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溝口健二『西鶴一代女』(新東宝1952)

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[Japanese Movie Top 5]
https://www.youtube.com/watch?v=n6q_skZgtIs&feature=youtube_gdata_player
 この動画の編者は割と偏った趣味で、5.『近松物語』(溝口健二・1954)、4.『西鶴一代女』、3.『浮雲』(成瀬巳喜男・1955)、2.『赤線地帯』(溝口・1956)、1.『晩春』(小津安二郎・1949)と、どれも傑作には違いありませんがこれを日本映画ベスト5と見ると映画の世界が狭くなるんじゃないかという懸念もあります。サイト上の無料動画で『西鶴一代女』が少しでも観られるのはこれだけだったので参考までに。
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 しかし、本当に凄いものを見ると居づまいを正すどころか圧倒されて思わず笑ってしまう(笑うような内容じゃないのに)というのはどの創作ジャンルにもあると思いますが、『西鶴一代女』を観直したらもう、特に中盤以降はあまりに簡潔で怒涛の展開に笑いをこらえるのが大変でした。尋常なら30分くらいはかける展開が、中盤からは10分程度で駆け抜けていくのです。それでいて過不足は感じません。
 『西鶴一代女』が溝口健二の大傑作なのは学生時代に初めて観てから当然のように思っていましたが、そんなに簡単に当然なのではない。スタッフもキャストも一丸となって奇蹟みたいな傑作が出来上がったので、『武蔵野夫人』までのスランプ三部作と大差ない映画になる可能性だってあったのです。
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 スランプ三部作の原因は、ヒロイン始め登場人物たちが、キャラクターも描かれ方も地に足がついておらず、結果的にどこか気がない、焦点の定まらない作品になってしまったことにありました。ところが『西鶴一代女』ではほんの数カットしか出てこないような人物でもせいいっぱい自分の人生を生きていて、精気に満ちあふれています。それは監督・主演女優始めスタッフやキャストの全員がこの映画に描かれた虚構の現実性を確信できたからで、現代の京都人が200年前の京都の人間模様を生きいきと再現できたのも西鶴の『好色一代女』(とはいえ、脚本の依田義賢氏が打ち明ける通り、近松浄瑠璃の要素も大きいですが)に人間性の普遍的真実を信じることができたからでしょう。関東文化圏の人間が作ったら、江戸はともかく京阪神を描いて血の通ったものになるとはおもえません。ローマとミラノ、ナポリでは同じイタリアでもまるで違う風土だと言いますが、それに近いかもしれません。
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 『西鶴一代女』と、続く『雨月物語』は二作連続国際映画祭受賞作品となり、溝口は得意の題材で小品『祇園囃子』『噂の女』を挟みながら『山椒太夫』と『近松物語』を作りますが、ともに傑作といえる出来ばえながらそれぞれ『雨月物語』『西鶴一代女』の成功を応用した作品でした。その意味では『西鶴一代女』『雨月物語』、そして祇園ものの総決算でもある『祇園囃子』で溝口はひと区切りつけたと言えます。最晩年の『暢紀妃』『新・平家物語』『赤線地帯』は再び新たな挑戦が見られますから、溝口は思わぬ急逝まで創作意欲を失わなかったのです。
 溝口は、巨匠の風格をそなえてからも見栄と欲の強い、ねちねちした性格の人でした。『西鶴一代女』も前年の黒澤明『羅生門』のヴェネツィア映画祭大賞受賞への対抗意識から生まれたのは有名な話です。西鶴の原作からも溝口の演出が強調したのは人間の欲の業の深さで、『一代女』では極端な構成をとったため『雨月物語』ではまったく異なる構成で同じテーマを描いたのです。
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 依田義賢氏の『溝口健二の人と芸術』は、なにしろ脚本家本人の著述ですから明解に解説がなされています。依田氏はその言葉は使っていませんが、この映画はヒロインが転々と渡り歩き、舞台やヒロイン以外の登場人物は次々変わるロード・ムーヴィーなのです。依田氏の著述に従って構成を追ってみましょう。
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[プロローグ]老残し、街娼をしているお春(田中絹代) は荒寺の百羅漢を眺めているうちに、その仏像のひとつひとつが、かつて自分と関係のあった男の顔に見えてくる。そしてお春は、男性遍歴の一生を回想する。

[御所]侍の娘で京の御所に勤めていたお春は、公卿の若党・勝之介(三船敏郎)と愛しあっているところを役人に摘発され、不義密通の罪で両親ともども洛外追放になる。若党・勝之介は「お春さま、真実に生きなされ」という遺言を残して打ち首になる。

[国主の屋敷]その後お春は、奥方の不妊で因っている松平家の側室に召しかかえられた。お春は子を生んでますます国主に寵愛され、奥方の嫉妬によって家元に帰される。

[島原]次に父親に島原の廓に売られ、大金持の田舎者(柳水二郎)に身請けされそうになるが、この男はニセ金づくりで、その場で役人に逮捕される。

[商家]彼女は次に堅気の大商人(進藤英太郎)の家の女中になる。だが主人が彼女の過去を知り目をつけたため、奥さん(沢村貞子)に嫉妬されて苛めを受けて逃げてくる。

[家庭]彼女の過去も承知した扇屋の若旦那に嫁ぎ幸福な家庭を築くが、夫は強盗に殺される。

[尼寺]出家しようと尼寺に身を寄せるが、商家にいた時に言い寄ったきた番頭が訪ねてきて迫られ、尼僧に目撃されて追い出される。

[駆け落ち]番頭が店の金を盗んで強引に駆け落ちを迫られ、仕方なく一緒に逃げるが、途中の茶屋で番頭は捕らえられる。

[どん底]乞食にまでおちぶれ、街娼たちに誘われて街の辻に立つようになったが(ここでプロローグの場面が再現される)ある日、母親が彼女を訪ねてくる。彼女の生んだ子が大名になって、お呼び出しがあったという。

[国主の屋敷]喜んで訪ねると、大名の生母が街娼にまで身を落とすとは国の恥、と、永の蟄居を命ぜられる。彼女は一目だけわが子に会わせてくれと言い、息子の姿を眺めながら身をくらます。

[巡礼]尼となって巡礼している彼女の姿で終りになる。
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 学生時代に映画館で観た時とはずいぶん印象が違いました。内容については、二十歳そこそこで観た時にはこの映画に描かれたような人間模様は身近に経験していませんでしたから、歳をとるほど当然理解は深まります。
 印象の違いは、この映画は前記の通りほぼ10のパートに分かれているのですが、最初の4パート([プロローグ]~[島原])までで映画全編の三分の二とまではいかずとも、五分の三を費やしている。[商家]から後はひとつのパートは駆け抜けるように短く、どんどん加速していきます。それがヒロインにとってはどれもがとんでもない悲劇であるだけ、残酷なユーモアが漂ってくる。これは印象の相違というより、観直して気づいたことになるでしょう。
 昔、劇場で観た時は、良い意味長いな、と感じました。この映画は148分あったはずで、手持ちの50年前の資料にもそうあります。劇場で観たのも二時間半ありました。現行のDVDは139分になっています。いくつか映画案内サイトで調べましたが、この30年の間で約10分の短縮版が定本になったようなのです。
 エピソードまるごとや、シーンまるまるのカットではなく、細かいところで話に支障のない短縮作業が行われたか、または元々短めに編集されたヴァージョンが現行DVDのマスターに採用されているのでしょう。気づいた短縮箇所をひとつ上げると、この映画で最初のショッキングなシーンは三船敏郎演じる若党が斬首される場面ですが、介釈人が斬首を終えて刀をすーっと地面に垂らすと、カメラは刀の柄から刃先までを舐めるように滑って撮していました。つまり画面には人の首を落としたばかりの刀のアップが一分間映っているのですが、DVD版では斬首した介釈人が肩を引いた瞬間でシーンは切り上げられ、追放にあったお春一家のシーンに切り替わりました。こうした具合に、余韻を残して長めに撮られていた部分を摘まんで10分短くした、おそらく元々、二本立て用の139分ヴァージョンが148分ヴァージョンと両方あったのでしょう。記憶にある以外でどんな箇所が短縮されたかわかりませんが、あの日本刀のアップの一分間は衝撃的で、大きな損失だと思います。
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 この作品については語り尽くせませんが、最後にスタッフとキャストを上げておきます。溝口作品というと撮影・宮川一夫、音楽・早坂文雄がいつものスタッフですが、この作品はその点でも例外的です。
製作:児井英生
原作:井原西鶴
監督:溝口健二
脚本:依田義賢
撮影:平野好美
音楽:斎藤一郎
美術:水谷 浩
出演:田中絹代・山根寿子・松浦築枝・三船敏郎・宇野重吉・菅井一郎・大泉滉・進藤英太郎・柳永二郎・沢村貞子・清水将夫・毛利菊枝・加東大介・小川虎之助

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