できず、取りあえずカスターに仕切らせて先哨隊を差し向けておけ、とその場しのぎをくり返していくたびに出たとこ任せの勝負に天性の勘を持つカスターが次々成果を上げていき、慎重派や急進派の上官たちが手をこまねいているうちに遂には政府直々に将軍として任命されるまでに至ります。これはジョン・ウェインやランドルフ・スコット、ましてやヘンリー・フォンダなどでは絶対に演じられない出鱈目な出世コースで、もともとチャンバラ映画のアクション・ヒーローであるフリンならではのフィクションの主人公ならではのリアリティがあるからこそ成立する物語であり、伝記的なポイントごとに歴史的な実在人物のカスターと一致しているだけの虚構のカスター像で、そういう意図からウォルシュが演出しているのは明らかなので実在のカスターの理想化・英雄化を図った映画ではないのは映画と現実を混同してしまう観客でもない限り勘違いしてしまうようなことはないでしょう。南部敗戦の直前にフリンは何かと目にかけてもらっていた総指揮官のシェリダン老将軍の親友の娘のハヴィランドと結婚しますが、結局戦争は終結しフリンは名誉の退役軍人として地位と資産には恵まれながら隠居同然の身になって無気力になり、ハヴィランドがシェリダン将軍に直訴してダコタの開拓地で入植者と先住民の抗争をなるべく平和裡に調停する執務官として第七騎兵隊の隊長に赴任し、軍人としての生き甲斐を取り戻します。ところが西部開拓団の脱落者で初老の流れ者の、インディアンと親しくインディアン酋長のクレイジー・ホース(アンソニー・クイン)との交渉に飄々と役目を果たすカリフォルニア・ジョー(チャーリー・グレイプウィン)の協力で先住民と開拓団の住み分けが良好に進む中、鉄道会社が強引に先住民の居住区に金塊発見のデマを流して混乱を巻き起こし、それをきっかけに無法地帯と貸し出し先住民居住区に侵攻する、という暴挙に出ます。クレイジー・ホースは近隣の先住民種族の戦士たちを組織して徹底抗戦の支度を進め、カスターは事態を本来の先住民居住区と開拓団の公平な協定通りに治安を回復させるためには、集結して圧倒的な人数と団結力・地の利を知りした戦術に長けた先住民の軍団と、鉄道会社の開発団を巻き込んだ第七騎兵隊が最後の決戦を挑んで先住民たちの戦力に騎兵隊が全滅する、当然指揮官であるカスター自身も戦死するという自滅的な解決策以外に取る道がなくなってしまいます。カスターは鉄道会社による先住民居住区への不法侵攻を妻とシェリダン将軍に託して決戦に同意した部隊の全員を巻き込んだ壮絶な戦死を遂げます。この凄惨なプロットを同時代の西部劇と較べてみてください。史実のカスター伝ではおそらく事情はまったく異なり、南部敗戦後にまた一儲けを企んだカスターが軍功を利用してダコタの独裁者になり、先住民を騙しつつ鉄道会社の不法侵攻をたっぷり収賄しながら傍観視しているうちに抗争が激化して軍部本部に対しても鉄道会社に対しても引っ込みがつかなくなり、先住民を侮った無謀な決戦で戦死し第七騎兵隊を全滅させ、結果的に先住民居住区と移民団居住区の調停が結ばれることになったというのが実態だと思われます。しかし事件自体は映画で描かれている通りなので、歴史を読み替えるとフリンの演じたカスター像も矛盾なしに成り立つはなれ技がこの映画では行われているのです。フリン演じるカスターは無理矢理戦場に拉致してきた鉄道会社の青年重役のアーサー・ケネディに言ってのけます。「これがお前らの仕掛けた結果だ。後は死か栄光しかない」すぐ後でケネディは先住民の弓矢で射抜かれて斃れ、「あんたの言った意味がわかったよ」と死んでいきます。この最後の決戦はダコタの第七騎兵隊のキャラクターがほとんど一方的な先住民の戦力に次々とワン・ショットで死んでいき、先住民の武器は主に弓矢なので弓矢で射られる→落馬、場合によっては馬ごと転倒と第2班、第3班に助監督を分けて撮影しているにしても戦闘をそのまま再現しているほどの労力をかけたクライマックス・シーンでしょう。カリフォルニア・ジョーも「行けなかったよ、カリフォルニアに」とぼやきながら弓矢で射られて死んでいきます。アンソニー・クインはインディアンの酋長役はクインに尽きる、という時代の出演作ですから素晴らしい存在感ですし、第七騎兵隊は全員ブーツを履いたまま死んでいきます。ウォルシュ作品でもこれほど鋭く完成度が高い、スケールの大きな名実ともに大作はありませんが、当時の観客には映画的虚構とすんなり理解できたカスター像の描き方が今日の観客には文字通りの伝記映画と取られてしまう懸念があるために前述の新機軸の画期的西部劇と較べてアメリカ本国での評価が慎重になっているのではないでしょうか。しかし本作はウォルシュがフリンのキャラクターを最高に、しかも意外性に満ちた方向から生かしてユーモア、皮肉、悲壮感のどれをも兼ね備えた傑作です。ウォルシュのフリン主演作は他にもあり、それらも充実した作品ですが、本作ほど様々な要素が渾然一体となった作品はないのです。

●11月9日(木)
『戦場を駆ける男』Desperate Journey (ワーナー'42)*107min, B/W; 日本公開1952年(昭和27年)3月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「渡洋爆撃隊」のハル・B・ウォリスが製作し、ラウール・ウォルシュが監督した戦場活劇。1942年作品で、「追求」のアーサー・T・ホーマンが脚本を書き下ろしている。撮影は「リオ・グランデの砦」のバート・グレノン、音楽はマックス・スタイナーの担当。主演は「無法者の群」のエロール・フリンと「命ある限り」のロナルド・レーガンで、「まごころ」のナンシー・コールマン、「ダラス」のレイモンド・マッシー、「無法者の群」のアラン・ヘール、「ガラスの動物園」のアーサー・ケネディ、「夜も昼も」のシグ・ルーマンらが助演する。
[ あらすじ ] 今次大戦、英軍の一爆撃機はドイツの重要地点を襲い、対空砲火のため不時着した。8名の乗員中墜落で2名は即死、機長は戦死し、残りの5人フォーブス大尉(エロール・フリン)、ハモンド中尉(ロナルド・レーガン)、フォレスト中尉(アーサー・ケネディ)、ホリス(ロナルド・シンクレア)とエドワーズ(アラン・ヘイル)両軍曹は、ナチにとらえられバウマイスター少佐(レイモンド・マッシー)の訊問中に逃亡し、途中歩哨を倒し列車にしのびこんでベルリンに着き、空家の地下室に身を隠した。彼らは近くのナチの工場に火を放ちまた逃れたが、ロイドは重傷を負い、薬屋でケーテ・ブラームス(ナンシー・コールマン)という娘にあった。彼女の伯父が反ナチの医師であったのでその手当てを受けたがロイドは死んだ。フォーブスたちはケーテの家を訪ねたが、ケーテの両親と称したゲスタポの手先が入れ替わって待ち伏せており、彼らはバウマイスターら一隊に包囲された。ケーテを連れフォーブスたちは激戦の後包囲を逃れる途中エドワーズを失う。フォーブスはケーテに一緒に英国へ来るように誘ったが、両親が強制収容所に送られたと知った彼女は反ナチ運動に働くべく立ち去る。フォーブスたちは追跡を受けつつオランダ国境を越え、ナチ基地にあった英国爆撃機を奪って帰還した。

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 エロール・フリンと並んで主演格のロナルド・レーガンは後にアメリカ大統領になるあのロナルド・レーガンです。本作はイギリス空軍のドイツ潜入特殊部隊の活躍を描いた明快なスパイ・サスペンス映画仕立てのアクション映画で、ワーナーは同年の『カサブランカ』'42でも明快な反ナチ映画を送り出しておりヨーロッパ戦線へのアメリカの積極的な参入をアピールしていましたから、翌'43年のイギリス空軍へのアメリカ空軍派兵に先立つ本作はイギリス空軍の健闘を讃え、ナチス政権(と日本)を共通の敵とする連盟国としての自覚を促す目的で作られたものです。日本公開はGHQ(アメリカ占領軍総本部)がまだ存在し輸入映画検閲をしていた昭和27年ですから、唯一日本について言及される箇所、戦闘機を奪還して目標の軍事拠点空爆を果たして本国イギリスに向かって帰還しながら「やったな。次は日本だ」はアメリカ軍が民間人居住区ごと徹底して空爆を行い、原子爆弾2箇所まで投下して数十万人の民間人を殺傷した記憶の生々しい当時には刺激的に過ぎるので削除されたのではないかと思います。敗戦後の日本ではアメリカの戦時作品中戦争色のないもの、戦争色があっても反ナチ映画は公開が通りましたが反日戦争映画、またアメリカ社会をネガティヴに描いたものは検閲で輸入公開が禁止され、GHQの検閲による公開禁止の内情を明かすことも禁止されました。日本を対象に含まない反ナチ映画の公開が検閲を通ったのは、かつて同盟国だったナチス政権のドイツの非人道的軍事独裁国家の有り様を晒すことで連盟国側の正義とドイツと同盟関係にあった日本の愚を映画観客の意識に擦り込むため割合積極的に公開されたのです。そういう戦後になっての政治的利用を差し引けば、エロール・フリンとロナルド・レーガン主演のこの戦争スパイ・サスペンス映画はすこぶる上出来で、まず8人の乗り込んだイギリス空軍の航空爆撃機が任務完遂ならずに対空砲火で撃墜されます。ここで2名即死。ドイツ兵に発見される前に機体に火を放って全員爆死を装い、重傷を負った機長を抱えて6人は闇の藪の中に隠れますが、機長は息を引き取ります。一旦全焼した空軍機を確認して引き上げようとしたドイツ兵たちは足元の機長の残した血痕に気づいて、残る5人は捕虜になってしまいます。こんなことなら瀕死の機長は諦めて機内に残していた方が、と観ている観客の方が冷酷になってしまいますが、あとはセオリー通りナチ施設の諜報・破壊活動を行いながら逃走中に1人、また1人とやられていき、ドイツ国内でレジスタンス活動を行う若い女に助けられ束の間の連帯感を味わって別れ、最後に残った3名でドイツ占領下のオランダまで逃げのびて捕獲されていたイギリス空軍機を乗っ取り、その空軍機でやり残していた軍事拠点空爆を完遂して帰国の途に就く、と息つく暇もなく展開していきます。完成度を問題にするならば本作は無駄がなく、主題も単一でいわば一筆描きの小佳作としてよくまとまった作品です。本作の後もウォルシュには数本の戦争映画の戦中作品がありますが、その中では本作はサスペンスに目的を絞ったためにプロパガンダ的な臭みも少なく、アメリカ国民に対しての戦意発揚映画ではなくイギリス空軍兵のドイツでの臨機応変な任務遂行を描く戦争娯楽アクション映画になっています。強いて言えばウォルシュでなくても手練れの映画監督なら撮れる映画ですが、太い線でぐいぐい押していく力量はこういうシンプルなウォルシュもいいなあ、と見惚れるほどの切れの良さがあります。これは1回観て堪能すれば十分かな、といったタイプの直線的作品ではありますが、『いちごブロンド』や『壮烈第七騎兵隊』のような一種清濁合わせ飲んだ濃密な味わいの作品に添えてこうしたすっきりした作品を観る爽快感もまた格別で、これもまた捨てがたい魅力のある作品です。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド The Velvet Underground - Redux / Live MCMXCIII (Warner, 1993)

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 (Reissued Warner DVD Edition Front Cover)

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ヴェルヴェット・アンダーグラウンド The Velvet Underground - Redux / Live MCMXCIII (Warner, 1993) Full Video : https://youtu.be/C_ExmXKFgMI
Recorded live at Olympia Theatre, Paris, June 15 to 17, 1993
Released by Warner Reprise Video ‎– 9 383363-6, 1993
All Songs by Lou Reed except as noted.
(Tracklist)
1. Venus In Furs - 5:44
2. White Light / White Heat - 4:20
3. Beginning To See The Light - 5:04
4. Some Kinda Love - 6:37
5. Femme Fatale - 3:44
6. Hey Mr. Rain (Tucker, Reed, Morrison, Cale) - 15:42
7. I'm Sticking With You (Cale, Reed) - 3:30
8. I Heard Her Call My Name - 4:43
9. I'll Be Your Mirror - 3:15
10. Rock 'N' Roll - 6:13
(11. Sweet Jane) : https://youtu.be/jLW8VKWvWuA - 5:19
12. I'm Waiting For The Man - 5:17
13. Heroin - 9:27
14. Pale Blue Eyes - 7:45
15. Coyote (Reed, Cale) - 5:58
[ The Velvet Underground ]
Lou Reed - lead vocals, rhythm guitar, lead guitar
John Cale - electric viola, piano, bass guitar, vocals, lead vocals on 5,12
Sterling Morrison - rhythm guitar, lead guitar, bass guitar, backing vocals
Maureen Tucker - drums, percussion, lead vocal on 7

(Reissued Warner 1DVD+1CD "Sight & Sound" Edition Front Cover)

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 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの再結成は何度となく企画されては実現せず、ソロ活動を始めていたニコ、ジョン・ケイル(ケイルはニコのプロデューサーでもありました)、ルー・リードの3人が1972年1月にパリのバタクラン劇場で行ったアコースティック・ライヴ(2004年に正式CD化)がもっともオリジナル・メンバーのヴェルヴェット再結成に近いコンサートでしたが、1973年にヴェルヴェット名義の後期メンバー、ダグ・ユールのバンドが活動停止した後は1990年にユールが再びヴェルヴェット名義でライヴ活動を行い、また同年にはジョン・ケイルとルー・リードが1987年のアンディ・ウォホールの逝去(また1988年のニコの急逝)を受けて共作アルバム『Songs For Dorella』を制作発表、スタジオ・ライヴによるヴィデオ・ヴァージョン、東京での1回のみの再現ライヴを行いました。ただし同アルバムはケイルとリードの新曲のみ、演奏と歌も完全なデュオ・アルバムだったのでヴェルヴェットの再結成というよりもソロ・アーティストとして確たる地位を築いた両者のコラボレーションというニュアンスの方が強いものでした。
 ついにヨーロッパ公演の1ツアー限定でオリジナル・メンバーのヴェルヴェット・アンダーグラウンドの再結成が行われたのは1993年のことで、6月にパリのオランピア劇場で3日に渡って行われた公演が2枚組CDでは23曲、ヴィデオ・ヴァージョンでは15曲、1CD版では選曲違いの10曲版と15曲版でリリースされ、今回ご紹介したのはヴィデオ・ヴァージョンです。現在ではDVDでリリースされていますが内容はVHSヴィデオのリリース時と変わりありません。このツアーのセット・リストは23曲版の2枚組CDで網羅されているようですからDVD化に当たって同内容に増補が望ましかったものですが、メンバーたちはこれで良しとしたのでしょう。ヴェルヴェットは'96年にロックの殿堂入りを果たし、またアメリカのローリング・ストーン誌の2004年の「史上もっとも偉大なロック・アーティスト」ではヴェルヴェット・アンダーグラウンドは第19位にランクされています。この再結成ライヴの聴き所はケイル脱退後の後期ヴェルヴェットの曲をダグ・ユールではなくケイル入りで演奏している点(ユールは招かれず、招かれたら参加したとコメントしています)、デビュー作でニコがゲスト・ヴォーカルを勤めていた曲をケイルとリード、主にケイルの歌で聴ける珍しさと、2曲の新曲が聴ける点でしょう。新曲のうち2-3は全員共作の短いお遊び的な「童謡」ですが、2-12はリードとケイルの真面目な共作です。2枚組CDに収められた全23曲は文末の通りですが、8曲の未収録曲は惜しいとしてもこのライヴは15曲入りの映像版で観る方が楽しめるでしょう。モーリン・タッカーのドラム・セットのセッティングやドラミングがいかにヴェルヴェットを独自のサウンドにしていたかがわかる上に、タッカーやモリソンのヴェルヴェット時代と変わらないプレイと較べてリードとケイルにとってはヴェルヴェットの曲はセルフ・カヴァー(後期ヴェルヴェット曲でのケイルの場合は単なるカヴァー)でしかないのが伝わってきます。この一時的再結成の意義はギターのスターリング・モリソンが1995年に逝去し、これがオリジナル・メンバーのヴェルヴェットが演奏する最後の機会になったことに尽きます。ですが、25歳で演っていたことを50歳で演ってこうなるのは無理もなく、実現しただけである種の感慨があるのも事実でしょう。

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The Velvet Underground - Live MCMXCIII (Warner/Sire, 1993) Full Album : https://youtu.be/h-ZOfZfO3Qw
(Disc 1)
1-1. We're Gonna Have A Real Good Time Together
1-2. Venus In Furs
1-3. Guess I'm Falling In Love
1-4. Afterhours
1-5. All Tomorrow's Parties
1-6. Some Kind Of Love
1-7. I'll Be Your Mirror
1-8. Beginning To See The Light
1-6. The Gift
1-10. I Heard Her Call My Name
1-11. Femme Fatale
(Disc 2)
2-1. Hey Mr. Rain
2-2. Sweet Jane
2-3. Velvet Nursery Rhyme
2-4. White Light/White Heat
2-5. I'm Sticking With You
2-6. Black Angel's Death Song
2-7. Rock 'N' Roll
2-8. I Can't Stand It
2-9. I'm Waiting For The Man
2-10. Heroin
2-11. Pale Blue Eyes
2-12. Coyote

映画日記2017年11月10日~12日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(4)

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 ラオール・ウォルシュは1941年~1945年にかけてエロール・フリン主演作品をほぼ連続6作(『壮烈第七騎兵隊』'41、『戦場を駆ける男』'42、『鉄腕ジム』'42、『北部への追撃』'43、『Uncertain Glory』'44(日本未公開、テレビ放映・映像ソフト発売なし)、『決死のビルマ戦線』'45)を撮り、飛んで『賭博の町』'47もフリン主演作ですがこれはハンフリー・ボガート用の企画がボギーの都合でフリンに回ってきたものです。『壮烈第七騎兵隊』は主にマイケル・カーティスが監督していたワーナーの名物シリーズであるフリンとオリヴィア・デ・ハヴィランド主演共演作で主に剣戟映画の『海賊ブラッド』'35、『ロビンフッドの冒険』'38、『結婚スクラム』'38、『無法者の群』'39、『女王エリザベス』'39、『カンサス騎兵隊』'40と続いた最後のコンビ作でした。'30年代後半のフリンの人気のほどがうかがえます。ウォルシュの'41年~'45年のフリン作品の間には『壮烈第七騎兵隊』の後にE・G・ロビンソン、マレーネ・デートリッヒ、ジョージ・ラフト主演の人情劇『大雷雨』'41があり、フリン主演作中日本未公開・映像ソフト未発売の『Uncertain Glory』はナチス絡みの犯罪映画のようですから広義には戦争映画なので、'41年~'45年のフリン作品はボクシング映画『鉄腕ジム』を除くと6作中5作が戦争映画になります。'30年代~'50年代のハリウッド黄金時代には映画監督は第二次世界大戦前後にキャリアがまたがっているので、戦争映画と戦時下の逃避的傾向としての西部劇、メロドラマ、フィルム・ノワールまでさまざまな企画を手がけており、こと戦争映画について言えばフォードやワイラーのように上手くプロパガンダ臭を免れることができた監督は稀で、大半の監督は露骨な反独・反日戦争映画を撮ることになります。それでも前回ご紹介した第二次世界大戦もの第1作『戦場を駆ける男』はスパイ・サスペンスに興味を徹して成功した作品でした。この時期の戦中作品は戦争が題材の場合、戦後の日本劇場公開が見送られているのでキネマ旬報のデータにも映像ソフト発売の記載しかなく、未公開作品(第1長編『リゼネレーション(更正)』'15を含む)は今回、2回ずつ観直してあらすじをまとめましたので、案外手こずってしまい、それが感想に反映している面もあるのを弁解させてください。

●11月10日(金)
『北部への追撃』Northern Pursuit (ワーナー'43)*93min, B/W; 日本未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)

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○あらすじ Uボートから飛び立ったドイツ空軍機から密命を帯びた小隊がパラシュートでカナダ山中に降下するが、たちどころに雪崩に呑み込まれる。カナダ国立森林警備隊員のワグナー(エロール・フリン)とオースティン(ジョン・リッジリー)は雪山の奥で遭難した唯一の生き残りのケラー大佐(ヘルムート・ダンティーネ)を発見する。オースティンは大佐を捕虜に連行するため本部に連絡を取るが、ワグナーがドイツ系移民と気づいたケラー大佐はワグナーをドイツ軍の計画協力者に勧誘する。拘束されたケラー大佐は他のドイツ兵捕虜と共に捕虜収容所から脱獄、逃亡する。一方ワグナー隊員はケラー大佐発見時の状況を服務違反として起訴、投獄されるが、代理人と名乗る男ウィリス(ジーン・ロックハート)が1000ドルの保釈金を払ってワグナーを釈放させる。ウィリスはワグナーをケラー大佐率いる捜索隊の元に連れて行き、ケラー大佐はワグナーに北方の雪中の鉱山で目的地へのガイドを強制する。失踪したワグナーを追っていた婚約者のローラ(ジュリー・ビショップ)がウィリスに騙されて人質として同行させられており、ローラは実はワグナーがカナダ国立警察隊の指令でケラー大佐の動向をスパイしていることを知る。ワグナーは先住民のガイド夫婦と共にナチスの小隊を案内していくが行程は厳しく、凍傷で動けなくなった中年男のウィリスはケラー大佐に射殺され、隙を突いて警察隊へ連絡するため逃走しようとした先住民のガイドの夫も殺される。ワグナーが残していった痕跡を辿ってオースティンが追いつくが、ケラー大佐は即座にオースティンを射殺する。目的地を目前にしてワグナーはストライキを決め込み、ローラと先住民の妻の解放をガイドの条件にして女性二人を帰させるのに成功する。目的地に着いてケラー大佐は得々とワグナーに作戦の全容を語る。この目的地一帯に爆撃機1機分の全パーツが投下してあり、それを組み立ててアメリカ・カナダ間に渡る戦争物資の大西洋輸送の要となる水路を爆撃、分断するのがケラー大佐への密命だった。完成した爆撃機が離陸する直前ワグナーはハッチから忍び込みナチス隊員たちを一人ずつ倒し、または相撃ちさせ、パイロットとケラー大佐の倒れた爆撃機が墜落する最中にワグナーはパラシュートで脱出、爆撃機は墜落して大破炎上する。ローラの呼んだ警察隊に保護されたワグナーは表彰され、怪我の癒えるのを待ってローラと挙式する。

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 あらすじを飛ばしてこちらの感想文をご覧の方は、もし本作を観る機会がありましたら先入観なしに鑑賞されるのをお勧めします。なるべく結末を明かさない(いわゆるネタバレ)なしに書いていきますが、本作はカナダに密入国したナチスのドイツ軍将校がどんな秘密指令を遂行するために主人公のフリンを拉致して雪山の奥深くまで目指していくのかわからない、というミステリー仕立てのサスペンスがあり、またドイツ系移民のフリンも途中までナチス協力者に転向してしまったのか、フリンの行動にも隠れた意図があるのか観客にはわからないような描き方がされているのがサスペンスを盛り立てます。フラッシュ・バックはまったく、カット・バックすら最小限にしか使わず説明を排し、現在形でぐいぐい進めていくウォルシュの話法がここでも大きな効果を上げています。ナチス将校ケラー大佐は非常(かつ非情)に強烈なゲルマン民族至上主義的性格に描かれており、遭難を警備隊員のフリンとリッジリーに救出されて意識を取り戻し、フリン演じる主人公の姓がワグナーでドイツ訛りがあると気づくや「君の本当の祖国に忠誠心はないのかね。ポーランドやオランダを落としたニュースに誇りを感じなかったか?」とアジりにかかり、中盤以降は脱落・逃走しようとした部下や現地人ガイドを容赦なく射殺する人物です。ステロタイプな傲慢で冷血漢のナチス将校なのですが、この強烈な悪党が山頂近い深い雪山にいったいどんな指令で向かっているのかは確かな目的があるには違いないのは嫌でも伝わってきて、突然保釈され行方をくらましたフリンを追っていた婚約者まで部下に騙させて人質に取る用意周到さですが、ほとんど女っ気のない映画なのでこの婚約者のローラ(ジュリー・ビショップ)のドラマへの絡ませ方は華があり、またフリンとローラの簡潔な会話が観客への状況説明にもなる、という一石二鳥にもなっています。頼みの綱のリッジリーも殺され、ケラー大佐の密命の全貌が明らかになり、絶体絶命の状況からフリンがどういう行動を取るか最後まで目が離せない展開が続きます。戦争映画としてはいかにも地味そうなのでフリン主演のウォルシュ作品、というブランドがなければ観るきっかけもないような映画ですが、これは良くできたスパイ・スリラーの佳作です。ミニチュア合成などを使っているにしても大雪崩のシーンやスキーによる追跡など舞台を生かした映像にも工夫を凝らしており、決してB級映画とはいえない、むしろ手の込んだ作品でしょう。1時間半という上映時間の手頃さも作品を密度の濃いものにしています。

●11月11日(土)
『決死のビルマ戦線』Objective, Burma! (ワーナー'45)*145min, B/W; 日本未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)

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○あらすじ ネルソン大佐(エロール・フリン)と副官トレイシー(ジェームズ・ブラウン)率いるアメリカ軍特殊工作部隊がビルマにパラシュート降下し、中国と連合軍との航空機を探るために隠蔽された日本軍のレーダー基地を破壊する。戦争特派員のウィリアムズ(ヘンリー・ハル)が合流し、作戦はひとまず圧倒的な成功を収め、36人の工作部隊はすぐに拠点を解体して撤退を図るが、空軍機との合流地点で日本軍の待ち伏せに気づく。ネルソン隊長は移動の指令を受けて目的地点に徒歩で行軍する決断を下す。日本兵の警備網を潜るために部隊は二つに分かれて合流地点に向かうが、ネルソン大佐の部隊が到着した時すでに先行した部隊は日本軍によって拷問され、虐殺され、生きたまま切り刻まれた死体の中に瀕死のジェイコブス中尉(ウィリアム・プリンス)が一人だけ残っているだけだった。ジェイコブス中尉は日本兵の残虐行為を言い残して息絶える。特派員ウィリアムズはその光景に、敵は文明人ですらないのだと絶句する。そこに再び日本兵の襲撃を受け遠回りして沼を渡るが、最後に受信した指令は空軍機からの救出可能な地点からもっとも離れたビルマ山頂を目的地として向かえというものだった。さらに日本兵からの追跡をかわすうちに物資の投下を拾うチャンスを逃した上に通信機が破壊され、ネルソン大佐は指令に従うか現状の判断で安全な地域を目指すか決断を迫られる。大佐は指令に隠れた意図を感じて山頂を目指し、生き残り部隊は到着するが山頂には何もなかった。物資も尽き部隊が消耗しきった頃に日本軍が山頂を包囲しているのに気づく。部隊が応戦に立ち上がろうとしている時、イギリス空軍跡地に応援軍が次々に到着する。特殊工作部隊の山頂移動は応援部隊の到着のためのおとり作戦だった。ネルソンたちは救出され日本軍が一掃されて、ビルマは連合軍の手に奪還される。

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 第二次世界大戦を背景にした戦争映画と言っても『戦場を駆ける男』のような敵地への潜入工作映画、『北部への追撃』のようなスパイ・スリラーなどヴァリエーションはいろいろあるのですが、反ナチ物がほとんどなのはイギリス軍への軍事協力から始まってドイツを敵国とした時期の方が早かったのと、太平洋戦争開戦後もアジア圏を舞台にした映画は作るのが困難だったことによるでしょう。本作はビルマ奪還作戦成功後のイギリス軍による占領期間中に現地ロケして作られた作品で、前作から2年越し、2時間半近い大作になりましたが、ビルマ・ロケの成果を観せるためにウォルシュ作品としてはやや冗漫になっている面があります。『北部への追撃』とは逆に本作ではフリンの隊長率いる部隊が意図の不明な指令に従って苦戦しながら目的地にたどり着くのですが、40年後のキューブリックのヴェトナム戦争映画『フルメタル・ジャケット』'87でも踏襲されているようにアジア人である日本軍は顔の見えない集団的な敵として描かれており、特に二手に分かれた部隊の一方が生きたまま切り刻まれて拷問され惨殺された現場で「文明人ではない」と絶句させ、兵士たちも「猿は皆殺しだ」と怒りを露わにする場面などは反ナチ映画との大きな違いで、ナチス・ドイツは危険思想を抱いた民主主義の敵としてそれなりに文明人の悪を体現する存在として描かれていました。日本人となると文明人ではない、つまり野蛮人の侵略者として文明人の敵になるわけです。ハリウッドではドイツの街や田舎はセットで再現できますが、アジアを舞台にした映画はセットを組むのが困難で、野蛮人である日本人はナチス・ドイツのような思想的背景を持たないから軍人同士のドラマも生まれない、ということになります。ちなみに本作の日本兵は現地のビルマ人、または当時反日軍事協力を行っていた中国人をエキストラに使っているようで、日本語で日本兵同士が会話していますが文法や意味は日本語でもローマ字のでたらめ読みでアクセントが滅茶苦茶です。決して不出来な映画ではなく、危機また危機でジャングルをくぐり抜け訓練されたチームワークで最善の手を尽くして任務の遂行に当たるアメリカ軍特殊工作部隊の奮闘は、撮影の手間暇を考えても2時間半たっぷりと現地ロケの成果を観せたかったのがわかる重量感があり、それがフリン率いる部隊の疲労感として伝わってくる効果もわかりますが、ここに出てくる日本兵たちが文明人でないならば狩りでもするように機銃掃射で惨殺するアメリカ人部隊もまた文明人ではないのです。映画の最初には「これはイギリス軍のビルマ奪還作戦成功後にイギリス軍の協力によって半年間の占領期間中に作られた」と字幕タイトルがあり、映画の結びも字幕タイトルで「こうしてビルマは日本軍の占領から解放された。だが日本との戦争はまだ終わっていない」と徹底抗戦を呼びかけて終わります。プロパガンダ的要素を抜きに観ればこれは作戦遂行と壊滅戦、早い話問答無用の殺し合い(情報提供者として日本兵を捕虜にする、という発想すらありません)の映画として大変な力作です。また前述の通りアジア人との戦争は文明人との戦いではない、という考えがはっきりと反ナチ映画との表現の区別を露わにした映画でもあります。映画としての出来を楽しみながら、大東亜戦争~太平洋戦争の流れの中でアメリカ人は日本をどのように考えていたかを苦く噛みしめる材料にもなるでしょう。こうした映画を撮ることも映画による軍事貢献として当時の映画監督には求められ、本作がその模範回答だったのが戦時下の映画状況だったということです。また本作が徹頭徹尾男の世界を描いたウォルシュらしさの溢れる作品なのも事実です。

●11月12日(日)
『追跡』Pursued (ワーナー'47)*101min, B/W; 日本公開1949年(昭和年)3月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「我等の生涯の最良の年」「打撃王」のテレサ・ライトと新人スタア、ロバート・ミッチャムが主演するミルトン・スパーリングの独立プロ、ユナイテッド・ステーツ・ピクチュアズの1947年作品で「白昼の決闘」「シカゴ」のナイヴン・プッシュが脚本を書きおろし、「高原児」「鉄腕ジム」のラウール・ウォルシュが監督し、「いちごブロンド」のジェームズ・ウォン・ホウが撮影した。助演者は「赤い家」のジュディス・アンダーソン、「西部魂(1941)」のディーン・ジャガー、「高原児」のアラン・ヘール。
[ あらすじ ] 1900年、ニュー・メキシコ。孤児のジェブ・ランド(ロバート・ミッチャム)はメドラ夫人(ジュディス・アンダーソン)に育てられたが、義母の愛を素直に受けることが出来なかった。育ての恩は十分感じているのであるが、彼は何かに追いかけられ狙われている気がして落ち着かないのだった。メドラの実子アダム(ジョン・ロドネイ)とソー(テレサ・ライト)と共に育って来たジェブは、同じ年のソーといつか相愛の仲となっていた。米西戦争が起こると、ジェブは自分かアダムかが従事すべきだと言い出し、ソーが銀貨投げて運命を決した。出征したのはジェブで、名誉の戦傷を負い英雄として帰って来た。そしてまたアダムと争った。銀貨投げ勝負で負けた者は、牧場の株をすべて買い取り明け渡さねばならない。負けたのはまたジェブだったので、彼はディングル(アラン・ヘイル)の賭博場へ出かける。運よく相当まとまった金をふところに牧場へ帰る途中、待ち伏せしていたアダムに闇撃ちに遭う。ジェブは相手を倒した。正当防衛で彼は無罪放免とはなったが、ソーもメドラもジェブを憎まないでいられなかった。しかしジェブのソーに対する愛は変わらず、数ヵ月後彼は結婚を申し込んだ。ソーは承諾した。彼女はジェブを殺すつもりだと母に言った通り、結婚の夜ジェブを射殺しようとしたが狙いは外れた。彼女は憎悪より愛の方が強いことを覚った。ソーが復讐をあきらめたと知ったメドラの別れた夫グラント(ディーン・ジャガー)は、親族を集めてアダムの復讐を遂げようと計ったので、ジェブはランド牧場へ逃れ、ソーも後を追って来た。グラント一族が追った時、ジェブはソーに怪我させてはならぬと思い降参した。グラントがジェブを絞り首にしようと準備している時、メドラが乗り込んで来た。ソーは母に告げた。グラントのランド一族に対する憎悪は、20年前ジェブの父がメドラと恋仲であった頃に始まり、ジェブの父はグラントに殺害されたのだと。ジェブが絞り首にされようとした瞬間、銃声がひびいてグラントは倒れた。不正の裁きをしようとする者をメドラが正しく裁いたのであった。ジェブは縄を解かれ、ソーと共に馬を駆って自由の天地へ。

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 テレサ・ライトというとまず浮かんでくるのはヒッチコックの『疑惑の影』'42の叔父のジョセフ・コットンが連続殺人犯と気づき命を狙われるヒロインで、ゲイリー・クーパーの『打撃王』'42やマーナ・ロイの方が印象に残る『我等の生涯の最良の年』'46の出演はあまり記憶に残っていない人の方が多いのではないでしょうか。『疑惑の影』の鈍くさい(そこが一面警戒心にも結びつく)アメリカの田舎の女学生の印象が強いので、ライトが魅力に欠けるというのではありませんが本作のような重い役を表現するには力不足を感じさせます。ロバート・ミッチャムがまだ新人扱いだった頃の主演作(配役ではテレサ・ライトがトップですが)というのが何と言っても見所で、若かった頃のミッチャムは陰気なジョン・ウェインのような顔をしているのですが、ミッチャムといいカーク・ダグラスといい戦後デビューの新人俳優はこと男性俳優の場合は陰気な風情がいかにも新しかったので、本作はキネマ旬報のあらすじでは時系列順に整理されていますが、そのあらすじで言うと「ジェブはランド牧場へ逃れ、ソーも後を追って来た」という所まで事件が進み、ライトが訪ねてきて孤児のミッチャムがジュディス・アンダーソンに引き取られた少年時代までさかのぼった回想から始まります。これは'40年代に主にフィルム・ノワールで多用されるようになった話法で、ミッチャムはその時ベッドの下に隠れ非常にショックな出来事に遭遇したのでアンダーソンに見つかって引き取られる以前の記憶をうしなっている、という設定までフィルム・ノワールの趣向を踏襲しています。それはどうもミッチャムの両親が殺害されたのと関係があるらしい、という所でだいたい観客には話の種が割れてしまうのですが、本作の因果応報譚は西部劇としては古いタイプの内容で、こうした西部が部隊の愛憎劇はフォードの『駅馬車』'39以前に主流だったようなものでしょう。古い内容を新しい意匠、つまりフィルム・ノワール風の話法とムードで焼き直したような作品が本作になりますが、ウォルシュはフィルム・ノワールの生みの親の一人と言っていい監督ながら持って回った構成や話法は好まず、直線的に太く映画を進めていく人で、視点人物もなるべく絞って複数視点による平行話法(カット・バック)も最小限に留め、なるべく説明を排除して現地進行形で作った映画ほど成功するタイプの監督です。本作はミッチャムの回想形式にもシナリオ由来以外には考えられない混乱があり、ミッチャム以外の視点(ジュディス・アンダーソンとディーン・ジャガーの側)からカット・バックで語られるドラマが混入しています。この混乱にウォルシュが気づいていないわけはないので、そうした部分はミッチャムの回想とは別の視点によるフラッシュ・バックと見るべきで、そうすると時系列順に映画を構成してもカット・バックを盛り込んでも大差はないことになります。本作も凝った構成など気にせず若いミッチャム、配役の珍しさでライト、何の作品で観ても『レベッカ』'40のダンヴァース夫人役がちらつくジュディス・アンダーソン、ディーン・ジャガー、アラン・ヘイルら俳優たちの芝居と中国系の名カメラマン、ジェームズ・ウォン・ホウの見事な撮影を観ているだけで十分な作品で、フィルム・ノワール風なムードもホウの撮影の美しさをいろいろなシチュエーションで観せるための工夫なのではないかと思えば納得がいくものです。本作の場面はほとんどが室内セットで、屋外シーンもオープン・セットでしょう。西部劇の本作よりもスパイ・サスペンスの『北部への追撃』や反日プロパガンダ戦争映画『決死のビルマ戦線』の方がウォルシュらしいのも皮肉ですが(本作などはむしろヘンリー・ハサウェイが得意とするような内容です)、本作と同年の次作『高原児』はウォルシュ西部劇の快作ですから本作は少し異色作にしてみたのかもしれません。

Sun Ra - My Brother The Wind, Vol. II (Saturn, 1971)

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Sun Ra And His Astro Infinity Arkestra - My Brother The Wind, Vol. II (Saturn, 1971) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL2DD37F8BEC9F613A
A1-A6 recorded in NYC in 1969.
A7, B1-B4 recorded in NYC in 1970.
Released by El Saturn Records LP523, 1971
All Compositions & Arrangements by Sun Ra
(Side A)
A1. Somewhere Else - 4: 35
A2. Contrast - 2: 55
A3. The Wind Speaks - 3: 54
A4. Sun Thoughts - 2: 37
A5. Journey To The Stars - 2: 58
A6. World Of The Myth "I" - 1: 36
A7. The Design-Cosmos II - 2:21
(Side B)
B1. Otherness Blue - 4: 51
B2. Sombody Else's World - 4: 04
B3. Pleasant Twilight - 3: 38
B4. Walking On The Moon - 6:17
Alternate "My Brother The Wind, Vol. II" Press : http://www.youtube.com/playlist?list=PLm4w7C3_vBphtGmKPNR1s6vZ2z-tBmGCB
(Side A) as B1-B4
(Side B) as A1-A7
[ Sun Ra And His Astro Infinity Arkestra ]
Sun Ra - Mini Moog synthesizer, Intergalactic organ
Ahktal Ebah, Kwame Hardi - trumpets
Danny Davis - alto saxophone
Marshall Allen - alto saxophone, flute
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Danny Thompson, Pat Patrick - baritone saxophone
Alejander Blake - double Bass
Nimrod, Lex Humphries, Robert Cummings, William Brister - drums
James Jacson - oboe, drums
June Tyson - vocals on "Sombody Else's World" &"Walking On The Moon"

 本作で70年代のサン・ラは3作目になります。1976年度までをアーケストラの国際的評価確立期として前々回の『My Brother The Wind, Vol.I』のご紹介でリストにしましたが、この時期はサン・ラ歿後の発掘ライヴも多く、総計48枚を数えます。その内20枚が歿後発掘アルバムです。そこで改めてサン・ラ生前の発表アルバムと、サン・ラ自身によって制作されたものの生前には未発表になっていたお蔵入りアルバムに絞ってリストをまとめ直しました。

[ Sun Ra & His Arkestra 1970-1976 Album Discography ]
(1)1969-70; My Brother The Wind (released.1974/rec.1970) Studio
(2)1970; The Night of the Purple Moon (released.1970/rec.1970) Studio
(3)1970; My Brother The Wind Volume II (Otherness) (released.1971/rec.1969-1970) Studio
(4)1969-70; Space Probe (aka A Tonal View of Times Tomorrow, Vol.1) (released.1974/rec.1969-1970) Studio
(5)1962-70; The Invisible Shield (aka Janus, A Tonal View of Times Tomorrow, Vol. 2, Satellites are Outerspace) (released.1974/rec.1962-1970) Various Studio & Live Sessions
(6)1961-70; Out There A Minute (released.1974/rec.1961-1970) Various Studio & Live Sessions
(7)1971; Solar Myth Approach Vols 1+2 (released.1974/rec.1969-1970) Studio
(8)1970; Nuits de la Fondation Maeght, Volume I & II (released.1974/rec.1969-1970) Live
(9)1970; It's After the End of the World (released.1971/rec.1970) Live
(9')1970; Black Myth/Out in Space (Complete '"It's After the End of the Worlds" Sessions, released.1998/rec.1970) Live/Unreleased
(10)1971; Universe In Blue (released 1972/rec.1971) Live
(11)1971; Calling Planet Earth (released 1998/rec.1971) Live/Unreleased
(12)1971; Nidhamu (released.Middle 1972/rec.1971) Live
(13)1971; Live in Egypt 1 (released Middle 70's/rec.1971) Live
(14)1971; Horizon (released Middle 70's/rec.1971) Live
(15)1972; Space Is the Place (soundtrack) (released 1993/rec.1972) Studio Soundtracks/Unreleased
(16)1972; Astro Black (released 1973/rec.1972) Studio
(17)1972; Discipline 27 (released 1972/rec. 1972) Studio
(18)1972; Space is the Place (released 1973/rec.1973) Studio
(19)1973; Crystal Spears (released 2000/rec. 1973) Studio/Unreleased
(19')1973; Cymbals (released 2000/Rec.1973) Studio/Unreleased
(20)1973; Deep Purple (released 1973/rec.1953-1973) Various Studio Sessions
(21)1973; Pathways to Unknown Worlds (released.1975/rec.1973) Studio
(22)1973; Friendly Love (released.2000/rec.1973) Studio/Unreleased
(23)1973; Outer Space Employment Agency (released 1973/Rec.1973) Live
(23')1973; Concert for the Comet Kohoutek (Complete "Outer Space Employment Agency" Sessions, released.1993/rec.1973) Live/Unreleased
(24)1974; Out Beyond the Kingdom Of (released.1974/rec.1974) Live
(25)1974; The Antique Blacks (released.1974/rec.1974) Studio
(26)1974; Sub Underground (released 1974/rec.1974) Live
(27)1975; What's New? (released 1975/rec.1975) Live
(28)1976; Cosmos (released.1976/rec.1976) Studio
(29)1976; Live at Montreux (released.1976/rec.1976) Live
(30)1976; A Quiet Place in the Universe (Released.1977/Rec.1976&1977) Live

 サン・ラに発表の意図があったのは以上のアルバムになるでしょう。60年代までのようにお蔵入りアルバムが累積してはいませんが、このうち(14)(18)(19)(22)が生前未発表のスタジオ録音アルバムで、サン・ラ歿後に発表された(9')と(23')はそれぞれ(9)と(23)の、完全版ライヴ・アルバムになります。70年代のサン・ラはライヴ盤で新曲を初演することも多く、(9)邦題『世界の終焉』、(29)『ライヴ・アット・モントルー』はメジャー・レーベルから発売されてライヴの名盤の評価を受けました。また(11)(12)(13)のエジプト・ライヴ3部作はアーケストラのライヴ盤でも緊張感のもっとも高いものです。

(Original El Saturn "My Brother the Wind, Vol. II" LP Liner Cover)

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 サン・ラ&ヒズ・アーケストラのアルバムはシカゴ時代の1956年~1961年に13作、ニューヨーク進出後の1961年~1969年に20枚と常に多作でしたが、70年代はモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで最大のアクトを勤めるまでに登りつめた76年までで、それまで以上のハイペースでアルバムを世に送り出していたわけです。サン・ラは1914年生まれ、1970年には56歳ですから尋常ではありません。しかもアーケストラの音楽は70年代になっても常に刷新を怠らないものでした。それは『My Brother The Wind, Vol.1』『The Night of the Purple Moon』そして本作がいずれも異なる編成を試みていることからもわかります。
 本作は『My Brother The Wind, Vol.1』より先に発売されましたが、制作はほぼ同時に平行して行われ、完成は『Vol.1』より後になったものです。『Vol.1』とはメンバー編成でもはっきりとコンセプトが分かれており、『Vol.1』はテナーのジョン・ギルモアがドラムスを担当し、マーシャル・アレンとダニー・デイヴィスのアルトサックス、フルート、オーボエがテーマ部を彩り、アルバム全編がサン・ラのミニ・ムーグ・シンセサイザーのフリー・インプロヴィゼーションで占められた実験的なアルバムでした。本作にも同種の曲がありますが、それより画期的なのはアーケストラに本格的な専属ヴォーカリストが参加したことです。

(Original El Saturn "My Brother the Wind, Vol. II" LP Side A & Side B Label)

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 本作のA面(1969年録音)とB面(1970年録音)は異なるコンセプトで作られたものと思われ、1969年録音の7曲は『Vol.1』をさらに推し進めた実験的なムーグ・シンセサイザーのフリー・インプロヴィゼーションです。一方1970年録音は70年代型のジャズ・ファンク/ソウル・ジャズをアーケストラの流儀でかっこ良く演奏しており、ヴォーカリストのジューン・タイソン(1936-1992)がフィーチャーされているのも70年録音分の曲になります。このアルバムはA面とB面の逆転したプレスも流通しており、2種類上げたうち69年録音がA面の最初のリンクが初回プレスらしいのですが、筆者の購入したアルバムは70年録音がA面で(「Otherness Blue」から始まります)、タイソンのヴォーカルの入らない曲でも70年録音の4曲の充実した躍動感は断然素晴らしいものです。
 アルバム構成としては実験的シンセサイザー音楽面とジャズ・ファンク/ソウル・ジャズ面が同居するのは音楽性の多彩さや対照性を感じさせてアルバムを引き締めているのですが、ジューン・タイソンのヴォーカルは平凡な歌物ソウル・ジャズとは一線を画した広がりのある音楽性で以後のアーケストラの至宝となり、また久しぶりにフル・メンバーが揃ったレコーディングで70年録音の4曲は輝いています。69年録音がA面のリンク1と70年録音がA面のリンク2を聴いても、このアルバムは70年録音にこそ価値があるように思えます。

映画日記2017年11月13日~15日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(5)

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 戦争映画『決死のビルマ戦線』'45に次いでアラン・ラッド主演の西部劇『傷だらけの勝利』'45を撮ったウォルシュは1年おいてアイダ・ルピノ主演のフィルム・ノワール『私の彼氏』'47を撮り、同年には前回ご紹介したロバート・ミッチャム主演の西部劇『追跡』、続いて今回ご紹介する『高原児』を撮ります。日本公開は『高原児』の方が先になったのも納得で、西部劇なのは同じですが『追跡』の陰気なフィルム・ノワール風の仕上がりよりも『高原児』は流れ者のギャンブラーを主人公に痛快でユーモアのセンスも富んだサスペンス仕立ての西部劇になりました。『高原児』は日本でもフォードの『荒野の決闘』'46に次ぐ西部劇の逸品と高い評価を受け、続く'48年にウォルシュは西部劇『賭博の町』と戦争映画『特攻戦闘機中隊』の2作を撮りますが、大ヴェテランの巨匠といえどもこういう時もあるものか、というほど'48年の2作は散漫な内容の失敗作になります。かと思うと翌'49年にはウォルシュは生涯の傑作に数えられる2作『白熱』『死の谷』を送り出しますので、60代にさしかかってなお堂々と失敗作も撮れば傑作も撮る若々しい可能性を秘めた、若手に互する現役感を備えた映画監督だったと言えるでしょう。キネマ旬報に紹介記録がないのであらすじを起こすために『賭博の町』と『特攻戦闘機中隊』は2回ずつ観直してあらすじをまとめましたが、説得力がなく首尾一貫しない内容のために正確に物語を要約できたか自信が持てないのです。しかし藪医者でも医者、悪人でも人間には違いないように、失敗作でも映画は映画で、無理矢理言うなら傑作と失敗作を平等に観てこそ映画から見えてくるものはあるということにして、この2作についての感想文も記しておきたいと思います。

●11月13日(月)
『高原児』Cheyenne / The Wyoming Kid (ワーナー'47)*99min, B/W; 日本公開1949年(昭和24年)3月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「恋愛手帖」のデニス・モーガンと「失われた週末」のジェーン・ワイマンが「ハリウッド玉手箱」のジャニス・ペイジと共に主演する1947年作品及び「シエラ・マドレの宝」のブルース・ベネットで「いちごブロンド」「鉄腕ジム」のラオール・ウォールシュが監督したもの。原作はボール・I・ウェルマンで、アラン・ルメイとテームズ・ウィリアムソンが協力脚色した。助演は、「カンサス騎兵隊」のアラン・ヘール、「栄光の都」のアーサー・ケネディ、ジョン・リッジリー、バートン・マクレーンのほか、かつての西部劇スタァ、トム・タイラー、ボブ・スティール等の面々で、撮影は「我が心の歌(1942)」のシド・ヒコックスが指揮し、音楽はマックス・スタイナーが作曲した。
[ あらすじ ] ワイオミングがまだアメリカ合衆国の1州となる以前のこと。ララミーの町にジム・ワイリー(デニス・モーガン)という賭博師が入り込んで荒かせぎをしていると、私立探偵のヤンシー(バートン・マクレーン)がカンサスから訪ねて来た。ワイリーに殺人の容疑があるから拘引するという。ただし、今駅馬車強盗として問題の「詩人」を生殺の如何を問わず、捕まえれば古い容疑は忘れてやり、2万ドルの賞金もやるという。その「詩人」はシャイアンの町にいる形跡があるというので彼はシャイアン行の駅馬車に乗る。相客はアン(ジェーン・ワイマン)と名乗る上品な婦人と、エミリー(ジャニス・ペイジ)という職業婦人であった。馬車は途中で強盗に遭ったが「詩人」ではなくサンダンス・キッド(アーサー・ケネディ)を頭目とする一味で、馬車に積んであった紙幣の箱は空っぽで、詩を書いた1片の紙が入っていた。ジムは多勢に1人、ララミーでかせいだ千ドルを奪われた。シャイアンの酒場ではエミリーが歌っていたが、強盗の一味を見つけ追跡して行きサンダンスに殺されるところを、アンに救われる。アンは彼が詩人で自分の夫だといったのである。そこで2人は表面夫婦を装おわねばならなくなる。さてアンは事実詩人の妻であった。詩人はエド・ランダース(ブルース・ベネット)というウェルズ・ファーゴ輸送会社社員であったのだ。サンダンス一味はジムを詩人と思い、大仕事の分け前を要求していたが、シャイアンの町を出はずれた山中のあばら屋で争いが始まり、好運に恵まれてジムはサンダンス一味をことごとく倒してしまった。シャイアンのシェリフ代理ダーキン(アラン・ヘイル)は、この報に喜んだがジムが何者かを知らず怖れる。ランダースは其奴が詩人だろうとたきつける一方、高跳びを計画してエミリーを口説き落として同行を約させる。アンは次第にジムに心をひかれランダースと離婚する気になっていた折柄、彼がエミリーを道連れにして、自分を置去る置き去るつもりであることを悟り、知らぬ顔でエミリーと同じ駅馬車に乗る。ランダースはジムをダーキンに捕えさせて安心し、単騎別行動をとり駅馬車の先まわりをする。ジムは巧みにダーキンの手を脱し、アンとエミリーの乗った駅馬車に乗るが、ダーキン等が追跡して来たので、馬車から馬に乗り移って逃げる。翌朝2人の女を乗せた駅馬車は、ランダースに襲われるがジムが現れてランダースは負傷する。折柄スレ違いに来た駅馬車に乗って来たヤンシーに「詩人」ランダースを渡したジムは、賞金2万ドルの代わりにアンから分け前を手に入れた。

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 デニス・モーガン演じる流れ者の洒落者で小粋なギャンブラーと「詩人」を名乗る悪党のエレガントな妻を演じるジェーン・ワイマンがとにかく魅力的。「詩人」に出し抜かれて頭にきている伝説的強盗サンダンス・キッド役のアーサー・ケネディ、キッドの手下のジョン・リッジリー、トム・タイラー、ボブ・スティールらの堂に入った西部劇の強盗団ぶり、探偵役バートン・マクレーンの存在感とコメディ・リリーフ的な保安官代理のアラン・ヘイルの対照、税関役人の立場を利用して覆面強盗をくり返す「詩人」を演じるブルース・ベネット、その誘惑にあっけなく騙される酒場の歌手役のジャニス・ペイジと、スター級の俳優ではなく性格俳優の名優ばかりがキャスティングされているのにこの充実感。話そのものは「ルパン三世」みたいなものですが、その軽妙さが本作をモダンな西部劇の快作にしています。前作『追跡』で試みたフィルム・ノワール風、あるいはニューロティックな(ヒッチコックの『白い恐怖』'45的と言ってもいい)新機軸の西部劇は手法とむしろ古いアイディアの因果劇が乖離して意欲的に滑っていましたが、ウォルシュ自身は主に会社企画のキャストとシナリオをこなしていくタイプの(なにしろ監督デビューから35年目です)監督ですから色々やらされるわけです。『追跡』の場合は新人ロバート・ミッチャムに大ヴェテラン監督の現場を経験させようという意図の方が大きかったかもしれません。その点、本作では格別期待がかけられた企画ではなく、配役も安く使えるワーナー映画の助演クラスの脇役陣ばかりを集めて気楽な娯楽作品をという程度の現場だったのでしょう。本作のための特設セットや大がかりなロケもなくあり合わせの室内セットとオープン・セットで撮れるような、シナリオ段階で非常にコンパクトにまとめられた作品なのは一見して明らかです。モーガンとケネディの駆け引き、誰よりも状況全体を見抜ける立場のワイマンの立ち振る舞い、悪党役のベネットとナイト・クラブ歌手役ペイジの絡ませ方が自然かつ効果的にクライマックスを盛り上げる脇筋の巧妙さ、そしてワイマンの協力でがぜん機知を働かせ事件を解決に導くモーガンと構成に隙がなく十分にゆとりもあって、日本公開当時「『荒野の決闘』に次ぐ一流西部劇」(昔は映画に一流や二流があったようです)と評判を取ったというのは作風を思い合わせると大げさですが、『荒野の決闘』に『駅馬車』の監督作品らしからぬ気取りを感じる人には『高原児』の方がずっと好ましい作品に見えてもおかしくないのではないでしょうか。『砂塵』'39や『殴り込み一家』'40のジョージ・マーシャルがもっとずっと上手い監督だったら本作の域に達したかもしれない、と思わせられもし(マーシャルはそのいまいちな感じが良いとも言えますが)、戦争映画の力作が続いた(とはいえ戦争映画ばかりではありませんが、戦争映画の大作に力を注いでいた)時期からウォルシュが戦後のもっと自在な映画作りに移る位置に本作があるのは過褒な讃辞は慎むとしても良い作品には違いなく、かえって翌'48年の2作の不出来と、'49年の緊迫感溢れる2作の傑作『白熱』『死の谷』に大きく振れる作品歴の直前に本作があるのは不思議な気もしてくるのです。

●11月14日(火)
『賭博の町』Silver River (ワーナー'48)*109min, B/W; 日本公開1950年(昭和25年)9月

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○あらすじ 南北戦争末期、給与輸送中の南軍兵士マッコーム(エロール・フリン)と戦友のピストル・ポーター(トム・ダンドレア)は北軍の襲撃に遭い、奪われるよりはと紙幣を満載した貨車を炎上させて帰還するが、マッコームは命令違反で南軍除隊を余儀なくされる。マッコームはピストル・ポーターと共にネヴァダ州シルヴァー・シティに落ち延び、ギャンブル場の権利を買い取り、鉱山の銀鉱採掘労働者を相手に商売を広げる。鉱山主の一人、ムーア(ブルース・ベネット)とその妻ジョージア(アン・シェリダン)と知りあったマッコームはムーアと事業を組み、ジョージアはマッコームの強引な事業拡大に反発しながら次第にマッコームに惹かれ始める。マッコームはアルコール依存症の落ちぶれた弁護士プラトン・ベック(トーマス・ミッチェル)を雇って銀行経営に乗り出し、ムーアへの融資の条件に鉱山の保有株のすべてを担保にして、事実上ムーアの鉱山を乗っ取ることに成功する。マッコームは大統領の訪問を受けるほどの名士に成り上がるが、ジョージアはマッコームの野心に危惧を抱く。マッコームはムーアへさらなる事業拡大を要求し、先住民の居住地であるブラック・ロック・レンジにまでムーアを差し向ける。ムーアは先住民に殺害され、プラトン・ベックはマッコームに、旧約聖書から部下の妻に懸想してその部下を死地に派遣したダヴィデ王の故事を引いて非難する。夫の死によってマッコームに頼るしかなくなったジョージアはマッコームと再婚し、マッコームは豪邸を新居に建ててパーティを開くが、スピーチの席上でプラトン・ベックは再びマッコームを責め、マッコームはシルヴァー・シティの社交界から孤立する。他の銀山所有者たちは結託して銀の相場を操作し、マッコームの銀行には預金の払い戻しが殺到して、ついに自分の鉱山を閉鎖したままマッコームは破産に追いやられる。プラトン・ベックは上院議員選挙に立候補し、町の経済の立て直しを条件にマッコームと和解するが、選挙運動中に政敵スウィーニー(バートン・マクレーン)に殺害される。暴徒化した群集がスウィーニーをリンチしようとするがマッコームは制止し、スウィーニーに公正な法の裁きを受けさせること、鉱山町の景気回復に尽力することを人々に宣言し、今度こそ本当にジョージアの愛をつかむことに成功する。

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 本作はもともとハンフリー・ボガート用にワーナーが雑誌連載の時点でスティーヴン・ロングストリートの原作の映画化権を買った企画で、脚本はロングストリートと専任脚本家が共同で執筆しています。企画はボガートがヒューストンの'48年の2作『黄金』『キー・ラーゴ』に出演するためエロール・フリンの主演に振り替えられますが、まずフリンのキャラクターに全然合っていない。フリンらしいのは景気良く現金輸送車を燃やして北軍を巻く冒頭のエピソードくらいでしょう。原作そのものも果たして首尾一貫したものかどうか、映画化を意識してドラマに曲折を作りすぎ主人公を始め登場人物たちの性格・言動に説得力がまるでありません。映画の仕上がりから判別しようとすればこれは理不尽な目に遭った主人公が強欲な独立新興実業家になってのし上がるがそのために孤立し、挫折を経て地域住民と和解し反省に至って因縁のあった女性の愛を得るまでをたどる物語ですが、こうして筋だけ取れば陳腐にもなりそれなりにドラマティックにもなるようなお噺です。我欲追求型の男を描いた映画は観客の共感を得るポイントが難しいため工夫も必要になりますが、だいたい「公共のための純粋な動機が権力闘争の過程で汚れて行く」「資産と権力を得た代償に孤独な嫌われ者になる」「栄華を極めるのめ束の間に足元を掬われて破滅する」などがありがちなパターンと言えますし、見事に表現されていればアイディアは陳腐でもいいのです。では本作はどうかと言うと、致命的なのは弁護士役のトーマス・ミッチェルがダヴィデ王を引き合いに出してフリンを責めるように、フリンがブルース・ベネットの妻アン・シェリダンへの恋横暴からベネットの事業を乗っ取ったようにはまったく見えないのがシナリオの次元での計算違いですし、ウォルシュの演出もフリンがシェリダンを我が物にしようとしているようには見えない。そもそも惚れているようにすら見えないので、ヘイズ・コード(1934年より施行された全米映画協会の倫理規定、'60年代に事実上自然消滅)は不倫を肯定する内容を禁じており、フィルム・ノワールの不倫はすべて破滅に終わる勧善懲悪として描かれることでヘイズ・コードに叶っていたわけですが、それなのにフリンが計画的にベネットを危険な先住民居住区の視察に向かわせたのは無理があります。さらにベネットの死後フリンとシェリダンは当然のように結婚してミッチェルは決定的にフリンと決別し、フリンはシルヴァー・シティーの社交界、実業界で孤立することになりますが、そもそもフリンとシェリダンは利害関係以外の理由で再婚したようには見えないのでミッチェルの攻撃の方が理不尽に見える上に、フリンの孤立は単に新参者が町の経済界のトップに成り上がったことへの反発でしょう。よくもまあこんな原作を、新聞連載小説としてはそれなりに辻褄のあったものだったのかもしれませんが、原作者がシナリオを合作しているからには原作自体も大差ない程度のものだったと思われるので、これをハンフリー・ボガート主演作にするために映画化権を買ったワーナーの気が知れません。ヒューストンからの『黄金』『キー・ラーゴ』の企画に乗って本作の主演を辞去したボギーの判断ももっともで、ボギーにとってはヒューストンともどもウォルシュも大恩人ですが、そもそも監督も最初からウォルシュがやることになっていたかどうか。エロール・フリンもいかにも演りづらそうな気のない演技で、強いて本作の主演を買って出て説得力のあるキャラクターにするだけの個性と力量のある俳優といえば複雑な人間性を的確かつ明快に表現する芝居に長けたジェームズ・キャグニーくらいのものだったでしょう。キャグニーの主演だったらウォルシュの演出ももっと気合の入った、ドラマに一本芯の通った説得力のある作品になっていたかもしれません。しかしフリンには本作のようなモラルの分裂に苦しむ役はまったく不似合いで、結局俳優の表現力に頼らないでは一貫性にすら欠ける脆弱なシナリオのせいで名優トーマス・ミッチェルの力演も受けとめる相手のいない、浮いたようなキャラクターにしかなっていない始末です。せめて本作にアクション映画としての側面があればそれだけで点も稼げたかもしれませんが、監督を任されたウォルシュは本作のシナリオに最初から投げてしまったのでしょう。ウォルシュらしく、またフリンらしいのは南軍兵士除隊までの冒頭部分だけで、あとはフリンが流れ着いたシルヴァー・シティーのギャンブル場のシーン、豪邸を建てたフリンが町の名士たちを招いて有頂天で落成式を開き豪邸を披露するシーンに僅かに、映画が上手くいっていたらこれらも印象的な名シーンだったろうな、と惜しまれる要素が垣間見られる程度のものです。もしボギーが企画通り主演していたらどうだったか。シェリダンへの欲望がはっきり感じられる演技をしていたでしょう。それを思うと誰よりも主演俳優フリンにとって不運だった作品なのかもしれません。

●11月15日(水)
『特攻戦闘機中隊』Fighter Squadron (ワーナー'48)*95min, Technicolor; 日本未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)

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○あらすじ イギリス空軍基地にアメリカ空軍兵が協力のため派兵された1943年、アメリカ空軍のエース・パイロット、ハーディン大尉(エドモンド・オブライエン)は抜群の実績と目に剰る命令・規則違反で上官の友人ブリックレー大佐(ジョン・ロドニー)はイギリス空軍のギルバート将軍(シェパード・シュトルードウィック)の寛大な処置にかえって頭を悩ませていた。やがてマクレディ将軍(ヘンリー・ハル)の要請でブリックレーは新しい部隊の指揮官に抜擢されることになり、ブリックレーは後任にハーディンを推薦する。ブリックレーの後任指揮官になったハーディンは厳密に規則を守るようになるが、ギルバート将軍による既婚者・結婚予定者は任務より外す規約を任期満了が近いハミルトン隊長(ロバート・スタック)が破って休暇中に結婚するのを黙認する。ハミルトンは最後の任務だけは果たしたいと希望し、ハーディンの説得も押し切って出撃するが、撃墜されてハーディンに務めを果たしたかった心境を通信しながら死亡する。D-Dayに連合軍の上陸を支援するために次の出撃が行われ、ハーディンは敵機撃墜記録を更新するが撃ち落とされ、仲間の戦闘機からも見えない雲間に落ちて行く。指令を果たした部隊は生死の知れないハーディンの墜落地点に向かって旋回して行く。

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 ウォルシュの全作品のデータを把握していないので断じられませんが、観ることのできた作品ではこれがもっとも年代の早いカラー作品です。現行DVDの画質はすこぶる良好で、テクニカラーのありがたみが実に眼福この上ない素晴らしい色味です。イーストマンカラーや現在のデジタル撮影でもこの極上の油彩のような深みのある色彩は出ないので、テクニカラーにしても現実の色彩を再現するものでは決してなく実在物を撮したフィルム上の虚構の色彩なのですが(B/Wフィルムによる撮影にしても同じことで、現実の陰影と同じものではあり得ません)、色彩映画がまず染色、次にテクニカラーと発達したのには歴史的必然すら感じます。イーストマンカラーがテクニカラーに先行していたらコストの点では有利でしたでしょうが、カラー映画の需要や発達そのものが大きく異なっていたでしょう。このままテクニカラー談義だけで済ませてしまいたいくらいなのは、本作がテクニカラー映画であること以外はせいぜい派手な空中戦映画という程度しか取り柄がない、いったいどうしたらこんなどうでもいいような映画が出来るのか途方に暮れるようなできばえだからです。映画の冒頭には字幕タイトルで「1943年から1944年、アメリカ空軍はイギリス空軍に迎えられ共同して軍事に当たった。実際の基地と軍用機の撮影、記録映像の使用を許可してくれたイギリス空軍に感謝する」と出るのがこの映画の意図を表しているのでしょう。本作は1948年度作品、つまり戦勝記念映画ですから戦中作品のような国策発揚目的もなければ緊張感にも欠けるのはむしろ当然になるわけです。さて映画本編は、親友であり上官である戦友の転属に当たって後任の重責に指名される主人公のエース・パイロットが指揮官としての働きでも優秀な上官ぶりを発揮しながらも次々と部下を失い、最重要な決戦に際して自らが犠牲的な出撃を行う、というプロットがトーキー初の空中戦映画『暁の偵察』'30とまったく同じなのには首をひねります。『暁の偵察』は第一次世界大戦、本作は第二次世界大戦というのは焼き直しの理由になりません。しかも本作は『暁の偵察』にあったようなキャラクターの一貫性がまるで欠けており、主人公に一匹狼的性格を与えて序盤に派手な活躍の場を設けたために、上官兼親友の転属に伴い指揮官になってからがまるで別人になってしまいます。「優秀なパイロットは命令を守るパイロットじゃない、敵機(「ジャップ」と言っています)を一機でも多く墜とすパイロットだ」とうそぶいていた人物が中間管理職になるや否や「軍規は絶対だ。任務に従え」と言う人物に豹変し、部下に反問されるとそれが前任者の方針でありこの基地の方針だから、と映画序盤のお前は何だったんだよ、と舌を抜きたくなるような変わり身ぶりです。かと思うと所帯持ちは地上勤務か除隊、という方針がこの基地にはあり、出撃のローテーションをあと1回に残して休暇中に結婚してきてしまう元同僚で部下がいるのですが、除隊前にどうしてもこれだけはやっておきたいから、と直訴されて出撃を黙認し、案の定撃墜されてしまいますが「あいつも覚悟の上だったんだから」で済ませてしまう。そして次の出撃で人手不足が出たため指揮官自らが出撃部隊に加わり、仲間と協調せず自分一人で敵機を全機撃墜するも攻撃の的にもなって友軍機の見守る中で雲の中に落下していく。「翼をやられた。爆発はしていないようだ。錐揉みで落ちた。確かめに行こう」と仲間の戦闘機が向かっていく所で「勇敢な彼らを讃えよう」と主要人物のパイロットたち一人ずつのカット・バック映像が重なって功績がナレーションされ、主人公の生死不明のままで映画は終わります。冒頭の字幕タイトル通りとすると派手な空中戦を機内から撮影したカットは記録映像をモンタージュしてあり、見所と言えば見所ですがそれ以前に映画の出来が学芸会以下ではイギリス空軍基地ロケだろうと実物の軍用機を飛ばそうとどうしようもないではありませんか。あらすじを起こすために今回は2回続けて観たのですが、『賭博の町』と本作はウォルシュ作品のどん底で良い所を探すのに本当に苦労しました。それでも何とか2回連続して観ることができたのは、筋などどうでもよくて映像の力強さだけを観ようと思えばそれなりに引き込まれたからです。それに『賭博の町』本作、と観れば次は'49年の2大傑作『白熱』と『死の谷』が控えているからです。しかし『賭博の町』『特攻戦闘機中隊』の2作については、あえて無理して観るまでもない作品と積極的にはお勧めしません。ウォルシュ作品未見の方ならなおのこと、いっそ知らずに済ませる方が精神衛生上には良いかもしれません。

現代詩の起源(17); 三好達治詩集『測量船』(iii)

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 三好達治(1900.8-1964.4)昭和29年9月/54歳
 (撮影・浜谷浩)

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 詩集『測量船』を読み返すに先立って、三好達治の年譜から簡略にこの第一詩集までの歩みをたどってみます。明治33年(1900年)大阪の印刷業者の家の長男に生まれた三好は、6歳の時に祖父母の家の養子になりましたが(これは家督相続制の厳しかった当時ではよくあることでした)家計の事情から小学校を2年で中退して陸軍幼年学校に編入しました。大正9年(1920年)に陸軍士官学校に進学しましたが2か月で退学し、大正11年(1922年)に親戚の経済的援助で京都の第三高等学校・文科丙類に入学し、桑原武夫、丸山薫、貝塚茂樹、吉村正一郎らと同級になり親交を結びます。この頃から文学に打ちこみ、国木田独歩、若山牧水、島崎藤村に心酔し、またニーチェ、トルストイ、ドストエフスキーを耽読し、もっとも愛読したのはツルゲーネフ(特に『ルージン』)でした。そして旧制高校在学中に刊行された萩原朔太郎の『月に吠える(再版)』『青猫』によって三好の志向は一挙に詩に向かいます。大正14年(1925年)に第三高等学校を卒業して東京帝国大学文学部仏文科に入学した頃に刊行された堀口大學訳詩集『月下の一群』も三好の詩作に強い影響を与えました。大学では小林秀雄、中島健蔵、今日出海らが級友になりましたが、特に深い親交を結んだのは第三高等学校で上級生だった梶井基次郎(1901-1932)で、三好は梶井と丸山薫らが大正14年から始めた同人誌「青空」に大正15年(1926年・昭和元年)4月から参加し、作品を発表するようになります。同年の詩作から詩集『測量船』の収録作品が始まります。満州から上京してきたばかりですでに2冊の詩集を上梓した新進詩人、北川冬彦(1900-1990)も三好と同時に「青空」に参加、大学でも級友になり、梶井・北川・三好はかわるがわるに下宿を相部屋にするほどの間柄になります。
 三好の初期作品は中堅詩人で信望の篤かった百田宗治に認められ、百田が同年10月に始めた詩誌「椎の木」にも創刊同人になり、新進詩人の春山行夫、伊藤整、阪本越郎らと知りあいます。梶井は結核の悪化で大正15年12月(同月昭和改元)から湯が島に長期の転地療養をすることになり、翌昭和2年3月に梶井を見舞った折に湯が島滞在中の川端康成の知遇を得ます。同年6月「青空」廃刊に伴い北川と安西冬衛が創刊した詩誌「亞」に参加、翌月に梶井を見舞った際に湯が島滞在中の宇野千代、広津和郎の知遇を得るとともに初めて萩原朔太郎と面知、帰郷後すぐ萩原の近所への転居を勧められ、それから約2年の間は萩原に師事、師の求めで事実上の秘書を勤めるほどになりました。

 昭和3年(1928年)3月にヴェルレーヌ詩集『智恵』の研究論文で大学を卒業した三好はボードレールの散文詩集『巴里の憂鬱』の翻訳に着手し(昭和4年12月刊)、9月に春山行夫によって創刊されたモダニズムの詩誌「詩と詩論」の第一期同人(他に北川、安西、竹中郁、近藤東など)11名に名を連ねます。昭和4年は「詩と詩論」に拠りましたが、昭和5年(1930年)4月~7月には帰郷するとともに、春山の審美的路線に距離を置いて詩誌「時間」を起こしていた北川冬彦が6月に創刊した「詩・現實」に飯島正、神原泰らと参加し「詩と詩論」同人から脱退しました。そして同年12月に萩原の懇意だった第一書房の「今日の詩人叢書」の一冊として刊行されたのがこの詩集『測量船』です。
「詩と詩論」と並ぶモダニズムの詩誌「旗魚」の詩人だった村野四郎(1901-1975)は「名著復刻全集 近代文学館」(日本近代文学館刊、昭和44年)に収録された別冊の「作品解題」で「この詩集一巻によって、新しい抒情詩人としての三好達治の名声は決定的になった」と書いています。村野の第一詩集『罠』は大正15年10月刊、「詩と詩論」休刊後に春山行夫と近藤東が起こした「新領土」の創刊同人となり北園克衛による装丁・構成で第二詩集『體操詩集』を刊行したのが昭和14年(1939年)12月ですから、同年4月には第四詩集までの全詩集『春の岬』、7月には第五詩集『艸千里』を刊行していた三好は1歳年長という以上に一家を成した詩人と見ていたように思われます。

 村野による『測量船』解題はまず的確に同詩集の一般的な位置づけを押さえており、一見平凡な見解ながら同世代の詩人ならではの機微に触れたものなのでここに引用しておきます。「昭和五年に出されたこの処女詩集『測量船』は、前述のように昭和新詩の記念的な名詩集とされているが、その歴史的意義は、明治大正と引きつがれてきた日本抒情詩を変革したところにある。この詩集の初期作品、たとえば『乳母車』でも『甃のうへ』を見ても、すでに抒情性の質的変化を明瞭にうかがうことができる。」
「そこにあるのは、古い抒情詩における没我の情緒ではなく、感触の冷たい燃え上ることのない情緒であって、それこそ近代主知が生んだ自我意識の所産であった。それが自然の諷詠にしろ、甘美な回顧にしろ、つねにその情緒の底に沈んでいるのは、不安に色どられた孤独、虚無感をおびた懐疑であった。そしてそれがモダニズム特有のアイロニカルな諷刺と諧謔などの主知的方法によって、新しい抒情のすがたに造形されているのであった。こうした新しい詩的情緒は、藤村にも独歩にも、また有明にも白秋にも、絶対に見出すことはできない性質のものである。当時この詩集は、幾人かの批評家によって、或いは蕉風の俳諧に通ずるものがあるとか、少しく古典的に谷川の水のように澄み渡っているとか、いずれもとんちんかんに賞讃されたけれど、後年、阪本越郎が<ニヒリズムの中に転々としているようだ>といい、吉田精一が<それは一種の虚妄の美しさ、或は美しい虚妄というものの創造であり、それが伝統的な自然や環境にすがって趣致をととのえている>と評したのは、さすがに鋭くて正しい見方というべきである。」「かくして、三好が堀辰雄、丸山薫とともに昭和抒情詩の新しい牙城『四季』を創刊したのは、その後四年目の昭和九年十月のことであった。」

 しかし村野の指摘を踏まえた上で、『測量船』にはもっと意図的なまがまがしさと、逆に作者の狙いとは外れたところに結実してしまった脆さ、効果と引き換えにした弱点があるようにも思えます。三好は後進詩人では主宰する「四季」にも寄稿を依頼した中原中也、伊東静雄らには公平を期して機会を与えただけで否定的で、師の萩原の『氷島』に対する、感情的とさえ見える批判も中原や伊東への否定的評価と通じるものでした。中原や伊東よりも生粋の「四季」同人の若手詩人、津村信夫や立原道造を高く買っていました。また萩原と並んで室生犀星を尊敬しましたが、萩原と犀星の共通の師である北原白秋、また萩原・犀星と並ぶ存在だった山村暮鳥、大手拓次に対しても中原や伊東について抱いていたような反感を隠しませんでした。白秋、暮鳥、拓次、中原、伊東といった三好が否定的だった詩人たちにあるものが――というより、三好が自分の詩から排除しようとしたものが上記の詩人たちにとっては本質をなしており、それは村野四郎の指摘するような「古い抒情詩における没我の情緒」ではないでしょう。
 今回は三好達治の第一詩集までの歩みを年譜から拾い出しましたので、『測量船』と「測量船拾遺」の収録詩編の発表誌初出を改めて一覧にしました。序文・跋文がない詩集は当時でも異例のものでした。大正15年(1926年)6月から始まる以下の詩編は、
(1)初期抒情詩・プレモダニズム期=大正15年~昭和2年(1927年)
(2)モダニズム期=昭和3年(1928年)~昭和4年
(3)ポストモダニズム・抒情詩回帰期=昭和5年(1930年、詩集編纂時)
 ――と大ざっぱに3期に分けられ、前後の(1)(3)に挟まれた(2)の時期も、また(1)(3)の時期も第一詩集特有のさまざまな試行が入り組んでいると見るべきでしょう。村野は実作者として三好の達成を好意的に評価していますが、創作には「近代主知が生んだ自我意識」をいかに志向しても、より直感的で作者の肉体性を反映した淀みが入り込んできます。第二詩集以降三好の作風はよりマニエリスム的に純化されたものになりますが、『測量船』に関しては内容と表現の乖離がしばしば見受けられ、これが今なお読むに足る詩集であるならばむしろその綻びにこそ注目すべきではないか、と思えます。

 詩集『測量船』第一書房「今日の詩人叢書」
 第二巻、昭和5年12月20日刊(外箱)

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        書籍本体

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      三好達治揮毫色紙

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●「測量船拾遺」昭和22年1月・南北書園版『測量船』所収
「玻璃盤の胎児」(大正15年6月「青空」)
「祖母」(大正15年6月「青空」)
「短唱」(大正15年6月「青空」)
「魚」(大正15年6月「青空」)
「王に別るる伶人のうた」(大正15年7月「青空」)
「夕ぐれ」(大正15年7月「青空」)
「ニーナ」(大正15年8月「青空」)
「物語」(大正15年8月「青空」)
「夜(太郎/夜ふけて……)」(大正15年8月「青空」)
「私の猫」(大正15年10月「青空」)
「失題」(大正15年9月「青空」)
「黒い旗」(大正15年12月「青空」)
「梢の話」(大正15年11月「青空」)
「昨日はどこにもありません」(昭和4年3月「詩と詩論」)
「水のほとり」(昭和4年3月「詩と詩論」)
●『測量船』昭和5年12月20日・第一書房刊
「春の岬」(詩集書下ろし、昭和2年3月作)
「乳母車」(大正15年6月「青空」)
「雪」(昭和2年3月「青空」)
「甃のうへ」(大正15年7月「青空」)
「少年」(大正15年8月「青空」)
「谺」(昭和2年3月「青空」)
「湖水」(発表誌不詳)
「村(鹿は角に……)」(昭和2年6月「青空」)
「春」(昭和2年6月「青空」)
「村(恐怖に澄んだ……)」(昭和4年12月「詩と詩論」、原題「林」)
「落葉」(昭和4年12月「詩と詩論」、原題「村」)
「峠」(昭和5年5月「詩神」)
「街」(昭和2年5月「青空」)
「秋夜弄筆」(昭和2年12月「亞」)
「落葉やんで」(昭和3年3月「信天翁」)
「池に向へる朝餉」(昭和3年2月「信天翁」、昭和5年7月「詩神」)
「冬の日」(昭和3年3月「信天翁」)
「鴉」(昭和4年12月「詩と詩論」)
「庭(太陽はまだ……)」(昭和4年12月「文學」)
「夜(柝の音は……)」(昭和4年12月「文學」)
「庭(夕暮とともに……)」(昭和2年9月「亞」、昭和4年12月「文學」)
「庭(槐の蔭の……)」(発表誌不詳)
「鳥語」(昭和4年11月「詩神」)
「草の上」(昭和3年9月「詩と詩論」、昭和4年3月「詩と詩論」)
「僕は」(昭和4年5月「文藝レビュー」、昭和4年12月「詩と詩論」)
「燕」(昭和3年9月「詩と詩論」)
「鹿」(昭和4年3月「詩と詩論」)
「昼」(昭和4年3月「詩と詩論」)
「MEMOIRE」(発表誌不詳)
「Enfance finie」(昭和6年4月「詩と詩論」)
「アヴェ・マリア」(昭和4年9月「詩と詩論」)
「雉」(昭和4年12月「詩と詩論」)
「菊」(昭和5年2月「オルフェオン」)
「十一月の視野に於て」(昭和4年12月「文學(第一書房版)」)
「私と雪と」(昭和5年1月「文學」)
「郷愁」(昭和5年2月「オルフェオン」)
「獅子」(昭和5年6月「詩・現實」)
「パン」(昭和5年8月「作品」)

(以下次回)

アイアン・バタフライ Iron Butterfly - Heavy (Atco, 1968)

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アイアン・バタフライ Iron Butterfly - Heavy (Atco, 1968) Full Album : https://youtu.be/1RyS751_a50
Recorded at Gold Star Studios and Nashville West, Hollywood, CA, October 1967
Released by Atco Records Atco #33-227, January 22, 1968
Produced by Charles Greene; Brian Stone
(Side one)
A1. Possession (Ingle) - 2:45
A2. Unconscious Power (Bushy, Ingle, Weis) - 2:32
A3. Get Out of My Life, Woman (Allen Toussaint) - 3:58
A4. Gentle as It May Seem (DeLoach, Weis) - 2:25
A5. You Can't Win (DeLoach, Weis) - 2:41
(Side two)
B1. So-Lo (DeLoach, Ingle) - 4:05
B2. Look for the Sun (DeLoach, Ingle, Weis) - 2:14
B3. Fields of Sun (DeLoach, Ingle) - 3:12
B4. Stamped Ideas (DeLoach, Ingle) - 2:08
B5. Iron Butterfly Theme (Ingle) - 4:34
[ Iron Butterfly ]
Doug Ingle - organ, lead vocals (A1,2,3,5,B2,3) and backing vocals
Darryl DeLoach - tambourine, lead vocals (A4,B1,2,4) and backing vocals
Danny Weis - guitar
Jerry Penrod - bass, lead vocal (B2) and backing vocals
Ron Bushy - drums

 アイアン・バタフライというと「ガダ・ダ・ヴィダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」の一発屋'60年代サイケ・バンドというイメージが一般的と思われますし、またバンドとしては決して高い評価を受けてきたとは言えないのにその1曲、しかもセカンド・アルバムのLPではB面全面17分5秒に及ぶ同曲だけで50年ものあいだ記憶されてきたのですから、それはそれで偉とするべきでしょう。しかもバタフライはけっこうしぶとく活動してきたバンドでもあります。幸いに日本語版ウィキペディアで簡潔にまとめられた項目は(2015年から更新されていませんが)、詳細にわたる英語版ウィキペディアよりも大づかみにバンドの概略がまとめられており、アイアン・バタフライに関してはこの程度の知識から入るのがかえってすっきりしていて良いと思われます。なおメンバーの担当パートや2015年以降の事項は補って引用しました。

●アイアン・バタフライ
アイアン・バタフライ (Iron Butterfly) は、1967年に結成されたアメリカ合衆国のサイケデリック・ロックグループ。
○概要・歴史
 1966年にサンディエゴでダグ・イングル(ヴォーカル、オルガン)とのちライノセロスに行くダニー・ワイズ(ギター)によって結成。ワイズはレコードデビュー前に抜け、1stアルバム「ヘヴィ」発表後ダリル・デローチ(ヴォーカル)が脱退、1969年末までイングル、リー・ドーマン(ベース)、ロン・ブッシー(ドラムス)、エリック・ブラン(Erik Brann、またはエリック・ブラウンErik Braunn、ギター)の4人で活動する。次のアルバムでタイトル曲の17分におよぶ「ガダ・ダ・ヴィダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」がヒットして、注目された。3枚目のアルバム「ボール」発表後ブラン脱退、マイク・ピネラ(ギター)、ラリー・“ライノ”・ラインハルト(ギター)が加入し1971年にいったん解散する。ピネラはカクタスなど、ドーマン、ラインハルトはキャプテン・ビヨンドに参加した。
 1974年にロン・ブッシーとエリック・ブランにより再結成。解散前のメインのソングライターであったダグ・イングルとリー・ドーマンが不在の為、発表された二作品は、解散前とは異なる音楽性の作品となった。 一時1986年は完全休止したがライブ中心に活動。2002年から2012年までの中心メンバーはロン・ブッシー、リー・ドーマン、チャーリー・マリンコビッチ、マーティン・ガーシュウィッツ。
 2003年7月25日エリック・ブラン死去。
 2012年12月21日、リー・ドーマンが死去。70歳没。
 2015年現在、マイク・ピネラを中心とした編成で活動中(ロン・ブッシーは不参加)。
(2016年11月11日、2012年脱退のベーシスト、グレッグ・ウィリスが心臓発作で死去、67歳没。2016年11月25日、1999年~2005年在籍のキーボード奏者ラリー・ラストが死去、63歳没)
○ディスコグラフィー(アルバム)
・ヘヴィ (Heavy) 1968年 - アトコ・レコード
・ガダ・ダ・ビダ/ガダ・ダ・ヴィダ (In-A-Gadda-Da-Vida) 1968年 - 累計3000万枚という記録的なセールスを挙げた。
・ボール (Ball) 1969年
・変身 (Metamorphosis) 1970年
・スコーチング・ビューティー 1975年 - MCAレコード
・サン・アンド・スクィール 1975年
(ライブ)
・アイアン・バタフライ・ライヴ (Iron Butterfly Live) 1970年 - アトコ・レコード
Fillmore East 1968 2011年
(ベスト盤)
・ベスト・オブ・アイアン・バタフライ
(ウィキペディア日本語版より、一部英語版ウィキペディアより追補)

 以上、日米文献から簡略な項目を全文引用しました。英語版ウィキペディアではさすがに現在も活動中のバンドだけに詳細なバイオグラフィーと楽曲解説、メンバーの異動の変遷が記録されており、結成された1966年~2017年現在までに少なくとも53回のメンバー・チェンジ、57人の正式メンバーが確認されています。もっともアルバムの数はそれほど多くない、どころか活動50年にもなろうというバンドとしては異例なほど少ないのですが、それでもライヴ・バンドとして息の長い活動を続けられているのは突出したサイケデリック/ヘヴィメタル・クラシック「ガダ・ダ・ヴィダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」があるからに他なりません。また、2011年にリリースされた限定版2枚組CDの発掘ライヴ『Fillmore East 1968』は高プレミアを呼び、同作が普及版で再発売された2014年にはハードロックとサイケデリック・ロックのインディー・レーベル、Purple Pyramid(Cleopatra Records傘下)からさらに3作の発掘ライヴが同時発売されました。日本語版ウィキペディアのディスコグラフィーはあまりに簡略すぎるので、英語版ウィキペディアから発売年月とチャート順位を補ってみます。

[ IRON BUTTERFLY ORIGINAL ALBUM DISCOGRAPHY ]
1968.1 Heavy (ATCO) - US#78
1968.6 In-A-Gadda-Da-Vida (ATCO) - US#4, US No.1 Album of Billboard 200 in 1969 Year End Charts*
1969.1 Ball (ATCO) - US#3
1970.4 Live (ATCO) - US#20
1970.8 Metamorphosis (ATCO) - US#16
1971.11 Evolution: The Best of Iron Butterfly (ATCO) - US#137
1975.1 Scorching Beauty (MCA) - US#138
1975.10 Sun and Steel (MCA) - US#-
(Posthumous Live Recorded Album)
2011.10 Fillmore East 1968 (Rhino Handmade, ATCO Records)
2014.5 Live in Sweden 1971 (Purple Pyramid)
2014.5 Live At The Galaxy 1967 (Purple Pyramid)
2014.5 Live In Copenhagen 1971 (Purple Pyramid)

*(Explanatory note)
Top 5 Albums of Billboard 200 in 1969 Year End Charts
1. Iron Butterfly / In-A-Gadda-Da-Vida (ATCO)
2. Original Cast / Hair (RCA)
3. Blood, Sweat And Tears / Blood, Sweat And Tears (Columbia)
4. Creedence Clearwater Revival / Bayou Country (Fantasy)
5. Led Zeppelin / Led Zeppelin (Atlantic)

(Original ATCO "Heavy" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 アイアン・バタフライはザ・シーズ、ザ・ドアーズ、SRC、ヴァニラ・ファッジ、ストロベリー・アラーム・クロック、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ステッペンウルフらと前後してデビュしたアメリカのサイケデリック系オルガン・ロックのバンドで、オルガン・ロックはザ・ヤング・ラスカルズを起点としてもいいですが、この時期はヘヴィ・サイケのオルガン・ロックが若手アーティストの通る道でした。ビリー・ジョエルのハッスルズやアッティラ、ブルース・スプリングスティーン&スティール・ミルなど意外なヘヴィ・サイケ作品もあり、商業的な成功ではアイアン・バタフライは頂点を極めたバンドです。ドアーズはヴォーカリストのジム・モリソン生前の全7作をゴールド・ディスク、うちスタジオ録音盤6枚すべてを全米チャート・トップ10入りさせ、シングルでもNo.1ヒットを3曲持つアイアン・バタフライ以上の存在でしたが、それでも『In-A-Gadda-Da-Vida』のような例外的な大ヒット・アルバムはありません。というより、アイアン・バタフライの成功自体が不相応で、10年後には『Rolling Stone Record Guide』などで過去の遺物と片づけられることになります。バタフライと並べて聴くと、ラスカルズ(フェリックス・キャヴァリエ)やドアーズ(レイ・マンザレク)、ヴァニラ・ファッジ(マーク・ステイン)らのセンスの良さとバンド全体の安定したテクニックは安易なオルガン・ロックとは一線を画しているのがわかります。ラスカルズ、ドアーズ、ヴァニラ・ファッジにせよ悪くいえば内容の空疎さではバタフライと大差ありませんが、音楽は確かな肉体性に裏打ちされており、ヴォーカルと演奏の表現力が本来の力量の限界以上にくり返し聴くに堪えるスケールに達しています。また、同時代のイギリスのオルガン・ロックがジミー・スミスの影響から出発しているのに対して、アメリカのオルガン・ロックはジミー・スミス的なオルガン・スタイルに距離を置くことから音楽を発想しているとも言えるでしょう。テクニカルな面でオルガン・ロックを追求していくならジミー・スミス以上の先駆者はなく、アメリカのオルガン・ロックがイギリスのオルガン・ロックより稚拙に聴こえるなら、それはむしろジミー・スミスやブッカー・T&MGズ的なジャズ・ファンク、ソウル・ジャズ的な下地を取り払ったからこそでした。もっともブリティッシュ・インヴェンジョン期のイギリスのビート・グループでもジ・アニマルズ、マンフレッド・マン、デイヴ・クラーク・ファイヴ、ザ・ゾンビーズらはアメリカ音楽のコピーに留まらない成果を上げており、60年代当時はアメリカとイギリスのロックのキャッチボールは70年代以降とは比較にならないほど素早く、直接的で大胆でした。アメリカのオルガン・ロックは、イギリスのオルガン・ロックがアメリカのオルガン・ジャズを消化しきれなかった部分から一気に白人オルガン・ロックのスタイルを作り上げたように見えます。
 先に上げた60年代後半アメリカのオルガン・ロックのバンドでも、バタフライのデビューは遅い部類で、1967年にはドアーズとヴァニラ・ファッジが全米年間アルバム・チャート・トップ10入りのデビュー作を発表していました。ドアーズはワーナー配給のエレクトラ、ファッジはワーナー傘下アトランティックのサブ・レーベルだったアトコのアーティストであり、1968年に米アトランティックとの直接契約でデビューしたレッド・ツェッペリンはファッジとバタフライの前座バンドとしてデビュー直後の全米ツアーをまわっています。ファッジとバタフライはジェフ・ベック・グループとのジョイント公演も多く、ファッジの実力はツェッペリンやベックからも賞賛され、ベックなどはファッジのメンバーを引き抜いて解散させてしまったほどですが、バタフライは前座のツェッペリンやベックに易々と食われてしまったといいます。また発掘ライヴ『Fillmore East 1968』に収められた'68年4月26日、27日のニューヨーク公演はジミ・ヘンドリックスの前座でした(ジミのデビュー・アルバム『Are You Experienced ?』'67は1967年の全米年間アルバム・チャート1位を獲得しています)。この'68年4月の時点ですでにバタフライは『Heavy』のメンバーのうちダグ・イングル(vo, org)とロン・ブッシー(ds)以外の3人(ダリル・デローチ/vo、ダニー・ワイス/g、ジェリー・ペンロッド/b)が脱退し、リー・ドーマン(b)と弱冠17歳のエリック・ブラン(g)が加入した、バタフライ史上黄金期と言えるメンバーになっています。ただしこの4人で制作されたアルバムは(発掘ライヴを除くと)『In-A-Gadda-Da-Vida』、『Ball』、『Live』の3作しかなく、『Live』の収録も'69年5月ですから正味1年間だけのラインナップだったことになります。本デビュー作はニューオリンズのR&Bクラシック、A3を除いてメンバーのオリジナル曲ですが、専任ヴォーカリストのデローチの単独ヴォーカル曲は3曲しかなく、ヴォーカル/オルガンのイングルとの共作も作詞だけです。セカンド・アルバム『In-A-Gadda-Da-Vida』では全曲イングル単独オリジナル曲とヴォーカルを勤めますから、デビュー作完成後にはデローチの居場所はなくなったということでしょう。ギターのワイスはアルバム発表前に独立して自分のバンド(ライノセロス)を始めただけのことはあり、ベースのペンロッドはさすがにドーマンには及ばない腕前ですが、バタフライの場合はイングルとブッシーが一旦解散するまで引っ張っていたバンドだったのがアトコ時代のアルバムを通して聴くと痛感されます。サン・ディエゴ出身のバタフライはザ・バーズ、ラヴ、マザーズ、ドアーズに次いでロサンゼルスのロック・シーンから出てきたバンドで、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドらコミューン意識の強いヒッピー文化を背景としたサンフランシスコと違ってプロ意識の高い土壌からデビューしました。それだけにバンド自体の総合力があまり高くないのがそのまま結束力の低下となって表れ、短い全盛期の後はセルフ・トリビュート・バンド化した長い現役活動に至ったように思えます。

映画日記2017年11月16日~18日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(6)

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 英語版ウィキペディアではラオール・ウォルシュの項目に「アメリカの映画監督・俳優でアメリカ映画芸術科学協会(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)創設者の一人、サイレント時代の映画俳優ジョージ・ウォルシュ(1889-1980)の兄。俳優としてはサイレント映画の古典『国民の創生』'15のリンカーン暗殺犯ジョン・ウィルクス・ブース役で知られ、監督作品ではジョン・ウェイン主演の『ビッグ・トレイル』'30、アイダ・ルピノとハンフリー・ボガート主演の『ハイ・シェラ』'41、そしてジェームズ・キャグニーとエドマンド・オブライエン主演の『白熱』'49で知られる。1964年の監督作品をもって引退した」とあります。1989年より施行された映画フィルム保存法によるアメリカ国立フィルム登録簿に現時点では『リゼネレーション(更生)』'15(2000年度登録)、『バグダッドの盗賊』'24(1996年度登録)、『ビッグ・トレイル』(2006年度登録)、『白熱』'49(2003年度登録)の4作が永久保存文化財作品として選出されており、ウォルシュより後輩になるジョン・フォード、ハワード・ホークスより少ないのは評価の立ち後れを感じますが、上記4作を取ってみても35年あまりの開きを置いて里程標的作品と認められた作品があるのは、移り変わりの激しかった当時の映画界でも稀有なことになります。特に『白熱』は初公開時にヒットしたのみならず映画界と観客が世代交替するにつれ評価が高まり、製作から70年近く経った現在では数あるウォルシュの中でも突出した人気を誇る作品です。138本、うち長編映画だけでも100本以上あり、1913年の監督デビューから1964年の引退作品まで50年を越えるキャリアも歴代の映画監督ではトップクラスの業績ですが、ウォルシュ作品の全容はまだ評価の途上にあり、上記の著名作以外にも今後代表作に上がってくる作品もあると思われます(『リゼネレーション』は'70年代後半にプリントが発見されるまで散佚作品とされていましたし、サイレント期や'30年代にはプリントの所在不明、または部分欠損している作品が多数あります)が、1949年の『白熱』『死の谷』の2作はウォルシュの全作品中でも1941年の4作『ハイ・シェラ』『いちごブロンド』『壮烈第七騎兵隊』『大雷雨』と並ぶ高峰と言えるでしょう。この時点で監督歴が35年を越えた大ヴェテランの作品とは思えないほど、第二次世界大戦後のアメリカ映画でも戦後世代の新進監督に互して若々しい作風を示したのが『白熱』『死の谷』です。今回この2作のリンクを引いたYou Tubeは無料視聴の上に英語字幕自動生成機能もありますので、ヒアリングが困難な場合でも大体の会話は追えますからぜひご利用下さい。

●11月16日(木)
『白熱』White Heat (ワーナー'49)*113min, B/W; 日本公開1952年(昭和27年)12月/アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(2003年度) : https://youtu.be/VNJQldHBntE (Full Movie)

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] ヴァージニア・ケロッグのストーリーから「艦長ホレーショ」のアイヴァン・ゴッフとベン・ロバーツが共同で脚色したギャング映画1949年作品で製作ルイス・エデルマン、監督は「艦長ホレーショ」のラウール・ウォルシュである。撮影は「死の谷」のシド・ヒコックス、音楽は「風と共に去りぬ」のマクス・スタイナーの担当。主演は「キャグニーの新聞記者」のジェームズ・キャグニーと「艦長ホレーショ」のヴァージニア・メイヨ、「拳銃無情」のエドモンド・オブライエンで、以下「明日なき男」のスティーヴ・コクラン、「月世界征服(1950)」のジョン・アーチャーらが助演する。
[ あらすじ ] 凶悪殺人ギャングのコディ・ジャレツ(ジェームズ・キャグニー)は、一味と共に財務省の郵便馬車を襲って現金30万ドルを強奪した後、母(マーガレット・ウィチャリー)と妻ヴェルナ(ヴァージニア・メイヨ)の待つ山のかくれ家に逃げ、官憲迫ると見て、瀕死の部下だけを残して逃亡した。Tメン(財務省防犯課)はこの事件をコディ一味の仕業と推定、ひそかに内定を進めた末、課長エヴァンス(ジョン・アーチャー)はロサンゼルスのホテルにひそむ一味を発見したが逃げられてしまった。コディは捜査を免れるためイリノイのホテルを強盗して自首して出た。官憲はその裏を察して望み通り投獄した上、課員のハンク・ファロン(エドモンド・オブライエン)を同じ監房に潜入させた。一方ヴェルナは、夫が獄入りしたのを待ちかねて一味のビッグ・エド(スティーヴ・コクラン)と通じ、エドは獄中の手下に連絡してコディをひそかに亡き者にしようと図った。この計画はハンクの機敏な働きで未遂に終わったが、そのためコディはすっかりハンクを信頼するようになった。ハンクはコディに脱獄をそそのかし、一味の本拠を突き止める計略をたてた。ところがコディは新来の受刑者から母が死んだことを聞いた途端、持病の神経性発作に襲われて病室行きの身となったので、ハンクから連絡を受けたTメンは全員引き揚げてしまった。一方病室へ入ったコディは医者を脅迫しつつ信頼するハンクらを引き連れてみごと脱獄してのけた。一行はエドとヴェルナのひそむ山小屋に辿りつき、コディは母の仇とばかりエドを殺害した。ハンクは一味の重要人物になり上がっていったが、官憲に通報する暇もないまま、コディと共にロング・ビーチの大化学工場を襲うことになった。彼はラジオ部品をトラックに装置し、警官を誘導して工場に入った。金庫焼き切りの現場でハンクは財務省のイヌであることを見破られてしまったが、やっと警官の元へ逃れ、唯一人石油の大タンクに逃げ昇ったコディは、大爆発と共に散っていった。

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 邦題『白熱』は今日のセンスならば原題のまま『ホワイト・ヒート』、未公開映画のまま'70年代にテレビの深夜放映になればさらに副題に「~壮絶!マザコンギャングの逆襲~」とでも付けられたかもしれませんが(当時のテレビ放映の外国映画の邦題は滅茶苦茶でした)、『White Heat』というと同時代のニューヨークの画家、ジャクソン・ポロックの『The White Light』(オーネット・コールマンのアルバム『Free Jazz』'60のジャケット・アートに転用された例の絵です)と対になってヴェルヴェット・アンダーグラウンドのセカンド・アルバム『White Light / White Heat』'68が連想されますし、フィルム・ノワール作品からアルバム・タイトル、バンド名を採るのは同作以降ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンのロックバンドの慣習になりました。そうした余波は抜きにしても、細部には製作年代の事情を反映していますが(犯人の逃走する車に付けた発信機からの位置特定が、通信衛星のない時代なので地上から2台のパトカーによる2点からの電波捜索で行われる、など)それも時代相の描写としてスリリングに描かれているので、現在1949年を舞台にしたギャング映画を企画しても本作に迫る作品は容易に作れないでしょう。当時新進監督だったジョセフ・ロージー、ロバート・ロッセン、ニコラス・レイ、サミュエル・フラー、バット・ベティカーらの作品は様式性を壊した激しい感情の発露でハリウッド映画の変質を告げるものでしたが、本作『白熱』はそれら新しいアメリカ映画の傾向にあってももっとも鋭く斬新な爆発的ムードに満ちており、名前を伏せられれば新進気鋭の監督のものした画期的傑作と騒然となるような作品でした。ワーナーのスター俳優ジェームズ・キャグニー(1899-1986)はハンフリー・ボガートと同年生まれですが、舞台俳優やヴォードヴィリアンを経てトーキー化の進んだ1930年にワーナーと契約、トーキー初期・ギャング映画ブームの3大傑作の一つと言われたウィリアム・ウェルマン作品『民衆の敵』'31(後の2作はE・G・ロビンソン主演のマーヴィン・ルロイ監督作品『犯罪王リコ』'30、ポール・ムニ主演のハワード・ホークス監督作品『暗黒街の顔役』'32)で一躍スターになります。キャグニー、ロビンソン、ムニといい当時の悪役スターはみんな小柄でした。キャグニーは多芸多才な俳優だったのでシェークスピア劇の映画化作品『真夏の夜の夢』'35、西部劇『オクラホマ・キッド』'39、人情歌謡映画『いちごブロンド』'41、アカデミー賞主演男優賞を受賞した伝記ミュージカル『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』'42などで人気を博す一方、ギャング映画の主演でもマイケル・カーティス作品『汚れた顔の天使』'38、ウォルシュの『彼奴は顔役だ!』'39(ロバート・ロッセン脚本)でも助演時代のハンフリー・ボガートと共演しています。'40年代のキャグニーは主演俳優に昇格したボガートの人気に水を開けられていきますが、ひさしぶりにギャング映画でウォルシュと組んだ『白熱』はキャグニーみずから脚本の改稿にアイディアを出した力作になりました。マザーコンプレックスで精神障害者の遺伝を持った凶悪なギャングが母親を仲間に殺され、復讐のために脱獄し、ついには石油タンクに火を放って爆死する壮絶なキャラクター設定はキャグニー自身によるもので、刑務所の大食堂で食事中に母親の死の報を知り狂乱状態に陥るシーンなどは服役囚役の数百人のエキストラには事前に何も知らされていなかったため、本当にキャグニーが発狂したと思ったエキストラの大群が凍りついた、というエピソードを残した凄まじい場面になっています。全編の緊張感と冷たい残虐描写で本作は、旧来のギャング映画やフィルム・ノワール作品を超えたニューロティックな陰惨さで'60年代~'90年代のアメリカのヴァイオレンス映画を先取りした面があり、時代が下るに連れた評価の高まりはその先駆性と、革新性に由来した実験的ですらある生々しさがかもし出す現代性によると言えるでしょう。ウォルシュの前作『特攻戦闘機中隊』'48で第二次世界大戦中のエース・パイロットを主演し、映画ともどもぱっとしなかったエドマンド・オブライエンも敏腕潜入捜査官役で見違えるような好演を見せており、キャグニーの妻を演じるヴァージニア・メイヨと通じて服役中のボスの座を奪い、脱獄したキャグニーに惨殺されるギャング団No.2のスティーヴ・コクランは、後にイタリアでアントニオーニの突然変異的な衝撃的作品『さすらい』'57の主役の孤独な放浪者に起用されます。10年前だったらコクランの役はハンフリー・ボガートの役どころだったでしょう。キャグニー服役中にコクランとの仲を感づかれメイヨに殺される(キャグニーはコクランの仕業と思い込む)キャグニーのママ役のマーガレット・ウィチャリーの口癖は「お前は世界一におなり」で、映画のラストで追い詰められたキャグニーは「ママ、おれは世界一だ!」と叫んで石油タンクに放火し自爆しますが、その光景にオブライエンと防犯警察上司が「本当に世界一派手に死にやがった」と交わす会話がいかしています。類似した先例がないでもありませんが、多くの後続の犯罪映画が悪党の自爆で終わるのは本作の直接・間接の影響が大きいでしょう。残念ながらこの自爆シーンはカット割りがいまいちアイディアを生かしきっておらず、ゴダール1965年の例の傑作を知る後世の観客には惜しい、と思わずにはいられませんが、ウォルシュの映像技法は師のグリフィスから学んでフォード、ホークスらアメリカの主流映画の基本的な客観的視点の遠近法と切り返しでカットを構成する文体が基本なので、ヒッチコックやオーソン・ウェルズが開発したような視点人物の主観ショットと客観的ショットの交錯で距離感を自在に操作し強い臨場感を高める手法は使わない監督です。前記の戦後監督たちはヒッチコック、ウェルズらの文体革新を踏襲しており、それが古典的映画文法を固持したウォルシュとの違いですが、本作ほどの強烈な内容であれば『白熱』を技法をもって古いタイプの映画とするとは言えず、一触即発の迫力を充満させた総合的な成功を達成しているからには紛れもなく戦後映画の傑作と呼ぶに足る出来ばえです。思い残すところがあるとすればこれもウォルシュの大傑作である『壮烈第七騎兵隊』'41のようにユーモアと壮絶さが同居して渾然一体となった味わいが、本作と『死の谷』ではニヒリズムと紙一重のブラック・ユーモアこそあれウォルシュの一面の魅力である大らかなユーモアが見られない点ですが(キャグニー主演のウォルシュのギャング映画でも『彼奴は顔役だ!』にはそれがありました)、これはそれぞれの作品のカラーであり無い物ねだりというものでしょう。また本作でウォルシュ=キャグニーが作り上げた狂気の犯罪者像は後にあまりにも多くの類似作を生んだので損をしている面もあります。その意味では、本作をより新鮮に観ることのできた当時の観客が羨ましくなるような作品でもあるともいえるでしょう。

●11月17日(金)
『死の谷』Colorado Territory (ワーナー'49)*94min, B/W; 日本公開1950年(昭和25年)5月 : https://youtu.be/owHzelPbnX8 (Full Movie)

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] お尋ね者とあばずれ女の悲恋を描く西部劇。ジョン・トゥイストとエドモンド・H・ノースの原作の映画化で、脚本はトゥイストとノースが執筆。製作はアンソニー・ヴェイラー、監督はラウール・ウォルシュ撮影はシド・ヒコックス、音楽はデイヴィッド・バトルフ、編集はオウエン・マークスが担当。出演はジョエル・マクリー、ヴァージニア・メイヨ、ドロシー・マローン、ヘンリー・ハル、ジョン・アーチャーなど。
[ あらすじ ] 1870年代、中西部のコロラド。ともに裏街道を生きる牢破りのお尋ね者ウェス(ジョエル・マクリー)とあばずれ女コロラド(ヴァージニア・メイヨ)が不幸な絆ゆえに結ばれた。2人は誰ひとり祝福してくれる者もない荒野の結婚式に束の間の幸せを感じ、絶望の中にも一筋の希望を見出すが、万策尽きて抱き合いながらシェリフの銃弾に倒れるのだった。
(英語版ウィキペディアによる)
 本作は同じウォルシュの監督によるハンフリー・ボガート主演の1941年の犯罪映画『ハイ・シェラ』のリメイクであり、同じ原作小説に拠りながら銀行強盗を西部劇の列車強盗に置き換えたもので、同作にはまた3度目のリメイクでジャック・パランス、シェリー・ウィンタース主演の1955年度作品『俺が犯人(ホシ)だ!』(監督=スチュアート・ヘイスラー)がある。
○あらすじ 悪名高い無法者ウェス・マックイーン(ジョエル・マクリー)は、脱獄の手引きをしてくれた旧友でボスのデイヴ・リッカード(ベイジル・ルイスダール)の住むコロラド州へ向かう途中、乗った馬車が強盗団に襲撃される。運転手と警備員は殺されたが、マックイーンは強盗団を撃退して同乗していた移住者フレッド・ウィンスロー(ヘンリー・ハル)と娘ジュリー・アン(ドロシー・マローン)に感謝される。ウィンスローはまだ見ぬ牧場を買っており、新しい生活を楽しみにしていた。マックイーンはゴースト・タウンのトードス・サントスに着き、次の仕事仲間リノ・ブレイク(ジョン・アーチャー)とデューク・ハリス(ジェームズ・ミッチェル)、そしてリノが拾ってきたインディアンの混血の女、コロラド・カーソン(ヴァージニア・メイヨ)と合流する。マックイーンは彼らを気に食わず、近くに住む病床のリッカードに会い、最後の大きな列車強盗が済んだら足を洗いたいと頼む。リッカードはリノとデューク、元私立探偵で情報提供者のプルースナー(ハリー・ウッズ)、鉄道車掌のウォレス(イアン・ウルフ)を列車強盗のチームにするが、マックイーンは不信感を抱きながらも協力的に加わることに同意する。計画実行までの間、レノとデュークの争いの種にならないようにマックイーンはコロラドに常時つき添うことにした。コロラドはマックイーンを愛するようになったが、マックイーンはジュリー・アンと結婚して落ち着く希望を抱いていた。マックイーンはウィンスローの牧場を訪ねて、乾いて土の痩せたひどい土地なのを知る。ウィンスロー父娘はマックイーンとの再会を喜んだがジュリー・アンは貧困な生活を嘆き、娘が席を外した間にウィンスローはマックイーンにジュリー・アンが東部に住む裕福な男、ランドルフとの結婚を夢見ていると知らせる。ウィンスローが娘をランドルフから引き離したのはランドルフが地元の同じ階級の女としか結婚するつもりのない男だったからだった。マックイーンは父親の話を聞いてもジュリー・アンとの結婚の意志を変えなかった。 ――そして強盗計画当日、疑いの消えないマックイーンはウォレスの妻に噂話をするふりをして、ウォレスが報酬金のために裏切ったことを知る。汽車は出発し、マックイーンは走行中の列車から保安官とウォレスの乗った後部車両を切り離す。リノとデュークもプルースナーの企みでマックイーンを裏切る予定だったが、マックイーンは先回りして二人を手錠で縛り上げ、列車を脱出してリッカードの家に着くが、死んだリッカードの傍らにプルースナーが待っていた。プルースナーからの折半しようという要求をマックイーンは断り、すかさず銃撃してきたプルースナーをマックイーンは倒すが肩に銃弾を受ける。負傷したマックイーンはコロラドとともにウィンスロー牧場に向かい、マックイーンは自分の正体を明かすが、ウィンスローの親愛の情は変わらずコロラドがマックイーンの肩から銃弾を摘出する手助けをする。やがて保安官がお尋ね者のマックイーンを訊いて回りに立ち寄り、ウィンスローはとぼけてやりすごしたが、隠れているマックイーンの耳にジュリー・アンが懸賞金の2万ドルのために保安官を呼び戻そうとして、父ウィンスローが娘を叱る声が聞こえる。マックイーンはコロラドとともにウィンスローに別れを告げ、本当に愛する相手はコロラドと気づいて結婚を申し込む。トードス・サントスの教会でメキシコでの挙式を勧められた二人は別々にメキシコに逃れて落ち合い結婚する約束をし、コロラドに強奪金を託したマックイーンは一人で荒れ地の彼方の国境へと向かう。教会の献金箱に金を隠したコロラドは後から向かうが、マックイーンは保安官の一行の追跡でインディアン居住区跡地に追い詰められていた。コロラドもその後を追って、ついにマックイーンが追い込まれた死の谷に到着するが、保安官はコロラドを利用して、断崖の上に回った狙撃手が狙えるようにマックイーンをおびき出す計略を立てる。わざと隙を見せてコロラドに銃と馬を奪わせ、コロラドは2丁の拳銃と2頭の馬を連れてマックイーンに向かって歩き出す。岩壁に「コロラドは無実だ」と文字を刻んでいたマックイーンはコロラドの呼び声に気づき、洞から出て走り寄ろうとして断崖の上から狙撃され、コロラドの反撃も空しく、駆け寄った二人に容赦なく保安官たちの銃撃が浴びせられ、マックイーンとコロラドは手を握りあったまま斃れた。その頃、トードス・サントスの教会ではメキシコに旅立った幸福な若夫婦を祝福する信徒たちの姿があった。

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 本作はなぜかキネマ旬報の記録が極端に簡略なので英語版ウィキペディアの解説文から抄訳を併載しました。映画のクレジットには原作者の名前がなくオリジナル脚本扱いのクレジットロールになっていますが、原作はそのまま『ハイ・シェラ』としてワーナーが映画化していますから、同じ原作小説で西部劇というのでは混乱を招くことからそれなりに再映画化に際しての仁義を通して作者もノンクレジットを了解したのでしょう。アイダ・ルピノとハンフリー・ボガート主演の現代の銀行強盗犯罪映画『ハイ・シェラ』と、ヴァージニア・メイヨとジョエル・マクリー主演の列車強盗の西部劇映画『死の谷』、監督も同じラオール・ウォルシュで8年置いてのリメイクです。前作『白熱』からしばらくウォルシュ作品のヒロインはメイヨになりますが、メイヨは戦時中に健康的なセクシーさが売り物の、どちらかといえばコメディエンヌ的な役柄でデビューした女優で、『白熱』や本作での起用は演技派女優への転向の意味もあったと思われます。顔立ちも美女というよりは日本的に言えばおかめ顔といったところで、ハリウッド映画のヨーロッパ的な美女の系列には入らない女優でしょう。『白熱』では尻軽女っぽさはよく出ていたと思いますが、ギャングのボスの妻らしい貫禄にはどうにも欠けたので役柄の割に見せ場も少なかったのだと推察されます。ところが本作のインディアンと白人の混血娘の孤児を演じるメイヨは見違えんばかりに清純で情熱的な美しさを放っています(キネマ旬報の「あばずれ女」は間違いで、そんなズベ公みたいな女ではない、純情一徹な女です)。さすがにスタイルは素晴らしいので現代女性の服装よりももっと素朴に女らしさを強調した西部劇の衣装の方がプロポーションが際立つのもありますが、本作でメイヨが演じるキャラクターが日本人好みの「愛する男が振り向いてくれるのを待つ女」というのもあるでしょう。本作は1950年(昭和25年)日本公開ながら'60年代初頭にも日本でリヴァイヴァル公開されて新作以上のロングラン・ヒットを記録したそうですが、それもメイヨの魅力が大きかったのだろうと思います。『ハイ・シェラ』'41の日本公開が昭和63年(1988年)になったのは日米開戦の年の作品だったからでもありますが、同年のウォルシュ作品『いちごブロンド』『壮烈第七騎兵隊』『大雷雨』が戦後間もない昭和20年代に日本公開され、本作もアメリカ本国公開の翌年に日本公開されているのに『ハイ・シェラ』だけが長く未公開作品になっていたのは昭和20年代には犯罪映画の現代劇で犯罪者に同情的な描き方がGHQの検閲で撥ねられたこと、昭和30年代には大スターのハンフリー・ボガートのイメージにそぐわないこと、昭和40~50年代には古い映画で興行価値がないと見なされてしまったこと、などで、日本未公開の幻の名作に光が当てられるようになった'80年代後半にようやく映像ソフト化も見込んで日本公開が実現したのでしょう。『ハイ・シェラ』のリメイク『俺が犯人(ホシ)だ!』'55は即座に日本公開されているほどですから、よくよく運が悪かったわけです。『ハイ・シェラ』と本作はかわるがわる観るたびどちらが良いか悩ましい名作ですが、主演俳優の格から言えばどうしても『ハイ・シェラ』に軍配が上がります。それでも全編に溢れる情感の深さでは『死の谷』の濃密さが圧倒的で、どちらが原作に忠実かわかりませんが主人公が恋い焦がれた女に裏切られる、『ハイ・シェラ』では難病の少女が手術に成功するとコロリと軽薄な男に転んでいたわけですが、『死の谷』では匿われていた家に保安官が来ると懸賞金目当てに主人公を売ろうとする、それだけでも主人公の痛切な思いに大きな軽重の差が表れます。また『ハイ・シェラ』の結末の犬の役割がいかにも出来すぎていて生き残ったルピノの感動的なラスト・カットと相殺されていること、『死の谷』の衝撃的なマクリーとメイヨの死(結びあった手と手のミドル・ショットの感動)などまったく同一の原作からこの2作ほど豊かなヴァリアントを作り出した(脚本レベルではなく演出そのものも)のはウォルシュがいかに広い表現力を持った監督か感嘆するばかりです。フィルム・ノワールの名手スチュアート・ヘイスラー監督の『俺が犯人(ホシ)だ!』は未見ですが、展開、演出、カット割りまで『ハイ・シェラ』の忠実な再映画化とのことです。最後に主人公(ボガート、マクリー)が追い詰められる「ハイ・シェラ」「死の谷」を比較すると『ハイ・シェラ』の方がとんでもない岩山の凄さが出ていて、違いを意図したか単に予算不足のロケ地だったか『死の谷』の岩山はチャチく、鉄筋8階建てマンションと木造2階建てアパートほどの差があり、その替わり銀行の金庫破りがチャチい『ハイ・シェラ』に較べ『死の谷』は大がかりな見せ場たっぷりの列車強盗で映画の予算配分も大変だと思いますが、アメリカ本国での評価では先にボギー初主演作『ハイ・シェラ』があるせいで『死の谷』が割りを食っているのは想像に難くありません。「ラオール・ウォルシュは『バワリー』と『いちごブロンド』と『懐しのアリゾナ』だけでも首ったけなのにこの『死の谷』のすばらしさは私を卒倒させた」(『映画となると話はどこからでも始まる』勁文社'85)と淀川長治さんは書いておられます。淀川氏を卒倒させた映画というだけでも、本作は避けて通れない一本ではありませんか。

Sun Ra - Space Probe aka A Tonal View Of Times Tomorrow (Saturn, 1974)

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Sun Ra and His Arkestra - Space Probe aka A Tonal View Of Times Tomorrow (Saturn, 1974) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL505BA2BEEFE789AE
Side A recorded in Chicago, 1960's
Side B recorded in Philadelphia, 1970's
Released by El Saturn Records #14200, 1974
Also Released as A Tonal View Of Times Tomorrow El Saturn Records 527, El Saturn Records 14200, 1974
All Compositions & Arrangements by Sun Ra
(Side A) Performed by Sun Ra
A1. Space Probe - 18:08
(Side B) Performed by The Sun Ra and His Arkestra
B1. Primitive - 2:30
B2. The Conversion Of J.P. - 14:04
[ Sun Ra and His Arkestra ]
Sun Ra - mini-moog synthesizers(A1), intergalactic instruments(B1), piano(B2)
John Gilmore - bass clarinet(B1)
Marshall Allen - flute(B2)
prob. James Jacson - log drums
Nimrod Hunt (Carl S. Malone) - hand drums
other Arkestrian - percussion

(Original El Saturn "A Tonal View Of Times Tomorrow" LP Front Cover)

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 このアルバムは「またかよ」と思わせるような雑で投げやりな編集盤のようなタイトルとジャケットなので、一見さんお断りの雰囲気がリスナーを遠ざけているようにも感じます。サターン・レーベルはサン・ラ直営インディーズだけにいい味出している時と「これはないだろう」という時が半々で、今回のジャケットは裏ジャケットの貼りつけ、レコード・レーベルの記載ともどもアーケストラのメンバーのハンドメイドのようですが、ジャケットもジャケットならレコード・レーベルまでひどいもので、これで良い内容のアルバムを期待せよというのは無理があります。数あるサターン盤でもここまで汚いのは本作ならではと、むしろ特色と言うべきかもしれません。
 また本作は正規のCD再発が2011年まで遅れたアルバムで、筆者もオリジナルLPは見たことがなく正規再発前には海賊盤CD-Rでかろうじて所持していたにすぎず、Art Yardレーベルは信頼に足る再発レーベルですが流通枚数がとても少ないので、現状サン・ラ絶頂期のアルバムではもっともオブスキュアな1枚と言えそうです。サン・ラのアルバムは音源管理が十全だったものからCD化されたので、本作のCD化の遅れの原因はマスター・テープが長年行方不明だったからかもしれません。

(Original El Saturn "Space Probe" LP Liner Cover & Various Side A/B Label)

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 本作がややこしいのは『Space Probe』と同時に同内容のアルバムが『A Tonal View Of Times Tomorrow』と別名でも発売されており、違いは『Space Probe』が「Sun Ra and His Arkestra」名義に対して『A Tonal View Of~』ではジャケットは「Sun Ra and His Arkestra」名義でレーベルでは「Sun Ra and His Intergalactic Research Arkestra」名義(いつものことですが)、曲順にも違いがあり、サン・ラのソロ演奏のA面「Space Probe」は『A Tonal View Of~』ではB面になり 、アーケストラによるB面はA面になってA1「The Conversion」、A2「The Primevil Age」とタイトルを少し変えて1曲目と2曲目を逆にしています。
 こちらも手描きの汚いジャケットですがレーベルは印刷されており、しかも『A Tonal View Of~』のジャケットの中に入っているレコード・レーベル自体にはアルバム名が『Space Probe』、曲順はA面アーケストラ、B面ソロになっています。おそらく順序はLP(盤本体)のプレスを進めるうちレーベル印刷経費に不足が生じてしまった。そこでまずレーベル印刷分は『A Tonal View Of~』の手描きジャケットに入れられ、残りは白レーベル盤のままプレスされて(AB面、曲順も逆に変更されて)、メンバーの手描きジャケットと手描きレーベルで『Space Probe』として同内容・別タイトル・別ジャケット・別曲順のアルバムが同時発売されることになったと思われます。このご紹介では印刷レーベルでは当初から『Space Probe』が正式タイトルだったと思われることや曲順の改訂など『A Tonal View Of~』より『Space Probe』を決定版と見ました。何よりA面全面を占める同名曲「Space Probe」があるからこそアルバム『Space Probe』の存在意義もあるからですが、サターン・レーベルはわざと同内容・別タイトルでリリースした節が大いにあります。マスター・テープ管理に不始末が生じた原因がリリース方法から混乱を招いたからだとしたら、この重複リリースは(手製ジャケットの汚さ同様)マイナスの面が大きいでしょう。

(Original El Saturn "A Tonal View Of Times Tomorrow" LP Liner Cover & Side A/B Label)

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 本作は文献によってはAB面とも60年代のサン・ラ・アーケストラが名作『Cosmic Tones For Mental Therapy』1963以来使ってきたニューヨークの市営多目的練習用ホール「Choreographers Workshop」で録音された、とされていますが、A面はシカゴで、B面はフィラデルフィアで録音された説も一理ありそうです(ニューヨーク録音ならいつも通りで、シカゴ/フィラデルフィア説には根拠もあるのでしょう)。A面が60年代(ムーグ・シンセサイザーの入手時期から見て1969年)録音、B面が70年代(A面とのカップリングからすると1970年)録音なのは録音場所が異なっても一致しています。内容的にも録音時期も本作は『My Brother The Wind, Vol.I』『Vol.II』と並ぶ3部作と言えるアルバムで、サン・ラのミニ・ムーグ・シンセサイザー時代はまだまだ続きますが『Space Probe』A面の18分のソロ・パフォーマンスは『My Brother The Wind』2作を踏まえて本作でさらに自在なものになっています。
 B面をアーケストラの録音にしたのはA面との釣り合いで、2分半のB1は看板テナーのジョン・ギルモアをフィーチャー(バス・クラリネットを演奏)してサン・ラを含む全メンバーがドラムス/パーカッションにまわります。正規再発CDでは編集前の6分半ヴァージョンが収められていますが、短縮編集したことでB1が14分に及ぶB2にすんなり流れる効果があり、B2はマルチ奏者のマーシャル・アレンのフルートが前半、サン・ラのピアノが中盤以降に現れてトロピカルなユートピア的サウンドになりますが、B面の主役は実質的にドラムス/パーカッション・アンサンブルであり、打楽器アンサンブルを引き立てるためにバス・クラリネット、フルート、ピアノが楽想を提示している点でサン・ラ流ラテン・ジャズの最良の演奏と言えます。A面・B面が異なる手法を用いて、実験性ではやや停滞しながらもアルバム両面でコンパクトなまとまりがあり、長く聴き飽きのこない佳作でしょう。非常に雑なリリースがされたのはこの程度いくらでも作れるという自信の表れだったのかもしれません。

映画日記2017年11月18日・19日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(7)

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 会心の傑作『白熱』『死の谷』の2作を1949年に発表したウォルシュは珍しく'50年には作品がなく、'51年にはカーク・ダグラス主演の『死の砂塵』(6月公開)、グレゴリー・ペック主演の『艦長ホレーショ』(9月公開)、ゲイリー・クーパー主演の『遠い太鼓』(12月公開)を発表し、それらより先にフランス出身のブレティン・ウィンダスト監督作品『脅迫者』(1月公開)にノンクレジットで共同監督を勤めます。同作はハンフリー・ボガートのワーナーの契約満了作品となったフィルム・ノワール(犯罪映画)で、ワーナーが製作にも宣伝にも力を入れなかった低予算映画のため当然監督も無名で、ボギー主演作品の中でももっともマイナーな一作になりましたが、ボギーのキャリアの育ての親であるウォルシュが名前を出さずに手伝ったということになるようです。面倒見がいいというか、今後ボギー出演作を撮る機会もないだろうとウォルシュの方から買って出たのでしょう。'50年に発表作品がなかったのは製作費300万ドルの大作『艦長ホレーショ』がプリプロダクション段階に入っていたからと思われ、『艦長ホレーショ』より後から製作が始まったと推定される『脅迫者』(1月公開ですから製作は'50年度中になります)、B/Wの低予算西部劇小品『死の砂塵』の方が先に公開されたのもウォルシュらしい監督ペースです。ゲイリー・クーパー主演の『遠い太鼓』もフロリダ始めアメリカ各所の自然公園でロケを行ったテクニカラーの大作西部劇ですから1951年のウォルシュは西部劇~海洋歴史活劇~西部劇と活劇三昧のアミューズメントパークな一年で、この年ウォルシュは64歳を迎えたと思うと作品の規模も合わせて精力的にもほどがあります。またこの年の3作(『脅迫者』含めず)はウォルシュらしい磊落な面白さに溢れたもので、一触即発の緊張感と魔力をはらんだ『白熱』『死の谷』よりもこちらを採る見方もでき、主人公の破滅を描いたそれら2作の後だからこそ'51年の(大まかに括れば)ヒロイックな3作があるとも言えそうです。しかし普通、定年退職年齢を過ぎた人間がこれほどの大工事を託され、やってのけるものでしょうか。ウォルシュは享年93歳の長命な人でしたが(引退作品は77歳の年でした)、人間の出来が違うとはそもそもこういうことなのでしょうか。

●11月18日(土)
『死の砂塵』Along the Great Divide (ワーナー'51)*88min, B/W; 日本公開1954年(昭和29年)6月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「赤い風車」のアンソニー・ヴェイラーが1951年に製作した西部劇で、「欲望の砂漠」のウォルター・ドニガーのストーリーをドニガーと「青いヴェール」のルイス・メルツァーーが共同で脚色、「サスカチワンの狼火」のラウル・ウォルシュが監督した。撮影は「白熱」のシド・ヒコックス、音楽デイヴィッド・バトルフ。「想い出」のカーク・ダグラスと「地獄の狼」のヴァージニア・メイオが主演し、以下「アパッチ砦」のジョン・エイガー、「西部の掠奪者」のウォルター・ブレナン、レイ・ティール、ヒュー・サンダースらが助演する。
[ あらすじ ] 合衆国保安官レン・メリック(カーク・ダグラス)は助手ルー・グレイ(レイ・ティール)とビリー・シーア(ジョン・エイガー)は、牛を盗み、エド・ローデン(モーリス・アンダーソン)の息子を殺したというのでリンチにかけられそうになったポプ・キース(ウォルター・ブレナン)を救い、彼に公正な裁判のチャンスを与えるべく、ポプの娘アン(ヴァージニア・メイオ)とともに遠くの町へ行くことになった。その途中、一行はエドと息子ダン(ジェームズ・アンダーソン)の襲撃をうけ、乱闘中にビリーは死んだが、ダンを捕まえ、酷暑と渇に悩まされながらも旅を続けていった。町では、いきまいた陪審員により、ポプの絞首刑が宣告されようとしていたが、ダンが兄を殺したというレンの反証により事態は紛糾した。ダンは隙を見計らってアンを楯に逃亡を企てたが、レンの弾に倒れ、ポプはめでたく無罪となった。レンとアンは結ばれるだろう。

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 カーク・ダグラス(1916-)は『三人の妻への手紙』『チャンピオン』が'49年、『ガラスの動物園』『情熱の狂詩曲』が1950年、『探偵物語』が本作と同じ'51年ですから(2017年現在存命)、当時戦後デビューの新人俳優中の注目株でした。ハワード・ホークスの『果てしなき蒼空』、ヴィンセント・ミネリの『悪人と美女』に主演したのは翌'52年ですから、'49年~'52年の間に第一線級の監督の薫陶はひと通り受けた、ハリウッド黄金時代最後の時期に滑り込みで間に合ったスターだったと言えるでしょう。『チャンピオン』のような低予算映画の意欲作に出演するのは当然ギャラの安い仕事でも話題性があれば引き受けたということでもあり、ハンフリー・ボガートがハードボイルドだったならダグラスはいつも不機嫌そうだったのが戦後世代らしかったので、本作のダグラスも始終苦虫を噛み潰したような表情を変えません。キネマ旬報のあらすじがやけに短いように本作は容疑者を裁判所に護送していくだけの話で、正確にはその前後(ウォルター・ブレナン演じる容疑者をリンチから救う、裁判~判決後に事件の真相を暴く)があるので3部構成とも言えますが、大半は荒野を護送する三日三晩に尺が割かれています。西部劇とは町と町が点在するだけの果てしない荒野を馬で、稀に鉄道で移動するしかなかった時代のアメリカ合衆国の未開の地が舞台なので、こういう思い切った三幕劇のような構成にしても劇的な効果が可能になり、単純なシチュエーションからさまざまなヴァリエーションが編み出されてきたのが世界初の短編劇映画の一つとされる1903年の『大列車強盗』以来の西部劇の歴史でした。とまあ、映画史の基礎知識の基礎中の基礎みたいなことまで思い出させるのがこの『死の砂塵』で、"the Great Divide"とはロッキー山脈分水嶺、転じて「生死の境」の隠喩にもなっている成句ですが、"the Great Divide"に沿って、とは西部劇でこそそのものずばりとはいえアメリカ文化に根づいたテーマのようで、'60年代後半~'70年代前半のアメリカ映画の転換期に旅、放浪を描いた作品が多いのは開拓時代のアメリカの記憶を反映しているのです。同時期には映画のみならずこのテーマが採り上げられ、グレイトフル・デッドの代表曲「Truckin'」'70やリトル・フィートの代表曲「Willin'」'71(本人たちの前年にザ・バーズがカヴァーを先行発表)も西部(らしき荒野)を放浪する歌ですが、ザ・バンドにはずばり「Across the Great Divide」'69という名曲があります。邦題は「ロッキー越えて」で本作とは全然関係ないのですが、バーズ、デッド、フィートらはザ・バンドに触発されて「Truckin'」や「Willin'」を作ったので、ザ・バンドの作曲家のロビー・ロバートソンが映画マニアで解散コンサートのドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』'78がマーティン・スコセッシ監督作品であり、ロバートソンはスコセッシの映画音楽家になったのを思えば「ロッキー越えて」が『死の砂塵』への返歌でなくても西部劇のイメージから作られた曲なのは明らかです。映画に話を戻すとダグラスがブレナンへのリンチを防ぎ法の裁きに固執するのは保安官だった父がリンチを防いで命を落とした時ダグラス自身がリンチに荷担していた負い目からであり、それをうっかり心を許した娘のメイヨに洩らしてしまったためにブレナンはダグラスを動揺させ隙を作って逃げようとダグラスの父が好きだったという小唄を口ずさみ、「Boy」や「My Son」と呼びかけてダグラスを不眠症に追い込みます。また若いジョン・エイガーはダグラスに従順な保安官助手であるものの、年配の助手を演じるレイ・ティールはダグラスがリンチを防ぐために人質にした被害者の弟の大農場主一家のジェームズ・アンダーソンに「逃がしてくれれば農場を分けてやる」と持ちかけられていつでも裏切る可能性がある、そういう誰にも油断のできないロッキー山脈大横断の護送道中なので、ウォルシュはこうした危機的状況を演出するのは実に上手く、本作も一種のフィルム・ノワール的西部劇ですが、フィルム・ノワール生みの親でもあるウォルシュの巧さはサスペンスの盛り上げ方がさりげなく自然なことでしょう。後続のフィルム・ノワール映画監督の多くはドラマチックな効果を狙うあまり作為性が目立つ作品を作りがちで、ウォルシュが手伝ったブレティン・ウィンダスト監督作品『脅迫者』も犯罪捜査映画ながら回想回想また回想で単純な事件をいたずらに複雑にしているばかりで、キューブリックの『現金に体を張れ』'56のような成功例もありますがフィルム・ノワール全般はワイルダーの『深夜の告白』'44の悪影響が大きいのです(ウォルシュの『追跡』'47も『深夜の告白』悪影響の一例でした)。『壮絶第七騎兵隊』『白熱』『死の谷』でもそうだったようにウォルシュは現在進行形で一直線に図太く話を進めていく時こそ本領を発揮する監督で、そこらへんも後輩のハワード・ホークスと共通するのですが、とかく凝りすぎなホークスよりもジャンル映画の類型を上手く利用していたずらに映画を複雑にしない点では先輩ウォルシュの方がスマートなのは、そもそもウォルシュの監督デビューした時代には映画の各種ジャンルすら確立されていなかったからでしょう。本作は名優ブレナンのキャラクターも普段お人好しの役が多いので意外性があって面白く、メイヨも『死の谷』を経てきたからか鉄火肌の西部娘を好演しており、主人公はロバート・ミッチャムやモンゴメリー・クリフト、アラン・ラッドでもよかったかといえばミッチャムやクリフト、ラッドではマゾヒスティック、またはストイックに見えてしまうので基本的にはメンタルの強そうなダグラスでちょうどいい、とこれまたキャスティングが生きています。クライマックスは法廷推理劇になって万事納得のいく解決がありますが、映画の進行が「真犯人は誰か」と観客に考える余裕を与えない作りになっているので単純な謎解きにも意外性があり、それが実は大胆かつ合理的に映画自体が仕掛けたトリックにもなっているのがミソで、規模も趣向としても小品なのに充実した見応えがあります。名作傑作力作秀作というほどではない、'60年代ならテレビ用作品として作られたような小品佳作ですが、これは数年前の『追跡』'47や『賭博の町』'48よりも数段優れた作品です。これが超大作『艦長ホレーショ』の製作と平行して作られたのがウォルシュの快調ぶりを示しています。

●11月19日(日)
『艦長ホレーショ』Captain Horatio Hornblower (ワーナー'51)*117min, Technicolor; 日本公開1952年(昭和27年)11月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「絶望の空路」のラウール・ウォルシュが監督に当たったテクニカラーの海洋活劇1951年作品、C・S・フォレスター(「アフリカの女王」)の原作小説を、著者自身映画用に潤色し、アイヴァン・ゴッフ、ベン・ロバーツ、イーニアス・マッケンジー(「黒騎士」)の3人が脚色した。撮影はガイ・グリーン、作曲はロバート・ファーノンの担当。主演は「愛欲の十字路」のグレゴリー・ペックと「ダニー・ケイの天国と地獄」のヴァージニア・メイヨで、ロバート・ビーティ(「邪魔者は殺せ」)、ジェームズ・R・ジャスティス(「四重奏」)、デニス・オディア(「邪魔者は殺せ」)らのイギリス俳優が助演している。
[ あらすじ ] 1807年、イギリスがナポレオン麾下のフランス、スペイン連合軍と戦を交えていたとき、英軍のリディア号は太平洋を秘密司令を受けて航行をつづけていた。ながい航海の後リディア号はニカラグアの海岸に着いた。艦長のホレーショ・ホーンブラワー(グレゴリー・ペック)は、そこにいるスペインへの反逆者でエル・スプレモこと独裁者フリアン王(アレック・マンゴ)に内戦を起こさせる命令をし、ホレーショはスペイン軍艦ナチヴィダド号を降伏させエル・スプレモに献上した。数日後リディア号は白旗を掲げたスペイン船に会い、スペインと英国は1ヵ月前に和を結び、協力してフランスに当たっていることを知った。この船でスペインにとらえられていた英国のウェリントン公爵の妹バーバラ姫(ヴァージニア・メイヨ)が帰国の途にあったが、リディア号は叛旗を翻したフリアン王のナチヴィダド号と交戦し、これを滅ぼした。こうして英国へ急ぐ船上でバーバラ姫がマラリア熱に倒れ、ホレーショが看病するうち2人の間には愛が芽生えたが、姫はレイトン提督(デニス・オディア)と婚約しており、ホレーショには妻があった。故国に帰ったホレーショは妻が子供を生んで死んだことを知り、やがてバーバラの結婚の報も伝わった。ホレーショは新艦スーザランド号の艦長に任ぜられ、フランス海岸封鎖の命令を受けた。ホレーショは一計を案じ、フランス国旗を掲げて敵の港に侵入し、敵艦を潰滅させたが自らも沈没し、彼は捕らえられて死刑を宣告された。だが、護送の途中副艦長ブッシュ(ロバート・ビーティ)、水夫クイスト(ジェームズ・R・ジャスティス)とともに脱走し、フランスに拿捕されていた英国艦を取り返して帰還した。彼の家には、1人息子とともに、今は未亡人となったバーバラが待っていた。ホレーショとバーバラは、やっと結ばれるときが来たのであった。

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 製作費300万ドル、19世紀の本物の帆船型戦艦数隻を撮影のため借り受け、ロケーション撮影でもセット撮影でも徹底して19世紀初頭を再現した超大作の本作は、ワーナーが当初エロール・フリンを主演に予定して原作の映画化権を押さえたそうです。ですがフリン主演でヴィンセント・シャーマン監督(1906-2006 !)のテクニカラー大作『ドン・ファンの冒険』'48(けっこう面白い作品です)がワーナーの経営が傾くほどの興業的惨敗に終わり、一方本作の製作準備は始まっていたので主演俳優を変更することになり、一旦バート・ランカスターに決まりかけるも19世紀のイギリス軍人らしくないとグレゴリー・ペックに白羽の矢が立ち、ペックはセルズニック・プロ専属俳優ですが借り受ける形で起用が決まりました。ペックは歴史物の主演は常連俳優でしたから(出世作が『血と砂』'41の闘牛士ですし後にもダヴィデ王になったりエイハブ船長になったりします)本作でも起用が成功していますが、フリンだったらもっとノリノリの艦長ホレーショになっていたと思うとそれも観たかった気がします。しかし原作者も本作の出来、特に歴史映画としてのムードに満足を表明していますので、フリンでは西部劇の将軍ならともかくイギリス艦隊の艦長は、しかも冷静沈着かつ内省的、かと思えば大胆不敵という性格の役柄は、大胆不敵ばかりが表に出すぎたかもしれません。原作小説であるイギリスの海洋冒険小説家C・S・フォレスター(1899-1966)の「艦長ホレーショ・ホーンブロワー」シリーズは1937年の『パナマの死闘』、翌年の『燃える戦列艦』『勇者の帰還』の三部作が人気を呼んで作者の逝去まで全10巻に及ぶ大河小説になりましたが(その際に三部作の前史、後日談が追加され、この三部作は作中の年代順では第5巻~第7巻に位置することになりました)、フォレスター自身が映画用に整理し再構成したシノプシスを専任脚本家が3人がかりでシナリオの完成稿に仕上げた難物で、300万ドルのうち相当額がプリプロダクション段階で消費されたと思われます。キャスティング、衣装、セット、大道具小道具などなどきりがないでしょう。その間現場監督の親分ウォルシュは『脅迫者』を手伝ったり、小品『死の砂塵』を早撮りしたりと撮影開始までの準備期間をつぶして過ごし、次作のゲイリー・クーパー主演作『遠い太鼓』のプリプロダクションにも入っていたわけです。1951年は(1月公開の『脅迫者』は'50年中に完成として)『死の砂塵』が6月公開、『艦長ホレーショ』が9月公開、『遠い太鼓』が12月公開、うち『艦長ホレーショ』は2年越しの企画です。64歳のじじい(失礼)の仕事とは思えません。また、本作はヒット作にするための上映効率を考慮したか2時間にまとめられていますが、映画の内容は前半(ニカラグアの独裁者との戦い)・後半(フランス潜入任務)にはっきり分かれています。比率としては前半2/3がニカラグア編、後半1/3がフランス編といったところでしょうか。これを均等にしてニカラグア編・フランス編を半々としてしまうとニカラグア編はこれ以上圧縮できないのでフランス編をじっくり描く分3時間弱の長尺になり、ヒットしても上映効率が悪くなって興業収入も2/3になってしまいます。なぜニカラグア編だけでじっくり描いて一本の長編にしなかったかというと、ニカラグア編の後半から出てくるヴァージニア・メイヨとのロマンスが成就するのがフランス潜入任務成功・帰国後だからで、このロマンスをニカラグア編後半からのテーマにしているためにニカラグア任務完了だけでは映画が終われないことになってしまった。メイヨも進んで看護婦に志願して若い士官の死を看取ったり、マラリアで生死の境をさまよい看病したホーンブロワーとの熱いラヴ・シーンがあったりとヒロインらしい見せ場があるので別れたままでは映画は終われません。フランス潜入編も見所はありますが主人公の艦長、副艦長、艦長に心酔する野趣のある服役囚上がりの水夫の3人組の逃避行という地味な冒険譚であり、いかれた独裁者(中南米人への人種偏見丸出しの設定ですが、19世紀初頭のイギリス人の観点と思えばこんなものでしょう)と駆け引きしつつ最後は大海戦で帆船戦艦の対決で大砲の派手な撃ち合いがクライマックスになるニカラグア編の後では、フランス編はいささか尻すぼみの観があります。別々の映画で連作ならそれもありですが、そうするとニカラグア編はペックとメイヨの実らない恋で終わってしまいますし、フランス編は「ニカラグアから帰国した主人公を待っていたのは赤ん坊と産褥で死んだ妻、そしてバーバラ姫の結婚の報だった。そんなホーンブロワーに次の任務が……」という始まり方になり、フランス編はその方が「今回の任務は地味だが結末はメイヨとの恋が実るぞ編」で良かったかもしれません。ニカラグア編は予備知識、またはよほどよく観ないとなぜ前半はエル・スプレモ(スーパーマンの意)こと独裁者フリアン王に協力し、後半一転して敵対しフリアン王を滅ぼす任務になるのかわかりづらいところがあり、要は当時南米や中南米は大方ヨーロッパの海洋大国が植民地にしていたわけです。フランスと戦争していたイギリスはフランスの同盟国だったスペインとも敵対関係にあり、スペインが植民地化していたニカラグアで反スペイン派の現地人の王フリアンに協力し、スペイン艦隊を拿捕してフリアン王に与えることでスペインを牽制するのに成功した。その結果スペインはイギリスに和平条約を申し出て捕虜にしていたイギリス皇室貴族のバーバラ姫を帰し、親スペイン派になったイギリス海軍はフリアン王を征伐してスペインに謝辞を報いた、というのがニカラグア編のプロットです。なんともひどい話で当時のヨーロッパ人(イギリスを含む)が有色人種や現地人・先住民族をどう思っていたかを表すような内容ですが、20世紀に書かれたこの艦長ホーンブロワー・シリーズはイギリスの国民文学になっているわけで、見事な演出でこれをヴィジュアライズした本作は一種のファンタジー映画なので(ニカラグア人に謝れという気もぬぐえませんが)、ウォルシュ歴代の『バグダッドの盗賊』『ビッグ・トレイル』『壮絶第七騎兵隊』がそうだったようにこれはあくまでも神話的フィクションをリアリズムの手法で描いた映画ということになるでしょう。帆船戦艦の一騎打ちの戦闘シーンだけでも一見の価値はあります。近距離ショットは19世紀初頭の帆船戦艦の実物、ロングのフルショットは実物とミニチュアを使い分けて編集でつないであると思いますが、何しろ『バグダッドの盗賊』の超巨大セット同様、ミニチュアを使っているにしても風を受けた帆の具合から見て小型客船以上の大きさの実物の帆船を実物の戦艦仕様に改装しているので、ミニチュアどころではないわけです。現代の映像技術では凝らないところに湯水のように費用と手間をかけているわけで、後世のためにこれを残してくれた先人たちにはいくら感謝しても足りないでしょう。また、ウォルシュの海洋冒険映画には大航海時代末期のダークサイドを描き、完全にアンチヒーローを主役にした名作『海賊黒ひげ』'52もあるのです。

アイアン・バタフライ Iron Butterfly - In-a-Gadda-da-Vida (Atco, 1968)

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アイアン・バタフライ Iron Butterfly - In-a-Gadda-da-Vida (Atco, 1968) Full Album : https://youtu.be/TAP5gK9_-KU
Recorded at Gold Star Studios, Hollywood, CA and Ultra-Sonic Studios, Hempstead, New York in First half of 1968 (side two was recorded on 27 May '68)
Released by Atco Records SD 33-250 in June 14, 1968
All songs written and composed by Doug Ingle except where noted.
(Side one)
1. 君が望むもの Most Anything You Want - 3:44
2. 花とビーズ Flowers and Beads - 3:09
3. 私の空想 My Mirage" - 4:55
4. 終末 Termination (Erik Brann, Lee Dorman) - 2:53
5. アー・ユー・ハッピー Are You Happy - 4:31
(Side two)
1. ガダ・ダ・ビダ In-A-Gadda-Da-Vida : https://youtu.be/ZCkHanF4v1w - 17:05
[ Personnel ]
Erik Brann - guitars, backing & lead vocal (A4)
Doug Ingle - organ, lead vocals (all but A4)
Lee Dorman - bass, backing vocals
Ron Bushy - drums, percussion

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Iron Butterfly - In-A-Gadda-Da-Vida (Single Edit Ver.) : https://youtu.be/Xv1k4Dug7_8 - 2:56

 まず本作のチャート記録から入りましょう。
1968.6 In-A-Gadda-Da-Vida (ATCO) - US#4, US No.1 Album of Billboard 200 in 1969 Year End Charts*
*Top 5 Albums of Billboard 200 in 1969 Year End Charts
1. Iron Butterfly / In-A-Gadda-Da-Vida (ATCO)
2. Original Cast / Hair (RCA)
3. Blood, Sweat And Tears / Blood, Sweat And Tears (Columbia)
4. Creedence Clearwater Revival / Bayou Country (Fantasy)
5. Led Zeppelin / Led Zeppelin (Atlantic)
 この『In-A-Gadda-Da-Vida』はアメリカのレコード市場、つまり世界的にも初めて100万枚を超える売り上げを記録したアルバムとして記憶されることになりました。それは前年1967年から見直された著作権法によるアルバム規格・内容への制約の緩和が一因でもありますが、より大きな原因は第二次大戦後の出産率のピーク(いわゆるベビーブーマー)のレコード購買力がフォーク/ロックを中心としたポピュラー音楽の売り上げを著しく増大させたことによるでしょう。しかしレコード史上初のミリオンセラー・アルバムが『In-A-Gadda-Da-Vida』だったというのはいったいどういうめぐり合わせでしょうか。タイトル曲は1968年7月発売の短縮版シングルが最高位30位の中ヒットを記録しましたが、1969年にも3曲入りEPで再発されチャート下位でロングラン・ヒットを続けることになります。特にラジオ・オンエア率が頻繁で、深夜帯番組ではアルバムの17分5秒ヴァージョンをそのまま放送する局が多かったのがシングル・ヒット以上にアルバムの売れ行きに拍車をかけました。そして本作は現在までに累計3000万枚(!)という記録的なセールスを上げることになります。1967年の全米年間アルバム・チャート1位がジミ・ヘンドリックスのデビュー・アルバムだった頃からロックのアルバム売り上げは急上昇していましたが、実売ではまだポピュラー音楽では映画音楽やミュージカル音楽が優位でした。LPレコードは高級品で大人の買う物だったからですが、『In-A-Gadda-Da-Vida』はチャート順位こそ最高位4位だったものの140週間、つまり2年半あまりもチャート・インを続けて、結果的に全米年間アルバム・チャート1位になります。参考に1969年の年間アルバム・チャート5位までを引きましたが、この年最高の話題を呼んだヒッピー・ミュージカル『Hair』サントラ、BSTやCCR、ツェッペリンのデビュー作よりも上位なのです。
 本作はヒット実績、発表当時の反響では後年のニルヴァーナ『Nevermind』にも匹敵しましたが、「おそらくセールスに反する貧弱な内容ではロック史上最悪のアルバムの最右翼に上げられるだろう」というのが大方の評価でもあります。一例として、本作発表からほぼ10年後のアメリカでの評価は次の引用が代表的なものになるでしょう。

●IRON BUTTERFLY
アイアン・バタフライ
★★In-A-Gadda-Da-Vida/Atco 250
☆Iron Butterfly-Live/Atco 318
 時代の雰囲気を映しだしたとも思える1968年のサイケデリックでヘヴィメタルな作品、《In-A-Gadda-Da-Vida》のB面全部にわたるタイトル曲を聞いて、アイアン・バタフライはロックン・ロールの記号学者なのだ、と考えた人もいただろう。また同じ曲を、叙事詩をまねてエデンの幸福を語っている、ととらえた人もいただろう。しかし、一時はアトランティックとアトコのレコードのなかでいちばんよく売れたこのアルバムは、グループと同様、急速に忘れてもよいものになりさがってしまった。したがって、その価値について議論するのも意味がなくなった。このレコードはいまやがらくただ。(ジョン・スヴェンソン)
(『ローリングストーン・レコードガイド』デイヴ・マーシュ/ジョン・スヴェンソン編・原著1979年・日本語版1982年刊行)

(Original ATCO "In-A-Gadda-Da-Vida" LP Liner Cover & Side 1 / Side2 Label)

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 にもかかわらず、本作は21世紀にも売れ続けているアルバムになりました。タイトル曲に惹かれてアルバムを購入した人の大半は、フラワー・ポップなオルガン・サイケのA面曲にがっくりくるでしょう。実はこちらの方が本来のバタフライの作風で、ドアーズ、SRC、ヴァニラ・ファッジを安っぽくしたような楽曲とサウンドで演奏も拙い、というよりはあまり良いセンスを感じられないものです。ただしリー・ドーマンの加入でモータウン系リズムが導入されたのは注目できます。ヴォーカルもこけおどし風で二流っぽさに輪をかけていますが、これで歌だけは上手かったらかえって浮いてしまったかもしれません。ただB面全面を使った「In-A-Gadda-Da-Vida」はクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの「Fire」やクリームの「Sunshine of Your Love」に似たヘヴィなリフで押していくミディアム・テンポの曲で、ピンク・フロイドより前の大学生のグラス・パーティでは定番曲だったに違いないムード音楽です。実用的な音楽ならドアーズやファッジの精密な音楽よりも「In-A-Gadda-Da-Vida」くらいザックリした曲の方がいい、ともいえるでしょう。また端的に言ってバタフライはオルガン・サイケですが、元祖ヘヴィ・ロックとしても「In-A-Gadda-Da-Vida」のリフはブラック・サバス系とユーライア・ヒープ系のハード・ロックに大きな影響を与えただろうと思えます。ブルー・オイスター・カルトの出発点がドアーズやサバスとともに「In-A-Gadda-Da-Vida」なのは間違いなく、後に歴代のバタフライを去来したメンバーが参加したラマタム、ニュー・カクタス・バンド、キャプテン・ビヨンドは実力では明らかにバタフライより優れたハード・ロック・バンドでした。
 ですが「In-A-Gadda-Da-Vida」はアイアン・バタフライだけに降ってきた突然変異的楽曲で、村上春樹氏のエッセイに結婚入場曲ならドアーズの「Light My Fire」か「In-A-Gadda-Da-Vida」がいい、というジョークがありましたが、それもドアーズの曲同様に偶然タイトルの意にもかなっています(Vidaはラテン語、イタリア語で「生」、"In a Garden of Life"を呪文化したのがタイトルの由来だそうです)。現在はわかりませんが、旧FEN(現AFN)では80年代になっても月に2、3回は深夜にアルバム・ヴァージョンで「In-A-Gadda-Da-Vida」を流していました。この17分5秒ヴァージョン、長いのは中間部でオルガン→ギター→ドラムスのソロ回しがあるだけだからですが、ドアーズやファッジのようなセンスの良いバンドには出せないアイディアの乏しいバンドゆえの呪術性が横溢していて飽きそうで飽きないのです。ソロはとりませんがベースも含めて、メーターの針が振り切れています。いくつか残された同一メンバーのライヴでは、このスタジオ録音を超える出来の演奏もあります。一見稚拙に見えて本当に稚拙なだけかもしれませんが、トライバルなタムタムの連打に掻きむしるようなギターが絡み、ドスの効いたベースと教会音楽風のオルガンがたなびく後半の展開は粋なバンドにはできないもので、やった者勝ちの栄誉と引き換えに永遠の二流バンド扱いを受けたとしても持て瞑すべしというものでしょう。本作にはそんな刹那的な感覚だけは確かにあります。それがアルバムのB面で、フラワー・ポップなA面とコントラストをなしているのも案外本作の人気の秘訣になっているのかもしれません。

映画日記2017年11月20日・21日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(8)

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 今回の感想文は前回に続いて'51年度のウォルシュ作品の掉尾を飾る西部劇作品『遠い太鼓』と'52年の海洋冒険歴史映画『海賊黒ひげ』の2作です。'52年にはもう1作、グレゴリー・ペックとアン・ブライス、アンソニー・クイン主演のユニヴァーサルの大作『世界を彼の腕に』もあり、これは前年ペックをワーナーの大作『艦長ホレーショ』に借りた交換条件だったかもしれませんが、『世界を彼の腕に』にもウォルシュが出張しているのは(これも交換条件かもしれませんが)『艦長ホレーショ』の好評を裏づけるものでしょう。今回残念ながら映像ソフトが手元になく観直す機会がありませんでしたが、『海賊黒ひげ』も同作に劣らない大作でウォルシュの好調ぶりが堪能できる快作になりました。また'51年度の『死の砂塵』(6月公開)、『艦長ホレーショ』(9月公開)に続いて同年を締めくくるゲイリー・クーパー主演作『遠い太鼓』は派手に観せようと思えばいくらでも大がかりにできる(実際大規模なロケーション撮影によって作られた)内容をさりげなくシンプルにまとめ上げており、しかも渋みや枯れた味わいを狙ったあざとさもないウォルシュらしい人情味の溢れたもので、傑作や代表作というのとは別にこうした好作が普通に作れるのも大ヴェテランにして新鮮な創作力を失わなかった証であり、大らかなウォルシュの作風は傑出した作品よりも一見地味に見える水準作によく表れているとも言えそうです。それはこれまた荒唐無稽な海賊映画『海賊黒ひげ』にも言えて、こちらはウォルシュの代表作の一つとしてもいいようなめりはりの効いた冒険映画ですが、こういう芸術的方向性とはまったく無縁な娯楽活劇を入念に作り、出来上がったのは上乗な娯楽映画であるとともに立派な芸術作品にもなっているのは名匠の腕前の本領発揮を見る思いがして舌を巻くしかありません。拙い感想文でその一端でもお伝えできるといいのですが。

●11月20日(月)
『遠い太鼓』Distant Drums (ワーナー'51)*100min, Technicolor; 日本公開1953年(昭和28年)1月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「セントルイス」のミルトン・スパーリングが制作する色彩開拓劇1952年度作品で、「昼間の決闘」のナイヴン・ブッシュがストーリーを書き下ろし、彼とマーティン・ラッキン(「極楽スパイ狩り」)が脚色に当たった。監督は「白熱」のラウール・ウォルシュ。撮影のシド・ヒコックス、音楽のマックス・スタイナーもそれぞれ「白熱」と同様である。主演は「真昼の決闘」のゲイリー・クーパーに新人マリ・アルドンで、以下「マニラ」のリチャード・ウェッブ、「われら自身のもの」のレイ・ティール、新人アーサー・ハニカットらが助演する。
[ あらすじ ] 1840年、フロリダ地方では米人がインディアンに対して7年間も悪戦苦闘を続けていた。フロリダ辺域の防備にあたるワイアット大尉(ゲイリー・クーパー)はタフツ海軍中尉(リチャード・ウェッブ)と協力して、夜陰に乗じてセミノール・インディアンを襲い、捕虜になっていた白人たちを救い、砦を爆破した。捕虜だったジュディ(マリ・アルドン)をつれて根拠地にかえる途中、彼らはインディアンの大群に襲われ、一時は草に火を放って難を逃れたが、夜に入ってワイアットたちはインディアンに完全に包囲されてしまった。逃れる道は沼地を歩いて渡るほかにはなく、猛獣毒蛇を警戒しながら彼らは奥へ奥へと進んだ。途中、米軍の装具をつけた1人のインディアンを捕らえてインディアン集落の在りかを白状させた彼らは直ちにそこを襲撃した。しかし新しいインディアンの大群が現れ、ワイアットたちはかろうじて逃れて、彼らの根拠地にたどりついた。彼らはここで最後の抵抗を試み、川をへだててインディアンと対峙した。その夜、不気味なインディアンの歌を遠く聞きながら、ワイアットはジュディに己が身上を語り、彼女への愛情をそれとなく打ち明けた。一夜あけてワイアットはインディアン酋長に一騎打ちを挑み、水中での激闘の末、これを勝利した。その時テイラー将軍(ロバート・バラット)の率いる米軍が応援にかけつけインディアンを掃討してくれた。生き残りの一隊は無事に助かり、ワイアットとジュディは過去いっさいを水に流して固く抱擁した。

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 本作は冒頭にフロリダ各地の沼地に河川、フロリダのエヴァグレイズ国立自然公園を始めアメリカ各地の国立自然公園にロケ、と説明字幕が掲げられます。自然公園というと日本ではきれいに整えられた箱庭的な規模のものを想像してしまいますがとんでもなく、アメリカの自然公園とはジャングルをそのままの状態で放置してあるような、東京23区まるごと入れてもお釣りがくるくらい馬鹿でかい自然保護地帯をなしているのがわかります。それだけでも本作の見もので、本物のジャングルよりは地図がある分だけましにせよ、またロケ地としては経済的で便利だったにせよロケには変わりありませんから撮影の手間ひまを考えるとスタッフもキャストも大変だったろうなと思います。主演のゲイリー・クーパー以外スター格のキャストがいないのはクーパー以外のキャストの予算からでは本作の出演を受けるスター格の俳優がいなかったからではないか、と邪推もしたくなるほど出演をひるむような企画だったのではないかと画面から伝わってくる、体力勝負の映画が本作です。ではその内容はといえば、インディアンの攻撃を避けながらフロリダの大泥炭地帯を逃げてくるだけの映画。端的に言って本作の基本アイディアはこれだけに尽きます。恋あり主人公の悲しい過去ありは大事な要素ですがそれを描くならどんなプロットに乗せてもいいので、まず土台になるのは泥炭地帯の大横断劇です。『死の砂塵』が保安官がテキサス州の大荒野を縦断して容疑者を護送する話だったように、西部劇(本作の舞台は南部ですが)とは最小限の物語要素にさまざまな趣向を詰めこめる、この上なく効率の良い映画の発明だったのが実感されます。ただし説明抜きにジャンルとして西部劇が寿命を保ったのは'50年代半ば~末までだったので(南北戦争前後の時代が国民的記憶に共有されていたのが西部劇の条件でした)、その後の西部劇の作者や観客はカッコつきのジャンルとして学習的・批評的に西部劇を作り、また観るしかなくなったのも事実です。本作に類似した現代版西部劇的作品の傑作に『エヴァグレイズを渡る風』'58(ニコラス・レイ、監視官が野鳥の密猟団のアジトを目指してエヴァグレイズ川をさかのぼる話で『地獄の黙示録』'79の原型と指摘されるもの)がありますが、そこではすでに古典的な西部劇的構成自体の虚構性が露わになっています。ともあれアメリカ映画が20世紀の世界の映画でも圧倒的に優位だったのは西部劇と音楽劇(ミュージカル)、戦争映画を大量生産できる素材と製作者たち、膨大な観客からの需要があったからで、ラオール・ウォルシュはアメリカ映画の長編化の時点で新鋭監督だった人ですからアメリカ映画の根本を作った数十人の映画監督に数えられることもあり、ウォルシュの映画を観ると映画の誕生を見る思いがします。ウォルシュの師D・W・グリフィス(1875-1948)の最後の監督作品が1931年、グリフィス門下の兄弟弟子E・V・シュトロハイム(1885-1957)さえ最後の監督作品が1932年だったのを思うとウォルシュのキャリアの長さは異例で、それだけアメリカ映画の歴史を作ってきた人、'50年代には現役映画人最古の映画監督になっていたのです。本作は映画のトーキー化最初のスターでもあるゲイリー・クーパー主演作なのも見所で、クーパーは長身の二枚目スターの嚆矢となった人でもありました。サイレント時代は長身であることが男性スターの条件ではなく、'30年代でもまだ映画スターは長身に限りませんでしたが、クーパーが人気を博した頃から二枚目俳優は長身、背が低くてもいいのは性格俳優と分かれていったのです。映画のトーキー化は映画映像のリアリティの水準を一変させたので、フルサイズのショットではっきりと長身が目立つプロポーションの良さも求められるようになりました。本作は何しろ沼地やエヴァグレイズ川をぞろぞろ逃げてくる映画なので主人公の一行は浅くても腰、深ければ肩まで沼地に沈んでいます。人物のアップやミドル・ショットは地面に上がってひと休みしている時だけで、沼や川をずぶずぶ進む人物たちを撮影するには岸やボート、仮設した桟橋などにカメラを据えるしかないので、クーパーの長身はこういう時に生きてきます。いやクーパーも、まさか長身が本作のようなずぶ濡れ映画のために使われる時がくるとは予期していなかったでしょう。本作の内容はあらすじからは先住民侮蔑的のように見えてしまいますがそんなに一面的なものではなく、クーパー演じる主人公はインディアン一族と友好関係を結んで信望が篤く、族長の娘と恋愛結婚して男の子をもうけ、愛妻に先立たれた後もインディアン部落に溶け込んで愛児と暮らしている男です。本作はリチャード・ウェッブ(他に知らない俳優ですが好演、ナレーションの声がクーパーそっくり)演じるタフツ中尉が白人との和平に応じず白人開拓者を捕虜にしているインディアン部族との紛争解決のため、先住民関係の問題に人生を捧げたスペシャリストのクーパーに捕虜奪還部隊の隊長を依頼しに訪ねる場面から始まっています。いささか美化された人物像ですが西部劇は一般的に思われているほど白人のインディアン居住地問題について侵略的ではなく、むしろインディアンは率直かつ正直で誇り高く(『壮烈第七騎兵隊』のアンソニー・クインのように)、友好関係を築こうとする白人とインディアンをあざむき利用しようとする白人がいる、という描かれ方の方が多いのです。戦後西部劇ではそれがよりはっきりと描かれるようになり、ウォルシュの本作は好戦的な種族も描いているため侵略的に見える面もありますが、映画は平和裡にインディアン部族に溶け込んで混血の愛児と暮らしているクーパーから始まり、結末ではクーパーが新しい恋人(マリ・アルドン)とともに愛児の待つインディアン部族に帰っていきます。このヒロイン女優の出演作は他に知りませんが本作では初々しく魅力的で、出番が少ないのもあって華を添える程度ですがこの映画ではこれで十分でしょう。100分というのはこの内容には少々長いかな、という感じもしますが、ワニやヘビが出たり、インディアンとの一騎打ちの水中格闘があったり、蒸し蒸しした映画だけにクーパーのひげ剃りシーンが気持良さそうだったりと見せたいシーンがあり、むしろ2時間たっぷり延ばせる題材を100分に圧縮したのが(会話で交わされる道のりと映像の省略法が辻褄の合わない感じがするのはそのためでしょう)本作をかえって平坦にもして、その分大らかな印象の好作にしています。無駄な力を感じさせないところが本作の長所でもあり、好ましい水準作にとどめてもいる一因でもあるのでしょう。

●11月21日(火)
『海賊黒ひげ』Blackbeard the Pirate (RKO'52)*98min, Technicolor; 日本公開1953年(昭和28年)6月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「零号作戦」のエドモンド・グレインジャーが製作し、「壮烈第7騎兵隊」のラウール・ウォルシュが監督した海賊活劇1952年作品。デヴァロン・スコットの原案を「拳銃王」のアラン・ルメイが脚色した。撮影は「零号作戦」のウィリアム・スナイダー、音楽は「地上最大のショウ」のヴィクター・ヤングの担当。主演は「宝島(1950)」のロバート・ニュートンと「永遠のアンバー」のリンダ・ダーネルで、「探偵物語」のウィリアム・ベンディックス、新人キース・アンデス、「黒ばら」のトリン・サッチャー、アイリン・ライアンらが助演する。
[ あらすじ ] 17世紀の末期、中南米沿岸の諸港を荒らした"海賊黒ひげ"(ロバート・ニュートン)に対し、英国王からヘンリイ・モーガン卿(トリン・サッチャー)に追討の命が下った。彼はジャマイカに根拠地を設けた。若い船医ロバート・メイナード(キース・アンデス)は元海賊のモーガンと"黒ひげ"が内通しているとにらみ、それをあばくため私掠船に乗り込むことにした。その船の船長ベラミーと結婚するためモーガンの養女で大海賊の家系のエドウィナ(リンダ・ダーネル)と侍女アルヴィーナ(アイリン・ライアン)も乗り込んだが、ベラミーが殺されて船はすでに"黒ひげ"に奪われており、たちまち一斉砲撃を受けた。"黒ひげ"は傷を負い、ロバートは生き残りの水夫ギリー(スケルトン・ナッグス)とともに"黒ひげ"の手術をさせられた。海賊船にただ1人の女としてエドウィナに危難がふりかかろうとしたとき、ロバートはこれを救ったが、"黒ひげ"は彼女が持っている卿の宝物を奪った。その間、ロバートは彼女の荷物の中から卿と海賊がグルになっている証拠の手紙を手に入れ、船の一時停泊中に味方の船員ブリッグス(リチャード・イーガン)に託して島の総督宛に送った。"黒ひげ"は卿の追跡にそなえて船を海賊島に泊め、宝物を祕密の場所に隠した。間もなく卿の率いる大部隊が襲撃を加え、"黒ひげ"は危いところを身代わりをたてて難を逃れた。卿は島に凱旋するや総督になり、ロバートの送った証拠の手紙を発見して彼の逮捕を命じたが、ロバートはいまや相思の仲であるエドウィナと一緒に英本国に帰国しようと決意した。だが2人の乗り込んだ便船はやはり"黒ひげ"一味に占領されていた。船内では海賊島に隠した宝物の分配をめぐって、"黒ひげ"腹心組と頭目のベン(ウィリアム・ベンディックス)率いる叛乱組が対峙し、不穏な形勢にあった。そこにモーガンの艦隊が到着して軍勢が上陸して島では戦いが起こり、"黒ひげ"は自分そっくりな島の狂人を影武者にして殺害し身替わりの死体を発見させる。モーガンに再会したエドウィナはロバートが反逆罪で指名手配されているのを知る。ロバートとエドウィナは船窓から海に飛び込み島へ逃れた。"黒ひげ"は捕虜にされた部下たちを脱走させ再びロバートとエドウィナの隠れたモーガンの艦隊の一艘を奪い、モーガンの艦と一騎打ちとなるがエドウィナを人質にモーガンの艦を撤退させる。"黒ひげ"はロバートとベンに宝物を掘り出させて船に積み込み、叛乱組は頭目のベンを殺されてほかは船艙に監禁された。"黒ひげ"が再び宝物を島へ隠そうとしたとき、船艙を脱出した叛乱組が襲いかかり、宝物は海中に没した。海賊たちは"黒ひげ"に対する怒りを爆発させ、彼を波打際に生き埋めする極刑に処した。ロバートとエドウィナは海賊の乗り捨てたボートに乗り、"黒ひげ"の最後を望見しながら自由の海に乗り出した。

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 本作は公開時「首だけ出して砂浜の波打ち際に生き埋め」というラスト・シーンで語り草になったそうです。タイトル・ロールの「海賊黒ひげ(Blackbeard)」を演じるロバート・ニュートンは悪役役者で、ディズニー初の実写映画『宝島』'50の海賊フック船長がいちばん知られている出演作でしょう。つまり本作は大ヒット作のディズニー映画のRKO映画社によるパクりというかパチモンというか、便乗企画なのですが、ウォルシュはダグラス・フェアバンクス企画・製作・主演の『バグダッドの盗賊』'24でフリッツ・ラングの『死滅の谷』'21のトリック撮影のパクりを、フェアバンクスの依頼ではありますが堂々やってのけてドイツの芸術映画からハリウッドの娯楽映画にエキゾチシズムを換骨奪胎してのけた人、そもそもラングよりずっと先輩監督でもあれば『バグダッドの盗賊』はディズニーのアニメ作品の源泉といえる作品です。源泉といえば徴収と解く、ウォルシュがディズニー映画からパクるのは立派に育った自分の子供からおこづかいをもらうようなもので、そんな理屈をつけなくても本作と『宝島』は同じ俳優が海賊の親玉を演じるだけでまったく別の作品です。もっとも最初海賊黒ひげ役はチャールズ・ロートンが予定されていたそうで、それがニュートンに変更されてから原案の改稿があったそうですからあながち便乗作品とばかりは言えないようです。ウォルシュらしいな、と思うのはシナリオの無理や矛盾に無頓着なあたりで、さすがに本作まで荒唐無稽な企画はジョン・フォードやハワード・ホークスは受けないでしょうし、マイケル・カーティスやウィリアム・ディターレ、フリッツ・ラングなら(なぜか3人ともドイツ出身)案外平然と受けるでしょうが、本作のウォルシュほど泰然自若とはせずシナリオの辻褄合わせに頭を悩ませたでしょう。あらすじは淡々と書いていてどこに矛盾や無理があるか一見わかりませんが、まず物語の上では新人キース・アンデス演じる船医メイナードが主人公で、その主人公が海賊黒ひげと内通している、とにらんだ元海賊のヘンリー・モーガン卿の悪事を暴くため潜入捜査する、というのが映画の発端です。そこに時代劇のお姫様女優のスター、リンダ・ダーネル演じるヘンリー卿の養女で大海賊の末裔エドウィナが絡んできて、婚約者の船長を殺されていたエドウィナに主人公は惚れてしまいますが、実はエドウィナはヘンリー卿の手先で船長との婚約も黒ひげとの内通との便を図った政略結婚(と簡単に主人公にバラしてしまうのもおかしいのですが、エドウィナは主人公を協力者にするために籠絡しているわけです)で、ここで主人公の当初の目的がほとんど行方不明になってしまいます。ヘンリー卿の悪事を暴くどころか「どうでもいいからエドウィナを守る」になってしまい、悪女のはずのエドウィナが結局利害関係から対決することになるヘンリー卿と黒ひげの間で人質交換的にキャッチボールされる重要証人の主人公に面倒見よくつきあって、おかげで人質価値を陪乗することになってしまいます。主人公カップルがその始末ですからヘンリー卿と海賊黒ひげは悪役同士で対立し、さらに黒ひげの海賊団は財宝独り占めをめぐって姑息な分裂を起こし、人質を盾にヘンリー卿を反したものの自滅してしまい、感想文冒頭に書いたように部下たちの反乱でリンチにあって黒ひげは死にます。主人公カップルはというと、自力で脱出して黒ひげリンチの目撃者になって海へと漕ぎ出しますが、体制権力を味方につけたヘンリー卿にとっての危険人物である主人公とヘンリー卿の裏切り者であるヒロインはどこへ行こうというのでしょう。いわゆるモラルは別として、結局登場人物全員が目的を見失ってしまうこの映画は、善玉であれ悪玉であれそもそも誰に共感すればいいのでしょう。そういう普通あらゆる映画が原則としている観客の共感のライン、共感というのは特にいわゆる共感や感情移入ではなくて視点の一貫性、映画内の秩序の基準への同意でもいいですが、そうした観客が期待する一貫性に本作はあまりにも無頓着すぎるというのがただでさえ荒唐無稽な設定の本作を本当に荒唐無稽に近づけています。こうした無頓着さ、作中人物の性格の一貫性のなさ、首尾一貫しない描写はサイレント時代の映画には相当平気で行われており、名作中の名作と言われる作品から上げれば『サンライズ』'27、『風』'28、何よりアメリカ長編映画の原点であるグリフィスの『国民の創生』'15からしてそうでした。グリフィスはウォルシュの師匠ですし同作品の助監督はウォルシュその人、ワンポイント出演ですがウォルシュ自身も役者としてリンカーン暗殺犯を演じ、リンカーンを狙撃した後劇場の2階席から舞台に飛び降りて逃走する鮮烈な演技をスタントなしでやってのけ、その一瞬の出演場面だけで映画史上もっとも有名な殺人犯になりました。サイレント時代の映画になぜ性格描写の矛盾、統一性の欠如が許されたかには十分な理由があって、簡単に言えばトーキー化した映画とはリアリティの基準が違ったとしか説明できませんが、ウォルシュはトーキー以降にはちゃんとその辺はわきまえていたにもかかわらず本作は一大サイレント精神に基づいてつぎはぎだらけのシナリオをそのまま映画化してしまったとおぼしく、こういう事態は通常プリプロダクション段階で誰かが気づきプロデューサーに決定をあおぐものですが、プリプロダクション段階どころか完成試写や公開に当たっても誰も事態を阻止できなかったようです。読み合わせの段階でプロデューサーの決定が出たものだからウォルシュも変えようがなかったのかもしれません。またはクランクイン後に次々とシナリオ変更の通達があり(「もっとラヴシーンを」とか「黒ひげの出番を増やせ」とか)その結果首尾一貫しないものになった、とも考えられます。とかく出たとこ勝負の企画が多いRKO作品ですから黒ひげ役の主役変更に伴う原案改稿に伴い、クランクイン時にシナリオの決定稿ができていなかった可能性も多いにあります。ですから一概に監督ウォルシュの嗜好と責任とは言えないのですが、それでも最低限に辻褄は合わせながらクランクアップまでに必要なシークエンスは仕上げる、そしてどうにか編集でまともな映画にまとめ上げられるだけの素材は提出するのが一般的な映画監督の仕事ですしウォルシュもそこまではやったかもしれませんが、完成作品はというとウォルシュらしさが映画全編にぶちまけられた、面白いシークエンスが続出する替わりいったい何をやりたかったのかわけのわからないまま始終する活劇映画になってしまったのが本作でしょう。監督というのは和製漢語でDirectorの訳語になりますが、ウォルシュがDirectionしたのは数々の場面であって一編の映画全体を統一体としてDirectionしたのではないと見ると、本作のサイレント時代の映画に近い性格がわかります。それはもう、本作は痛快無類に面白いのですが、場面場面の面白さだけで成り立っていて映画全体の一貫性をまるで顧慮していない。ヌーヴェル・ヴァーグの作品どころではありません。ホークスの傑作『三つ数えろ』もそうでしたが、あれはもともとそういう原作小説を映画に起こして力業でねじ伏せてみせたものでした。『海賊黒ひげ』が似ているのはほら吹きじいさんが炉端で孫に聞かせる思いつきまかせのほら噺です。そこにあるのはとにかく聞き手を面白がらせたい精神と旺盛かつ奔放な想像力の喜びなので、多少のでたらめなどは瑕瑾でしかない、日本流の「活動屋魂」みたいな浪花節臭いものではないすっきりした都会的な割り切り方があります。いつもこんなにふんどしの紐が緩いウォルシュではありませんが、丹沢を登っていたのに着いてみたら大山の頂上だったみたいな磊落さはそれはそれでありではありませんか。本作も125万ドルの純益を上げるヒット作になったといいますし、翌'53年の海洋冒険歴史映画(これもRKO作品、つまり本作が当たったからこその企画)『海賊船シー・デビル号の冒険』ではウォルシュは本作とは打って変わって緊密な構成と見事な一貫性で完成度の高い佳作を作り上げます。それもいいですが、どさくさ紛れにでき上がってしまった闇鍋のような本作の面白さはウォルシュ作品中でもひときわ際立っている観があります。

現代詩の起源(17); 三好達治詩集『測量船』(iv)

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 三好達治(1900.8-1964.4)昭和29年9月/54歳
 (撮影・浜谷浩)

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 詩集『測量船』第一書房「今日の詩人叢書」
 第二巻、昭和5年12月20日刊(外箱)

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        書籍本体

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      三好達治揮毫色紙

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 詩集『測量船』収録詩編の半数は、前回に引用した村野四郎の解題の通り「明治大正と引きつがれてきた日本抒情詩を変革し」「古い抒情詩における没我の情緒ではなく、感触の冷たい燃え上ることのない情緒」であり「不安に色どられた孤独、虚無感をおびた懐疑」を「近代主知が生んだ自我意識」によって「モダニズム特有のアイロニカルな諷刺と諧謔などの主知的方法によって、新しい抒情のすがたに造形」したものと言えるでしょう。残り半数の甘美な抒情詩、機知の詩によってこの詩集はポピュラリティを獲得しており、それは巻頭詩「春の岬」の「春の岬旅のをはりの鴎どり/浮きつつ遠くなりにけるかも」(なんと2行書きの、若山牧水調の短歌から『測量船』は始まるのです)、「乳母車」の「母よ――/淡くかなしきもののふるなり」「母よ 私は知つてゐる/この道は遠くはてしない道」であり、「雪」の「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」であり、「甃のうへ」の「あはれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ」や「少年」の「夕ぐれ/とある精舎の門から/美しい少年が帰つてくる」であり、この詩集巻頭の5編は大正15年(昭和元年)と昭和2年(1926年・1927年)の作で収録詩編中もっとも早い時期の作品で、三好の詩作発表は大正15年からですから初期作品中の自信作を巻頭に据えていることになります。
 さらにそれらを甘美な抒情詩の好例とすると、機知の詩には「春」の「鵞鳥。――たくさんいつしよにゐるので、自分を見失はないために啼いてゐます。/蜥蜴。――どの石の上にのぼつてみても、まだ私の腹は冷たい。」や「草の上」の「野原に出て坐つてゐると、/私はあなたを待つてゐる。/それはさうではないのだが」、「パン」の「パン、愛犬のパンザをつれて、/私は曇り日の海へ行く」「あわて者の蟹が、運河の水門から滑つて落ちた/その水音が気に入つた。――腹をたてるな、パン、あれが批評だよ」などがあります。「春」は昭和2年6月発表ですが「草の上」は昭和3年9月(1928年)、詩集巻末の「パン」は『測量船』刊行年の昭和5年8月(1930年)発表で、詩集でも最近作に属します。もっとも機知と抒情が融合して成功を収めているのは、次のような作品でしょう。

花ばかりがこの世で私に美しい。
窓に腰かけてゐる私の、ふとある時の私の純潔。

私の膝。私の手足。(飛行機が林を越える。)
――それから私の秘密。

秘密の花弁につつまれたあるひと時の私の純潔。
私の上を雲が流れる。私は楽しい。私は悲しくない。

しかしまた、やがて悲しみが私に帰つてくるだらう。
私には私の悲しみを防ぐすべがない。

私の悩みには理由がない。――それを私は知つてゐる。
花ばかりがこの世で私に美しい。
 (「菊」副題「北川冬彦君に」全行・「オルフェオン」昭和5年2月)

 蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角(まちかど)に海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」
 (「郷愁」全行・「オルフェオン」昭和5年2月)

 海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。

  約束はみんな壊れたね。

  海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。

  空には階段があるね。

 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣(わか)れよう。床(ゆか)に私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。

  僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。
 (「Enfance finie」全行・詩集刊行後「詩と詩論」昭和6年4月)

 しかし詩集巻頭の見事な抒情詩5編――「春の岬」(詩集書下ろし、昭和2年3月作)、「乳母車」(大正15年6月「青空」)、「雪」(昭和2年3月「青空」)、「甃のうへ」(大正15年7月「青空」)、「少年」(大正15年8月「青空」)に続く3編「谺」(昭和2年3月「青空」)、「湖水」(発表誌不詳)、「村(鹿は角に……)」(昭和2年6月「青空」)には、初期作品ではあっても機知と抒情というのとは違う指向性が見えています。

 夕暮が四方に罩(こ)め、青い世界地図のやうな雲が地平に垂れてゐた。草の葉ばかりに風の吹いてゐる平野の中で、彼は高い声で母を呼んでゐた。

 街ではよく彼の顔が母に肖(に)てゐるといつて人々がわらつた。釣針のやうに脊なかをまげて、母はどちらの方角へ、点々と、その足跡をつづけていつたのか。夕暮に浮ぶ白い道のうへを、その遠くへ彼は高い声で母を呼んでゐた。

 しづかに彼の耳に聞えてきたのは、それは谺(こだま)になつた彼の叫声であつたのか、または遠くで、母がその母を呼んでゐる叫声であつたのか。

 夕暮が四方に罩め、青い雲が地平に垂れてゐた。
 (「谺」全行)

この湖水で人が死んだのだ
それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ

葦(あし)と藻草(もぐさ)の どこに死骸はかくれてしまつたのか
それを見出した合図(あひづ)の笛はまだ鳴らない

風が吹いて 水を切る艪(ろ)の音櫂(かい)の音
風が吹いて 草の根や蟹の匂ひがする

ああ誰かがそれを知つてゐるのか
この湖水で夜明けに人が死んだのだと

誰かがほんとに知つてゐるのか
もうこんなに夜が来てしまつたのに
 (「湖水」全行)

鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つころがつてゐた。

そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。
脊中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。
  (「村」全行)

 これらの詩編には大正14年4月の東京帝国大学入学時から親友となり、三好と出会った頃にはのち短編集『檸檬』(昭和6年5月刊)収録作品のうち最初期の成立になる「城のある町にて」「檸檬」を完成していた梶井基次郎(1901-1932)と、三好が梶井や丸山薫(1899-1974)の主宰する同人誌「青空」に参加した大正15年春に満州から上京して同窓となり、「青空」同人となるとともに梶井・三好と下宿を往復する仲となった北川冬彦(1900-1990)からの影響が見られます。北川は大正15年秋にはすでに2冊の詩集『三半規管喪失』(大正14年1月刊)、『検温器と花』(大正15年10月刊)の詩人であり、昭和4年刊の第3詩集『戦争』では芥川龍之介没後の日本の小説家中もっとも注目され、盟友の川端康成とともに文学界を牽引していた横光利一(1898-1947)の序文が寄せられています。梶井は生涯に完成作品が短編20編、歿年の前年に刊行された短編集『檸檬』の収録作品が18編と大変な寡作家でしたが、歿後発見された習作・未発表の未完成作品、書簡、日記の文学的価値も高く完成作品20編に劣らない重要性があるため数次に渡って全集が刊行されています。『檸檬』は収録作品の成立時期からも三好の『測量船』と好対一をなすもので、『測量船』中の短編小説的な散文詩は梶井からの感化が見られ、「谺」は短いものですが梶井の詩的短編小説の断篇を見るようです。また北川冬彦の詩からは、

 沼には溺死体が呻吟してゐる

 水際に陽はかゞやきわたり
 白い脛が たまらなく羞恥してゐる

 群集の中に しやれ女が
 いくども 化粧をしなほして来てゐる

 蛙の眼にも焦燥が宿つたのに
 検視人は まだ情婦と戯れ続けてゐる

 沼には溺死体が呻吟してゐる
  (「溺死女」全行・詩集『三半規管喪失』より)

 寝台の上で少女が微笑してゐる

 右手の指は蒼白い胸に突刺さり

 差述べられた左手には蟷螂がのせてある。
  (「楽園」全行・詩集『検温器と花』より)

 ――などを見ると、三好の「湖水」は北川の「溺死女」の本掛取りとも言えそうですし、また三好の「村」は前半は梶井の散文断篇、後半は北川の「楽園」に代表されるようなスナップショット的な手法で、「青空」廃刊後に三好も参加した同人誌「亞」を北川とともに主宰した安西冬衛(1898-1965)も三好に影響を与えた詩人でしょう。

 鏡が肢をうつしてゐる

 ――しつこいひと

 梨の花を舐(ねぶ)る犬。
  (「首夏」全行・詩集『軍艦茉莉』昭和4年4月刊より)

 歪な太陽が屋根屋根の向ふへ又堕ちた。
 乾いた屋根裏の床の上に、マニラ・ロープに縛られて、少女が監禁されてゐた。夜毎に支那人が来て、土足乍らに少女を犯していつた。さういふ蹂躙の下で彼女は、汪洋とした河を屋根屋根の向ふに想像して、黒い慰の中に、纔(わづか)にかぼそい胸を堪へてゐた――

 河は実際、さういふ屋根の向ふを汪洋と流れてゐた。
  (「河口」全行・詩集『軍艦茉莉』より)

 この「河口」は安西の作品中でも傑出した作品で、北川の一行詩「馬」(詩集「戦争」より)の「軍港を内臓してゐる。」(これはタイトルと併せて「馬――軍港を内臓してゐる。」と読むべきですが)と並んで評判になった一行詩「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」(「春」、詩集『軍艦茉莉』より)に匹敵するものですが、三好が梶井の夭逝以降同人誌「四季」を主宰した時に創刊同人に誘ったのは芥川龍之介と萩原朔太郎に私淑した小説家の堀辰雄(1904-1953)と、「青空」以来の盟友・丸山薫でした。丸山の第一詩集『帆・ランプ・鴎』(昭和7年12月刊)から2編を引きましょう。「河口」は詩集巻頭詩、「砲塁」は同人誌発表当時に梶井が絶賛し、初期詩編中の代表作になった作品です。詩集では行間を詰めていますが、ここでは同人誌発表時の行空けに従います。

 船が錨をおろす。
 船乗の心も錨をおろす。

 鴎が淡水(まみづ)から、軋る帆索(ほづな)に挨拶する。
 魚がビンジの孔に寄つてくる。

 船長は潮風に染まつた服を着換えて上陸する。
 夜がきても街から帰らなくなる。
 もう船腹に牡蠣殻がいくつふえたらう?

 夕暮が濃くなるたびに
 息子の水夫がひとりで舳(へさき)に青いランプを灯す。
 私に見えない闇の遠くで私を瞶(みつ)めてゐる鴎が啼いた。
  (「河口」全行)

 破片は一つに寄り添はうとしていた。

 亀裂はまた微笑まうとしてゐた。

 砲身は起き上つて、ふたたび砲架に坐らうとしてゐた。

 みんな儚(はかな)い原型を夢みてゐた。

 ひと風ごとに、砂に埋れて行つた。

 見えない海――候鳥(こうてう)の閃き。
  (「砲塁」全行)

 丸山の詩は密度においていささか物足りない観がするものですが、あえて佶屈な行文を避けて静謐な抒情を醸しているので、これも村野四郎の『測量船』解題にある「古い抒情詩における没我の情緒ではなく、感触の冷たい燃え上ることのない情緒」であり、「近代主知が生んだ自我意識」による方法のひとつです。梶井基次郎・北川冬彦からの縁で丸山薫、安西冬衛を含めると、「乳母車」や「甃のうへ」に見られる萩原朔太郎・室生犀星ら先達詩人の影響から出発して三好がよりモダンな作風に移行するには、自分と同世代で三好よりひと足早く独自の作風を築いていた盟友たちからの感化が不可欠だったのがわかります。三好は友人たちの優れた面から自分に合う部分を学び咀嚼し、吸収するのが実に速やかで巧みであり、それを自然に行える詩人でした。そして詩集中の最近作で昭和5年度の「菊」「郷愁」「Enfance finie」になると三好の作風も独自の完成を示しており、梶井や丸山、北川や安西にはない三好ならではの個性が横溢しています。
 しかし三好が食えない詩人なのは『測量船』の代表詩でもあるこの系列の作品が『測量船』以降の詩集にはなく、また『測量船』には「湖水」「村」の延長線上にもっと陰惨でマゾヒスティックな感覚の作品の主に散文詩、「鴉」や「庭」「夜」「鳥語」があることです。特に「鴉」と「鳥語」の印象は強烈で、村野四郎の指摘にある「不安に色どられた孤独、虚無感をおびた懐疑」はこれらの散文詩を詩集の中心に置いた見方と言えるでしょう。三好は萩原に私淑するとともに学生時代にニーチェを愛読し、ボードレールの散文詩集『巴里の憂鬱』の初の日本全訳者でもあり、また戦乱時代の中国の古典漢詩人にも親しんでいたので「詩人は迫害された存在である」という発想が根強くあり、語感では犀星の柔軟な文体に学びながら萩原に就いたのは、犀星には詩人をネガティヴな存在とする発想はまったくなかった(それが犀星をユニークな大詩人にしているのですが)からでしょう。三好は晩年まで詩人の孤独を抱え続けますが、第一詩集『測量船』ほど極端に陰惨な詩を含む詩集はなく、もっと暗喩的に控えた表現方法を採るようになりますので、『測量船』のそれらの詩は三好にとっては極めつきに自己言及的な作品とすることができるでしょう。だとすれば、三好と親近性のある『測量船』当時の盟友たちよりも、三好とは結びつかない同世代の詩人たちや、また大学生時代を秘書の立場で私淑までしながら離反することになった師の萩原の、三好が批判者の立場に回ってからの晩年の散文詩と照らしてみる必要があります。次回はそれをテーマとすることにします。

(引用詩の用字は略字体に改め、かな遣いは初版詩集複製本に従い、明らかな誤植は訂正しました。)
(※以下次回)

Sun Ra - Janus aka The Invisible Shield (Saturn, 1974)

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 (1201 Music "Janus" '99 CD Front Cover)

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Sun Ra and His Intergalactic Research Arkestra - Janus (Saturn, 1974) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL6DC8F6E34D87EDF5
A1 ; Variety Recording Studio, NYC, between 1968 and 1970.
A2a ; Recorded mono, probably at a live performance, 1970.
A2b ; Recorded at Sun Studios, NYC, 1967 or '68 (Sun Ra solo) / Recorded at Choreographers' Workshop, NYC, 1963 (group).
B1 ; Recorded in early 1968; it is different from a live recording from 1969 previously known to discographers.
B2 ; Recorded live in NYC, early 1968.
Released by 1201 Music 9012-2, October 12, 1999
Originally Released by Saturn Research 144000 / El Saturn Records LP-529, 1974/1977
All Composed & Arranged by Sun Ra
(Side A)
A1. Island In The Sun - 5:23
Bass (Prob.) - Ronnie Boykins
Clarinet (Alto) - Danny Davis
Flute - Marshall Allen
Percussion - John Gilmore
Percussion (Prob.) - Pat Patrick
Piano - Sun Ra
A2a. The Invisible Shield - 5:43
Alto Saxophone - Danny Davis, Marshall Allen
Neptunian Libflecto (modified Bassoon) - Danny Ray Thompson
Drums (Prob.) - Clifford Jarvis
Organ, Synthesizer [Mini-moog] - Sun Ra
A2b. Janus - 6:59
Alto Saxophone, Percussion - Danny Davis
Bass - Ronnie Boykins
Bass Clarinet (Prob.), Percussion [Prob.] - Robert Cummings
Bongos (Prob.), Percussion [Prob.] - Pat Patrick
Effects (Reverb), Percussion - Tommy Hunter
Gong, Clavinet, Directed By - Sun Ra
Piccolo Flute - Marshall Allen
Tenor Saxophone, Bells - John Gilmore
Vocals, Percussion - Art Jenkins
(Side B)
B1. Velvet - 7:22
Alto Saxophone - Danny Davis, Marshall Allen
Baritone Saxophone - Pat Patrick
Bass - Ronnie Boykins
Drums - Clifford Jarvis
Drums (Log Drum), Flute - James Jacson
French Horn - Robert Northern
Performer (Solos) - Pat Patrick, Robert Northern, Sun Ra
Piano - Sun Ra
Tenor Saxophone - John Gilmore
Trombone (Prob.) - Bernard Pettaway
B2. Joy - 9:15
Alto Saxophone, Percussion - Danny Davis, Marshall Allen
Baritone Saxophone, Percussion - Pat Patrick
Bass - Ronnie Boykins
Drums - Clifford Jarvis
Drums (Log Drum) - James Jacson
French Horn - Robert Northern
Piano, Keyboards (Clavioline) - Sun Ra
Tenor Saxophone, Percussion - John Gilmore
Trombone (Prob.) - Bernard Pettaway
[ Sun Ra and His Intergalactic Research Arkestra ]
Sun Ra, Marshall Allen, John Gilmore, Pat Patrick And Arkestrians

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Sun Ra and His Intergalactic Research Arkestra - The Invisible Shield (Saturn Sub Undergound Series, 1974) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PLm4w7C3_vBpiOZJTacm3DQfw55odeM_Kr
Credited as Side A Recorded in 1960's & Side B Recorded in 1970's
Released by Saturn Research 144000 / El Saturn Records LP-529, 1974/1977
(Side A)
A1. State Street (Sun Ra) - 3:49
A2. Sometimes I'm Happy (Caesar, V. Youmans) - 6:37
A3. Time After Time (Jule Styne And Sammy Cahn) - 3:36
A4. Time After Time (Jule Styne And Sammy Cahn) *no links
A5. Easy To Love (C. Porter) - 3:30
A6. Sunny Side Up (De Sylvia) - 3:39
Add. But Not For Me (G.Gershwin And I.Gershwin) - 6:49 (Previously Unreleased)
(Side B)
B1. Island In The Sun (Sun Ra) - 10:24 (complete version)
B2. The Invisible Shield (Sun Ra) - 5:36
B3. Janus (Sun Ra) - 7:03
[ Sun Ra and His Intergalactic Research Arkestra ]
Sun Ra, Marshall Allen, John Gilmore, Pat Patrick And Arkestrians

 今回のアルバムはディスコグラフィ上扱いが厄介なもので、すでに一度7月15日に『The Invisible Shield』A面と同時期のスタンダード曲セッションを含むアルバム『What's New』(Saturn Sub Undergound Series, 1975)を取り上げています。ところが『What's New』は1975年に同時発売された2種類のヴァージョンがあって、一方はA面が1962年のスタンダード曲セッションでB面が片面1曲で11分ほどのセッション断片であり、このB面曲は1972年録音のアルバム『Space Is The Place』タイトル曲のリハーサル・テイクと推定されるものでした。もう一種の『What's New』はA面・B面ともにスタンダード曲セッションでA面は同一、B面はすでに1974年のアルバム『The Invisible Shield』のA面曲として発表されていたものです。この『The Invisible Shield』が今回ご紹介するもので、A面は前述の通り1962年のスタンダード曲セッションで『What's New』別版B面と同一、B面は1970年前後の未発表スタジオ録音(一部は60年代録音にダビングしたもの)でした。ややこしいったらありません。
 さらにややこしくなるのが『The Invisible Shield』には『Janus』という別タイトルのプレスも存在していたらしく、サターン・レーベルから起こした海賊盤で出回ってしまったばかりか『Janus』と同一曲目に差し替えたサターン盤も発売されたことです。『Janus』はA面は『The Invisible Shield』と同一、B面はこれが初出になる1970年前後のライヴ録音であり、現在正規発売されているCDでは同一の『The Invisible Shield』のタイトルで『What's New』スタンダード曲セッション統一版と『Janus』版の2種類が流通して混乱に拍車をかけています。スタンダード曲セッション版を『What's New』とし、『What's New』とは重複しない1970年前後の未発表スタジオ/ライヴ録音の拾遺アルバムを『The Invisible Shield』または『Janus』のどちらかに統一すればいいものを、両者を折衷した中途半端な編集盤『The Invisible Shield』が『Janus』と平行して発売されてしまい、その上『Janus』と同内容の『The Invisible Shield』まで発売されていたために起こった混乱で、アナログLP時代にはジャケットとLP本体、レーベルと収録内容が異なることも珍しくなかった(しかも返品不可)というサターン盤の面目躍如たる一例と言えます。

(Original 1201 Music "Janus" CD Liner Cover & El Saturn "The Invisible Shield" LP Side A/B Label)

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 そんな事情で本作を『The Invisible Shield』と『Janus』のどちらを正式タイトルと呼ぶべきか迷いますが、A面にスタジオ録音3曲(A2a「The Invisible Shield」とA2b「Janus」は別セッションから2曲をメドレーに編集したもの)、B面にライヴ録音2曲を収録した1970年前後の未発表スタジオ/ライヴ録音の拾遺アルバム、という意味で、本来このアルバムは『Janus』として発売された形の方がふさわしかったと思われます。当初1962年録音とカップリングされて発売された『The Invisible Shield』はレーベル部分くり抜きのサンプル盤用ジャケットしか確認されておらず、正式アルバムというよりはライヴ会場の即売用サンプラーで、一種のコレクター・アイテムとして編集されたコンピレーション・アルバムだったのでしょう。A面に翌年発売される『What's New』のB面をそのまま収録していたのは、今回初出となる未発表スタジオ録音のB面との録音時期を隔てた対照を意図していたか、または単なる穴埋めだったかもしれません。未発表スタジオ録音曲をA面に繰り上げ、未発表ライヴ2曲をB面に配して1970年前後の録音で統一して『Janus』と改題し、『The Invisible Shield』自体を『Janus』と同内容で発売するに至った経緯は不明で、サターン・レーベルのことだからひょっとしたら前後関係もこの通りではないかもしれない覚束なさもありますが、コンピレーション・アルバムという性格上そのいずれでもあった可能性も考えられるでしょう。
 そんなわけで1970年前後の未発表録音を集めた『Janus』として本作を見ますと、アルバムA面のスタジオ録音曲はどうやら1963年録音の『Cosmic Tones For Mental Therapy』と同時期の未発表セッションにオーヴァーダビングやエフェクト処理を施し、一応の完成ヴァージョンに仕上げたものと思われます。楽曲自体が典型的に当時のサン・ラの作風を示しており、管楽器(アーケストラの場合は木管セクション)のアレンジも60年代中期以降や70年代初頭のアーケストラではない、60年代前半の作風が見られます。マーシャル・アレンのフルートとパーカッション・アンサンブルなどがその典型で、本格的なフリー・ジャズ化以前でもあり、またエレクトリック・ベースの導入以降には大きく変化するので、ソロ楽器のダビングやエフェクト処理では70年代初頭の特徴を備えながらバック・トラックは60年代前半のサウンドという珍しいヴァージョンです。ギミック抜きで楽しいのが50年代の代表曲「Velvet」「(Eli Is The Sound Of) Joy」のノリノリのライヴ・テイクを収めたB面で、どちらもスタジオ録音では3分程度のコンパクトなアレンジを、ここでは目の覚めるようなパワフルなヴァージョンに改作しており、特にスタジオ録音ではバランスの崩れそうな強引なサックス・アンサンブルのリハーモナイズがライヴならではの疾走感で痛快な演奏を聴かせてくれます。単独アルバムとしては50年代~60年代~70年代初頭までのサン・ラの主要アルバムを一通り聴いていないと面白さを拾いづらいアルバムかもしれませんが、未発表コンピレーション・アルバムという性格上敷居が高いのも仕方がないとすべきでしょうか。

映画日記2017年11月22日~24日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(9)

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 ラオール・ウォルシュの監督作品紹介と感想文は今回でひと区切り、1953年度の『限りなき追跡』(コロンビア、3D作品、本国11月公開)、『決斗!一対三』(ユニヴァーサル、1月公開)、『海賊船シー・デビル号の冒険』(英米合作、RKO、英4月・米5月公開)の3作をお送りします。この年のウォルシュ作品は4作で、日本未公開・映像ソフト未発売の『A Lion Is in the Streets』(ワーナー、9月公開)があり、『限りなき追跡』と『決斗!一対三』の間に入ります。この順序は作品製作順で、実際の公開では『決斗!一対三』(ユニヴァーサル、1月公開)、『海賊船シー・デビル号の冒険』(英米合作、RKO、英4月・米5月公開)、『A Lion Is in the Streets』(ワーナー、9月公開)、『限りなき追跡』(コロンビア、3D作品、本国11月公開)の順になるわけです。『限りなき追跡』が遅れたのは試行時代の3D作品のため配給網の手配に手間取ったのではないかと思われ(ヒッチコック唯一の3D作品『ダイヤルMを廻せ!』が1954年です)、また未見ですがジェームズ・キャグニー、バーバラ・ヘイル主演作『A Lion Is in the Streets』は『オール・ザ・キングスメン』'49との類似が指摘される純真な成り上がり者の腐敗と破滅を描いた作品だそうで、渋い内容から公開時期に慎重が期されたのでしょう。同作を未見なのはつくづく残念ですが、取り上げた'53年の3作はいずれもロック・ハドソン(1925-1985)主演作であり、3作とも異なる映画社の作品ですからハドソン側のプロダクションで企画製作の体制を立ててコロンビア、ユニヴァーサル、RKOに売り込んだものと思われ、いずれもウォルシュ監督作品なのはハドソンを擁するプロダクションと懇意でまとめて3作の監督を請け負ったのでしょう。ハドソンはウォルシュの監督作品では『特攻戦闘機中隊』'48の助演で出演歴がありますが、主演ではこれら'53年の3作きりになります。大ヴェテランがまだまだ新人のハドソンにいかに磨きをかけていったか集中的に観るのも楽しいことなので、今回に限っては公開順ではなく製作順に観てみました。

●11月22日(水)
『限りなき追跡』Gun Fury (コロンビア'53)*82min, Technicolor/3D; 日本公開1954年(昭和29年)2月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「ネバダ決死隊」のアーヴィング・ウォレスとロイ・ハギンスが脚色、「海賊黒ひげ」のラウール・ウォルシュが監督する1953年西部劇、製作はリュイス・J・ラクミル。原作はキャスリン・グレインジャー、ジョージ・グレインジャー、ロバート・グレインジャー合作の小説で、テクニカラー色彩の撮影をレスター・ホワイト、音楽はミッシャ・バカライニコフの担当。主演は「怒りの河」のロック・ハドソン、「七つの海の狼」のドナ・リード、フィル・ケイリー、「楽園に帰る」のロバータ・ヘインズで、以下「乱暴者」のリー・マーヴィン、レオ・ゴードン、ネヴィル・ブランドら。
[ あらすじ ] ベン・ウォレン(ロック・ハドソン)は南北戦争に参加していたが、戦いも終わり、彼の許婚ジェニファー(ドナ・リード)がはるばるテキサスからくるとの報に途中まで出迎えた。しかし彼女ののった駅馬車はスレイトン(フィル・ケイリー)一味に襲われてベンは重傷をおい、ジェニファーは彼らに拉致された。逃亡するうちスレイトンは清純なジェニファーにつよく惹かれ、真人間にかえりたいと思うようになった。一方傷のいえたベンはスレイトンを追い旅に出た。ある時スレイトンはジェニファーのことで弟ジェス(レオ・ゴードン)と衝突し、これをうらみにもったジェスはベンを訪ねてスレイトン復讐の手助けを申し出た。町の人や保安官はスレイトンを恐れてベンに協力を拒んだが、元スレイトンの情婦だったエステラ(ロバータ・ヘインズ)と、スレイトンに妹を殺されたインディアンのジョハシュ(パット・ホーガン)が応援を申し出た。スレイトンはメキシコへ逃げようとしたが酷暑のため次第に疲労し、漸くバラットの町についた。それを聞いたベンは早速のりこもうとしたがエステラが偵察を志願し、スレイトンに近づいてナイフで刺そうとして逆におさえられた。彼女の口からジェスがベンの仲間であるとききスレイトン一味は動揺した。ジェスはピストルの名手なのだ。ジェニファーは両方を和解させようとひそかにベンを訪れたが一方ベンと和解して堅気になろうとするスレイトンもベンを訪れた。彼はそこでジェニファーを見て急に気が変わり、ジェスを射ち、ベンをも狙ったが、ジョハシュの短剣にたおれた。ジェニファーとベンは新生活をめざしてカリフォルニアに向かって出発した。

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 映画は駅馬車内から始まり、この辺でスレイトンという物騒な強盗が野放しになっているそうですね、と乗客たちの噂話が交わされます。やがて突然駅馬車が止まり、乗客のうちの紳士の一人が「おれがそのスレイトンだ」と乗客たちをホールドアップさせ、金品を強奪してヒロインをさらい駅馬車を取り巻いた部下たちに混じって逃げていくのが発端です。主人公のロック・ハドソンは婚約者が拉致されるのを取り返そうとするもあっけなく殴り倒され馬に踏まれて昏倒、強盗たちが去って荒野の闇の中に倒れるハドソンの姿。おお西部劇らしいな、と思うのもつかの間、やおらハドソンはふらりと立ち上がってとぼとぼと歩き出します。本作は万事その調子で、強盗のスレイトン一味(リー・マーヴィンがキャスティングされていますが識別できませんでした)がヒロインのドナ・リードをめぐって仲間割れしていったり、スレイトンからヒロインを奪還するのに徐々に主人公の協力者が集まったりしていくのですが、派手に銃撃されて転がっていた人物が何てことなく起きあがったり、かと思うと明らかに致命傷は負っていないとしか見えない人物がやられてしまっていたり、要するに見せ方と結果が腑に落ちないような締まりのない演出が続出するのです。フィル・ケイリー演じるスレイトンもドナ・リードのヒロインに惚れたというのはわかりますが、リードを逃がそうとした子分を射殺したり、レオ・ゴードン演じる弟分に女に入れあげるのを責められると狙撃して荒野に置き去りにしたり(ところがゴードンは生きていてハドソンに協力を申し出ることになります)、ロバータ・ヘインズ演じる情婦のエステラがリードに妬くとこれもゴードンと同じ目に遭わせたり、ともう滅茶苦茶です。キネマ旬報のあらすじは「逃亡するうちスレイトンは清純なジェニファーにつよく惹かれ、真人間にかえりたいと思うようになった」と書いていますがとてもそうには見えません。結末などは輪をかけており、ケイリーがゴードンを撃ち、ヘインズを撃ち、ハドソンが反撃しようとするも丸腰で、やられるかハドソン、と思うやケイリーはばったり倒れ、インディアン役のパット・ホーガンがナイフ投げで背中からとどめを刺していた、という案配です。ゴードン演じる弟分が仲間や親分も怖れる凄腕ガンマンという設定も台詞だけで、全然腕前を披露する場面はなく、映画に生かされてもいません。とにかく銃撃されようが死ぬほど殴打されようが続きを見ないと生死がわからず、ひょっこり生きていたり当然死んでいたりする上に、結局結末まで見ると主人公のハドソンは何の活躍もせずに、敵味方が殺しあっているうちにヒロインが助かって終わる映画なので、この腰抜け感はつい最近観たばかりだな、とランドルフ・スコット初主演のゼイン・グレイ・シリーズ('32-'34、全10作中7作をヘンリー・ハサウェイが監督)が連想されてなりませんでした。スコットは初主演作から足かけ3年で西部劇の人気作家ゼイン・グレイ原作の映画化作品に10作も主演したのですが("Zane Grey apprenticeship"と呼ばれているように「徒弟時代」の色合いが濃いものです)、もともとの原作がそうなのか新人のスコットに配慮してか、主人公はほとんど活躍しないのに密猟者や強盗団、悪徳牧場主が勝手に暴走し仲間割れして自滅するような話ばかりでした。スコット=ハサウェイのコンビではそれが上手くいっていたのでこういうのもありかな、と説得力があったのですが、ウォルシュもしくはプロデューサーなり脚本家はランドルフ・スコット初期作品に倣ってみたのかどうか、二枚目で長身(195cmだったそうです)ながら腕っぷしは強そうには見えないハドソンをどう西部劇で生かせるかそれなりに考えた結果が本作なのでしょう。ハドソンは活躍しないでやられっぱなし、それでは映画にならないので助演俳優たちを動かしてドラマを作ったところ映画全体が間抜けもはなはだしいものになった。原題は『Gun Fury』とかっこよさそうなのにかっこいいガンファイト・シーンもありません。こういう映画に欠かせないラヴ・シーンも主人公とヒロインが別れっぱなしなので主人公ではなく悪党がヒロインに言い寄る場面で代用している始末です。いちばんかっこいいのはパット・ホーガンのインディアン、というか他にまともに目的をきちんと達成しようとしている人物がいないので、中途半端にうろうろして衝動的に行動に出て殺したり殺されたりしているうちに何も手を打てない主人公とヒロインだけが助かってハッピーエンドを迎えるので、そういう映画だと思えば徹頭徹尾拍子抜けを貫いた作品として一貫性もありますが、これではまったくロック・ハドソンが魅力的に見えないではないかと誰も思わなかったのでしょうか。ドナ・リードは絵になる美女でまだしも西部劇のさらわれ役の役割を果たしている分ましですが、ハドソンはというと敵から寝返った強盗の弟分や情婦、またインディアンに頼りっきりで上手い策略を立てるでもなし、単に婚約者をさらわれた男というだけです。いっそ本作は映画1本使って行われたスクリーン・テストみたいなものと思った方がいいのでしょうか。3D映像の効果を強調したいからかウォルシュらしからぬ主観ショットがあり、やたらとカメラ(つまり観客)に向かって物を投げつけたりします。映画として観るなら、本作は場面が進むごとにこれはないだろうと困惑がつのり、いったいどうやって着地させるものかと不安にさいなまれながら観ていくと、ついに挽回せずに終わってしまうので、観始めてたら最後、結末まで観届けなければ収まらない、妙に気を引く作品です。出来の悪い子ほど可愛いといいますが、出来損ないの不細工さが愛嬌になっている作品というのも創作の分野ではままあることです。見てはいけないものを見た気にさせる芸風、というのもありでしょう。しかしつまりまあ、世の中には上手くいかないこともたくさんあり、ウォルシュほど多産な巨匠であれば時々手を抜いたような作品もあるということです。

●11月23日(木)
『決斗!一対三』The Lawless Breed (ユニヴァーサル'53)*83min, Technicolor; 日本公開1959年(昭和34年)4月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] テキサスに実在した賭博師であり、無法者として知られたウェス・ハーディンの半生記の映画化。彼の書いた自叙伝にもとづいて、ドラマが組みたてられている。ハーディンの自伝から製作者のウィリアム・アランドがオリジナル・ストーリーを書き下ろし、それをバーナード・ゴードンがシナリオに脚色している。監督は「裸者と死者」のラウール・ウォルシュ。撮影は「世界を駈ける恋」のアーヴィング・グラスバーグ、音楽はジョセフ・ガーシェンソン。出演するのは「翼に賭ける命」のロック・ハドソン、「平原の待伏せ」のジュリア・アダムス、「若き獅子たち」のリー・ヴァン・クリーフ、ジョン・マッキンタイア、ジュー・オブライアン、メアリー・キャッスル、ウィリアム・プレン、グレン・ストレンジ、マイケル・アンサラ、デニス・ウィーバー、ボビー・ホイ等。製作ウィリアム・アランド。テクニカラー・スタンダードサイズ。1952年作品。
[ あらすじ ] 1894年3月20日、テキサス州ハンツヴィルの州刑務所から体躯堂々の中年男が出所した。我が家へ帰るため駅へ向かった彼は途中、町の新聞社へ寄り部厚い原稿を編集長に渡した。この男こそ16年前、テキサスを荒し稀代の悪漢として捕えられたジョン・ウェスリー・ハーディング(ロック・ハドソン)だった。編集長に手渡された原稿は彼の半生を物語っていた。ーウェス・ハーディンは1853年、テキサス州ボナムに住む巡回説教師ジョン・G・ハーディン(ジョン・マッキンタイア)の3男として生まれた。兄たちは南北戦争に参加し、長兄は戦死、次兄のジョーは不具となっていた。一家には戦争孤児ジェーン(メアリー・キャッスル)がいたが、ウェスは彼女と相愛の仲だった。しかし生来、気性の激しいウェスは、当時北軍軍政下に圧迫されているテキサスの現状に屈辱を感じ、父に隠れて賭博と拳銃の練習にスリルを求める青年となっていた。が、ある日、拳銃の曲射ちが父に発見され革の鞭で打たれた。反逆の血に燃えたウェスは金を儲けたら迎えにくるとジェーンに言い残して家を飛び出した。町の酒場に現われたウェスは名うての賭博師ガス(マイケル・アンサラ)と争い先に拳銃を抜いたガスを抜き打ちに射殺した。このためガスの兄弟3人に狙われ、町のはずれで牧場を営む叔父のジョン・クレメンツ(ジョン・マッキンタイア、二役)の家に逃れた。クレメンツはウェスの父と違い太っ腹の男で、彼を北軍の捜索隊から守るためアビリーンへ向かう牛の群を追って行く仲間に加えた。一方、この噂を聞いて例の3人兄弟はアビリーンにウェスを待ち伏せたが、対決の結果はウェスの勝利となった。その後のウェスは賭博で金を儲け、ジェーンを迎えにボナムに引き返したが、神と法に忠実な父に結婚を許されず、逆に自首をすすめられた。父は有力な弁護士を雇い正しい裁判を受けさせようとした。だが彼を、ボナムの酒場の女ロージー(ジュリア・アダムス)が助けた。彼女の馬車でウェスは脱出できたが、ロージーから、ジェーンが警官隊に射殺されたと聞いた。2人はカンサス市へ向かい行方をくらました。その間、テキサスで瀕瀕と強盗殺人が行なわれたが、すべてウェスに罪を着せられ、逆にテキサス警備隊が出動した。アラバマ州に逃れたウェスとロージーは賭博で得た金で牧場を買い平和な結婚生活を営むことができた。がある日、馬市場に出かけたウェスは警備隊に捕り、これまでの殺人がすべて正当防衛だったにも拘らず、25年の禁固刑を言い渡された。――ウェスは16年ぶりで我が家に戻った。喜びにふるえるロージー、留守の間に生れたジョン(レース・ジェントリー)も逞しく成長していた。ところが息子のジョンが拳銃をもて遊ぶのを見たウェスは思わず殴りとばした。ジョンは家を飛び出した。それは昔の自分と同じだった。ジョンは酒場へ来たが忽ち因縁をつけてきたチンピラやくざと喧嘩し、駈けつけたウェスはやくざ者の拳銃に打たれ傷ついた。父の仇を討とうというジョン。しかしウェスはこれを止めた。無謀な生き方は止めよ――ウェスに初めての平和が来た。

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 キネマ旬報のあらすじが長いですが、本作はそれだけ起伏に富んだ作品で、ジョン・ウェズリー・ハーディン(ハーディング)はボブ・ディラン1967年のアルバムのタイトル曲で歌われているので今日ではディランの曲で広く伝承されているのではないでしょうか。ウォルシュ'53年のロック・ハドソン三部作(と勝手に名づけますが)はそれぞれ趣向が違ってハドソンに多彩な役を演じさせた意図が見えますが、『限りなき追跡』が好意的に言っても商業映画のどん底だったのに較べて、製作順の後の2作、本作と『海賊船シー・デビル号の冒険』は好調なウォルシュで、やりすぎに走ることなく丁寧に演出されめりはりのつき、構成も緊密で無駄なく窮屈すぎず、性格描写やその変化も説得力があり、伏線を生かした物語の展開も巧みで、スケールの大きな題材を主要人物を絞ってあえて80分台のコンパクトな作品にまとめ、1時間半を切る尺数で2時間半の大作に匹敵する満足感を与えてくれる佳作になっています。黒星1、白星2なら十分な成果ではないでしょうか。本作は実在の歴史的無法者の伝記映画の体裁を採っていますが、ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェームズほど日本では知られていない人物なので『決斗!一対三』と決闘ものの西部劇みたいな邦題にされてしまったのが割を食ったのではないでしょうか。実際映画の中では三兄弟を敵にまわしますが、主人公は正当防衛しかしない男なので一対三の対決場面はなく一人ずつ不意打ちしてくるのを迎撃するだけです。しかし主人公はギャンブルに強いので逆恨みをしょっちゅう買い、しかも拳銃の腕が立つので襲撃されれば倒してしまう。一人倒せば数人の恨みを買う、襲われる→倒すのくり返しで次第にやりたい邦題やって恨まれ襲われても倒せるから大丈夫、と正当防衛を盾に他人を銃殺する感覚が麻痺してくるわけです。プロデューサーのウィリアム・アランドは『市民ケーン』端役出演から映画界に入り、本作の後はSF映画やモンスター映画の製作が多いようですが、みずからジョン・ウェズリー・ハーディンの伝記からプロットを立てたそうですからこの構成は優秀なプロデューサーあってのもので、ウォルシュはシナリオにはタッチしない監督ですから不出来な脚本を渡されれば散漫になり、良い脚本ならちゃんと良い映画を撮る見本みたいなものでしょう。それを言えば『限りなき追跡』のプロデューサーはシナリオを見る目がなく、本作のプロデューサーはプロデューサー自身がシナリオの原案を立ち上げ、『海賊船シー・デビル号~』のプロデューサーもまたシナリオの良し悪しがわかる人だったと言えそうです。本作はハドソンの他にスター級の配役はありませんがそれでも良い役者を揃えており、ハイティーンから中年までを演じるハドソンも演ればできるじゃないかの好演ですし、ハドソンの逃亡を助けて殺されてしまう恋人ジェーンを演じるメアリー・キャッスル(以後西部劇専門)、酒場女上がりでハドソンを助け慎ましく貞淑な妻になるロージーを演じるジュリア・アダムス(『怒りの河』本作を経てアランド作品の常連)はともにはまり役で美しく、ハドソンの父と叔父の二役を演じるジョン・マッキンタイアも好演です。三兄弟役に若き日のデニス・ウィーヴァーも出ており、奇しくも「署長マクミラン」と「警部マクロード」の共演になっているのもおそらくプロダクションつながりなのでしょう(これでピーター・フォークも出ていたら完璧ですが、フォークの映画デビューは'58年の『エヴァグレイズを渡る風』です)。本作は恩赦で出所してきた主人公が新聞社に自伝を売り込みに訪ねる場面から始まり、校正係がその原稿を読む、というフラッシュバック形式で主人公の入獄までが描かれ、校正係が原稿を読み終えると(奥さんに何を読んでたの、と訊かれて校正係は「事実に基づいたフィクションさ」と答えます。冴えた脚本です)主人公は妻の待つ自分の牧場を訪ねて迎えられます。そして16歳になった息子に会い、息子が酒場で絡まれて替わりに自分が撃たれることで身をもって銃を持つ危険性を示す感動的なラストシーンになります。主人公の改心を示す劇的なエピソードで、それこそどこまでが事実に基づいたフィクションかわかりませんが、映画の締めくくりとして胸に迫り、かつフラッシュバック形式にした構成が生きたうまい終わり方です(もちろん主人公は死にません)。ウォルシュの第一長編『リゼネレーション(更正)』'15は当時散佚作品でしたから('70年代後半に発見)この映画に関わったスタッフ、キャストにウォルシュ以外誰も同作を知る人はいなかったでしょうが、外から与えられた題材であっても偶然本作はウォルシュ作品の原点に帰ったテーマを扱っていたことになります。本作はいわゆる西部劇のイメージとは大きく異なる作品ですし、原題、邦題ともにハッタリを効かせているので後半のシリアスな展開は観客の意表をつくものですが、気楽に西部劇でも観ようかとタイトルにつられて観た人にもいい映画観たなあ、と広く受け入れられる、自然に観客を共感に誘う敷居の低さがあります。こういう意外性が待ち受けているのも西部劇ならではの融通の効く自由さあればこそでしょう。

●11月24日(金)
『海賊船シー・デビル号の冒険』Sea Devils (RKO'53)*87min, Technicolor; 日本未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] ラオール・ウォルシュ監督がロック・ハドソン主演で描く海洋冒険活劇。イギリス領の島、ガーンジー島で漁師をしながら漁師をしながら密輸業を営むギリアットは、謎の美女、ドローセットのフランスへの密航を請け負うことになりやがて彼女に惹かれていく。彼女は英国のスパイだったが、正体を知らないギリアットはフランス側のスパイと勘違いし……。
【スタッフ&キャスト】監督: ラオール・ウォルシュ 原作: ヴィクトル・ユーゴー 製作: デヴィッド・E・ローズ 原案・脚本: ボーデン・チェイス 出演: ロック・ハドソン/イヴォンヌ・デ・カーロ/マクスウェル・リード/デニス・オディア

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 原作はフランスの大詩人ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)の1866年の長編小説『海の漁師』で、ユーゴーはルイ・ナポレオン(ナポレオン三世、ナポレオン・ボナパルトの甥)政権で弾圧されて約20年間をイギリス領のチャンネル諸島で亡命生活を送り、中でもガーンジー島では帰国する1870年まで16年あまりを送りました。ベルギーの出版社から長編小説の代表作『レ・ミゼラブル』'62を刊行したのもガーンジー島在住中ですし、『海の漁師』もそうです。フランス人の書いた原作小説なのにイギリス人が主人公で、反ナポレオン政権の立場から書かれているのはそうした事情があったからで、内容からもこの小説は英米での人気の方が高くサイレント時代に3回、トーキー時代に2回アメリカで映画化されています。このロック・ハドソン主演のウォルシュ版は最後の映画化になるもので英米合作映画として製作され、実際にチャンネル諸島でテクニカラーによるロケーション撮影が行われたのも見所となっています。時代背景は1800年で、イギリスとフランスは1798年以来戦争を続けているという状況です。英仏海峡のチャンネル諸島では漁師が食い上げになり、密輸で糊口をしのいでいました。つまり邦題の「海賊船」というのは大嘘なのですが、日本劇場未公開、テレビ放映題がそうなって定着してしまったタイトルですから仕方ないのです。映画はすぐに種明かしして主人公側とヒロイン側の両方の視点で描かれますからキネマ旬報のあらすじより多少詳しく書きますが、ヒロインはフランス貴族の女性スパイがナポレオン・ボナパルト政権から亡命してきたと見せかけてイギリスに諜報活動していたのを捕らえて、替わりにそっくりなイギリス人女性スパイがフランス貴族女性スパイになり替わって偽情報を流しつつフランスの軍事機密を探る、その女性スパイなわけです(ややこしい)。主人公は当初ヒロインがナポレオンに迫害されて弟を幽閉された亡命フランス貴族で、弟の救出のためにフランスに密航したいと打ち明けられて素直に信じてフランスに送り届けたところ、ヒロインがフランス諜報室の大佐と連れ立っているのを目撃し、フランスのスパイに騙されたと怒ってヒロインを寝室から誘拐してきてしまいます。熟睡中に猿ぐつわをされ簀巻きにされたヒロインが長身のハドソンに担がれ足をバタバタしながら運ばれていく姿はなかなかのもので、本作は真面目な歴史軍事スパイ・サスペンスに英仏両方のスパイ陣営が本気で腹の探りあいをやっている中で主人公とヒロインが見当はずれなすれ違いをくり返しながら、主人公の頼りになる相棒やガーンジー島での宿敵の小悪党が絡んで小気味良く進行し、コミカルでもあればシリアスでもあり、思いがけない曲折を経ながら作中のすべての伏線が一序に結末に収斂していく手際が実に見事です。英米合作映画だからかイギリス時代のヒッチコックの作風確立期の秀作『三十九夜』'35や『第三逃亡者』'37、『バルカン超特急』'38を思わせるスマートな完成度と適度にさばけたユーモアがあり、ハドソンも『限りなき追跡』とは別人のように魅力的でヒロインのイヴォンヌ・デ・カーロも美しく、プロデューサーは他にあまり作品のない人ですがキャスティングが実に決まっているのは優れた采配がうかがえ、撮影のウィルキー・クーパーは『シンドバッド七回目の航海』'58や『アルゴ探検隊の大冒険』'63の人でもあれば『舞台恐怖症』'50、『情事の終わり』'54、『悪魔スヴェンガリ』'54の人でもあり、原案・脚本のボーデン・チェイスは『赤い河』'48の原案・脚本家であり『コロラド』'48、『モンタナ』'50、『ウィンチェスター銃'73』'50、『怒りの河』'51、『世界を彼の腕に』'52、『遠い国』'54、『ヴェラクルス』'54、『星のない男』'55、『第六番目の男』'55とそうそうたる原案・脚本作品を誇る人です。何てことはない歴史冒険映画と思いきやちゃっかり一流スタッフに支えられた映画なわけで、カメラマンと脚本家がさりげなく一流ならウォルシュもきっちり良い映画を作る、『決斗!一対三』とは趣向が違って本作は娯楽映画に徹した作品ですが出来は双璧といってよく、'53年公開のロック・ハドソン三部作の最後が本作なのはウォルシュの大手柄でしょう。24作毎日ウォルシュ作品を観てきて、この作品で結べるのは実に自然なハッピーエンドという気がします。しかしウォルシュの作品はまだこの5倍の本数があるのです。
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