Yusef Lateef-Prayer To The East(Full Album),rec.1957.10.10
A1. "A Night in Tunisia" (Dizzy Gillespie) - 9:55
https://www.youtube.com/watch?v=--bBVX8cNwQ&feature=youtube_gdata_player
A2. "Endura" (Yusef Lateef) - 13:10
https://www.youtube.com/watch?v=RLzaG6Cz0o4&feature=youtube_gdata_player
https://www.youtube.com/watch?v=11xZUACaXBI&feature=youtube_gdata_player
B1. "Prayer to the East" (Ali Jackson) - 8:19
https://www.youtube.com/watch?v=Y8-X6VDE8Zo&feature=youtube_gdata_player
B2. "Love Dance" (Les Baxter) - 6:46
https://www.youtube.com/watch?v=469Vkx5rtsM&feature=youtube_gdata_player
B3."Lover Man" (Jimmy Davis, Ram Ramirez, James Sherman) - 6:37
https://www.youtube.com/watch?v=tTTAdNjsymY&feature=youtube_gdata_player
[Personnel]
Yusef Lateef - tenor saxophone, flute, tambourine
Wilbur Harden - flugelhorn
Hugh Lawson - piano, ocarina
Ernie Farrow - bass
Oliver Jackson - drums, gong
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ユゼフ・ラティーフさんは昨年12月に亡くなった。ユゼフ・ラティーフはイスラム名で、本名ビル・エヴァンスとよく面白がられるが本名ウィリアム・エヴァンスだから嘘ではない。それはさておき21世紀にもなると、60年代までに活動していたモダン・ジャズの忘れがたい人たちが毎年毎年点鬼簿に入っていく。フレディ・ハバードやジミー・ジフリーが亡くなった時には、もう10年前にはまともに演奏できなくなっていた人だから安らかな追悼の気持になった。ネットでJ.J.ジョンソン自殺の報を知った時は、ジョンソンほどの人でもガン闘病には耐えられなかったのか、と痛々しかった。新聞で訃報を見て声を上げてしまったのはジャッキー・マクリーンの時で、演奏にかける執念で知られた人だったからまだまだ長生きしてほしかった。サム・リヴァースやアンドリュー・ヒルはひっそり、エルヴィン・ジョーンズはああ、もうエルヴィンはいないんだな、と寂しかった。去年はセシル・ペインが85歳で亡くなっていて、楽器はバリトンだしその上渋いし脚光を浴びた時代もなかったが、中堅や若手からも尊敬を集める幸福な老年だったと聞いて、年齢的にも大往生だな、と思いを馳せた。
ところでユゼフ・ラティーフさんは1920年生れだからなんと93歳の長命で、晩年も"Toward the Unknown"2010、"Roots Run Deep"2012、"Voice Prints"2013と本当に生涯現役ジャズ・ミュージシャンだった。1950年にディジー・ガレスピーのバンドに参加したがデトロイトのローカル活動を選んだので、ラティーフさん本人のアルバムがサヴォイとプレスティッジの両レーベルで相次いで制作されたのは1957年のことだった。
ラティーフさんが本格的にニューヨークを拠点にしたのはキャノンボール・アダレイのセクステットに加入した1962年で、同時に加入したメンバーにはジョー・ザヴィヌルもいる。コルネットにナット・アダレイ、ベースは名手サム・ジョーンズ、ドラムスはホレス・シルヴァー・クインテット出身のルイス・ヘイズというスーパー・グループで、日本を含む世界ツアーの成功でキャノンボールの株もラティーフさんの認知度も上がった。ラティーフさんは62年と63年の二年間キャノンボール・セクステットに在籍し、後任を新人チャールズ・ロイドに譲る。サヴォイとの契約は59年、プレスティッジとの契約は61年で切れていて、キャノンボールのバンドでは62年・63年の二年で7枚のアルバムを残す。上の写真は63年からリーダー契約したインパルス・レーベル時代のものと思われる。ジョン・コルトレーンをレーベルの柱としたインパルスは、硬派なんだか軟派なんだかわからないが得体の知れない大物感があるラティーフさんにはうってつけだったろう。これを42歳のラティーフさんの写真とすると、デビューから晩年までラティーフさんはほとんど容貌が変わらないのはさすがだ。感心する。
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これが2007年、87歳のラティーフさん。87歳で現役サックス奏者だったし、93歳で亡くなるまでもそうだったのだ。文頭のモノクロ肖像写真から45年経っても容貌に変化がないのがお分かりいただけただろうか。
多少ともジャズ知識のある方なら、1920年生れとだけで反応するところがあると思う。チャーリー・パーカーが同年生れなのだ。パーカーはジャズとジャズ由来の音楽文化をパーカー以前とパーカー以後に分けるくらい巨大な存在だった。ビートルズやジミ・ヘンドリクスさえパーカーが改革した地平から出てきたのだ。パーカーの急逝は1955年で、35歳の誕生日までまだ二か月先に亡くなっている。ユゼフ・ラティーフさんがいかに晩成型のミュージシャンだったかわかるし、ディジー・ガレスピーはパーカーと20代半ばにコンビを組んでいた人だからラティーフさんの素質ははっきり見抜いていただろう。いずれにせよ、ラティーフさんのレコード・デビューは同い年生れのパーカーの逝去から二年以上遅れたのだった。しかもまだラティーフさんはデトロイト在住だったので、57年4月5日と9日にニュージャージーのルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで13曲アルバム3枚分をサヴォイ・レーベルに、4月15日にはニューヨーク録音で8曲アルバム1枚分(ヴァーヴ・レーベル)、飛んで10月が凄くて再びヴァン・ゲルダー・スタジオで9日に6曲、10日に7曲をサヴォイに録音し、二日でアルバム4枚分になった。便乗して11日にはそのまま同じスタジオでプレスティッジ・レーベルからの最初の2枚のアルバム12曲を録音。3日で25曲、アルバム6枚分を上げたわけだ。
ついでにヴァン・ゲルダーというレコーディング・エンジニアに触れておくと、自宅で工場経営のかたわらオーディオ・マニアで録音スタジオを開いた。ニューヨーク録音するとエンジニア代とスタジオ代で高くつくが、少々遠いとはいえヴァン・ゲルダー・スタジオはスタジオ代とエンジニア代が込みだし安い。ジャズ界最高のレコーディング・エンジニアとされるが、何しろ安さが売りでインディーズのジャズ・レーベルを一手に引き受けていたのでサヴォイもプレスティッジもブルー・ノートもみんなヴァン・ゲルダー録音なので、名作も多いが凡作も多い。同時代のレコーディング・エンジニアならロイ・デュナン、トム・ダウド、フィル・ラモーンらの方が水準の高い仕事をしていたと思う。閑話休題。
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前述のユゼフ・ラティーフ1957年全録音はすべてこの4枚組ボックス"Yusef's Mood"に、録音順に収録されている。編集・発売はスペインのジャズ再発専門レーベルのフレッシュ・サウンドで、80年代末に始めてからしばらくは企画と編集はいいが音質は悪かった。今ではサヴォイやプレスティッジの正規再発盤より音がいいんじゃないか、というくらい向上している上、アメリカ本国ではマニアックすぎて通らない再発盤を連発しているので廃盤になるとすかさず数万円のプレミアがつく。このラティーフ盤も新品で買えるうちで、サヴォイ盤は単体ではプレミア廃盤になっているのでこの4枚組ボックスの方がお得でもある。今回ご紹介したアルバム『プレイヤー・トゥ・ジ・イースト』も現在このボックスでしか聴けない。『プレイヤー・トゥ・ジ・イースト』は日本盤CDも出ていたが廃盤で、サヴォイはアルバム・ジャケットのセンスがいかれているので概して人気がない。内容は素晴らしいのだが、いかんせんこのジャケットとタイトルではなかなか手が出ないのも仕方ない。4枚組ボックスを人に薦めるのは無茶なのだが、それでも『プレイヤー・トゥ・ジ・イースト』の全5曲のためだけでも、4枚組ボックス分の価格につりあう(もちろん他のアルバム曲も素晴らしいが)。
"Yusef's Mood"の宣伝資料を引用したい。ものすごいボックス・セットなのがわかる。
「ハード・バップの黎明期から活躍、次第に異国情緒の世界に移行、ユニーク路線を歩み続けるユセフ・ラティーフが、1957年4月と10月、サボイ、バーブ、プレスティッジに行った自己名義セッション6回分(アルバム10枚、全46曲)を4CDに収めた豪華集大成決定版です。オリジナル・アルバムでは「Stable Mates」(Savoy MG-12115)、『Jazz for the Thinker』(MG-12109)、『Jazz Mood』(MG-12103)、『Before Dawn』(Verve MGV8217)、『Jazz and the Sounds of Nature』(MG-12120)、『Prayer to the East』(MG-12117)、「Jazz Is Busting Out All Over」(MG-12123)、『The Sounds of Yusef』(Prestige LP7122)、『Other Sounds』(Prestige LP8218)、「Cry Tender」(New Jazz LP8234)収録の貴重な音源ばかり(「」は部分収録)。デトロイト時代の仲間であるフラーやローソン、ワトキンス、ヘイズら当時若手の実力派ミュージシャンもこぞって参加しています」。
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しかしいくら37歳の遅まきのデビューとはいえ、四月と十月に集中して計6回で46曲、アルバム10枚分を一年で制作とは今日ではまずあり得ないだろう。これが可能なのはクラシックとジャズのような長尺曲のレパートリー楽団くらいで、それでも単独ソロイストをリーダーにしてこれだけ一気にアルバムを大量制作するのはクラシックの協奏曲シリーズでもまず企画が通らない。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集でも交響曲全集でも5年くらいかけるものだ。
ラティーフさんの芸風は実はもっと後になって確立するのだが、イスラム名は伊達ではない中近東テイストは最初からラティーフさんの構想にあった。ラティーフさんはテナー・サックスが主楽器だが、フルート兼任はジャズの木管セクションでは珍しくないにしても、さらにオーボエとなると他にボブ・クーパーくらいしか思い当たらない。やはり木管楽器なら何でもこなす超人アーティストにラサーン・ローランド・カークがいるが、ラサーンさんほどラティーフさんの演奏はくどくない。ローランド・カークは1936年生れだからか元々ソウル・ジャズ色が濃く、1977年に逝去したからラティーフさんの早死にした甥っ子みたいなものだ。ラティーフさんがソウル・ジャズに接近するのは60年代以降になる。さらに、ローランド・カークのデビュー作は1956年だから、ラティーフさんは16歳も年下のブラザーにすら遅れを取っていたことになる。
『プレイヤー・トゥ・ジ・イースト』は1957年のラティーフさんのアルバムでは最高で、ラティーフさんの最初の傑作アルバムと言えるだろう。アルバムの最初を師匠ディジー・ガレスピーが映画『カサブランカ』にインスパイアされて作った『チュニジアの夜』、最後をビリー・ホリデイに提供され、ビリーが初めて弦楽オーケストラをバックに歌ったバラード・ヒット『ラヴァー・マン』というモダン・ジャズの定番曲で締める。この2曲が定番になったのはチャーリー・パーカーの名演があるからで、『チュニジア』ではギャグすれすれのエキゾチックなムードで、もてない女の嘆き歌『ラヴァー・マン』ではたっぷりと切なく歌い上げる。アルバムの間の3曲は当時のジャズのフォーマットではぎりぎりにスペイシーなサウンドを志向していて、ローランド・カークがソウルフルでアグレッシヴならユゼフ・ラティーフはスピリチュアルでアーシーなエモーションから出発したジャズマンだろう。
ちなみにボックス・セットでは録音順に収録されているので、実際は"Prayer To The East","A Night in Tunisia","Lover Man","Endura","Love Dance"の順で録音されたのがわかる。アルバムの曲順に並べて正解だろう。
日本ではジャズ名盤ガイドの類にラティーフはおろかカークすら滅多に選出されることがないが、カークの過小評価は不当として、ラティーフさんは仕方ないかな、とキングコブラのジャケットを見ると思う。普通に顔写真をジャケットにしても怖いし(笑)。でもこの人はアメリカの国宝だった人なんですよ。