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文学史知ったかぶり(20)

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エーリヒ・アウエルバッハの『ミメーシス~ヨーロッパ文学における現実描写』のような大局的な文学史書となると、読者が気を取られるのはまず全体像であって、各論ではありません。この著書は学問的立場から意図的に各章の分量を統一しており、文庫版の上下巻では収録章数も十章ずつ、ページ数も同じです。アウエルバッハの作品選出も一見客観的で妥当に見えますが、実はそこに『ミメーシス』の詐術があります。

第一章・『オデュッセイア』『旧約聖書』は対照的な性格を持つ古代の叙事詩作品とされ、ホメーロスと旧約聖書編者の異なるリアリズムを物語作者と歴史家の差異と分析します。旧約聖書はユダヤ民族の創生譚であり、アウエルバッハもまた亡命を強いられたユダヤ系ドイツ人で、『ミメーシス』は第二次大戦中の著作であることに留意しなければなりません。
『オデュッセイア』は『イリアス』とともに成立は紀元前九~六世紀後半と完成時期が特定しがたく、『旧約聖書』がユダヤ民族のヘブル語からギリシャ語訳されたのが紀元前二世紀前後に成立した、いわゆる『七十人訳聖書』です。ちなみに『新約聖書』最終章『ヨハネ黙示録』の成立は紀元一世紀末で、旧約・新約両聖書の統合・定着は紀元三世紀初頭とされます。

そして第二章はネロ帝政を反映するペトロニウスの小説『サテュリコン』とタキトゥスの歴史書『年代記』が比較されます。第一章がギリシャ文学の起源なら第二章はローマ文学の起源に相当しますが、ペトロニウスは紀元65年頃にネロ皇帝に寵臣転じて処刑され、それはこの小説がネロ帝政下のローマを風刺した内容であったためとの伝説があります。断章しか現存しませんが、神の呪いを受けた男色家のコンビがローマ各地を放浪する、という設定自体がネロのキリスト教徒迫害政策、ローマの巨大都市化(48年に700万人)と周辺国への侵略拡大に抵触したとも考えられます。
タキトゥスは55年頃生れ~120年頃死去しましたが、ネロ暴政下で育ちドミティアヌス圧政下で要職に就いた彼は著作では激しいローマ帝政批判者であり、権力批判者でした。
ですが、第二章で早くもローマ文学が論じられるのは『ミメーシス』執筆時の著書の性急な政治的意図、ナチス批判が感じられます。『ミメーシス』はギリシャ演劇もローマ叙事詩も意図的に無視しているのです。

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