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文学史知ったかぶり(9)

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自然主義小説の発祥国フランスでは、1865年のゴンクール兄弟『ジェルミニー・ラセルトゥー』、67年のエミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』がもっとも早い自然主義の実践例です。自然主義の発生を促したフローベールの『ボヴァリー夫人』が1857年ですから、リアリズムの確立から自然主義への変化は急激でした。ゾラの全盛期は『居酒屋』1877と『ナナ』1880から、『ジェルミナール』1885、『大地』1887に至る時期に当り、『女の一生』1883のモーパッサンや、『さかしま』1884のユイスマンスらを従えた文学運動になりました。

自然主義を批判して次世代の主流になった心理主義文学は、ブールジェ『弟子』1889とバレスの三部作『自我礼賛』1888の大成功を起点とします。ブールジェやバレスは生前の名声に比較して没後はほとんど読まれず、文学的にも顧みられません。一方、ゾラを頂点とする自然主義小説は作者たちが意図したよりも遥かに多義的で複雑な作品と再評価されており、今後も古典の地位が揺らぐことはないでしょう。

心理主義文学自体はブールジェやバレス以後、現代までフランス小説の基本的な様式になりましたが、逆に言えばブールジェやバレスが出現しなくても同じ役割を果した作家が現れたと考えられます。過渡期に新しい世代の幕開けとなるような働きをし、その作品自体は触媒的で公約数的なものでしかないから後世では忘れ去られる、というのは、どの創作の分野でもよくあることです。日本の口語自由詩は川路柳虹詩集『路傍の花』1910から始まりました。59年の逝去まで大家とされていた詩人ですが、作品は凡庸で無価値です。

自然主義に対応する詩の運動は象徴主義でした。フローベールとボードレールは同年(1821)生まれで、『ボヴァリー夫人』『悪の華』はともに1857年刊です。若い小説家たちは自然主義に向かい、若い詩人たちは象徴主義に向かいました。現実暴露的な自然主義と芸術至上主義的な象徴主義では正反対に見えますが、本質的には『ボヴァリー夫人』と『悪の華』は文学的に同一であるという思潮から自然主義小説家と象徴主義詩人は親密に交際します。後の明治30~40年代の日本でも、自然主義小説家と象徴主義詩人は親密でした。
詩と小説の解離はこの頃から始まりました。次回は再びアメリカ文学の動向に戻ります。

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