ザ・シーズ The Seeds - ザ・シーズ The Seeds (GNP Crescendo, 1966) Full Album : https://youtu.be/8gKtOGpAAkE
Recorded at Columbia Studios, RCA Victor Studios & Various Studios, Hollywood, California, April 1965 to January 1966
Released by GNP Crescendo Records GNPS 2023, April 1966 / US#132
Produced by Marcus Tybalt (aka Sky Saxon, The Seeds)
All tracks written by Sky Saxon, except where noted.
(Side One)
A1. 恋しい君よ(独り占めしたいのに) Can't Seem to Make You Mine - 3:05 / US#41 (May 1967)
A2. No Escape (Jimmy Lawrence, Jan Savage, Sky Saxon) - 2:16
A3. Lose Your Mind - 2:11
A4. Evil Hoodoo (Daryl Hooper, Sky Saxon) - 5:19
A5. Girl I Want You - 2:26
A6. プッシン・トゥ・ハード Pushin' Too Hard - 2:38 / US#36 (February 1967)
(Side Two)
B1. トライ・トゥ・アンダースタンド Try to Understand - 2:53 / US#No Chart
B2. Nobody Spoil My Fun - 3:54
B3. It's a Hard Life - 2:40
B4. You Can't Be Trusted - 2:12
B5. Excuse, Excuse (Marcus Tybalt, Sky Saxon) - 2:21
B6. Fallin' in Love - 2:49
[ The Seeds ]
Sky Saxon - lead vocals, bass guitar, harmonica, producer, concept, cover art
Daryl Hooper - organ melodica, piano, keyboards, vocals
Jan Savage - guitar, rhythm guitar, vocals
Rick Andridge – drums
with Additional Musician
Cooker (Aka Sky Saxon) - guitar, bottleneck guitar
*
(Original GNP Crescendo "The Seeds" LP Liner Cover & Side One Label)
ザ・シーズについては以前、アメリカのロック雑誌「ローリングストーン」誌のレコードガイドの項目をそのまま全文引用掲載してご紹介しました。これは当時忘却されつつあった、'70年代末のザ・シーズへの評価を示す歴史的資料として再掲載しておきましょう。
*
THE SEEDS
シーズ
★★★The Seeds / GNP 2023 (Apr. 1966)
★★★A Web Of Sound / GNP 2033 (Oct. 1966)
★Future / GNP 2038 (Aug. 1967)
★★Merlin's Music Box / GNP 2043 (May. 1968)
★★Fallin' Off The Edge / GNP 2107 (1977)
「偉大な2つのコード、偉大な5つのアルバム!」。南カリフォルニアのある場所に建てられたシーズの墓碑には、このような文字が刻まれている。そこはマリファナの草とシビレダケが野生で育つ所、また'70年代の最も信心深いパンク・ミュージシャンたちが毎日夕暮れ時に頭を垂れる方角だ。
ライター、シンガー、ミュージシャンとしては限られた才能しかもちあわせていなかったにもかかわらず、シーズが息の長い幸運な活動を続けることができたということは、ロック伝説の中でもかなり奇跡的な話の1つである。リードシンガー、スカイ・サクソンの世界観は2つのものに限られ(すなわちセックスとドラッグだが)、彼のどなるようなヴォーカルはこれまで録音された中でも最も素人くさく風変わりなものだった。特に変わっているのはダリル・フーパーのオルガンとピアノだ。彼のいう創造的なソロというもので、オクターヴを変えて何度も何度も同じリフを演奏するのだ。彼らの不思議な魅力は、熟練不足のために音楽がこれ以上には良くはなり得なかったという事実にあったのだ。
『The Seeds』では、最大のヒット曲「Pushin' Too Hard」とサクソンの最高傑作「Can't Seem to Make You Mine」を自信を持って聴かせているが、真の信者は普通、彼らのセカンドLP『A Web Of Sound』の方を支持する。このLPには「Rollin' Machine」「Tripmaker」「Mr. Farmer」のようなサイケデリック・ナンバーが多く、またこのバンドの大力作曲で、喫煙のために2回の休憩も入れた15分近いの愛の顛末記「Up In Heq Room」(サクソンは明らかに事を運ぶのが早かったのだ)も収められている。
『Future』はグループのフラワー・パワーを訴えたコンセプト・アルバムで、その中のベスト曲は「Two Fingers Pointed You」である。この曲は彼らの唯一の出演映画『Psych Out』の中で演奏された(映画はジャック・ニコルソン主演で、伝説的なヘイト・アシュベリーを舞台に夏の恋、友情などをテーマにしたもので、長い髪を後ろで束ねた、アシッド・ロック・バンドのリーダーをニコルソンが演じた)。『Merlin's Music Box』はライヴ・アルバムということになっているが、どうも聴衆の歓声をオーヴァーダビングした、以前のLPの未収録テイクのようだ。それでもこのレコードは彼らの名曲となった「900 Million People Daily All Making Love」を収め、裏ジャケットのサクソンのアラビア人の服装はディランより8年も早かった。
『Fallin' Off The Edge』は最近リリースされた未収録テイクと未発表曲を含んだ最初のコンピレーションで、これはマディ・ウォーターズによるライナー・ノーツ(「アメリカは第2のローリング・ストーンズとなるグループを遂に生み出したと私は心から信じている」)のついたブルースのアルバム『A Full Spoon Of Seedy Blues』(Nov. 1967)を上回る評価を得ている。この『Full Spoon』を除いたすべてのアルバムが現在でも入手可能ということは、世界には時として正義があるのだという決定的な証拠である。水ギセル(マリファナ用)をまわしてくれ。
(文=ビリー・アルトマン)
(『ローリングストーン・レコードガイド』1979年版より、翻訳=講談社・昭和57年3月刊)
原文ではアルバム・リストはタイトルのアルファベット順で発表年月が記載されていませんが、便宜を図って発売順に並べ替え発表年月を記しました。当時廃盤のためリストには割愛され文中で触れられているだけの「Sky Saxon Blues Band」名義(アルバム・ジャケットには「The Seeds」とシールが貼られて発売されました)のアルバム『A Full Spoon Of Seedy Blues』(Nov. 1967)は『Future』の次(録音は『A Web of Sound』と『Future』の間)に発表されたもので、まったくザ・シーズと同一メンバーによる変名リリース作です。
結びが「(『Full Spoon』を除いた)すべてのアルバムが現在でも入手可能ということは、世界には時として正義があるのだという決定的な証拠である。水ギセル(マリファナ用)をまわしてくれ」と、あざけっているのか褒めているのかわからないような「ローリングストーン・レコードガイド」の評ですが(「水ギセル(マリファナ用)をまわしてくれ」とは、つまりそういう気分になる音楽だと茶化しているわけです)、以前このレコードガイドの評をご紹介した時に筆者はあえて記事に「ロック史上もっとも偉大なバンド」というタイトルをつけました。筆者がコンテンポラリー・ロックでいちばん古く記憶に残っている曲はローリング・ストーンズの「夜をぶっとばせ(Let's Spend The Night Together)」で、同曲は1967年1月にイギリスで、同時にアメリカではイギリスではB面だった「ルビー・チューズデイ(Ruby Tuesday)」をA面に(つまりAB面逆に)シングル発売されています。日本では数か月送れながら「夜をぶっとばせ」「ルビー・チューズデイ」の両A面あつかいで発売されていますが、幼児だった筆者は母親の買い物中のスーパーの放送や両親が点けていたラジオでこの曲を聴き覚え、なんだか尿意をこらえているようなムズムズする音楽だなと強い印象が残りました。自分でロックのレコード(もちろん当時はアナログ盤シングル、LP)を買ったりラジオでエアチェック(LPレコードは高価だったので、ラジオからの録音はコレクションを増やす貴重な機会でした)し、また友人知人と貸し借りするようになったのはそれから10年後でしたが、ことロックについては40~50年聴いてきて、その間にはやたら範囲を広げたり聴かない時期もありましたが、究極のロックとはこれではないか、と最近思えてならないバンドがこのザ・シーズです。
ザ・シーズをお聴きになると、第一印象はザ・ドアーズのバッタもんという感じではないでしょうか。しかしザ・ドアーズのデビュー・アルバムは1967年4月、ファースト・シングル「ブレイク・オン・スルー(Break On Through)」が同月、大ブレイクしたセカンド・シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」が全米No.1ヒットになったのが'67年7月ですから、デビュー・アルバムが1966年4月でそれに先立ってデビュー・シングル「独り占めしたいのに」を'65年6月、セカンド・シングル「プッシン・トゥ・ハード」を'65年11月に発売していたザ・シーズの方が早いのです(どちらのシングルも'67年2月、5月の再発売でようやくチャートインしましたが)。またベースレスの4人編成でヴォーカル、オルガン、ギター、ドラムス、しかもカリスマ的なリード・ヴォーカリストを前面に立てたイメージでもザ・シーズとザ・ドアーズは類似性を持っていました。しかしこと音楽的な素養となるとザ・シーズの音楽性の低さ、演奏力の貧弱さ、アイディアの乏しさ、楽曲の陳腐さと低俗さは当時のアメリカの新鋭バンド中でもチョコレート・ウォッチバンド('67年9月アルバム・デビュー)と並んで最底辺に位置すると言えるものです。
ザ・シーズはガレージ・パンクとサイケデリック・ロックに両足をかけたバンドですが、同時期のアメリカのバンドとしてはザ・ポール・バタフィールド・ブルース・バンド('65年10月アルバム・デビュー)を先駆的存在にラヴ('66年3月アルバム・デビュー)、ザ・ブルース・プロジェクト('66年3月アルバム・デビュー)、ザ・シャドウズ・オブ・ナイト('66年4月アルバム・デビュー)、フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンジョン('66年6月アルバム・デビュー)、ジェファーソン・エアプレイン('66年8月アルバム・デビュー)、ブルース・マグース('66年10月アルバム・デビュー)、ザ・13thフロア・エレヴェーターズ('66年10月アルバム・デビュー)、バッファロー・スプリングフィールド('66年12月アルバム・デビュー)、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド('67年3月アルバム・デビュー)、グレイトフル・デッド('67年4月アルバム・デビュー)、ジ・エレクトリック・プリューンズ('67年4月アルバム・デビュー)、ザ・リッター('67年5月アルバム・デビュー)、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ('67年5月アルバム・デビュー)、モビー・グレイプ('67年5月アルバム・デビュー)、ヴァニラ・ファッジ('67年8月アルバム・デビュー)、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(ジャニス・ジョプリン、'67年9月アルバム・デビュー)、ストロベリー・アラーム・クロック('67年11月アルバム・デビュー)、スピリット('68年1月アルバム・デビュー)、アイアン・バタフライ('68年1月アルバム・デビュー)、ステッペンウルフ('68年1月アルバム・デビュー)、ブルー・チアー('68年1月アルバム・デビュー)、ジ・エレクトリック・フラッグ('68年3月アルバム・デビュー)、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス('68年5月アルバム・デビュー)、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル('68年5月アルバム・デビュー)と百花繚乱・多士済々な顔ぶれが並びます。イギリス人メンバー二人を含みイギリスからデビューしたジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス('67年7月アルバム・デビュー)はデビュー作で'67年の全米年間アルバム・チャートNo.1を獲得し、同年の全米年間アルバム・チャートにはザ・ドアーズ、ヴァニラ・ファッジのデビュー作もトップ10入りしました。
この時期の英米ロックをリードしたのはボブ・ディラン『追憶のハイウェイ61』'65.8とザ・ビートルズ『ラバー・ソウル』'65.12を筆頭に、ディラン『ブロンド・オン・ブロンド』'66.5、ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』'66.5(発売当時は不評でした)、ビートルズの『リボルバー』'66.8、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』'67.6、『マジカル・ミステリー・ツアー』'67.11とザ・ローリング・ストーンズの『アフターマス』'66.4、『ビトウィーン・ザ・バトンズ』'67.1、『サタニック・マジェスティーズ・リクエスト』'67.12がもっとも影響力が大きく、ザ・バーズ『ターン!ターン!ターン!』'65.12、『霧の5次元』'66.7、『昨日よりも若く』'67.7、『名うてのバード兄弟』'68.1とザ・ヤードバーズ『ハヴィング・ア・レイヴ・アップ』'65.11、『ザ・ヤードバーズ(ロジャー・ジ・エンジニア)』'66.7、『リトル・ゲームス』'67.7、ジ・アニマルズの『アニマル・トラックス』'65.9、『アニマリスムス』'66.5、『アニマリゼーション』'66.7、『アニマリズム』'66.11、『ウィンズ・オブ・チェンジ』'67.7などがビートルズやストーンズに先んじて革新的サウンドを打ち出していたのがわかります。
ザ・シーズのデビュー以前にビートルズ、ディラン、ビーチ・ボーイズ、ストーンズ、バーズ、アニマルズ、ヤードバーズが達成していたロックの水準からしてもザ・シーズのサウンドはあまりに原始的で、意図的なロックのパロディ・バンドなのではないかと疑わしくなるほどのものです。実際テレビの音楽コメディ・ドラマ用に結成されてデビューしたザ・モンキーズ('66年9月デビュー)がすでに存在しましたが、モンキーズは制作チームが総力を上げて立ち上げたプロジェクトだけあって質の高いポップ・ロック・ヒットを次々と放ちました。ザ・シーズは'90年代以降CD復刻とともに再評価が進み、オリジナル・メンバーで再結成して2000年代には2作の新作『Red Planet』2004、『Back to the Garden』2008をインディー・レーベルからリリース、往年とまるで変わらない音楽性とエキセントリックなステージ(スカート姿で歌いまくる)でリスナーや観客を眩惑させましたが、バンドの中心であるスカイ・サクソンの逝去(心不全・2009年6月)によってザ・シーズとしては活動にピリオドを打ちました。サクソン(本名リッチー・マーシュ)は従来1948年生まれと称していましたが、逝去にともない実の生年は1937年(享年71歳)だったことも明らかになりました。スカイ・サクソンの追悼コンサートはシーズの現存メンバーとやはり再結成活動していたラヴ、エレクトリック・プリューンズによって行われ、再結成チョコレート・ウォッチバンドがいち早くサクソン追悼曲をニュー・アルバムで発表しました。以降もシーズ現存メンバーはオルガンのダリル・フーパーとギターのジャン・サヴェージ中心に、スマッシング・パンプキンズ主催のイヴェント等でラヴ、プリューンズ、ウォッチバンドらと共演セッション形式でシーズの楽曲を演奏し続けており、ザ・シーズがリーダーのサクソン始めメンバー全員のライフワークだったのを思うとやはりこれはマジだったのかと襟を正す次第です。
次回以降もザ・シーズの全アルバムをご紹介し、活動歴についてはその際触れていきますが、今回は最初のヒット曲になった「プッシン・トゥ・ハード」を演奏(いわゆる「口パク」ですが)するザ・シーズの姿を、テレビの連続コメディ・ホームドラマ「Mother-In-Law」のゲスト出演時の映像からご覧ください。ザ・シーズのマネージャーは「半年以内にストーンズではなくザ・シーズの時代が到来する!」が口癖だったそうです。またこの映像は日本のGSはビートルズでもストーンズでもなくザ・シーズの兄弟だったのを示す貴重な映像資料でもあります。しかもヴォーカルのスカイ・サクソンは11歳もサバ(ミック・ジャガーより6歳年上なのに5歳年下!)をよんでデビューしたのです。なんてロックなお方でしょうか。
The Seeds - Pushin' Too Hard (TV Broadcast, 1967) : https://youtu.be/HQWVHvjdfZw
Recorded at Columbia Studios, RCA Victor Studios & Various Studios, Hollywood, California, April 1965 to January 1966
Released by GNP Crescendo Records GNPS 2023, April 1966 / US#132
Produced by Marcus Tybalt (aka Sky Saxon, The Seeds)
All tracks written by Sky Saxon, except where noted.
(Side One)
A1. 恋しい君よ(独り占めしたいのに) Can't Seem to Make You Mine - 3:05 / US#41 (May 1967)
A2. No Escape (Jimmy Lawrence, Jan Savage, Sky Saxon) - 2:16
A3. Lose Your Mind - 2:11
A4. Evil Hoodoo (Daryl Hooper, Sky Saxon) - 5:19
A5. Girl I Want You - 2:26
A6. プッシン・トゥ・ハード Pushin' Too Hard - 2:38 / US#36 (February 1967)
(Side Two)
B1. トライ・トゥ・アンダースタンド Try to Understand - 2:53 / US#No Chart
B2. Nobody Spoil My Fun - 3:54
B3. It's a Hard Life - 2:40
B4. You Can't Be Trusted - 2:12
B5. Excuse, Excuse (Marcus Tybalt, Sky Saxon) - 2:21
B6. Fallin' in Love - 2:49
[ The Seeds ]
Sky Saxon - lead vocals, bass guitar, harmonica, producer, concept, cover art
Daryl Hooper - organ melodica, piano, keyboards, vocals
Jan Savage - guitar, rhythm guitar, vocals
Rick Andridge – drums
with Additional Musician
Cooker (Aka Sky Saxon) - guitar, bottleneck guitar
*
(Original GNP Crescendo "The Seeds" LP Liner Cover & Side One Label)
ザ・シーズについては以前、アメリカのロック雑誌「ローリングストーン」誌のレコードガイドの項目をそのまま全文引用掲載してご紹介しました。これは当時忘却されつつあった、'70年代末のザ・シーズへの評価を示す歴史的資料として再掲載しておきましょう。
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THE SEEDS
シーズ
★★★The Seeds / GNP 2023 (Apr. 1966)
★★★A Web Of Sound / GNP 2033 (Oct. 1966)
★Future / GNP 2038 (Aug. 1967)
★★Merlin's Music Box / GNP 2043 (May. 1968)
★★Fallin' Off The Edge / GNP 2107 (1977)
「偉大な2つのコード、偉大な5つのアルバム!」。南カリフォルニアのある場所に建てられたシーズの墓碑には、このような文字が刻まれている。そこはマリファナの草とシビレダケが野生で育つ所、また'70年代の最も信心深いパンク・ミュージシャンたちが毎日夕暮れ時に頭を垂れる方角だ。
ライター、シンガー、ミュージシャンとしては限られた才能しかもちあわせていなかったにもかかわらず、シーズが息の長い幸運な活動を続けることができたということは、ロック伝説の中でもかなり奇跡的な話の1つである。リードシンガー、スカイ・サクソンの世界観は2つのものに限られ(すなわちセックスとドラッグだが)、彼のどなるようなヴォーカルはこれまで録音された中でも最も素人くさく風変わりなものだった。特に変わっているのはダリル・フーパーのオルガンとピアノだ。彼のいう創造的なソロというもので、オクターヴを変えて何度も何度も同じリフを演奏するのだ。彼らの不思議な魅力は、熟練不足のために音楽がこれ以上には良くはなり得なかったという事実にあったのだ。
『The Seeds』では、最大のヒット曲「Pushin' Too Hard」とサクソンの最高傑作「Can't Seem to Make You Mine」を自信を持って聴かせているが、真の信者は普通、彼らのセカンドLP『A Web Of Sound』の方を支持する。このLPには「Rollin' Machine」「Tripmaker」「Mr. Farmer」のようなサイケデリック・ナンバーが多く、またこのバンドの大力作曲で、喫煙のために2回の休憩も入れた15分近いの愛の顛末記「Up In Heq Room」(サクソンは明らかに事を運ぶのが早かったのだ)も収められている。
『Future』はグループのフラワー・パワーを訴えたコンセプト・アルバムで、その中のベスト曲は「Two Fingers Pointed You」である。この曲は彼らの唯一の出演映画『Psych Out』の中で演奏された(映画はジャック・ニコルソン主演で、伝説的なヘイト・アシュベリーを舞台に夏の恋、友情などをテーマにしたもので、長い髪を後ろで束ねた、アシッド・ロック・バンドのリーダーをニコルソンが演じた)。『Merlin's Music Box』はライヴ・アルバムということになっているが、どうも聴衆の歓声をオーヴァーダビングした、以前のLPの未収録テイクのようだ。それでもこのレコードは彼らの名曲となった「900 Million People Daily All Making Love」を収め、裏ジャケットのサクソンのアラビア人の服装はディランより8年も早かった。
『Fallin' Off The Edge』は最近リリースされた未収録テイクと未発表曲を含んだ最初のコンピレーションで、これはマディ・ウォーターズによるライナー・ノーツ(「アメリカは第2のローリング・ストーンズとなるグループを遂に生み出したと私は心から信じている」)のついたブルースのアルバム『A Full Spoon Of Seedy Blues』(Nov. 1967)を上回る評価を得ている。この『Full Spoon』を除いたすべてのアルバムが現在でも入手可能ということは、世界には時として正義があるのだという決定的な証拠である。水ギセル(マリファナ用)をまわしてくれ。
(文=ビリー・アルトマン)
(『ローリングストーン・レコードガイド』1979年版より、翻訳=講談社・昭和57年3月刊)
原文ではアルバム・リストはタイトルのアルファベット順で発表年月が記載されていませんが、便宜を図って発売順に並べ替え発表年月を記しました。当時廃盤のためリストには割愛され文中で触れられているだけの「Sky Saxon Blues Band」名義(アルバム・ジャケットには「The Seeds」とシールが貼られて発売されました)のアルバム『A Full Spoon Of Seedy Blues』(Nov. 1967)は『Future』の次(録音は『A Web of Sound』と『Future』の間)に発表されたもので、まったくザ・シーズと同一メンバーによる変名リリース作です。
結びが「(『Full Spoon』を除いた)すべてのアルバムが現在でも入手可能ということは、世界には時として正義があるのだという決定的な証拠である。水ギセル(マリファナ用)をまわしてくれ」と、あざけっているのか褒めているのかわからないような「ローリングストーン・レコードガイド」の評ですが(「水ギセル(マリファナ用)をまわしてくれ」とは、つまりそういう気分になる音楽だと茶化しているわけです)、以前このレコードガイドの評をご紹介した時に筆者はあえて記事に「ロック史上もっとも偉大なバンド」というタイトルをつけました。筆者がコンテンポラリー・ロックでいちばん古く記憶に残っている曲はローリング・ストーンズの「夜をぶっとばせ(Let's Spend The Night Together)」で、同曲は1967年1月にイギリスで、同時にアメリカではイギリスではB面だった「ルビー・チューズデイ(Ruby Tuesday)」をA面に(つまりAB面逆に)シングル発売されています。日本では数か月送れながら「夜をぶっとばせ」「ルビー・チューズデイ」の両A面あつかいで発売されていますが、幼児だった筆者は母親の買い物中のスーパーの放送や両親が点けていたラジオでこの曲を聴き覚え、なんだか尿意をこらえているようなムズムズする音楽だなと強い印象が残りました。自分でロックのレコード(もちろん当時はアナログ盤シングル、LP)を買ったりラジオでエアチェック(LPレコードは高価だったので、ラジオからの録音はコレクションを増やす貴重な機会でした)し、また友人知人と貸し借りするようになったのはそれから10年後でしたが、ことロックについては40~50年聴いてきて、その間にはやたら範囲を広げたり聴かない時期もありましたが、究極のロックとはこれではないか、と最近思えてならないバンドがこのザ・シーズです。
ザ・シーズをお聴きになると、第一印象はザ・ドアーズのバッタもんという感じではないでしょうか。しかしザ・ドアーズのデビュー・アルバムは1967年4月、ファースト・シングル「ブレイク・オン・スルー(Break On Through)」が同月、大ブレイクしたセカンド・シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」が全米No.1ヒットになったのが'67年7月ですから、デビュー・アルバムが1966年4月でそれに先立ってデビュー・シングル「独り占めしたいのに」を'65年6月、セカンド・シングル「プッシン・トゥ・ハード」を'65年11月に発売していたザ・シーズの方が早いのです(どちらのシングルも'67年2月、5月の再発売でようやくチャートインしましたが)。またベースレスの4人編成でヴォーカル、オルガン、ギター、ドラムス、しかもカリスマ的なリード・ヴォーカリストを前面に立てたイメージでもザ・シーズとザ・ドアーズは類似性を持っていました。しかしこと音楽的な素養となるとザ・シーズの音楽性の低さ、演奏力の貧弱さ、アイディアの乏しさ、楽曲の陳腐さと低俗さは当時のアメリカの新鋭バンド中でもチョコレート・ウォッチバンド('67年9月アルバム・デビュー)と並んで最底辺に位置すると言えるものです。
ザ・シーズはガレージ・パンクとサイケデリック・ロックに両足をかけたバンドですが、同時期のアメリカのバンドとしてはザ・ポール・バタフィールド・ブルース・バンド('65年10月アルバム・デビュー)を先駆的存在にラヴ('66年3月アルバム・デビュー)、ザ・ブルース・プロジェクト('66年3月アルバム・デビュー)、ザ・シャドウズ・オブ・ナイト('66年4月アルバム・デビュー)、フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンジョン('66年6月アルバム・デビュー)、ジェファーソン・エアプレイン('66年8月アルバム・デビュー)、ブルース・マグース('66年10月アルバム・デビュー)、ザ・13thフロア・エレヴェーターズ('66年10月アルバム・デビュー)、バッファロー・スプリングフィールド('66年12月アルバム・デビュー)、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド('67年3月アルバム・デビュー)、グレイトフル・デッド('67年4月アルバム・デビュー)、ジ・エレクトリック・プリューンズ('67年4月アルバム・デビュー)、ザ・リッター('67年5月アルバム・デビュー)、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ('67年5月アルバム・デビュー)、モビー・グレイプ('67年5月アルバム・デビュー)、ヴァニラ・ファッジ('67年8月アルバム・デビュー)、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(ジャニス・ジョプリン、'67年9月アルバム・デビュー)、ストロベリー・アラーム・クロック('67年11月アルバム・デビュー)、スピリット('68年1月アルバム・デビュー)、アイアン・バタフライ('68年1月アルバム・デビュー)、ステッペンウルフ('68年1月アルバム・デビュー)、ブルー・チアー('68年1月アルバム・デビュー)、ジ・エレクトリック・フラッグ('68年3月アルバム・デビュー)、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス('68年5月アルバム・デビュー)、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル('68年5月アルバム・デビュー)と百花繚乱・多士済々な顔ぶれが並びます。イギリス人メンバー二人を含みイギリスからデビューしたジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス('67年7月アルバム・デビュー)はデビュー作で'67年の全米年間アルバム・チャートNo.1を獲得し、同年の全米年間アルバム・チャートにはザ・ドアーズ、ヴァニラ・ファッジのデビュー作もトップ10入りしました。
この時期の英米ロックをリードしたのはボブ・ディラン『追憶のハイウェイ61』'65.8とザ・ビートルズ『ラバー・ソウル』'65.12を筆頭に、ディラン『ブロンド・オン・ブロンド』'66.5、ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』'66.5(発売当時は不評でした)、ビートルズの『リボルバー』'66.8、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』'67.6、『マジカル・ミステリー・ツアー』'67.11とザ・ローリング・ストーンズの『アフターマス』'66.4、『ビトウィーン・ザ・バトンズ』'67.1、『サタニック・マジェスティーズ・リクエスト』'67.12がもっとも影響力が大きく、ザ・バーズ『ターン!ターン!ターン!』'65.12、『霧の5次元』'66.7、『昨日よりも若く』'67.7、『名うてのバード兄弟』'68.1とザ・ヤードバーズ『ハヴィング・ア・レイヴ・アップ』'65.11、『ザ・ヤードバーズ(ロジャー・ジ・エンジニア)』'66.7、『リトル・ゲームス』'67.7、ジ・アニマルズの『アニマル・トラックス』'65.9、『アニマリスムス』'66.5、『アニマリゼーション』'66.7、『アニマリズム』'66.11、『ウィンズ・オブ・チェンジ』'67.7などがビートルズやストーンズに先んじて革新的サウンドを打ち出していたのがわかります。
ザ・シーズのデビュー以前にビートルズ、ディラン、ビーチ・ボーイズ、ストーンズ、バーズ、アニマルズ、ヤードバーズが達成していたロックの水準からしてもザ・シーズのサウンドはあまりに原始的で、意図的なロックのパロディ・バンドなのではないかと疑わしくなるほどのものです。実際テレビの音楽コメディ・ドラマ用に結成されてデビューしたザ・モンキーズ('66年9月デビュー)がすでに存在しましたが、モンキーズは制作チームが総力を上げて立ち上げたプロジェクトだけあって質の高いポップ・ロック・ヒットを次々と放ちました。ザ・シーズは'90年代以降CD復刻とともに再評価が進み、オリジナル・メンバーで再結成して2000年代には2作の新作『Red Planet』2004、『Back to the Garden』2008をインディー・レーベルからリリース、往年とまるで変わらない音楽性とエキセントリックなステージ(スカート姿で歌いまくる)でリスナーや観客を眩惑させましたが、バンドの中心であるスカイ・サクソンの逝去(心不全・2009年6月)によってザ・シーズとしては活動にピリオドを打ちました。サクソン(本名リッチー・マーシュ)は従来1948年生まれと称していましたが、逝去にともない実の生年は1937年(享年71歳)だったことも明らかになりました。スカイ・サクソンの追悼コンサートはシーズの現存メンバーとやはり再結成活動していたラヴ、エレクトリック・プリューンズによって行われ、再結成チョコレート・ウォッチバンドがいち早くサクソン追悼曲をニュー・アルバムで発表しました。以降もシーズ現存メンバーはオルガンのダリル・フーパーとギターのジャン・サヴェージ中心に、スマッシング・パンプキンズ主催のイヴェント等でラヴ、プリューンズ、ウォッチバンドらと共演セッション形式でシーズの楽曲を演奏し続けており、ザ・シーズがリーダーのサクソン始めメンバー全員のライフワークだったのを思うとやはりこれはマジだったのかと襟を正す次第です。
次回以降もザ・シーズの全アルバムをご紹介し、活動歴についてはその際触れていきますが、今回は最初のヒット曲になった「プッシン・トゥ・ハード」を演奏(いわゆる「口パク」ですが)するザ・シーズの姿を、テレビの連続コメディ・ホームドラマ「Mother-In-Law」のゲスト出演時の映像からご覧ください。ザ・シーズのマネージャーは「半年以内にストーンズではなくザ・シーズの時代が到来する!」が口癖だったそうです。またこの映像は日本のGSはビートルズでもストーンズでもなくザ・シーズの兄弟だったのを示す貴重な映像資料でもあります。しかもヴォーカルのスカイ・サクソンは11歳もサバ(ミック・ジャガーより6歳年上なのに5歳年下!)をよんでデビューしたのです。なんてロックなお方でしょうか。
The Seeds - Pushin' Too Hard (TV Broadcast, 1967) : https://youtu.be/HQWVHvjdfZw