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映画日記2019年2月5日・6日/小林正樹(1916-1996)監督作品(3)

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 監督第3作で松竹の正式な監督昇進後の最初の作品『壁あつき部屋』'53(公開'56年、前回紹介)の公開無期延期は、大平洋戦争勃発前(大東亜戦争はすでに泥沼化していましたが)の戦前の昭和16年春すでに松竹に入社していながら半年ほどですぐ徴兵され、敗戦後も任地沖縄での戦後事情から除隊・復帰まで昭和22年までかかったため、絶頂期だったした木下惠介のチーフ助監督として充実した助監督時代を送りながらも監督デビューと監督昇進は37歳まで遅れた小林正樹にとって無念どころではない痛恨事だったろうことは想像に難くありません。松竹ではのちに若い観客層を狙った若手監督の起用が進められ大島渚が昭和34年に、吉田喜重が昭和35年に入社5年目にそれぞれ27歳で監督デビューしたのを筆頭に数人の若手監督の起用がありましたが、大島は翌年会社上層部との対立で退社しフリーになり、吉田は監督昇進しながらも助監督に戻され監督復帰まで間が空く具合に順調にはいかず、同様の危機はこの時の小林正樹にもあったはずです。トップ監督の木下惠介の推挽や小林自身が篤実な性格と助監督経験、その実績で築いてきた信頼があったにしても『壁あつき部屋』は小林が真に作りたかった企画を全力で実現させた作品だったに違いなく、大島渚のように会社とのトラブルとの前に大ヒット作を出して時代の寵児になっていた条件と、映画界そのものの大会社体制の弱体化が重なっていれば、のちに'60年代末年についに小林正樹もそうしたように、フリーや独立プロへの移籍も可能性としてはこの時あったと思われます。しかし小林正樹は昭和37年の『切腹』まで松竹に踏みとどまり、最初にキネマ旬報ベストテン入りする評価がされたのが『あなた買います』'56、本格的な里程標的作品になったのが第1部製作までに2年をかけ、完結までさらに2年を要した全六篇、二篇ずつ三部に分けて完成・公開された総計9時間半の超大作『人間の条件』'59-'61ですから、実に粘り強く所属映画会社で大企画を実現させるまで奮闘していたのがわかります。『人間の条件』まで(またそれ以降)の小林作品も賛否両論あり、日本映画のガイドブックで数百本の作品を紹介しながら小林正樹作品が1作も触れられていない映画ガイド本も何冊もすぐに思い当たるのですが、1作1作をたどると確かにこれほど歩みの慎重だった大家は日本映画では例外的と言っていいほどなのです。そうした事情も踏まえ、戦後監督である小林正樹監督作品はキネマ旬報に公開当時の新作日本映画紹介がありますから、時代相を反映した歴史的文献として、今回も感想文中に引用紹介させていただくことにします。

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●2月5日(火)
『三つの愛』(松竹大船'54)*114min, B/W・昭和29年8月25日公開

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 本作や本作以前の『息子の青春』『まごころ』『壁あつき部屋』はようやく2016年9月~11月の「小林正樹生誕100年」記念リリースで国内盤初DVD化がされました。本作以降の松竹時代の『この広い空のどこかに』『美わしき歳月』『泉』『あなた買います』『黒い河』『からみ合い』もその時が国内盤初DVD化で、独立プロ作で東宝配給の『いのちぼうにふろう』も同年7月が初DVD化です。それまで2000年~2005年にDVD化されていた作品は『人間の条件』『切腹』『怪談』『上意討ち 拝領妻始末』『化石』『東京裁判』きりで、『日本の青春』'68、『燃える秋』'78、遺作『食卓のない家』'85の3作は未DVD化で、上映される機会が稀にある(製作会社の意向でDVD化が見送られているらしい)『日本の青春』『燃える秋』はまだしも、『食卓のない家』は製作会社の倒産・版権不明でDVD化はおろか上映すら不可能になっているそうです。'70年代末~'80年代にはバブル景気と角川書店のタイアップ商法の成功に乗って映画などと無関係な企業がジリ貧の映画会社にスポンサーとなり映画製作に参入する例がいくつもあり、そうした中でかなりの数の作品が製作会社であるスポンサー側の意向、または倒産・版権不明によって事実上の封印作品になっており、小林正樹監督の遺作すらそうした痛ましい事情で上映不可能作品になっている。『燃える秋』の場合は製作会社がチケット販売をめぐって取引先との贈収賄事件が起きたのが発覚し、自社の恥として封印作品になっているとのことで、カンヌ国際映画祭に出品されグランプリにノミネートまでされた『日本の青春』の場合はやはり独立プロ作品なので問題は版権の不明ではなさそうですが、戦後映画で20作程度の寡作家にして生前は巨匠監督と見なされていた映画監督にしてこれほどDVD化が遅れ、しかも3作も問題があってDVD化が不可能らしいというのは多作で製作会社が多岐に渡るので手がつけられなくなっている中平康のような場合とは事情が違い、ここにも小林正樹の不運を感じます。生誕100年でほぼ全作品がDVD化されても劇的に再評価が進んでいるとは見えないのは不人気が続いているからとしか思えないので、つい一昨年まではDVDで観たくても『人間の条件』『切腹』『怪談』『上意討ち 拝領妻始末』『化石』『東京裁判』の6作しかなかった状態が長く続き、海外盤の輸入盤で『壁あつき部屋』『あなた買います』『黒い河』『からみ合い』が観られる程度だったのです。さて、ようやくDVD化された本作のジャケット裏には「解説」として次のような紹介がなされています。「"単なるホームドラマとは違う、ピューリタンなシャシン"をめざして、初めて自らのオリジナル脚本で完成させた、純粋なる愛のドラマ。少年に教師、聖職者といったそれぞれ立場の異なる者たちの"無償の愛"の行方が、差別や偏見に翻弄されがちな人間の弱さと強さの両面を見据えつつ描出されていき、その中から"人はみな十字架を背負って歩み続ける存在"という、小林映画ならではのモチーフがストレートに訴えられている」。木下惠介脚本でしたがキリスト教的ムードが作品にあったのは『まごころ』以来です。小林正樹がクリスチャンだったか宗教的関心が強い人だったかはわかりませんが、引用されているのが小林監督自身の発言だったとしたらピューリタン(清教徒)と言いながら映画に登場するのはカトリック教会とカトリック神父なのはおかしい。ピューリタンとはプロテスタントがさらに近代的に再解釈された宗派であり、主に19世紀に確立されたアメリカ流のプロテスタントを指します。また本作の知的障害児の設定や運命は国木田独歩(1871-1908)の明治37年(1904年)の短編小説「春の鳥」をほとんどそのまま採り入れてあり、小林正樹の言うピューリタン=キリスト教という理解はピューリタン系伝道者が先導した明治~大正以来のキリスト教理解で、プロテスタントもカトリックもその理解ではごっちゃになっているのがうかがえます。本作もキネマ旬報の公開時の紹介を引きます。公開無期延期作『壁あつき部屋』('53年完成・公開'56年)に言及されているのも同作が映画ジャーナリズム内では完成作品と認知されていた証拠にもなるでしょう。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 小林正樹 / 製作 : 久保光三 / 撮影 : 井上晴二 / 美術 : 平高主計 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 熊谷宏 / 照明 小泉喜代司
[ 解説 ] 小林正樹が「壁あつき部屋」に次いで、自ら書き下したオリジナル・シナリオにより監督する作品。撮影は「陽のあたる家(1954)」の井上晴二。出演者は「ママの新婚旅行」の山田五十鈴、「陽は沈まず」の岸恵子、「伊豆の踊子(1954)」の三島耕、募集少年の森昭治、細谷一郎などである。
[ 出演者 ] 森昭治 : 志摩平太 / 山形勲 : 父修平 / 山田五十鈴 : 母幸 / 伊藤雄之助 : 八杉神父 / 三島耕 : 西田信之 / 岸恵子 : 里見通子 / 細谷一郎 : 中川郁二郎 / 望月優子 : 母ふみ / 川口憲一郎 : 弟勇夫 / 進藤英太郎 : 松田孝造 / 桜むつ子 : 妻清子 / 青木富夫 : 忠吉 / 日守新一 : 馬力引 / 末永功 : 小学校の先生 / 文谷千代子 : 町子
[ あらすじ ] 高原の静かな村に大学教授をしながら細々生計を立てている翻訳家の志摩修平と幸の夫婦が住んでいた。一人息子の平太はいわゆる特異児童で、蝶を追い鳩を愛し、鳥の鳴き真似をしては野山を駈けずり廻っていた。村の村会議員で造酒屋の孝造の許へ中川郁二郎という笛の上手な少年が母親のふみに連れられて奉公にやって来た。学校へあげてやるというのは名ばかりで、ていのいいタダ奉公に雇われたのである。何時かこの寂しい二人の少年は友達になるが、村人達は何かと特異児童の平太をつまはじきにした。新しく小学校の音楽教師に赴任して来た里見通子と教会の牧師で修平の友人の八杉神父だけが平太に優しくしてくれた。八杉は妻町子に裏切られた事から神に仕える身となったのである。通子にも西田信之という絵描きの恋人がいたが、貧しい二人には結婚さえ自由にならなかった。仕事の都合で、修平は東京へ転宅しようとする。しかし幸と八杉に言われ平太のため此の土地に留まる事に飜意した。八杉も町子の罪を許した。信之と通子とはお互いの愛情の中に美しく生きつづけた。郁二郎も貧しい母を考えて苦しい中に生き抜いていた。しかし平太は小鳩を親鳩の許へ帰してやろうとして木から落ちて死んだ。平太の墓には「神の許に帰りし誠実な魂、小鳥を愛せしよき友」と刻まれた。平太の鳥が大空に放たれ、幸の目は涙ににじむ。どこからか歌声が聞えてくるようだ。何時の世にもただ真実に厳粛に生き抜いてゆく人間にのみ歌われる歓喜に寄せる歌声が……。
 ――本作は木下惠介の助監督時代にすでに書かれていたらしく、田園映画という舞台背景にやはり木下惠介が得意とした田園純愛映画との類似を感じさせます。しかし本作はのびやかな木下惠介作品とはまったく感触の異なる生硬な作品で、小林正樹作品らしい生真面目さがこれまででもっとも裏目に出てしまった、自然な流露感に乏しい映画になってしまっています。まず『三つの愛』が何を指すのかわからないほど平行した人間関係があり、まず病身を隠してこの高原の村に赴任してきた学校の女教師(岸恵子)と彼女について移住してきた恋人の貧乏画家(三島耕)がおり、豊かではないがインテリ家庭の大学教授で翻訳家(山形勲)が妻(山田五十鈴)と幼い息子(森昭治)と住んでいますが、息子は自分が蝶や鳩と言う知的障害児です。村会議員で酒屋(進藤英太郎)の家に口べらしに奉公に母親(望月優子)に連れられてきた少年(細谷一郎)は障害児の少年と親しくなり、翻訳家は村のカトリック教会の神父(伊藤雄之助)と友人ですが仕事のため東京と家の往復が多く家庭を空けるのに悩み、息子の障害に苦しむ妻のために神父に障害児の見守り手となってもらい、女教師と学校に通っている酒屋奉公の少年も教会に集うようになる。少年の奉公先では酒屋の主人は少年をこき使うことしか考えず、酒屋の妻(桜むつ子)は少年を気にかけるが夫は気にもとめない、神父はこうした村の人々をみつめ、恋人の貧乏画家との将来の希望が持てない病身の女教師に同情するが、神父自身は妻に他の男に去られた過去があり、現在は去った妻は余命いくばくもないと知らされるも許せず会いに行けないで男女の愛自体にも懐疑的になっている、というのが前半1/3までで出揃った人間関係で、ここまで辛抱してご覧になって「三つの愛とは何を指すでしょうか?」とクイズにしたいくらい紋切り型の悩み事を組み合わせた作劇にシナリオの次元での失敗を感じます。こうした道具立てに登場人物たちが悩み事を語り、これをどういう愛情が解決するかを論じあうのですが、青春メロドラマ『まごころ』では一応整理された形で展開するだけ免れていた類型化のつまらなさや抽象性が本作では登場人物のほとんど全員が悩み(または他人の悩みの原因になり)、結末では唐突に貧乏画家が女教師と結婚を決意し、去った妻の臨終の報を知った神父が自分の頑なさを悔悟し結婚式を挙げるのを承諾し、そこに奉公から少年を引き取りに来た母親と少年の意固地、さらに障害児の少年が「春の鳥」から借りたような運命をたどることで映画は登場人物たち全員の問題の解決にいたるのですが、個々の人物の愛をめぐる悩みが別の悩みと触れることで有機的に解決されるどころか、混じりあわないで非常に混濁した印象を残す作品になっている。その点で端的に言ってメロドラマとしてもシリアスな思索映画としても失敗している本作ですが、次作『この広い空のどこかに』、次々作『美わしき歳月』で小林正樹は初めてテーマを好く消化した、秀作・佳作と呼べる作品を作ることに成功します。それも本作の失敗を踏まえた上のことならば、この失敗もそれなりに意義のあるものだったことになります。

●2月6日(水)
『この広い空のどこかに』(松竹大船'54)*110min, B/W・昭和29年11月23日公開

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 チーフ助監督・共同脚本で関わった木下惠介監督作の快作『破れ太鼓』を除けば、小林正樹の監督作品を第1作から製作順に観てくるとなかなか映画らしいのびやかな楽しさに当たらず、通算5作目、長編としては4作目の監督作の本作にいたってようやく溜飲が下がる思いがします。本作で毎日映画コンクールで高峰秀子が女優主演賞、久我美子が女優助演賞、木下忠司が音楽賞と初めて映画賞を獲得する初めての小林作品にもなり、賞を穫った面々に限らず冒頭のタイトルバックのヘリコプター撮影クレジットが入る敗戦の跡もまだ生々しい川崎市街の空撮から本作は好いムードをかもし出しており、映画は酒屋のお婆さん(浦辺粂子)が恋愛結婚で来た嫁というのはどうもねえ、近ごろの若い人は何を考えてるんだかわからないねえ、と馴染み客の婆さん(三好栄子)と店先で愚痴混じりの世間話をしている場面から始まります。題材こそ1作毎に大きく違え、最初の中編『息子の青春』は例外としても深刻なシチュエーションが作品の中心だった長編作品が続いていただけに、市井の酒屋一家のささやかな気持のすれ違いやちょっとした悪意、頑固さが決してエスカレートせず常に調和的かつ常識的に良心を持って描かれ、全員が円満な和睦を迎える過程を類型的な感じも与えず、人間の善性に対する信頼をもって空々しい感じもなく描かれた本作は、これまでの小林作品で描かれた人々も真実でしょうがこうした善良な市民生活のあり方もまた日常的な真実という説得力が十分あり、本作の脚本は木下惠介の妹の楠田芳子、脚色に脚本家の松山善三)といった木下惠介ゆかりのブレインがついていますが、今回はメロドラマでなく『息子の青春』以来のホームドラマを、木下惠介の風刺や抒情の効いた軽やかさとも違うじっくりとした観察眼によって細かにたどっています。小林作品の短所は本来ならこの題材ならちょっと長い、と思わせるところで、本作もこうしたホームドラマに1時間50分は長いのですが、細かな過程の説得力のある描写の積み重ねで長さを感じさせません。終盤近くではむしろ計算が上手くいった急展開の印象すらあり、大胆な省略法が功を奏しています。DVDジャケット裏の解説は「ホームドラマを映画的極みにまで高め得た傑作である」と結ばれていますが、順を追って観てきたから小林作品には危なっかしい面もあり傑作というにはまだ弱い気がして秀作佳作あたりと言う気がするものの、本作から観始めれば懸念なく見事に仕上がった傑作と観られるとも思います。そこまで持ち上げながら生誕100年の2016年までDVD化していなかった松竹も薄情ですが、現存する日本映画最古の記念碑的作品である村山実の『路上の霊魂』'21と現存するもう1本きりの村山作品ですら松竹が原盤を持ちながらも未DVD化ですから(2021年の100周年まで保留している可能性もありそうです)、それまでYouTubeでしか観られなかった本作が現在たやすくDVDで観られるのは慶賀すべきでしょう。本作も公開当時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 楠田芳子 / 脚色 : 松山善太 / 製作 : 久保光三 / 撮影 : 森田俊保 / 美術 : 平高主計 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 大野久男 / 照明 : 豊島良三
[ 解説 ]「三つの愛」の小林正樹が木下恵介の妹楠田芳子の脚本によって監督する。「荒城の月(1954)」の松山善太が潤色し、「えくぼ人生」の森田俊保が撮影に当る。出演者は、「真実の愛情を求めて 何処へ」の佐田啓二、「二十四の瞳(1954)」の高峰秀子、「悪の愉しさ」の久我美子、「君に誓いし」の石浜朗、小林トシ子のほか、田浦正巳、大木実、日守新一、浦辺粂子、三好栄子など。
[ 出演者 ] 佐田啓二 : 主人良一 / 久我美子 : 妻ひろ子 / 高峰秀子 : 妹泰子 / 石浜朗 : 弟登 / 浦辺粂子 : 母しげ / 内田良平 : 信吉 / 小林トシ子 : 妹房子 / 大木実 : 俊どん / 田浦正巳 : 三井 / 中北千枝子 : 夏子 / 日守新一 : 近所の人今井 / 光村譲 : 息子 / 棚橋マリ : 嫁 / 三好栄子 : 近所の老婆
[ あらすじ ] 登は明るい夢見がちな青年だったが、彼の友人で苦学を続けている三井は、登の言葉を信ぜず、現実の生活に絶望していた。登の家、森田屋は川崎市で酒屋を営んでいるが、生活は楽ではなかった。ひろ子は森田屋の主人良一の許に嫁いで来たばかりだが、戦災で足が不自由になり、婚期を逸した義妹泰子や良一の義理の母しげの間でつらい立場にあった。職を探しに上京したひろ子の幼友達の信吉が、帰郷の前にひろ子を訪れた時、しげと泰子はひろ子と信吉の事を色々と臆測し、ひろ子の心は激しく動揺した。しかし良一のやさしい理解のある態度に、ひろ子は必ず良一と幸せな家庭を築こうと心に誓った。泰子は足が不自由という劣等感、彼女から去って行った愛人に対する憎しみ、片輪者どうしを一緒にしようとする周囲の人々の態度等によって、冷たい、かたくなな性格になっていたが、森田屋の昔の使用人俊どんが泰子の足が不自由になった今でも昔と変らぬ愛情を持っているのを知ると、俊どんの故郷、赤石山麓に住み一緒に幸福を得たいと願った。泰子の希望を取り戻した明るい手紙を読み、またひろ子の心情を知ったしげは、次第にかたくなな心を解き、登の家には明るい笑顔がみられるようになった。
 ――と、本作は後妻に入り夫に先立たれた母親(浦辺粂子)、夫の連れ子で現在の酒屋の主人の長男(佐田啓二)とまだ婚家になじめないでいる嫁(久我美子)、空襲で片脚が不自由になった長女(高峰秀子)、大学生の次男(石浜朗)という川崎市の酒屋の家族の集団劇と言うべきホームドラマです。佐田周二、高峰秀子、久我美子の3者が主演というより物語の中心で、母親役の浦辺粂子と次男役の石浜朗は対照的な位置にいる重要な家族であり、特に石浜朗の成長ぶりは物語上主役だった『息子の青春』『まごころ』よりも各段に存在感を増しており、本作は母親が義母であるために嫁姑というより健康な兄嫁に劣等感を抱く脚の悪い長女を姑がひいきにして嫁に店は手伝わせても家事は任せず長女と姑が家政を独占してしまうために長男が板挟みになり次男が兄嫁の肩を持つ、という構図が巧みに浮かび上がってきて、女性脚本家らしい女の意地の悪さへの洞察と、それをいかに具体的なエピソードに生かすかが非常に巧みです。縁談が来て乗り気になるが傷痍軍人だとわかって激怒してしまう、姑の方がぽかんとするが兄嫁の方が不具の長女の気持を理解している、という具合に、また兄嫁の郷里の幼なじみの男性が就職運動の帰りに訪ねてきてわざと長男の嫉妬を誘うような告げ口をするが長男は妻の幼なじみに土産を上げに行ってくる、と善意で事態を収拾しようという知恵と行動が長男夫婦は自然に長けていて、本作では俳優の上手さもありますが小林正樹の演出も的確に人物たちを描いている。木下のホームドラマ作品『破れ太鼓』を観たばかりなのでどうしても比較してしまいますが、『破れ太鼓』はコメディという形に理想化された映画世界なので台詞のイントネーションからちょっとした仕草まで人工的な演出方法が貫かれており、そういう映画として成功していました。小林作品が『三つの愛』でしくじったのは同じ虚構世界でも追求された人間愛が図式的かつ概念的で、台詞も概念語だらけか極端に知的障害児だったりと、作為が裏目に出てしまったからです。本作も日本語がとても聞き取りやすいのに人工的に聞こえないのはごくごく日常語だけで登場人物が会話し、仕草するので昭和29年の日本の一家庭の様子をそのままパッケージしたようなタイムカプセル的作品にもなっている。あえて言えば長男夫婦に子供がいるとなお広がりが出ましたが、これは長男夫婦がまだ子供を授かる前だからこそ起こる家庭劇で、子供を授かったあとでは長男の家長的位置がもっと強くなってしまう。兄嫁が「ひとりひとりはいい人」なのに、と洩らすように家族だからこそ抱えるしがらみ、一体感がこの家族構成の中では余すことなく描かれており、母親が長男の義母で長女と次男は実子というのも家族が家族であることの努力を生んでいます。母親に対してはっきり兄嫁の肩を持てるのが次男なのも実子だから言えるわけです。長女は夫が抑留先からなかなか帰国できず、子供を抱えてニコヨン(日給240円の工事人夫)をしている昔の女友達(中北千枝子)と再会し、その子供の急性盲腸炎のために長男に相談し、長男は快く貸すのではなくお見舞いに長女にお金を渡しますが、そうしたことも長女が自分のひがみではなく他人へ心を開く過程になっている。終盤、兵役に取られて戦後は郷里で暮らしているかつての使用人の俊どん(大木実)が長女の留守中あいさつに寄って帰り、長男夫婦は物干し場で見えない幸福のボールを投げて人々に幸福のお裾分けをします。長女は自分に想いを寄せ続けていた俊どんの郷里の信州に旅立ち(長男夫婦は「ボールが当たったかな」と喜びます)、そのまま信州で俊どんに嫁入りをする手紙を寄越します。この終盤が駆け足なのですが長女の頑なさがほどけて一気に希望へと踏み出すカタルシスにもなっていて、小林正樹の監督作で本作は5作目にして初めて映画らしいカタルシスのある結末になっている。この好調は次作の調和的メロドラマ『美わしき歳月』でも引き継がれ、次の『泉』では再び重い作風に戻りますし、長女のニコヨンをしている母子家庭の女友達や次男の学友が肺患で退学し郷里に帰るエピソードなど暗い世相を反映した面もあり、また家庭をぎくしゃくさせているのは脚の悪い長女のひがみなので明るいばかりのホームドラマではないのですが、現実にしっかり足をつけてなお希望に向かおうとする一家の様子はきちんと描かれています。本作は重厚な社会派監督になる前の小林正樹の作品で最良の出来を示した作品であり、次作『美わしき歳月』と並んで松竹ホームドラマ、メロドラマの枠内の十分な達成として観る人の心を暖かくしてくれる佳品です。これらがなく『泉』『あなた買います』『黒い河』『人間の条件』以降の小林作品だけが残ったとしたらそれも大きな損失ではないでしょうか。

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