ユーゼフ・ラティーフ Yusef Lateef - チュニジアの夜 A Night in Tunisia (Dizzy Gillespie, Frank Paparelli) (Savoy, 1958) : https://youtu.be/gOgM8KBPcps - 9:55
Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, October 10, 1957
Released by Savoy Records as the album "Prayer to the East", Savoy MG 12117, 1958
[ Personnel ]
Yusef Lateef - tenor saxophone, oboe, flute, Wilbur Harden - flugelhorn, Hugh Lawson - piano, ocarina, Ernie Farrow - bass, Oliver Jackson - drums, gong
今回は先に下にご紹介したチャーリー・パーカー沒後の発掘ライヴ盤『52丁目のチャーリー・パーカー』からお聴きください。これは'91年に発掘発売された伝説的チャーリー・パーカー・マニアのディーン・ベネディッティがパーカーのライヴに通っては堂々とパーカーの快諾のもとマイク(とはいえワンポイントでしょうが)を立てて客席録音していた、という'47年3月~'48年7の残存している約20回分のライヴからの抜粋で、約20回中パーカーはジャムセッションで1回、クインテットのライヴで4回「チュニジアの夜」をプレイしており、これがダイヤル・レコーズからのスタジオ盤の発売促進だったようなのは、'48年8月~'49年2月のラジオのレギュラー出演ライヴがエアチェック録音でサヴォイ・レコーズから先に公式発売されており、15回分・CD4枚分におよぶその15回では「チュニジアの夜」が演奏されたのは1回しかないのです。スタジオ録音盤の時から'48年7月まではトランペットはマイルス・デイヴィス、'48年8月からトランペットはケニー・ドーハムが後任という区切りもありますが、パーカー追悼盤用にベネディッティから『52丁目のチャーリー・パーカー』用にチャールズ・ミンガスとマックス・ローチの自主レーベルのデビュー・レコーズ/ジャズ・ワークショップ・レーベルがコピーしてもらった(ミンガスのバンドのメンバーが元々テナー奏者だったベネディッティと親友でした)ベストのライヴが'48年7月6日分で、それがこれです。マイク・ポジションの関係でトランペットとピアノ(特にトランペット)の音がほとんど聞こえない、パーカーのアルトサックスとドラムスのデュオ状態なのでサックスが鳴るまで曲が始まっているのかどうかもわからない(イントロ部分ののサックスはおそらくベネディッティによる楽曲識別用ダビングです)、パーカーのアドリブ・ソロが終わりにさしかかるとフェイドアウトしてしまう、とさんざんなヴァージョンで、パーカーのソロも冴えていません。やはりパーカーにとってこの曲はガレスピーからの借り物で、スタジオ録音の名演こそ発表したとは言えライヴではガレスピーとの共演やガレスピーの愛弟子ファッツ・ナヴァロとの共演でもないと「乗らない」曲だったと思わせられます。
この曲「チュニジアの夜」のカヴァーはごまんとありますが、屈指の名演はガレスピーのバンドのレギュラー・メンバーだったこともある、パーカーと同年生まれ(1920年生)の伝説的ジャズマン、ユーゼフ・ラティーフ(1920-2013 !)のヴァージョンではないでしょうか。あまりに強烈なジャケットとうさんくさいアルバム・タイトル、玉石混淆乱発体制で悪名高いレコード会社(サヴォイ・レコーズ!)のせいで埋もれてしまったアルバムですが、ユーゼフ・ラティーフ(1920-2013)はキャノンボール・アダレイ・クインテットがメンバーに抜擢してセクステットに増員した'62年にようやくニューヨークで活動し始めて名を上げた人で、それまではデトロイトのジャズ界で重鎮的地位にいながら初アルバムは'57年、とレコード・デビューが遅れた人でもあります。しかも'57年だけで8枚のアルバムを録音、キャノンボールに抜擢される'61年までに17作のアルバムがあった人で、サヴォイの粗製濫造体制でも実はラティーフのアルバムは抜きん出て出来が良いのと、デトロイトNo.1テナーという評判からやはりサヴォイに負けず劣らずの粗製濫造インディー・レーベルのプレスティッジもラティーフのアルバムを制作するようになり、ブルー・ノートと並ぶ良心的インディー・レーベルのリヴァーサイドがラティーフのアルバムを制作する頃にはプレスティッジも粗製濫造路線は続けますが、ラティーフについては丁寧な制作を行うようになります。キャノンボールのバンド脱退後はラティーフを尊敬するジョン・コルトレーンが自分の所属レーベルのメジャー傘下のインパルス!に専属契約でラティーフを招き、40代でようやく一流ジャズマンと目されるようになったラティーフはコルトレーン沒後はメジャー傘下のアトランティックに移籍、テナー、オーボエ、フルート、バスーンのマルチ・プレイヤーとして同じアトランティックのラサーン・ローランド・カーク(1936-1977)と並ぶジャズ界の怪物的存在になります。しかしチャーリー・パーカーと同年生まれのラティーフはアルバム・デビュー時にはすでに百戦錬磨の凄腕一流プレイヤーだったので、'57年録音の8枚中5枚目の名盤『プレイヤー・トゥー・ジ・イースト』は日本ではようやく'90年代に初日本盤が出た傑作です。アルバム全編この「チュニジアの夜」の怪ヴァージョンの高レベルです。キングコブラのジャケットも伊達じゃないと思えてくるのです。
Charlie Parker Quintet - A Night in Tunisia (Jazz Workshop, 1957) : https://youtu.be/tXkwsVfQF5U - 3:29
Recorded live at Onyx Club, New York, July 6, 1948
Recorded by Dean Benedetti's Home Recorder
Released by Debut Records as the album "Bird on 52nd St.", Jazz Workshop JWS 501, December 1957
[ Charlie Parker Quintet ]
Charlie Parker - alto saxophone, Miles Davis - trumpet, Duke Jordan - piano, Tommy Potter - bass, Max Roach - drums
Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, October 10, 1957
Released by Savoy Records as the album "Prayer to the East", Savoy MG 12117, 1958
[ Personnel ]
Yusef Lateef - tenor saxophone, oboe, flute, Wilbur Harden - flugelhorn, Hugh Lawson - piano, ocarina, Ernie Farrow - bass, Oliver Jackson - drums, gong
今回は先に下にご紹介したチャーリー・パーカー沒後の発掘ライヴ盤『52丁目のチャーリー・パーカー』からお聴きください。これは'91年に発掘発売された伝説的チャーリー・パーカー・マニアのディーン・ベネディッティがパーカーのライヴに通っては堂々とパーカーの快諾のもとマイク(とはいえワンポイントでしょうが)を立てて客席録音していた、という'47年3月~'48年7の残存している約20回分のライヴからの抜粋で、約20回中パーカーはジャムセッションで1回、クインテットのライヴで4回「チュニジアの夜」をプレイしており、これがダイヤル・レコーズからのスタジオ盤の発売促進だったようなのは、'48年8月~'49年2月のラジオのレギュラー出演ライヴがエアチェック録音でサヴォイ・レコーズから先に公式発売されており、15回分・CD4枚分におよぶその15回では「チュニジアの夜」が演奏されたのは1回しかないのです。スタジオ録音盤の時から'48年7月まではトランペットはマイルス・デイヴィス、'48年8月からトランペットはケニー・ドーハムが後任という区切りもありますが、パーカー追悼盤用にベネディッティから『52丁目のチャーリー・パーカー』用にチャールズ・ミンガスとマックス・ローチの自主レーベルのデビュー・レコーズ/ジャズ・ワークショップ・レーベルがコピーしてもらった(ミンガスのバンドのメンバーが元々テナー奏者だったベネディッティと親友でした)ベストのライヴが'48年7月6日分で、それがこれです。マイク・ポジションの関係でトランペットとピアノ(特にトランペット)の音がほとんど聞こえない、パーカーのアルトサックスとドラムスのデュオ状態なのでサックスが鳴るまで曲が始まっているのかどうかもわからない(イントロ部分ののサックスはおそらくベネディッティによる楽曲識別用ダビングです)、パーカーのアドリブ・ソロが終わりにさしかかるとフェイドアウトしてしまう、とさんざんなヴァージョンで、パーカーのソロも冴えていません。やはりパーカーにとってこの曲はガレスピーからの借り物で、スタジオ録音の名演こそ発表したとは言えライヴではガレスピーとの共演やガレスピーの愛弟子ファッツ・ナヴァロとの共演でもないと「乗らない」曲だったと思わせられます。
この曲「チュニジアの夜」のカヴァーはごまんとありますが、屈指の名演はガレスピーのバンドのレギュラー・メンバーだったこともある、パーカーと同年生まれ(1920年生)の伝説的ジャズマン、ユーゼフ・ラティーフ(1920-2013 !)のヴァージョンではないでしょうか。あまりに強烈なジャケットとうさんくさいアルバム・タイトル、玉石混淆乱発体制で悪名高いレコード会社(サヴォイ・レコーズ!)のせいで埋もれてしまったアルバムですが、ユーゼフ・ラティーフ(1920-2013)はキャノンボール・アダレイ・クインテットがメンバーに抜擢してセクステットに増員した'62年にようやくニューヨークで活動し始めて名を上げた人で、それまではデトロイトのジャズ界で重鎮的地位にいながら初アルバムは'57年、とレコード・デビューが遅れた人でもあります。しかも'57年だけで8枚のアルバムを録音、キャノンボールに抜擢される'61年までに17作のアルバムがあった人で、サヴォイの粗製濫造体制でも実はラティーフのアルバムは抜きん出て出来が良いのと、デトロイトNo.1テナーという評判からやはりサヴォイに負けず劣らずの粗製濫造インディー・レーベルのプレスティッジもラティーフのアルバムを制作するようになり、ブルー・ノートと並ぶ良心的インディー・レーベルのリヴァーサイドがラティーフのアルバムを制作する頃にはプレスティッジも粗製濫造路線は続けますが、ラティーフについては丁寧な制作を行うようになります。キャノンボールのバンド脱退後はラティーフを尊敬するジョン・コルトレーンが自分の所属レーベルのメジャー傘下のインパルス!に専属契約でラティーフを招き、40代でようやく一流ジャズマンと目されるようになったラティーフはコルトレーン沒後はメジャー傘下のアトランティックに移籍、テナー、オーボエ、フルート、バスーンのマルチ・プレイヤーとして同じアトランティックのラサーン・ローランド・カーク(1936-1977)と並ぶジャズ界の怪物的存在になります。しかしチャーリー・パーカーと同年生まれのラティーフはアルバム・デビュー時にはすでに百戦錬磨の凄腕一流プレイヤーだったので、'57年録音の8枚中5枚目の名盤『プレイヤー・トゥー・ジ・イースト』は日本ではようやく'90年代に初日本盤が出た傑作です。アルバム全編この「チュニジアの夜」の怪ヴァージョンの高レベルです。キングコブラのジャケットも伊達じゃないと思えてくるのです。
Charlie Parker Quintet - A Night in Tunisia (Jazz Workshop, 1957) : https://youtu.be/tXkwsVfQF5U - 3:29
Recorded live at Onyx Club, New York, July 6, 1948
Recorded by Dean Benedetti's Home Recorder
Released by Debut Records as the album "Bird on 52nd St.", Jazz Workshop JWS 501, December 1957
[ Charlie Parker Quintet ]
Charlie Parker - alto saxophone, Miles Davis - trumpet, Duke Jordan - piano, Tommy Potter - bass, Max Roach - drums