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文学史知ったかぶり(22)

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『ミメーシス』は第一章で『旧約聖書』を取り上げていますから古代ギリシャ抒情詩を落すのはまだしも、古代ギリシャ演劇―三代悲劇作者アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスと突出した喜劇作者アリストファネスは文学の発展史上欠かせない里程標になるでしょう。アウエルバッハが演劇文学を決して軽んじていたわけではないのは、その後の章でしばしば演劇を取り上げていることでもわかります。ただしアウエルバッハが採択しているのはヨーロッパがキリスト教文化圏、いわばユダヤ思想が根づいてからの演劇作品であり、近代ドイツにおいても、シラーの『たくらみと恋』は取り上げますがワーグナー作品には触れていません。文学的価値においてワーグナーの諸作はシラーに劣らず、独自の位置を占めるものです。

ワーグナーはあまりに異教的だったのでアウエルバッハの考えるヨーロッパ文学思潮では時代の典型を表すとはならず排除された、とも思えますし、ナチによってニーチェの著作とともにナショナリズムと反ユダヤ主義への鼓舞に悪用された実績があります。『ミメーシス』刊行の1946年にはナチと切り離したニーチェやワーグナーは論じることが難しかったでしょう。

ニーチェは一般には哲学者とされますがその出発はギリシャ文化の美学研究者であり、ギリシャ文化の研究を経てキリスト教の存在しない文化へ傾倒し、やがてキリスト教を近代文化にいたる思想の汚染源とみなすようになります。ニーチェが願った健康な文化の回復は一神教のキリスト教における原罪の概念の消滅であり、古代ギリシャにおける多神教の「運命」という概念がキリスト教の「原罪」を駆逐することで、その同時代における実現をワーグナーの演劇に発見した、というのが有名なニーチェとワーグナーの関係であり、キリスト教=ユダヤ主義批判がナチス政権下のドイツに利用された事情です。

ですから、多神教の運命観が作劇上の原理になっている古代ギリシャ演劇は、叙事詩や抒情詩、歴史記録が主流を占める古代文学では表現史上のビッグ・バンであるにもかかわらず、『ミメーシス』の忌避するところとなりました。シラーはプロテスタント文化の生んだ演劇です。だが古代ギリシャ演劇を入れるとワーグナー=ニーチェへの論及は避けられない。1946年にはまだそれは不可能でした。

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