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集成版『夜ノアンパンマン』第六章

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 第六章。
 アンパンマンはベッドからそのまま床に転げ落ちたのではなく、足の足の方を下にして滑り落ちるように転がったので、ベッドの縁に支えられて斜めに転げ落ちたのでした。どうやらこの感触は、さっきまで考えていたようなスマキのような状態ではないと一瞬で気づき、さらにアンパンマンは部屋の壁かけ鏡に倒れる自分が映った瞬間を見逃しませんでした。茫然としたアンパンマンは自分でも納得のいく弾力に富んだ倒れ方に、今、鏡で見た通りの自分の姿を認めざるをえませんでした。
 ぼくは、とアンパンマンは思いました、一晩寝て起きると何だかわからないものになってしまった。手足も頭もないずんぐりした筒のような肉のかたまりだ。力をこめると少し伸縮できるが……アンパンマンは試してみました、駄目みたいだ、匍匐前進できる作りにはなっていない。以前顔面だった箇所に視聴覚の感覚器はあるが、たぶん外見は見分けがつかないようになっている。今ぼくは横向きに寝ているが、それも外見は前も後ろも横もないだろう。倒れた時の感触からすると、頭の方と足の方ではほとんど太さに違いはない。
 あー。とりあえず声は出る(どう響いているのかは分からないが)。呼吸をしている感覚はあるが、どこで呼吸しているのかはわからない。もともとアンパンマンは呼吸などしなくても大丈夫で、たとえばばいきんまんの真空パック攻撃にも耐えられたから、今は呼吸していないのかもしれない。声を出す時だけは息を吸って吐いている。どこから?
 口、正確には喉だろう。でも喉は外からは見えない。もしぼくが三角錐か、さもなければ円錐形だったらまだしも天地がわかるのに、とアンパンマンは思いましたが、実はアンパンマンはずんぐりした筒状でこそあれ一応は紡錘形だったので、それでなければパン工場の人たちの「何だこの乳頭は」という認識もなかったでしょう。ほどなくアンパンマンも他人から見た自分は乳頭の姿である、と知ることになりますが、知るまでの困惑は素直なアンパンマンの感受性には相当なストレスを与えました。
 その頃しょくぱんまんは朝のミーティングにしょくぱんまん号でパン工場にやってくる途中でした。遅れたな、ちょっとショートカットコースを通ろう、と藪の中を走っていると、きゃっ、と女の子が飛び退きました。大丈夫かい?きみは?大丈夫です、と女の子は言いました、私はいちごミルクちゃんといいます。
 続く。


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 ばいきんまんはばいきん城の作戦会議室、または居間とも食事室とも言えますが、とにかく部屋の壁一面に広がるモニターの前であまりの事態に唸っていました。何にしろ、これからパン工場に乗り込まなければならんぞ、とばいきんまんは身構えましたが、具体的な作戦は浮かびません。手近にいるのはホラーマンだが、こいつは攻守ともにさっぱり当てにならん。だいたいどちらの味方かもはっきりしない。困っている側の方と一緒に困るのがホラーマンの流儀でした。そして、一緒に困ってくれるからといって何かの役にたつわけでもなく、ホラーマンの分までお荷物が増えるというだけのことなのです。ホラーマンが何を考えて生きているのか、ばいきんまんはときどき考えることがありました。その都度たどり着く結論は、考えるだけ無駄、ということです。
 ホラホラホラー、おはようごさいますホラー、とその無意味がやって来ましたが、待ちなさいよホラーマン、とドキンちゃんが追ってきたのはばいきんまんには好都合か、さもなくば不幸の前触れでした。ドキンちゃんに限っては、あらゆることがただで済む問題ではないのです。どうしたのドキンちゃん、とばいきんまん。ダイエットゼリーよ、とドキンちゃん、見当たらないのよ、心当たりはホラーマンしかないの、受け取ったのはホラーマンで、ホラーマンしか注文したダイエットゼリーが届いたのは知らないはずなんだから。
 あれがダイエットゼリーだったのか、とばいきんまんは背筋が凍りました。というのは、実験室の冷蔵庫にそんなものが冷やしてあり、オレさまこんなところにおやつを隠してあったっけかな、実験室の冷蔵庫に触れるのはオレさまだけなんだから、きっと仕事中に手っ取り早く手に届くように、台所じゃなくこっちで冷やしておいたんだろう。ばいきんまんはゼリーが好物というわけではなく、決して大食漢でもありませんが、その場にあるものを食べ尽くすまで食べるのが本性なのです。特に発明に没頭中の夜ノバイキンマンの場合は食事などと生ぬるいものではなく、それは侵食とでも呼びようのないすさまじい食い気でした。
 ド、ドキンちゃんおはよう、とぎこちなくばいきんまんはあいさつすると、ンー!?とあからさまに不機嫌な様子のドキンちゃんに、ばいきんまんはどうやってパン工場の異変を相談しようかと混乱のあまりクルクルパーになりましたが、ダイエットゼリーの件よりはマシです。


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 で、どこがいつもと違うというのよ!?とドキンちゃんはむくれてふてくされました。ドキンちゃんの反応について言えば、これはいつものドキンちゃんのばいきんまんに対する態度そのままでした。ばいきんまんは内心この糞ビッチと悪態をつきませんでしたが(畏れ多くも、誰がドキンちゃんにそんな侮辱を与えられますでしょうか)、観てよドキンちゃん、と、朝のパン工場のあちこちを監視カメラを切り替えて映し出しました。納屋ではジャムおじさんがせっせとバタコさんを凌辱している真っ最中でした。何よ、いつものことじゃない。というのは、ジャムおじさんはいい歳をしていまだに寝起きの勃起がありますので、身近なところでバタコさんを相手に出すものを出しておかないと、頭に血が上って仕事が手につかないのです。それがあまりに習慣化しているためにジャムおじさんの精力はオナニー盛りの中坊くらいありました。バタコさんが月経?で相手ができない時などは、仕事中にこねているパン生地の弾力にいてもたっても勃起してしまい、あろうことかパン生地にねじ込んでオナニーしてしまう、という失態すら犯しかねないので、月経の時でもあらゆる手段で(あらゆる手段です)ジャムおじさんの精力を抜いてあげるのがバタコさんの朝一番の役目なのです。
 次にカレーパンマンの部屋。パン工場にはカレーパンマンの部屋があり、カレーパンマンはパン工場の仲間の一員です。ところがメロンパンナちゃんやクリームパンダちゃん同様、パン工場に部屋があるパン工場の仲間たちにも関わらず、カレーパンマンは必要な時にしか現れないのでした。いったい普段は何をしているのか、それはジャムおじさんやアンパンマンにもわかりませんでした。それでもメロンパンナちゃんやクリームパンダちゃんよりは登場の頻度が高く、朝などはパジャマ姿のまま部屋から寝ぼけ顔で現れたりもします。しょくぱんまんにはトースター山のふもとの食パン工場があり、パン工場の仲間たちの中では唯一自立した存在とも言えました。
 そうよ、しょくぱんまんさまよ、とドキンちゃんは声を弾ませました、しょくぱんまんさまはどうなさっているの?
 しょくぱんまんさまはいちごミルクちゃんとせっせとカーセックスしていました。ドキンちゃんは黙ったままばいきんまんに向き直ると、ちょっ、ちょっと待ってドキンちゃんとの声も聞かずばいきんまんの額にピストルで風穴を空けました。


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 困るのだドキンちゃん、とものかげから現れたばいきんまんは、代わりはいくらでもあるけどもったいないじゃないか、と自分の死体をむしゃむしゃと平らげながらボヤきました。なぜ食べてしまうかというともたいないからでもありますし、死んでいるばいきんまんと生きているばいきんまんが両方いるとややこしいからです。同一性の条件では同じ場所を複数の存在が占めることはできず、ひとつの存在は同時に異なった場所に並存することはできませんし、ましてや同時に生者と死者であることができるのはゾンビと呼ばれて、ばいきんまんより怖い存在とされます。
 ドキンちゃんはモニターに何を観たのでしょうか?それは前回の通りですが、その方向に話が進むと肝心のアンパンマンに話題が向かわなくなります。朝いちばんのしょくぱんまん号でしょくぱんまんさまが拾った女の子とカーセックスにふけっているのは珍しいことではありませんでしたし、ドキンちゃんほど嫉妬で手を血に染めてきたヒロインはめったにないでしょう。その若さは若い女性の血で手を染めて保たれているのかもしれません。
 それはそれとして、ばいきんまんはさっさと死体を血のしみひとつ残さず平らげると、これからばいきんUFOでパン工場に向かわねばならないのだ、と宣言しました。どうしてよ!?とドキンちゃん。ドキンちゃんは語尾に常に!?がつかないしゃべり方以外できないのです。それはこういうことなのだ、とばいきんまんはアンパンマンの寝室を映しました。ジャーン。
 寝室はからっぽでした。何よ!?とドキンちゃん、こんなの観せて何だっていうのよ!?おかしいと思わないかドキンちゃん、とばいきんまん、これはアンパンマンの寝室だが、普通個室は寝室以外にも、用途を足すだけの設備があるものだ。今さらながら気づいたが、この寝室には書き物机もなければ簡単な本棚も洋服箪笥もない。CDラジカセもなければパソコンもテレビもない。窓には一応カーテンがかかっているが、それだけだ。壁紙は灰色の無地で、絵なんて洒落たものもなければカレンダーすらかかっていないではないか。
 そうねえ!?とドキンちゃん、ベッドしかないわ、でもそれが何なのよ!?
 わからん、とばいきんまんは首をひねりました。ただ、アンパンマンはオレさまが思っていたよりも幸福ではないらしいのは確かだ。ひょっとするとあいつは、虐待に近い扱いを受けているのではなかろうか?


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 アンパンマンが修行僧のようにストイック、または受刑者のような日常生活を送っているのは、パン工場では当たり前のようになっている慣わしでした。しょくぱんまんやカレーパンマンでさえ夕食後にはのんびりし、週末は夜更かしを楽しみ、当然土日祝は休みをとっていたのに、正義超人の中でアンパンマンだけがアダルトサイトも覗かず、エロゲーもせずに精神統一で正義感を高めていたのです。ですがアンパンマン自身は富士山で言えばまだ3合目、観光バスだって普通に登るよりまだ下で、5合目を超えてようやく観光バスを超えます。頭が雲の上に出るのはまだまだなのです。
 もちろんアンパンマンは飛行能力がありましたが、それはあとづけみたいなもので、バタコさんが縫ってくれたマントで空を飛べるようになる前からアンパンマンはマントをつけて空を飛んでいたのですが、バタコさんの飛行能力つき特製マントをつけるようになってからはアンパンマンは特製マントの力なしでは飛べなくなってしまいました。マントが破れると、このマントは損傷と同じ度合いで飛行能力も低下するのです。それなら何のしかけもないマントで飛んでた方が良かったろうに、とジャムおじさんですら思いましたが、そんなことをしたらバタコさんの針仕事で復讐をくらうのが恐ろしくて口にはしませんでした。
 ジャムおじさんは何がバタコさんを怒らせたか、ズボンを履いたまま前ボタン(ジャムおじさんは肥満しているので、よく飛ぶのです)を縫い直してもらっていたら仮性包茎まで巾着綴じに縫い絞られてしまったつらい思い出があるのです。ひょっとしたらその前日にでも、疲れているからちょっと頼むよと指技でスッキリさせてもらった時に、噴射の勢いのせいで顔射どころか目潰しになってしまったのを恨まれていたのかもしれません。男女のことは本人たち同士でも公平な判断はつかないものですが、ジャムおじさんとバタコさんは男女関係というより労使関係ですから、これを一般の男女関係に置きかえるのは無理があります。
 そこでアンパンマンの修行的生活ですが、そもそも富士山などという架空の山を喩え話に出したのが間違っていました。この世界中でいちばん高い山はトースター山を中心とするトースター山山脈で、その向こうにはどんな世界があるか誰も知りませんでした。
 トースター山山脈の裏側はおさびし山山脈でした。そこにはあのムーミン谷が広がっていました。


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 だいたいこの部屋なのだが、とばいきんまんは言いました、ベッドしかないこと自体が不自然だが、一応窓はありカーテンはかかっているから寝室の体裁ではあるのだが……。はっきり言いなさいよ、どこがおかしいのよ!?とドキンちゃんは急かしました、まだるっこしい説明じゃわかんないわよ!?では言うが、とばいきんまんは前置きを言いかけ、慌てて言葉を継ぎました。こんな寝室はないのだ。はあ!?とドキンちゃん、何言ってるのばいきんまん、だってベッドがあるじゃない!?
 そこが虐待を臭わせるのだ、よく見てドキンちゃん、この部屋は四角い3畳間だろう。畳なんてないじゃない!?そうじゃなくて大きさが3畳間の、正方形の部屋だろう、普通3畳間の広さにベッドは入らないのだ。でもベッドがあるじゃない!?そうなのだ、シングルベッドでさえも3畳間に置くには……と、ばいきんまんはモニターを真上に切り替えました。通常真上からモニターする必要はないので、この件を詳細調査するためにばいきんまんはハエ型飛行カメラ端末を特別にあつらえていたのです。観てごらんドキンちゃん。
 あらかじめわかっていた通り、部屋は正方形でした。そしてベッドは3畳間の広さぎりぎりに、部屋の対角線に置かれていました。ベッドの左右にできた三角形の片側が窓、片側がドアのある空間でした。空間といっても大半ベッドが対角線に占めていますから、床などろくに物が置けないのがわかります。
 もともとこれは寝室なのではないのだ、とばいきんまん、たぶんロッカールームといったところだろう。それが証拠に無駄に北向きの窓があるのは、換気だけできればいい窓だからだ。こんな部屋に、しかも頭を窓側にしてもドア側にしても落ちつかない対角線置きのベッドで寝起きさせられて、アンパンマンは大事にされていると言えるだろうか。というより、自分の待遇に疑問を持たない奴には常識的な人権意識もなく、そんな野郎が正義を振りかざしてまかり通っているのは何かが腐敗し始めているのではなかろうか。世界の誰もがこんな部屋で寝起きしてもいいと言うのだろうか。
 ですが実際、世界の部屋がみんな北向きで、じめじめしているのを望んでいるのはばいきんまんの方でした。だからこそアンパンマンがパン工場で非常識な待遇を受けていることがよけい気に障るのです。人並み以下にされて当然、という相手には、いったいどうやって接すればいいのか?


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 ようやく床に転がった乳頭、おそらくかつてアンパンマンだった記憶を持つものは、どうやら声を出せると思っていたのは意志疎通には役立たないのを痛感しないではいられませんでした。なんとか発声くらいはと試みてみましたが、おそらくけものの唸り声のようにしか響かないのは明らかでした。まさかそこまで機能が退化しているとは予期していなかったので、怒りに任せて思わず卑猥な言葉を連呼してしまいそうになりましたが、具体的にどういう言葉だったのかは聞き取りようもなかったことですし、立腹して猥褻語を連呼するのはあまり品の良い行為とは言えませんから、教育上それは不問に伏すことにすべきでしょう。
 それにどうせアンパンマンのボキャブラリーだとすれば大して豊かなものであるはずはなく、仮にこの乳頭がかつてアンパンマンだったならますます期待はできません。何とか打開策はないか、と乳頭は考えました。もしぼくが自分の記憶通りに昨夜までアンパンマンだったのなら、夜ノアイダニナニカガオコッタノダ。でもそれがどんなことかを突きとめる前に、ぼくはなんとかして自分がアンパンマンだと認めてもらわねばならない。
 しかしゼスチャーどころか筆記用具も持てず、ガラケーのキーすら押せず、発声能力も奪われている自分に何がアピールできるでしょう。ただ床に転がっているだけ、少しはからだを反らせることもできるが、生まれたての赤ん坊と変わらない。もしかしたらぼくはいま蛹化したさなぎの状態で、やがて羽化するとスーパーアンパンマンになっているのかもしれない。もしそうなら、なおのことジャムおじさんたちには気づいてもらわなければならない。
 ぼくがアンパンマンなのは、毎日、時には1日のうち何度も(ばいきんまんのいたずらを阻止するために戦う時には)ジャムおじさんに焼きたてのあんパンを作ってもらい、バタコさんが傷んだ頭をはじき飛ばして新しい頭に替えてくれるのだ。今ぼくは頭のあんパンを失っているのは確からしい。それならば、ジャムおじさんが新しい頭を焼いてくれて、今は乳頭でしかないこのからだにも頭がつけばアンパンマンに復活するのではないか。
 ぼくというヒーローの存在基盤から類推してそれ以外に復活の方法は想定し難い、と乳頭は直感しました。新しい頭をつけてもらう、それで一気に解決し、やっぱりアンパンマンだったのかとみんなが喜んでくれる。だけど、それをどうやって?


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 不安な夢から目覚めると、カレーパンマンは自分が一個の巨大な乳頭になっているのに気づきました。普通起きると乳頭になっているなどということはほとんどありませんから、カレーパンマンもこれは悪夢の続きか、何かの冗談かと思いました。冗談だとしたら手がこんだものです。きっと顔面だけ出してポリウレタン製の着ぐるみでも着せられているのだろう、とカレーパンマンは思いました。手足はまっすぐ伸ばしたまま動かすことができず、なんとか首を倒すようにしてからだを見ることができるだけです。ですがカレーパンマンの部屋は和室換算で約12畳と広かったので、ベッドの向かいの壁に全身鏡が設置してありました。筒のような乳頭になっていても寝返りくらいは打てましたから、カレーパンマンは全身鏡に映った自分の姿を見た時も、それまでの観察と感触でだいたい予想はついていたので、それほど慌てることはありませんでした。
 誰がやったのだろう、とカレーパンマンはいかぶりましたが、こんな手のこんだことをできるのは、実行犯はともあれ、主犯はばいきんまんかジャムおじさんしか考えられません。ばいきんまんだとすれば嫌がらせでしょうし、ジャムおじさんだとすれば悪い冗談です。ですがばいきんまんだとすればこんなことはいたずらにもならず、ジャムおじさんならカレーパンマンの能力はわかっているのですから、やはり大したことではありませんでした。カレーパンマンはベッドから床に落ちて、部屋のいちばんひろびろとしたところまで転がっていくと、カレーファイアーで全身を燃え上がらせました。これはカレーパンマンの必殺技で、消耗も激しい究極の業なのですが、全身をカレーパンを揚げる温度に上昇させて周囲を巻き込む大業です。当然接触していればいるほど効果があるので近接戦闘の突撃向けであり、まして乳頭の着ぐるみなどは、一瞬のうちに嫌な臭いをさせながら溶解してしまいました。
 これでよし、とカレーパンマンは全身鏡にいつもの姿が映るのを確認しました。ですがカレーパンマンは勘違いしていたのです。乳頭の姿になっていたカレーパンマンは実際に乳頭そのものでした。それがカレーファイアーで再び焼き上げられたことで、カレーパンマンの姿に再生しただけに過ぎなかったのです。
 その可能性に気づき、悪寒のような気味悪さを感じるとともに、カレーパンマンは悪夢から覚めました。何て夢だろう、と思いながら。


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 不安な夢から目覚めると、ジャムおじさんは自分が一個の巨大な乳頭になっているのに気づきました。普通起きると乳頭になっているなどということはほとんどありませんから、ジャムおじさんもこれは悪夢の続きか、何かの冗談かと思いました。冗談だとしたら手がこんだものです。きっと顔面だけ出してポリウレタン製の着ぐるみでも着せられているのだろう、とジャムおじさんは思いました。手足はまっすぐ伸ばしたまま動かすことができず、なんとか首を倒すようにしてからだを見ることができるだけです。ですがジャムおじさんの部屋は和室換算で約64畳と広かったので、寝室部分にはベッドの隣りの床に全身鏡が立ててありました。
 筒のような乳頭になっていても寝返りくらいは打てましたから、ジャムおじさんは全身鏡に映った自分の姿を見た時も、それまでの観察と感触でだいたい予想はついていたので、それほど慌てることはありませんでした。
 誰がやったのだろう、とジャムおじさんはいかぶりましたが、こんな手のこんだことをできるのは、実行犯はともあれ、主犯はばいきんまんかバタコさんしか考えられません。ばいきんまんだとすれば嫌がらせでしょうし、バタコさんとすれば悪い冗談です。ですがばいきんまんだとすればこんなことはいたずらにもならず、バタコさんならジャムおじさんの権力はわかっているのですから、やはり大したことではありませんでした。
 ジャムおじさんはベッドから床に落ち、部屋のいちばん隅まで転がっていくと、念力をこめて部屋じゅうの調理用具を全身に突き立てました。これはジャムおじさんの必殺技で、消耗も激しい究極の業なのですが、どんな調理器具でも念力で操り周囲を巻き込む大業です。当然調理器具の数が多いほど効果があるのでパン工場で迎撃するのに向いており、乳頭の着ぐるみなどは、一瞬のうちに包丁やへらで削ぎ落とされてしまいました。
 これでよし、とジャムおじさんは全身鏡にいつもの姿が映るのを確認しました。ですがジャムおじさんは勘違いしていたのです。乳頭の姿になっていたジャムおじさんは実際に乳頭そのものでした。それがジャムおじさんの念力発動の気合いで、ジャムおじさんの姿に戻ったということに過ぎなかったのです。
 その可能性に気づき、悪寒のような気味悪さを感じるとともに、ジャムおじさんは悪夢から覚めました。何て夢だろう、と思いながら、しかしそう悪くも感じずに。


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 不安な夢から目覚めると、めいけんチーズは自分が一個の巨大な乳頭になっているのに気づきました。普通起きると乳頭になっているなどということはほとんどありませんから、めいけんチーズもこれは悪夢の続きか、何かの冗談かと思いました。冗談だとしたら手がこんだものです。きっと顔面だけ出してポリウレタン製の着ぐるみでも着せられているのだろう、とめいけんチーズは思いました。手足はまっすぐ伸ばしたまま動かすことができず、なんとか首を倒すようにしてからだを見ることができるだけです。ですがチーズの小屋は中型犬1匹が寝られる程度ですし、普通は犬小屋には鏡は置かないので自分の姿は見られません。
 筒のような乳頭になっていても寝返りくらいは打てましたから、めいけんチーズは転がった痕跡から自分の姿を確信した時も、それまでの観察と感触でだいたい予想はついていたので、それほど慌てることはありませんでした。
 誰がやったのだろう、とめいけんチーズはいかぶりましたが、こんな手のこんだことをできるのは、実行犯はともあれ、主犯はばいきんまんかジャムおじさんしか考えられません。ばいきんまんだとすれば嫌がらせでしょうし、ジャムおじさんとすれば悪い冗談です。ですがばいきんまんだとするならこんなことなどいたずらにもならず、ジャムおじさんならチーズが秘密は握っているのですから、やはり大したことではありませんでした。
 めいけんチーズは小屋から外へと、犬ならではの巧みな体重移動で転がっていくと、さらにカーブを切ってパン工場裏の井戸へとたどり着きました。リスクは非常に大きなものでしたが、チーズは転がった勢いで井戸のつるべに飛び込むと、これで駄目ならどうせ助かる見込みもなし、なぜなら乳頭になったチーズなどパン工場の人たちは食材にしか見ないのは明白です。ですがこれが乳頭の着ぐるみならば、とめいけんチーズは井戸に飛び込んだのでした。
 やっぱり、とめいけんチーズは井戸の水面にぽっかり浮かんでいました。ですがめいけんチーズは勘違いしていたのです。乳頭の姿になっていためいけんチーズは実際に乳頭そのものでした。それがめいけんチーズの必死の行動で、奇蹟がチーズをもとの姿に戻したということに過ぎなかったのです。
 その可能性に気づき、悪寒のような気味悪さを感じるとともに、めいけんチーズは悪夢から覚めました。暗喩のようだ、と思いながら。
 第六章完。


(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第四部・初出2015年8月~12月、全八章・80回完結)
(お借りした画像と本文は全然関係ありません)

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