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仏教もキリスト教(ユダヤ教)もヒンズー教を起源とするのは同じだが、輪廻なんていう観念はキリスト教には受け継がれなかった。キリスト教では生命や事象は直線的な時間の中で生まれては消滅していく。それが決定的になったのがユダヤ教からキリスト教への転換で、時間の不可逆性が前提でないとイエスの復活は奇蹟とはならない。近代キリスト教が進化論や気象歴学説を柔軟に受容したのも時間の不可逆性への意識と矛盾しなかったからで、ただしユダヤ教からそのまま発展した宗派では別の理由で進化論や氷河期説を認めない。これを突っ込んでいくと教義問答になって自分の立脚点を明確にしなければならない。
だが現代日本では一般に冠婚葬祭仏教程度に無信仰を信条とする、というのが相場らしいので、信仰を条件とした案件では論議が成立しない。歴史的にも風土的にも宗教を欠いた国家というのはきわめて特異と言えて、つまりそこには善悪ではなく資産の分配を価値観とする法体系しか存在しない。善とは資産の蓄積であり、悪とは資産運用の規則違反や盗用でしかない。勤労や人命もまた資産に換算された上で算出される。古代ギリシャや荘園制時代の大和朝、帝制ロシアや同時代のアメリカ南部と変わりない。これを何と呼ぶか?奴隷制というのだ。