『母を恋はずや』(残存版)
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1934年の小津監督作品は2本、『母を恋はずや』(5月11日公開)と『浮草物語』(11月22日公開)で、前者はサイレント、後者はサウンド版(サイレント映画に音楽がついたもの)というデータが残っていますが現存フィルムはサイレント版しかありません。問題は今回ご紹介する『母を恋はずや』で、フィルム9巻(2559m)というデータから全長93分の作品と推定されますが現存フィルムでは最初と最後のフィルム・リールが失われており、シナリオからシノプシスを起こした字幕で冒頭と結末を補い、73分にまとめた不完全版です。それでも推定全長70分を13分にしたダイジェスト版しか観られない『大学は出たけれど』や完全散佚作品よりはまだしもで、最初と最後の欠損部分をシナリオによるあらすじで諦めれば残存部分はむしろ状態の良いフィルムを楽しむことができます。
しかしそれも楽しめればの話で、書籍のかたちでまとめられている小津安二郎論などでは欠損を考慮して慎重な言及にとどまっていますが、ネット上の映画サイトではこれほど評価の分かれる古典映画はないようです。文字通りの賛否両論で、欠損がなければ名作と断定できると賞賛する評者と、残存部分だけ観ても失敗作と匙をなげる評者が半々です。筆者はこの作品より先にルイス・ブニュエルの『愛なき女』(メキシコ1951)を観ていましたので、母親と二人の息子の苦しみを描いたモーパッサンの異父兄弟小説が原作というと『母を恋はずや』が(こちらは異母兄弟で、モーパッサン原作ではありませんが、シチュエーションは同一ですから)ブニュエル作品と並んで浮かんできます。
ブニュエル作品は異父兄弟という事情ですので過去の母親の不貞が問題になり、これは孝行息子だった兄弟に大きな苦しみになりります。一方『母を恋はずや』では長男は幼児にして実母を失い、後妻である継母と弟が実の肉親でないことにショックを受けて、長男である自分に弟より尊重した態度をとるのも継母の偽善どはないかと横浜の娼窟に入り浸ってグレてしまいます。ブニュエル作品は倫理的葛藤や兄と弟の複雑な愛憎、過去のあやまちで息子たちを苦しめている母親の悲しみをシンプルに描いた見事な小品でした。
一方小津作品は小宮周太郎原作であり、モーパッサンの原作を忠実にメキシコを舞台に翻案したブニュエル作品とは基本的なアイディアも設定・筋立ても違います。『母を恋はずや』は大体このような筋です。
(冒頭欠損=資産家の梶原家は朝食の席でピクニックの計画を立てますが、息子たちが小学校に行っている間に父が急死します。8年後、一家は郊外の借家住まいでした)。
大学進学手続きの書類から長男の貞夫(大日方傳)は自分が実際には父の最初の妻の子供で、実母と思っていた母の千恵子(吉川満子)が継母であることを知り、今まで秘密にされていたことに対して母を責めます。千恵子は実子である次男(三井秀男)と分け隔てなく育ててきたつもりであり、あえて出生の秘密を知らせなかったと詫びますが、貞夫は納得しません。父の友人がとりなし、貞夫は一応は思い直して母に謝罪しますが、かつてのような家族の情には戻れません。
ある日、貞夫はチャブ屋(一階は飲食店やダンスホール、二階は私娼窟を営業している風俗店。90年代まで残っていました)に入り浸っている学友を連れ戻しに行き、支払いを肩代わりするために母から金を借りますが、次男の幸作から実は家計が厳しく、母から節約を強いられたことを聞きます。また、母が父親の古着を幸作に仕立て直していることを知り、母親が幸作には打ち解けているのに自分には気を遣い特別扱いにしていると、再び母を責めます。帰宅した幸作は詳しい事情を知らないまま、母を泣かせた貞夫を責めます。貞夫はあえて幸作に暴言を吐き幸作を殴ると家を出ます。貞夫の本心を知る母は、兄の態度に怒る幸作に事情をすべて打ち明け、お兄さんは自分から身を引こうとしてお前を殴ったんだよ、と言います。
家を出た貞夫はチャブ屋に寝泊まりしています。心配した母が訪ねてきますが、貞夫は自分は一人が性に合っているんだとうそぶき、母を追い返します。肩を落として帰る母親の後ろ姿を窓から見送る貞夫の部屋に、ちょうど掃除婦が入ってきます。母と同世代の掃除婦が長年の息子との不和を悲しむ言葉に、貞夫は心を動かされます。
(以下欠損=貞夫は、家に戻り親子三人は和解します。三年後、彼らはさらに粗末な家に移りますが、家庭は幸福でした)。
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比較するのも不当かもしれませんが、ブニュエル作品を感動的にしている前述のきめ細やかなキャラクター造型が『母を恋はずや』にはごく稀薄か、またはまったく感じられないのです。兄は母に、弟は兄に反抗し、母はおろおろするだけです。ブニュエル作品ではメキシコ映画という先入観などすぐに霧消するくらい登場人物は行動によって深い内省を感じさせました。それがこのメロドラマを心に染み入る佳作にしていましたが、『母を恋はずや』の登場人物は親兄弟を責めているだけで(短いあらすじでも「責めます」の連続)、相手の心情を理解する姿勢がまるでないのです。母の千恵子は一見継子の貞夫に理解があるように描かれますが、実際は良い継母たらんとする千恵子の気持ばかりが強調されるのでは白々しいとしか言いようがありません。
ブニュエルは小津より3歳年長なだけですが、スペインに生れ、フランスで実験映画の作家になり、スペインで反体制映画の作家になったあとメキシコで大衆映画の大家になり、再びフランスでアート・フィルムの世界に復帰し、一歳上のヒッチコックに匹敵する独自のスタイルを持った巨匠として83歳の逝去までフランスで奔放な異色作を作り続けました。小津31歳の『母を恋はずや』とブニュエル50歳の『愛なき女』の比較はフェアではないかもしれません。ブニュエル作品は1987年夏に50年代メキシコ時代の日本未公開作品が一挙に6本、2本立て公開された時に初めて日本に紹介されたものです。他の5本は『昇天峠』『エル』『嵐が丘』『乱暴者』『スサーナ』という、とんでもない特集上映でした。
古美術商を営む資産家夫婦の仲は冷めきっていましたが、息子たち同士や親子の仲は睦まじいものでした。ある日、成人した次男に突如莫大な遺産が転がり込みます。贈り主は長男誕生後に夫婦仲の不和から出奔し露頭に迷っていた妻を助けた青年技師で、恋愛関係になりましたが、結局彼女は連れ戻されてしまったのです。次男は実は彼との間にできた子供でした。技師の遺言により遺産が贈られ、そのため疑惑が生じるわけです。
その相続金で次男は豪華な結婚式を挙げますが、式の最中に父は急死する。医師である兄は、研究のための資金に不足していた上に、弟の新妻は想いを寄せていた女性だったことで兄弟仲は悪化します。兄は母が隠していた写真から母の不義を知り、弟の出産に疑惑を抱くようになります。やけになった兄は熱帯行きを決意しますが、弟との口論で殺し合いの喧嘩になりかけます(メキシコですから)。その時、母は決然と自分の過去を明かし、息子たちとも別れて、ひとり愛人の想い出とともに生きていくことを宣言します。
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あらすじを起こしてみただけでも『母を恋はずや』の骨格の弱さと『愛なき女』の深い悲劇性は一目瞭然で、『母を恋はずや』の原作者も『ピエールとジャン』が念頭になかったとは思えず、視点人物が兄にあるのは『ピエールとジャン』から『母を恋はずや』に継承されているのです。しかしモーパッサン作品が最高傑作と見做されるほど精緻で痛烈なのは、兄の苦しみが母や弟への愛に根ざしているからで、事実が明らかになれば母と弟をも傷つけずには済まないことが兄にとっては試練になります。ブニュエル作品では母親をヒロインにすることで成功しました。兄弟の内面の葛藤を描いていくのは映画向きではない、それよりもヒロインの悲劇的な立場を描く方が直接ドラマの核心に迫れる、という見解からの脚色です。おそらく戦後の小津ならばブニュエルと同じ判断をしたか、本来は「旧家の没落をテーマにするつもりだったが、狙いから外れた」と小津自身が語るように継母子という問題は作品の軸にはならなかったでしょう。この作品の兄息子は「何で今まで騙してきたんだ!」から「反省したが素直になれない」に移り、散佚した結末では「素直に継母に感謝する」となるわけですが、となればこの映画のドラマ面はすべて主人公の青年の独り相撲でしかありません。
ただしこの映画、冒頭と結末を散佚しているというのに残存している70分は眼福必至の映像美が最良の保存状態(なのに冒頭と結末欠損)で鑑賞でき、案外絵面の美しさだけを純粋に追求して中身は形だけあればいいという心算だったのかもしれません(そんなわけないでしょうが)。小津作品には珍しく耽美的な印象を受けるのです。また、この作品は英語版ウィキペディアのみならずロシア版や中国版ウィキペディアでも独立した項目が設けられており、小津のサイレント期の作品を代表する一編と評価されているようです。継母子の主題が、スラブ=モンゴル文化圏の琴線に触れるところがあるのでしょうか。