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『ジッドの日記』も荷風同様、創作や批評、ルポルタージュなどジッドのすべてがここに集約されており、文学者ジッドの全人性はただ日記でのみ発揮されたと言っても過言ではないのです。そして文学者が書こうが猫が書こうが日記は日記でしかありません。
『贋金つかい』刊行に際してジッドが創作のジャンル分けをしたのは、同作品が自分にとっては最初で最後のロマン(長編小説)だ、という自負からでした。それには、ロマンこそ小説家の全人性が賭けられたものだというジッドのジャンル意識があったのです。
ですが『贋金つかい』は作者自身も満足させず、翌年ジッドは『コンゴ紀行』と『チャド湖より帰る』の旅行に出ます。行き詰まったら旅に出るのが青年期からのジッドの発想でした。
ジッドは妻帯者でしたが尋常な夫婦生活は持たず、生涯夫人とは性交渉はなく、ほぼ完全な別居婚を夫人の死去まで続けました。その一方、長期にわたる年少の男性との愛人関係を持ち、50代に友人の娘を愛人として一女をもうけます。まだ夫人の生前のことで、ジッド自身はこの愛人については生殖能力の実証のため、と弁明しています。
この弁明の当否はさておきジッドは事実上独身者と大差ない生涯を送ったので、荷風とは異なる事情ながら日記をライフワークとするような内面生活の持ち主でした。そのために払った犠牲も得た快楽も荷風より大きなものでした。
フランス小説では一般に短編小説をコント、中編小説をレシ、長編小説をロマンと分けますが、ジッドが詩的散文、レシ、ソチ、ロマンと自作を分類したのには(戯曲も書いていますが)より積極的な主張がありました。同一のテーマを描いても『パリュウド』はソチ、『地の糧』は詩的散文で、『背徳者』はレシになります。この方法意識こそジッドの批評的資質でした。