アメリカ文学史については専門的な興味ぬきに面白く読めるものとして、前回あげたロレンスの、
『アメリカ古典文学研究』(講談社文芸文庫)
があります。またイギリス人によるアメリカ文学研究ではトニー・タナーの、
『言語の都市~現代アメリカ小説』(白水社)
が第二次大戦後~70年のアメリカ小説を展望した力作です。トマス・ピンチョンの短編小説から「エントロピー」を文学研究のキーワードに抽出したのは同書でした。
狭い範囲では、レイモンド・オールダマンの、
『荒地の彼方~一九六0年代アメリカ小説』(研究社)
は1960年代の里程標的作品のみに絞ったアメリカ文学研究で、総花的なタナーよりも読解は明快です。
日本のアメリカ文学研究者によるものは、高橋正雄の四巻に及ぶ『二十世紀アメリカ小説』(冨山房)が、
『1.アメリカ自然主義の形成』
『2.「失われた世代」の作家たち』
『3.政治の季節・一九三0年代』
『4.アメリカ戦後小説の諸相』
で、アメリカ自然主義小説が発生した背景から検討するために実際は19世紀中葉の市民小説、教養小説の研究から起筆されています。そのため四巻を通して範囲はハウエルズからスタイロンまで、となります。
圧巻なのはレスリー・フィードラーの『アメリカ文学の原型』三部作(新潮社)でしょう。
『アメリカ小説における愛と死』
『終りを待ちながら』
『消えゆくアメリカ人の帰還』
は小説のみならず詩、論文などアメリカ文学を広く展望し、その深層意識を摘出してみせたもの。方法的にはフロイトとユングの折衷的応用ですが、アメリカ文学の総体を一刀両断する力技はフィードラー以前ではエドマンド・ウィルソン、以降ではジョージ・スタイナー級の批評家しかいません。ただし第三巻などは読者はフェニモア・クーパーの小説とハート・クレインの長編詩を読み込んでいるのが前提です。
小説が対象ですが、平易なアメリカ文学史の最新版はイギリス人作家マルカム・ブラッドベリの、
『現代アメリカ小説』1.2.(彩流社・画像)
でしょう。範囲は1890年代から原著刊行の1992年までと広く、言及される作家も二分冊で250人以上に上ります。ここでは文学論よりも文学史として、社会世相の推移と小説との関係がテーマです。これもアメリカ文学に固有の事情と言えるでしょう。
『アメリカ古典文学研究』(講談社文芸文庫)
があります。またイギリス人によるアメリカ文学研究ではトニー・タナーの、
『言語の都市~現代アメリカ小説』(白水社)
が第二次大戦後~70年のアメリカ小説を展望した力作です。トマス・ピンチョンの短編小説から「エントロピー」を文学研究のキーワードに抽出したのは同書でした。
狭い範囲では、レイモンド・オールダマンの、
『荒地の彼方~一九六0年代アメリカ小説』(研究社)
は1960年代の里程標的作品のみに絞ったアメリカ文学研究で、総花的なタナーよりも読解は明快です。
日本のアメリカ文学研究者によるものは、高橋正雄の四巻に及ぶ『二十世紀アメリカ小説』(冨山房)が、
『1.アメリカ自然主義の形成』
『2.「失われた世代」の作家たち』
『3.政治の季節・一九三0年代』
『4.アメリカ戦後小説の諸相』
で、アメリカ自然主義小説が発生した背景から検討するために実際は19世紀中葉の市民小説、教養小説の研究から起筆されています。そのため四巻を通して範囲はハウエルズからスタイロンまで、となります。
圧巻なのはレスリー・フィードラーの『アメリカ文学の原型』三部作(新潮社)でしょう。
『アメリカ小説における愛と死』
『終りを待ちながら』
『消えゆくアメリカ人の帰還』
は小説のみならず詩、論文などアメリカ文学を広く展望し、その深層意識を摘出してみせたもの。方法的にはフロイトとユングの折衷的応用ですが、アメリカ文学の総体を一刀両断する力技はフィードラー以前ではエドマンド・ウィルソン、以降ではジョージ・スタイナー級の批評家しかいません。ただし第三巻などは読者はフェニモア・クーパーの小説とハート・クレインの長編詩を読み込んでいるのが前提です。
小説が対象ですが、平易なアメリカ文学史の最新版はイギリス人作家マルカム・ブラッドベリの、
『現代アメリカ小説』1.2.(彩流社・画像)
でしょう。範囲は1890年代から原著刊行の1992年までと広く、言及される作家も二分冊で250人以上に上ります。ここでは文学論よりも文学史として、社会世相の推移と小説との関係がテーマです。これもアメリカ文学に固有の事情と言えるでしょう。