アメリカ公開1940年2月9日、日本公開昭和15年8月の前作『踊るニュウ・ヨーク』はアステア映画で日本の太平洋戦争敗戦前まで最後の日本公開作になったので、年度順でご紹介しているアステア映画は今回以降戦後になってから日本公開される(または未公開に終わる)作品になります。『踊るニュウ・ヨーク』はアステアがRKO映画社との専属契約を解消して初めての主演作でしたが、以降アステアはフリーランスとなり10年間ほとんど1作ごとにパラマウント映画社、コロンビア映画社、MGM映画社、古巣RKO映画社と順ぐりに変えて出演していきます。今回は独立プロのアストール映画社(パラマウント映画社配給)、コロンビア映画社、パラマウント映画社といった具合で、RKO映画社専属時代のアステア映画のカラーを参照したとおぼしい企画ながら作風、仕上がりは会社がさまざまになった分まちまちなものになっており、年代順に観た当時の観客には次のアステア映画は当たりか外れか先の読めない時期に入ってきたのではないでしょうか。後世の観客からすれば年代順に観ることなどめったにありませんし、筆者もこのボックスセットで観るまで未見だった作品もこのあたりから出てくるので、不出来な作品についても今回順を追って観直す興味は十分にわきます。共演者の顔ぶれが多彩になってくるのもアステア映画からハリウッド黄金時代をたどる面白みがあり、この時代のハリウッド映画の人材の豊富さ、俳優たちの普段思いもよらなかった多芸さを楽しめるのは嬉しいことです。なお今回も作品紹介はDVDケース裏の紹介文を先に掲げ、適宜日本公開時のキネマ旬報の新作紹介を引くことにしました。
●3月13日(水)
『セカンド・コーラス』Second Chorus (Paramount'40)*85min, B/W : アメリカ公開1940年12月3日、日本未公開
監督 : ヘンリー・C・ポッター/共演 : ポーレット・ゴダード、アーティ・ショウ
◎ダニーとハンクの二人の学生トランぺッターが美しい女性をめぐって繰り広げる恋の争奪戦を描いた極上ミュージカル。ジャズメンのアーティ・ショウが実名で登場し、フレッド・アステアと火花を散らす!
ヒロインにポーレット・ゴダード(1910-1990)、実名の本人役出演に人気ジャズマンでクラリネット奏者のバンドリーダー、アーティ・ショウ(1910-2004)が出演した本作はメジャーのパラマウント社配給ですが実態はパラマウント社配給のために独立プロデューサーのボリス・モロスの独立プロ、アストール映画社(Astor Pictures)が製作したもので、ゴダードはチャップリン映画のヒロインに『モダン・タイムス』'36、『チャップリンの独裁者』'40と二度抜擢され、パラマウント社のボブ・ホープとのホラー・コメディ路線でも『猫とカナリア』'39、『ゴースト・ブレーカーズ』'40をヒットさせており、主演はフレッド・アステア、アステアの親友役にバージェス・メレディスと配役だけでもそれなりに期待させるのですが、「Astor Pictures Presents」というタイトルで、えっ、パラマウント映画じゃないのかとよぎる不安がそのまま的中してしまう、どこが悪いというのではないのですが特に良いところもない映画にとどまっています。エンディングにいたってもさしたる盛り上がりもなくアステアとゴダードのアップになって突然エンドマークが出てしまうので観終わると何も残らないというか、映画を1本観たという手応えすらないので、本作と同年のゴダードのヒロイン作『チャップリンの独裁者』が悪評でゾンビ・ホラーのパロディ映画『ゴースト・ブレーカーズ』が公表だったというのも度しがたいですが、本作も『ゴースト・ブレーカーズ』に負けず劣らず見所のない映画で、1968年にアステアは本作を「出演作中最悪」とインタビューで公言しているそうなのでアステアをもってしてもどうしようもなくなっていたのでしょう。'53年までのアステア映画はパブリック・ドメイン化してはいるものの映画会社が正規の原盤権の更新をしていますが、本作は原盤権の更新が行わていない完全な版権消失作品となっており、コスミック出版のパブリック・ドメイン・ボックスセットは版権切れの条件の中で最良の原盤を採用する努力が見られますが、本作は一段も二段も落ちる原盤しかなかったようです。本作は主に出演も兼ねるアーティ・ショウが音楽も手がけており、ビッグバンド演奏シーンも多い点ではジャズ映画として観ることもできますし、アーティ・ショウ楽団が'38年にヒットさせた「ビギン・ザ・ビギン」をハイライト曲に再使用(演奏は映画用別演奏)したのがアステアの前作のMGM映画『踊るニュウ・ヨーク』'39でしたから、ならばアステア映画にアーティ・ショウ楽団を出せば良い、と企画するのはそれなりに興行価値のある取り合わせですし、ヒロインが旬の女優のポーレット・ゴダードならさらに手堅い。しかし実際はアーティ・ショウ楽団に代表される白人スウィング・ビッグバンドは30年代末で最盛期を過ぎた微妙な時期であり、アステアの人気も頂点を過ぎて下り坂にあり、ゴダードも旬の女優と言えたのはこの時期までで、観客からすればそろそろもういいよ、と飽きられかけていた顔ぶれが揃ったことになってしまった。ショウ楽団がアーティ・ショウのソロ・フィーチャーで1曲まるまる「フレネシ」を演奏するシーンなど良いのですが、大学生ビッグバンドのアルバイトが儲かるので留年8年目のバンド仲間のアステアとメレディスがローン返済取り立て事務所から来たゴダードを運営の行き詰まりかけていたバンドのブッキングマネージャーにするも運営挽回ならず、かえってゴダードはアーティ・ショウの目にとまりショウ楽団の地方公演手配も委託されることになり、大会社経営の金持ち道楽ミュージシャンの好々爺をスポンサーに公演が決定し、メレディスは前座出演でマンドリン演奏をしたがる好々爺に睡眠薬を盛って潰し(メレディスも潰れ)、アステアは遅れてきたショウの代わりに楽団の音楽監督を勤めてショウに絶讃されてゴダードとラヴハッピー、と、監督は『ヴァーノン夫妻』も手がけたヘンリー・C・ポッターですが、舞台畑の功績も多い人という割にはどこといって短所も長所もない平坦な演出が本作をほとんど記憶に残らない平凡なプログラム・ピクチャーにしています。日本公開昭和15年8月の前作『踊るニュウ・ヨーク』が敗戦前までの日本で公開された最新のアステア映画になり、以降は戦後公開になりますが本作は劇場公開は見送られ、のちに映像ソフト発売のみになっています。この低調な出来ではそれも仕方ないでしょう。一応キネマ旬報の映画データベースの紹介と、英語版ウィキペディアからのあらすじをご紹介しておきます。
[ 解説 ] フレッド・アステア主演の日本未公開ミュージカル。ポーレット・ゴダードとの息の合ったステップが見もの。
[ あらすじ ] ビッグバンドの美貌マネージャーを巡って恋の争奪戦を繰り広げる2人のトランペッターの姿を描く。
[ あらすじ ] ダニー・オニール(フレッド・アステア、トランペット演奏はボビー・ハケットの吹き替え)とハンク・テイラー(バージェス・メレディス、トランペット演奏はビリー・バタフィールドの吹き替え)は、大学のバンドである "オニールズ・ペレニアルズ"の仲間で、対抗するトランペット奏者です。二人とも7年連続で留年することで大学のアマチュア・バンド生活を延ばしています。ある公演で、エレン・ミラー(ポレット・ゴダード)がダニーとハンクの目を惹きます。エレンは勤めでいるローン取り立て業者からダニーたちに通知を出しますが、話の早いダニーとハンクはすぐにエレンのマネージャーとして引き抜きます。しかしペレニアルズは仕事が入らず、バンドの仕事を取るため奔走するエレンに、アーティ・ショウは、自分のアーティ・ショウ楽団のマネージャーにマネージャーに任命しました。エレンはダニーとハンクにショウのバンドのオーディションを受けさせようとしていますが、嫉妬深い確執からダニーたちは解雇されてしまいます。エレンはショウに、金持ちの道楽ミュージシャン、J・レスター・チズム(チャールズ・バターワース)からコンサートのスポンサーを取りつける首尾をつけます。ハンクはエレンの嫉妬深い夫、または彼女の兄弟であるふりをして、万事は調子良く運んでいるように見えます。 ダニーとハンクがチズムのバンドに戻ってきて、ショウにダニーの曲をアーティ・ショウのバンドに入れることに同意してもらいます。ダニーたちは、コンサートから何とかチザムとチズムが演奏したがっているマンドリン演奏を外そうとします。解決策はチズムを昏睡させるために睡眠薬を盛ることですが、ハンクも睡眠薬で眠ってしまいます。エレンのために、ダニーはアーティ・ショウのために選曲を手配して、ついにプロとしての実力を見せます。アーティ・ショウは「スペシャルな出来になったね」と賞賛します。アーティ・ショウはバトンをダニーに渡し、ダニーは自分の作曲を踊って成功させます。(英語版ウィキペディアより)
――本作については数あるアステア映画にはこういう凡作もある、と教えてくれる以上の価値はせいぜいアーティ・ショウ楽団の演奏シーンによって一応ジャズ映画としての資料的価値はある、という程度なので、アステア本人が「Worst Movie Ever I Made」と発言しているのですからあれこれ言うだけ野暮というものです。アステアが出演していなければ後世一顧だにされない映画に終わったと思いますが、逆に言えばアステア出演作という一点だけで本作はいまだに映像ソフト発売もされていれば稀には上映されたりテレビ放映されたりする機会もあるので、アステアにとっても観客にとっても本作は映画作品としての価値はほとんどありませんが、フィルモグラフィー上'40年度もアステア映画はブランクなく製作・公開されたということだけに本作の存在意義はあります。長いキャリアを誇った映画俳優の作品歴ではこういうものもある、ということです。
●3月14日(木)
『踊る結婚式』You'll Never Get Rich (Columbia'41)*88min, B/W : アメリカ公開1941年9月25日、日本公開昭和23年2月10日
監督 : シドニー・ランフィールド/共演 : リタ・ヘイワース、ロバート・ベンチリー
◎アステアとリタ・ヘイワースが初共演したミュージカル・コメディ。有名振付師カーティスは、女好きの劇団オーナーの浮気騒動に巻き込まてしまう。嫌気がさして逃げるように入隊するカーティスだったが……。
前作『セカンド・コーラス』がぱっとしない出来だっただけに何の期待感もなく本作を観ると、車を走らせてくるひげの紳士(本編に入ると舞台監督役のロバート・ベンチリーとわかります)が「ゆっくり走ってくれ」そして車が進むたびに路傍の広告板(ビルボード)に本作のクレジットが次々とクレジット・タイトル代わりに書いてあるのが映り、ひと通りクレジットが映って「よし、もういいぞ」と紳士が運転手に呼びかけます。この時代の映画には本のページだったり、西部劇なら酒場の看板や樹の幹だったりとクレジット・タイトルそのものを被写体に描く趣向は多く見られますが、そういう趣向を凝らすほどゆとりのある映画は内容は他愛なくても娯楽作品としては自信を持って作られている場合がほとんどなので、この作品は昔観たことがあるか記憶が定かではないのですがクレジットの見せ方からしてこれなら大丈夫だろうと安心させてくれます。リタ・ヘイワースとの共演と聞くと不安要素の方が多くて、アステアの軽やかさとヘイワースの濃厚なお色気では水と油なのではないかと心配しながら観始めるとこの軽快なアヴァン形式のクレジットの見せ方なので一気に懸念は払底され、内容もミュージカル仕立てのコメディではありながら戦時色を反映した設定やベンチリー、ヘイワースらこれまでのアステア映画にはなかった男女キャラクターの絡ませ方の不自然にはならない巧妙さが異色ながらなかなかの佳作になっており、ベンチリーはRKO時代の作品にもカメオ出演していてほとんど目立ちませんでしたし、もともと人気ユーモア作家が本業で映画出演は余興なのですが、本作ではクレジット・タイトルの紹介役にのっけから出てくるように準主演と言っていい怪演でドラマ本編でも中心人物の一人をこなし、監督みずから準主演のルノワールの『ゲームの規則』'39と言うと映画の格が違いすぎて褒めすぎかもしれませんが、ベンチリーが演じてこその存在感あるキャラクター造型に成功しています。監督のシドニー・ランフィールドは映画界では大成せず'50年代にはテレビに転向したそうですが、ベンチリーのキャラクターや本作のドラマ展開はちょっとエルンスト・ルビッチを思わせるもので、ルビッチやホークス、マッケリーらスクリューボール・コメディの名手より鋭さや毒気は薄いものですが、アステア映画にはこのくらいが適度な加減を心得た演出です。またRKO映画社がラジオ会社を母体とする映画社だったようにコロンビア映画社はレコード会社が母体なので、音楽もコール・ポーター書き下ろしと十全で、本作からはスタンダード曲とまで呼べる曲は生まれませんでしたが、映画全体に歌とダンスの場面はポイント的にしか出てこない。芸能界の裏側を舞台にした不純恋愛コメディ映画にドラマに沿って歌とダンスの場面が出てくる、と音楽・ダンス要素は映画の彩りで、そのバランスが異様に乖離しているのもRKO時代の全盛期アステア映画だったなら、本作はミュージカルである前にまずコメディ映画という芯が初めて通ったアステア映画です。これは時勢柄自粛したというより映画全体の振りつけもアステアが担当していたRKO以来のこだわりがとけて、アステア自身の個人芸として見せる場面以外は映画の振りつけ監督に従ったのがヘイワースとの無理のない、しかし見せどころにちゃんとなっている効果的なダンス場面、歌唱場面の配分になっている。ヘイワースも無理にダンサー兼コーラス・ガールぶらず過剰なコメディエンヌ演技もなく、食い足りないくらいがちょうどいい腹八分目の映画です。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「晴れて今宵は」と同じくフレッド・アステアとリタ・ヘイワースが主演するミュージカルで「晴れて今宵は」に先立つ1941年の作品である。脚本も同じくマイケル・フェッシャーがアーネスト・パガノの協力を得て書き下ろしたもので、監督には「バーレスクの王様」のシドニー・ランフィールドが当たった。音楽は「夜と昼」のコール・ポーターが作詞作曲し、ダンスはブロードウェイに名を馳せるロバート・アルトンが振り付けた。助演者は「青空に踊る」のロバート・ベンチリーをはじめ、ジョン・ハバート、オサ・マッセン、「海を渡る唄」のフリータ・イネスコートらである。なお撮影はフィリップ・タニュラが監督している。
[ あらすじ ] ニューヨークのミュージカル・コメディーの舞台監督マーティン・コートランド(ロバート・ベンチリー)は自らカサノヴァをもって任じている。美しいコーラス・ガールのシーラ・ウインスロップ(リタ・ヘイワース)に心をひかれたマーティンは無理をしてダイヤモンド入りの腕輪を彼女に贈ったが、シーラは言葉巧みに断り、腕輪はマーティンのポケットに逆もどりする。それを妻(フリーダ・イネスコート)に見咎められて、腕輪はダンス監督ロバート・カーチス(フレッド・アステア)に頼まれて買っておいたので、ロバートはシーラに首ったけなのだと弁解する。ロバートもマーティンに頼まれて、シーラにひどく愛想よく振る舞ってその場を取り繕った。翌日の新聞のゴシップ欄に、コートランド夫人の説明つきで、シーラとロバートの写真が出たので、ロバートはシーラに弁解しに行くが、彼女は腹を立ててしまう。しかし彼女の許婚トム・バートン(ジョン・ハバード)にはシーラもことが丸く納まるように言い訳をする。しかしトムはピストルを持ってロバートを追い掛けるので、召集令が来たのを幸いと軍隊に逃げ込んだ。シーラはトム・バートンが大尉として入隊したので、面会に行くとそこの営倉にロバートが入っていた。軍曹を殴ったためなのだが、彼女は彼に何か心ひかれるのだった。一方ロバートを失ったコートランドの一座は不入り続きとなったので、マーティンが兵営を訪れ、隊長を説きふせ、ロバートはシーラを主役として主演させ、フィナーレの結婚式のシーンには本職の治安判事を舞台に立たせ、自分とシーラの結婚式を本ものになぞらえる。ショウは成功したがロバートは営倉に戻らなければならなかった。しかしシーラは彼の気持ちを了解し、彼と結婚することを決心した。
――解説の通り本作はアメリカ公開1942年11月19日、日本公開は戦後の昭和22年5月27日の次々作『晴れて今宵は』(Columbia'42)より日本公開はあとになりました。『晴れて今宵は』の原題が"You Were Never Lovelier"と皮肉混じりの洒落たタイトルのように、本作の原題は"You'll Never Get Rich"と洒落を通りこしてアメリカ社会では極端な侮辱になるもので、大スターのアステアやヘイワース、大人気作家のベンチリーだからこそ洒落になるという際どいタイトルです。本作のアイディアは上司の浮気に部下が隠れ蓑役をやらされるという『アパートの鍵貸します』'60の先取りのようなもので、同作の監督ビリー・ワイルダーはルビッチの弟子ですが、ルビッチやワイルダーはアステア映画を手がけていませんし撮らせる企画もなかったでしょう。軽みや粋の本質でアステアはルビッチの映画にもワイルダーの映画にも向いていないので、ルビッチもワイルダーも洒落や粋の流儀がある人ですがこの師弟にも違いがあります。本作は舞台監督の浮気のごまかしに利用されて迷惑をこうむったアステアが徴兵されこれ幸いと軍隊に逃げこみますが、そこでもヘイワースの婚約者(トム・バートン)が部隊の仕官にいてアステアはわざと営倉送りになり、戦時色らしいアステアの兵隊役といっても素行不良兵として営倉でぐうたら暮らしをするだけ、というとぼけた作りです。慰問のショーにやってきた一座に軍務としてダンサー出演することになったアステアは、ショーのあと挙式して新婚旅行に旅立つというヘイワースにショーの中の結婚式で営倉仲間に呼んでこさせた本物の治安判事を立会人に結婚し(邦題『踊る結婚式』の通り)、出し抜かれたヘイワースと婚約者は露見してしまったベンチリーのセクハラ・パワハラ暴露とアステアの機知と執念に降参してめでたくアステアとヘイワースは結ばれるのですが、このでたらめで調子のいいコメディが観ていて不自然に感じない、説得力のあるものになっているのは素面になって思い出せば驚くべきことで、本作は特に傑作でも名作でもありませんが映画の中のでたらめが虚構なりにちゃんとリアリティをそなえて見せてくれる、あなどれない作品です。またアステアがヘイワースほどの女優と演技で張りあえる存在感を身につけたのを証明する作品でもあります。
●3月15日(金)
『スイング・ホテル』Holiday Inn (Paramount'42)*100min, B/W : アメリカ公開1942年8月4日、日本公開昭和22年6月18日
監督 : マーク・サンドリッチ/共演 : ビング・クロスビー、マージョリー・レイノルズ
◎ひとりの女性をめぐって駆け引きを繰り返す歌手のテッドとダンサーのジム。彼らの一年をミュージカルで綴った名作。劇中でビング・クロスビーが歌った「ホワイト・クリスマス」も大ヒットした作品。
RKO時代のアステア作品を手がけた名手マーク・サンドリッチがプロデューサーも兼任してパラマウント社で製作・監督した本作はアステアのフリーランス以降ようやく興行成績が公表された作品で、全米だけで興行収入375万ドルと、かつてのアステア映画最大ヒット作『トップ・ハット』の興行収入320万ドルを上回る成績を上げました。もっとも製作費も325万ドル(『トップ・ハット』は60万ドル)といいますから純益率は相殺されますし、本作はクレジット上ではビング・クロスビー(1903-1977)が先に来て、アステアは準主演とは言いませんがクロスビーの名前を先に立てたダブル主演作で、ドラマ上もクロスビーを主役にした映画です。アメリカ初公開時のポスターにも"Irving Berlin's / Holiday Inn"と謳われているように、作詞・作曲家のアーヴィング・バーリンが原案で1年の各祝日に相当する楽曲を書き下ろし、芸人を辞めて田舎の農家を買い取りホテルに改築開業したクロスビーが祝日ごとにホテルでパーティーを開催して披露する、という趣向になっており、なかんずくクロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」はチャート首位11週間・5,000万枚を売り上げる大ヒット曲になり大スタンダード曲となりました。バーリンはサンドリッチ監督のRKO作品『トップ・ハット』用にこの曲も書きかけており、その時は使う場面がないからと引っこめていたそうですが、本作の企画段階でプロデューサーでもあるサンドリッチに見せたら「ちょうどいいじゃないか」と本作のフィーチャリング曲になったそうで、映画はクリスマス公演を最後に引退して田舎暮らしするんだ、というクロスビーが芸人仲間で婚約者役のヴァージニア・デイルに「君のために書いたんだ」とピアノを弾きながら歌う、とのっけから使われています。この曲はクライマックスではデイルに捨てられたあとにクロスビーと恋に落ちた真のヒロイン、マージョリー・レイノルズがいさかいのあとクロスビーを思って歌うので、本作の数々の楽曲でも特に映画の額縁をなす曲として使われています。本作はコメディというよりは純然たる人情ロマンス映画であり、言葉通りのメロドラマ(音楽映画)なので、シングル曲の「ホワイト・クリスマス」のみならずSP盤でも8曲入りのサウンドトラック・アルバムが発売されました。コメディ監督エルンスト・ルビッチやレオ・マッケリーがそうだったように、サンドリッチもミュージカル・コメディのみならずメロドラマ監督としても最高の腕前を見せたのが本作で、『コンチネンタル』『トップ・ハット』『艦隊を追って』『踊らん哉』『気儘時代』などのアステア&ロジャース映画でのサンドリッチも最高でしたが優しさ・清潔さなども含めてファミリー映画としても老若男女幅広い層の胸を暖かくするアピール力では本作はさらに上を行くのではないでしょうか。ただし本作はアステアはあくまでクロスビーの引き立て役であり、本作が戦後ワーナー映画社でマイケル・カーティス監督によりクロスビー主演作『ホワイト・クリスマス』'54としてリメイクされた時も、第一指名されたアステアは出演を断り代わりにダニー・ケイが代役出演しているので、本作はアステア&ロジャース映画最大の功労者サンドリッチ(とバーリン)への恩返しになったとしても二度も同じ役でクロスビーの引き立て役を演ってたまるか、とアステアが思っても不思議はありません。本作は田舎暮らしの誠実な芸人カップル(クロスビー、レイノルズ)と都会の軽薄な芸人カップル(アステア、デイル)を対比させて誠実なカップルの勝利を賛美した作劇であり、軽薄なカップルももとのさやに収まって全員がハッピーエンドですが、軽薄カップルの方はこれで心を入れ替えたわけでもないのでどうせこの先も軽薄な浮気をくり返していくんだろう、と思われる。そういう生き方も含めて人間性の全面的な肯定が本作を爽やかなロマンス人情劇にしているので、また製作中に太平洋戦争の勃発があった作品ですがおめでたいくらいに戦時色の影はさしていません。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「我が道を往く」のビング・クロスビーと「カッスル夫妻」の フレッド・アステアが主演する歌と踊りにつづられた音楽映画。音楽は「世紀の楽園」のアーヴィング・バーリン作詞作曲し、映画も彼の原案に基づき、劇作家エルマー・ライスが書き上げ、「トップ・ハット」のマーク・サンドリッチが監督製作したものである。ダンス振付はダニー・デーア、撮影はデイヴィッド・エーベルの担任。助演ではマージョリー・レイノルズ、ヴァージニア・デールの二新人と、「三銃士(1935)」のウオルター・エイベルが活躍する。
[ あらすじ ] 歌の巧いジム・ハーディ(ビング・クロスビー)とダンスの上手なテッド・ハノオヴァ(フレッド・アステア)は 、ライラ・ディクスン(ヴァージニア・デイル)と三人組で、ニューヨークのナイトクラブに出演していた。ジムはライラが承知したので、カネチカット州のミドヴィルという村に農場を買い、芸人の足を洗って結婚生活に入る準備をした。ところがクリスマスも前夜いよいよ最後の晩にライラは寝返り、テッドと婚約してしまう。ジムはさびしく田舎に一年を送ったが、一年目のクリスマス前夜にテッドとエージェントのダニー(ウォルター・エイベル)を訪ねてブロードウェイに現れた。その夜ダニーの紹介でジムは花屋の売り子をしているリンダ・メイスン(マージョリー・レイノルズ)という芸人志望の娘に会った。ジムはミドヴイルの家を改造して、祭日だけフロア・ショウを見せて開場するという企画で、ホリデイ・インを始めるから、テッドに出演を頼みに来たのだった。テッドは変人扱いにして相手にしなかったが、翌日リンダが来て歌い踊る契約をした。ジムとリンダは互いに心をひかれつつ、大みそかの夜ホリデイ・インは開業した。ところがその夜ライラはテッドを捨てて駈け落ちしたので、彼は泥酔してインへ訪ねて来てリンダと踊った。かくてまたもやリンダをめぐって二人は恋のさや当てを演じたが、ジムが策略をろうしすぎたので、リンダはテッドと共にハリウッドへ行き、映画スタアとなった。間もなく婚約が新聞に発表された。ジムは発奮してハリウッドへ乗込むと、もともとジムを愛しているリンダは、ジムの腕に抱かれた。
――本作中の経過時間はちょうど2年間で、冒頭でともに引退して田舎暮らしを約束していたデイルに土壇場のクリスマス公演で相棒のアステアと組んで芸人を続けると背かれたクロスビーが次のクリスマスまで田舎の一人暮らしをする一年が祝日ごとに描かれ、クリスマスにクロスビーはアステアに会いにニュー・ヨークに出てきて田舎の自宅をホテルに改装開業し祝日だけ呼び物にショーをやるんだ、と計画を話してエージェントのウォルター・エイベルから成功するもんかと失笑を買います。エイベルが立ち寄った花屋の店員の娘のマージョリー・レイノルズが芸人志願でエイベルに使ってくれませんかと頼み、エイベルがだったらちょうどいいとクロスビーのもとへ送りこみのがきっかけで、祝日ごとにホテルで行うショーの相手役にレイノルズを雇うことにしたクロスビーとレイノルズに祝日ごとのショーを重ねるうちロマンスが芽生えた頃に、浮気症のデイルに捨てられたアステアがやってきて、クロスビーはアステアにレイノルズを会わせまいとしますが何だかんだでレイノルズはクロスビーに反感を抱いてアステアに引き抜かれる羽目になります。もちろん結末ではレイノルズは真実の愛に気づいてクロスビーのもとへ戻り、男選びに失敗したデイルもアステアのもとに戻ってきてふた組4人が歌い踊ってハッピーエンドになりますが、祝日ごとのショーで場面を刻んでいく構成は作詞・作曲家のバーリンの原案からあったのでしょう。これが非常に上手くいっています。またショー・チューンがそれぞれのシークエンスのモチーフになっているので音楽映画としても無理がない。本作の原題でクロスビーの開業するホテルの名称である"Holiday Inn"が田舎の観光ホテル・チェーンの登録商標になったのは1952年だそうですから、観光ホテル産業の発展にまで本作の影響力はおよんだわけで、また本作のイースター場面のショー・チューン「イースター・パレード」はアステアがジュディ・ガーランドを相手役にしたヒット作『イースター・パレード』'48の主題曲に転用されます。「ホワイト・クリスマス」はアカデミー賞最優秀主題曲賞に輝き、カラー作品のリメイク版『ホワイト・クリスマス』の方を先にテレビで観た人も多いでしょう。クロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」は通算9回シングル発売を重ね、2017にも本作はブロードウェイの舞台劇「ホリデー・イン」として上演されています。クロスビー家の黒人家政婦マミー役のルイス・ビーヴァース、田舎のタクシー(冬は犬ぞりなのが面白い)運転手役の好々爺のアーヴィング・ベーコンと脇役人物も本作のハートウォーミングな人情劇ぶりを引き立て、カラー版リメイクによってリメイク版『ホワイト・クリスマス』に知名度で劣ることになったのが惜しまれます。もっとも本作でもっとも稼いだのは作曲家バーリンだろうと思うと、バーリンの大才と貢献には敬意を表しつつちょっと小憎らしい気もしてきます。
●3月13日(水)
『セカンド・コーラス』Second Chorus (Paramount'40)*85min, B/W : アメリカ公開1940年12月3日、日本未公開
監督 : ヘンリー・C・ポッター/共演 : ポーレット・ゴダード、アーティ・ショウ
◎ダニーとハンクの二人の学生トランぺッターが美しい女性をめぐって繰り広げる恋の争奪戦を描いた極上ミュージカル。ジャズメンのアーティ・ショウが実名で登場し、フレッド・アステアと火花を散らす!
ヒロインにポーレット・ゴダード(1910-1990)、実名の本人役出演に人気ジャズマンでクラリネット奏者のバンドリーダー、アーティ・ショウ(1910-2004)が出演した本作はメジャーのパラマウント社配給ですが実態はパラマウント社配給のために独立プロデューサーのボリス・モロスの独立プロ、アストール映画社(Astor Pictures)が製作したもので、ゴダードはチャップリン映画のヒロインに『モダン・タイムス』'36、『チャップリンの独裁者』'40と二度抜擢され、パラマウント社のボブ・ホープとのホラー・コメディ路線でも『猫とカナリア』'39、『ゴースト・ブレーカーズ』'40をヒットさせており、主演はフレッド・アステア、アステアの親友役にバージェス・メレディスと配役だけでもそれなりに期待させるのですが、「Astor Pictures Presents」というタイトルで、えっ、パラマウント映画じゃないのかとよぎる不安がそのまま的中してしまう、どこが悪いというのではないのですが特に良いところもない映画にとどまっています。エンディングにいたってもさしたる盛り上がりもなくアステアとゴダードのアップになって突然エンドマークが出てしまうので観終わると何も残らないというか、映画を1本観たという手応えすらないので、本作と同年のゴダードのヒロイン作『チャップリンの独裁者』が悪評でゾンビ・ホラーのパロディ映画『ゴースト・ブレーカーズ』が公表だったというのも度しがたいですが、本作も『ゴースト・ブレーカーズ』に負けず劣らず見所のない映画で、1968年にアステアは本作を「出演作中最悪」とインタビューで公言しているそうなのでアステアをもってしてもどうしようもなくなっていたのでしょう。'53年までのアステア映画はパブリック・ドメイン化してはいるものの映画会社が正規の原盤権の更新をしていますが、本作は原盤権の更新が行わていない完全な版権消失作品となっており、コスミック出版のパブリック・ドメイン・ボックスセットは版権切れの条件の中で最良の原盤を採用する努力が見られますが、本作は一段も二段も落ちる原盤しかなかったようです。本作は主に出演も兼ねるアーティ・ショウが音楽も手がけており、ビッグバンド演奏シーンも多い点ではジャズ映画として観ることもできますし、アーティ・ショウ楽団が'38年にヒットさせた「ビギン・ザ・ビギン」をハイライト曲に再使用(演奏は映画用別演奏)したのがアステアの前作のMGM映画『踊るニュウ・ヨーク』'39でしたから、ならばアステア映画にアーティ・ショウ楽団を出せば良い、と企画するのはそれなりに興行価値のある取り合わせですし、ヒロインが旬の女優のポーレット・ゴダードならさらに手堅い。しかし実際はアーティ・ショウ楽団に代表される白人スウィング・ビッグバンドは30年代末で最盛期を過ぎた微妙な時期であり、アステアの人気も頂点を過ぎて下り坂にあり、ゴダードも旬の女優と言えたのはこの時期までで、観客からすればそろそろもういいよ、と飽きられかけていた顔ぶれが揃ったことになってしまった。ショウ楽団がアーティ・ショウのソロ・フィーチャーで1曲まるまる「フレネシ」を演奏するシーンなど良いのですが、大学生ビッグバンドのアルバイトが儲かるので留年8年目のバンド仲間のアステアとメレディスがローン返済取り立て事務所から来たゴダードを運営の行き詰まりかけていたバンドのブッキングマネージャーにするも運営挽回ならず、かえってゴダードはアーティ・ショウの目にとまりショウ楽団の地方公演手配も委託されることになり、大会社経営の金持ち道楽ミュージシャンの好々爺をスポンサーに公演が決定し、メレディスは前座出演でマンドリン演奏をしたがる好々爺に睡眠薬を盛って潰し(メレディスも潰れ)、アステアは遅れてきたショウの代わりに楽団の音楽監督を勤めてショウに絶讃されてゴダードとラヴハッピー、と、監督は『ヴァーノン夫妻』も手がけたヘンリー・C・ポッターですが、舞台畑の功績も多い人という割にはどこといって短所も長所もない平坦な演出が本作をほとんど記憶に残らない平凡なプログラム・ピクチャーにしています。日本公開昭和15年8月の前作『踊るニュウ・ヨーク』が敗戦前までの日本で公開された最新のアステア映画になり、以降は戦後公開になりますが本作は劇場公開は見送られ、のちに映像ソフト発売のみになっています。この低調な出来ではそれも仕方ないでしょう。一応キネマ旬報の映画データベースの紹介と、英語版ウィキペディアからのあらすじをご紹介しておきます。
[ 解説 ] フレッド・アステア主演の日本未公開ミュージカル。ポーレット・ゴダードとの息の合ったステップが見もの。
[ あらすじ ] ビッグバンドの美貌マネージャーを巡って恋の争奪戦を繰り広げる2人のトランペッターの姿を描く。
[ あらすじ ] ダニー・オニール(フレッド・アステア、トランペット演奏はボビー・ハケットの吹き替え)とハンク・テイラー(バージェス・メレディス、トランペット演奏はビリー・バタフィールドの吹き替え)は、大学のバンドである "オニールズ・ペレニアルズ"の仲間で、対抗するトランペット奏者です。二人とも7年連続で留年することで大学のアマチュア・バンド生活を延ばしています。ある公演で、エレン・ミラー(ポレット・ゴダード)がダニーとハンクの目を惹きます。エレンは勤めでいるローン取り立て業者からダニーたちに通知を出しますが、話の早いダニーとハンクはすぐにエレンのマネージャーとして引き抜きます。しかしペレニアルズは仕事が入らず、バンドの仕事を取るため奔走するエレンに、アーティ・ショウは、自分のアーティ・ショウ楽団のマネージャーにマネージャーに任命しました。エレンはダニーとハンクにショウのバンドのオーディションを受けさせようとしていますが、嫉妬深い確執からダニーたちは解雇されてしまいます。エレンはショウに、金持ちの道楽ミュージシャン、J・レスター・チズム(チャールズ・バターワース)からコンサートのスポンサーを取りつける首尾をつけます。ハンクはエレンの嫉妬深い夫、または彼女の兄弟であるふりをして、万事は調子良く運んでいるように見えます。 ダニーとハンクがチズムのバンドに戻ってきて、ショウにダニーの曲をアーティ・ショウのバンドに入れることに同意してもらいます。ダニーたちは、コンサートから何とかチザムとチズムが演奏したがっているマンドリン演奏を外そうとします。解決策はチズムを昏睡させるために睡眠薬を盛ることですが、ハンクも睡眠薬で眠ってしまいます。エレンのために、ダニーはアーティ・ショウのために選曲を手配して、ついにプロとしての実力を見せます。アーティ・ショウは「スペシャルな出来になったね」と賞賛します。アーティ・ショウはバトンをダニーに渡し、ダニーは自分の作曲を踊って成功させます。(英語版ウィキペディアより)
――本作については数あるアステア映画にはこういう凡作もある、と教えてくれる以上の価値はせいぜいアーティ・ショウ楽団の演奏シーンによって一応ジャズ映画としての資料的価値はある、という程度なので、アステア本人が「Worst Movie Ever I Made」と発言しているのですからあれこれ言うだけ野暮というものです。アステアが出演していなければ後世一顧だにされない映画に終わったと思いますが、逆に言えばアステア出演作という一点だけで本作はいまだに映像ソフト発売もされていれば稀には上映されたりテレビ放映されたりする機会もあるので、アステアにとっても観客にとっても本作は映画作品としての価値はほとんどありませんが、フィルモグラフィー上'40年度もアステア映画はブランクなく製作・公開されたということだけに本作の存在意義はあります。長いキャリアを誇った映画俳優の作品歴ではこういうものもある、ということです。
●3月14日(木)
『踊る結婚式』You'll Never Get Rich (Columbia'41)*88min, B/W : アメリカ公開1941年9月25日、日本公開昭和23年2月10日
監督 : シドニー・ランフィールド/共演 : リタ・ヘイワース、ロバート・ベンチリー
◎アステアとリタ・ヘイワースが初共演したミュージカル・コメディ。有名振付師カーティスは、女好きの劇団オーナーの浮気騒動に巻き込まてしまう。嫌気がさして逃げるように入隊するカーティスだったが……。
前作『セカンド・コーラス』がぱっとしない出来だっただけに何の期待感もなく本作を観ると、車を走らせてくるひげの紳士(本編に入ると舞台監督役のロバート・ベンチリーとわかります)が「ゆっくり走ってくれ」そして車が進むたびに路傍の広告板(ビルボード)に本作のクレジットが次々とクレジット・タイトル代わりに書いてあるのが映り、ひと通りクレジットが映って「よし、もういいぞ」と紳士が運転手に呼びかけます。この時代の映画には本のページだったり、西部劇なら酒場の看板や樹の幹だったりとクレジット・タイトルそのものを被写体に描く趣向は多く見られますが、そういう趣向を凝らすほどゆとりのある映画は内容は他愛なくても娯楽作品としては自信を持って作られている場合がほとんどなので、この作品は昔観たことがあるか記憶が定かではないのですがクレジットの見せ方からしてこれなら大丈夫だろうと安心させてくれます。リタ・ヘイワースとの共演と聞くと不安要素の方が多くて、アステアの軽やかさとヘイワースの濃厚なお色気では水と油なのではないかと心配しながら観始めるとこの軽快なアヴァン形式のクレジットの見せ方なので一気に懸念は払底され、内容もミュージカル仕立てのコメディではありながら戦時色を反映した設定やベンチリー、ヘイワースらこれまでのアステア映画にはなかった男女キャラクターの絡ませ方の不自然にはならない巧妙さが異色ながらなかなかの佳作になっており、ベンチリーはRKO時代の作品にもカメオ出演していてほとんど目立ちませんでしたし、もともと人気ユーモア作家が本業で映画出演は余興なのですが、本作ではクレジット・タイトルの紹介役にのっけから出てくるように準主演と言っていい怪演でドラマ本編でも中心人物の一人をこなし、監督みずから準主演のルノワールの『ゲームの規則』'39と言うと映画の格が違いすぎて褒めすぎかもしれませんが、ベンチリーが演じてこその存在感あるキャラクター造型に成功しています。監督のシドニー・ランフィールドは映画界では大成せず'50年代にはテレビに転向したそうですが、ベンチリーのキャラクターや本作のドラマ展開はちょっとエルンスト・ルビッチを思わせるもので、ルビッチやホークス、マッケリーらスクリューボール・コメディの名手より鋭さや毒気は薄いものですが、アステア映画にはこのくらいが適度な加減を心得た演出です。またRKO映画社がラジオ会社を母体とする映画社だったようにコロンビア映画社はレコード会社が母体なので、音楽もコール・ポーター書き下ろしと十全で、本作からはスタンダード曲とまで呼べる曲は生まれませんでしたが、映画全体に歌とダンスの場面はポイント的にしか出てこない。芸能界の裏側を舞台にした不純恋愛コメディ映画にドラマに沿って歌とダンスの場面が出てくる、と音楽・ダンス要素は映画の彩りで、そのバランスが異様に乖離しているのもRKO時代の全盛期アステア映画だったなら、本作はミュージカルである前にまずコメディ映画という芯が初めて通ったアステア映画です。これは時勢柄自粛したというより映画全体の振りつけもアステアが担当していたRKO以来のこだわりがとけて、アステア自身の個人芸として見せる場面以外は映画の振りつけ監督に従ったのがヘイワースとの無理のない、しかし見せどころにちゃんとなっている効果的なダンス場面、歌唱場面の配分になっている。ヘイワースも無理にダンサー兼コーラス・ガールぶらず過剰なコメディエンヌ演技もなく、食い足りないくらいがちょうどいい腹八分目の映画です。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「晴れて今宵は」と同じくフレッド・アステアとリタ・ヘイワースが主演するミュージカルで「晴れて今宵は」に先立つ1941年の作品である。脚本も同じくマイケル・フェッシャーがアーネスト・パガノの協力を得て書き下ろしたもので、監督には「バーレスクの王様」のシドニー・ランフィールドが当たった。音楽は「夜と昼」のコール・ポーターが作詞作曲し、ダンスはブロードウェイに名を馳せるロバート・アルトンが振り付けた。助演者は「青空に踊る」のロバート・ベンチリーをはじめ、ジョン・ハバート、オサ・マッセン、「海を渡る唄」のフリータ・イネスコートらである。なお撮影はフィリップ・タニュラが監督している。
[ あらすじ ] ニューヨークのミュージカル・コメディーの舞台監督マーティン・コートランド(ロバート・ベンチリー)は自らカサノヴァをもって任じている。美しいコーラス・ガールのシーラ・ウインスロップ(リタ・ヘイワース)に心をひかれたマーティンは無理をしてダイヤモンド入りの腕輪を彼女に贈ったが、シーラは言葉巧みに断り、腕輪はマーティンのポケットに逆もどりする。それを妻(フリーダ・イネスコート)に見咎められて、腕輪はダンス監督ロバート・カーチス(フレッド・アステア)に頼まれて買っておいたので、ロバートはシーラに首ったけなのだと弁解する。ロバートもマーティンに頼まれて、シーラにひどく愛想よく振る舞ってその場を取り繕った。翌日の新聞のゴシップ欄に、コートランド夫人の説明つきで、シーラとロバートの写真が出たので、ロバートはシーラに弁解しに行くが、彼女は腹を立ててしまう。しかし彼女の許婚トム・バートン(ジョン・ハバード)にはシーラもことが丸く納まるように言い訳をする。しかしトムはピストルを持ってロバートを追い掛けるので、召集令が来たのを幸いと軍隊に逃げ込んだ。シーラはトム・バートンが大尉として入隊したので、面会に行くとそこの営倉にロバートが入っていた。軍曹を殴ったためなのだが、彼女は彼に何か心ひかれるのだった。一方ロバートを失ったコートランドの一座は不入り続きとなったので、マーティンが兵営を訪れ、隊長を説きふせ、ロバートはシーラを主役として主演させ、フィナーレの結婚式のシーンには本職の治安判事を舞台に立たせ、自分とシーラの結婚式を本ものになぞらえる。ショウは成功したがロバートは営倉に戻らなければならなかった。しかしシーラは彼の気持ちを了解し、彼と結婚することを決心した。
――解説の通り本作はアメリカ公開1942年11月19日、日本公開は戦後の昭和22年5月27日の次々作『晴れて今宵は』(Columbia'42)より日本公開はあとになりました。『晴れて今宵は』の原題が"You Were Never Lovelier"と皮肉混じりの洒落たタイトルのように、本作の原題は"You'll Never Get Rich"と洒落を通りこしてアメリカ社会では極端な侮辱になるもので、大スターのアステアやヘイワース、大人気作家のベンチリーだからこそ洒落になるという際どいタイトルです。本作のアイディアは上司の浮気に部下が隠れ蓑役をやらされるという『アパートの鍵貸します』'60の先取りのようなもので、同作の監督ビリー・ワイルダーはルビッチの弟子ですが、ルビッチやワイルダーはアステア映画を手がけていませんし撮らせる企画もなかったでしょう。軽みや粋の本質でアステアはルビッチの映画にもワイルダーの映画にも向いていないので、ルビッチもワイルダーも洒落や粋の流儀がある人ですがこの師弟にも違いがあります。本作は舞台監督の浮気のごまかしに利用されて迷惑をこうむったアステアが徴兵されこれ幸いと軍隊に逃げこみますが、そこでもヘイワースの婚約者(トム・バートン)が部隊の仕官にいてアステアはわざと営倉送りになり、戦時色らしいアステアの兵隊役といっても素行不良兵として営倉でぐうたら暮らしをするだけ、というとぼけた作りです。慰問のショーにやってきた一座に軍務としてダンサー出演することになったアステアは、ショーのあと挙式して新婚旅行に旅立つというヘイワースにショーの中の結婚式で営倉仲間に呼んでこさせた本物の治安判事を立会人に結婚し(邦題『踊る結婚式』の通り)、出し抜かれたヘイワースと婚約者は露見してしまったベンチリーのセクハラ・パワハラ暴露とアステアの機知と執念に降参してめでたくアステアとヘイワースは結ばれるのですが、このでたらめで調子のいいコメディが観ていて不自然に感じない、説得力のあるものになっているのは素面になって思い出せば驚くべきことで、本作は特に傑作でも名作でもありませんが映画の中のでたらめが虚構なりにちゃんとリアリティをそなえて見せてくれる、あなどれない作品です。またアステアがヘイワースほどの女優と演技で張りあえる存在感を身につけたのを証明する作品でもあります。
●3月15日(金)
『スイング・ホテル』Holiday Inn (Paramount'42)*100min, B/W : アメリカ公開1942年8月4日、日本公開昭和22年6月18日
監督 : マーク・サンドリッチ/共演 : ビング・クロスビー、マージョリー・レイノルズ
◎ひとりの女性をめぐって駆け引きを繰り返す歌手のテッドとダンサーのジム。彼らの一年をミュージカルで綴った名作。劇中でビング・クロスビーが歌った「ホワイト・クリスマス」も大ヒットした作品。
RKO時代のアステア作品を手がけた名手マーク・サンドリッチがプロデューサーも兼任してパラマウント社で製作・監督した本作はアステアのフリーランス以降ようやく興行成績が公表された作品で、全米だけで興行収入375万ドルと、かつてのアステア映画最大ヒット作『トップ・ハット』の興行収入320万ドルを上回る成績を上げました。もっとも製作費も325万ドル(『トップ・ハット』は60万ドル)といいますから純益率は相殺されますし、本作はクレジット上ではビング・クロスビー(1903-1977)が先に来て、アステアは準主演とは言いませんがクロスビーの名前を先に立てたダブル主演作で、ドラマ上もクロスビーを主役にした映画です。アメリカ初公開時のポスターにも"Irving Berlin's / Holiday Inn"と謳われているように、作詞・作曲家のアーヴィング・バーリンが原案で1年の各祝日に相当する楽曲を書き下ろし、芸人を辞めて田舎の農家を買い取りホテルに改築開業したクロスビーが祝日ごとにホテルでパーティーを開催して披露する、という趣向になっており、なかんずくクロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」はチャート首位11週間・5,000万枚を売り上げる大ヒット曲になり大スタンダード曲となりました。バーリンはサンドリッチ監督のRKO作品『トップ・ハット』用にこの曲も書きかけており、その時は使う場面がないからと引っこめていたそうですが、本作の企画段階でプロデューサーでもあるサンドリッチに見せたら「ちょうどいいじゃないか」と本作のフィーチャリング曲になったそうで、映画はクリスマス公演を最後に引退して田舎暮らしするんだ、というクロスビーが芸人仲間で婚約者役のヴァージニア・デイルに「君のために書いたんだ」とピアノを弾きながら歌う、とのっけから使われています。この曲はクライマックスではデイルに捨てられたあとにクロスビーと恋に落ちた真のヒロイン、マージョリー・レイノルズがいさかいのあとクロスビーを思って歌うので、本作の数々の楽曲でも特に映画の額縁をなす曲として使われています。本作はコメディというよりは純然たる人情ロマンス映画であり、言葉通りのメロドラマ(音楽映画)なので、シングル曲の「ホワイト・クリスマス」のみならずSP盤でも8曲入りのサウンドトラック・アルバムが発売されました。コメディ監督エルンスト・ルビッチやレオ・マッケリーがそうだったように、サンドリッチもミュージカル・コメディのみならずメロドラマ監督としても最高の腕前を見せたのが本作で、『コンチネンタル』『トップ・ハット』『艦隊を追って』『踊らん哉』『気儘時代』などのアステア&ロジャース映画でのサンドリッチも最高でしたが優しさ・清潔さなども含めてファミリー映画としても老若男女幅広い層の胸を暖かくするアピール力では本作はさらに上を行くのではないでしょうか。ただし本作はアステアはあくまでクロスビーの引き立て役であり、本作が戦後ワーナー映画社でマイケル・カーティス監督によりクロスビー主演作『ホワイト・クリスマス』'54としてリメイクされた時も、第一指名されたアステアは出演を断り代わりにダニー・ケイが代役出演しているので、本作はアステア&ロジャース映画最大の功労者サンドリッチ(とバーリン)への恩返しになったとしても二度も同じ役でクロスビーの引き立て役を演ってたまるか、とアステアが思っても不思議はありません。本作は田舎暮らしの誠実な芸人カップル(クロスビー、レイノルズ)と都会の軽薄な芸人カップル(アステア、デイル)を対比させて誠実なカップルの勝利を賛美した作劇であり、軽薄なカップルももとのさやに収まって全員がハッピーエンドですが、軽薄カップルの方はこれで心を入れ替えたわけでもないのでどうせこの先も軽薄な浮気をくり返していくんだろう、と思われる。そういう生き方も含めて人間性の全面的な肯定が本作を爽やかなロマンス人情劇にしているので、また製作中に太平洋戦争の勃発があった作品ですがおめでたいくらいに戦時色の影はさしていません。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「我が道を往く」のビング・クロスビーと「カッスル夫妻」の フレッド・アステアが主演する歌と踊りにつづられた音楽映画。音楽は「世紀の楽園」のアーヴィング・バーリン作詞作曲し、映画も彼の原案に基づき、劇作家エルマー・ライスが書き上げ、「トップ・ハット」のマーク・サンドリッチが監督製作したものである。ダンス振付はダニー・デーア、撮影はデイヴィッド・エーベルの担任。助演ではマージョリー・レイノルズ、ヴァージニア・デールの二新人と、「三銃士(1935)」のウオルター・エイベルが活躍する。
[ あらすじ ] 歌の巧いジム・ハーディ(ビング・クロスビー)とダンスの上手なテッド・ハノオヴァ(フレッド・アステア)は 、ライラ・ディクスン(ヴァージニア・デイル)と三人組で、ニューヨークのナイトクラブに出演していた。ジムはライラが承知したので、カネチカット州のミドヴィルという村に農場を買い、芸人の足を洗って結婚生活に入る準備をした。ところがクリスマスも前夜いよいよ最後の晩にライラは寝返り、テッドと婚約してしまう。ジムはさびしく田舎に一年を送ったが、一年目のクリスマス前夜にテッドとエージェントのダニー(ウォルター・エイベル)を訪ねてブロードウェイに現れた。その夜ダニーの紹介でジムは花屋の売り子をしているリンダ・メイスン(マージョリー・レイノルズ)という芸人志望の娘に会った。ジムはミドヴイルの家を改造して、祭日だけフロア・ショウを見せて開場するという企画で、ホリデイ・インを始めるから、テッドに出演を頼みに来たのだった。テッドは変人扱いにして相手にしなかったが、翌日リンダが来て歌い踊る契約をした。ジムとリンダは互いに心をひかれつつ、大みそかの夜ホリデイ・インは開業した。ところがその夜ライラはテッドを捨てて駈け落ちしたので、彼は泥酔してインへ訪ねて来てリンダと踊った。かくてまたもやリンダをめぐって二人は恋のさや当てを演じたが、ジムが策略をろうしすぎたので、リンダはテッドと共にハリウッドへ行き、映画スタアとなった。間もなく婚約が新聞に発表された。ジムは発奮してハリウッドへ乗込むと、もともとジムを愛しているリンダは、ジムの腕に抱かれた。
――本作中の経過時間はちょうど2年間で、冒頭でともに引退して田舎暮らしを約束していたデイルに土壇場のクリスマス公演で相棒のアステアと組んで芸人を続けると背かれたクロスビーが次のクリスマスまで田舎の一人暮らしをする一年が祝日ごとに描かれ、クリスマスにクロスビーはアステアに会いにニュー・ヨークに出てきて田舎の自宅をホテルに改装開業し祝日だけ呼び物にショーをやるんだ、と計画を話してエージェントのウォルター・エイベルから成功するもんかと失笑を買います。エイベルが立ち寄った花屋の店員の娘のマージョリー・レイノルズが芸人志願でエイベルに使ってくれませんかと頼み、エイベルがだったらちょうどいいとクロスビーのもとへ送りこみのがきっかけで、祝日ごとにホテルで行うショーの相手役にレイノルズを雇うことにしたクロスビーとレイノルズに祝日ごとのショーを重ねるうちロマンスが芽生えた頃に、浮気症のデイルに捨てられたアステアがやってきて、クロスビーはアステアにレイノルズを会わせまいとしますが何だかんだでレイノルズはクロスビーに反感を抱いてアステアに引き抜かれる羽目になります。もちろん結末ではレイノルズは真実の愛に気づいてクロスビーのもとへ戻り、男選びに失敗したデイルもアステアのもとに戻ってきてふた組4人が歌い踊ってハッピーエンドになりますが、祝日ごとのショーで場面を刻んでいく構成は作詞・作曲家のバーリンの原案からあったのでしょう。これが非常に上手くいっています。またショー・チューンがそれぞれのシークエンスのモチーフになっているので音楽映画としても無理がない。本作の原題でクロスビーの開業するホテルの名称である"Holiday Inn"が田舎の観光ホテル・チェーンの登録商標になったのは1952年だそうですから、観光ホテル産業の発展にまで本作の影響力はおよんだわけで、また本作のイースター場面のショー・チューン「イースター・パレード」はアステアがジュディ・ガーランドを相手役にしたヒット作『イースター・パレード』'48の主題曲に転用されます。「ホワイト・クリスマス」はアカデミー賞最優秀主題曲賞に輝き、カラー作品のリメイク版『ホワイト・クリスマス』の方を先にテレビで観た人も多いでしょう。クロスビーが歌う「ホワイト・クリスマス」は通算9回シングル発売を重ね、2017にも本作はブロードウェイの舞台劇「ホリデー・イン」として上演されています。クロスビー家の黒人家政婦マミー役のルイス・ビーヴァース、田舎のタクシー(冬は犬ぞりなのが面白い)運転手役の好々爺のアーヴィング・ベーコンと脇役人物も本作のハートウォーミングな人情劇ぶりを引き立て、カラー版リメイクによってリメイク版『ホワイト・クリスマス』に知名度で劣ることになったのが惜しまれます。もっとも本作でもっとも稼いだのは作曲家バーリンだろうと思うと、バーリンの大才と貢献には敬意を表しつつちょっと小憎らしい気もしてきます。