ラリー・シモンは荒唐無稽な体技タイプですがキートンのような洗練を欠き、ラングドンは白塗りの童顔で純情な道化役ですがロイドのような知的なひねりにもチャップリンの哀愁にも及ばない。フィールズはグルーチョだけのマルクス兄弟のようだし、ローレル&ハーディはグルーチョのいないマルクス兄弟のようで、喜劇映画のマニアには一部の特徴を特化させたような作風で興味は持てますが、サイレント三大喜劇王とマルクス兄弟なしに彼らが存在していても彼らの存在は忘れ去られてしまったかもしれません。引き立て役と言っては何ですが、他にもロスコー・アーバックルやベン・ターピン、アボット&コステロらは皆チャップリン、ロイド、キートンの三大喜劇王、孤高のマルクス兄弟を座標に回顧されるのです。
サイレント~トーキー初期といえば80年~百年前の映画ですから、現代の映画を見慣れた目には異様なものに見える点が多いとは容易に想像できます。しかし現代の映画で加工映像によって容易に作り出されているものを、生身の人間の肉体がやってのけている映像は衝撃的ですらあります。
サイレントという制約の中では肉体による言語表現が当り前のように行われていました。ごくわずかな補足説明が字幕タイトルで入るだけです。1914年に映画デビューのチャップリンと、1929年映画デビューのマルクス兄弟は同世代ですが、チャップリン(1889年生)がパントマイム芸の喜劇役者に対して、マルクス兄弟のグルーチョ(1890年生)はマシンガントークの喜劇役者でした。ですが、現代ではチャップリンのようなマイム芸もグルーチョのトーク芸も異様に見えるのです。