ギリシャ演劇の円熟期は歴史記録の確立期でもあり、エウリピデスの画期的作品『メディア』前430の翌年にヘロドトスの『歴史』が完成され、その10年後にギリシャ演劇はアリストファネスの喜劇が悲劇を圧していましたが、歴史記録ではヘロドトスに感化されたツキュディデスが『歴史』を完成、これは古今を通じてギリシャ語散文の極北と評価されています。その叙述は科学的なまでに公平かつ厳密に真実を探究したもので、宗教的要素や物語的興味を徹底して排除し、ヘロドトスをしのいで後世の歴史学の規範となりました。その意味では近代の散文史上フローベールが果した役割に近いのです。
ギリシャ抒情詩の魅力は岩波文庫に呉茂一訳・編『ギリシア・ローマ抒情詩選』(初版『花冠』1973改題)で現存するほぼすべての古代ギリシャ抒情詩が網羅されています。数行の断片しか残っていない作品が多く、最高の女性詩人として名高く、レスボス島に女子校を開校したため後世にレズビアンという普通名詞すら残した貴族の麗人サッポーなども生涯の作品は九巻あったと伝えられます。これはツキュディデスの『歴史』に匹敵する巻数で、当時の抒情詩の一巻の分量は日本語訳で60~70頁ですから、全詩集はほぼ600頁あったわけです。ですが彼女の作品はビザンチン期(東ローマ帝国時代、紀元四世紀末~15世紀中葉)の厳格なギリシャ正教の倫理基準から焚書にあい、20世紀を迎えて古代のパピルス断片から翻訳にして30頁ほどの詩行が復原されました。それもたとえば、
…今は私を忘れて
他の女に夢中なあなた…
と、前後の欠けた本当の断編ばかりです。アメリカ詩人エズラ・パウンドが『パピルス』という題で自分の詩集(1916年刊)に英訳掲載した、女生徒ゴングラに捧げた断章が有名です。
Spring...
Too long...
Gongra...
(春…/長すぎて…/ゴングラ…)
『ミメーシス』の第一章と第二章の間にこぼれおちたのは、まだまだあります。