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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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そう遠くない未来に(散る桜)

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つい一週間前に梶井基次郎『桜の樹の下には』(昭和3年)と、同作から想を得たという坂口安吾作品を紹介した。少年時代は圧倒的に梶井作品の印象が強かったが、老境も近いと安吾作品に断然軍配を上げる。精緻で静的な梶井に対して安吾は粗雑で躍動的。梶井は概念に留るが、安吾は感覚で本質に切り込む。桜の散る光景を眼前にすると、なおさら安吾作品に感じ入る。

『桜の森の満開の下』坂口安吾(抄出)

桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子を食べて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。花の下から人間を取り去ると怖しい景色になりますので、能にもさる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の下へ来りかかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋ってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。(…)
そこは桜の森のちょうど真ん中の辺りでした。四方の涯は花に隠れて奧が見えませんでした。日頃のような怖れや不安は消えていました。花の涯から吹寄せる冷たい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと花びらが散り続けているばかりでした。彼は初めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。彼にはもう帰るところがないのですから。
(…)
ほど経て彼は唯一つの生温かな何物かを感じました。そしてそれが彼自身の胸の悲しみであることに気がつきました。花と虚空の冴えた冷たさに包まれて、ほの温かい脹らみが少しずつ分りかけてくるのでした。
彼は死んだ女の顔から花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔に届こうとした時、何か変ったことが起ったように思われました。すると彼の手の下には降り積った花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も身体も延した時にはもはや消えていました。あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。
(昭和22年6月「肉体」創刊号発表)

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