今回の「キートンの船出」はこの短編の主役と言える家庭用ヨット「The Damfinos(知るもんか)」号から国際バスター・キートン協会が名前をとったことで知られ、また「キートンの白人酋長」はインディアンと白人の抗争をインディアン側に立って描いた先駆的内容の西部劇コメディです。さらに「キートンの警官騒動」は1997年(第9回)アメリカ国立フィルム登録簿に登録された同登録簿2作目のキートン作品で、1989年に第1回が施行されたこの文化財保護法は毎年25作の発表後10年以上を経過する「文化的、歴史的、または芸術的に重要」なアメリカの映像作品を選定する法律で、キートン作品は2018年現在まで「キートンのマイホーム」'20(2008年)と「キートンの警官騒動」'22('97年、以上短編)、『キートンの探偵学入門』'24(2000年)と『キートンの大列車追跡』'27(国立フィルム登録簿第1回施行年・'89年)、『キートンの蒸気船』'28(2016年)、『キートンのカメラマン』'28(2005年、以上長編)の6作が登録されており、チャップリンのアメリカ国立フィルム登録簿登録作品6編、短編「チャップリンの移民」'17と長編『キッド』'21、『黄金狂時代』'25、『街の灯』'31、『モダン・タイムス』'36(国立フィルム登録簿第1回施行年・'89年)、『独裁者』'40に並んでいます。これはロイドが代表作中の代表作『ロイドの要心無用』'23と『ロイドの人気者』'25(国立フィルム登録簿第2回施行年・'90年)の2作きりしか選出されていないのと対照をなしており、サイレント三大喜劇王とされているチャップリン、ロイド、キートンの(実際サイレント時代最高の名声を博したのはチャップリン、最大の興行収入を誇ったのはロイドで、例外的なこの二人に次ぐトップクラスの存在がキートンでした)今日の評価がここに端的に表れているとも言えます。
「キートンの船出(漂流)」The Boat (監督・脚本=キートン&エディ・クライン、First National'21.Nov.10)*25min, B/W, Silent : https://youtu.be/mRJW4MFZLzk
本作は家の作りつけ倉庫の中で、幼い男の子二人兄弟の子どもたちが遊び場にするので払いのけながら、小型船建造の日曜大工をしているキートンの姿から始まります。男の子たちもキートンと同じ平帽子(ポークパイ・ハット)をかぶっています。いよいよ船が完成し、キートンは妻子たちを車に乗せてロープでつないだ小型船を倉庫から引っ張り出しますが、小型船は倉庫の出口より大きかったので船が引きずり出るととともに壁が崩れ、家は全壊してしまいます。キートンは家の残骸に戻り、船からはがれた「Damnfino(知るもんか)」号のプレートを拾い上げて船の甲板に放りあげます。この「ダムフィーノ(知るもんか)」号というキートン映画らしい投げやりな船名がのちに災いをもたらすのです。港まで船を引っ張ってきて、キートンは妻子を車から下ろし、車で船を船尾からロープで引き着水させようと妻に加減を見てもらいながら車を進めるも、車は港の岸に半分乗り出して傾いてしまい、車から下りたキートンはちょっと思案してハサミでロープを切り、車は港に転落・沈没します。港のスロープ面に船尾を海に向けて進水式を始めた一家は、妻子が見守る中、船首に直立したキートンを乗せて海に滑りだし、キートンは船首に直立不動のまま船はずるずると完全に海に沈みます。字幕「優れた船は沈んでも浮かぶ」、キートン一家の船は港を進み、キートンは橋や電線を通過するたび手動式の帆を傾けて通り抜けますが、船尾に旗を飾ろうとしている時に橋に当たって傾いた帆柱に突き飛ばされて海に落ちます。海洋に出て、船内生活するキートン一家は何とか波でぐらぐら揺れて傾く船内で食事し、棚式の二段ベッドの寝床を整えますが、外洋まで乗り出した深夜に嵐に見まわれます。船は滅茶苦茶に揺れ、傾き、回転し、キートンは電信機で必死にSOSを打電し、沿岸警備隊のオペレーター(エディ・クライン)が受信しますが「船の名は?」「ダムフィーノ(知るもんか)!」「俺も知るもんか!」と冗談通報と思われて切られてしまいます。キートンはそれでも必死で打電を続けますが船の状態に打電どころではなくなり、壁から一筋床の一点に向いて浸水しているのを見つけたキートンは壁の穴をふさごうとしますが手に負えず、降り注いでいる部分の床に錐で穴を空け水を抜こうとしますが当然空けた穴からも海水が噴出してきます。にっちもさっちもいかなくなったキートン一家はバスタブをボート代わりに妻のシーリーと男の子二人を乗せ、キートンは船とともに沈んでいき帽子だけが浮かびシーリーは息子たちを抱いて悲嘆に暮れますが、キートンはそのまま帽子の位置からむくっと立ってバスタブのボートに一緒に乗ります。子どもが喉が乾いたとせがみキートンは帽子で海水をくんで息子に飲ませますが、息子は小首を傾げてバスタブの床から手に水をすくいます。慌ててキートン夫婦は手で水を掻きだしますが、いつの間にか暴風雨は止み、夜明け近くなっていて、バスタブのボートは浅瀬に止まります。一家はバスタブから出てどことも知れないジャングルに面した海辺に上がり、妻シーリーは(字幕)「Where We are ?」キートンはシーリーに向かって横顔で返答し(つまり「ダムフィーノ(知るもんか)!」)、進んでいく一家の姿で、エンドマーク。これは有閑階級のお坊ちゃんキートンが求婚相手のお嬢さまキャサリン・マクガイアと無人の巨大巡洋艦で漂流生活を送るはめになる、長編第4作の傑作『海底王キートン』'24に直接つながる先駆作です。セットとはいえかなり大きい家一軒を数ショットのギャグのために用意して壊す、車を海に落とす、「優れた船は沈んでも浮かぶ」といっても進水式で沈むシーンのために作った船はそのあと出てくる手動式帆柱の船とは別でしょうし、港や海洋で外観から映したショットは併走船、または船上からカメラを据えて撮り、さすがに船内生活はスタジオ撮影、嵐の中の船の外観はミニチュアでしょうが、嵐に見まわれた船内はスタジオ撮影とはいえあちこちから水が吹き出してくる仕掛けで水びたしだったでしょうし、撮影所内のプールを使ったとしても結末の脱出劇は俳優全員水びたしです。オペレーターに船名を訊かれたら、チャップリンだったらとっさに機転を利かせて船の特徴や金持ちが乗っていて大至急だなどと報せるでしょうし、ロイドならダムフィーノ、と言いかけて別の船名を告げて必死に嵐の船外で新しいプレートをつけにいって一苦労、となるでしょうが、男らしく言い訳はしないどころか事態すら気づかず打電どころではなくなるまで打電を続けるのがキートンで、本作が純粋にキートン的な傑作たるゆえんです。しかも本作の高いレベルはこのあとのほとんどの短編で維持されるのです。
●1月23日(水)
「キートンの白人酋長(キートンの酋長、キートンのハッタリ酋長)」The Paleface (監・脚=キートン&エディ・クライン、First National'22.Jan.)*22min, B/W, Silent : https://youtu.be/WM9gbrtkQoE
ここまでが前半で、このあとキートンは前酋長で副酋長の訴えで土地を騙し盗ろうとしている白人の石油採掘会社との対決に出ることになり、キートンは抜けだそうと藪に隠れた別方向に向いた馬に乗ると、実際乗ってしまったのはインディアンたちと同じ方向に向いた馬で、そのまま石油採掘会社の事務所に到着し、権利書を返せと迫り事務所の中でインディアンたちを踊らせて翻弄し、キートンは白人たちの髪を剃って(またはかつらを奪って)副酋長を納得させます。用心棒との乱闘にも勝ちますが社長のハントは逃げ、追ったキートンはハントに返り討ちにあい、ハントはキートンと服を取り替えて逃走します。キートンはハントと間違われて自分の部族から矢をびゅんびゅん射られ、矢が山高帽を貫いたのできょとんとし、逃走すると今度はライバル部族の居住地との境に踏みこんで大ロングの砂の大斜面を左から右へと数百メートル滑り落ち(このショットはのちの長編『キートンのセブン・チャンス』'25の逃走シーンを連想させます)、斜面の端の崖と崖の間にロープ2本、板は数枚四つん這いになる程度にしかかかっていない吊り橋を渡る先から板を後ろから前に持ってきて渡るはめになり、後ろにはライバル部族、渡る先にはまたもやキートンをハントと誤認している自分の部族に攻撃されそうになりますが、ようやく板を渡して近づいたところで「リトル・チーフだ」と気づかれ助けられることになり、ハントの上着を脱いだキートンは内ポケットに土地の権利書を見つけ、前酋長に大手柄を褒められます。なんでも褒美を、という前酋長にキートンは「あの娘」とヴァージニア・フォックスが出てきた家の窓の前に駆け寄ってフォックスを抱きとめキスし、字幕「2年後(Two Years Later)」服装も姿勢も同じままでキスしたままのキートンとフォックス、エンドマーク。何とも洒脱な締めくくりで、これも謎の無人島(?)に一家が消えて行く前作、キートンのポークパイ・ハットをかぶせた墓石がエンドマークの次作と並んで冴えまくっています。ちなみに本作もジョセフ・スケンクのプロデュースで、サイレント短編時代のキートン作品のほとんどがそうだった前作同様キートンとエディ・クラインの共同監督・脚本名義ですが、レストア版以前の前作「キートンの船出」と本作「キートンの白人酋長」のホームヴィデオ~旧版マスターのプリントを使ったDVDでは「Buster Keaton Company(Production) Presents」とタイトルが出て、「Written and Directed by Buster Keaton」とキートン単独監督・脚本名義のクレジットがあり、さらに本作は字幕タイトルの飾り枠下中央に「B.K.」と長編『キートンの大列車追跡』と同様に、字幕タイトル飾り枠下中央に「D.G」とイニシャルを入れたD・W・グリフィスを踏襲したパロディがありますが、このキートン・プロダクション(カンパニー)名義やキートン単独監督・脚本扱い、「B.K.」のイニシャル入り飾り枠の字幕タイトルはキートンが長編時代、それもメトロ作品ではなくキートン・プロダクション名義になってからの'24年の長編以来に再上映のために改変されたクレジットやタイトル・カードとおぼしく、すぐに再上映されなくなって行方不明になり'80年代末まで散佚作品になった「キートンのハード・ラック」とは対照的に前作や本作は長編時代になってもニュープリントが作られ長い人気を誇った証拠でもあり、長編時代の人気絶頂期にも上映の需要が多く他のキートン短編、または新作長編と併せて再上映がくり返された好評の作品だったことを示しています。「キートンの船出」にも増して本作がチャップリンやロイドのキャラクターでは作れない、キートンならではの領域なのはあらすじだけでも一目瞭然でしょう。そして短編第12作、'22年度2作目の次作「キートンの警官騒動」はデビュー作「文化生活一週間」と並ぶ、キートンのサイレント短編時代屈指の傑作になるのです。
●1月24日(木)
「キートンの警官騒動」Cops (監・脚=キートン&エディ・クライン、First National'22.Mar.)*18min, B/W, Silent : https://youtu.be/bMxMuoMAuXQ
警官の大群をギャグにしたのは水着美女の大盤振る舞いと並んで'12年発足の喜劇映画会社、キーストン社の総帥マック・セネットの2大発明ですが、キーストン喜劇ですら本作ほど徹底して、しかも数百人もの警官役エキストラを使った例はなく、セネットの発明をキートンが途方もない規模で決定版に仕上げてしまったのがこの作品です。警官の大群に追われる、という趣向は花嫁の大群に追われる長編『キートンのセブン・チャンス』、牛の大群に追われる(というより引き連れて疾走する)『キートンの西部成金』'25に再現され、またエンドマークがサゲでありオチになっているのはキートンとヒロインが結ばれ、子どもたちに囲まれ、老夫婦になり、二つならんだら墓石で終わる『キートンの大学生』'27によりシニカルな拡大がなされます。本作がいかに高い評価を受けているかはアメリカ国立フィルム登録簿の施工1回目(1年目)の'89年にアメリカ映画の最重要作品25作に長編『キートンの大列車追跡』が選出されて以来、第9回目の'97年に選ばれたキートン作品では2作目の作品がこの「キートンの警官騒動」であることでも屈指のキートン作品とされている評価がうかがわれ、登録年順で言えば2000年に長編『キートンの探偵学入門』'24、2005年に長編『キートンのカメラマン』'28、2008年に短編「文化生活一週間」'20、2016年に長編『キートンの蒸気船』'28が現時点でアメリカ国立フィルム登録簿に選出されているキートン作品6作ですが、チャップリンと同数、ロイドが長編2作に留まるのと比較しても現役時代の人気とは別に映画作品としての芸術的評価がいかに高まったかを示します。キートンは'21年5月にナタリー・タルマッジと結婚し、同月公開の短編第8作「キートンの強盗騒動」がメトロ映画社配給の最後の短編で(長編時代に再び戻りますが)、マネジメント&プロデューサーのジョセフ・スケンクがさらに高利益な契約で配給をファースト・ナショナル映画社と結んだ第1作が'21年10月公開の「キートンの即席百人芸」でしたが、これは「キートンの電気屋敷」撮影中の怪我のためアクションの少ないトリック撮影中心の作品が作られたそうで、同作は公開順では'22年10月公開の第16作ですから、第9作「キートンの即席百人芸」から「キートンの電気屋敷」まで、おそらく残りのサイレント時代の短編は公開順とは不同で一気に1年先公開の分まで作られていたことになります。本作の「カフカ的」とまで評される悪夢感は、キートンが'17年~'20年までに14編の助演・助監督・脚本協力で師事した同じスケンク・プロダクションの先輩コメディアンで、チャップリンより1年早くセネットのキーストン社からデビューしていたロスコー・"ファッティ"・アーバックル(1887-1933)のスキャンダル裁判が影響しているとされ、'21年9月5日の労働記念日にアーバックル家で映画人を招いたパーティーのあと、パーティーに参加していた新人女優が9日に子宮破裂で変死する事件があり、強姦致死の罪状で起訴されたアーバックルは証拠不十分で無罪になりましたが34歳で喜劇スターのキャリアを断たれたアーバックルは以降アーバックル名義での活動はできなくなり、ノンクレジットや変名で映画界の裏方仕事をするしかなく(キートンは長編『キートンの探偵学入門』でアーバックルに共同監督を匿名依頼しました)、40代の若さで亡くなりました。偶然ですがアーバックルが逝去した'33年はキートンがメジャー映画会社MGMを馘首され、マイナー映画社を転々とすることになったのと同年でした。たびたびひきあいに出して恐縮ですが、チャップリンやロイド作品にほとんどなくてキートンの映画に際立って漂っているのが本作に集約されるようなブラックでシニカルな、不吉さすら感じさせる感覚で、通常喜劇映画とは相反する感覚が平然とギャグやユーモアに転じているのがキートンの映画です。サイレント喜劇の標準は基準とするならチャップリンやロイドに置く方が真っ当な見方でしょうが、キートン自身は案外そう主流離れした荒唐無稽な作品を作っていた意識はなかったかもしれず、1編1編流して観るには観客の側もキートンの特異さを見過ごしていたのかもしれません。